ふつうっぽい日記
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2015年03月19日(木) |
「カッコ」のために私は書く |
いい感じで(?)書棚の整理が進められている。 「感じ」とはなにか。 ペースとも違うなんというか。。。 自分の感覚が試されているのが心地よいとでもいうような。 なかなか自分の感覚を意識して試されると思えることはなかった気がする。 こういう年度末とか年末とか、節目だからこそ思える意識というか。
うまいことできてるなぁと思う。 そういう意味で、いい感じなのだ。
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ふと繋がったこと。 過去をふり返ったりするときに「カッコ」に括って巡らせることが私には多い。 なるほどと思ったこと。 「カッコ」を外すために、あれやこれやと巡らせるのだ。 そのための方法の一つが読書だったりするのだろう。 ハウツー本なんかも役に立つ。 あれやこれやと巡らせていくと「カッコ」が外れていく。 「私」の問題から「わたし」や「ボク」や「俺」的な世界に広がっていく。 で、ここで終わっても実はスッキリはするのだ。 けれども、もっとスッキリするためには、「カッコ」が外れたところで、意識的に、自分の感覚で再び「カッコ」に入れるのである。 そこにはあれやこれや巡らせた通過点としての自分の感覚があるので、前の「カッコ」の世界とは全く違うのだ。 広がっていた世界から自分の感覚を切り抜いたしっくりくる空気に包まれることに成功するというか(壮大すぎ?!) 私にとっての、再び「カッコ」に入れる作業というか方法、手段の一つが、言葉にすること、文章にすることなのだと思う。 「カッコ」を外す作業も、言葉にすること、文章にすることなのだと思う。 「カッコ」が浮上した過程を表現する方法も。 だから、いろいろと書いて(書けて)しまえているのだと思う。
そういうことなんだと思った。
あなたにとっての「カッコ」に入れる作業というか方法、手段はなんだろう。 歌うこと? 何かを創ること? 話すこと? 描くこと? 考えること? 動くこと? 書くこと?
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何かの占いで、私の3月は「転職」「引っ越し」を考えたり実行するのにいい時期とあった。
そういうことなんだと思った(何がよ!)
書棚の整理を始めた。 じぃ〜っくり考えていると、どうでもよくなって、取りあえず保存になっていくので、長時間時間をかけずに意識して進めている。 20分程度だ。 何かをやっては、20分というのが私にはよいらしい。
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夫は頻繁に本を買っている。 私にもそうなる時はある。 それは、あるテーマに関して、掘り下げようとする時だ。 1冊読んだら1冊買えばいいものを、一度に2,3冊買ってまた別の機会に2,3冊買ってというペースになってしまうのだ。
ある時、「フッと」テーマの答みたいなものが自分なりに、それら本の表現を借りながら繋がっていく。腑に落ちていく、折り合いがつけられていく。
そうなると、次へのステージに繋がっていく。
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「特別支援教育」についてまだ書籍が少なかった頃、支援という立場での書籍が少なかった頃がなつかしい。 今では、当事者研究から教材開発から支援のあり方からたくさんの書籍にあふれている。 ネットでの情報も多い。
だからだろうか。 ずっと保管し続けていたそれらの専門書的な本も一部を除いて手放そうと思っている。
また、縁があれば、必要に迫られれば、本の方からやってきてくれるのだ。 それを信じて。
といっても、ごっそりと棚に空きが出来るということはなく、50冊くらい処分として積み上げても棚に入り切れていない本が別のところに積み上がっているわけで。 といって、棚に本を並べることに注意が向いてしまうのは違うのであり。
一つは、今、積み上がっている本を読みましょうというメッセージなのだ。 ガンガン読んで手放す。 コレクションしたいものは、しばらくそのようにしておけばいい。
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本年度の支援員勤務が先日終了した。 修了の翌日、新年度の支援員募集要項が発信された。 配置校は増えてはいる。 でも、なんだかな。。。 待遇面がやはり魅力的ではない。 「生活」していけるような職種ではないのだ。 専業主婦が小遣い稼ぎ程度にするような感じの。 であるけれども、今まで「特別支援」とまったく縁のないところでやりすごしてきた人たちが、「ゼロ」の人たちが、どういう理由であれ、一歩を踏み出す、歩み寄るということは、すごいことである。 「初心」は「ゼロ」なのかというと微妙だが、なるほど、今の私には「ゼロ」に戻ることが必要なのかもしれない。
なんだか分からず「集めて」きた本を手放して、新鮮な気持ちで関わる。
ああ、必要があってこれをやっているなぁと思えてきた。
