TOI,TOI,TOI!


2003年05月25日(日) バーバラとマライケ

「電話なってるよ」

友達に言われて初めて気がついた。
周りがうるさい&おしゃべりに夢中だった。

マライケ「やっと出た。いったいどこにいるの」
伸「友達と4人で食事中」
マ「家にも携帯にも何回も何回もかけた」
伸「ごめん。なに?」
マ「楽しく食事してるの?」
伸「いいから。なに?」
マ「あとで、またかける」

でも、またすぐにかかってきた。

伸「もうすぐ家に帰るから、こっちからかけるよ」
マ「ノブコ!
伸「なに?泣いてるの?どうしたの?」
マ「バーバラがバイオリンやめる!」
伸「・・・え?」
マ「バーバラが学校もバイオリンもやめちゃうの!!」

慌てて店の外に出た。

伸「まじで?本当に明日から学校来ないってこと?」
マ「前からずっと考えてたけど、とうとう決めたみたい。今日先生に言ったって。ってことは、決心して行動したってことだと思う」
伸「バーバラ、ずっと言ってたけど、本気で考えてたんだ」

いろんなことに興味があり、音楽だけの生活なんて物足りない、私には無理、と日頃からよく言っていたバーバラ。心理学に特に興味があるみたいなので、これからはそれを勉強できる環境を探すそうだ。

伸「だいじょぶ?」
マ「ただ無性に悲しい」

『マライケ。私が出たあとに、ここに住めるよ。』
と、バーバラから電話があったという。バーバラも少し泣いていて、マライケはぼろぼろに泣いたらしい。
マライケとバーバラは入学当初、いつも一緒にいた。授業も『全部マライケと一緒のを取る』とか言って本当にそうしたらしい。
マライケは、音楽大学に通えることを毎日喜びながら過ごしてる、みたいな子だ。
そんなマライケと私は、すごく気があった。そのうちいつも一緒にいるようになった。「バーバラとユーディトはいつも男のタイプ話とか、どうでもいい話ばかりしてる。いつも話題が同じで面白くない。」と、よく言っていた。

マ「初めの頃の大事な時間をすべてバーバラと一緒に過ごしたから、彼女がいなかったら、いろんなことが全然違っていたかもしれない。当時は興味深い話もたくさんしたし、話しててけんかになりそうだったこともあった。でもしょっちゅう大人数で集まってパーティするのが好きなバーバラのおかげで、うちの学年はみんなすぐに仲良くなったし、すごく楽しかった。今、そのバーバラがここからいなくなるというのは、なんだかとても悲しい。

とにかく、今日で部屋探しから開放されたの。なんだか。でも、ついに。やっとフランクフルトに住める。」

うちからバーバラのアパートまでは歩いて5分。数週間後に、マライケも学校まで歩いて通える環境になる。


2003年05月17日(土) 先週の本番&レンブラント

学校のオケが終わり、シンフォニエッタも終わった。
先週は本当に疲れた。けど充実してた。
この二つのおかげで知り合いも増えたし、今までの知り合いとも、もっとよく知り合った。まずこれがすごくよかった。

学校のオケでコンミスをやった。
パート練習(フォーヒャルトの指導)があり、その数日後レッスンに行くと、
「マーラーちょっとやる?」と言われ、その日はマーラーのみ。
元バンベルク響のコンマスによる特訓。一時間半。
その後Tuttiの練習にもしょっちゅう顔を出しに来てくれた。レッスン室と大ホールが近いので、レッスンとレッスンの合間に覗きに来てくれてたみたい。
で、次に会った時にアドバイスをしてくれた。

すぐに出来ることとそうでなかったことと、いろいろあったけど本番は楽しかった。
こんな経験全員ができるもんじゃないし、この席に座れる機会って今までだってこれからだってそんなに多くはない。

