samahani
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また、昨日と同じ大学のオープンキャンパス2日目に行った。1時間ごと計4つの模擬授業を受けて、いまだけ大学生の「ごっこ」をして楽しんでいるのだ。「異文化教育学」の授業で、AとBの国の人が、あるできごとで緊張関係に陥ってしまったのはなぜかという例題をグループで話し合うことをしたのだが、その答えを、先生にあてられて私が発表すると、おおーっというどよめきとともに小さな拍手まで起こったのだった。(照) そりゃねー、これでも8年もアメリカに住んでいますから、異文化についての理解は、無意識のうちにも体験しておりますって。というか、日本の高校生(一部は保護者だったけど)を相手に、「わかりますぅ〜」なんて優越感を感じなくてもよろしゅうございますわね。
池袋のメトロポリタンの噴水前で、ぼけっと座っていたら、隣のインド人ぽい女性に英語で話しかけられた。「あなたの着ている服、素敵ね」って言われて、「私は日本で服を探すとサイズがなくて困る(足が長いから)」とか「それは私も同じ。アメリカで服を買おうと思うと大きなのしかなくて困る」とか、思いがけず、20分以上もいろいろな話をしたのだった。彼女は南アフリカ出身で、日本に来る前はオーストラリアに住んでいて、今は日本で英語の先生をしてるそうだ。その勤務先が、なんと、○ル○ッツ。「ええっー、私もムコウの○ル○ッツで日本語の先生してるよ」ってことで、なんだか親近感もわき、メールアドレスの交換までしてしまった。
んー、でも不思議だ。彼女は、たまたま私に話しかけただけなのか、それとも、私がアメリカでよく遭遇するような、隣の人に気軽に話しかけられる雰囲気をかもし出していたのか、なんとなく英語を喋る人に見えたのか、どれだったんだろう。
それにしても、本当に久しぶりに英語を喋ったような気がする。
2004年07月30日(金) |
夕食の準備は忘れずに |
四谷にある某大学(←またですか)が、オープン・キャンパスをしているので、息子とふたりで出かけた。模擬授業を受けたり、学食でランチを食べたり、パイプオルガンの演奏と聖歌隊の歌を聴いたり、突然の大雨に降られたり(?)して楽しかったが、大学の授業って、同じ大学でありながら、先生によって本当にピンキリくらい違うものらしい。一番最後に受けた池田真先生の「外国語を学ぶヒント・比較言語学から見たヨーロッパの諸言語」という講演会は、こんな面白い講義がタダで聴けちゃってほんとにラッキーって思えるくらいとてもよかった。こういう授業だけ取れるならまた大学に入って勉強しなおしたいなあと思うけど、・・・(以下略)。
夜、T君が呑みに誘い出してくれて、ちょっと変わったレトロな造りの居酒屋さんで鶏のお刺身なんてものを食べた。それから、北の人しか馴染みがないというほっけの開きも食べた。串焼きもたくさん食べた。話もたくさんした。おかげで、すっごく元気になれた。本当にどうもありがとう。
息子は、東京に来てから、やたらと子どもっぽくなってしまって、ちょっと夕食の時間に遅れても、何も食べずに私を待っていたり、なにかと私を束縛したりする。ムコウでは、私なんて居ても居なくてもどうでもいいという扱いで、学校から帰ってきたら部屋にこもって、ほとんど話もしない状態だというのに、このギャップは何?と戸惑ったりもしている。
そんな息子が心配だったから、7時に呑み始めて、9時過ぎにはお開きにし、9時半に帰ってきたというのに、帰ってみたら息子は寝ていた。なんなのー! それじゃあ、ほんとの子どもじゃないのっ。
2004年07月29日(木) |
おとこのひとじゃ・・・なかったの? |
なんだかあれから落ち込んだままで、自分の性格の至らなさというか、足りないところというか(←あっ、おんなじか)そういうのをずいぶんずっしりと重く感じてしまって、でも私のこの性格は直らないと思うから、私は自分をまげてまで無理に私らしくないことをする必要はないと思っているし、自分で自分を否定するのはやめようなんて考えていたのだけど、なかなかとらわれた考えを払拭できなくて、大きなため息をついてしまったら、狭い部屋で一緒に暮らしている息子におこられた。だよね。怒りたくもなるワ。
日本に帰ってきたときに「おかえりなさい」とだけ書かれた、メールアドレスが携帯番号になってるメールをもらい、「ただいま、メールくださってありがとう」とだけ返信して、誰なのか分からないままになっていたその人に電話をかけた。
落ち込んでいたから、誰かの声を聞きたかったのだ。
そしたら、それは女の人で「私の声が分からないのぉ〜」なんて言われてしまった。いやん、何でメールに名前を書いてくれないのよお。「番号見たら分かるかと思った」って言うけど、新しい携帯には何にも登録してないんだからわ・か・ら・ん・て。
てっきり、名前も明かせない、ひそかなわたくしの男性のファンの方だろうと思い込んでいた私の気持ちはどーなる? ←どうにもなりません! なんというずうずうしいうぬぼれの強いやつだったんだわたし。 あー、笑ってください、こんな私を。
