Opportunity knocks
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2002年07月31日(水) 翻訳という行為について

スクーリング2日目。
うだるような暑さの中、また東海学園大学まで。

講義はテキストの和訳を中心に進んだ。

レポートの課題はテキストの終わりの2つの章を和訳するというもの。
午後はその時間にあてても良いということで、電子辞書片手に頭を抱えながら
少しずつ英文を和訳した。

黙々と訳してるうちにふと思った。
翻訳というのは、ただ外国語を母国語に直す、という作業ではなく、
言葉を選び取る作業なんだなと。
文章の意味を伝えるためにいちばん適した言葉を、自分のフィールドの中から掬い取る、選んでいく。そういう一連の作業が翻訳なんじゃないかって。

そう難しくない原書でも買って訳してみようかな。
自分の言葉で訳した小説、読んでみたい気がする。


2002年07月30日(火) 酷暑のなか

スクーリングの日。
愛知県三好町にある東海学園大学というところにいく。
朝7時過ぎに家を出て、JR、地下鉄、名鉄と乗り換え、
三好ヶ丘という駅で降りる。
何もないところ。三好ヶ丘。
山を切り開いて造成した典型的な郊外のベッドタウン。
駅周辺は車もまばら。
歩いてるのは学生とおぼしき若い女性数名のみ。
たぶん住人は仕事に出かけているか、クーラーのきいた涼しい部屋で
ぱらぱらと雑誌でも眺めてるのだろう。
日差しが照りつける中、結構急な坂を登って大学まで行く。

東海学園大学。
綺麗で新しくて明るい大学だった。
今はテスト期間中らしく、構内はとても静か。
指示された教室へ向かう。

10時に講義が始まった。
先生は結構若くて、理解不能なダジャレを言うちょっと変だけど面白い人。
思ったとおり自己紹介(英語で)から始まった。

Hello everyone.
Nice to meet you.
My name is N・Y
I live in Handa city.
My major is Japanese literature.
I work for dental office.
I often go to see movies.
I like movies very well.
I hope I’ll make friends with all of you.・・・・
(これだけ言うのにかなり冷や汗がでた)

それぞれの自己紹介が終わった後、3,4人のグループにわかれ、
グループごとに1つのパラグラフを訳して発表していくという形で
講義は進んでいった。

思ったより難しくない英文で単語も比較的わかるものが多かったので、
かなりリラックスして講義を受ける事ができた。


家に帰って明日の予習。
レポートの課題は、どうやら幾つかの章(数ページほど)を和訳する、というものになりそうなので、難しそうな単語を拾い、おおまかな筋をつかんでレポートに備えることにした。
このまえ訳詞したせいもあって、少し英語が身近になったような気がする。
これをきっかけに、苦手だった英語、少しでもましになるといいな、と思う。


2002年07月29日(月) 無題

昨日とは打って変わったような酷暑。

明日は2日続けて東海学園大学というところでスクーリングがある。
外国語の授業。
ドイツ語、フランス語、中国語、英語の中から選択ということで
迷った挙句、やはり英語にした。

講義内容を見ると、マザーテレサの生涯について書かれた本をテキストにして
講義を進めるらしい。意味のわからない単語を拾って一応予習しておく。

ほかになにかやっておくことはないかと講義内容を詳しく読んでみると
わきに小さく自己紹介、と書いてある。

えっ・・・英語で自己紹介とか?

だったらどうしよう。

わたしの英語レベルなんて、やっとおすわりができるようになった一歳前の赤ちゃん程度なのだ。自慢じゃないけど。

わたしの名前は・・・です。
本を読むことが好きです。
えーっと、えーっと・・・
好きな作家は・・えーっと作家って英語でなんていうんだっけ???