その翌日、朝10時から18時までシンフォニエッタのプローべ。
翌々日、本番。
モーツアルトのチェロコンチェルト(原曲はフルート)のソリストがガブリエル君というイスラエル人で、これがまたすごく魅力のあるチェリストだった。とにかく楽しくてしょうがないという感じ。オケも自然に笑みがこぼれる感じ。カデンツはヴィルトゥオーゾ全開で、何回聞いても思わず笑ってしまう。
コンチェルタンテのダイシン君とビオラのアントヮン君(フランス人)のソロも、素晴らしかった。ダイシン君は、本番で一段階パワーアップしてた。

学校のオケに乗ってた人がほとんどだったので、はっきりいってみんなくたくただった。でもプローべも本番もすごく楽しくて、弾いてるときは疲れてることを忘れた。モーツアルトってうまい人が弾くと本当に楽しい。
こういう楽しい音楽なんだということを次回のプローベシュピールのときまで忘れないようにしよう。

その日の翌日は、仕事。
バイオリンデュオで、ホテルでBGMを弾いた。
マライケとやった。
その日の夜、マライケファミリーと共にレンブラント展にいった。

普段は世界中の美術館に散らばってるレンブラントの絵を一同に集めて周ってるんだとか。ここフランクフルトでは2ヶ月間、ここに来る前は日本にいたそう。

デッサンもたくさんあって、これもかなりおもしろかった。
怒った顔とか悲しい顔とか、自分で演技して鏡に写して描いてるのがたくさんあって、おもしろかった。その姿を想像するとおもしろい。

解説は冊子になっていて、これがかなり充実した内容で、マライケが、読んで私に解説してくれたので、おかげですごく楽しめた。
マライケにとっても楽しかったらしい。


明日は教会のミサで弾くお仕事。
ヘンデルの曲数曲と、合唱の伴奏。
マライケ、クリストフ、ルイーゼ(ブッフベルガーの娘)と。


2003年05月05日(月) コンサートコンサートコンサート!

22日から4日間連続、Sinfonietta Frankfurtの本番。
3日目と4日目はよかったと思う。
最終日は教会で、すごく盛り上がった。お客さんの何人かが立って拍手してくれた。
ストラヴィンスキーには、コンマスと私のソロの部分があるんだけど、最終日のストラヴィンスキーを弾き終わったとき、指揮者がコンマスと私を同時に立たせてくれた。これはうれしかった。

この曲、今回初めて知って初めて弾いたけど、いい曲だった。
全楽章でも12分ぐらい。分かりやすくて楽しい。おすすめ。

マライケの両親は、初日と最終日の二回聞きに来てくれて、
お父さんは、初日は一言も何も言わなかったのに、最終日はものすごい誉めてくれた。
私達の演奏の出来の差もすごかったんだろうけど、それ以上にこのお父さんの反応の差はすごかった。倍うれしかった。
最終日は、マライケのおばあちゃんも来てくれた。
このおばあちゃんはカリンのおばあちゃんでもある。
マライケのお母さんとカリンのお母さんとフライブルクの叔父さんは、みんなこのおばあちゃんの子供達。
もうすぐ90歳だとマライケが言うので、たまげた。
マライケのお母さんは末っ子でマライケも末っ子らしい。
しかし、まず90には見えないんですけど。


さて、一息つく間もなく、先週月曜から今度は学校のオケが始まっています。
本番は8日。私、コンマスなのです。なんと。
曲は、マーラーの一番とシューマンのチェロコンチェルト。
3楽章に、ソロがちょっとあります。

10日はシンフォニエッタフランクフルトの本番で、
今回は、プログラムが多少変わります。

チャイコフスキー:セレナーデ
モーツァルト:チェロコンチェルト
モーツァルト:バイオリンとビオラのためのシンフォニアコンチェルタンテ

モーツァルトチェロコンチェルト?そんなものはこの世にありません。
フルートコンチェルトをチェロで弾くんだそうです。
シンフォニアコンチェルタンテはバイオリンのソリストが樫本大進くん。
楽しみだ〜。


