ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2011年05月31日(火) 「気になった箱の中身」

もしも、我が子が人様の子にケガをさせたら。
例えば、骨折させたら。

保護者として相手の自宅に出向き、謝罪をするというのは一般的だと思われる。
この出来事を後日、何ヶ月か経ってから、子ども同士で語られることもあるのだ。

ケガをさせたA君。
ケガをしたB君。

B君が語った。
「ボク、A君から滑り台の上から落とされてケガをしたことがある」

A君は「ああ、あの時ね。B君が血を流して入院した時だね。」などと言う。

聞いていた私は驚く。

B君は「入院はしてないよ…骨折だったけど…
その時に、A君のお母ちゃんが箱を持って謝りに来たんだよね」

A君は「その箱には何が入っていたの?」とB君に尋ねた。

私は「もう、いいじゃないの(済んだ出来事)」と反応するしかなかった。

A君は「だって、ボクはその箱の中身を知らないんだから、聞くしかないじゃないか」と言って、B君に答えるように迫る。

B君は少し間を取ってから、「クッキーが入っていた」と答えたのだった。



ーーー
A君はいわゆる「ボーダー」よりも低いIQとの診断だそうだ。
そして、感情のコントロールの課題を抱えている。
「怒り」の表出に特徴がある。

例えばこういうことがあった。

C君は気分が変容しやすい特性がある。
だいたいC君の特性を知っている人は、C君が機嫌が悪そうな表情をしていると、あえて関わらずにそっとしておく。落ち着くまで穏やかに無視をするのだ。
しかし、A君はC君の特性について理解が出来にくい。
A君は機嫌の悪そうな表情をしているC君に、「C君、ごめんね」と、突然謝ったのだ。
特にA君は何も悪いことをしていないのに、である。
A君なりにC君の表情が「怒っている」と見えて、自分が悪いことをしたのではないか、または何かに対して腹が立っているのではないか、と考えたのだと思う。

予測不可能ないろいろな出来事や人の行動に対して、どうとらえたらいいか、受け止めたらいいのかについての「不安」、「恐怖」があるのかもしれない。

A君は例えば、パソコンでゲームをするとき、新しいゲームに対する関心もあるが、どうやったら先に進めるのかなどが分からなくなると激しく怒り、パソコンの電源を激しく落とす。
周りの子達がマイペースで進めていることが悔しくなり、邪魔をしたり、焦らせたりする。
周りの子達は決して納得して進めているという訳ではないのだ。
よく分かってないことがほとんどである。
強くこだわっていない。
すぐにゲームオーバーになろうがただくり返す、それだけでも満たされているのだ。


ーーー
特別支援学級の定員は8名。
学年は様々。
障がいも様々。

通常学級の子ども達は、少しずつ関わる中で、支援学級の子ども達の特性を理解していく。
はっきりとは言えないけど、「違い」が分かって、優しく関わることを学ぶ。
支援学級の子達の感情の激しさの傾向についてもなんとなく感じ取っていって、出来れば機嫌を悪くしないようにしたい、という気持ちを持てるようになっていく。
「ボクがする!」という主張があれば、楽しいオモチャであっても、答えが分かりやすいパズルやゲームでも答えを教えることをせずにヒントを出してみようかな、なんてことを考える様になっていく。出来た時の喜び、正解だったときの嬉しさの表現が支援学級の子達はとても豊かである。
その感情の豊かな雰囲気は、近くで見守る人たち、子どもであれ、大人であれ、癒しに包まれる。(気がする)

課題(障がい)を抱える子に関わる周りの人たちの心は、課題を抱える子達の存在によって確実に優しく育つ。優しさを引き出してくれる、ともいえる。
課題を抱える子達の心に、純粋な優しさがあるからである。
感情のコントロールに向き合うことに必死な子にも必ず優しさがある。

何度も何度も「怒り」と接する中でも、その優しさの存在を忘れないことを肝に銘じたい。
君たちの存在が、私の存在を実感させてくれるのだから。



ーーーー

ベテランの大人の皆さん。
あなたにもし子どもがいるのなら…
あなたの子どもの存在からあなた自身の存在価値をあなた自身が認めて下さい。
あなたに憎しみや恨みやコンプレックスを与えるためにあなたの子どもはこの世に生まれてきたのではないのですよ。
あなたの子ども達は、あなたという存在がたしかなものだ、という確実な証拠です。

あなたよ、善く、生きて下さい。

子どものいないあなた…。
あなたの存在がどれほどの純粋な人たち、子ども達の心を温めるでしょう。
ただあなたがいるだけで微笑み返してくれる無邪気なただすれ違っただけの子どもの心に気づけた時の幸せ。

あなたよ、善く、生きて下さい。




2011年05月28日(土) 「弱いところを強くしていく」

約一年前に「君の弱いところをこれから強くしていこうと考えているがいいかね」との【精神】関連の専門家の提案で私は自分と向き合うこととなった。


私は心の中で「何をどうやってこのセンセイは進めていくのか?」と関心を持っていた。
「こうやって進めていくんだな」というのを意識できるものだと思っていた。

あっぱれである。
何がそうだというのか。

その「治療」というか「療法」というのは半年程度で「卒業」となる訳だが、今となってようやく「そうやって進めていったのか!」と思われることがなんとなく繋がったような感覚である。

やはり、私は一年前はたしかに弱かったのであり、そして、今、強くなったのだと思うことができる。


センセイは「書いてきなさい」とあるお題(課題)を出してきた。
私が「学生」であることを知っていたセンセイ。
さらには、私は教育現場で障がい児の支援に関わっているということを何気なく語り、センセイはとくに身を乗り出すような仕草を見せず聞き流していた(ように見えたが、やはり、プロファイリング的な重要な要素としていたはずである)

そして、「書く」という作業自体はおそらく苦痛ではないだろう、という予想があったはずである。

今思えば、そのお題(課題)への書く内容というのは「正解がないもの」なのである。
よって、「ふつう」っぽい思考力があるのならば、「否定」されるとか「まるでこきおろされているかのような」反応であった場合、なんだかの自分の主張やそもそも問題が曖昧なものであったことなどを冷静にふり返って、折り合いをつけるようにその場を持って行けるのだと思われる。
「○○についてレポートを書け」のような、はっきりとした課題ではなかった。
書く形式も「自由」だった。

