TOI,TOI,TOI!


2002年11月29日(金) バルトークQの弾くバルトーク

水曜の夜、マンハイムへ。
バルトークカルテットのコンサートを聴きにいった。

前日、前々日と、学生達の演奏を聞いた後だったので、
彼らのいったいなにが凄いのかが、はっきりと分かった。

彼らの弾くバルトークの曲の演奏は、もう本当に・・・笑ってしまうほどすごい。
4人で楽器を使っておしゃべりしてるみたいなのだ。ハンガリー語での会話そのものだ。
作曲家バルトークと同じ国民だという誇り。
バルトークに対する、尊敬と親愛、友愛。
45年間という年月を、いろいろな思いや経験を経た、この深み。これに触れられただけで、もう本当に幸せと思った。
味わいが違う。
そして、バルトークは暖かい。
けして、攻撃的な音楽ではない。
不協和音も、なにもかも、無意味に汚かったり苦しかったりするものが何もなく、
全部、あったかい。

本当、即興で弾いているみたいに、何にもとらわれず自由自在に皆が弾いていて、それでいて皆の波長がぴったり同じなの。気持ちいいよ〜。かっこいいよ〜。

このまま曲が終わらないでずっと弾いていてくれればいいのに・・・と思いながら聞いた。

ああ、また彼らのレッスンを受けたい。
受けなければ。
なんといっても最高なのは彼らだと、再確認した。


話は変わって、
フランクフルトで、カルテットの勉強ができる相手を探していた件。

原沙千絵似のマライケは、David(ダヴィットではなくデヴィットというらしい)のリサイタル後に2人でピザを食べにいって(2人で半分こ)いろいろ話してたら、すごく価値観が似てる部分が多いみたいだった。
同じ先生に習っている人と一緒に弾きたいと思っていたので、ビオラとチェロが見つかったら是非一緒に弾こうという話になった。

そして、クリストフにAlzenauで話していた件だけど、彼は社交辞令じゃなくちゃんと考えてくれてた!いいやつ!不良っぽいのにさ!
彼が組んでいるというのは、なんとデヴィットだった。セカンドが学校を移ってしまい、今は活動休止状態だったんだけど、トーマス(うちのクラス)を入れようという話になっていたところだったらしい。
でもクリストフが言うには、トーマスはそんなに乗り気じゃないらしいのね。
デヴィットはトーマスとやりたそうなんだけど。

で、なんとなんと、今日デヴィットとクリストフ二人に図書館で呼び止められ、今度新曲初演とブラームスのクインテットの本番がある。それを一緒にやろうぜ。と言ってくれた。

わーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!

まあ、これが続くか続かないか、先のことまで考えるのではなく、勉強できることを勉強しよう!って感じです。
トーマスの方がいいということになれば、それでいいや。

オールドイツ人なので、言葉の不安はありますが・・・。


2002年11月28日(木) 後半

休憩の後は、ヨハネスとフローニのカルテット、そのあと最後にソンニョのピアノトリオだった。

ヨハネスとフローニのは、数日前に同じ曲目で聞いていたので、聞かずにソンニョの楽譜を見ていることにした。だって始めに弾くブラームスはいいとして、そのあとは知らない新しい曲とショスタコービチで、楽譜を追っていけるかとっても不安だったのよ。も〜踏めくり嫌い!

ヨハネスとフローニ達のカルテットは、友達の評+私が前回聞いた感想ということになりますが、
まず、なんと言っても若い。いい意味でも悪い意味でも。
このカルテットは一番若いチェロが一番いい。まだ18歳という若さ、細身で美人。ふわふわパーマがすてきないわゆる”フランス人形”なイメージ。しかーし、すごーく上手い。
リズムの感じ方、ちょっとした節回しなどで、ふっと、プロの香りがする瞬間があるの。

ヨハネスの評価は分かれる。ちょっと鼻につくという人もけっこういる。
彼は自信たっぷりの態度で弾く。だけど、逆にいうと、それはスター性だと言えると思うのだ。
頼もしい。ほほえましい。将来が楽しみ。という目で見る人は多いと思う。
彼らはこのコンクールのために組んだグループではなく、もとからあって、これからも続けていくグループ。
そこがほかのグループとの大きな違いだ。

曲目はモーツァルトのハイドンセット1番終楽章、Schulthorpe、ベートーベンハープ2楽章、ブラームス1楽章。
Schlthopeという人のカルテット8番を全楽章弾いていたんだけど、これが結局一番良かったんじゃないかな。クロノスカルテットのCDに入っていた曲らしいです。面白い曲なので、現代曲で面白いものを弾きたい人におすすめです。

それぞれの曲のキャラクターが分かりやすくてはっきりしていて、印象に残りやすい、うまい選曲だと思う。
ブラームスはフローニの反対を押し切って、ヨハネスのたっての希望で弾いたらしいけど、やっぱりまだちょっと若さが出てしまって、ブラームスのしっとりした雰囲気が出てこなかったのが残念。

このカルテットは、勢いはすごいんだけど、ちょっと雑。ファーストバイオリンは難しいのよく分かってるけど、それでも音程とかちょーっと雑なのが残念。まあでも若いんだから、これからやればいいのだ。

