昨日はホルンの人のKonzertexamenでした。
Konzertexamenコースを修了しマイスターという称号をもらうための、
コンサート。
それが、昨日のKonzert(コンサート)examen(試験)です。
選曲が最高だった!
全部初めて弾いた曲だったんだけど!
楽しかった~。
指揮なしの室内オケで、コンマスはほかの学校のバロックバイオリンのD先生。
練習も彼が仕切ってくれ、学生達には非常に勉強になり、
しかも各パートにプロが一人か二人入っているという、
今まで見た中で一番豪華なKonzertexamenでした。
弦6・6・4・4・1の編成で、私はセカンドで乗っけてもらいました。
プログラムは、
バッハ:Orchesterouverture Ⅰ
モーツアルト:ホルンコンツェルト Ⅱ
ブリテン:テノールとホルンと弦楽によるセレナーデ
でした。
バッハは、バロックボウで弾きました。
D先生が全員に貸せる分持ってきてくれた。すごーい。
それにしても、すっごい楽しい~バッハって。
バロックはもっと難しいもんだという先入観がありましたが、
なんだか、ずいぶん違ったみたい。なんでそんな先入観を今まで持っていたのかしら。
モーツァルトも楽しかった~。
やっぱり!モーツァルト最高。
セカンド万歳だね。セカンドってなんでこんな楽しいんだ!
バッハもモーツァルトも、
やっぱりドイツ人に囲まれて弾いてるから、日本にいては感じられなかった楽しさを今は感じてるなあ。
なんか、みんな私より年下の子が多いけど、すごく自然にバッハやモーツァルトを肌で感じてるのが分かる。
奏法とか解釈とか難しいこと頭であんまり考えてないかもしれないけど、
すごい自然で、すごいみんな楽しんでて。
そして、ブリテン。これがまたいい曲だった。
お勧めです。
やっぱアンサンブルって楽しいのだ。
原点に帰ったのだ。
今、誰かカルテット一緒にやってくれないかな。
なんか、大事なことが分かったような気がしてる、最近。
頭でいくら分かっていても、それを肌で感じるのとは違う。
分かっていたつもりだったけど、本当は、今、分かったのかもしれない。
今日はうれしかった。
めちゃくちゃうれしかった。
今日はフォアトラークスアーベントでした。
いつもの門下の発表会を、学校の大ホールでやりました。
私は、やっぱり舞台で弾くのが好き!
大好きなベートーベンのコンチェルトの2&3楽章。
すごい弾いてて楽しかった。
カーテンコール、2回ももらっちゃった。
もう、なんていうか、書いちゃいますけど、
フォーヒャルトにすっごい誉められて、
もう、超超超うれしいです。
有頂天です。
調子に乗ってます。
ドイツ人って日本人みたいにお世辞言ったりあんまりしないけど、
そのかわり良かったと思ったら、たとえ知り合いじゃなくても、
わざわざその旨、伝えに来てくれるのね。
学外から来たお客さん、普段からしょっちゅう私の演奏を聞いている同じクラスの子達、逆にほかの先生のところのまだしゃべったこともない学生達にも誉め言葉をもらい、うれしかった。
すいません、なんだか。
なに書いてるんでしょうか私は。
こんなこと滅多に書けないんで今日だけ・・・。
なにがって、
やっぱりこの一年半やってきたことが、形になって見えてきたっていうことがうれしい。
それを、先生にも、お客さんにも、認めてもらえたっていうのがね。
やったね!って感じ。
グラマ前に鬼のように練習してて、終わって、一息ついたら、
なぜか見えてきたの。先週も先々週も練習量はたいしたことないのに。
先々週から具合が悪かったし、先週末は友達が大勢来て久しぶりに思いっきり遊んだし、昨日おとといはミュンヘンにいたので、あんまりさらってないし。
