---□□草原で独り言□□---

2010年04月29日(木) 祝日の昼

晴れの日
まぶしくて 生暖かい風がふく日

コンビニ
子供二人とお母さんとお父さん

レジに向かう母
子供と一緒になってアイスをねだる父

明るい日
お昼過ぎの日差し
みんな一緒の買い物
これから帰る家
みんなで帰る家



私もその日を知っている
今日あの家族が過ごしている日を
私も
ずっと昔にそうやって過ごしてた

温かい日
まぶしくて おだやかな日

心脅かすものなどない

明るい ゆりかご


今私は
一人で歩いていて
一人で 一人の家に帰るけど

あの日の
温もりと光りは
今でもこの世界に感じられる

だから私は
一人で歩いていられるの



2010年04月05日(月) さて…スルーするしかないかな

「うつ」の人と付き合うのはすごく難しい。
私がここで言いたいのは、いわゆる病気として認定された「鬱病」ではなく、人間の気分としての「うつ」。

自分のワガママゆえに、うまくいかないことが多すぎて嫌になってうつになる人もいるだろう。そういう人の場合には、まったくと言っていいほど私は同情しない。
そのワガママで、いったい周りの人にどれだけストレスを与えているのか…そのストレスのせいでどれだけ周囲が頑張っているのか、耐えているのか…それを考えたら同情出来ない。
自分のワガママがかなわないジレンマやイライラを、その問題にまったく関わっていない近くの人間に、まったく関係ないことで当たりちらすのだ。

そしてそれを考えていたら見えてきた、周囲にいたが故にそのストレスを受けて耐える人。
夫婦、子供、上司、部下…
逃げられない範囲の間柄にそんなワガママな人がいた場合、耐えつづけた彼らはどうなるか。
私の友人にその例がある。
彼らも「うつ」になってしまうことがある。そりゃあそうだ、自分は何も悪くないのに攻撃されるのだ。八つ当たりをされつづけている状態。

そうして「うつ」になった友人は、元気のない姿をかくしもせず、彼女はいつも仏頂面である。元気があるフリが出来るなら、まだきっと「うつ」じゃないんだろうなとも思う。
薬を処方してもらっていると言っていたから、「鬱病」なのかも知れない。
そしてそんな彼女に付き合う私は大変ストレスなのである。そりゃもうとーっても。
真面目な話はしたら深刻になるかもしれない…だからと言って冗談を言っても向こうはイラっと来てるかも…彼女の気持ちが読めないのでこちらは本当に困る。

けど、たぶん。
「鬱病」のひとの心や気持ちは読めないのが当たり前なのだと思う。普通の心の状態じゃないから、病気なんでしょう?異常なものは普通のひとには解らない。

だから私は、
今彼女は異常なんだ。気にしないで普通に接してればいいや。
と思うことにしました。

話をしていて彼女が不機嫌そうだと、なにか私悪いことしたかな…って心配になるけど、してないものはしてない。
いや、したかな…したのかな…ってよーく考えてみても改善できるようなことは見つからないので仕方ない。

ストレスをストレスとしてためつづけることは、またそのストレスを誰かに投げかける行動をしてしまう悪循環になる。
心の広いひとは、投げられたストレスを受け止めて消化し、悪循環を止めるだろう。
だけど私はそんな自信はない。
だから、投げられたストレスを右から左へ受け流すことにしましたとさ。ということ。
ようするに、スルー。


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S.Soraka [MAIL]