昨日は、以前ワシントンの近所に住んでいた人や、一緒にお料理教室に通っていた人など、昔の仲間4人で集まった。今はすっかり東京のおかあさんな人たちと本当は共通の話題があんまりないと会うたび感じる。子どものお受験のこととか、誰々さんの子どもがどこの私立中学に入ったとか・・・。「聞いたわよ、永住なんですって?」と言われても、私は永住するつもりなんて全然ないし、将来のこと(どこに住むのか等)などいまだに何も決まっていない私には、ここ東京で、地に足つけた生活してる(ように見える)彼女たちのほうがよっぽど羨ましい。一ヶ月も東京で遊んで暮らせるなんていい身分じゃない?って言われても、ここの住人ではない私は、所詮お客様。もし私がここに住んでいたら、あんなこともするのになあ、こんなこともするのになあと、相変わらず、無い物ばかりを数えてしまう。いろいろ考えていたら、なんだか眠れない夜になってしまった。
(昨日の日記からの続き)
帰りのムーンライトながらは、行きほど混んでいなかったので、横になって眠ることができた。はっと気づいたら、ちょうど品川駅あたりで、朝4時半の赤紫に染まったビル群がとても美しかった。こんな光景を見ることなんてないなあと、ちょっとだけ無理やり感動してみた。青春18切符で、往復夜行の名古屋日帰りはやっぱり無謀だった。名古屋の義父が住む家は今建て直し中で、仮住まいは本当に一人入ったらいっぱいいっぱいになるような狭い家である。ほとんど寝ていないのに、名古屋にいる間の18時間は横になることもできず、そのまままた夜行に乗って3時間ほどしか眠れなかったのだから。
名古屋でしたことは、お墓参りと、家の仏壇でお経の本一冊を唱えること。それ以外は特に何もない。わざわざ会いに来てくれた叔父とお昼を食べて、夕食は義理の妹家族6人と一緒に合計10人で中華を食べにいった。
義母が亡くなって6年になるけれど、義父はまだお墓に納骨できないでいる。時間をかけてお経をあげることも毎日欠かさない。義母が亡くなって初めて私は義父がどれほど義母のことを愛していたかを知ったのである。
もともと心臓が弱かった義母が突然倒れて一晩で帰らぬ人となったその日、義父は虫の知らせか、東京に出かける予定だったのをキャンセルして家にいた。病院に付き添うことができたのだが、それから数時間後、義父は病院で、人目もはばからず義母の名前を何度も何度も大声で叫びながら男泣きに泣いたそうである。それから、四国のお遍路さんを一人で時間をかけて回ったり、どこかに旅行に行くときも、いつも義母の写真を携えて行ったりしている。
長男の嫁でありながら、義理の妹に義父のことをまかせっきりにして、なんにもしていない私だから、せめて1年に1度くらい、お墓参りと仏さん拝みをして父の喜ぶことをしてあげたい。そのための18時間だったのだ。
2004年07月25日(日) |
これは単なるケチなのかも |
どうしてこんなことしちゃったんだろうって思わないわけでもない。昨日の夜はやっぱり大変だった。暑い、疲れてる、座れない、タバコが煙い、昨日横浜で合流した下の息子の機嫌が最高に悪い。おーのーーーっ! 計画段階では、とっても楽しそうだと思ったのに。
今朝、夫の実家のある名古屋にやってきた。昨日の夜(今朝)、横浜駅 0:11 発のムーンライトながらという夜行快速列車に乗って。青春18切符だから、名古屋までの一人当たりの運賃は2260円(金券ショップで買ったから)、それにムーンライトながらの指定席券が510円、渋谷から横浜までの東横線が260円、山手線が130円、合計で3160円。青春18切符って、18歳でなくても使っていいのなんて言われながら、「こんなときでもなければ、鈍行で名古屋まで行くことなんてないんだよ、楽しそうでしょう?」なんて言ったものの、いや、それはこじつけで、ほんとはやっぱり、単なるケチじゃんとちょっとばかり後悔した。
横浜駅で、「ムーンライトながらの指定席券はどこで買うんですか?」とみどりの窓口の人に訊いたら、「えっ!今日の分をまだ買ってないの?」と驚かれ、きっともうないよと言われたときには青ざめた。各駅停車だから、前もって指定席を買わなければいけないなんて思いもしなかったのだ。だから、喫煙席だろうが、ばらばらの席だろうが残席があったときには、ほっと胸をなでおろした。
それから、12時まで何とか時間をつぶし、やっと列車に乗り込んでも、やっぱり眠れなくて、隣の人がチェーンスモーカーで寝ているときも(おおげさ?)タバコを吸っていて・・、夏休みに入ったばかりの土曜日の電車は、とても混んでいた。何でここまで苦労して名古屋に来ようと思うのかしらん。まる一日も居られないのに。わたしって、いい嫁?(←嘘!)なんて思ったりして。
上の息子の座った席(コンパートメント=4人のボックス席)は、喫煙席にもかかわらず誰もタバコを吸わなくて、鉄道オタクの大学生と、夏休み貧乏旅行の高校生2人組だったらしくて、どこまで行くの?とかみんなで話したりして、最高にいい組み合わせだったらしいけど。
という訳で、今夜また、ムーンライトながらで東京に戻るのです。
僕はもう2度とこんな旅はしないよと、不機嫌に言い放つ下の息子を名古屋に残して。
2004年07月24日(土) |
仕事の話はおもしろい |
