ふつうっぽい日記
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2013年02月19日(火) |
「待てる世代」の新年会 |
先週末、かなり、遅めの新年会が実施された。
年賀状に「新年会やります。また、知らせます」とコメントを書いてくれた高校時代の友人。
誰かと間違っているのではないの? なんて、ちょっとあまり期待をしていなかった(ごめんなさい)
有言実行の女性である。
2週間前くらいから、日にち決定と場所の確保。 総勢6名だった。 全員が同じクラスだった人ではなかった。 わたしがAとすると、BさんとCさん集団で構成されてあり、
● A+Cが1年次または2年次に同じクラスになったことがある ● B+Cが3年次に同じクラスだった
という感じで、わたしAとBさんとは同じクラスにはなったことがなかったりした。
博多駅のミスド前という場所で待ち合わせをしたのだけれど、Bさんとわたしは同じような気持ちで参加した、ということがわかった。
ともあれ、高校同窓、同年代の女性ばかり。 Cさん集団の中の一名O(オー)さんは、高校卒業以来の再会であった。 Oさんと3年生の時に一緒だったBさんとも高校卒業以来の再会だったらしい。 わたしとBさんはというと、同じクラスにはなったことはないけれど、共通の友人の結婚披露宴に同席したことが2、3回あったりするのだ。
ところで、Oさんは作業療法士として活躍している。訪問が中心らしい。 高校3年時、12月。 大学受験ではなく、急きょ、専門学校受験を決断して補欠合格した経緯なども聞いた。 部活は弓道部で、男子からも話しかけやすい対象で友人は多いだろうと思われた。 行動力があり、適応力も高い。 高校までに20回くらいご家族の仕事の関係で転勤による引っ越しを経験したのだそうだ。 なるほど、そういった子ども時代の経験の積み重ねも適応力につながっているのかもしれない。 仕事の現場は、一所に長く居続けるというよりは、目標を持ち、転々と場をかえ、経験を積んで実績を認めてもらいたいという考えに基づいて行動していて、今の現場は1年くらいと言っていたような記憶だ。 奇遇にもOさんの前の住まいが、現在のわたしのパート先に結構近かった。 現在は実家にも近めらしい。よく知った土地ということでもある。
40歳になったということも関係するのだろうか。 「実はさぁ」と、あれやこれやと少しずつそれぞれが自分自身や自分自身の周りのめくるめく近況を自然に語った。6人が一つの話題に語ることもあれば、3人と3人や2人が3セットになってみたりと組変わったりもしたけれど。 現代の子どもを取り巻く環境や、気質についての話題にもなった。 現代の子どもは、携帯メールの返信が10分以上待つことになると不安になるらしいとか、わたし達の時は相手に手紙が届くのに5日間くらい(もしかしたら、配達を間違って1日くらいずれるかもしれないとか思ったりして)それから相手からの返信となるとさらに5日間かなとか。 「ポケベル」や「ルーズソックス」の登場よりも前だったね、とか。
健康の話題もあった。それぞれの現在の心配事や過去となった不健康な状態のカミングアウト。その一つが「血尿」。 尿路結石。 生理とは違う、赤い尿。 一人は職場でその状況になり、驚いて職場の人に見せたらしい。 そして、別な一人は写メでカメラに収めたらしい。 その話題提供はわたしだったりする。 当時のわたしは、何人かの友人に後日談として話したのだけれど、男性の症例としてのイメージが強く、つまり身近ではなかったらしく、共感は厳しかったのだ。 今となって、同じ痛みを経験した声、しかも同じ女性という立場の共感的な声を共有することができて、再会の価値のようなものがわたしの中で広がらないわけにはいかなかった。
今回の会を企画し、とりまとめてくれた友人に今日手紙を書いた。 携帯メールという手もあったが、「待てる世代」としてあえてペンを取った。
楽しく頑張ろうと思えた週末だった。
2013年02月07日(木) |
騒がしさの向こう側へ |
わたしの任務というのは、常にバタバタしている場に振り回されることでもある。 「はいはい。お次は何でございましょうか。」と、 【ばあや】が【おぼっちゃま】の元に駆けつけるような感じ。
結果として、バタバタしている、騒然とした場の中で、冷静でいられる力が育まれるというか引き出されるというか伸ばすことができているのかもしれない。
以前、騒がしい教室に、ただそこに居続けるということに意味があると自分自身に言い聞かせながら漂い続けた時。 「よく、あなたはあの騒がしい場に居続けることができますね。私だったら、とてもじゃないけど耐えられない」と、呆れと尊敬が混じったような言葉をかけられたことがある。
いつも騒がしい場にいると、その場から逃避したいと思ってみたり、騒がしさの原因や犯人探しをして、特定の何かや誰かのせいにして責めたくもなる。 騒がしい場に冷静でいられた人と自分自身を比較して言い訳みたいなものをしたくもなる。 でも、それは通過点に過ぎない。 たんなる通過点として収めるためには、その先も関わり続けて、見守り、変化を見いだすことが必要。 これがなかなか難しい道のり。 その長い道のりを楽しめるのなら、とても幸せなことなのだろう。
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現在のパート先は、本年度から「特別支援学級」が開設された。 来年度は具体的な改革が計画されているという頼もしい話をちらりを聞けた。 よくあるのは、支援学級に在籍していて、通常学級に「交流」として通うスタイル。 「行ってきます」と支援学級の担任や支援学級同室在籍の友達に挨拶をして、通常学級に向けて移動するのだ。そして、 「ただいま戻りました」と支援学級の教室に帰ってくる。 通常学級では、 「失礼します」なんて言って入室させていただくような感じ。
ざっくりと聞いた来年度の方針は、特別な支援を受ける対象の子どもは通常学級に在籍して、必要に応じて支援学級の教室に出向くというスタイル。 「行ってきます」と言って、通常学級の教室から支援学級の教室に向けて移動する。そして、 「ただいま!」と通常学級の教室に戻ってくる。
実は、正直、来年度は別の学校を選びたい気持ちが濃くなっていた。 でも、ざっくりとだけれど、来年度の改革の話を聞いて、変化が計画されていることが伝えられて、そこに立ち会えるのならば関わってみたいという思いが強くなった。
自分自身もふくめて、人間というのは考え方が変わるものである、ということを実感した。
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