私は「図解」的な感じで「課題」に挑んでいた。
「ふむふむ。なるほどなるほど。そうかいそうかい。」といった反応を予想していたと思われる。
今となっては分からない。

センセイは「そうじゃない!…私が書いて欲しかったのはそういうことじゃなくて…」と、要求を突きつけてきたのだった。私は簡単に不愉快な気持ちが掻き出されて、口をへの字にしてセンセイを睨みつけた…と記憶している。
心の中で「もう一度課題を出されても二度と書くものか!せっかく書いたのに!ひどい!」と思っていたことを覚えている。

センセイは私からその感情を出させることを狙っていたのだ。

「こきおろされること」「否定されること」に対しての耐性、コントロール。

つまり、それが私の「弱さ」であり、乗り越えて得られることは「強さ」と繋がるのだ。


私の認識だが、その手の(カウンセリング的な、精神分析的な)治療では、患者から「すっかり治りました」といった言葉をしっかり聴くまで見届けるのはおそらく専門家の仕事ではないのだ。


ーーー






2011年05月20日(金) 下手くそに投げる

「下手くそに投げる」
何を投げるのか。
誰が投げるのか。


ダウン症のA君のエピソード。
紫色の直径2センチくらいの組紐をA君は首に巻いていた。

何をする気か?!
大人な私たちは思う。
「危ないなぁ…」

A君はそれでゆったりながらも不器用ながらも、手品(マジック)を披露した。A君は得意げである。
私の腕も協力して、披露成功。
A君はさらに得意げになった。

そして、A君は走った。
待って待って〜。
ん?
ケラケラと笑い声は事務室から聞こえた。
事務室の職員の前で手品の披露である。
しかし、何をやろうとしているのか解説が必要である。
そこで、私が解説。
「手品です」
職員は素敵な反応をしてくださり、ますますA君はご機嫌。
自信をつけたA君はさらに走り移動する。

待って待って〜。
職員室だ。
管理職2名が在室。
A君の披露開始。
管理職は無反応。
というか、困惑気味。
「事務室でも披露して調子に乗ってます〜。一応手品のつもりです。ハイ。」

第一声はこうだった。
管理職A
「見事な組紐だ…」
管理職B
「水に濡れたら色が出そうだ…」

妥協的な拍手をする管理職ら。
もうちょっと乗ってくれ〜と言いたかった。
一応、A君は満足。
「練習!」と言ったと思ったら、2階の講堂付近に移動して、Tシャツを脱ぎ、タンクトップ姿でA君なりにトレーニング。

しかし、手品の練習ではなく…。
組紐は「鞭」に変化。
そして、私は犠牲になる。
「痛いからそれはダメです」
A君は拒絶されたと思い、「あっちへ行け!」と威嚇してくる。

ひとまず距離を置く。
どうにかして紐からA君と分離させたいと私は考えていた。
「鞭」として振り回されると私の他にも犠牲者が出る。

しばらくすると、「先生?」という声。
「来て来て」という。
そして素早く隠れる。
が、丸見えである。
A君は顔を手で覆っている。
私は、「A君どこかなぁ〜いないなぁ〜」と探すふり。
3,4分くらい。
そして、「見つけた!」と声をかけると、キャっキャと笑うA君。
そして、「来て来て」と階段へ。
二階から一階へ紐を落とすので一階に移動して紐をキャッチしろと指令である。
キャッチ成功。(分離のチャンス到来である)

A君は私がキャッチしたのを確認して拍手するが、二階へ投げ返せと要求。

そこでである。
私は紐を下手くそに投げた。
わざと落下させた。

そして、「A君、教室で待ってるからね」と言ってみた。
賭けである。
A君の怒りが高まる可能性は大である。

怒りの可能性としては「オレの紐を返せ!」と殴り蹴りかかる行動である。
思い通りにいかないときに暴力的に主張してくることがあるのだ。

ところが「ハーイ」と返事が来たのである。
分離大成功である。
嬉しい裏切りである。

私は紐を持って、A君の教室に向かう。
その途中で、別の教室から脱走してきたと思われるB君と遭遇。
その場所はA君の教室への通り道であるため、B君に声掛けを実施。
座り込んでB君と話しかけているところへ、A君が来た。
自然に紐をA君に渡して、A君も巻き込み、「B君が教室で勉強したくないって言ってるんだよ。困ったねぇ」と腕組みしてみせた。
A君は首を傾げながらB君を覗き込み、私と同じように腕組みをして困った顔をしたのだった。



ーーー

B君の言い分のエピソード。
「勉強が分からないから面白くない。だからめんどくさい。だからずっと遊びたい。学校でも家でも遊びたい。」


「教室で授業を受けたら勉強が分かるから楽しくなるよ」と言ってみた。

「楽しいわけがない」と言った。

「やってみたら楽しいかもしれないよ。問題が簡単で時間が余ったら、本読んでいいですか?って先生に聞いたらいいよって言うかもしれないよ」と言ってみた。

B君は昼休み、上級生から「悪いことするな!上級生にそんな口のききかたするな!」と囲まれ、厳しい先生から叱られたような表情になっていた。
上級生の注意は妥当だと思われ、上級生には「さすが先輩だね。ありがとう。」と声をかけておいた。

そうやって、子ども社会での上下関係から学び、成長することもあるのだろう。


2011年05月12日(木) A君もB君も勉強したいと思っている

こういう時にこういう叱責ってありだろうか。
少々、誇張した表現で再現してみる。


A君は特別支援学級で学んでいる。
B君は通常学級で学んでいる。
ともに同学年。
去年はA君は通常学級に在籍していた。
進級するときに、クラス替えがあった。


A君の教室は、B君の教室の真下。
B君の席は教室の後ろ側でドアの近く。
B君は教室を飛び出すことが目立つ。

掃除の時間。
A君は廊下でほうきを持ってふざけていた。
そこへ通りがかったC先生。

「今は、何の時間ですか!?
何をしているんですか!
掃除の時間でしょう?!
A君は何をしに学校に来ているんですか!?
B君はちゃんと出来る子だったのに、どうしてだろう、おかしいなって思っていた。
昨日も今日もA君はB君と一緒になって暴れて!
学校は勉強するところです。
仲良しになって友達になることはいいことです。
でも、暴れるのはやめてもらえるかな?!」