会うたびいつも、違う仕事の話をしている友達がいる。普通に会社勤めをしながら、副業でいろんなことに手を出しているのだが、そこそこ儲かっていたり、投資した分の元を取るのがやっとだったり。なんで、そこまで自分の時間をつぶしてお金儲けしたいのかなあと、私なんかその情熱のほうに感心してしまうのだけど、そう言えば、ワシントンの友達にもそういう人がいたんだった。彼女もいろんなところから仕事を見つけ出してきたり、自分で作っちゃったりして、子供が4人もいるっていうのに、育児なんかほとんどしないで、とにかく忙しそうにしている。おもしろい人なので、ときどき電話して様子を聞こうと思うのだけど、いつ電話してもいなくて、たまに向こうから電話がかかってくると、「わるいー、10日も家を空けてたから」なんて言う。
昨日、久しぶりの友達と仕事の話ばっかりしていたら、その彼女が何気なく私に話してくれて、忘れかけてた話を思い出した。
アメリカのスリフト・ショップ(Thrift Shop)で、1ドルくらいで売られているあるもの(内緒)が、日本でブームになっていて、数千円で売られているらしいのだ。それを、日本に持っていって、店を出すか、ヤフーオークションなんかで売ればすっごく儲かるのにそこまで時間がないからできないとワシントンの友達は言う。
その話を教えてあげると、いてもたってもいられなくなったらしく、その場で、インターネットカフェにふたりで行って、そっそくサーチして見ることになった。すると、ほんとにヤフーオークションでたくさんの売買がなされていて、入札数も多く、7千円とか8千円とかの値段がついていたのだ。
この話、資本がかかってないから、少ししか儲からなくても損にはならないってところまでは意見が一致したのだけど、じゃあどうやって持って来るのとか、ほんとにスリフト・ショップで大量に手に入るのとかの部分がまだ未定なのである。
それに、「さとこちゃんみたいに、そうやって小銭儲けなくていい人は、そんなことにあんまり首を突っ込まないほうがいいよ」なんて、当の本人に言われてしまうと、そうかなあなんて気もしてしまう。別に私に商売っ気があるわけではないし。
何にもしないで、ひと月に10万も儲ける話とか、人脈が大事とか、私には無理な話ばっかりだったけど、それにしても、仕事の話はおもしろい。
(*)Thrift Shop。直訳すると「倹約 shop」 要するに中古屋さん。例えば、キリスト教組織の救世軍(Salvation Army)が経営するものなどは、アメリカ全土にある。また、その地域だけに限って数店舗あるミニチェーン店とか、一店舗だけのものも多い。イギリスでは、Charity Shopと呼ばれることが多い。
私がその昔、田舎の高校生だった頃、既に東京に出てきて大学生してる兄のところに居候して、夏休みに予備校通いをしたことがある。そのときの私もそうだった。「えーん、乗り換えに自信ないから、お兄ちゃんついてきてよ」って泣きついたら、「何言ってるの、そんなこと一人でできない方がおかしいよ」って、ライオンが崖から子どもを突き落とすような冷たさで言われたのだった。
今の息子は、なんだかあの頃の私を彷彿とさせるような感じもする。最近は別行動していることも多いのだが、夕方、私のほうが帰りが遅いと「ママ、ちゃんと6時までには帰ってきてよ」と言うのだ。こんなに大きくなっても、やっぱり寂しいのねぇ、と嬉しいような悲しいような気持ちになって、でも、門限が6時ですか!? と、呆れていたら、「だってお腹空くもん」と言い、買ってくるお惣菜の指定までしてくれた。なんだ、ただの賄いおばさんってことですか。
いいさ、いいさ、こんなことも今のうち。ちゃんと仰る通りにいたしましょう。
昨日は少し涼しくなったらしいけど、ちょうど夏バテの出る頃で、野暮用して歩き回っていたら、歩き疲れて、腰が痛くなった。目的地が見つからなくて、実際は前を通っているのに、ぐるぐるあたりを回っていたのだ。そのうえ、親のために、格安航空券を手配しようとしたら、まだ売り出されていませんと言われ、目的も果たせず、余計に疲れた。日本とアメリカの旅行代理店のシステムは全然違うんだそうだ。
お引越しの片付け(荷物の整理)もあると言うのに、彼は全然手伝ってくれないし、そのうえ、ふたりして「テレビチャンピオン」(地下鉄王選手権)に見入ってしまって、そのあと、とってもとっても眠かった。テレビ、面白かったけど。
今年の夏は東京に1ヶ月も滞在する予定なので、いろいろとお金がかかる。なので、私と息子は節約暮らしをしている。歩ける範囲は歩く。(時間はあるから) この暑さで歩きたくない人が増え、タクシーの売り上げが伸びたなんてニュースでやっていたけど、そんな話も何のそのである。東京の街には意外な発見がいたるところにあり、歩いていて見つけた面白そうなお店をのぞいてみるのも楽しいのだ。
お昼ご飯は、もちろん吉野家や松屋で食べる。ちょっと贅沢して回転寿司に行くことがある程度。高い娯楽は避ける。映画もまだ1回しか見てないし、ナンジャタウンも3900円のパスポートは買わずに、300円の入場料を払ったのみだった。
ときどき東京に1週間ほど滞在するときには、今だけ贅沢と思ってエステにいったりもしていたが、今回はそのとき買った10回チケットの残り3回分をちまちまと予約を入れて消費した。
と、ところがっ! 昨日、10回めの最後のエステの計測で、なんと、信じられないくらいに痩せていた。この暑さで食欲もないのに、汗をだらだら流しながらたくさん歩いたからなんだろう。何年ぶりという体重とウエストの数値に、嬉しいようなそうでもないような。腹筋とかの運動して痩せた訳じゃないからね。だから、すぐ元に戻るような気がする。
こんどプールに行って運動でもするかな?