最初のグループとこのカルテットの演奏を、足して2で割ったら、文句なしブッチギリの1位だな。

しかし、なにかを意識するばっかりに、何かが足りなくなってしまう。これって難しい問題だよなぁ。
バランスっていうものの大事さを感じる。勉強になった。

トリオは、踏めくりをしていたせいで、ちゃんと聞いてない。
言い忘れたけど、バイオリンはDAVID。チェロはスペイン人のジョン。
この顔ぶれでコンクールに出るのを知ったとき、私はここが1位を取るんじゃないかと思った。学校内ではかなり優秀な人材の集まりだ。
しかし、優秀な人が集まればいい室内楽ができるわけではないという手本になってしまったか・・・。
それぞれのプライドの高さのためか、注意深く弾いていた印象があり、おかげでへッポコなミスは皆無だった代わりに、ピアノトリオならではの、3者が個性をぶつけ合う感じがなかったというのは友達の評。私も舞台上で多少それを感じた。

ソンニョは終わった後、凹みまくってた。めずらしく。
なんか前の日に、ピアノ大きすぎる、落とせと誰かに言われたんだって。先生かな?
それで、すごーい注意深く弾いちゃったんだって。大きい音が出ないように。
それで、もう不完全燃焼で、悔しくて悔しくてしょうがないって。


結果は、
1位:ピアノ四重奏(ジュゼッぺ、トニオ、etc.)
2位:弦楽四重奏(ヨハネス、フローニ、etc.)


ソンニョがビール一杯おごってくれると言うので、一番最初のグループ以外の3グループ合同の打ち上げに私もいった。
ヴァレンティンにおめでとうを言ったとき、
「いやとにかく弾けて、安心してる。何回も合わせしたこととか考えたら、弾かなかったら本当に最悪だった。金曜日から全く弾かないで、(人差し指を使わない)指使いを考えてた。」
と言ってた。よかったねーほんとにもー。

コンクールなんて嫌いだし、私はやりたくないんだよね−と言ったら、Davidはこう言ってた。
「コンクールなんてもちろんいやなものだ。けど、でもこれは僕らにとって、良いトレーニングになってるんだ。だからいいんだ。」
彼は、落ち込んだ様子もなく普段どおりで、励ましの言葉をかけるつもりだった私は、そのまま言葉を飲みこんだ。彼は、私に同情させる隙すら与えなかった。彼のほうが何枚も上手(うわて)。


次の日のリサイタルも、まったく素晴らしかった。
もう、テクニック的にも音楽的にも、申し分ない。
すごく丁寧だし、曲のスタイルによって、違う人が弾くみたいに自由自在に変化しているのがすごいし、それでいて工夫もこらしてあるので面白かったし、なんか私なんか足元にも及びません、太刀打ちできましぇん!って感じ。

マライケと聞いてたんだけど、マライケは鳥肌が立ったと言って、鳥肌を見せてくれた・・。


2002年11月27日(水)

月曜は、学校の室内楽コンクール。
火曜は、DAVIDのリサイタルで、
二晩連続で、学校の大ホールで観客していた。

室内楽コンクールは、フランクフルト銀行主催で、
銀行から賞金が出るのだ。

私はコンクールのあとの後味の悪さが嫌いで、
自分の勉強になるのは分かってても、やっぱりイヤで、
もう2度と行かないっていつも思うんだけど。

参加する側は、
結果が出るか出ないかじゃなく、参加することで得られることの方が大事だってのを分かっててやってると思うから、
聞いてる側の私が、友達だからって同情したりするのって、大きなお世話なんだけどね。
それでも結果が自分の考えとぴったり同じじゃない限り、後味は悪いのはどうにもならないんだよね。

参加したのは4グループ。弾いた順に、
・弦楽四重奏
・ピアノ四重奏
・弦楽四重奏
・ピアノ三重奏

始めのカルテットは、20代後半の女性4人組。
ショスタコ−ビチの4番と、ベートーベンのセリオーソ。

ちなみに、このコンクールでのプログラムを組む条件は、
異なる時代の作品を複数曲。ただしいくつかの楽章を抜粋することも可。

しかしこのグループだけは、それぞれ全楽章弾いた。
選曲を見ても、楽章を抜粋することを嫌っていることから見ても、
彼女達の考え、方向性ははっきりしている。

演奏にもそういう大人っぽさがよく出ていた。
4人の音を1つの音として聞かせることを目指してきたのも分かる。
すごくきれいに聞こえてきた。
これが弦楽四重奏の醍醐味だよね。
それぞれの奏者のテクニックも安定している。

ただ、漠然と、華がないという印象が残った。
これは、具体的に何をどうすればいいのか、私にも分からない。
私が小さいときに習ってた先生のいう、スター性というやつだ。

