灰谷健次郎が死んでしまった。
まだ言葉にしてもちょっと現実味がない。
でも事実。
18の時、家出同然で台湾に旅立った時。
スーツケースと楽器、と自分、自分の一番大事なもの、と自分。ものすごい孤独感。あのときの気持ちは「引越」などというものとは程遠いものだった。
そのスーツケースの中には灰谷健次郎の本があった。
持ってたの全部。10冊ぐらいあっただろうか。
住むことになった部屋は、本棚なんてない、ベットしかないすごく小さなぼろい部屋。その部屋に着き、自分で本を立てるための支えを工作した。ティッシュの箱だったか靴の箱だったか。
灰谷健次郎の本の背表紙が並んで、牢屋のような部屋が自分の部屋になった。
5年前、ここドイツに向けて旅立ったときも、
やっぱり灰谷健次郎の本と一緒だった。フランクフルトでは最初の頃よく引越をしたけどハードカバーの「天の瞳」の背表紙が並ぶと、落ち着いた。
ホームシックらしいホームシックもなかった私だけど、灰谷健次郎を読み返しおなじみの人物達に会うと落ち着いた。
そんなにしょっちゅう読むわけじゃないんだけど。
子供の時から公民館の図書館でよく灰谷健次郎の本を借りてきて片っ端から読んだ。子供向けのものは全部読んだと思う。
もともとのきっかけは母親だった。思春期になって反抗期になって親の全てを否定していた頃も灰谷健次郎だけはやめなかった。
ここフライブルクには・・・
灰谷健次郎の本を持ってこようと思わなかった。台湾にいくときとかドイツに来た時とは心境が違っていた。のだろうか。
持ってきた本はドイツ語の本と数冊のヘッセやツヴァイクの本。まだ一度も読んでない本を移動中に読もうと思い、繰り返し読んだ灰谷健次郎やほかの本はダンボールに詰めてフランクフルトの部屋の物置に置いてきた。
たった6ヶ月だしと。その間に訃報を聞くことになった。
このところ機嫌良い理由その1。
バイオリンを挟むとこの首のあざがひどくなって炎症になっていたのですが、やっと良い医者に出会えてほとんど治りました。
医者、開口一番「ストレスたまってる?」と。自問自答してみた結果、やっぱりたまってんのかな、と。
それが主な原因だということでした。
睡眠をよくとって、熱いシャワーを浴びないで、あと、水分をよくとって、あとはストレスの原因をできるだけ取り除くことだね、とのことでした。
水分をよく摂ってるか、って「Trinken Sie genug?」って聞かれてとっさにアルコール摂取量のことかと思った私は、ストレス溜まってんだよ、きっと。
3種類の塗り薬を処方されてせっせと治してます。シャワーは熱くないとヤな人なんだけどしょうがない。
ストレスの原因は・・・。定職決まらないってのが一番のストレスだからねえ・・・。どうしようもないね。
機嫌よいその2〜。
今、やっと!やっと!
『普通』
の曲をオケで弾いてます。
初演でもなくて現代曲でもなくてめったに演奏されない超大編成の曲でもなくて、昨日今日と合わせが始まったのが
シュトラウスの「ティル」
とストラヴィンスキの「春の祭典」。
あ、これらは現代曲に入りますか?入んないよね。少なくともうちのオケでは絶対入んないけど。
もうすぐ契約期間の折り返し地点になるころになって、やっと弾く気になる曲を弾いてる、って感じるよ。やっぱ私って気分屋さんなんだわと実感する瞬間。オーディションを控えているのに昨日家でハルサイさらったもんね。
合わせ中にすでに満たされてるんで、本番楽しみ。
なんか新曲たくさんやってイライラして、私こういうオケには入れないなーストレスばかり溜まって・・・と思ってた矢先だったので、ああ、こういう風にたまにご褒美みたいなのが来るのかーと、悪くないよなーと思ってる昨日今日でした。
なんかこの2曲は桐朋時代の思い出がすごいよみがえるんだよね。
ティル役だったクラのアキちゃん元気かなーとか。
春祭は小澤氏が桐朋オケに来て、私はビオラの頭だったなーとかね。私の愛用ビオラは室12だったなーとか。うーナツカシー。
その3!
パリから5時間ぐらいかけて帰ってきた日に疲れてたけどどうしてもいきたかったコンサートに思い切って行って、大正解。
ビーバーのRosenkranzロザリオのソナタを全15曲+パッサカリア通して3人のバイオリンで分担してのコンサートでした。2人はよく知る二人。Petra Müllejans(私のバロックの先生)、私をバロック界に勧誘した友達で私がついてる両方の門下の先輩のSwantje。
よかった。すごかった。Swantjeが弾いたMariae Himmelfahrtをいつか絶対弾きたい。
その4!!!!