がむしゃらにやってもだめっていう教訓なのかなぁ。
人生そんなもんなんでしょうか。ううむ。
フォーヒャルトのボーイングのスタイルによって、
音自体が生き生きとした、みずみずしい音になる。
彼の音は、実際すごいのだ。楽器もいいけれど。(”新潟”みたいな名前の楽器)
ボーイングばっかりのレッスンだと思っていたけど、違った。
おかげで、表現力がついた。
表現したい音楽の幅が広がった。表現できる音楽の幅が広がった。
あ、だからか。
やっぱり教育者としてすごい人だ、この人は。
突然ですが、パルナスカルテットは解散することにしました。
グラマという目標に向かって、
全ては演奏会の成功のために、
今までやってきたのですが、
終わってみて今振り返ってみると、
いろいろと無理をしてやってきたことが分かります。
目標が無くなった今、
4人中、特に、学生である3人が
今、しなければいけないこと。
それぞれが真剣に考えた結果、
解散という形になりました。
振り返ってみると、
カルテットのファーストバイオリンは
想像を超えた難しさがありました。
私の力量では、とてもつとまらないと痛感しました。
それでもなんとかコンサートは成功させなければという思いがあり、
かなり精神的に無理があったような気がします。
彼らをその犠牲にしてしまったことは、反省すべきことです。
それでも根気強く私に付き合ってくれた彼らには感謝しています。
こんな私にファーストを弾かせてくれて、ありがたかったです。
たくさんいろんな貴重な出会いや経験ができてありがたかったです。
それと、自分というものがよく分かった一年間だったと思います。
自分の技術的な課題も。
自分の人間的に未熟な部分も。
自分のやりたい音楽がどういうものかも。
すべては、これからにかかっています。
ここでどれだけ自分がいろんな意味で成長できるか、
いつか私のファーストバイオリンと一緒に弾きたいと言ってくれる人が現れるように、
今はとにかく腕を磨くだけです。
気がついたら、ずいぶん痩せてた。
ダイエットしたわけじゃなく、徐々に自然に痩せてったみたいで、
久しぶりに会う人に痩せたねと言われる。
痩せたい痩せたいと思ってた学生時代は全然痩せなかったのにね。
なんでしょうね。日本で、いかに規律正しくない生活をしてきたかってことかな、と。
別に今もそんなに素晴らしくはないんですけど、実際今のほうが健康。
タバコも、やめて1年以上経ったし。
しかし、これも人から言われるんだけど、
私って骨格がしっかりしてて骨が太くて筋肉もあって、
うらやましいらしい。
うらやましいって言ってくれるのはもちろん楽器やる人ね。
しっかりしてるなんて言われても、一応女子としては微妙なんですが。
でも痩せて分かったのは、やっぱり私は骨太なんだなってこと。
余分な肉が減ってみたら、よーく分かった。納得した。
手も足も立派なもんで。
厚み、幅、共に充分。
靴選びも大変。弱い生地の靴だとあっという間につぶれる。
甲が高くて、幅が広くて、指が立派・・・これでかわいい靴はなかなかありませーん。
要するに、手もそんな感じ。
初めてバイオリンを触った時の話。
私は5歳のときから週2回音楽教室に通っていた。
当時は親の手ほどきでピアノを弾いていた。
その日は、半円状に並べられたたくさんのちっこい椅子に、なんだかわかんないけど全員座らされた。
どこから借りてきたのかたくさんのちっこいバイオリンが用意されていて、私建6歳児、一人に一つわたる数があった。女の先生がひとりいて、その先生が端から順番にバイオリンを持たせてくれる。
断片的に、なんとなく記憶がある。
私の番になったとき、先生は私の手を見て
「あら!あなたいい手ね!!!」