ーーーーー

A君はたしかにB君と遊ぶことが多いが、授業時間中は集中したい気持ちを純粋に持つことがあり、不意に接近してくるB君のことが気になって邪魔されたくないから、という理由でカギを閉めたりカーテンを閉めたりする。
苦手な(したくない)活動の時は、B君の接近を歓迎して二人して逃避する。

B君は「先生は知りません。勉強したくない人は出て行って下さい」と担任の先生に言われたといって、教室に戻るように促しても行動に移さない。
「教室に入ると怒られるから入れない。」

B君は教室に居場所がなくて、仕方なくA君のいる場所に接近するのだ。

それでも一日中、二人がつるんでいるという訳ではない。
たとえば図書室に行くなど移動教室のときにふらっと列を離れてしまったり、身体測定等個人差がある活動で、バラバラと教室に戻る時、戻ってきてから何をしたらいいのか手持ちぶさたになり、ふらりと出てしまう様子。

C先生はB君の飛び出しがA君の誘いが原因だと思い込んでおられる。

お互い様である。

であるが、それにしても怒って言えば伝わる次元の話ではない。
たしかに怒れば無口になりシュンとなる。
だからといって、すぐにその行動が改善されることはおそらくない。

とても不思議に映ることとしては、支援学級に在籍しているのだから、特別な配慮でもって関わらないと伝わりにくい、というのが分からないのか?と。
少し離れた場所から見る私としては大きな疑問。

おそらく、C先生は課題を抱える子のそのような行動を見ると同じように叱責するのだと思われる。C先生が笑顔で子どもと関わっている姿はあまり見たことがなく、声を荒げて叱責しているイメージが強い。
まぁ、イメージで語るのは偏見とも言えるかも知れないが。

一方で、諭すように、気づかせるように、心をつかみながら対話する先生もおられる。

A君の医学的診断等については一支援員である私には分からないことではある。
が、自尊心が危うい状態にあることは見ていて分かる。

何かがあると巻き込まれやすい位置にA君がいることが多いし、実際に「指導」されることは多い。A君本人は「暴れていたから怒られた。」と分かっている。
「昨日、怒られていたやん?」と言ってしまうが、それでもその時は、どうしてもそのことをしたい衝動が止められず、制する手を激しく払いのけて実行に移してしまう。

A君にとって「新しい周囲の大人」である私は、甘えるような様子を見せながら「試す」ことをやっている。「どこまで許してくれるのか」

A君はこう言った。少々ニタニタと笑いながら、
「先生は楽しいから好き。あまり怒らんし。今日怒られたけどたったの一回だもん。たったの一回だよ。だって、ボクが暴れていたんだもん」

私はこう言う。「先生だって、しちゃいけないことをやっていると怒ります。」


特記事項としては、A君は母親との関係で緊張している。
担任の話では、別人のようであるらしい。
よって、学校では反動で動きが出ているのではないかと。
そして、母親に依存できない分、甘えたいのではないかと。

指しゃぶりをすることが最近目立つ。
幼いというのもあるが、ストレスもあるかもしれない。

指しゃぶりをしてA君が私にまとわりついてきたときは、私はあえて母親のようにA君を包み込むようにしている。


ーーー
特定の学年のA君、 B君に限らず、おそらく全学年を通してA君、B君のような子は存在する。

担任の守備範囲が広ければ目立たない。


明日も元気な可愛らしい笑顔のA君に会えることを励みにしたい。
負けるなA君、B君。
そして、私。


2011年05月11日(水) 3行「記録」の練習

ある施設での日誌について。
Aさんはこれまでに1日1頁、関わった人たちのことや自分のことなどを書いてきた。
Aさんにとってはそれが「ふつう」だった。

ところが、同じ施設で担当が替わってから、「日誌は1週間で1頁ペースの簡単なもので構いませんから。細かく書かずにトピックだけでいいです。」と指摘を受けたのだった。




試しに挑戦。

・A君、Bさんに謝る
・A君、「集中するためだから」と窓を閉めた
・A君、水ホースで遊ぶ

ーーーー


3行って記録なのか?




ーーーー

だったら、お前がお手本見せてみろよ!
なんて言いたくもなる。

いかんいかん。
大人げない。
冷静に冷静に。


めげずに、再度挑戦。


ーーーー
A君の間違ってBさんの鉛筆を持っていた→Bさん号泣→A君、非を認めず言い争い→Bさんと支援者が活動中にA君、Bさんの鉛筆を返す→A君、Bさん仲直り
A君窓やカーテンを閉め始める→理由「集中できないから」
A君は水ホースで遊ぶのに集中していた


ーーーー
箇条書き版
○間違って他の子の物を持っていたA君、言い争うも後にちゃんと返して和解
○自分が集中できるための環境を整えようと努力していた
○水、土、など感覚を刺激するような行動を優先する傾向



ーーーー

いわゆる管理職というのは、「現場」から遠い。
その管理職がリーダーである「支援員システム」
支援員は「現場」の中でもかなりの動きがある場に投入される。
そこでの試行錯誤、奮闘、思いは管理職は知らなくていいのだろうか。
というか、知りたいと思わないのだろうか。
知らされたらその内容に責任を取らねばならないから不都合なのか。
知らせたいと思う支援員の思いは厚かましいのだろうか。

煮え切らない思いが盛り上がる。

その「思い」に支配されないためには、「思い」を抱くことから解放されねばならない。
いや、「思い」を抱くこと自体は大切な過程のはずだ。
盛り上がった「思い」をプラスに転じる手立てを考えよう。

マイ支援を忘れないようにせねば。
日々、向上。
戸惑うのは当たり前。

コンプレックスになりがちな文章を書く、という作業。
「簡単に書く」ということは、長文化された文章を否定されたということではない。
箇条書きでも充分に伝わる表現が出来る、ということ。
そして、ちゃんと「想像」ができる、ということ。
箇条書きにすると2つくらいのことを、それぞれを細かく描写していけるのだから、箇条書きをたくさん並べることで多くの情報やエッセンスを伝えることが出来る。

なるほど、先生。
さすが、先生。

日々学習。
日々不悟。


明日も笑顔で、自己成長!