あー、酷い1日になりませんように・・・。




2002年07月28日(日) 自分のための場所

昨日、今日と父の御墓参りのため富山に帰省した。

久しぶりの富山。やっぱり懐かしかった。
地元の人がしゃべる言葉も、空気も、山や川の匂いも、何もかも。

父の実家にお世話になって、一晩泊まった。
従兄弟の子供で今年25才になった女の子と仕事のことなんかを話す。
彼女は今まで機械の工業デザインを主にやっていたのだけど、昔から建築デザインの方に強くひかれていたとのこと。これでいいのかと問いながら毎日を過ごしていたのだけど、ある日突然やっぱり自分のやりたい道に進もうと決意して、会社を辞めた。現在、一級建築士の勉強をしている。
彼女のお母さん(つまりわたしの従姉妹)はそんな夢物語なこと言って・・・
と、やや批判気味のよう。でも彼女の決心は固いらしく従姉妹も半ばあきらめてるといった感じ。
わたしの友達にもそういう人がいるよ、と彼女に話す。
みんな自分の将来の目標がきちんとあって、それに向かって純粋な気持でがんばってる。だから自分がやることに対してもっと自信と誇りをもっていいんだよ。
そう話すと彼女の表情は少し明るくなったような気がした。


次の日、地元でおいしいと評判の蕎麦屋でおいしい蕎麦を食べたあと(ほんとうに美味しかった、うまく言葉にできないくらい)また慌しく車に乗って帰路についた。

ほんとうはもっといたかった。もっと山をみていたかったし、
静かな田舎の雰囲気を身近に感じていたかった。
緑にかこまれているとすごくほっとしたし、自分の心が静かに満たされていくような気がした。

でも時間だった。
明日は仕事にいかなきゃいけないし、あさっては学校の講義もある。
わたしの今の生活の場所はここではないのだ。

徐々に小さくなっていく山並みを車窓から眺めながら、小さく溜息。
今度はいつ帰ることができるだろうか、そんなことを考えながら
窓の外をずっと眺めていた。







2002年07月26日(金) 無題

この前までやっていた文学史の資料をぱらぱら読んでいて、
ひとつの短歌に目がいった。

夕暮は 雲のはたてに物ぞ思う 天つ空なる人を恋うとて

夕暮時には、雲のはてをじっと見つめて物思いに沈んでしまう。
空にいるようなとても手のとどかない人に恋しているせいだろうか。
というような意味。

人を恋うているわけでもないのだけど、わたしもそんな風に
夕暮どきに物思いすることがある。
気がつくと、ベランダの窓から出たばかりの月をぼんやり眺めてたり、
徐々に蒼みを帯びていく空を眺めてたりしている。

何か特別なことを考えてるわけじゃなくて、
ただいろんなことをぼんやり考えてる。
自分だけにしかわからないイメージ、思い、なんかが
頭の中でくるくるとまわっている。

はたからみてるとただの間抜けにみえるんだろうけど、
そういうものが必要な人間なんだろうと思う。
もうちょっと有益なことを考えればいいのにと思わなくもないけど。








2002年07月25日(木) 無題

ETVで川上弘美さんの特集がやっていたので見てみた。

本の雰囲気そのままの人だった。
時々さまよう視線、率直な物言いなど、
ああ、川上さんの本のあの言葉たちは、
ほんとうにこの人の中から生まれ出たものなんだな、
というのがすごく実感できた。

「センセイの鞄」のことを川上さんが話しているのを聴いてたら、
無性に塩らっきょうとまぐろ納豆と蓮根きんぴらが食べたくなってきた。
センセイみたいな人と塩らっきょうやまぐろ納豆をたべる、
そんなふうに誰かと心を通わせることができたら素敵だろうな。

何かがお互いを行き来する、そんな心の通い合い、
そんなものを川上さんは書きたかったんじゃないかなぁ、と思う。

あー、センセイ〜、読みたくなっちゃったな。





2002年07月24日(水) 今日の小確幸

服を買った。
ストレッチ素材の黒のシャツ。
襟がデニムになっている。
袖はかなり短め。(と、この文章で正確に服の形を想像できる人はかなりすごい)

かなり小確幸♪


2002年07月23日(火) Hush now・・・

Billie Holiday / Arthur Herzog Jr.

