ふつうっぽい日記
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2009年08月26日(水) |
夏休みの「自己研修」 |
来週の今日は、新学期二日目。
「夏休みどこかに行った?」と質問されたら何を言うか… どこか遠出したっけ? うーん… 思い出せない。
沖縄旅行は7月だった。
小学生の言う「夏休み」の期間、3分の2,いや、5分の3くらいは、目に見えないものに悩まされていた。かなり、「支配」されていた。 それも、今の自分がいるためには「必要」な時間だったのだと思う。
「頑張りすぎないで」「頑張らなくていいのに」との声は、聞こえなかった。
なんだろう。熱血魂みたいなのが暴れていたのかもしれない。
「その根性、私が正してやる!」みたいなお節介。 でも、結局、残ったのは傷ついた自分の心だった。
「人格障害」に関する情報もいくつか読んだ。 それは、理解に苦しむ存在がいたからだ。
「どうして、あの人はそうなんだろう?」 「どうして、あの人はトラブルばかり起こすのだろう?」 「どうして、あの人は敬遠されるのだろう?」 「どうして、あの人はこういうことを言ってしまうのだろう?」 「どうして、あの人は勝手なことを言うのだろう?」 「どうして、あの人は周りにいる人を振りまわすのだろう?」
どうして、私はあの人に理解しがたい感情を抱き、イライラしたり、気持ち悪くなったり不快に思うのだろう?
どうやったら、私は落ち着くことができるだろう?
そこまで「頑張って」理解しなくてもよかったのかもしれなかった。 でも、その始まりは私にも少し心の余裕があった。 そして、理解されがたい子どもたちを「支援する」という活動をする立場であったので、大人であっても一人の人間として理解したいと思ったのだ。
あの人に、何か特異な気質や傾向があるのかしら? そう思った。
いろんな職種、いろんな立場で私と関わっている友人、知人に私の置かれている状況を話したり、メールをしたりしてみた。
いろんな反応があった。
状況を整理する途中で、「フラッシュバック」のような形で不快な気持ちが盛り上がって、「うつ病」っぽくなっているような感覚も起こった。
「ある種の【境界】にある人たち」 「パーソナリティの未成熟」 「自己愛が強い」 「こき下ろす」
こんなキーワードが繋がった。 こういう風に、分析する私自身も、こき下ろす材料を探しているような感覚に陥り、自分を責めることもあった。
「あの人」と関わっている「社会」から、退却を選択肢にすることも自分を守るためにはおかしくはないらしい。
実際は、気ままな「時間」が回復に繋がった。 「ゆるりと」過ごし、「取りあえずの人なのだから、そこまで理解しようと一生懸命にならなくてもいいと思うよ」との声。
そして、「支援が必要な子どもたちのことについての勉強をするために時間を使うといいと思うよ」の声。
いろんな「人間」の「理解」に触れるのはいいけれど、ひとまずの自分の役目は何か? 何のために、その「社会」(学校)に自分はいるのか? どうして、自分はその「社会」(学校)を選んだのか? どうして、その「社会」(学校)は人材を必要としているのか?
戻ってこれました。 精神レベルを上げなければと思った。 違う次元のトラップのようなものにはまっていると思った。
そして。
あるADHDの本のあとがきに書いてあった言葉に励みをもらった。*
〜勇気を出してください。まわりを静かにじっくり見つめてください。きっと、あなたの力になってくれる人がいるはずです。今は出会っていないかも知れませんが、きっと現れるはずです。どうか心ない人たちの言葉や態度に振りまわされないでください。目の前の子どもを守ってやれるのは「あなた」なのですから〜
そしてある「支援者」が成長するために向けた本を読み、現実に戻れることができた。**
〜セルフ・エスティームもプライドも同じく「自尊心」と訳すことがある。しかしこの両者には大きな違いがある。プライドは「比較」から生まれる高慢さである。だれかと比較することで、自分自身の価値を感じることである。 …セルフ・エスティームは、「自分で自分をどう思うか」という自己の価値を問いかけるものである。 …支援者は、自分のセルフ・エスティームが、高く、安定した状態であるよう、よく訓練する必要がある。 …もし自分自身を価値ある存在であると確信できるならば、内面に強さが得られ、そこから力を取り戻すためのエンパワメントが始まっていく。 …支援者が自分の価値観だけで物事をみて判断するならば、それは相手を自分の価値観で裁くことになってしまう。 …価値観の違いは、支援する者とそれを受ける者の関係に強い影響を与える。 …小さな支援の積み重ねが、人間の尊厳をさらに輝かせるのである。 …問題を抱える人々の自己実現を達成していくには、何より、彼らの可能性を見いだす視力と引き出す能力が必要となる。 …支援者として、自分と向き合うことで、まず自分の小さな成長と可能性を確信しよう。 …何より、自分も含めて、人がみな違っていることのすばらしさを理解しなくてはならない。 …支援者一人ひとりが、自分は「何のために、だれのために働きたかったのか?」という原点まで引き返し、道を選び直す勇気が求められる。 …支援者として、利用者のためになる小さな支援を選ぶことに決意をしよう。〜
*引用情報*
*著者:森孝一 「教育の課題にチャレンジ5 ADHDサポートガイド わかりやすい指導のコツ」 明治図書出版 2002年8月初版 124ページより抜粋
**著者:川村隆彦 「支援者が成長するための50の原則 あなたの心と力を築く物語」 中央法規出版 2006年3月初版 33ページ〜65ページより抜粋
------- 「7月、8月の夏休みはお勉強していました。9月に花火大会を見に行きます。」
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