ふつうっぽい日記
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二人の先生を亡くした。 一人は、小学5,6年生の時の担任で、もう一人は初めてHPを立ち上げた時にリンクを張ってくださった会ったことはないけれども当時、ある小学校の校長先生であった方だ。
担任とは、10年くらい前に奇しくも出身校で再会していた。 「学校へいらっしゃい。待ってますよ。」的なハガキをいただいて、今はほとんどペーパードライバーな私が自動車を運転して学校へ行ったのだった。 話のネタに映画村扮装の写真集(自作)を持って、見せたのだ。 「ほう」と、ずいぶん前に亡くなった祖母のようなため息をついていたような記憶だ。
学校にはボランティアが少なくなった。 前はもっとボランティアがいた。
そんなつぶやきを先生は言っていた。 それから間もなく、私は学校でボランティアをするようになったのだ。 そのきっかけの大きな一つは、新聞だった。 新聞にボランティア募集の記事が載っていたのだ。 一日しか載せなかったらしい。 1社しか載せなかったらしい。
それ以来、その手のアンテナは意識して張るようになった。 ありがとう、先生。 ありがとう、新聞。
先生の死亡の知らせは、その奥さんから喪中ハガキが届いたので知った。 宛名は夫との連名だった。 先生であれば、私の名前だけを載せたであろう。 それは、私が連名で年賀状などを出していたからだ。 その実在する年賀状などを奥さんが見てくださって送ってくださったのだろう。
小学校時代の友人とも先生の喪を共有したかった。 でも、すぐには行動を起こさなかった。 ごめんね、先生。
今となり、涙が出そうになる。
そして、HPで出逢った先生。 どうやって出逢ったのだろう。
『回り道の唄』というHPだった。 「相互リンクしましょう」と伝えたのは、私からだったか、先生からだったのか忘れた。 多分、私からであったと思う。 リンクするにあたって、「バナー」を作ってほしいと依頼されて、見様見真似で作ってさしあげたのだった。
こんなちっぽけな私に。
そして、6年くらい前の「暴走時代」。 いや、暴走に疲れて、一休みすることを宣言した時。
「私は走り続ける人を見たことがありません。」というコメントをいただいたのだ。 淡々としたメッセージにように思えて、妙に腑に落ちて涙が流れたことを記憶している。
ーーー 職業としての「先生」の枠を越えて、人生の「先生」というのは必ずいる。
「先生」的な存在に支えられて、このちっぽけな自分は、曲がりなりにも真っ直ぐ歩いていけているのだ。
先生、ありがとう。
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