と、誉めてくれた。なんだか知らないけど誉められて嬉しかったんだと思う。だからその先生はすごい優しくていい人だという印象を持ったんだと思う。
子供だから超単純だ。
私は、そのときの先生についてバイオリンを習うことになった。
13歳までの7年間。
その先生は、数年前に亡くなった。
輸血が原因の、肝炎。まだ61歳だった。
今考えても本当に私のことを可愛がって下さったと思う。
よく「スター性よ!伸子ちゃん。スター性が大事よ」
とおっしゃっていた。
当時はぽかんとしていたと思うが、今は先生がなにを言いたかったか分かる。
13歳で先生のところを出たのは、当の先生から直接そう勧められたからだ。
「あなたは、もっといい先生のところに行きなさい。
普通はこんなこと先生っていうのは言わないものなのよ。
先生を変わるときっていうのは普通、喧嘩したり泣いたりっていうことになるものなのよ。」
そうおっしゃっていた。よく覚えている。
そのあと数年後、病気が悪くなりはじめた頃に、ほとんどの生徒さんを手放したという話を聞き、その時にもそのことを思い出したのだった。
自分のことより、子供達の人生を一番に考えてくれているからそういうことができるのだ。今考えても胸が痛い。
『マイコン』ってなに?(毎日新聞主催のコンクールなので)という状態だった当時12歳の私は、予選からふわふわの黄色いドレスで登場した。周りはしっとりしたワンピース姿ばかり。
本選の演奏中は頭が真っ白になり、気づいたら弾き終わってたのだが、なんだか奇跡のような演奏だったらしい。
休憩になり、同じ門下の同い年だったM子が客席にいる先生のところにたずねていくのを見て、私もいった。
後日(当日だったかも?)もう一度お宅に改めて伺った。
玄関でいきなり先生に抱きしめられた。
私はただただ驚いた。だって日本人同士でこういうことはほとんどないから。
生まれて初めてだったと思う。
「本当はあの時こうしたかった。M子ちゃんもいるから、とあのときは思ったけど、でもあれからずっと、どうしてあのとき感情を押さえてしまったのかと後悔していたの。」
そのあとも、受賞者演奏会のプログラムに自分の名前が載ってるのを見て(○○氏に師事、という欄)本当に嬉しかったわとか、そういうことを言ってくれる先生だった。
先生としての面以外に、一人間としての部分をたくさん見せてくれて、人間くさい人だった。
ご褒美として、レコードと楽譜のコンチェルトシリーズのセットをプレゼントしてくれた。そのうちの何冊かはドイツにも持ってきている。
2002年10月11日(金) |
ICH KOCHE GERN. |
引越ししてからキッチンが自由に使えるようになったので、
料理するのが楽しい。
フランクフルトには、毎日朝から夕方までやっている市場がある。
「Kleinmarkthalle」というんだけど、
これが、な~んでもあって面白い。
基本的に食材。
肉、魚、パン屋、八百屋、チーズ屋、卵屋、ソーセージ屋、手作りお菓子屋さん・・・などなどで、しかもそれぞれが複数存在する。
お花&植木屋さんもあった。
家庭菜園コーナーがあって、かなりのスペースをとっていた。
花や野菜の種のカラフルな袋が壁一面に並んでて、見てるだけで楽しい。
町の中心に近いところに引越してきたのと、最近の料理熱とで、
こないだやっと足を踏み入れたよ。
今までいろんな人から存在を聞いてたのに一度も入ったことがなかったんだよね。今まで損してたー。
その日買ったもの。
白菜、ほうれん草、にんじん、ねぎ、しいたけ、アボカド。
八百屋のおばちゃんはとても朗らかな人で、私が「白菜」「ほうれん草」と言うと、選んで取ってくれるんだけど、私が一個言うたびに、
「白菜は、色の濃いのが新鮮よ」