そして、同じ曲を弾いた者としての個人的な好みの問題を言うと、
ベートーベンは好きではなかった。
テンポが速くて、あっさり味に聞こえてしまったのが残念。
この曲は、もっともっと濃いいと思う。
テンポが速くて激しかったけど、その激しさがちょっと、他人事みたいに聞こえてしまった。
この曲は、他人事じゃなくて、自分という1人称の世界にどっぷりつかっているようなイメージなのだ。私は。
もっと暗くて、痛い。


次のグループ、ピアノカルテットは、
うちのクラスのジュゼッぺ、チェロのトニオ、ビオラはヴァレンティンという男3人+紅一点のピアニストはかーなーり学校では有名らしいグォダさん。
なんだか2年前にカーネギーホールで弾いたとか。ひー。

先に言うと、華があった。
ピアノはめちゃくちゃ上手く、
男3人をぐいぐい引っ張っていた。
アルゲリッチの室内楽を見たことある人は、あれをイメージしてください。
彼女の存在感に男性軍は、少々貧弱に見えたり見えなかったり?

ジュゼッペはテクニック的にほかの3人に比べて危なっかしい部分が多かったが、
イタリア人の彼の明るさは天性のもので、それが舞台でとっても好印象だった。
逆に、才能のあるトニオは、安定していたものの、迫力がなく地味な印象。

そしてこのグループには、ちょっとしたおまけ話まである。
ヴァレンティンが金曜日に、包丁で指を切ったのだ。左手の人差し指を。
彼は、仕事の本番の日にスーツを忘れて、ゲネプロにすっごい遅れて来たり(バートホンブルクのときです)、寝坊して遅刻して室内楽の仕事をすっぽかしたり、ちょっと最近、続いてるらしいのね。

このコンクールでも、金曜日以降の合わせはしてなくて、本番当日まで出るか出ないか決まらなかったらしい。

このグループは、選曲が良かった。
前に弾いたグループと、対照的だった。
モーツァルトの第1楽章、フォーレの第3楽章、シュニトケの曲、そして、ブラームスのc-moll、1、2楽章。

ピアノが入った室内楽は、弦のみに比べて、
それぞれの個性を生かして、ぶつけ合って、っていうのが醍醐味だと私は思う。
ジュゼッペの明るいモーツァルトが私はソロでも結構好きなんだけど、
カルテットでもそれがうまく出てた。ピアニストも音がコロコロしたところがすごくうまかった。
フォーレは何しろピアノがうますぎ。チェロも、彼の繊細さが生かされててきれいだった。
シュニトケは、緻密なアンサンブルもできるというところを見せた。
ブラームス。私の大好きな曲だった。
2楽章の最後の最後で長調になって終わる。鳥肌!
これを最後に持ってきたのは、大成功だ。ブラボー!と言いたくなるもの。

休憩になったので、ロビーに出たら、
最後のグループで出るピアノのソンニョにつかまった。
「踏めくりしてくれる?ね?いいよね?ね?」
と激しく、まじめな顔で言われ、トレーナーを来てたからイヤだったんだけど、仕方なく、「JA〜・・・」

つづく・・・。


2002年11月25日(月) 究極のレッスン

昨日は、KAHLという駅の近くのALZENAUというところで、コンサート。
バイオリンは、ほぼ全員うちの門下生。
更にうちの門下からふたりが、今回ビオラ奏者としての参加。
弦は6・5・4・3・1という編成で、弦も管も、ほぼ全員うちの学校の学生たち。

先生のところに話が来て、先生自らメンバー集めからなにからなにまで仕切ってくれるっていう、先生中心の仕事がいくつもある。そのうちのひとつ。
先生自ら楽譜をコピーしてみんなに配ったり、集合時間などのプリントを作ったり、トゥッティ練習になる前に必ず一度か二度バイオリンのメンバーを集めてプロ−べをしてくれる。
先生であり、みんなを引っ張るリーダーシップもあり、何が大事か考えて、それをどんどん実行している。これってかなりすごいことだと思う。
なにより人間性の素晴らしさに影響され、門下に新しくはいってきた子が、どんどん変わっていくのがすごい。先生のカラーに染まっていく。私もかなり影響受けてると思うし。

ウズベキスタンから家族と一緒に来てるマリアとか。甘やかされて育ったのが誰の目にも明らかな、ワガママ娘なんだけど、最近なんだか少しだけしっとりしたような・・・。
中国人の絶壁なんて、最初、手首のスナップ利かせた独特の奏法で、なんとなく中国語の発音そのまま、みたいな演奏だったんだけど(けなしてるわけじゃなく、これはしょうがないこと)先生と一緒にモーツァルトやバッハをやって、なんかいろいろ大事なことに気付いてきたみたいだ。(と、先生が言っていた)

先生は長くコンマスをやっていた人だし、多くの学生はオケに入って働きたいと思ってるわけだから、先生と一緒に弾くっていうのはこれは究極のレッスンなんだな。勉強になるのに、しかもお金ももらえるという。ありがたいです。

たとえばうちの学校のコントラバスの先生はギュンター・クラウスっていう人なんだけど、彼なんて、こないだ大学オケにのって、ブルックナー弾いてた。
これも同じく究極のレッスンだと思ったね私は。
しかもコントラバスの学生達、みんな超楽しそうで、先生も楽しそうで。
楽しみながら、学んでるね。理想だね。