Hush now, don't explain
Just say you'll remain
I'm glad your back, don't explain

Quiet, don't explain
What is there to gain
Skip that lipstick
Don't explain

You know that I love you
And what endures
All my thoughts of you
For I'm so completely yours

Cry to hear folks chatter
And I know you cheat
Right or wrong, don't matter
When you're with me, sweet

Hush now, don't explain
You're my joy and pain
My life's yours love
Don't explain



もうなにも言わないで
ここにいるとだけ言ってほしいの
言い訳なんかしないで
もどってくれるだけでわたしはいいのよ
もうなにも言わないで

静かにして
言い訳なんかしないで
シャツに口紅がついてたってそれがなんだっていうの?
言い訳なんかしないで

わたしがどれだけあなたを愛しているか
あなたは知っているでしょう?
わたしがずっと耐えてるってことも

わたしは完全にあなたのものなのよ

人がかしましく噂することには泣かされてしまう
あなたがわたしに嘘をついてるってこともわかってる
でもそれが良い悪いかなんてどうでもいい
あなたがそばにいてくれるだけで
わたしはそれで十分なのだから

何もいわないで
あなたはわたしの喜び、そして痛み
わたしの人生のすべてなのよ
だからもう何も言わないで



このまえ日記に書いた曲。
こんな風に訳してみた。
でも、いろんな人が歌っているのを聴くと歌い手によっていろんな訳し方ができるような気がする。
ケイコ・リーの歌はやっぱりヘレン・メリルとは違う。
歌い手によって受ける印象は全然違ったものになるとおもう。
今回はヘレン・メリルが好きだからというのもあって、彼女の歌声から連想する雰囲気で訳して見たけど、ケイコ・リーが好きなひとならまた違う雰囲気になるんじゃないかな。


もうひとつ・・・

もうなにもいわないでよ
どこにもいかないとだけいってよ
言い訳なんかしないで
帰ってきてくれるだけでいいの
言葉なんてなにもいらない


静かにして
何もいわないで
口紅がついてたくらい何でもないわ
へんな言い訳なんてしないで

愛してるってわかってるでしょう?
あなたはわかっているわよね?
わたしがずっと耐えてるってこともわかってるんでしょう?

わたしは完全にあなたのものなのよ

人の噂ってすごくつらいわ
あなたがわたしを裏切ってることも知ってる
でもわたしはそんなことどうだっていいの
ほんとうにどうだっていい
あなたがそばにいてくれるだけで
それだけでいいのよ

何もいわないで
あなたはわたしの喜び、そして痛み
わたしの人生のすべてなのよ
だから、もう何も言わないで


・・・こういうのもありかな。意訳しすぎなような気もするけど。

切ない歌だな、と思う。
気持がなくてもいい、中身のない残像のようなものでもいいから自分のそばにいて欲しいと思ってる。でもその反面、彼女はあきらめている。あきらめるしかないことを知っている。

良い曲だね、とそばで聴いていた連れ合いにいってみた。
そうだな、でもおまえがこんなタイプの曲に感情移入できるなんて思わなかったな
と連れ合いが言う。

「だっておまえ、何も言わないでっていうよりか、何とか言いなさいよっ!っていうタイプだもんな、はははは」

・・・・確かにそうかもね。
何も言わないで。難しい言葉だよね、それって。ほんとに。うん。




2002年07月22日(月) お茶

夏になってお茶ばかり飲んでいる。
その日の気分によっていろんな葉を加えて作るのだけど、よく使うのはウーロン茶、番茶、ほうじ茶、プーアル茶、大麦茶などなど。
あとはぶ茶というのもよく使う。
はぶ茶は波布草という植物の種子が原料になっているお茶。
(毒蛇のハブが原料ではないです、念のため)
解毒薬にもなる植物が原料なので、健康にも良いらしい。
実際これを飲み始めてから胃痛や胸焼けなどに悩まされなくなった。
(二日酔いなどにも良いような気がする)

いつもは大麦茶と波布茶を半分ずついれて飲んでいるのだけど、
ちょっと気分を変えたいときはそこにプーアル茶とかほうじ茶とかを入れる。
コーヒーや紅茶は滅多に飲まない(1,2ヶ月に1回くらいのもの)ので、
かわりに楽しんでお茶を飲んでいる。