「ねぎは、根っこを水で濡らしてラップしとくと枯れないわよ。」
「ほうれん草、今日おいしそうよね~」
という具合に多彩なコメントが入って、とても面白かった。
勉強になったしね。
ところで、私が最近よく作るのが、
なんと、キッシュ。
フランスのピエールが「超簡単」と言ってたけど、本当に簡単。
卵と生クリームをかき混ぜて、塩コショウする。
バターを塗った耐熱皿に
具を並べて、卵クリームを流し込み、
オーブンで焼いて、できあがり。
冷凍のパイ生地を使えば、分けやすくなるし食べやすくなるけど、
私は、普通の食事にパイというのがどうにも重くて個人的にいやなので使わない。
具は、ピエールが「なんでもいい」と言ってたけど、
たとえば、
ズッキーニ(+サーモン)
ほうれん草(+ベーコン)
ブロッコリー
・
・
・
(好物を並べただけという気もしている)
本当にお手軽で、お気に入りの一品。
あースマスマ見たくなった。
コンサートのチケットは、当日券しか買ったことがない。
開演1時間前に出る、学生と年金生活者のための割引チケット、10ユーロ。1200円。
開演1時間前の時点で売れ残ってる席だったら、それがS席でもA席でも10ユーロで買える。
ベルリンフィルを聴きに、1時間半前にホールにいった。
ちなみに、家から歩いていった。
そしたらすでに学生たちがすでに列をつくってチケット売り場はごった返していた。さすがベルリンフィルだねなんて思って、まあ売り切れたらまた歩いて家に帰ってご飯作って食べようなんて思いながら列の最後尾についた。
立派なダブルのスーツをお召しになった紳士が、列の誰かに声をかけようとしてる・・・と思ってたらすぐに、
「きみは、音楽の学生?」
と、声をかけられた。
はい。と言うと、
「妻のチケットがある。今日彼女は聴けない。きみにこのチケットをあげる。」
それは、なんと115ユーロのチケット!!!!
「それは・・・なんて親切な!!!ありがとうございます!!!」
「なぜなら、きみが学生だから。いいんだよ全然。」
私、実はこれ3回目ぐらいなのだ。
バンベルク響を同じホールで聴いたとき。
すでにがらんとした当日券売り場に開演15分前にダッシュでかけこんだら、ちょうど同じタイミングで燕尾を着た男の人がひとり、その人も猛ダッシュでやってきた。出演者?と一瞬思ったけど無視して学生券窓口に一歩踏み出したら、彼はそれを見て声をかけてきた。
「学生?」
まだドイツの世間に慣れてなかった私は、その人をダフ屋だとしか思えなくて、
一瞬逃げ腰になった。言葉もわからんし、何か困ったことになったらいやだ。
そしたら彼は汗をかきながら、
「いいか。これはきみにとっての大きなチャンスだ。不用になった招待券がここに1枚ある。これできみは、この窓口でチケットを買わなくてもいいんだ。わかるか?」
と、ゆっくり丁寧に言ってくれた。
彼のことを変な目で見たことを反省する暇も与えず、彼は私にチケットを渡して、
「じゃ、楽しんで!!」と言って走っていってしまった。
なんとかぎりぎり「ありがとう!」を一回言うのが精一杯だった。
あとから考えたら、あんなに本番前ぎりぎりの時間に、わざわざそのためだけに表に出てきてくれたのだと、やっと分かった。
招待券、余っちゃった!学生にあげよう!とパッと出てきてくれたのだ。
ダッシュで戻って5分後には舞台で音を出しているのだ。
数日前に、テレビで「ベルリンフィルの12人のチェロ」をライブで見た。
このチェロアンサンブルの30周年記念コンサートだった。
コンサートはすっごく興奮した。ドイツのチェロのレベルは高い高いと言われるけれど、彼らは本当に世界一だ。超一流だ。最高峰だ。すごい!ほんとかっこいい!
