ふつうっぽい日記
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2013年01月18日(金) ちょっとしたあれやこれやを通過させる

「あれやこれや」となると、「ちょっと」じゃないとも言えるけれど。

ニュースではこれから4週間の間にインフルエンザが流行するとか。
こういったこと。
例えば教育施設。
教育施設では毎年恒例の時期のような感じで受け止められるのであろう。
ある程度のハウツー的、マニュアル化された手続きはあるはずだ。
例えば、それらの手続きを外部からの支援スタッフ(ボランティアやパート勤務者)にはわざわざ通達されないと思われる。

もしも、
「こっちは、こんなに忙しいのに。ちょっとは手伝ってくれてもいいのに」なんていう思いがマニュアル化された手続きを熟知している者の立場にあって抱くのならば、改善の余地はあるはずである。

インフルエンザに関しては別のエピソードが想起された。
インフルエンザと知っていて、通学させたという事案。
母子家庭であり、仕事が休めない切羽詰まった状況であったとも聞いた。
しかしである。
これは優先順位を間違っている。
だいたいが「仕事」、雇われて働いている立場というのは、そう簡単に休めないものである。
ではあるけれど、家族に関する、それも義務教育時期にある子どもやコントロールすべき特性と共存している者と暮らしている状況にあれば、突発的なそういったあれやこれやは起こりうることだ。

いろいろと違った場面のあれやこれやが今は渦巻いている状況であるので、ひとまずの括りもできない。

処方薬。
たとえば学校給食後に飲むように指示された薬。

複数の大人で育児している環境で、こういったエピソードを聞いた。
当事者はコントロールすべき特性を持っている。
ローテーションで主たる「担当」が替わる。
その「担当」以外の別のスタッフが送迎を担当している。
送迎担当者は、出先(たとえば学校)に連絡事項などがあれば伝える役目がある。
連絡事項を記載する帳面も存在するが、その帳面への記載者は「担当」でもなく、送迎担当者でもないこともあるらしい。
さて、問題として浮き彫りにされた状況。
それは当事者への処方薬。
送迎担当者が出先に
「今日は処方薬を飲むように」と伝えた。
そのとき、処方薬の所在の確認は現場ではまだ確認されていなかった。
「分かりました」と現場は反応する。
さて、その時間近く。
連絡事項が書かれた帳面に処方薬がテープで貼られてあった。
その処方薬を当事者に渡した。
すると、当事者はすでに処方薬を手に持っていた。
当事者は混乱して、おそらくは2回分であろう量の処方薬を飲まねばならないと思い込む。
テープで貼られていた処方薬を当事者に渡した現地スタッフが連絡事項が書かれた帳面を管理している者に確認したところ、送迎担当者及び「担当」または帳面記載者に問い合わせることになった。
2倍量を誤飲したとしても大事には至らないではあろうけれど、「薬」というのは慎重になるものだ。
結局、どうも、ダブって渡されたのではないか、ということになった。
当事者を支えるグループとして、組織としての共通理解がなされていなかったのだろう。

組織的に一当事者を支えるということの重要さと厳しさ、難しさ。
支え手が不足している組織であっても当事者の存在は継続される。


2013年01月13日(日) 「生活経済学」の学びから

といっても、まだ「生活経済学」の講義視聴は、始めたばかりである。
今月末には、単位認定試験が実施される。
課題提出はゆとりを持ってこなしたが、放送での講義は最近やっと手をつけたところだ。

今学期は、というか、本年度は、パート勤務ががっつり合計半年分。
振り返れば、前年度は5ヶ月くらいのパート勤務だった。
交替での勤務体制ゆえに、がっつり入った年度の次年度は緩やか、その次はがっつりという感じになるのは自然な流れ。そういう決まりにのった体制だ。

パート勤務を有意義に進めつつ、通信制大学での学習。
続くのか?と、少々不安も疑いもあったが、もう4年目か3年目かにさしかかる。
自分のペースで学べるということが、いかに今のわたしのリズムに都合がいいか。
パート勤務で得た収入を学費に充てられるという感謝すべき環境。

さて、今日視聴した「エンゲル」関連の内容。
テキストには書かれてない内容であるが、講師が「エンゲルはこう述べている」と話された言葉。

「小さい頃、関心をもったことは、ずっと関心を持ち続けるものだ」的な。
その関心は自分自身を解放できないとかそういう風な言葉もあっただろうか。
講師は小さい頃から、「お買い物に行きたい」といったことに関心を持っていたそうで、なるほど、今の自分に繋がっているとかそういったつぶやきをされてあった。
そのことを聞いて、わたし自身を振り返る。

母子関係。
家族関係。
その関係周辺を漂う違和感、つかまえにくい感情。

こう書くと、「小さい頃」こんな難しい内容に関心を持っていたのか?
嘘だろうと思うけれど、言葉を知らなかっただけで、ある程度、言葉を知った今となれば、そうなのだ。

3歳くらいの時だろうか。
わたしは母親が好んで育児をしているわけではないだ、と、見て思っていた。
悲しくも母親という役で「生まれてきてしまった」のだな、という理解だった。
このあたりは幼い発想だけれど、大人は生まれた時から大人で、子どもはずっと子どもとして人生を過ごしていくのだと思い込んでいた。
育児というのは一般的に苦痛や苦労が伴うもの。
それを知ったのはずいぶんと後になってからだった。
そういう小さい頃でありながらも、身近な人の表情からその身近な人がどう人生を受け入れて過ごしているのか?ということに関心を持っていた。関心に支配されていた、という方がしっくりきそうだ。
わたしは思った。
「この人(母親)は、子どもとして生まれてくればよかったのに」


「生活経済学」という科目は、パート勤務の領域である障害児支援に直接的な関係はないけれども、共通するのはわたし自身の存在である。一つの「脳」を通過させていく営みだ。


いろいろな学びに触れて、本質的なメッセージを取り込んで、自分自身の中にあるものを自分自身で引き出していきたい。


KAZU |MAIL