今度はカミツレとかジャスミンとかにも手を出してみようかな。






2002年07月21日(日) 無題

午前中、ずっと「模倣犯」を読んでいたら、急に気分が悪くなってきた。
心を病んだ人間の心理をえんえんと追ってきたからだろうか。
呼吸があさくなって、手が痺れてきてもう限界だと思って本を閉じた。
それから読む気がしなくてほかってある。
何て酷い話なんだろうと思う。
でも、よく考えるとこの小説に書いてあることは絵空事でもなんでもなくて、
実際にこの世の中で行われてることなのだ。

ニュースで流れるむごい事件をわたしは殆ど人ごとだと思っている。
どこかで人が殺された。でも自分とは関係ない、遠いところで起こった事だと思っている。でも、それは実際にこの現実の世界で起こったことなのだ。
この世界で芽が生まれ、育ち、根っこが伸び、枝葉が茂っていったものなのだ。

ただのフィクションだなんて思えなかった。



2002年07月20日(土) 無題

連休、ということで本読みの1日。
朝、てきとーに家事をすませたあと、夕方までほとんど本を読んでいた。
コンタクトレンズをはめたまま読んでいたので、目の奥がずきずきと痛む。

何を読んでいたのかというと、「模倣犯」
図書館から借りたもので、返却期限を守らないといけないのもあって読み始めたのだけど、案の定ひきずりこまれて何もできなくなってしまった。
最近読んでは考え、考えては読む、というタイプの本ばかり読んでいたので、
この手の本は久しぶりに読む気がする。
何も考えずに文章を追うという行為にひたりきった。

1日で上巻の約半分(とにかくこれでもかというくらい長い)まで読んだ。
明日もこんな1日になる予定。たぶん。


2002年07月19日(金) さざえ

野菜作りが趣味の友達がいて、しょっちゅう獲れたての野菜をもらったりしているのだけど、今日は獲れたての野菜と一緒にさざえをいただいた。
実家から送られてきたものらしいのだけど、あまりにも数が多くて全部たべられそうにないから、ということで持ってきてくれたのだ。

そんなわけで今日の晩御飯はさざえの煮付けと焼き茄子、大葉と大根のサラダ、
オクラのごま和え、大根の葉と鮭の混ぜご飯となった。

さざえはまだむにむにと動いていて、ぐらぐら煮立っている鍋に投げこむのを躊躇ってしまったのだけど、どうせあんたらもう食べられる運命なんだから、と
言い聞かせて鍋の中に入れる。
ぽこぽこぽこと空気があがって、さざえの体(というか身が)ぐにぐにしているのが見えた。
もし生まれ変わったとしても、ぐらぐらと煮立ったお湯の中でゆでられるさざえにだはなりたくないな、そう思った。

ゆであがったさざえの身をとりだして、調味料が入った子鍋に入れる。
しょうゆ色にそまっておいしそうな匂いをはなってるさざえを見てたら、
さっきまで感じていたみょうな罪悪感は消え去ってしまった。


さまざまな生き物の命を略取しながら人間は生きている。
せめておいしく食べて、健康な体をつくって生きていかなきゃ。
そんなことを思った。








2002年07月18日(木) なにも言わないで

Don't explain。
ジャズのスタンダードナンバーのひとつ。
ビリーホリディがオリジナルだけど、いろんな人が歌っている。
今小さな音で聴いてるのはヘレン・メリル。

歌詞を手に入れたので、少しずつ訳している。(もろZさんの影響で)
少しずつ歌の核心に近づいていくような感覚。
訳詞って結構良いものだなぁと思う。





2002年07月17日(水) つれづれなるままに

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。

徒然草の序段の文章。

なすこともない所在なさ、ものさびしさにまかせて
終日硯に向かって、心に浮かんでは消えてゆくとりとめのないことを、
何ということもなく書きつけていると、我ながらあやしくも、
もの狂うおしい気持がすることではある。

