samahani
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2003年03月18日(火) |
こんなかたちで知ることになった |
今朝、父から電話があった。春休みになったら、父と甥と、私とは姉妹みたいに育った従姉の息子の3人が遊びに来る予定だったのだが、今にも戦争が始まろうとしているこの状況では危険だから、行くのはやめた方がいいんじゃないかと、甥の母親(兄嫁)が言っているという話だった。
確かに、DCの中心地辺りだとピリピリした緊張感があるのかもしれないし、テロの危険性もあって観光どころではないのかもしれないけれど、私には、少しも考えてもみなかったことだった。
急いでテレビやネットで状況確認したところ、
CNNでは、戦争関連の話をずっとやっていて、ワシントンの地下鉄に警官が動員されて見張りしている様子も映し出されていた。NBCは、戦争関連の報道の後、バスケットボールの試合の話に変わって、「イエーィ! 応援するよぉ〜」てなノリの人たちが映し出されて盛り上がっていた。他のチャンネルはドラマやコメディーを放送していた。
ネットは日本語のサイトを見たのだが、野球もサッカーも海外遠征を中止したと書かれていた。それを見てはじめて、そうか、そんなに大変なことだったのかと思った。
以前から思っていたことだけど、日本のメディアって、危険でも悲劇でも、悪いことを強調してマイナスの感情を煽るような報道の仕方をしているのではないだろうか。メディアによって、ペシミストが大量生産されているのではないだろうか。
戦争は、海の向こうのことだと思っていた。危険なところに住んでいるのだと、こんなかたちで自覚するとは思わなかった。
大丈夫だよなんて保証はないし、もう買ってしまった飛行機のチケットを無駄にしても来ないと決めるのは、日本に居る人たちだから、私は何も言えないけれど。
2003年03月12日(水) |
らりるるれれ、(五段活用) |
(続く)とか書いておきながら、更新意欲が著しく低下したままです。 ・・という訳で、後半は、はしょって終わらせることにします。ほんとは、未然、連用、終止、連体、仮定、命令の6回分あるつもりだったのだけど。(笑)
そのあと 午後になってから、保険会社に電話。これがすっごく時間が掛かった。あっちに電話しろこっちに掛けろとたらい回しにされたのだ。息子に電話を手伝ってもらったのだが、おかしかったのが「信号は何色だったの?」と聞かれ、「あお」と言ったら、「 green ネ!」と言い直されたことだ。やっぱり日本人は信号は青でしょ。ちなみに、州の交通規則では NO TURN ON RED(赤で曲がるな)という標識がない限り、信号は赤でも右折のみ曲がってもいいのである。
車が壊れたままで放置しておきたくなかったので、すぐに修理してくれる BODY SHOP を捜した所為でもあるが、何度もいろいろな所に電話をして、結局、次の日の朝一番に車を持っていける店を捜し出すまで1時間半かかった。
次の日は、日本大使館のご招待で、WTWCのメンバーが「ひな祭りティー・パーティー」に呼ばれていたのだが、朝8時に BODY SHOP に車を持ち込んだのに、10時半からのパーティーに間に合わなくなって欠席してしまった。おまわりさんが、相手の情報をくれなかったので、保険の免責部分もレンタカー代も、一度全部自分で払って、後で保険会社が取り戻すという仕組みになるのだと教えられた。それも手続きが完了するのに半年はかかるというのだ。そんなバカなことってあるかぃ!と名刺にある警察の電話番号に掛けたり、保険会社に掛けたり、結局、この日の朝も、2時間あまり時間を使った。おまわりさんはずっと留守番電話、つまり外廻りしてるので捕まらないのだ。なんにも役に立たない名刺だった。
BODY SHOP のおにーちゃんも、なんだか人のことを適当にあしらったような扱いで、この車はライトが壊れているので、もう道路を走れない、走ると警察に捕まるよなんて言うし(そんなことおまわりさんは言ってなかったのに)、やれやれ、ふーっ、てな気持ちだったのだが、レンタカー屋の黒人のおにいちゃんは、親切ないい人だった。電話する間、気長にいろいろ付き合ってくれたり待っていてくれたりして、結局「今日は借りるのを諦めたらどうか」と言い、家まで送ってくれたのだった。昨日から、ふてぶてしいねーちゃん、不親切なオマワリ、人を見て差別してるとしか思えない修理屋のにーちゃんと、気落ちする人たちばかりに接していたので、彼の親切が身に染みた。ああ、ちゃんといい人も居るのだワと思えたことは、気持ちのうえでとても救いだった。
