ふつうっぽい日記
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2007年08月22日(水) 問題のすり替えに気付かず、スルー

関東の取引先に資料を某サービスを使って送付したのは、7月上旬(8月の企画書)と、8月中旬(9月の企画書)の話。
8月中旬過ぎ、表札違い、という理由で取引先に届けられることなく、返品されてきた。8月中旬過ぎだったので、9月の企画書が戻って来たと思い込んでいた。ところが、それは8月の企画書だった。
つまり、取引先は8月中旬過ぎに8月の企画書に目を通せなかったということだ。
8月に8月だから大丈夫だ、と思われやすいが、情報には有効期限というのがある。
例えば8月の企画書であれば、表向き7月21日から8月20日まで有効なのだが、実質、7月17日から7月25日までの約1週間に目を通す事に大きな価値があるのだ。先取り情報、数量限定企画もあるので、先着順的な要素も含んでいる。
問題は、返品という知らせが1ヶ月の時を経て来た、という点だ。

返品されてきた旨を取引先に「悲しいお知らせ」として伝えた。
ところが、「9月号は届いている」との申告があった。
なに?!
たしかによく見たら「8月」の文字が見えた…
8月の企画書が戻って来て、9月はちゃんと届いていることが明らかになった。
8月の企画書が返品されるのならば9月の企画書も返品されるはずだ。

そこで問い合わせをした。
返品が届く前に第二便を送ったものがちゃんと届いている、これはどういうことか?というような内容。

2日間ほど業者は問題に関していろいろ調べたそうで、それによると…

たしかに返品の対象品であり、本来8月に送ったものも返品されるべきであったのだが、スタッフのミスによって、ちゃんと届けてしまった、と。それによって、混乱させてしまった、と詫びてきた。そこで、冷静になって、「問題」(なにゆえに、返品が一ヶ月以上かかったのか)を突きつければよかったのだが、そのとき、私は「表札違い」というのが気になっていた。
「表札を出してない世帯はどうなのか?ちなみにウチは表札を出してない集合住宅だ」と。
表札がない場合は、本人を確認する目的のため、文書をポストへ投函するようなシステムらしく、しかし、表札がなくても配達するスタッフが営業社員であり取引や世帯状況を確認できる立場にある人間の場合は、本人確認の文書は作成されないというのだ。
表札が数人所属している代表という場合は、代表者の情報も記載することで正確に届けられることを確認した。
今まではそういうことは一切考えず、住所と名前さえあれば確実にポストに配達されるものと思っていた。

業者の説明は、実に丁寧で、分かりやすいものであったため、素直に詫びの姿勢も伝わった。



あっ…
返品が1ヶ月以上期間を要しているあの問題を突きつけるのを忘れた…
気付いた時は、電話を切っていた。

まさか、「ちゃんと届いた」ことが「実はミスであった」という回答が来るとは思っていなかったので、敵ながらあっぱれ的な感心もあった。

苦情対応、クレーム対応。
大変な業務ではあるだろうが、信頼していたゆえの重要なステップ。
そこでいかに適切な姿勢で対応ができるか、より歩み寄った信頼を取り戻せるか。
今回聞けなかった問題は、来月、送付手続きをする際に、担当営業に確認をしたいと思っている(実際、当日、忘れそうだ)


2007年08月08日(水) この場所が故郷と思えるその日まで

故郷に近い土地で暮らし始めて半年。
その風景そのものの懐かしさ、変貌に触れ、「ああココにいるんだ」と実感する今日この頃。

懐かしい人との再会から、いろいろ考えさせられることも多い。
それはいわゆる「年」だからなのかもしれない。
「年取ったなぁ」という実感。

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「○○君とは関わりがなかったので、メール送るなんて考えられません。それに、受け取っても向こうは逆に困ると思います。」
【人間関係】かつて子ども時代、クラスメイトな2人。今は「大人」
私は2人を知っている当時も今も「大人」
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同じクラス、同窓ってだけというのも、彼女の言うところの「関わり」には繋がらないらしい。
関わりって、なんだ?
しゃべったことがあるかないかか?
年賀状のやりとりか?
同じ地区に住んでいるとかか?

(ここで私はあるものを確認しにいく)

ひょっとしたら「同じ班」ではなかったか?と思ったのだけど、たとえ「同じ班」だとしても「関係」までには発展しないのだろう。

彼は「ぜひ、参加したいです!」と言ってきた。
ごめんね、少年。残念だけど、それは難しいみたいだ。
平凡でも穏やかな家族で育った、少年は、ただ素直なだけ。君は悪くないし、君のせいでもない。

同窓会だ、クラス会だ!と騒ぐ人間がいる反面、「別にそんなのいいじゃん…」「だるいよ…」と気乗りしない人間もいるはずで。


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「やっぱり家族運がわるいみたいだ…」と自分自身を分析するのは、14年前小学5年生だった男子だ。根拠のない自信と妄想癖と闘いながら、それでも、今はそれなりの夢をもって仕事や人間と関わっている。
彼は片親で育っている。理由は分からないが、いわゆる「欠損家庭」というのは14年前の当時でも珍しいことではなくなっていた。
私等の幼少時代は、珍しい事だったと思う。共働き、というのも専業主婦よりも少なかったと思う。

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彼女の母は言ったそうだ。「お母さん、彼氏ができたの」
彼女はおそらくこう言ったのだと思う。「わぉ!良かったねぇ」
そして彼女は笑いながら「うーん。私の帰る家はどこだ?ってカンジですよね?!お母さんには幸せになってもらいたいんでっ」と言っていた。


ある友人はこう言った「お母ちゃんの彼氏がね、宮崎の人でね…。お母ちゃんもね、宮崎に行くげな。ま、ね。いいと。私もちゃんと幸せになるけん…ハムスター飼おうかな…」


彼女は「東京に戻りたいので異動希望出しちゃいました!」
彼女から「私も彼氏ができました」、と便りが来たのはもう何年前だろう。
「ふられちゃいました」、と便りが来たのは何年前だろう。


彼女にとって、いつか、この場所が故郷と思えるその日まで、私は待っているからね。
どこにいてもね。
頑張るんだよ、かつて少年と少女だった諸君!


KAZU |MAIL