何百年以上も前に生きていた人が書いた文章に共感するというのも、
何だか不思議な気がするのだけど、この序段にはほんとうに共感してしまう。
あやしくも、もの狂おしい気持。やれやれ。

午後、そんな感じで文章を書いていたら、大学から郵便小包が届いた。
スクーリングを受けるときの資料やらテキストやらがでてきた。
その中になぜか吉本ばななさんの「キッチン」が入っていた。
「文学と人生」という講義の中でとりあげるらしい。
ばななさんの本は、「白河夜船」と「ハードボイルド/ハードラック」しか
読んだ事がない。「キッチン」ってどんな小説なんだろう。
講義は来月なので、ゆっくり読んでみようと思う。

※読んだことがある方、もしよかったら本の感想などいただけないでしょうか。
よろしくお願いします。。


明日は待ち人きたらずで、所在無い日になってしまったので
久しぶりにビデオ鑑賞&本読みに費やそうと思う。
カラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」
フランス映画とは相性の悪いわたしだけど、たまには芸術性にどっぷりつかって
みるのも悪くないと思う。
さて、何を感じ取る事ができるだろうか。





2002年07月16日(火) 無題

台風直撃の朝。
学校から急に今日は弁当持ちでという連絡がきたりして、
かなり慌しい朝になった。
炊飯器の中がからっぽだったので(ごはんくらい多めに炊いとけばいいのに)
冷凍庫にある玄米ご飯を解凍しようとしたら、コドモの激しい抵抗にあった。

そんなご飯持っていったら友達にYのご飯はへんだっていわれる、だから持っていかない、とコドモ。
何いってんの玄米ご飯は生活意識が高い人々がたべるかなり立派な食物であって決して人にへんだへんだなんて後ろ指さされる食べ物じゃないのへんだなんていう友達がいたらなんだお前玄米も知らないのかって逆にばかにしてやりなさいっまったく・・・
などと言い合ったりしたのだけど、彼は頑なに玄米ご飯を嫌っていてそんなものをたべるくらいなら弁当なんていらない、とまで言うので仕方なく持たせるのはやめた。ご飯、どうしようかなと戸棚をごそごそしていたら、ずっとまえに買った保存用のご飯(レンジであっためるやつ)が出てきたので結局それでお握りをつくることにした。やれやれ。


雨と風は十時くらいから急に弱まり、お昼前には台風一過の青空になった。
何でもう少しはやく晴れてくれなかったの?と空を見上げながらうらめしげに溜息をついたシュフはかなり多かっただろうとおもう。

まあたまにはいいか、こんな朝も。たまには、だけど。














2002年07月15日(月) 台風

また台風がくるらしい。
夕方空を見上げてみると、雲がかなりの早さで流れていた。
西から東の方角へ。

夜になってかなり風が強まってきた。
窓や玄関のドアががたがたと音をたてている。

クレマチスの鉢植えを中に入れ、懐中電灯を準備したり(結構すぐ停電したりする)水を汲み置きしたりする(電気が切れると水がでなくなる)

台風の夜。
明日の朝は台風一過の青空がみられるんだろうか。



2002年07月14日(日) 無題

今日は近世日本文学史の試験だった。
上代(古事記、日本書記が書かれた時代)から近世(江戸時代の末期)までの
日本文学の歴史についての試験。

自分の好きな時代なんかはかなり熱心に勉強したのだけど、興味のない時代についてはかなりいい加減にやった気がする。
例えば「平家物語」
昨日は、1日前になってようやく「平家物語」を集中して勉強した。
文字通り1夜づけ。
原文なんかはすっとばし、とにかく解説を読み、文章にできそうな箇所を覚える。

そして今日の朝。
一抹の不安を感じながらいつものように同朋大学へ。

試験がはじまり設題を読む。

近世日本文学史 
「源氏物語における、『因果応報(罪の子)』『もののけ』『浮舟をめぐる物語』についてそれぞれ説明しなさい」

肩の力が抜けた。
なんだ、昨日あんなに勉強することなかったよ、などと不届きなことを考えながら解答用紙に向かう。
因果応報・・・罪の子と書いてあるからにはやはり、源氏と藤壺の宮、女三宮と柏木のことだろうなあ、と思いながら書く。