いろいろなトラブルに巻き込まれて、気分が滅入ったけれど、いつだったか、ある人が話してくれた「アメリカで強く生きるコツ」を思い出して、こんなことには負けられないって思った。
彼女は、医学の研究をしている日本人の旦那さんとともに10年ほど前にアメリカに来た。その頃彼女は、オートロックのマンションで、玄関の横に集合の郵便受けがあるところに住んでいた。ある日、いつものように帰ってきて郵便物を取ろうとしたら、その郵便受けのところに3〜4人の男が隠れていた。彼女は取り囲まれ押さえ込まれた、手に持っていた鍵を奪おうとしたらしいのだが、郵便受けの部屋の番号も見られてしまっているし、それだけは絶対に阻止しようと必死の抵抗をした。昼間のマンションの住人はみんな出払っていて助けを呼んでも、人の気配もなかった。どんなに恐怖を感じたことだろうか。それでも、絶対に自分の身は守るという強い意志で、誰かが見つけて警察を呼んでくれるまで抵抗し続けた。助かったと思ったそのあと、床にへなへなと座り込み、鍵を持った手を開こうとしても石のように硬くなっていて、長い間、手を開けることも出来なかったそうだ。
彼女のすごいところはその後である。そんなことがアメリカに来て、最初の頃にあったら、もう居られない、帰りたいと思っても不思議ではない。けれど彼女は、こんなことがあったんだから、もうこれ以上のことはないだろうと思ったのだそうだ。却って、反骨精神が湧いてきて、もしこれ以上のことがあるなら見届けてやろうじゃないのという気持ちになったのだ。
確かに、そのくらい逞しくならないと、気持ちが塞ぐことはいくらでもある。
きょう、予定より2日早く車の修理が終わったと電話をもらい、車を取りに行った。修理代もレンタカー代も一部を負担することになったけれど、あとは保険屋さんに任せて、半年後を待つしかない。いろいろあったけど、こんなふうにしてアメリカの生活に慣れていくのだろう、いい経験だったのかもしれないと、彼女の話を思い出し、プラス思考で考えようと思った。
2003年03月08日(土) |
事故ります(連用) 2 |
昨日の日記からの続き
受話器の向こうにFAX用のコール音が鳴っているのを聞いた時、私は、ああ・・やっぱりなという気持ちだった。けれども、うちに帰って、なんだかホッとしていた。(あのムカツクねーちゃんと寒空の下に居るよりはましだった) 次は、警察と夫の会社のどっちに先に掛けようかと思ったが、自然と話が簡単な方の夫の番号をプッシュしていた。夫は、まだ会社には着いていなかった。警察に電話を掛けた。「911」に電話をするのは初めてだった。
事故に遭った時間と場所を伝え、今は家に居ると言うと、すぐに来るということだった。私は、ぶつけられたんだ、被害者なんだと、どうしても伝えたくて、受け身( be + 過去分詞)にしたのだが、hit の過去分詞も hit ( hit-hit-hit ) だとは知っていても、それじゃあ、ぶつけられたと伝わらないゾと思えて、 “ My car was hitten. ” としつこく言っていた(笑)。電話の向こうの婦警さんは、英語の先生ではないから間違った英語を訂正したりはしないけれど、私が「相手は免許証も見せないし、嘘の電話番号も教えられたし、困っているのはこっちなんだ」と必死に訴えている事はちゃんと聞いてくれた。私のことを、英語の下手な人だなとは思っただろうけど・・。
それから15分ほどして、警官がひとりでやって来た。ドアをノックし、玄関で立ち話するのかと思ったら、当然のように靴のままズカズカとキッチンまで入ってきた。(もちろん、靴を脱いでもらえませんかなんて言えるわけが無かった) 私が紙に図を描いて事故の状況を説明すると、「分かった、大丈夫。ムコウの言っていることと同じだよ。レポートはそう書くから(まかせて)。あとは、保険会社同士の話し合いになるから、自分で保険会社に連絡してどうすればいいか聞いてその通りにすればいい。それは警察の仕事じゃないからね。何か質問ある?」と言われた。「質問ある?」って、それで終わりなの?・・・。私は相手の電話も保険の番号も知らないのに、それで、大丈夫って言われても、本当に大丈夫なの???