さて、ALZENAUの話に戻ります。
今回の旅は、練習後にワイン酒場に集まり、先生も一緒にみんなで盛り上がった。
二晩連続だったのに、全く次の日に残らなかったのが、すごい。
いいワインだったてことね。

またドイツ人の友達が増えて、うれしい。
ビオラのクリストフと初めてまともに話したら、彼はとってもいいやつだった。とっつきにくいと言う人多いし、私も苦手だったけど、全然だった。
カルテット一緒にやろうよと言ったら、もうすでに組んでるのがあるけど、一応メンバーに(私に誘われたことを)話しておくよ、と言ってくれた。

もうひとり、学校で一番苦手だったかもっていう、ホルンのHANNO(ハノ)が話しかけてきて、学校のオケのとき、前にいたよな?って言われたりして、うれしかった。
彼は、ガキ大将がそのまま大きくなったみたい。ジャイアンみたい。でもすごいホルンが上手いの。今、学校のオケは1年間ぐらいずっと彼が1番を吹いてる。

クリストフとか、ハノみたいなのと知り合いになった瞬間って、なんか妙にうれしいんだよね。

それから、今学期からうちの門下に新しく入ったドイツ人女子3人組がいて、彼女達はまだ19か20なんだけど、とにかく3人とも可愛い。
ワイン酒場でも、さすがにドイツ人、とてもお酒に強く、
酔えば酔うほど元気になって、私も久しぶりに若い頃のように騒いだ。
若い子といると、若返った気分になって、楽しいわ。

割と背が高く、おっとりした性格のマライケ。すれてない、純粋なすごくいい子。
すごく魅力的な顔立ちの子。自分が美人だということに気付いてない。
背が私と同じ位小さくて、髪の毛も短く洗いっぱなしのパサパサが可愛いバーバラ。もうとにかく元気。うーん、自分を見てるみたいだ。
もうひとりのユーディットは、今まで学校であんまり会わなかったけど、今回いっぱいしゃべった。上品で、3人の中では大人っぽい子。

3人の中でマライケとバーバラは、学校に入るずっと前からフォーヒャルトについているので、私なんかよりずっとボーイングのテクニックが出来てる。
私はそれがうらやましく、彼女達は私の演奏を好きだと言ってくれて、お互いにとっていい存在。

年は6つも下だけど、私は彼女達といるときが、今一番楽しいかもしれない。


コンサート前の時間にバーバラが持ってきたUNO(カードゲーム)をやった。
もう、めちゃ楽しかった!!!!!!
ルールをちゃんと分かってて、てきぱきとみんなにルールの説明をするのはバーバラ。
あとの人は、初めて、か、基本のルールだけ知ってる(私も)という状態。

たとえば、色もなにもかも全く同じカードが場に出たときは、次が自分の番じゃなくてもいつでも出せる、とか、
0を出したら、誰かのカードと自分のカードを丸ごととっかえていい、とか、
ジョーカーが出たら、全員、隣の人にカードを丸ごと渡さなきゃいけない、とか、
4が出たら、自分の向かい側の席に移動して、一番席につくのが遅い人は1枚引く、(これ、半端じゃなく大騒ぎになる)とか、

日本のルールより、場に出るカードをしっかりチェックしてないといけないので、スピードが勝負になって、盛り上がる。
マライケは、スピードについていけなくて、すっごいうけた。
とっくに次の人になってから、普通に「ウノ。」と言ったり、
みんながバンバンバーン!とスピードを競ったあとで、パタッと出そうとしたり、
それにバーバラが「遅ーい!マライケはいつも遅い!」と超うけながら突っ込んでんのが、また可愛くておかしくて、こっちも腹がよじれた。

色を変えるカードを自分で出しておきながら、しっとり黙ってるから、
みんなに「何よ!」「何色よ?!」
と勢い込まれて慌て、

「・・・blau?・・・oder was」(・・青?・・・か、なんか)

慌てすぎ。勢いに押されすぎ、マライケ。

「oder was!oder was!!」
っておもいっきりバーバラに突っ込まれ、
しかも、マライケのカードは一瞬前まで私のカードだったので、彼女が青を1枚も持ってないのを知ってた私は、彼女とふたり、爆!
マライケは、バーバラにこっそり(みんなに聞こえてたけど)
「私、青1枚も持ってない」って言って、バーバラも爆発!