ーーー

そういえば思い出す。
今日のB君の言葉。
「先生を見ると、C君のことを思い出す。C君は転校しちゃったんだ」

B君、ありがとう。
今日は、たしかに嬉しいこともあった。
先生、頑張るよ。
君たち、子どもの味方として。


2011年05月10日(火) 支援員勤務始まる

いただいた名札は「特別教育支援員」…

正解は「特別支援教育支援員」なのだが…

教務主任の先生あたりに「あ!今気づきました!」と近いうちに言ってみようと思うが忘れそうだ。

「特別教育」と「特別支援教育」は、やっぱり違う違う。
言わねば。
というか、「特別教育」って何だ?!



【子どもの言葉】

A君「先生、もしかしてスパイ?」
B君「ボクは違うと思う。だって、スパイだったら教室に戻れとか絶対言うはずやもん」



水ホース遊びに夢中。しかし、捕まえた虫も気になる。
捕まえた虫を別の誰かが奪い取ろうとしていたその時に。
支援員「水か虫、どっちか選びなさい!」
B君「…水!」
☆私としては、水ホース遊びを止めさせたかった…
まぁ、いいとする。
選べたB君に拍手だ。
この2択手法によって、私はのちに試されることになる。


ーーーー


天気は雨とあって、外への飛び出しは控えめではあったけれど、彼らの動きは容赦ない。
でも、彼らは教室から見える場所で「活動」(時間割にはない)してくれるので目が行き届きやすい。今日は、私はあえて外に出なかった。
もし、出ていたら、外への飛び出しが公認&強化されてしまう可能性がある(誤学習)

私が彼らの「誘い」に乗らなくても、かんしゃくをおこしたり、パニックになるということはなかった。
集中タイムに入る前に有り余るエネルギーの発散処理をしようと彼らなりに奮闘しているのだ、と考えることにする。

今日は昨日よりもいいところがたくさん見ること(感じること)ができた気がした。

何よりも彼らの笑顔が素敵だった。
土を投げられた不快な一瞬も吹き飛ぶ。



<エピソード1>

学校設備や園芸領域のボランティアをかれこれ13年されてある方がおられる。子ども達からすると「おじいちゃん」的年齢層。

私が職員室に入室すると、そのボランティアさんと教務主任が語ってあり、ボランティアさんが憤ってぼやいておられた。

「水撒きホースをせっかく週末にきれいに巻いていたのに、悪そうするやつがおる。昨日見たら、大変なことになっとった。どこの誰じゃろう?!犯人を突き止めないといかん!」

私は言った。
「A君とB君が遊んでいました」

教務「A君、B君か…
あいつらは、学校でも今、注目の存在やけんね。すぐに止めろって言っても、難しい。」

支援員「しばらく、時間がかかると思います」

ボランティアさん「13年間、子ども達を見ているけど、たしかに毎年、絶対、悪そうをする子はおるもんやけんね。そげん子なら、それでよかたい。
まだ、学校の外に出て行かんだけいいけんね。学校の外に出られたら、そらぁ、大変たい」



このやりとりは私の中では極めて重要な位置づけ。
ボランティアさん、よくぞ、私の入室タイミングでこの話題をしてくださった。
この話題については支援員日誌に書かせていただいた。

こういった理解があるのとないのとではこの後の展開が大きく変わる。
子どもの自尊心に関わる。
もしも、ボランティアさんが水ホース遊びの現場に関わったとして、頭ごなしに叱るか、ちょっと温かく見守って諭すように声をかけるか。
ボランティアさんの温かい言葉が嬉しい。





<エピソード2>

A君:先生、おんぶして。
どうして、女の人は、おっぱいが膨らんでいるの?

支援員:それは、女の人だからです。(いたって冷静に。しかし、実際、リズミカルに胸部は揉まれるのであった…)

A君:先生が裸になるか、腕時計を渡すかどっちか選んで。(エヘヘと笑っている)

支援員:それは違うと思います(いたって冷静に)
先生はA君を信じているからそれは違うと思っています。
A君がいい子ということを先生は知っています。

A君:昼休み、約束だからね。





子ども支援に関わる中で、子どもからの素朴な質問は毎回バリエーションがあり、その度毎に「試されているなぁ」と実感する。
若い女性だったら、「キャー!」なんて黄色い声を出すのだろうか。
などと余計な想像もついてくるが、私は私で冷静に対応できた自分に自己成長を感じるのである。

質問されて分からないことだってあるが、その時はその時で素直にそう伝えれば必ずわかってくれるはずだ。
と、私は信じたいと考える。



【嬉しかったこと】
給食時間、管理職に混じり職員室で食べていたら、A君が一緒に食べたいと誘いに来たので、A君の交流学級教室に食べかけの給食を持って出向く。
周りの子達からも支援員の存在は大歓迎で、担任の先生のススメで自己紹介を実施。

「みんなの先生です。A君のお世話もしています。」
で、納得していた。
A君はとてもご機嫌。

お気に入りの先生として、認識が深められたと確信出来てから、「使える」ワザとしては…
例えば「約束」を守れなかったときの「罰」として、遊ぶ時間を短くする。
例えばよろしくない行動に立ち会ってしまったとき、「先生は悲しい気持ちがするからもう学校に行きたくないです」と賭けに出て、「分かったけん、もうせんけん。お願いだからまた来てー」と言わせるように仕向けるなど。

ーーーー

今日は、「約束」を意識しながらA君は結構、努力していた。
昼休みに私の腕時計(A君にとっては魅力的に映るらしい)を触ってもいい(持ち歩く)ことを許可することをチラつかせ、「約束」に対してへこたれそうになる時に声掛け。「約束」を100%こなすことは目標にはできない。
A君は何度も「昼休み、貸してね。お願いよ」と念を押す。
この行動は、「信頼」を試している。
疑っているわけではない。
揺らぐ「信頼」と子どもは闘っているともいえる。

例えば、親の離婚を経験した子、家庭に事情を抱えている子。
複雑な環境で育っている子にとっては、切実な課題である。



話を戻す。
昼休みの約束は、何人かの大人が見守る中、実施された。
得意げに細い腕を出し、カッコイイ腕時計を装着される姿。
「約束を守ったら腕時計を昼休み貸してやろうって約束したもんね」と私はつぶやきながら。
すると、何人かの見守っていた大人が「あら〜よかったね〜」と声掛け。
さらに得意げになるA君。
腕時計を大切に扱わない訳がない(と、私は信じることが試される)