「ちょっと待って、それじゃあ心配だから、夫に説明してください」と私が言うと、電話で、夫に一通りのことを説明してくれた。警官は「説明したから、もういいかな」と言って帰ろうとした。気持ちのどこかで、なんだか変だなあとは思ったけれど、あの、ふてぶてしいネーチャンと比べたら、おまわりさんはまともで、きちんと対応しているように思えてしまった。(比べる方がおかしいのだが) それに、夫も話を聞いたのだし、おまわりさんも名刺をくれて何かあったら電話してと言っているのだし、何とかなるだろうと思ってしまった。
その後すぐ夫に電話したら、「追突された場合は90%以上ムコウの責任ってことになるから大丈夫だって言ってたよ」と言うので、少し安心したのだが、全然、大丈夫なんかじゃなかった。
そのあとすぐ、あーあ、アメリカのオマワリなんて「いいかげん」なんだからっ!と思わされる出来事が待っていたのである。
(続く)
2003年03月07日(金) |
事故らない(未然) 1 |
それは、月曜日の朝のことだった。久しぶりにマイナス10度にもなり寒かった。私はいつものように息子たちを学校まで送って行った。下の息子を中学校まで送って行った帰り道、幹線道路から細い道に曲がろうとしたのだが、その角の路面が凍っていて曲がり切れず、曲がろうとしていた道路の反対車線の前まで行って停まってしまった。そのときは幸いどこにもぶつからなかったのだが、すぐ後に後ろから来た車に追突され、大きな衝撃とともにバンパーが欠け車がへこんだ。
それから後のことは思い出すと本当に腹立たしい。相手の女性は黒人だったので年齢が分かりにくかったのだが、 under 18 だそうで、もしかしたら高校もドロップアウトした16才だった可能性もある(12年生は車で登校できるので、学校に行く途中だったのかもしれないが)。「免許証を見せて」と言っても頑なに拒否し、「私は under 18 だから、親の許可なく免許証を見せることは出来ないのだ」と、本当かどうか疑わしいことを言い張る。もちろん保険の種類も番号も見せない。警察が来るまでこのまま動かないと言って、曲がり角の他の車に邪魔になるところに居座っている。私も彼女も携帯電話を持っていないのでどうしたものかと途方に暮れていたら、通りがかりの人が「電話してあげようか」と声を掛けてきた。
この寒いのに、朝も忙しいのに、いつ来るかわからない警察を待たねばならないなんて。追突しても「ごめんなさい」も「申し訳ありません」も言えず(それがアメリカン・ルールなんだけど)、「あなたが悪い」と言い張り、自分の名前や電話番号も言わずに、こっちの名前や電話番号を聞き出そうとする「ちょっと、あんたっ、なによっ!!!」な、ふてぶてしくて、とても18には見えない黒人の女に、私はぶち切れだったのだ。
「帰りたかったら帰っていいよ、私は待ってるから」と彼女が言う言葉の裏に「どーせ、あなたは待てないんでしょ(ふんッ)」という強気な態度が見えて癪に障る。私は、馬鹿正直に「免許証はある?」って訊かれて、「持ってない」と応えていたのだ。どっちみちムコウも見せなかったんだから、わざわざ無いなんて言わなくてもよかったのに。
いま思い返せば、いろいろ腹立たしいのは、咄嗟の時に適切な判断や処置が出来なかった自分自身に対してである。 例えば、名前と電話番号を書いてと差し出された紙切れに、私は自分の情報を書いたのだが、まだ相手の名前や電話番号を聞いていなかった。どうして、「あなたが先に教えるべきでしょう? 書いてくれるまで書かないよ」と言えなかったのだろう。どうして、しつこく相手の保険会社や保険の番号を聞き出さなかったのだろう。
結局、その後、相手の名前と親の名前、電話番号を聞き出して、私は警察を待たずに家に帰った。警察を待たないのは、よくないことだろうとは思ったけれど、もうその時点で30分は経っていたのだ。
家に帰って、まず最初に、紙切れに書かれた相手の自宅の電話番号に掛けてみたら、それはFAXの番号だった。
(続く)
最近、日本語教師の仕事中での話ばかり書いていて「お仕事日記」のようである。ま、いいんだけど。でも、今日はお仕事の日なのに行けなかった。当日の朝にキャンセルになったからである。当日のキャンセルは認められていないので、私は仕事をしていないのにアルバイト代がもらえる。
