samahani
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2003年10月14日(火) |
tennis / yoga |
今日は火曜日で、テニスに行った。ラッキーなことに、いままで火曜日には雨が降ったことがない(と言ってもまだ3回目なんだけど)。今日初めてアメリカ側のおばあちゃん(75歳のメアリーさん)と組んで一緒にゲームした。さすがに動きはゆっくりなんだけど、きちんとひとつずつボールを返していって、ラリーが続いて、すっごく楽しい試合になった。
とても感心したのは、メアリーさんはとても楽しんでテニスをするのだ。私が打ったボールが大幅にアウトになってしまったときも、あとちょっとだったのに惜しいねと、ニコッとして言うし、いいコースが決まっても、すごいすごいと言って褒めてくれる。途中も、こんなに楽しいテニスはないよね isn't it? と言ってニコニコする。
メアリーさんはとっても短い丈のスコートを穿いている。頬っぺたに真っ赤なチークも塗っている。最初に見た時は“うひぇ”って思ったけど、いまではこんなにかわいいおばあちゃんになれたらいいなと思えるほどだ。きっとテニスが大好きで、ずっと続けてきたから、75歳になってもプレイできるのだろう。そのことだけでも、とっても素敵なお手本を身近に見せてもらっている気持ちになる。
久しぶりにとっても楽しいと心から思える数時間だった。
夜、ヨガのクラスに行った。久しぶりに行ったら、昼間のテニスと比べても、体力的に全然ハードじゃなくて、ヨガって運動にはならなくて精神世界の(ある意味宗教的な)ものなんだなあと思った。うーん、やっぱり合わないかも・・。
帰る頃には、バケツをひっくり返したという表現では全然足りない、滝の中に居るようなようなものすごい大雨になっていた。
大手小町という掲示板で「海外で差別を感じたことはありますか?」というトピが立てられていたことがある。ざっと読んでみたのだが、ひどい差別を受けたというレス(ポンス)ばかりが最初の方にずらりと並んでいて、少しばかり驚いた。私はアメリカに住んで、日本人だからとか女だからという理由で差別されたと感じたことはなかったからだ。
けれど昨日のある男性の言葉は、謂れのない嫌悪という意味では差別に近いものがあったのかもしれない。
最近始めたヨガのクラスは、午前でも午後でも、いつ行ってもよいので、夜8時のレッスンを取った。その時間は仕事帰りの男性も多い。1時間のエクササイズを終え、車座になって雑談している時、50代後半くらいの、ある男性が「あなたは、何人(なにじん)か?」と訊いてきた。日本人だと応えると、「自分は日本の名前を持っている、タケオって言うんだ」と英語で言ってきた。「日本人なんですか?」と言うと、「オレが日本人に見えるかい?」とケンのある言い方で返してきたので、「NO!」とはっきり言った。もしもその男性が日本人または日系の2世・3世で、多少なりとも同胞意識があるならそんなイヤミな言い方はしない。
その男性は、それから私に対してというより、車座になっていた他の人たちに向かって、「日本人が韓国を占領して、日本人に韓国の名前を捨てさせられて、日本名を名乗るよう強制されたのだ」というような恨みつらみを喋り始めた。「でもそんな名前は捨てちゃったけどね」みたいなことも言ってたけど、英語で言われても聴く気にならなければ、内容なんて私の頭には入ってこないのだ。(ちょっと便利) 隣の女性が、そんなことをこの場であなたに言ってもねぇという顔で私を見てくれていた。
言い返したい気持ちもあったけれど、韓国で日本名をつけさせられていたなんて初めて知ったし、反論する内容も英語力も持ち合わせていなかったので黙っていた。
ヨガに来るのは、ストレッチや瞑想をして体をリラックスさせてリフレッシュするためなのに、そんなにカッカとしてどうするの、周りの人にも迷惑だよと思う一方で、私が日本人だから、日本や日本人が嫌いだから、つい言いたくなってしまったというのも少しは分かる気もした。直接私に面と向かって言われた訳でもないので、私がこのことを日記に書こうと思わなければ、すぐ忘れてしまったのかもしれない。
翌日また8時のクラスを取ったら、帰り際、タケオさんに「さよなら」と日本語で言われた。その言い方に、昨日のことを少し反省していますという雰囲気が感じられて、ああ、あの場で何か言い返さなくてよかったと思った。
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