ふつうっぽい日記
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2005年09月12日(月) ふつうなのか悶々とする日々

この日記を、「ふつうに」書いていた時は環境は「ふつう」だった。
「ふつう」な日々の中で、「ああ」とか「おお」とか「ふふ」とか「げっ」とか思ったことを自然に吐き出していたような気がする。

実は、なんどか編集画面を開き、数行書いたが、公開には至らなかった。
途中で、気力ダウンしていた。

だったら、日記のタイトルを「ふつうじゃない日記」にしたらいい?
でも、なんだかそりゃ、ちょっと抵抗がある。
もしかしたら、とにかく「いざ」とか「ふとしたこと」に対して「たまたま」無気力なだけかもしれない。(よく分からん)

今、単身生活であり、考えると尽きない環境で、やはり、「こうなったらどうなるんだろう」という不安を周りに言ってしまわずにはおれなかった。
自分で言っておきながら、それらのことが自分のよく知りえない誰かに伝えられた時、ある断定に落ち着いていることは、だいたいよくあることなんだろうけど、自分か関わると、「なんだって!?」と思わずにはおれない。
だったら、しばらくは沈黙を守って行くかとか。

すこし、濁して書いた。
つまり、「来年は、ココを私も離れるかもしれない」と言えば、「引越するんですってね?」と言われてしまうのだ。なんであなたが知っているの?あなたに言われる訳?くらいな、謎な人に。
でも、謎な人ゆえ、それまでのいきさつなんて知らないし、あえて、こちらが熱く説明しなくても、「そういう、覚悟をしておかなければならない状態らしくって」と言って笑っておけば、別にいいはずだ。

約半年が経過し、「慣れてきた?」なんて言う声も多い。
それくらいの言葉しか掛けられないのかもしれないし、それくらいの言葉しか取りあえずはないのかもしれない。
聞き手にとって、それが羨ましい状態であることが、既婚者の場合は多いような感じだ。(私の冷静な分析)
独身にとっては、「一緒に行かなかったの?寂しいでしょうに…」というのがまずあるようで、それは素直に嬉しかった。

「子どももダンナもいない暮らし、憧れだわぁー」
なんて言われても、私は引きつるしかない訳で。
言わない方がよかったか?とも思うが、それなりの人間関係があるので、「いざ」という場合を想定させておくためにも、それは多分しておいてもいいことなのかもしれない。多少、リスクはあるけど。


夫との会話(電話)で、「まぁ、(物件を)手放してもいいんだけどね。損しなけりゃ。でも、ソコの間取り結構好きだしな」まだ、微妙な時期(ひょっとすると来年戻れたりなんかして?!という希望を持つ)なので、こんな感じのことを言うのだ。

「仕事と家庭とどっちが大切なの?」なんて言うのは、聞くことは今のところない。
実際に聞いたのは「家と私とどっちが大切なの?」だ。
モノと人間。
答えやすい質問だ。
「そりゃぁ、もちろん家サ」なんて事は言わなかった。
それを聞いて、単純に安心した。

「いざ」という時のために、今は微妙に沈黙することも必要なのかもしれない。


KAZU |MAIL