このおかしさ、伝えきれないのが残念。
今も思い出し笑いしてる。


2002年11月21日(木) モーツァルト週間

先月の大ホールでのVortragsabendに続いて、
昨日、小ホールでVortragsabendがありました。

私が弾いたのは、モーツァルトのA-dur、1楽章。

なんでか知らないけど、そんなに緊張もしてないのに、
弾き始めたらなぜかビブラートが速くって、止まらなくって、
それも自分で冷静に見えてて、弾きながらすっごい悔しかった。

しょうがないから、ほかのことはやろうと思ってさ、
レッスンで言われたこととか思い出しながら弾いたりしてさ、
もちろん、弾いた意味はあったし、それなりに楽しんで弾いたけど。

たいして弾きこんでない曲を人前で弾くと、こうなる(癖が出る)、と、
終わってみて考えると、そういう結論。
つい最近、もう癖は治ったなんて浮かれてたのは誰?
まったく。

やっぱり人前でモーツァルト弾くのって、なかなか簡単にはいかないね。
なんで練習のときと舞台で弾くときの落差がこんなに大きいのかしら?
何度でも人前で弾いて、少しずつでも慣れてかないと。今後の為に。
うちの先生は、毎週1回その機会を作ってくれるし。ありがたいことに。

てな感じでした。


今日の夜は、ヨハネス、フローニのカルテットのコンサートを聞いてきた。
モーツァルトG-dur、現代曲、ベートーベン・ハープというプログラム。
どんどん勉強してるなー。彼らは。
以前聞いたときとは、段違いにうまくなってる。
私も学生である今だからこそ、どんどん勉強したいんだけどなあ。
私もやっぱりこの(カルテットの)世界が好きなんだなー。人の聞いてると再確認する。そんでもって、うずうずする。

うずうずしてないで、勉強できる環境を作ることを真剣に考えようと。
ずっとそんなことを考えながら、地下鉄のっておうち帰ってきました。

明日はKAHLとかいうとこに行きます。
2泊して日曜日がコンサート。
先生と、門下の子大勢一緒で、お仕事です。

L・モーツァルトの曲と、WAモーツァルトのクラリネットコンチェルト&交響曲B-Durという、モーツァルトづくしのプログラムです。
私は先生(コンマス)の隣です。
2回、バイオリンだけでプロ−べ(レッスンとも言う)したけど、
先生のドイツ語のジョークについていけないので多少困ったりしつつも、なかなか楽しんでやらせて頂いてます。
先生は私の消しゴムをすごく気に入って、消すたんびに誉めるので、使ってない新しい同じやつをあげたら、すごーく大げさに喜んでくれました。


2002年11月15日(金) 舞台の上のちっこいアジア人

昨日は先生と一緒にコンサートだった。
隣町Bad homburgのSchlosskircheでの本番。
私が出たのは最後の1曲だけだけど。でもギャラはみんなと同じ・・・。

先生+うちの学校の学生による弦楽五重奏(2×Vn.Vla.Vc.Cb.)&ソプラノ歌手で、
ボッケリーニ『スターバト マーテル』
休憩はさんで、弦5+チェンバロで、
ヴィヴァルディ『アラ ルスティカ』
そして、最後に
バッハ『ドッペルコンチェルト』
先生の元門下Ludwigと先生がソロ。
私はセカンドVnで登場。

楽しかった!

バッハは、全部で8人での合奏だったんだけど、全員立って弾いたんです。チェロとチェンバロ以外。
みんな立つと、自分がちっこいのがよく分かるー。



終わった後みんなでレストランに行って打ち上げ。
その席で私は、歌手のパパとLudwigのパパにいろいろ質問をされた。

「(将来は)どこで働くの?家族は日本にいるんだろ?日本に帰りたいだろう?」
「日本には日本の音楽があるのに、なぜ日本の音楽をやらないの?」

なるほどーそういう風に考えるのかーと、多少感心しつつ、面食らいつつ、

伸「私は幼い頃から20年間、ヨーロッパの音楽だけをやってきました。日本でも音楽大学に・・・」
「それは、邦楽の(学校)?」
伸「いいえ。ヨーロッパの音楽のです。邦楽に興味はありません。」
「こっちで就職するの難しいんじゃない?日本に帰らないの?」
伸「できればこちらで就職したいです。」
「なぜ?」
伸「・・・日本のオーケストラとこちらのオーケストラは全然違います。私はこちらのオケで弾きたい」
「何が全然違うの?」
伸「・・・(両方で弾いたときの感じ方の違いを説明。先生も日本のことに詳しいので助け舟を出してくれ、そのあと話題を変えてくれた)」

話題を変えても、おじさん達はそのあともずっとその話をしてたみたい。「韓国人」「日本人」って、そんな単語はいくら声をひそめても聞こえるのよー。

印象として漠然とあとに残ったのは、外国人には国に帰って欲しいって思ってるんじゃないのかなあ・・っていう。上に書いた内容だけでは伝わりにくいと思いますが(もっといっぱい聞かれた)。
音楽家の就職は、ドイツ人にとっても狭き門。しかも音楽の世界に限らず、失業者、職につけない人が年々増えているらしいから、そういうことも関係してたりして。

日本人なのに日本の音楽をやらないの?には、いろいろ考えさせられました。
ヨーロッパ人にとってヨーロッパの音楽をやるっていうのはどういうことなのかな。アジア人がヨーロッパの音楽をやることを、彼らはどういう風に見てるのかな。ちょっと客観的になってまじめに考えてみた。


もし、日本の柔道選手たちを片っ端から倒してフランス人の選手が優勝したとして、そのときの気持ち。
そして、バスケットボールで日本がアメリカに負けたとしてそのときの気持ち。
このふたつの気持ちは、同じではないと思う。