メンバー紹介や曲の解説なども自分達でやっていて、しかも同じ人がずっとやるんじゃなく、曲ごとにどんどん交代していく。
マイクを持って、なにも見ないですらすらしゃべれるの、かっこいい。
このコンサートで、すごく印象に残ったことがある。
「このあいだの洪水で、ドレスデンの音大のコントラバス4台がだめになった。
僕達から、コントラバスの学生のための援助を、皆さんにお願いします。」
テレビの画面には、ドレスデンの音大あての口座番号が、さっと出た。
そうだった。ドレスデンのオペラハウスのコントラバスがすべて粗大ゴミ行きになったという話は聞いていた。衣装や舞台装置も全て。
しかし、言われるまで気づかなかったけど、でも、そのとおりだ。学校にももちろんコントラバスがあったはずだ。
被害にあった学生に目を向け、学生の気持ちを第一に思いやり、すぐに行動に移したのだ。なんて立派なんだろう。影響力のある人が行動してくれることはとてもうれしいことだ。
なんだか、じーんとした。
■今後のことについて。
・自分が理想とする将来はどんなものなのか。そのために今どうするか。
・『一番大事なこと』を常に探し、見極めていく。
余計なことをごちゃごちゃ考えない。無駄な思考は削ぎ落とし、核心が常に見えるようにする。
常に貪欲に。ただし常に柔軟に。
・反面教師も含めて、自分の出会う人は皆、自分の人生に何か与えてくれる。
だから自分はひねくれない。自分を飾らない。
・身近な目標を定め、目の前のものを達成する努力と同じぐらい、一番上の世界はどんな世界なのかを知っておくことが大事だと、最近分かった。
自分がどんな演奏家になりたいか、最高の理想の姿をイメージして、そこに向かっていく。
どんな国の人も、どんなテクニックのレベルの人も、どんな年の人も、どんな人も全員、今いるところからそこを目指してその方向に進むことができる。
すごく進んでもいいし、少しだけ進んでもいい。
誰にでもその自由があり、資格があるのだ。
世の中の人が全員そうやって生きていたらどんな世界になるんだろう・・・と想像した。・・・なんて楽しくて明るい世界だ!
日曜日にロザムンデカルテットのコンサートに行き、
昨日の夜、ベルリンフィルのコンサートを聴きに行き、
彼らがそのことに気づかせてくれた。
雲の上の世界ってあんな感じの世界なのか~。
いいな~。すっごいな~。
手の届かない世界なんだけど、憧れちゃう。
しかもバイオリニストって、けっこうかっこいいなって思った。そんなこと今まで考えたことなかったけど。
一流の人達って、どの世界でもホントかっこいいもんね。
ひとりでいたい時期というものが来ているようで、
最近は、家でひとりでよく考え事をしていた。
■インターネット上で日記を書いていることについて。
自分のことを知っている人と知らない人の両方が読んでくれているので、その両方を意識して書くことになる。
それを考えると、何度も書きなおしたりするときもあり、正直気を使いすぎてくたびれるときもある。人のことを勝手に書かせてもらっていいんだろうか?とか。日記は本来人に読ませるために書くものではないはずだし、じゃあこれっていったい何なんだろう?とか。
それでもこうして、自分の書いたものがたまっていくというのは、自分にとって非常に良いことだというのは確かだ。
ときには、私のことを応援してくれている人たちに対する、近況報告として。
またあるときには、不特定多数の方に対して自分の意見のようなものを公表する手段として。
掲示板のような意見交換の場は、嫌なので設けていないが、たまにメールを頂く。
口唇口蓋裂のことを書いたときには、本当にたくさんのメールを頂いた。
わざわざ公表した意味を分かってくれた人がたくさんいてうれしかった。
私はヨーロッパにいるひとりの外国人だ。
ヨーロッパ人の考え方や生き方に影響を受けて、それに憧れている。
ただ素直にこちらの色に染まってみたいと思う。
自分の国のことも国民性もよく見えて、つまり自分のこともよく見つめることが出来る。
外国人として暮らすのも、人生にとって悪くない。
そんなことを、これからもここに書いていきたいと思います。
話を戻すと、こうして言葉で自分の考えをまとめるために、また自分を見つめることができるのが自分にとってすごくよかったんだと思う。
そして、読み続けてくれる人の存在を意識してなかったら、今まで書き続けてくることはできなかったかもしれないと思う。
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