もののけについてはどう書けばいいだろう、としばし考える。

・・・すべての事象が明らかになっている現代とは違い、平安の世であった当時の人々にとって、世の中は多くの謎に満ちたものであったに違いない。・・・云々
・・・もののけとはその当時の人々が持っていた思念の現れであり、世の中の不条理を訴える手段のひとつだったのではないだろうか・・・云々・・・

浮舟については、前回受けた科目のときにいやというほど宇治十帖を読んだので、
何も問題なくすらすら書く事ができた。


そんな感じで、何の問題もなく試験は終わった。
平家物語じゃなくてよかった。

これでこころおきなく読書にひたれる。
あー、なんか幸せ♪








2002年07月13日(土) 宮澤賢治

宮澤賢治の本を物色しにブックオフへ行く。
「注文の多い料理店」と「セロ弾きのゴーシュ・グスコーブドリの伝記」
があったので買うことにする。あと、「フラニーとゾーイ」の文庫本と、買い逃した「スプートニクの恋人」と「アンダーグラウンド」のハードカバーが200円で置いてあったので、それも一緒に買う。
レジに持っていくと、今、夏のキャンペーンセールをやっているとかで、30%オフにしてくれた。4冊合わせて575円。かなり幸せ。

ついでに図書館にも寄る。
2ヶ月まえにリクエストした「模倣犯」、やっと借りることができた。
あと、ミルハウザーとタブッキを図書館のPCで検索したら何冊か置いてあるということだったので、図書館の人にだしてもらい、「インド夜想曲」「夢のなかの夢」、「イン・ザ・ペニー・アーケード」を借りた。(最初から検索すれば良かったんだ…)
明日の試験のための資料もいくつか借りる。

本を抱えてよろよろしながら帰宅。

ソファに腰掛けて、さっそく宮澤賢治の「やまなし」を読んでみる。
読んでいるうちにだんだん記憶がよみがえってきた。
そうだ・・・これ読んだことある。
小学校か中学校の国語の教科書にのってたっけ。

覚えていたのは、月の明るい晩にやまなしを追いかけながら蟹が川底を歩く姿。
水の流れる音と、青い月の光。

コドモにきいてみた。
「ねえ、『やまなし』を読んでどう思った?」

「うーん・・・・っとね・・・かわせみはこわいと思った。あと、やまなしの匂いってどんな匂いかなと思った。それから・・・クラムボンってなんだろうって思った」
とコドモは言った。

「かあさんもね、子供の頃学校で『やまなし』習ったよ。読んでてさっき思い出した」

「かあさんは?・・・子どものとき『やまなし』を読んでどう思ったの?」

「かあさんはね・・・蟹になって川底から水面を眺めたらどんな気持がするんだろう、って思ったよ。気持いいのかなって」

そう答えると、ふふふんとコドモは笑った。

夏休みの読書感想文は宮澤賢治の本を読んで書くそう。
「セロ弾きのゴーシュ」をすすめてみたのだけど、「風の又三郎」か「銀河鉄道の夜」にするのだそうだ。

いろんなものを読んで、いろんなものを感じて欲しいと思う。














2002年07月12日(金) クラムボン

「ねえ、かあさん。クラムボンって何か知ってる?」
コドモにそう訊かれた。
「クラムボン・・・お菓子の名前かなあ。。」
そういうと、コドモは言った。
「ちがうよ。クラムボンっていうのは宮澤賢治が作った架空の言葉。かあさん、知らなかったのお?」
「・・・・・」

彼は最近、宮澤賢治の「やまなし」を学校の授業で習っているらしい。
それで、宮澤賢治の本に興味をもって読んだりしている。

クラムボンを知らないというだけで、何も知らないのね母さんは的視線で見られてしまった訳だけど、でも、クラムボンときいただけで「ああ、それは宮澤賢治が作った造語だね、たしか『やまなし』っていう作品の中ででてきた言葉だよ」なんて言える人はそうはいないのではないだろうか。