オケで旅公演が多いのも心身ともに大変で・・という話はすでにしたかと思いますが、でもおかげでいいことありました!
それは旅先で空き時間にその地に留学中の昔なじみと会えたこと!遊んでもらったこと!ウイーン、そしてパリで。
こういうの、たまにあると元気になるんだなーってすごい思った。すっごい久しぶりなのにあんまり久しぶりっぽく感じなくって面白かった。長々書いたけどこれが一番かな。
これからもよろしく。
2006年11月14日(火) |
インターネットに写真 |
今日仕事中に、斜め前の席の人がくるりと振り向いて一言。
「インターネットに写真載ってるぞ」
どんなヤバイ隠し撮りでもされたかと思ったらこんな程度でした。
↓
http://www.swr.de/swr2/donaueschingen/archiv/2006/bericht/index.html
某”マフィア”氏、ふんぞり返ってますね。
私、ピンボケでもKOしてんのが分かりますね。
今週末、この曲またパリで弾くかと思うとテンション下がります。パリにまできっと来ちゃうんだろうなあ、このおじさん。パリの聴衆の前でまたこうやってふんぞり返んのかなー。
ウイーンで2回、ブダペストで1回南西放送響(以下SWR)の本番をして、帰ってきた。
帰る日、7日の火曜日。早朝6時置きで、ウイーン空港8時35分の飛行機に乗るために7時前に団員とタクシーを相乗りしてホテルを出発・・・。
旅が非常に多いSWRの場合。
SWRが用意したプランに同行すると全額SWRから交通費が出て、いろんな理由でそれ以外の交通手段やほかの電車に乗るという場合は30パーセントの交通費が支給される。
今回の場合、SWRプランだと行きも帰りも電車で朝出て夜着く=1日無駄になるという最悪のパターンだったので、飛行機を自分で取って乗る人がすごーく多かった。私は行きは夜行列車、帰りは飛行機にして、どちらもSWRから支給される額をほとんど超えなかったので得した気分だった。夜行は早割り、飛行機も格安航空会社でゲット。誰が好き好んであんな長時間電車に揺られて移動するんだろうか、なんてちょっと得意だったりもした。
ウイーン空港に着き、液体がどうとかややこしくなってるチェックインも無事済ませて、一気にゲートまでいき、搭乗時間になってさて列を作って並ぼうかねという雰囲気の中、「9時半」との表示とともに場内アナウンスで「1時間遅れます」とのこと。
同じグループの団員さん+旦那の3人でくだらない話をして時間をつぶしていたのだが、彼らは飛行機が到着するStuttgartから電車のチケットを早割りで買っていた。この早割りチケット、安い代わりにほかの便に変更がきかないという難点がある。彼らはその瞬間「(電車に間に合うか)ギリギリだ・・・」と顔に縦線入っていた。
私もすることなくて空港内を少し歩いたりして、またほかの人としゃべったりとかしてたのだが、さあそろそろかねなんて戻って待っていると、ふいに「10時半」と表示され、また当たり前のように「更に1時間遅れます。」とアナウンス。
例の夫婦、この瞬間、早割り券の破棄決定さる。目が点の二人。
1時間後、やっとのことで飛行機に乗り、例の夫婦と3人並びで座り。機長アナウンスでは
「今ここで遅れた理由を延々と述べると更に遅れるのでそれよりも今すぐ離陸した方がよい。簡単に言うと、氷、と霧。」
氷?霧?うそくさい。こりゃ誰か寝坊したとか家に忘れ物取りに行ってたとか、言うに言えないような理由だったんじゃ?と疑いたくなる。2時間もボーっとして待ってたらそんな風にひねくれてもくるのさ。
飲み物が全員にタダで支給されてごまかされ(本来はこの格安飛行機では何も出ない)、あっ!という間の12時過ぎにStuttgartに着陸。
飛行機にはSWRのメンバーはかなり大勢乗っていたのに中央駅行きの電車のホームで一緒になったのは例の夫婦ともう一人と私、の4人だけのようだった。後で知ったのだが飛行機に乗っていたオケのメンバーのほとんどはレンタカー(ほかの町でも返せるやつ)で相乗りして電車より早くてしかも安くフライブルクまで帰ったらしい。皆いろんな術を知ってるよなー。
乗換駅のカールスルーエに数分で着くというアナウンスを聞いて降りる支度を整えていたそのとき、電車が突然停車。
数分後、アナウンス。
「人身事故のため、無期限停車中。」
どうやらこの電車が人を轢いたらしい。自殺か他殺か知らないが、はっきり言って迷惑この上ない。私、電車の人身事故、覚えてるだけでも3度目ですよ。事故車に閉じ込められるのは2度目。