私の祖母は曙や武蔵丸が嫌い。別に理由はないけどなんとなくイヤや、と。

自然なんでしょうね。こういう気持ちが生まれるのは。
そう思う人のその思いを止めることは出来ない。

私は、相撲や柔道を外国人がやるようになったのは、すごくいいことだと思う。いろんな国のいろんな人に、日本の良い部分を知ってもらえたらやっぱりうれしい。
でも勝負の瞬間になったら、やっぱり日本で生まれたものは日本が最強であって欲しいという気持ちが顔を出す。

ワールドカップだって、アジアの国に負けた国の人は、負けたのがアジアの国だからこそ屈辱的に悔しかったんだと思う。

本場でヒーローになったイチローやナカタは、だからこそ本当に素晴らしいと思う。きっと一生懸命やっているのだろうし、皆に好かれる人柄なのだろう。
彼らの存在は、本当に私にとって励みになる。外国人とか、そういうことを超えている。ちっぽけなことで悩んだり迷ったりしている自分に気付き、ばかばかしくなる。やはり、できるかぎり、少しでも、少しずつでも、一回きりの人生をスケールの大きいものにしていきたいと思う。そういうイメージをいつも持っていたい。


いつか私は、こう言おう。

ヨーロッパの音楽は素晴らしいです。
ヨーロッパの中にいると分からないかもしれませんが、
こんなに世界中の人に愛されている音楽は、ヨーロッパの音楽だけです。

ドイツに来て、ドイツ語を少し覚え、ドイツ人と話して、ドイツ人の(物事の)考え方の特徴というものを知ってきました(同時に日本人にも考え方の特徴があるということも)。
生きた時代は違っても、バッハやベートーベンも、ドイツ語で生活しドイツ語で考え、多少なりともドイツ人の特徴的な部分を持っていたのだろうと想像したりします。そういうところから曲が生まれたと知るのは、私にとってすごく面白いことです。ドイツ人にとっては普通のことでも、私にとっては新しい発見なのです。


「なぜ?」に対してはこう言おう。
「好きだから」
ドイツで暮らすのが好きで、ドイツ(語圏)の音楽が好きだから。
それ以外の理由はないよ。


2002年11月11日(月) 11月11日(寒)

オケの本番も終わり、家でまったり過ごす今日この頃。

オケは盛り上がりましたヨ!
本番はすごい入り込んで弾いてしまいました。
                  
セカンドバイオリンの我がグループも、この練習の少なさで打ち解けられるか不安だったけど、みんな特に本番の集中はすごくて、最終的にはよくまとまり、いいグループだった。
このグループは、ほとんど全員ドイツ人だった。そして、10代の子が4人もいた。若ーい。

絶壁(入試のときから一緒の奴)に誘われ、打ち上げ!
楽しかった!いろんな国の人と、大声で(ドイツ語で!)大騒ぎするってのは今まであんまりなかったかもしんない。
韓国人の子達と、何歳?とか何座?とかいう話題になって、ひとしきり話した後、じゃ、蛇でしょ?って言われた時に私はその蛇という単語(シュランゲ)を知らなかったので何のことかさっぱり分からず、どういういみ?と聞き返したらみんなで「干支」について「12の」「動物の」って説明してくれて、やっと分かったので、これでしょ?ってなんか蛇のマネとかしたら大ウケで、そのあとみんなはばかみたいに蛇になってました。「シュランゲ!」「シュランゲ!」言いながら。「それじゃドラゴンじゃない?じゃなきゃ獅子舞」って突っ込みたかった。みんなおかしかった。
韓国でも干支で言うってこと、初めて知りました。

オケ全体で打ち上げすればいいのに・・と思うけど、どうせそんな大人数が入れる飲み屋は学校の近くに無い。なので、いつもみんな分散してしまう。ちょっと残念。

まあでも、今回はいろいろ知り合いも増えてとってもよかった。私にとって。


今度、またオーディションに挑戦するかもしれない。
オーケスターアカデミー生の募集があるので。
まだ決めてはいないけれど・・・。とりあえず申込書は出そうかと思い、履歴書を作って先生に見せたら、
「持ってかえって家で書きなおしてきてもいいか?僕は今までにたくさんの履歴書を見てきたから。」
と言ってくれた。
ありがたい。

そういうこともあり、今モーツァルトのAドゥアを勉強中。
それ以外に先生から出てる課題はシューベルトのソナタ。いつかカルテットでシューベルトの名曲の数々を弾きたいから、この曲のレッスンはしっかり受けとこうと思ってます。楽しみ。

ブルックナー、モーツァルト、シューベルト。
全然違うようで、三人ともオーストリアの作曲家ってのが面白い。


2002年11月04日(月) ドイツ人の学生達

ブルックナー、なかなか気に入ってきた。
そしてセカンドは、やはり楽しいし。
金曜日に、スコアを借りCDを聞こうと学校の図書館にいった。
前回の練習の後、ダヴィット※としゃべってたら、
彼もこの曲まだ弾いたことないというから、
「図書館で、もうCDかなんか聞いた?」
と聞くと
D「うん。あ、でもこの曲2つの版があるの知ってる?」
だって。よくわかんないのでその点は保留に。