宮澤賢治はほとんど読んだことがない。
本の題名をきいて、ああ宮澤賢治だなとわかる程度の知識しかない。
「注文の多い料理店」も「セロ弾きのゴーシュ」も未読。
なんで今まで手をださなかったんだろう。
これを機に、少し読んでみようかなと思う。(コドモにばかにされないためにも)




2002年07月11日(木) 何かを作ること

突然思い立って、ケーキなんかを焼いてしまった。
アメリカンチェリーを使ったタルト。

バターを練って砂糖をいれ、しゃかしゃかとかきまぜる。
粉をいれてさらに混ぜ、ひと固まりにまとめて綿棒でのばし、
タルト型に敷き詰める。
適当にピケしてオーブンで空焼き。
その間にアーモンドプードルとバターと卵黄と三温糖をつかってクリームを作る。
空焼きしたタルト型にクリームをつめて適当にアメリカンチェリーをのせ、
180度のオーブンで30分程度焼く。
できあがり。
シンプルなわりにしっかりした味の焼菓子。
なかなかおいしくできた。

ケーキを作るときは集中しながらつくる。
綺麗に台所を片付けて、ひとつひとつ確かめながらきっちり作っていく。
料理はかなりアバウトに作るほうだけど、お菓子を作るときは結構真剣になる。
ケーキってやっぱり微妙な食べ物だからだ。
ちょっといい加減に分量を量ったり、手順を省いたりするとそれがもろできあがりに響く。ちょっと特別な気分になりたいときにたべたりするものなのだから、
不味いものや造作のよくないものなんて作りたくない。
だから真剣に作る。

そんな風に集中してお菓子を作っていたらかなり頭の中がすっきりした。
お菓子作りに集中したからかな・・・。

できあがったお菓子はそのまま置いておくと全部食べちゃいそうなので(私が)
少し残して、あとは友達宅のところへ3時のお八つに持っていった。

どんな小さい物でも何かを作り出すことって意味があると思う。
料理でもお菓子作りでも、何かをスケッチしたり写真をとったりすることでも。

そんな感じで少しはいろんなことにやる気がでてきたかな。
さー明日からねじをまいてがんばろっと。









2002年07月10日(水) 無題

調子の悪かったマイPCがやっとまともに動くようになったので、ほっと一安心。
突然調子が悪くなったと思ったら、突然何事もなかったように
また動き出すという超気まぐれな物体に、なんでこれほどまで振りまわされる
ようになってしまったんだろうか。
つい2,3年まえまでは、まったく必要なかったものなんだけどな。

とにかく動いてくれてよかった。


2002年07月09日(火) 前向きでも後向きでもなく

停滞気味。今月、来月にかけて結構忙しい。
今度の日曜日は単位認定のための試験があるし、それが終わると月半ばから
スクーリングが始まる。スクーリングのためのレポートも書かなきゃいけないし、
なおかつ今の仕事のスタッフが突然2人やめてしまうので、その穴埋めに午後も
当分仕事しなきゃいけない。
懇談会だの区の奉仕活動だの夏休みだのビーチバレーの大会だの健康診断だの・・
いちいちあげてたらきりがないほどいろんな用事もある。読みたい本も(読まなきゃいけない本も)たくさんあるし、見たい映画だってたくさんある。文章だって書きたい。

かなり前向きにならざるをえない状況なのになんでこんなにやる気がないんだろうか、わたし。

原因はわかってるような気もするのだけど、

困ったもんだ。


2002年07月08日(月) 無題

木々の間からところどころ光がおちている中を歩く。
時々目線をあげて横に歩いている人を見る。

歩きながら、いろんなことを話した。
そんなふうに自然に話すことができるのが何だかとても不思議だった。
でも、よく考えると不思議でもなんでもないのかもしれない。

だいぶまえから、わたしはそのひとのことをよく知っていたのだから。

静かに話すその人の声を聴きながら、そんなことを思った。


2002年07月05日(金) 静かな夜

今日から3日間、連れ合いは大学の校友会の支部会議出席のため(愛知県支部の支部長をしている関係で)東京へお出かけ。
家から車で30分ほどの駅へおくる。

3日間も留守なんて・・・・〇〇しい。。(適当に言葉を入れてみてください)

