シネマ*マシンガン
映画鑑賞言いたい放題覚え書き DiaryINDEX|past|will
2004年09月24日(金) |
【ナイアガラ】滝が一番。 |
【ネタバレ注意!】
マリリン・モンローの大出世作。ナイアガラの見えるロッジに慰安旅行に来た夫妻が殺人事件に巻き込まれて…なんて書くとどんなサスペンスなんだと問いたくなりますが、はっきり言って事件の展開自体はご都合主義的な部分がだいぶ多いです。(だいたい観光客の集まるところでわざわざ不倫の逢引なんてするかー!)ちゃっちゃと逃げたらええよ、とゆうところでモタモタしていたり、時代的なことを考慮にいれても(製作は1952年)結構お粗末な事のなりゆき。
それにしても、滝壷に落ちていくっていうのは怖い。ボートで逃げようとして燃料がなくなって流されて…というプロセスはそれなり見ごたえありました。愚かな形ではありますが愛する妻を手にかけて、もはや死ぬしかない、というジョセフ・コットンの心情もわかるわかる。そして落ちていくのがナイアガラっていうのはもう、怖すぎ。絶望しきっているのねこのヒトは、と天然の舞台装置が代弁してくれているようなものです。今回一番の役者はナイアガラ瀑布さんでした。
2004年09月23日(木) |
【TAXI DRIVER】重病です |
ロバート・デ・ニーロ扮するタクシー運転手。マンハッタンのごみ溜めのような世界にも、うだつのあがらない自分にもすっかりうんざりしている。誰かがフラッシュ・レバーをひいて、汚いものを全部洗い流してくれればいいと願っている。そんなことが起こるはずもなく、夜の街でうさんくさい客を乗せたり降ろしたり、をくりかえしている。
ひとめぼれした女性をくどき落とし、会ってくれなくなってしつこくするところとかせつないです。トラビス・ヴィックルのやろうとしてることはすべて、ある意味正しいのかもしれません。しかしある意味においては迷惑や妄想でしかないわけです。自分がいう「ごみ溜め」に自分自身がしっかり浸って、そのエッセンスを吸い上げていることにはまったく気づいていないのですね。情報過多な都市の病理にすっかり蝕まれている自分に気づかない、それが彼の病か、なーんて。ヒーローになろうと武装する、なんてまったくアンビバレンツなことなんですが。
エンディング近く、かつて恋したベッツィーを乗車させ、降ろすあたりの態度に、それまでは伺えなかった様子が見られます。それはヒーローになれたご満悦の表情でなく、相手と自分との本当の距離を見据えた顔なのでしょう。
2004年09月10日(金) |
【太陽がいっぱい】アラン・ドロンでおなかいっぱい |
話の筋じたいは込み入ったものではない。金持ちの友人とつるんで(っていうかこきつかわれて)生きてきた青年、トムが完全犯罪を目論見、友人フィリップを洋上で殺害。フィリップに成り代わり、彼の持つものすべてをわがものにしようと細工するが、そんなお芝居がそう長く続くものでもなく、次なる罪を重ねてしまう。
声色をまねしたりとか偽造とか、犯罪としてはずいぶん荒っぽいことをやっているのですが、ここはまあ話のあらをさがすより、ギラギラしたアラン・ドロンの表情を眺めていくことにしましょう。綱渡り的な逃避行のあいまにフィリップの恋人にまでアタックする欲まみれーなギトギト感が甘いマスクに妙に合っています。
当時の彼が売り出し中のアイドルなんだとしたら、このような映画の、このような役を演じるのはけっこう冒険なんじゃないでしょうか。まあ大変魅力的な青年ではあるんですけど、まっくろな役ですし。
それもこれも、ラストのためにあるようなものですかね。鮮烈でいて物語をしめくくるには絶好な、実に印象的なラストだと思います。タイトルもいかしていますね。邦題もすばらしい。ナイス邦題ベスト5入り間違いなし。余談ですが公開当時のアメリカでのタイトルは『Purple Moon』、イギリスでは『Blazing Sun』だったそうです。なんでや…。
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