※ダヴィットは優等生タイプで割と二枚目でしかもとても愛想がいい。以前のオケでティル(R・シュトラウス)のコンマスをやったりしていた。今、フランクフルト放送響のAushilfeをやっている。彼はドイツ人だけど、血は韓独ハーフ。韓国語はできない。パイネマン(元天才少女らしい)教授のクラス。

金曜に図書館へ。スコアを探す。
二つ版ある、言ってたな。しかし分からん。うちらが弾くのはどっち?
とりあえず適当に借り、その後CDを借りようとしてカウンターに並んでたら、チェロのパヌーも来て「CD借りるの?ブルックナー?」と聞かれ、
N「パヌも弾くの?トップ?」
P「おう。」
N「私もトップなの。ひー」

私の番が来てCDの番号を告げたら「それは今ない」と言われたのに、横からパヌーが「ないの?まじ?」と言ったら、ちょっとして奥から2枚も出てきた。なんなんだまったく・・・。人種差別か?

人種差別かどうかは置いといても、こういうことにはもう慣れてしまって文句を言う気にもなれなくなってしまった。こういうことはたくさんある。いちいち腹を立ててもきりがない。ま、これがドイツ、というかなんというか。

パヌーとなかよく視聴室にいこうとすると、ダヴィットとクリストフ(Vla.)※がやってきたので、つかまえて、
「2つ版があるって言ってたけど、このスコアとCDであってる?私達どっちの版を弾くの?」
と聞くと、クリストフ、
「簡単な方の版。」と言いながらスコアをぱらぱら見て、
「多分これ、違う方だ。」
と言う。

※彼はいつでも学校のロビーで見かけるタイプ(いるでしょ?こういう人)で、ちょっと私が苦手としていた奴だった。愛想がなくて。どっちかっていうと、ガムをかみながら地下鉄に乗ってそうな感じ。
以前のオケで鉛筆を貸したことがあるけど(彼はいっつも鉛筆を持ってこない)、会っても別に挨拶をする仲でもなかったんだけど、ダヴィットがいたから、彼とほぼ初めてまともにしゃべった。彼は見た目に寄らずダヴットよりもだいぶ物知りだった。
なんか、こういう瞬間に思うんだけど、こっちの人って、みんな本当にいろんなことよく知ってる。恥ずかしいと思うことが多々ある。
なぜ、こうなんだろう。やはり特にドイツ系(の作曲家)のことは、非常に細かいことまでみんなよく知っている。
ただ単に、私が今までブルックナーに全く興味がなかっただけにすぎないのか、それとも・・・。

こないだ、ホルンの試験のあとにみんなで飲んでいたとき、フローニに、「ブルックナーの4番知らない」と言ったら、
V「知らないの?日本では知られてないの?」
N「いや、私はブルックナーに興味がなかったから、だから」
V「きっとすごく有名なはずよ!こんなのよ。ラララ〜♪」
N「ありがと。でも知らないみたい」
V「そう。でもすっごいかっこいい曲だから、きっと気に入るわ!」

フローニはこないだも書いたけどヨハネスとカルテットを組んでて、今オケでも彼の隣に座っている。つまり、私の右側に座ってる。彼女が隣にいてすっごく気が楽。
図書館でCDを聞いたら、「これかーーーー!」と、やっと分かった。有名ですね。はい。納得。

ロビーにフローニがいたので、CDで(ギュンター・ヴァント。最高)興奮さめやらぬまま、
N「ねえ!フローニ!!今!聞いたの!CD!この前私『知らない。』言った!」
V「うん。なになに!どうしたっていうのよ?ノブコ。」
N「ワタシ、コレ、シッテルヨ!」
V「ほらぁ!でしょぉ〜?ね〜?」
N「いい曲だ!」
V「でしょ!」
N「トップになっちゃって、ちょっと怖いけど。でもこの曲いいね。」
V「トップに座るってちょっと特別よね。そうね。でも怖がることはないわよ」
N「日本で何回かやったから、それに関してはそんなに不慣れじゃない。問題は言葉!」
V「ああ、そうなの!セカンドバイオリンの?コンマスもやった?」
N「やった」
V「へえ!かっこいい!ま、とにかく、楽しんで!私はあなたを誇りに思うワ(日本語にするとなんだかおおげさ・・・)。」

親愛なるブルックナー愛好家インジャパンの皆様、それ以外の全ての日本人の皆様。ここに私、心からお詫び申し上げます。日本ではブルックナー有名じゃない。などとドイツ人約1名に思わせてしまいましたのはこの私です。しかし誤解は解いておきましたことをご報告申し上げます。これからも出来る限り日本のイメージアップに努めてまいりますことを、ここに誓います。