「昼休みが終わったら返しに来ること」という約束は忘れられた。
まぁ、良しとする。
A君なりのこだわりの方法で割とソフト*に返却してくれた。(*床に転がす)ぶつけられる様に投げて返却されるのではないか、という予想もあった。嬉しい裏切りである。


たった2日間での出来事。
いかに子どもと関わることが、人生に奥行きを与えてくれるかと、しみじみ思える幸せ。
といって、これは子育て経験がないことへの悲観的な想いを埋めているという意味ではない。
環境としての大人であることの幸せという意味である。

明日も頑張ろう。
楽しもう。


2011年05月08日(日) 「おむすびころりんは砂場ですればいい」

初舞台はいつだっただろう。

ステージにあがり、観客の前で芸を披露する、というのは幼稚園のお遊戯会がその初めであることが多いと思われる。

冷静になると、極めてすごいことである。
「見せ物」として自分を捧げるのであるから。

高校時代の友人は「赤面症」だった。
発表の時もやや顔が赤くなっていて、辛そうだったことを思い出す。


ーーーー

3年前くらいの話。
1年生のA君は突然言った。

「ボク、思いついたんだけど、おむすびころりんは砂場ですればいいんだよ」


たしか学習発表会で国語の教科書にも載っていた「おむすびころりん」の劇をすることが決まったくらいの頃だと思う。

劇といっても、教科書に載っている文章を暗記して、一人または複数で分担した部分を動作をつけながら体育館のステージ上で読むくらいだったと思う。
残念ながら私は彼らの「舞台」は観ていない。

A君の想像力は素晴らしかった。
とてもリアルだった。
日常生活での会話も大人と話しているかのようだった。

当時、私はボランティアで障がい児や見守りが必要な子ども達のサポートをしていた。
A君は私が学級担任のように授業をしないことをいち早く素直な疑問として突きつけてきて、「ボランティアなんだよ」と言えば、「生活大丈夫なの?!ボクはそれが心配だよ」と切り返してくるような子だった。
若干7歳。

「大人びている」とか「子どもらしくない」とか周りの「大人達」はA君へ違和感を抱いていて、対等に会話を成立させていくことにやや疲れていたように映った。
という私も、初めは正直面食らったものだ。
大人だけではなく周りの子ども達もA君への関わりに少々困惑していた。

私はA君の見守りが中心だった時期があり、へこたれそうになりつつも「A君の世界の住人になろう」と努力した。その努力は、苦痛は伴わなかった。
「何を考えているのか分からない」のではなく、あまりにも素直すぎて純粋すぎて素朴すぎて可愛すぎて愛すべき存在であることに気づいた時はA君の「とりこ」になっていた。

A君から「先生、結婚しようよ」と言われた時は、私の存在が認められた!と、幸せな気持ちだった。その過程で、私は周りの子達や「大人」に対して「通訳」のようなことをしていた。

厄介な、手のかかる「あの子」「あいつ」と呼ばれていたA君。
担任の先生も、A君の個性に振り回されながらも理解しようと努力していた。
通常学級での外部からの支援者というのは、担任との連携が求められる。

担任の指導力が問題なのではなく、可能性に満ち満ちた子ども達の成長を見守る目は多い方がいいのだ。特に、「障がい」という課題を抱える子、「特性」のある子は、担任が見ていないようなところで素晴らしい才能を放っていることも多い。
いや、担任から見えているのが子どもの「障がい」や「特性」としか映らない時期があるため見落としてしまうことがあるに過ぎないのかもしれない。

担任の先生から「あいつの笑顔を活かしてやりたい」と熱い思いを支援者としての私が聴いたとき、一つ任務を終えたような感覚を持ったことを思い出した。

といって、私に何か特別な力があるということではない。

一歩引いた立場から、全体を見ると見えてくるもの、気づかされることが多く、同じ立ち位置に担任の先生が立てば教育的専門的技術面での要領のいいアプローチが期待できるのだ。
そう考えるので、いわゆる「加配」教員がクラスに1名付けられたら、「支援員」の役目は不要になるのではないか?とも思うのである。



ーーー

「おむすび」はコロコロ転がる。

転がる面は「地面」。
アスファルトでもなく、木で作られた舞台でもなく、自然が作った土の道。

私はA君の感性を忘れないだろう。


そして、思い出す。
あたしが「舞台」で「役者」として演じていた若き時代を。


2011年05月07日(土) 「母」

明日は「母の日」。

2人の「母」エピソード。


Aさんは、一人娘を出産。
出産時に、義母が寄り添っていた。
義母は言った。
「あら。女の子なの。男の子じゃないのね。」
Aさんはその時に誓ったという。
「もう、私は子どもを産まない」
Aさんは義母にこう言って欲しかったという。
「よく頑張ったね。おめでとう。」


Bさんは、一人目を出産。
出産後、Bさんは涙が出た。
その涙の理由は「夫は男の子を希望していたのにその願いを叶えてあげることが私はできなかったから。申し訳なくて。」
Bさんは二人目も女児を出産した。
Bさんの娘さんはこう言って欲しかったという。
「生まれてきてくれてありがとう。」


ーーー
AさんとBさんの「心」の形は少し似ていると思われた。



あたしは、子育て経験のある女性は皆「肝っ玉母ちゃん」的で温かい心を持った人なのだと思い込んでいた時期があった。

いま思えば、なんともちっぽけで恥ずかしい。

「思い込み」というのは「固定観念」とも置き換えられるだろうか。
人間というのは誰でも何だかの「固定観念」に縛られている。
無意識にそうであることも多い。

しかし、有意義に人生の発達課題と対峙する時が来ると、受容できると、「固定観念」から解放されていき生きやすくなっていく。


許すことを知ること。
比べないことを知ること。
自分を愛すること。



ーーーー

あたしは中学時代、同じクラスの男子と文通をしていた。
その内容で思い出したことがある。

「私の母は、人と私を比べます。辛くて悩んでいます。
あなたはどう思いますか。」

そこには「恋愛」的な甘いテーマはほとんどない。
文通相手の彼は戸惑ったことだろう。
しかし、真面目な彼は彼なりに慎重に言葉を選んで返事をしてくれたものだった。



ーーーー

あたしは高校時代に付き合っていた彼を自宅に連れてきたことがある。
母と彼とあたしでトランプか何かで遊んだ。
あたしがトイレに離席して戻った時に、彼と母が笑顔で喋っている姿を見て、嫉妬して、彼を殴った。
当然、母は「どうしてそんなことをするの!」とあたしを叱った。