夜、オムハヤシライスをつくってコドモとふたりでたべた。
食後、買っておいた林檎をたべる。
コドモが自分で皮をむくというのでまかせたら、
案の定、実が少ない林檎になってしまった。
なに、これは?といって分厚い皮を目の前にさしだすと、
「へへへ。。。」と笑ってごまかされてしまった。
連れ合いがいたら、不器用なところはおまえにそっくりだな、やっぱり、なんていわれていただろうな。

いつにもまして静かな夜。
そろそろ本を持ってベッドにいくことにする。
悪い夢をみませんように。

おやすみなさい。




2002年07月04日(木) 失恋

「柴咲コウ」さんのことを今のいままで「紫咲コウ」さんだと思いこんでいた。
友達に指摘された。
「N、間違ってるよ・・紫咲じゃなくて柴咲。」
・・・最近こんなのばっかりだよ、わたし。

夜、お風呂からあがってニュース・ステーションをみるつもりでテレビをつけたら
その柴咲さんがでている(らしい)ドラマがやっていた。
「恋愛偏差値」というドラマ。
主人公は中谷美紀さん、らしい。主人公が失恋したところからはじまっていた。

失恋、か。
遥か彼方昔に埋もれた記憶がかすかに思い起こされた。

そうそう、失恋って、絶望的なんだよね。
相手はもう気持が決まってて、それは変えようがなくて。
泣いてもすがっても、それは変らなくて。
何とかしようと思えば思うほどますます暗い絶望の穴に落ちこんでしまう。


反対に派手にふったこともある。
失恋の痛手から立ち直りたくて何となくつきあっていた相手。
好きという感情はよくわからなかったけど、そばにいると心地良かった。
でもそのうちそんなふうに付き合うのがいやになった。
で、別れ話をきりだした。
相手は納得できず、しばらくもめにもめた。


ふるほうの立場も、ふられるほうの立場も経験してわかったことがある。
それは、いったん壊れてしまったものはもう、元の姿には戻らないということ。
また新しくはじめるしかないのだということ。


しかし、失恋という言葉はあっても、失愛という言葉がないのはどうしてだろう。
愛は恋と違って、失わないものだから? どうだろう。

うーむ。何だか書き過ぎのような気がしてきた。。

うーむ。







2002年07月03日(水) 無題

J・アーヴィングの「未亡人の1年」を今のいままで「未亡人の一生」と間違えていたことに気付いた。思い込みが激しいというか、いいかげんというか・・

とにかく読み始めることにする。


2002年07月02日(火) 静かな夜

W杯が終わってテレビをみる時間がかなり減った。
というかもとに戻った。
ウチはもともとテレビを見るほうじゃないのだ、3人とも。
夕食後は3人それぞれ好きなことをして過ごす。

いつものように静かな夜。

さて、サッカー漬けだった6月の分までがんばらなきゃ。


2002年07月01日(月) 真夜中過ぎのケイタイメール

連れ合いの中学はもうすぐ期末試験。
だからというわけでもないのだけど(だからかな)
生徒から頻繁にメールが入る。
それも夜中過ぎ。

「せんせーい。もう寝ちゃったのお(>。<)Sは今まで社会やってたんだよお。
でももうゲンカイ!!(ここカタカナね)ねまあす(−。−)おやすみなさあい」

「せんせーーい。ゲンキー?試験勉強うざーい。でもがんばりまーっす(^-^)」

「せんせーい。理科終わった。今から英語やるねー!がんばれY子あともう少しだ、ファイト、おー」

などなど。
時代は変わったものだ、とためいき。

連れ合いは眠い目をこすりながら、律儀に返事を送る。
「やれやれ、とは思うんだけどさ、なんかいってやらないと・・。」

というわけで、今もかたわらでケイタイのボタンをぽちぽちしている。
これもコミュニケーションのひとつなんだろうな。いま、現在の。

ごくろうさま、センセイ。










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