わたしは本当は弱い人間なのに、なぜか全く反対に見られることが多い。
まず、お酒に弱い。ワインをグラスに一杯飲んだだけでへろへろになってしまう安上がりな人だ。なのに「強そうに見える」とか「酒豪かと思った」とか言われてしまう。
それから、体が弱い。疲れたと言っては、すぐ寝る。いつか「もう離婚してひとりで暮らすワ」って夫に言ったら、「それだけ寝てばっかりいる人は自活できないんじゃないの」と返されて、それもそうだと思った。(笑)
それに、涙腺も弱い。涙もろい、すぐ泣く。いつか、子育てを考える座談会に出席して、自分の子供のことを話していたら、感極まってぽろぽろ涙が出てきたことがあった。すると、「山田さんでも泣くことがあるのねぇ」なんて言われて、とっても驚いた。わたしって、強そう? 血も涙もない石のような心の持ち主だと思われていたのかしらん?
さらにそれから、乗り物に弱い。船なんて全然ダメ、必ず酔う。飛行機にもときどき酔う。昔は、バスや車の後ろのシートでも酔ったので、少し窓を開け遠くを見るようにして緊張しながら乗り物に乗っていた。
そうは言っても、大人になってからは、山手線や東京の地下鉄では酔うことはなかったし、本を読んだり地図を見たりもできた。
ところが、ワシントンの地下鉄に初めて乗った時、気持ちが悪くなった。昔、乗り物酔いしていた時のように、もの凄く緊張しながら必死で気を紛らわせるようにして乗らなくてはならなかった。本を読むなんてもってのほか。地下鉄の車体の揺れ方が違うから、体が付いていかないのだ。
地下鉄に乗ることは滅多になかったので、なかなか慣れることができなかったのだけれど、最近、地下鉄に乗ることが増えて、4年半経って、やっと慣れてきたみたいだ。今日も英語のクラスの帰りに、地下鉄の中で文庫本など読んでいた。その時、ふとそんな自分に気付いて、「ああこれで、私もワシントニアンの一員かしら」などとちょっと感慨深かったりしたのだ。
以前 Brian と日本語の勉強をしていた時のことだ。彼が「上座」とか「床の間」の意味が分からないと言うので、ノートに絵を描いて説明した。「床の間って神様が居る場所?」と訊かれて、「神棚や仏壇と床の間は違うよ」と答え、神棚や仏壇の絵を描き足したら、仏教徒の彼が仏壇のお供え物の絵を見て「仏壇にお供えをするのは本当は仏教じゃないんだよ」と教えてくれた。本当の(インドの)仏教には「お供え」の概念はないのだそうだ。中国で儒教とミックスされた仏教が、中国経由で日本に入ってきたから、日本の仏教は儒教の影響を受けているんだとアメリカ人の彼に教えられて、これじゃあどっちが日本人か分からないな(苦笑)と思った。
彼はいろんな意味で日本人やアジア人の感覚を持っている人だ。一番強くそれを感じるのは、人と話をする時の彼の癖である。人と話をする時、私は真っ直ぐその人の目を見て目を逸らさない。昔は私もあまり真っ直ぐ人を見ると申し訳ない気がして、ときどき目を逸らしたり、はじめから少しずれた口や胸の辺りを見て話していた気がする。だから Brian の目を泳がせて壁を見たり他の人を見たりする癖が、とても奇妙に感じられる。 (私に見つめられて照れてるのかな?←アホかっ!)