思春期の子どもの心、どうか母である、貴女、察してください。

思春期の子どもの内部ではさまざまなドロドロしたものが渦巻いています。
その扱いに子どもも分からなくて苦しいのです。
しかし、その時期は限定されています。
10年も20年も続きません。
「もう、お母さんは知りません!」と言って、逆ギレせずに居続けることは親にとってはとても辛いことだと思います。
でも、親であり、人間である、貴女の人間性が試され、成長する機会でもあるのです。
逃げてはいけません。
母親である貴女の幼少時代や、思春期時代の苦い過去や気持ちが掻き出されるからといって、逃げたままでは、貴女を親だと信じて育つ子どもの心は傷つくばかりです。

子どもは心の傷つきを隠すのが上手です。
その努力は「頑張り屋さん」「我慢強さ」として強化されていくからです。
褒められているように感じられるからです。


「小さなことでくよくよ悩む」
「劣等感を持つ」
「悲観的だ」

占いとか診断とかでその傾向があると何度も出ると、「私はそういう人」と思い込んでいきます。
そうではない結果になると、これは信頼できない結果、なんていうことまで思ってしまう。
「小さなことでくよくよ悩んでこそ私!」
「劣等感を持つ私でなきゃ私じゃない!」
「悲観的であるのが私!」

なんと切ないことだろう。

本当は小さなことでくよくよ悩みたくないくせに。
劣等感から解放されたいくせに。



ーーーー

子どもは親の背中を本当に見ています。
そしてよりよく生きたいと思っています。


大人は学び続けるものです。
学ぶことを子ども達よりも賢く知っているからこそ。


2011年05月06日(金) 「逆境が人格を作る。」

「逆境が人格を作る。」というのはロシアの小説家トルストイの名言。
昨日、ラジオを聴いていると耳に入ってきた。

短い表現の中で、たしかにそうかもしれないと思えた。
そして、この言葉の価値のようなものを知っているのと知らないのとでは、出来事の受け止め方が変わってくる気がする。
「知っている」とか「知らない」という表現を使ったが、適切ではなかったと後から思った。
自分自身をふり返ることができるかできないかとか自分と対話する意味とかありがたみが分かるか分からないかといった、自分の感覚に近い。

ピンチはチャンスとか、苦悩の経験から学ぶことが大きいとか、似ているような言葉は結構ある。
まぁ、だからこそ時々、しばしば、立ち止まり冷静になることが必要だ、ということかなと思う。

「逆境」とはどういう意味か。

苦労の多い境遇。不運な境遇。「―にめげない」(大辞泉)


「苦労の多い境遇」「不運な境遇」はどうして引き起こされるのか。
起こるべくして起こったことであり、一個人誰かの陰謀によって他の一個人が陥れられたのではない。起こったことは仕方のないことである。

何度も何度も「苦労の多い境遇」「不運な境遇」が試してくるような感覚を持つこともある。
「どうして私だけ」
「どうしてあなたも私にそういうことを言ってくるのか」
「誰も私を認めてくれない」
「誰も私にその方法を教えてくれないから私なりの方法でしているだけなのに認めてくれない」



「人格」とはどういう意味か。

1独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。「相手の―を尊重する」「―を疑われるような行為」
すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・―ともに備わった人物」
2 心理学で、個人に独自の行動傾向をあらわす統一的全体。性格とほぼ同義だが、知能的面を含んだ広義の概念。パーソナリティー。「―形成」「二重―」
3 倫理学で、自律的行為の主体として、自由意志を持った個人。
4 法律上の行為をなす主体。権利を有し、義務を負う資格のある者。
(大辞泉)


「逆境が人格を作る。」


「苦労の多い境遇」「不運な境遇」が「その人固有の、人間としてのありかた」「パーソナリティー」「自由意志を持った個人」「義務を負う資格のある者」を作る。


なかなか、たしかに、前向きな表現である。
自己成長のチャンスといえそうだ。

ここであるエピソードを思い出す。


ーーー
ある施設でインフルエンザや流行性の風邪が蔓延していた。
そこで働くスタッフもそれぞれで体調管理をするが、免疫の具合はそれぞれであり、欠勤せざるをえないこともありうる。
AさんはBさんの補助的な位置づけで関わっていた。
補助的であるので、Bさん一人でも業務は進められるがAさんのサポートで業務の効率は上がる。


Aさんは明らかに欠勤対象であった。
しかし、Aさんは「私がしなければ!」と強い使命感で現場に入る。
Bさんは非常に恐縮していた。


ーーー
健常児も混在する教育施設で障がい児Cさんの介助サポート任務でボランティアとして入っていたAさん。障がい児の指導者であるBさんにこう語った。

施設外で健常児親子に遭遇した。
親としては、わが子が誰に反応しているのか疑問に思う。
そこで簡単に自己紹介をした。
「指導者Bさんの補助をさせていただいているAです」


ーーー

健常児も混在する教育施設で障がい児Cさんの介助サポート任務でボランティアとして入っていたAさん。施設長であるBさんにこう語った。

わが子が通う学校職員に、わが子が母親は教育施設に勤務していることを話題にしていた。
後日わが子が通う学校職員から「あなたは指導者だそうですね。お子さんから聞きました。」と言われて困った。


ーーー

「逆境」を「逆境」として意味づけ浸透させることがどの程度出来ているのかについて、他者に確認することは出来ない。
まして、その意味について一方的に熱く語り悟らせるような言葉を他者に発することは慎重になる。

しかし、言葉を変え、場所を変え、人を変え、「気付き」を与えるために何度でも何度でも試される機会があるのだ。


謝罪や反省の「言葉」も純粋な表情を伴って、行動に一貫性がないと伝わりにくい。


ーーー
ドリカム(Dreams Come True)の『何度でも』という歌詞を抜粋。


「こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?
誰かや何かに怒っても 出口はないなら
何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ」