2004年07月21日(水) |
この暑いのに何してるんでしょ |
息子が東京で行きたいと言っていたところは、たった2ヵ所だった。ひとつは池袋のナンジャタウンで(こっちは土曜日に行った)、もう1ヵ所は日本科学未来館、通称:ミーサイ(MeSci)と言われているところ。息子の説明によれば、宇宙飛行士の毛利衛さんが館長で、なにやら、科学を体感できるところらしい。
前日まで「明日は1日フリーだけど、どこに行こうか?」と決めかねていたけれど、朝になって行きたいところには早めに行ってしまおうということで、汐留(新橋)経由でお台場に行こうと決めたのだっだ。
ついに、「てくてく歩き東京」なんていうガイドブックも買ってしまうし。
新橋のすぐ隣に、汐留シオサイトというのができていたのも、コナンの映画(銀翼の魔術師)を見るまで知らなかったけれど、一応、コナンファンの息子と私は通り道とあれば立ち寄らぬわけにはいくまい。地図を片手にすっかり変わってしまった新橋駅の地下道を歩いて行き、私たちは「ひょおぉぉ〜」とどこから来た“おのぼりさん”かしらと思うような感嘆の声をあげてしまったのだ。まるで近未来の映画に出てくる宇宙都市みたい。レトロな東京タワーみたいな観光地もこういうところも併せ持つ東京って町は、なんてすごいところなんだろうと感動する。(←単純?)
日本テレビもここに引越ししてきていたようで、夏休みのイベントなのか何かしていて、立ち寄っただけのつもりが、遊んで長居してしまった。
それから、ゆりかもめに乗ってお台場に向かった。暑いし、建物が大きくて目的地がやたら遠くに思えるし、なんだかお昼過ぎたばかりというのに、もうへとへと。と、思いつつ、やっとたどり着いたら、がびーーーぃん 火曜日休みだったのだ。
しんじられない。
と、呆然としていたら、無料循環バスというのがやってきて(そんなものがあることは、もちろん知らなかった)とりあえず、もう暑い中歩かなくてもいいらしいのでそれに乗って、パレットタウンやらアクアシティやらのほかの観光&アミューズメントスポットに行って、あちこちと歩き回ったのだった。
ほんとにねー、行きたいところの休館日も確かめないでお台場まで行っちゃって、なんだかつかれたよー。
2004年07月20日(火) |
海の日だったんですねぇ |
ありがちな話だけれど、昨日が祝日だということを忘れていて、お金を多めにおろすのを忘れていたけど、まあいいやというくらいの懐具合で、昨日は息子と遊ぶ日でもなかったので、一人で新宿をうろうろとしていたら、歩行者天国と大道芸人という、なんだかラッキーなシチュエーションに出くわしました。
大道芸はもっとたくさんしていたのかもしれないけど、4時頃の一輪車に乗って火のついたたいまつをお手玉するあの彼の大道芸は最高にすばらしかった。で、和久井映見の元ダンナの・・えーと、萩原聖人だっけ(?)に似ているパフォーマーが、わたくし好みでかっこよかったのだ。う〜ん、期せずして、いいもの見せていただきました。
彼、きっとテレビに出るような有名人になると思うな。
ま、私はなんだか毎日遊んでばっかりいるみたいなんだけど(実際そうだけど)、だんなさんは働いてるっていうのに、君はそんなことで恥ずかしくないのかって言われても、東京って街は、多種多様な人々がほんとにいっぱいいて、そういう私もその一人に紛れて吸収されてしまい、あまり気にしなくてもいい雰囲気もある・・・。
私の実家がある県は女性の就業率が日本で2番目に多い県で、(ちなみに1位は福井県)ついでに言うと、軽自動車の普及率が1番高い県でもあって、つまり私が実家に帰っても、同級生だった人たちも、いとことかも、みーんな働いていて、こんなふうに早くから(まだ日本では夏休みになってもいないうちから)実家に帰ってきてふらふらと遊んでいるだけというのが心苦しかったりもするのだ。
東京にいると、それが全然ないとは言わないけど、今回の東京は息子の“おとも”という名目もあることだし、まあ、いいのだ・・・。 うん。
東京にはしばらく居ると言っても、まる一日空いている日はあまりないので、行きたい所には計画的に出かけなければならない。息子が「今日はどこに行く?」と訊いてくるのは、積極性に乏しい彼にとって大きな進歩である。
で、昨日は、「三鷹」、「武蔵境」経由「国立」というコースをJRに乗ったりバスに乗ったりしながら、またまた歩き回った。
これで、あと一つを残すのみになった。
帰りが少し早かったので、戻って自炊することにした。お米を2合ずつにして5袋も持ってきたのは、実は、持て余しものだった。(まだ4袋も余っている) お弁当を買っても、お惣菜だけを買っても値段が変わらないのに、ご飯を炊いたり茶碗を洗ったりの手間が増えるだけなのだった。