カールスルーエ−フライブルク間は超特急が1時間に1本。それ以外のに乗っても超特急が追い越したり変わらなかったりする。なので、乗り換えるはずだった超特急14時1分はすぐさま諦め、1時間後15時1分というのにはきっと乗れっだろうと4人で希望的観測を語り合う。ま、一人でなくて良かったよなーと思ったけどね。
また飲み物が食堂車でタダで配られるとアナウンス。馬鹿の一つ覚えみたいに、またそれかよ。のど渇いてないよ。と思ったけどやっぱりタダならもらっとこうと思って食堂車に行く途中、ほかの車両にもう一人同僚を発見。>トロッシンゲンの人、打楽器のPraktikantマリオですよ。マリオは「誰かが電車に飛び込んだ」ということを知っていて、「運転手が両脇から抱えられて運ばれていったのをさっき見た」とか、私達がほかの車両で馬鹿話で盛り上がっている間にいろいろな情報をつかんでいた。運転手はショックで完全に意識を失ったように見えた、可哀想に、としきりに運転手に同情していた。優しいマリオ君。
そのときちょうど車両をレスキュー隊(?)の人が車内を行き来していて、無線で話し始めた。若くてやけにえらそうにめちゃ口語でしゃべる女性。
「そう、もうすぐ刑事が来るから。え?証拠とか集めるとかじゃないの?知らないけど。え?だからまだ『部分』が転がってんだってば。とにかく刑事が来るからそれまでは・・・」
(Die Teileと言ってました)・・・。
刑事物ドラマから得た知識からいくと、現場はそのままにしないと大事な証拠が消えちゃうということでしょうかね。
エンジンも止まってしまって車内の空調もストップ。喫煙者は喫煙するわな、そりゃ。することないし。で、車両の半分が喫煙車両という車両にいた私達はほかの車両に移り、そこにはかなり興奮気味の乗客たちが盛んにこの状況についての意見をかわしてたり、大声で携帯で電話をかけてたりとうるさい車両だった。うう。
私達4人のうちの一人はこの日午後、音楽教室で教える予定をキャンセル。理由が理由だからどうしようもないけど、ドタキャンには変わりないし、しかも子供相手だから・・と胸を痛めている様子でした。
とうとう15時1分も諦めることになった私達。完全に車内に閉じ込められてます。あと200メートルぐらいでカールスルーエのホームなのに、そこで今、15時1分の電車が発車している!と考えるのは非常に辛い。隣の線路をほかの電車が通るたびにフラストレーションが溜まったよね。15時1分の電車を目の前で見送った時の脱力感ったらなかったね。
じゃ、いくらなんでも16時1分には乗りたいねと皆で話してて、待つこと更に1時間。正に16時ちょい前になって、とうとう電車がひじょうにゆっくりと動き出したのです。私はそのときいなかったのですが、4人のうちの一人が「16時1分は時間通り発車しますか?」とたまたま通った制服来た人(レスキュー隊だったんじゃないの?と私は密かに思っている)きいたところ、「はい、時間通り」というそっけない答えが返ってきたという。普段だったらDB同士なら30分以内の遅れなら待つんですけどね。それどころじゃないってことですね。
ゆっくりゆっくりでカールスルーエに着いたのは16時5分過ぎ。皆が目を凝らして乗り換えるホームの6番線を見ると「電車が止まってる!」と、誰かの声。あ、やっぱりほかの電車も混乱してるとかで、まだいるのかも、と思い、超ダッシュで6番線に向かった私達。そこで見たものはマンハイム行きの鈍行電車・・・。でも電光掲示には16時1分の表示がまだある。これは、まだこれから来るんでは?と思った私達はそこにいたDBの人っぽい人に聞いたら、その人はマンハイム行きの電車から降りてきた車掌かなんかでなんにも知らなかった・・・。
そうこうしているうちに電光表示はマンハイム行きに変わってしまった。
たった今!たった今行っちゃったってことですね!むう。ここでまた17時1分まで1時間待ち。
しかも笑えるに笑えないのは、ウイーンから電車で出発したSWRプランの群は、今いったばかりの16時1分の電車にそこカールスルーエで乗り換えてフライブルクに向かっているという事実でした。
全部予定通りに行っていたら、13時にフライブルクの到着予定だった私。
うさぎとかめですね。SWRかめプランでは17時に着く予定だったのです。それがいやで飛行機をとったりいろいろ手間をかけたのに、結局かめより遅い18時到着となったのでした。
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