自分の内面から湧き起こる「怒り」への対処、コントロール。
一個人、それぞれ「怒り」が喚起されるタイミングは違う。
経験が違うように、育った環境が違うように。



「1000回だめで へとへとになっても
1001回目は 何か 変わるかもしれない」

この言葉は「特別支援教育」の精神に繋がると思った。
試行錯誤の、粘り強い寄り添い、理解。

ーーー

昨日、夫に私はこういうことをつぶやいた。
「自己中心的な人に、君は自己中心的なんだよ!って言っても分かるものだろうか?」

夫は「分からないよ。自分で気づくしかない。ある時、ふと気づいていろんなことが繋がっていくんだよ。そうやったんか!そういう意味やったんや!ってね」


2011年05月05日(木) 後輩から聞かされた恩師の「今」

先日、子ども支援関連のNPO活動のイベントに夫婦で参加した時のこと。
運営事務所は福岡市内にある。
イベント終了後、事務所で簡単な打ち上げ会が実施された。

このNPOには後方支援という形で去年から参加させていただいている。
去年は居住地が愛知県であり、福岡で実施される研修会やイベントの様子についてはブログや会報誌で想像するしかなかった状況で、それでも私の中では大きな意味があった。
偶然的に、いや、必然的に夫の転勤で再び福岡市に居住することになったことは、私の中ではとても大きな意味があるように感じずにはいられないのだった。

このNPOの存在は、愛知県に異動する前からなんとなく知っていて(新聞広告による)思いがけずブログでさらなる情報を知って、自分に出来ることを考えた時、それが後方支援だった。
まさか、再び福岡に「戻って」これて、かつ、直接的に活動に参加できるとは思ってもいなかったのだった。

打ち上げ会の参加者は30名くらいだった。
そして、特に自己紹介は無く、誰がスタッフなのか、はたまた「理事」なのかなど、さっぱり私は分からなかった。

なんとなく、時間が進むにつれて歓談するグループが偏ってきて、スタッフと思われる層、学生層とボランティア主婦的層、おじさま層、お兄さん層、「先生」層が見えてきて、私等夫婦は、どこにも属さないような位置で立食パーティを抜け目なく堪能していた。

近所のおばちゃんだと思っていたあるお二人の女性によくあるおばちゃん同士の会話のような親しみを込めて「ここに来るのにいやぁ〜迷いましたよぉ〜」とか「おっと!あれは日本酒ですかねぇ?あははは〜」とか話しかけて、30分後に私はそのお二人が「先生」(大学院の教授)、「村長」(NPO組織の長)であることを理解したのだった。


学生層は2グループに分かれていて、前出の「先生」(大学院の教授)の研究室だかゼミだかの学生(6名)と、他大学の学部生(2名)だった。
学生層は、初め2つに分かれていたが、1つになり、しばらくして、また元の2つに分かれた。

私は若者と喋ってみたい衝動が沸いてきて、2名の学部生に「学生さんですか?」と接近した。
「どちらの大学ですか?」と尋ねると、母校だった。
2名は「本当ですか〜?!」と眼を輝かせてきた。
年の差、18歳。


歳の差18歳の学生と共通の話題として、「A先生」のことについて語った。
「知ってます知ってます!」とさらに眼を輝かせていた。
当時のA先生はまだ講師だったような気がする。
今は教授になっている。
私の中ではA先生はとても「熱い」先生だった。

共通の「恩師」ということになる。

今、A先生の講義を受けている学生から「…A先生は、ちょっと、ぬるいんですよねぇ…それに、結構休講が多くて、身体の方が心配」などとリアルな状況を聴いた。

「ぬるい」とは何か。
学生が言うには、「試験も持ち込み可だし」「私の授業は出席していればみんなAですのでとか言うし」「2限続いて教室が同じで、担当がA先生だけど科目が違う時に、15分くらい過ぎているのに気づいていないし」とのこと。

学生は、「ちゃんと」学びたいと思っているのだな、と思うと「先生〜頑張らなあかんや〜ん」と言いたくなる。まぁ「ちゃんと」を定義するのには難しいのであるが。

しかし、思い切って話しかけてみるものである。
ちょっとした行動で思いがけない縁が繋がる。


ーーーー

私が今、学んでいる「大学」でも、「単位が取りやすい科目」、「楽勝な科目」、「取りあえず大卒の資格がほしい」、「授業はほとんど聴かなくてもテキスト読んで単位認定試験に合格した」なんていう言葉をきく。「Aを多く取るために頑張る」というのも。

社会人になってから学ぶ。
それぞれモチベーションは異なる。

私は学び直しと現代の生活(実態)に照らした新しい考え方(知識)に触れたいために学んでいる。自分自身の生活の視点が広がれば広がるほど学びたくなる領域も広がる。
学ぶゆとりを維持しながら、価値ある仕事を続けていきたい。
仕事に対する使命感、義務感で視野が狭くならないために学ぶ。
学ばなければならないと追い込んでいるのではない。

学ぶことと仕事をすること(人と関わること)、相互にほどよく高めていける存在になるように、自分をコントロール、プロデュースしていく主体であることを楽しみたい。



ーーーー

数日前の「黄砂」の影響もあってか、喉あたりが気になる。
喉の痛みは2日ほどで落ち着いたが、ふとした時に咳がひとしきり出て、やや疲れる。
この咳は約2年前にも経験した。
今のところ2年前ほど辛い段階ではないが、悪化した末が2年前の症状だとすると早めに手を打つ必要がある。
2年前に受診したクリニックでは喘息と診断された。
風邪の延長や花粉症などの影響で一時的に、喘息のような症状が起こり、処方箋も喘息の治療に使われる「吸入器」での対応。
喉が狭くなるために苦しくなって咳が出る。
なんとなくイメージで覚えているのは、広げるための処方、潤いを与えるため(持続させるため)の処方の2段階(2種類の吸入器を使用)
2年前の記憶では、処方箋対応をしたすぐから効果があった。
患者の傾向として症状が早期に改善されるため、吸入を途中で勝手に自己判断で止めてしまって結果として長引いてしまうという医者からの話も思い出した。
「咳は一回でも出るべきものではない」とかいうことも話されてあった。

夏の気配も感じるようになった今日この頃。
体調管理も配慮して、「マイ支援」のひとときも大切にして生活のペースを整えることを今月の生活目標にしよう。


2011年05月01日(日) 自分の存在、他者の存在

あたしは、かつてある企業で物流的な事務処理の流れを作ることが目的という任務に関わったことがある。
流れを作った後は、他の人材に一切を任せるのである。

今思えば、結構貴重な経験である。
その任務の依頼主は、直属の課長や部長ではなく、いわゆる「本社」の課長という立場にある人だった。今思えば、その本社の課長は、あたしが結婚のため退職する時、わざわざ送別会に参加してくださっていた。「いかりや長介」氏にどこか似ている風貌で、虫が好かない課長部長連中も多かったと聞いたことがあった。

