ふつうっぽい日記
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ちょうど、1ヶ月たった。 更新。
今、転居先でこれを入力している。 中学生以降、15年ほど暮らした土地にまさか戻ってくるとは! といっても、いわゆる「出戻り」ではない。 不思議な感じであるが、心当たりのあることばかりだ。
何かの本に、人は健康な時、無意識が開くとあった。 ああ、そういうことなのかと今、無意識が開くという感覚がなんとなく分かったような気がする。 無意識なのだから、そうそう意識的になれるはずはないが、 「なんとなく」というぼんやり感があるのでおそらく確信していいような気がするのだ。
「なんとなくそんな気がする」という時の、ゆるい確信こそが、無意識の確信というか。
これが「適応」ということなのかもしれない。 「適応」とは意識的な営みのようでいて、無意識が開く工程が必須なのではないか。 これまた、なんとなく思う言葉である。
人生は「過程」だ。 「家庭」でもあるかもしれないが、それもまた「過程」なのだろう。
こう抽象的な言葉が出る時は、わたしが復活しているサインのような気がする。
意識よりも無意識が先行するというから、「行動」としての意識的営みはもう少し後になるのだと思う。だから、大丈夫。 前を向いていれば、不思議な縁が用意されて、扉が開くのだ。 前を向くための時間は、必要なのだ。 そのことを忘れてはいけない。
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