なので、お惣菜を買うのをやめて、カレーライスを作ったら、息子に「ママって偉いねぇ」なんてやたらと褒められてしまった。カレーライスを作って褒められる母ってなんなんだと思ったけど、確かに、ワンルームマンションより狭いあの環境で、料理しようという発想は賞賛されることかもしれないという気もする。
日本のテレビってくだらないよねーと言いながら、(アメリカのテレビも、もっとくだらないのも多いが) 息子と笑いながらテレビを見て、なんだかんだとバカ話もして、日曜日の夜は更けていった。
最近の彼の口癖は、「日本人って、・・・」とか「日本って、・・・」である。 年寄りが「最近の若いもんは」と言うのに似て、やっぱり、外の人の目になっている証拠だと思う。
2004年07月18日(日) |
kept walking |
上の息子は、欲が無いと言うか、感情を出さないと言うか、自分から何か買って欲しいとか、どこかに行きたいとかいうことがあまりない。だから今回、ナンジャタウンに行ってみたいと彼が言ったとき、ナンジャってなんじゃ(←ベタ)と思ったし、さらに、プリンとかシュークリームとかのいろんなお菓子がいっぱいあるところ(池袋にある“食”のテーマパーク)と説明されても、まったく食指が動かなかったけれど、数少ない彼の望みとなれば、行かぬわけにはいくまいと思ったのだった。ところがそこには、餃子横丁なる昭和20年代を模したレトロな町も作られていて、これが私のツボに嵌まり、彼以上にはしゃいでしまった。
うーん。また行きたい。
それから、田町経由で東京タワーに行った。遠くに見える東京タワーに、「おおっ!」と感動して、引き寄せられるように足がそっちに向かっていったのだ。東京タワーには初めて来たと言う彼は、なんだか変な感心の仕方をしていて、「へー、東京タワーってこんなところだったんだー!」を連発していた。おばあさんばっかり、おのぼりさんばっかり(←含む:自分たち)、なんだかレトロな御土産物屋さん、どうしてこんなに(料金が)高いの、蝋人形館、水族館、トリックアート展、それから展望台。なので、ベンチに座ってのどを潤し、展望台にも上らず、また歩いて暑い中をとぼとぼと帰った。東京に来てから本当によく歩いている。万歩計でも持ちたいくらい。
まる一日彼と東京をうろつき、新宿でタイ料理を食べ、夜は銭湯で長湯をし、いろんなことをいっぱいした気分の土曜日だった。
金曜日(昨日)の夕方は、先週も行った高校生のための公開講座(シリーズ)に行く予定だったのに、息子には、あっさり振られてしまったのでひとりで行った。
ワシントンで英語の学校に通っていた時のことだ。新しく日本人の女性が入ってきて、休憩のとき雑談をしていると、いきなり初対面で、「ご主人はどちらにお勤め?」と聞かれたことがある。私は、たいそう面食らった。そんなふうに、「この人は○○にお勤めの人の奥さん」なんてレッテル貼られて、値踏みされる不快感は、久しくなかったから。
でも、私自身も、知らず知らずのうちに、そうやって何かにレッテルを貼って見ていることはあるのだと、昨日、思い知らされてしまった。
昨日の日記には、息子が何にも考えていないなんて嘆いたことを書いたけど、あなたのほうが、レッテルに惑わされず、ちゃんと本質を見ていたね。
と、説明不足で意味不明なことを(自分の記録のために)書いてみた。
早くも、一週間。
東京に来てから1週間経った。昨日は、おばあちゃんの原宿と言われる巣鴨に行ってきた。確かにそんな感じなんだけど、でもそれって巣鴨に失礼だ。ホントの原宿より、おばあちゃんの原宿のほうが大きくて立派で賑やかで見ごたえがあるし、とげぬき地蔵さんなんてご利益のあるものまであるのだもの。意外だったのは、もっとお年寄りのおばあちゃんが多いのかと思ったら、おばあちゃんと呼ぶのは失礼な若いおばさんが多かったこと。(共通点はどっちもチープなものが売られてるというところ)
でも、私はホントの原宿のほうが好きだけど。
それから、お友達とお昼ご飯を食べた。同年代の子どもがいると、親は似たような悩みを抱えるものらしい。いまどきの子どもは何でも与えられすぎていて、自分から何かを強く欲するという気持ちに乏しいのではないだろうか。うちの息子も、将来何をしたいのかとか、大学で何を学びたいとか、まるで分かっていなくて、理系か文系かくらい決めないと勉強のやり方ってものもあるでしょうなんて言うと、「親がごちゃごちゃ言うから、子どもがやる気なくすんだよ」と反発する。「うちもそうだよ、おんなじような感じ」と聞き、親が心配しすぎなのかしらんとも思ったりした。でも、そういう心配することが、親の仕事みたいなところもあるし、・・・難しい。
あとは、どんなときに歳をとったなあと感じるかとか。「うんうん」と頷き合えてしまうところが哀しいというかなんというか。 あぁ。 そのことには触れないでおこう。