生徒さん(旦那さんの方)は、今とても忙しい。3月末には日本に行くので、片付けなければならない仕事が山積みになっている。「毎日、夜の11時まで会社に居るのよ」と、奥さんが嘆いていた。日本語を習うどころではないのだろう。結局、日本で仕事をする時も英語を使うのだし、バイリンガルの秘書が雑用は何でもしてくれるらしい。実際に生活の場に出て、買い物をしたり、子どもと公園に行ったりする奥さんの方が熱心に勉強しているけれど、旦那さんのほうはあまりモチベーションが持てないのである。それに、会社がレッスンの費用を払ってくれているから、急に休んでも懐は痛まない。
たぶんそんな理由で急に休みになってしまったのだが、私は、おかげで、英語のクラスに行くこともできたし、BBLを傍聴することもできた。けれども、なんだかすっきりしない。それは、以前日本語検定を受けて日本で働きたいと言っていた生徒が、「もう少しお金を溜めてからまた来たい」とウチの学校で勉強することを諦めてしまったと聞かされたからである。授業料が高くてプライベート・レッスンの費用が払えないのだ。回数をまとめて買うと1回分が安くなるから、もう少しお金を溜めてから来ますと言ったのだそうだ。
やる気があっても、自分で費用を出す生徒は来ることができなくて、モチベーションは低くても、会社がお金を出す生徒は当日キャンセルしてしまう。そんな程度の理不尽は世の中にごろごろと転がっているのだろうけれど、やっぱり、なんだかなあ、なんとかならないものかしらねーって思ってしまうのだった。
私も彼女と日本語を勉強するのを楽しみにしてたのに・・・。
2003年03月03日(月) |
アメリカ人の夫も好きだったもの |
以前この日記で「いいとこの奥さん」という言葉を2度ほど使ったことがあるのだが、それは、私は決して「いいとこの奥さん」ではないし、なりたくもないという意味だった。この近所や日本人の集まるパーティーでも、それらしい(いいとこの奥さん風な)人たちに会うのだけれど、私にとって彼女たちは「ふーん、そういう人も居るのね、そういう思考(嗜好)もあるのね」と感じさせる別世界の人である。
私の思う「いいとこの奥さん」とは、 1.ブランド物が好きで、ブランド物に詳しい 2.化粧が上手で、こぎれいな格好をしている 3.旦那や子どもの学歴や職業が、そのまま自分のステイタスである 4.創作系のお稽古事をしている (シャドーボックス、トールペイント、チャイナペイント、ビーズアクセサリー、料理、陶芸、キルトetc.) 5.自分の作品で自宅をきれいに飾っている 6.物事を批判的に見ることをしない(そのまま素直に受け入れる) 7.自分が男性と対等だとは敢えて思わない 8.夫のことを「主人」と言う などの条件を充たした人である。
私も過去にシャドーボックスを習っていたことはあるけれど、先生が日本に帰ってしまって解散した今は、自慢じゃないけど1つもあてはまらない。
きょうの日本語のレッスンでのことだ。テキストの中に「こちらは田中さんです」という例文があった。そのとき、生徒の奥さんの方が「こちらは私の husband です」と言いたいのだけど、 husband は日本語でなんと言うの? と訊いた。私は、一瞬迷ったのだけれど、「夫」ですと答えた。そのあとで、そこまで言う必要があるのだろうかとも思いつつ、こう言った。「夫と妻は、純粋に husband と wife を表す言葉だけれど、日本人の奥さんはそれとは別の「主人」という言葉をよく使います。でも、主人というのは master という意味なんです。夫を respect しているからそうなるのでしょうね。けれど私は、言葉の持つ意味を考えたら、絶対に使いたくありません。今まで一度も使ったことはありません」
すると奥さんが、大きく頷いて、「私も絶対に使いたくないワ」と言った。それを横で聞いていた旦那さんが、 respect の単語を聞いたあたりで、「いいねぇ、それ。ボクも主人ってよばれたいねぇ」と ごにょごにょと言っていた(笑)。けれど奥さんの、「そんなの絶対にイヤよ」の一言ですぐに却下されてしまったのである。
そうだったのか、アメリカ人の旦那さんも「主人」って呼ばれたかったのか。きっと、ほのかな憧れだったりしたのねと感じて、もしかしたら私の夫も、私がいいとこの奥さん風に、「主人」と呼んだりすることを もしかしたらもしかして どこかで ほのかーーに 期待していたりなんか しちゃったりするのだろうかと、ほんの少しのチクリとした胸の痛みとともに思ったのだった。
・・・・でも、絶対に嫌だけど。
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