ひとりカーニバル
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子どものころ、「今日の晩ご飯は、他人丼よ」という母の言葉に、ショックを受けた覚えがある。
今日から私たち親子は他人になる、最後の晩餐、他人丼…
親子の断絶を突きつけられたのだと愕然としていたら、「今日は鶏肉がなかったから、豚肉でどんぶりよ」という声。卵+鶏が親子なら、卵+豚は他人だという解釈だ。
その時初めて聞いた他人丼という言葉。子どもは何にショックを受けるかわからない。
料理の本で、ちくわを斜め切りにしてどんぶりの具にした、「木の葉丼」というのもあった。
「木の葉で…どんぶり…!」 うちはそんなにおかずがないのかと、これはこれでショックがありそうな気がする。
2006年08月12日(土) |
一生連れそっていきます |
納豆が好きだ。
一番気に入っているのは、付属のダシしょう油・カラシに卵の黄身を入れたものだが、これは納豆嫌い克服当初の食べ方であるので、今は卵を入れなくてもいける。
ネギだけでも、おかかでも、刻んで味噌汁でもいけるし、ご飯とすっかり混ぜてしまって、お茶漬けのようにズルズルと食べてもまたいい。
色々な状態の納豆が好き。
納豆のような人と結婚すればうまくいくんじゃないかと思う。
瞬間、瞬間を生きるYさんという人がいる。
場面場面に集中して生きているので、少し前のことを覚えていない。というか、頭がいっぱいになっていて覚えられないのだという。
その場をこなす。それがYさんの生きる姿勢なのだ。
しかし、人生は場面と場面を無数に繋いだ道。気の遠くなるような点の数を繋げて線となる。
Yさんが未来の予定を立てようとすると、頭の中が近くの場面情報と未来を予測した場面情報がいっしょくたになってブワぁっとちりばめられ、何も出来ず立ち尽くしてしまう。
そして、いつもひどく目がまうのだそうだ。
Yさんが、未来を見るには? 遠くを見るようにして、近くだけに集中しない。 それは、生き方を変えるということか。
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