日々変化する東京で、銭湯もやっぱり進化している。昨日行った銭湯は前回の銭湯と違い、マンションの1階にあってキレイなだけではなく、気泡風呂、森林浴風呂、電気風呂、サウナ、水風呂もついている素敵なお風呂だった。(おんなじ400円なのになぁ) そこには、若いおねーちゃんも来ていて、長湯していても楽しいのだ。ひとりのおねーちゃんは、あんたいつまでからだ洗ってんねんというくらい、延々と体を洗い続けていた。すべるような肌で(触ったわけではないが)スタイルもいいんだが胸もない。(ちょっと残念←ヒトのこと言えるのか?) で、一度も湯船に浸かることなく、軽くシャワーで洗い流して出て行ってしまった。もうひとりのおねーちゃんはぽっちゃりとして色が白くてまるで、(以下略)彼女はコミック誌を持ち込んで、これまた延々と読み続けていた。年配のおばちゃんは、サウナと水風呂を行ったり来たり何度も繰り返して、修行僧のような面持ちで、深く切ないため息をふーっと吐いていた。
それらをずーっと観察している私も私なんだが。
このまえの銭湯もそうだったが、ここも新しくてキレイなのに人は少ない。心置きなく洗い場を使えるのはいいが、これで経営は成り立つのだろうか。たった400円でこんなにリラックスできるすばらしいシステムも風呂好きの日本人ならではと思うのに、なくなってしまうんではないかと心配になる。
おーのー。
私はこんなふうに東京の生活を満喫している。
その昔、そんな時代もあったねと(by みゆき) おもいだしながら。
2004年07月14日(水) |
おばさんはドキドキする |
昨日、四谷にある某大学(←まる分かり)の「雑誌論」という授業で、ゲストスピーカーに猪瀬直樹さんを招いて「メディアの表と裏」と題する講義があったので、聴講してきた。本当は学外の部外者は入れない。だから私は、いくらなんでも、学生じゃないのはバレバレ(!?)とドキドキしながら紛れ込んでいたのだ。
私は自分のことを自分で「おばさん」だなんて言いたくはないのだが、世間は私を「おばさん」だと思っていることは認識している。それにしても周りが若い子ばかりで、日本の大学は高校を卒業した人たちの行くところなのだなあと、改めて感心してしまったのだ。アメリカの大学は若い子だけが行くところではないから、大手を振って「おばさん」も大学を闊歩できる。アメリカにいれば、女性はそんなに自分の歳を気にしなくてもよい。(アメリカのいいところは、そこに尽きるかもしれない)
私が教室の一番後ろに座っていると、「ここは何の授業ですか?」と訊いてきた女子学生がいた。それに応えると、丁寧にお礼を返されたので、ああ、やはり年配者(年上の者)に対する対応だったなぁなんて、もしかしてばれてないと思ってるの?と訊かれそうな、ずうずうしいこと思ったのだ。
講義の途中で、猪瀬氏が「この中にマスコミ志望の人は何人いる?」と問うと、10人ほどの人が手を挙げた。「他は?」と続けて問い、何にも手を挙げない私に「君はどうしたっ!」なんて言われるんじゃないかとドキドキした。
が、何事も起こらず、2限を割いての講義も無事終わり、私は、学生にまぎれて校舎を後にしたのだった。
いま泊まっているところはウィークリーマンションなんだけれども、とても狭い。ワンルームマンションより狭いところにベッドをふたつも入れてるのに、棚などの備品もほとんどない。なのに、狭くて床に物を並べることもできない。文字通り、足の踏み場もないとはこのことだ。なのでせっせと片付ける。食事の時だけ引き出してくるスライド式のテーブルも終わればすぐしまうし、食器もすぐ洗う。ごみも毎日ごみ置き場まで持っていく。すぐに匂いがこもりそうだから。
そんな状況で、昨日は、ご飯を炊き、カレイの煮付けも作ってみた。あとのおかずは、パックの惣菜(かぼちゃ、中華くらげ、豚レバー)とインスタント味噌汁。デザートにヨーグルト。
昨日は、狭いお風呂に飽き飽きしていたので、近所の銭湯に出かけた。近くには銭湯が3つもあるのだ。さすが東京だ。帰ってきたら、何か臭う。なんだろうと思ったら、1匹残っていたカレイの煮付けだった。
何気なくつけていたテレビがあまりにくだらないので、「そんなの消して本でも読もうよ」と言ったのはいいが、読みながらいつの間にか眠ってしまっていた。
息子は、小学校5年の1学期まで東京に住んでいたとは思えないボケっぷりで、私を驚かせてくれる。
幸手に行くには、北千住まで行って、東武伊勢崎線に乗り換えるのだが、北千住までは山手線の日暮里から常磐線に乗り換える方法と、西日暮里から千代田線に乗り換える方法がある。常磐線も山手線もJRで、千代田線は営団地下鉄だから日暮里乗換えで行ったほうが安いよと言うと、「どっち通ってきたのか、どうやって分かるんだよ」と言われてしまった。
別の日には、新宿駅に着いてホームから改札まで歩いていると、「ここ、ほんとに新宿駅?」と怪訝そうに言う。この前来た新宿駅と感じ(風景)が違うってことらしい。 あ、あんたねー(がくっ。 新宿駅が田舎の駅みたいに、改札がひとつしかないと思っていたわけ?