2003年05月04日(日) →フライブルク→ボーデン湖

ローザンヌにもいった。Blonayから車で20分ぐらい。
ユンゲドイチェフィルというオケがツアーでローザンヌのホテルに泊まっていたので、押しかけてった。
ゴゴティがこのオケに参加してて、あとフランクフルト音大の友人達も5,6人のっていた。
こーんなところで、再会!ってのが、なんだか楽しい。
みんなで、音楽がやたらうるさい飲み屋で飲んだ。次の日起きたら声が枯れてた。

BLONAY合宿は14日の朝、現地で解散。
楽しかった。最高だった。

そのあと、私とマライケは真っ直ぐフランクフルトに帰らず、寄り道の旅へ。
『州内一日有効しかも一枚で5人まで一緒に乗れるただし鈍行しかだめ』チケット(一枚21ユーロ)で、まずフライブルクで5時間ぐらい過ごし、夜、終電でコンスタンツ、という旅程。

フライブルクでは、とにかく久しぶりの人に会うの連続。
まず、P君に会い、マライケの親しい友人クロンベルク出身ザントラに会い、あともう一人マライケの友人とみんなでアイスを食べた。
そのあと音大に行き、私は友人に久々に会い、電車の中でM子という小学校時代同門だった友人に偶然会った。すんごい偶然。

マライケは、
「久しぶりなんでしょ?あんまりうれしくないの?」
とか聞いてくる。
日本人同士って抱き合ったりとかあんまりしないからね。

マライケの叔父さんを(事前の連絡なしというところが典型的マライケ)訪ねていったら留守で、家族の人も誰もいなくて犬がずっと吠えていた。
置手紙を残し、残念残念と言っていたら、数時間後、街の真ん中でばったり会った。
いくらフライブルクが小さな町だといっても、こんな偶然ってあるんでしょうか。
マライケの叔父さんは音大のオケの指揮をしたりしてる人。P君たちももちろんそのオケで弾いている。
う〜む。世界は狭いというかなんというか。すごい。

そのあとはザントラの家で過ごし、ご飯を作って食べ、
ボーデン湖のほとり、コンスタンツへ。

コンスタンツにはマライケの従姉妹カリンが住んでいて、
二泊させてもらった。

すごく天気がよくて、ボーデン湖でピクニックをした。
もう、ほとんど海だ。湖って思えない。
持参したパンとサラダを食べたあと、サングラスかけて、昼寝した。
日焼け止め塗りたくったけどちょっと焼けた。
カリンの彼が自転車で登場。彼が買ってきてくれたアイスをみんなで食べた。

こんなに大きな湖がすぐ近くにあるなんて、最高だなあ。
水を見てると、なんか気持ちがすーっと落ち着いていく。
こういうところにある大学で勉強に精を出してる人達がいるのか。
なるほどー。と思った。

夜はカリンの大学の友達数人と、ビアガーデンで飲んだ。
マライケは、
「この人達は、ぜんっぜん関係ないくだらない話で盛り上がってる。さっきから聞いてても勉強の話なんて一切出ない。それに比べて音大の人は、いつでも音楽の話ばかりしてるのはなぜ?」
とか言っていた。
確かに。と思った。
ちょっとうらやましいな、とも思っている二人なのでした。

とにかく休暇のような12日間だった。
旅ってやっぱ最高。
楽しかった。


2003年05月03日(土) 山登り&ヒンデミットの話

山登りの話の続き。
靴が汚れるのを気にしながら歩いてたのは、はじめの1時間ぐらい。
ぬかるみでズルッとやっているうちに、スニーカーもズボンもどろどろになり、
靴下まで完全にぬれてしまってからは、なんだか無性に楽しくなってきて、
疲れていたせいもあり、異常にハイテンションになってしまった二人。
くだらないことが妙におかしく、派手に騒ぎながら歩く二人。
あと3人一緒に登ってたんだけど、どんどん先にいっちゃって、全然見えなくなっちゃった。