1台の特殊なパソコンを使って、それに組み込まれているシステムを使い、在庫管理をして、物品をメーカに送ったり、店に送ったりするのだ。
依頼主の課長は、システムでどういうことが出来るのかについて実演をしてみせて、「3日後にはこのシステムは修正が効かなくなるので、それまでに流れを作ってほしい。今日と明日は実験的にどこを操作してもらっても構わない。3日後には在庫管理データは0からスタートさせるから。」
というような事を言ってきた。

物品をメーカに送ったり、店に送ったりするためには、納品書等も必要になる。
それらの書類についてもゼロから構築せねばならなかった。

といっても、あたしが依頼されたことには意味があった。
意味というか基礎的な経験があった。
別の物流領域で、試行錯誤をしながらそういった流れを定着させていたからである。
流れ自体は、あたしが仕事として受ける以前に出来上がっていたので、いかに要領よくしていくか、別の人材に仕事を振るか、ということをしていた。
そういう姿をおそらく見抜かれていて、抜擢されたと思う。

ある一つの決められた業務を一人で責任をもってすることに優れる人、チームのリーダー的な立場で実力を発揮する人、業務を創造する人、なるべく面倒な業務を引き受けないように手持ちぶさたでありながら忙しく見せることができる人、正直に忙しい状況を周りに訴えることができる人、周りが忙しくても定時には帰ってしまう人、いろいろな人たちがいた。

これは企業に限ったことではないと思われる。

企業経営と公立の学校経営を比べること自体、おかしな次元だとは思うけど、企業で「売り上げ」や「出来高」向上の視点で組織と関わった経験があると「学校」という組織は、少し戸惑う。
逆もまたそうだろうが。

主役が、物(モノ)か人か。
モノはそれ自体には意識や意思はないので、動きを与えるのは必然的に人である。
管理に機械を使う場合でも「人」の存在無しには「モノ」は流れない。

企業で、「モノ」を動かしていく「人」は、「モノ」を動かせるスキルや技術があれば誰であっても評価される。

モノに人格はないのであり、モノから傷つけられたり、憎しみを抱くことはない。
(不注意な扱いによってケガをする、というのは別)
よって、「対人関係」に少々課題を抱える人、コンプレックスがある人であっても充分に評価される。他にも例えば文字が書けなくてもパソコンで書類を作ることができればいい。

自分が属する組織での自分の存在の自覚と、関わる対象(モノ)の存在や価値が把握できればおそらく仕事として成立していくと思う。
ーーーー

関わる対象が「人」である時。(対人援助、対人支援)

他者の存在をどう位置づけることができるかによって、自分の存在が揺らぐ。
そして、その業務自体の意味も他者にとって分かりにくくなってしまう。

こういう話を聞いた。

「人」に対してサービスを提供する現場。
対「モノ」ではない現場である。
Aさんは資格も経験もなくその現場に飛び込んだ。
その現場はなかなか人材育成が進みにくく、なり手も少ないため、貴重な人材だった。
その現場を統括する立場である人も、Aさんをどう導いていくか試行錯誤だった。
Aさんの前にBさんという人材がいたが、Bさんの対人アプローチが果たして妥当な内容であるかも統括する人間にはよく分からなかった。
前任者であるBさんの業務日誌を、これから任務にあたるAさんに見せてそこから何だかの行動を起こすように促した統括する人間。

Aさんは、何度もBさんの業務日誌を読み返す。
しかし、Aさんはどういった行動をすればいいのかほとんど分からなかった。
その業務日誌には、Bさんが嬉しかったこと、楽しかったこと等、プラスの感情を抱くことができた時の、主としてBさんの存在価値をアピールするかのような内容が書かれてあっただけだった。

その後、Aさんは現場で、自分自身の存在を黒子のように、出来るだけ消えた存在になれるようにと努力をし、Aさんらしく援助していく型を作っていった。
結果として、Aさんへの組織での信頼は高くなり、統括する人間もAさんの価値を認め、統括する人間もスーパーバイザー的な役割を担っていくようになり、組織として成長していった。


ーーー
誰かの援助をする、支援をするというときは、「他者」への理解が避けて通れない。
「他者」から自分の中にある不快な感情を掻き出され、揺らぐこともあるだろう。
だからといって、その「他者」は自分を陥れようとして存在しているのではないのだ。
また、「他者」から自分の中にある心地よい感情を引き出してくれたとしても、その「他者」は自分の欲求を満たすためにそこに存在しているわけではないのだ。

不快な感情を掻き出されたトラブルやアクシデントにどう対峙して、どうその場を安定へと導いていくかその試行錯誤の過程を刻む業務日誌であってほしいと私は願う。


そして、そのような業務日誌を創造していきたいと私はここに決意したい。





ーーーー

【参考文献】
ヘンリー・クラウド
ジョン・タウンゼント
(訳者)飯塚真奈美
『「人を殺してはいけない」と子どもに教えるには』
花風社 2000年


(9頁)
子どもの「性格」は子どもの「運命」を決定するのである。

(11頁)
…性格は、人間関係の中でしか形成されない。

(14頁)
「してはいけないこと」と「しなくてはならないこと」の区別をはっきりさせるには、自分と他人との区別を知ることがまず第一歩だといえる。

(23頁)
…自己中心的(エゴセントリック)な人にとっては自分だけが大事な人間である。周囲の人は自分の要求や欲求をかなえるためにのみ存在していると考えている。

(31頁)
人生は自分でコントロールし、努力して切り開いていくものである。
自分の才能を磨いて立ち向かっていくものである。何をするのか、決めるのは自分だ。
そして、結果に責任を持つのも自分だ。
それができない人は、たいてい、子どものときに自分から行動を始めることも、自分の仕事や目標を達成することも必要のなかった人である。誰かに自分の代わりをしてもらったり、最後まで成し遂げなくても見逃してもらったりしていた人である。

(33頁)
…良い人にも悪いことは起こる。けれども、たとえ悪いことが起こっても、良いことをやり続けていれば必ず事態は前よりもよくなる。そして、思ってもみなかった幸運にめぐり合えることもある。








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