私が新宿駅周辺を「こっちだよ」と言いながら、さっさと歩いていくと、「すごいねー、よく知ってるねー」と感心してるし。
見た目と中身が、なんだかものすごくアンバランスなよく分からない息子である。「ひとりでお昼ご飯食べられる?(お店に入れる?)」と聞いてしまったくらいに。
昨日は、幸手というところまで、片道1時間半ほどかけて映画を観に行った。ゴールデンウィークに封切された映画をまだ上映しているのが唯一ここだけで、そのうえ、昨日は最終日だったのだ。こんなことでもなければ、きっと行くこともないところだ。11時からの回に充分間に合うよう早めに着いたのはいいが、駅前にはなんにもなくて、「イトーヨーカドーくらいあるよ、だって『市』だよ」と言ってた私は途方に暮れたのだった。
それでも10分も歩けば、バーミヤンや夢庵もある国道4号線の大きな通りに出た。息子と二人で、映画を観て、一緒にお昼を食べて、デートするのもなかなかよいが、早くも飽きてきた。映画代くらい自分で払いなさい!<息子
交通費、食事代、宿泊費などなど、財布から現金が次々消えていく感覚というものに慣れていない。息子はムコウで自分で買い物することもないのだから、私以上にそんな感覚だろう。(宿泊費はカードだけど) そういえば、昔、一人暮らししていた頃や、東京で主婦していた頃ってこんなだったけなんてぼんやり思った。
いま仮住まいとして暮らしているところは、私が学生時代の最初の1年を過ごしたところでとてもとても懐かしい。駅前の果物屋さんが、20年前と変わらず商売していた。アーケードの中に、定食屋や和菓子屋もあった。
あっと言う間に一日が終わるなんて、一日ひとつのイベントしたら帰ってごろりとしていまうからかも。東京での予定してたこと、みんなできるかしらん?
昨日はネットを見られなかったので気づきませんでした。2代目さんにお会いできず残念です
毎日があっという間に過ぎていく気がして、日記も書かなければ、今日が何日だったか咄嗟に思い出せない。
実家で過ごした2週間もあっという間だった。テニスしようと思って、スーツケースに入れて持って帰ったラケットとボールも使わずじまいだった。
昨日は上京後の夕方、某大学の「高校生のための公開講座」というのに行ってきた。(社会人も聴講可能) ずっと昔に来たことのある場所で、階段教室も懐かしかったが、それよりも、親とは一緒に居たがらない高校2年生になった息子と一緒にあちこち行って、ふたりで同一行動するなんて、こんなことでもなければありえない。そんな経験も、この夏で最後だろう。
昨日は暑いなか歩き回って疲れてたので、そのまま夕食を食べて帰りました。お誘いいただいたのに、ごめんね
息子は、今日から半日ほど別行動。(平日のみ)
東京の子なら、小学生のときから一人で電車に乗って目的地へ行くのだろうけど、ムコウで一人でスクールバス以外の乗り物に乗ることもない息子は、田舎の子以上に慣れていない気がして、当然のように私も息子についてきてしまった。
まっ、「ひとりでも行けるよ」と言った息子に、無理矢理ついてきてしまったのは私なんだけど。
昨日のニュースで、日本列島が猛暑で、35度や36度がどうのこうの言っていたけど、それを聞いても何もピンと来なかったことに、いま気づいた。35度って言ったら体温じゃないか。それって、あんまりないことだったのかと。私は暑さには強いほうだし、ムコウでもこのくらい暑くて湿度もあるから。
実は私は、気温を67度とか82度とかの華氏で言われても、いまだに理解できなくて、「82度って何度だっけ?(暗算してよ)」と子どもに訊いてしまう。暗算しなくても感覚で理解している人もいるというのに。
これでは、日本語を忘れていくだけで英語も上達しない、バイリンガルどころかどっちも中途半端になってしまう子どもと同じだ。(泣
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今日はこれから、上の息子と東京に向かいます。下の子は、クラブ活動は野球部に入り、夕方6時半頃帰ってきます。きっと、日本の中学生っていっぱい(長い時間)学校に行って大変だなあと思いながら、通っているのでしょう。
ところで、電話や携帯メールをくれた方、誰だか分からないけどありがとうございました。出られなくてごめんなさい。けっして無視してるわけじゃないです。
(昨日の日記からの続きです)
「ないもの」は、美味しい食べ物や日本語環境ばかりではなかった。私は、自分が自分でないことが悲しかった。日常会話程度は話せても、クレームをつけたり交渉事をしたりというアメリカ生活では欠かせない能力に程遠い英語力では、私はまるで子どもだった。半人前の自分、なんでも夫に頼らなければならない自分を受け入れるには、まだ、諦めも開き直りも足りず、少しばかりのプライドもそれを許せなかった。
なかには、そういう私の気持ちを「よく分かる。私も同じよ」と言ってくれる日本人の奥さんもいたけれど、多くは、数年間の駐在生活だからそんな事を気にしないのか、楽しそうに遊んでいるだけのように見える人たちもいた。
夫がどうしてアメリカに残りたかったのか、日本に帰りたくなかったのか私もよく分かっていた。夫が家族のために働いてくれていることも、いまが踏ん張りどころなのだから、妻として夫をサポートしてあげなければいけないということも、分かってはいた。英語だって頑張った分、すこしずつでも上手くなるのだから努力すればいいと思ってはみた。
なのに、あのころのわたしは、狭い自分の殻の中で「たりないもの」を数えることしかできなかったのだ。
外に出て人と交わり、学校で勉強し始めた今でも、ともすれば、あのころの気持に引き戻されそうになる。けど、なるようになるさ、わたしはそんなにすごい(能力のある)人でもないんだし、なるようにしかならないんだし、といまは思う。