もう足元は最悪で、歩いている感じはまるで「何も履いてないのと同じ(マライケ談)」状態。
「こういう状態をpatsch nass!(びっちょびちょ!)と言うの知ってる?」とマライケ。
気に入ったので「パッチナス!」「パーッチナス!」と叫びながら歩く。

頂上まであと20分という表示の出たところで、下ってきた3人とすれ違い、もう一緒に引返しちゃえと思ったんだけど3人が「見てらっしゃい」と言うので一応いっとくことにした。
ひざまである雪の中を歩いていたら、雪がどんどん靴の中に入って、本気で寒かった。
頂上からの眺めは、ちょっと霧がかかってたので、それほどでもなかった。
途中で見たアルプスの方がすごかったなーなんて、ふたりして冷めていた。

その日から靴が完全に乾くまで二日間ぐらいの間、二人してコンサート用の靴で過ごす羽目に。
この、”足元だけ本番”っていう姿って、な〜んでこんなに可笑しいんだろうか。
別棟に食事にいくとき以外はとくに靴を履く必要はなかったんだけど、カツカツとヒールの音を響かせて食堂に登場するっていうのは、我ながら笑える姿だった。


ところで、パウル・ヒンデミットはフランクフルト出身の作曲家だが、
晩年の10年間は、BLONAYで過ごしたという。
この施設はヒンデミット財団によるもので、そこから歩いて15分ぐらいのところには、ヒンデミットの住んでいた家がある。
今はヒンデミットに直接会ったこともあるという夫妻が住んでいて、
毎年来るこのフランクフルトの学生達には、特別に家の中を案内してくれる。
家具のいくつかを除いては、当時のまま保存しているという。

ヒンデミットという人は、ビオラだけじゃなく、なんでも弾いてたらしい。トランペットを吹いている写真なんかもあった。室内楽をシモン・ゴールドベルク(当時ベルリンフィルコンマス)などとやったり、指揮者としても活躍したので、その楽譜の数たるやものすごかった。
自筆譜ももちろんあった。出版するために誰かに清書させたりすることなく、自分ひとりで全部書いてたらしい。
細かいんだけど誰でも読める。めちゃめちゃきれい。たとえばベートーベンの楽譜なんかとは対照的。
彼は背丈は小柄な方で、指揮棒は短いものを好んで使用したという。そんな話を聞いていたら、彼の人物像がどんどん浮かび上がってきた。人間ヒンデミットがリアルに身近に感じられてきた。

彼はまた、狂の字がつくほどの鉄道ファンだったという。この話には一同笑った。
大人になってもいつも鉄道のおもちゃで遊んでいたという。大の大人が、レールを部屋に広げて一人で遊んでいる姿は、想像するだけでおかしい。
奥さんが出かけていくと、隠していた場所からレールやら電車やらを出してきて広げ、奥さんの帰ってくる車の音が聞こえると、大慌てで片付けたというから、やっぱりあくまでもこっそり遊んでたってことだ.

彼は、恐妻家だというのと同時にそれは愛妻家だったということでもあるんだということははっきりしている。彼らに子供はいなかったので、生涯二人きり。
家のあちこちにライオンをモチーフとしたあらゆるものが飾られているが、ライオン=妻なんだという。
彼はまた、絵を書くのが好きで、漫画というか風刺画(というのか?)のような絵を、たくさんたくさん書いている。顔がライオン(つまり奥さん)の絵ばっかり。

庭をちょっと歩いていくと、一畳ぐらいの広さの小屋(雨宿りしたりするための公園とかにあるようなやつ、なんていうんだか忘れた)があって、そこは緑に囲まれていて、見晴らしも最高で、彼はそこでも好んで作曲をしたという。
で、そこも、落書きだらけ。作曲する気が起きないときは、お絵描きをしていたらしい。
ここにもライオンだらけ。
柱の部分に、ライオンが20頭ぐらい、列になっている。これは一頭書いたら止まらなくなったって感じ。
でかいライオンに、20人ぐらいのヒンデミットがひざまづいて両手をつき降伏してる絵もあって、笑えた。


  
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