万年筆のインクを「グレー」にした。 軸は、茶色系。 だから、これまで「ブラウン」系を入れてきた。 でも、夫が 「この色も、また、渋くていいよ」と言っていたので、気になっていたのだ。 ようやく、インクを切り替える時期がきたのだ。
一昨日、ペン先を洗った。 昨日、インクを注入した。 今日、書いてみた。
今日の天気は、雨だ。 だからこそ、というのは変だが、いや、いいのか。 しっくりと感じられた。 ブラウンとグレーのやさしさを包み込む、茶色の軸。
それでも一日、いちにち、時間は過ぎていく。
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頭で考えていることや思っていることを言葉にすると 「あ。そういうことだったのか」と繋がることが多い。 だから、テストというのは、作文というのは、なかなかうまくできているのだ。 自由度の高いそれは、書き手が有利になるのだ。 もちろん、読む方に基準があるが、 「なるほど、そういう考え方や思いがあるのだ」と斬新なものであれば少々基準からずれていようが構わないと私は思う。 考え方や思いを言葉にする技術やセンスに差があるのだ。 これがまた、その技術だけ、センスだけを取り出して比べられないところに難しさがあるし面白さがある。その難しさは読み手の基準のセンスにも繋がっていくはずだ。
たくさん本を読むと、センスがよくなるというか、幅が、奥行きが出てくるから、想像力が育つ。 子どもだからとか大人だからではなく、そういう時期がくれば本からのパワーが注入されていくのだと思う。 だから、すごくたくさん本を読んでいる人のメールは、小説みたいな文学みたいな美しさが引き出されている。字が上手とか下手とかではなくって、こう、文の身体というか、いわゆる「文体」がその人をただしく映そうとする感じの。
となれば、私自身はどうだ。
雨の日に、にじむインクに思いや考えがじわじわにじみ出る。 そんな今日である。
もう何度も言葉にしてきた。 意識してきたこと。
時が過ぎるのは早い。 とくに「大人」になったから? それはどうだろう。 いや、ここは認めたほうがよかろうか。 「そういうもんだ」と言われれば、納得もできる。
あと2週間ほどで任期が修了する。 まだ、来年度のことは分からない。 プライベートなことも、もしかしたらある「変化」があるかもしれない。 まぁ、例えば、転勤とかね。 それはまぁ、そうなった時だ。 そういう中で、海外転勤になったらなんというのもあるから、想像は尽きない。 そう、想像の中で今は、ため息をついてみたり、不安に思ったりするしかできない。 その程度のことだ。 「その程度」が現実に実際起こると、実際は「その程度」ではすまないのが現実だ(なんだかな) つまりは、今のところ「その程度」の枠に留まっているにすぎないのだ、ということを意識したいのだ。意識しておかねばならない。 「ねばならない」なんて書くと、息苦しくもあるけれど、ここはそれが必要だ。 なぜなら、想像と現実が混乱する可能性があるからだ。 これは実際に体験してきた私がいるからこそだ。 まぁ、第三者がこの「想像」を聞くと、好き勝手にいろいろと言いたくもなるものだ。 だから、その波にもまれないようにするために、自分に枠を作っておくことは必要なのだ。 こう言葉にすると、たんなる言い訳だけれど。 言葉にしておくということは、私にとっては必要っぽいことなのだ。
3月は誕生月でもある。 去年の3月は、「折り合い」をつけるための重要な時期と重なった。 いや、重ねたのは他ならぬ私である。 正確には「私」と「わたし」の企み。 「私」が「わたし」とそう厳密に境界を引く必要をなくするための儀式というか。 「私」と「わたし」が自由に行き来することができた「独立」「自立」記念日だとも言えるかも知れない。 なんだか、ちょっぴりかっこいいような表現だ(私にしてみれば、という話) こんな表現を使おうとは数秒前までちっとも考えていなかった。 そう、言葉にしていく途上で勝手に飛び出てきた、引き出されたに過ぎない。
「引き出す」とは本当に不思議な力である。 ここで一つエピソードを書いておこう。
ピアニカでの合奏練習場面。 私はA君の近くに立っていた。 私は何もしなかった。 というか、術がなかったというのが近い。 結果、A君は賞賛に値するような演奏ぶりであった。 そして、次の段階で私がA君から離れると、とまどう演奏になったのであった。 まぁ、これは周りの環境にもよるところがあった。 私が近くにいた時は、複数による合奏であり、離れた時のそれは単独での演奏だったからだ。 複数であると自分の音がつかまえやすく、単独になると自分の音をつかまえるのに戸惑っただけ、という感じの。 逆も起こりえたと思うが。 不思議な力というのは、私にあるわけでもない。 「あいだ」にあるのだと思う。
「あいだ」とは「あわい」とも言う(と、たしか辞書に書いてあった) 「あわいの力」 うん。なんともかっこいいような表現だ。 そして、なんだか響きが優しい。 といって、これらの表現の展開も、私自身のあれやこれやの積み重ねの切れっ端の再生に過ぎないのだけれど。
気づけば3月。 あれやこれやと揺れ動き、さて、今年の誕生日はどんな気持ちが通過するだろうか。 少しだけ期待しながら、ひとまず2週間を通過させることに努力をするとしよう。
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