あのころ、何をあんなに思いつめていたのだろう
と、いまは思える。
一年と数ヶ月前、私はとても落ち込んでいた。
駐在員だった夫が、日本での勤務先を辞めて、派遣先(数年ごとの契約)だったアメリカの勤務先に(半永久)就職することを決めたからだ。それは、同僚や他の日本人から「おめでとう、就職が決まってよかったね」と言われるできごとだったし、なにより、本人(夫)にとって一番嬉しいことだったけれど、私には到底受け入れられなかった。最初は2年で帰ると言っていたのに、2回も契約延長して、結局最後は帰らないと決めてしまうなんて話が違う、私が日本に帰りたいと言っているのを知っているのに。そんな気持でいっぱいになると、そればかりがぐるぐると頭の中を巡り、私は「ないもの」ばかり数えていた。
美味しい食べ物も、字幕のついた映画も、日本語の図書館や講演会やカルチャースクールも、くつろげる温泉も、ごろりとできる畳の部屋も、すべて無いものばかり。
精神的な落胆があまりに大きすぎて、私は体調を崩した。耳鳴りがしたり、体のあちこちが締め付けられるような痛みに襲われたり、だるくなったり、とにかく何もしたくなくなった。誰にも会いたくないし、何もしたくない。引き篭もり。パソコンで遊んでいるか、ゴロゴロと寝ているか。掃除は勿論、炊事も洗濯もしない母と、子どもたちの関係は最悪だった。夫は2ヶ月も出張に行ったきり、私と話をすることもなかった。もっとも、言いたいことは既に言い尽くしているから、夫は私の愚痴を聞くだけの会話は避けたかったに違いない。
決して投げやりではなく、「そんなに帰りたいなら、しばらく日本に帰ればいい」と夫は言った。帰るつもりになっていたけれど、当時の私には、引越し荷物をまとめるなどという億劫な仕事もできなかった。子どもも連れて日本の学校に転校できたら、私も夫を単身赴任にして日本に帰っていたかもしれないが、子どもはアメリカに残ると言うのに、いくらなんでも母親だけが日本に帰るという選択はできないと、やっぱり思っていた。
それから、しばらくして夏休みになり、子どもたちと一緒に2ヶ月近くを実家で過したら、気持の持ちようが随分と変わった。私はものすごく小さな世界で思い悩んでいたのだと思えるようになった。
あれから、1年。
外に出ることから初めて、やっぱりもっと英語が上手になることが大事なんだと学校にも通い、すこしずつ自分を適応させることができるようになってきた。
「はじめてのおつかい」というほほえましい番組があるが、私はあれを観るたび、アメリカではありえない番組だよねぇと思うのだ。日頃ムコウでは「11才まではベビーシッターなしでひとりで家においていてはいけない」と法律で決まっているところに住み、交通の便が悪いので、高校生になってもクラブ活動の終わる時間に学校に迎えに行っているのである。
だから、息子が「友だちと遊びに行く約束をした」と言って、汽車に乗って映画を観にいくという話を聞いて、なんだか「はじめてのおつかい」に出す親のような心境になったのだ。中2の息子は、とうの昔に父親より背が高くなっているというのに。
土曜日、試験期間が終わってクラブ活動が再開され、朝早くから汗を流して、くたくたになって帰ってきて、お昼ご飯も疲れて食べられない状態で、シャワーだけして出かけていった。
いったい何をしていたのかとても気になる。
ミスドで、90円のドーナツをひとつ買って、飲み物も買わずに、水をもらってすませたと言うから、さすが、中学生ってそんなものかと安心していたら、何のことはない、自分の好きなことにはお金を使うみたいで、ゲームソフト2枚と、CD1枚で8千円も使っていた。他の子も似たようなものだったらしい。(息子曰く、「僕は普段、自分で買物に行ったり出来ないのだから、こんな時くらいお金使ってもいいでしょ」)
日本の中学生なら当たり前のことだけど、新しい経験をひとつして、ちょっぴり大人な気分になった母と子なのだった。
吉備路・倉敷へは、初めて行ったけれど、 景色や街並みが純和風のとても素敵なところで大感激した。 こんなに素敵な街だったなんて知らなかったよって感じなのだが、 ミステリーツアーだから、早く次のチェックポイントに行って ヒントをもらわなきゃと思うと、気分的にゆっくりしていられないので 残念だった。
そのうえ、備前焼や、竹細工や、着物柄の洋服や小物や、きびだんごやさんや、 面白そうなお店が ずらりと並んでいても、おとこふたりが同行者だと、 全く興味なさそにしているので、ゆっくり観られなかったのだ。
「なに言ってるのぉー、どれだけいっぱい付き合ってあげたか」と 息子は言うけど。
それでも、最後のチボリ公園では時間があまって、すっごく久し振りに ジェットコースターに乗ったり観覧車に乗ったりもできた。
その間、下の息子は中学校に通っていた。
昨日は、4日目にして早くも、友達をふたり連れてきた。 そういうことって新鮮で、親のほうが、「アイスクリーム食べる? クッキーは? 飲み物はなにがいい?」と、ちょっと舞い上がって いたような。
学校帰りに子どもが、親のアレンジなしで来ることなんてアメリカでは 出来ない。車での送り迎えをするか、いつもとは違うスクールバスに 乗せるのでお願いしますという親のサインの入った note をもたせるか しないといけない。
昨日と今日は、期末テストで、息子は夜遅くまで試験勉強をしていた。 ムコウで日本語補習校に通っていないので、歴史のテストなんかは 特に大変そうである。
日本の中学生だったら、あたりまえのこととは言え、毎日学校に行って 試験勉強もして・・。 普段は、いつ勉強しているの?って言うくらい 遊んでばっかりいるのに、偉いなあ息子。(でも、どうしちゃったんだ???)
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