フローニはホルンのときも隣だったし、すっごい自然体で天然素材でかわいい。
練習中、ことあるごとに
「素敵な曲!」「今、この場所、すごい綺麗じゃなかった?ねえヨハネス(と前の人を弓で突っつく)」「今のファゴット、超クール!じゃない?」「ベースのあの節、なんてかっこいいのぉ!」って感想言ってるの。心から感動している様子で。感受性がすごいのねーなんて隣で思ってる私は、すでにおばさんか?
こういう子と一緒に弾いてると、実際楽しくなってくる。
どうせ弾くなら「いい曲!」「この部分すごくいい!」
と思って弾く方がいいに決まってる。
心が綺麗なんだよね。すれてない。彼女のソロの演奏もそれがすごくよく出てるし。
1年前はすっごく緊張して耳までまっかっかにして弾いてたけど、今はもう右手もすっかり先生そっくりになっちゃって、落ち着いてすごいきれいな音出すようになった。そうだ、この前、ベートーベン弾いたとき譜めくりしてくれたんだけど、私が弾き終った瞬間「ブラボ!」って言ってくれたのがすごくうれしかったなぁ。
フローニは私より3つぐらい年下。ブロンドのちょっと天パが入ったショートカットがすごく似合っててかわいい。

ああ長くなった。止まらなくなってきたので、また次回。
明日も朝からオケなので寝ます。


2002年11月01日(金) 新人事に外国人採用

学校のオケが始まった。

今日バイオリンパートの練習(指導;フォーヒャルト)があり、適当に声かけて一緒に座る相手を見つけて座ってたら、フォーヒャルトに「ノブコ」と呼ばれ、
「キミはココ。」
とトップ(セカンドVn.)に御指名。

ああ先生、前もって言ってください。小心者の外国人、やっぱり心と身体の準備が必要です。もちろんトップじゃなくても曲は勉強しとくべきですね。ハイ分かってます。
全然勉強してません。譜読みはしました(当然です)。トレモロばっかり〜面白くな〜いと思ってあまり気が乗ってませんでした。
曲、両方まったく知りません。ごめんなさい。CDも聞いてません。
明日から急いで準備するので、今日の不出来は許してください。

曲はシューマンのホルン4本の曲と、ブルックナーの4番。

私、桐朋のときからオケでセカンド弾くことがとっても多くて、
しかも、前の方に座らせてもらうことも多かったんだけど、
この学校でも現在までセカンド率100%となっております。セカンド・・・万歳。でもたまにはファーストもやりたいの。

コンマスはこれもうちのクラスのジャニーズ系ヨハネス君。
笑顔はどこからどう見てもアイドルまっしぐら。しかししゃべってみると典型ドイツ型自己主張君で、非常に分かりやすくてさっぱりしたいい男。
先週のVortragsabendでは、私のベートーベンのあとにスペイン人ノリノリ君と一緒にラベルのツィガ−ヌを弾いて、その日のトリをカッコよく決めてました。
才能があり、音楽性もあふれんばかり、そして華もあり、まだ若い(21)。うらやましい限りです。おまけに同じクラスのフローニ♀と、ブッフベルガ−の娘(彼女。超美人チェリストまだ10代)とカルテットを組んでて、絶好調みたいで、フローニと2人でいつも楽しそうに話してくれます。キィ〜!チキショー!

彼もコンマスは初めてのはずなのに、私みたいにおどおどしてなくて、そこに座った以上、キリリとリーダーの顔をしてたなぁ。はあ。キミから学ぶことは多いよ、ヨハネス。


あの先週のベートーベン以来、先生が私のことを、今うちのクラスの成長株として(自分で言うな?)ヨハネスの次ぐらいに期待してくれてるのが伝わってくる。うれしい。仕事をどんどんくれたり、その中には先生との室内楽の仕事もあり!一年前とは大違いだ。
のぶこ、がむばりますっ!やる気出ちゃいます。
とにかくカルテットがなくなった今、私にとってフォーヒャルトが全てと言ってもいいぐらい。

何かがきっかけになって、こうやって人生って「流れる」ときが来るのね。
全然流れないな〜と思う日もいっぱいあったけど。そういうときはやることなすこと空回り。悪循環。
でも、今は好循環になれるチャンスのはず。

シュテフィ、K、ジュゼッぺなど、3年以上彼の下で修行し、一つ壁を超えて自分の足で自分の道を歩もうとしてる人がいる一方で、私やヨハネスは今が変わり目!
いつも、Vorspielが終わったあと、片付けの遅い私は最後まで部屋にいることが多いんだけど、先々週のVorspiel後にピアノのふたに鍵をかけながら先生はしみじみしていた。
「みんなそれぞれ成長している。それを見ていると、本当にうれしい」

こっちに来てすぐに入試前にすでに指摘されていた、落ち着きのなさ。
それは長年でついてしまったいろんな癖だった。
癖をなおし、落ち着きのある演奏をすることは一年半の間、ずっとテーマだった。
先週のVortragsabend後、先生は
「ビブラートはもう速くなくなったし、とてもRUHIGに弾けるようになった。もう癖は大丈夫だ。」
と言ってくれた。この瞬間はうれしかった。

このRUHIGという形容詞は一年半テーマとして付き合ったおかげで気に入った。
今改めて辞書引いたら
「静かな/穏やかな/動かない/静止した/平穏な/落ち着いた/安らかな」
とありました。


  
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