TOI,TOI,TOI!


2009年01月14日(水) ヘンゲルブロック

指揮者トーマス・ヘンゲルブロック(Thomas Hengelbrock)を知っていますか?どのくらい世間に知られているのか見当がつかないので。

もともとバイオリン奏者で、アーノンクールの古楽アンサンブルにも参加していた人なのですが、肩を壊したこともあり指揮をはじめて、ここ数年ものすごい勢いで売れ始めてる指揮者です。50歳。

昨日、おとといとAlte Operでの本番でした。こんなに音楽をすることを常に”強いる”音楽家に出会うのは久しぶりです。普段はあんまり誰にも相手にされず、指揮者とか客の興味の外であるセカンドバイオリンパートやコントラバスパートを、大いにいじってくれたのが、まず本能をくすぐられるように嬉しかったことのひとつ。あんなに一瞬たりとも気を抜けない音楽家との本番はいつ以来だろう。常に音楽があって、見栄もプライドもなくすべてを出し切る感覚。質のよいレッスンを受けているときが正に同じ状態ですね。

ある日の練習が終わったとき、劇場の食堂で数人のオケの人たちと共に彼も普通にビール飲んでいろいろ語ってくれました。彼は若いときはカルテットを仲間と夜通し弾きまくってたような輩だったそうで、たとえばハイドンは片っ端から全部弾きつくしたとのこと。

比べるのもおこがましいんで黙ってビール飲んでましたけど、実はすごい嬉しかった。私と通って来た道、興味を持つところがまったく同じで。
カルテット、私がドイツにきたきっかけですからね。そこで古典にはまることから始まり、その作曲家の生きた時代や状況なんかを知りたくてしょうがなくなるんです。そのうちに、当時使われていた楽器なんかにまで興味が出てきて、手を出し・・・みたいな感じです。その道が同じ。まあレベルは言うまでもなく違うんですけど。

古楽ってちょっと中毒性がありますから、そしてここ10年ぐらいははやってますからいろいろと触れる機会があるのに、それでも素通りした人は、どうぞご自由にと思うんですけど。でも知ろうともせずにアンチ・バロックみたいなことを公言する人、どこにでもいますね。弓をふわふわに浮かしてフーフー風が吹くように弾くと思ってる人、多いですが、本当は全然違うんですよね。

彼の言ってたことで面白かったのは、当時の音楽ってものは、モンテヴェルディのオペラなんかでも分かるように、ちょっとグロテスクなぐらい極端なんですよね。愛!憎悪!生きるか死ぬか!とかっていうのをその性格を持つ調性っていうのが当時の作曲にはあって、その調が出てきたらそういう内容なんですね。今ではそういう感覚はまったく忘れられてしまっている、と彼は言ってましたね。だからそんなフーフー風吹くような奏法じゃないんだってことですよね。

話がアンチ・アンチ・バロックの話題にそれましたが、戻します。彼がビール飲みながら語ってたのは、自分は『音楽家』だという、そう信じられるものが自分の中にあり、指揮法はほんの少し学んだだけで十分だったそうです。それでこの売れっぷり。彼が驕りのかけらも感じさせずに自分は音楽家だと言ったのを聞いて、彼の言うところの音楽家の意味がすぐ分かり、ああ私が普段思っていることと同じことを思っている人がここにいる、私も自分を信じていいんだ、驕ってるわけじゃない、ただそうなんだって思ってすごい励みになりました。これは生まれつき?タイプ?なんだろう。
彼も『音楽家』という言葉でしか表現してなかったので私もほかの言葉で言うのはやめます。

彼はここ数年オペラもいっぱい振ってるんです。チューリッヒみたいな大きなところでもガンガン振ってます。2011年にはバイロイトでタンホイザーだそうです。なにしろ元演奏家で、ちょうど同世代ぐらいの演奏家が各地で油の乗ったオケ奏者として活躍してますから、あいつはあそこのオケで吹いてて、こないだ20年ぶりにあったけど元気でやってるぜみたいな話をウチのオケの同僚と話してるのなんか聞いてると、なんかそういうのいいなあってうらやましく思います。

バイオリン弾き、カルテット、古楽奏法、そしてオペラ。これだけ揃うと嬉しくもなります。そしてカルテットを知ってるからバスとセカンドの役割も醍醐味もよく分かってる。また一緒にやりたいなあ!

本番終えて、楽屋に戻った彼は、とりまく私たちに「また来るからな」と嬉しい言葉をかけてくれ、また音楽家たちの本能を喜ばせてくれました。劇場支配人や社長など「上」の人たちは、まったく指揮者や演奏のよしあしが分からない人ばかりで、おかげでウチはなかなかいい指揮者が来ないのです。上の人たちは最近のストのおかげでオケ側の願いなんか前にも増して聞いてくれません。そんなわけで、切実にまた来てほしいと願うわけです。


  
 目次へ