癖といえば、日本人は人の話を聞くときに頷きながら聞く癖がある。昨日、英語のクラスで、ヒトミさんと私が日本語で話をしていたら、「日本人っていつもこうするよね」と、クラスメイトに大げさに首を振って真似されたので、苦笑してしまった。「でも、私が英語で話している時には、首を振らないでしょう? ちゃんと真っ直ぐ相手の目を見て話しているよ(・・たぶん)」と私は言った。
癖もそうであるが、同じ人が同じことを話しても、日本語で話す時には日本人的発想、英語で話す時にはアメリカ人的発想になるというのもよく聞く話である。
きょう日本語レッスンの後に、いつものBBLに寄って傍聴してきたのだが、今日のプレゼンテーターの話す日本語がやたらと丁寧で謙っていたことに違和感を覚えた。「私の意見を述べさせていただきます」とか「最後に申し上げたいことですが・・」とかいう言い方は、日本語の奥ゆかしさや美しさを表しているのかもしれないが、プレゼンテーションにはそぐわない感じがしたのだ。変に卑屈で、自信がないように聞こえてしまう。もし彼が同じことを英語でプレゼンしたら、こういう言い方にはならないだろう。と、いうことは、英語も日本語も両方とも堪能な日本人が交渉事に臨む場合は、英語で話した方がよいということになるのだろうな・・? などと話を聞きながら考えていたのだった。(だって、今日の話は専門用語ばかりで全然分からなかったんだもの)
2003年02月25日(火) |
日本語の響き / 女性の生き方 |
今日から英語のクラスをとることにした。もちろん私が働いている語学学校のクラスである。仕事しても給料はとても安いけれど、教師にはレッスンが free で受けられる特典がある。私は、タダに弱い主婦なのである。
初めてクラスに参加した私のために皆が自己紹介してくれたのだが、クラスにひとり日本人の女性がいて、(他の生徒の希望で)日本語で話した。それを聞いた皆が、「うわーぉ、おもしろいね、なに言ってるか全然わからないけど」と とても興味を示した。この時もそうだったのだけれど、日本語が美しいとか面白そうとか言われることが不思議に感じられる。
朝の日本語ニュースで北朝鮮の韓国語を聞くたび、とても気分が悪くなって、なんだか汚い言葉(言語)のように感じていたのだが、私は、日本語も中国語もその仲間の言葉で 似ているのではないかと、漠然と思っていたのだ。
お昼に夫と待ち合わせをして、食事をしようとしたら、「今日は約束があるんだけど、来ていいよ」と言われたので、夫の仕事関係の人と3人で食事した。その人は、50代の日本人女性で 国際機関で働き、フランス人の旦那さんと、子どもがふたりいる。私とはひと回りは違うその人の、いままでの仕事ぶりや、フランス語と英語と日本語の3つの言語の中で育った子どもの話など聞いていたら、世の中にはいろいろな人がいるのだなあと少しばかり考えさせられた。
彼女が、子どもはベビーシッターに預けてバリバリと働いている間(1ヶ月の出張などもこなしたらしい)、旦那さんと子どもは 家で待っている状態だったそうだ。いまは旦那さんは、自宅でする仕事をしているので、彼女も仕事が続けられるので、本当に助かっていると彼女は言う。
見た目は、どこにでもいそうな普通な感じで、むしろ そんなキャリア・ウーマンには見えない人だった。
わたしもそういう生き方をしたかったと思う訳ではないが、ここで暮らしていると本当にいろいろな考え方、生き方の人たちと出会えるものだと改めて思った。
きょうは6回目の日本語レッスンだった。
英語には助詞がないので、その使い方を理解するのは難しい。
今日の生徒さんは、
主語の後の「は」と「が」の違いや、所有格の「の」は既に理解してるのだが、
「を」と「に」は今日初めて練習した。
一通りの説明の後で、例文として「机の上にペンがあります」と言ったところ、
どうして「机を上にペンがあります」ではないのかと訊かれた。
確かに「あなたの本」「私の名前」などのように「の」が所有格であると理解して
いたら、例文は「机のペン」と 机がペンを所有しているように聞こえることだろう。
いきなり「机の・・」となる理由を説明しなければならなくなって(それも英語で)、
あせってしどろもどろになってしまった。
少し考えれば「の」が所有格以外にも使われることを説明すればいいと分かる
のだけれど、普段なにげなく使っている助詞の働きなど、いちいち意識していない
ので、咄嗟には答えられなかったのだ。
そんなふうに、全くの初心者である生徒さんに、日本語の再認識を
させられている。
夕方は、新しい生徒の面接をした。
日本語能力検定試験2級を受けたいというので、テキストを見たら
カッコに入る適切な言葉を選びなさい。
もうお酒は( )と思っていたのに、誘われて飲んでしまった。
1.飲もう 2.飲まない 3.飲むまい 4.飲まれる
という問題があった。
この場合に、どうして2.ではなく3.が適切なのかを説明するのは、
生徒さんのレベルにもよるけれどちょっと難しい。
(説明は日本語なんだけど)
文法はこの手の問題ばかりで、私も説明するたび、頭をフルに働かせて、
なかなかおもしろい。
わたし 日本語教師のプロになろうかしらんなんて思ってしまった。
今日も学校が休みになった。火曜日から4日間ずっとで、土曜日の休校から丸一週間。どうなっているのって感じだ。
金曜日なので日本語のレッスンに行った。水曜日には早く着いてしまったから、普通どおりに出かけたら、大渋滞していて20分も遅刻した。
お勤めの人たちも、水曜日はまだ会社を自主休みにしてたのに、さすがに金曜日は出社してきたからなのだろう。残雪で3車線が2車線に減っていたのもある。
歩道はまだ除雪されていないので、歩く人が車道に出てくる。学校へ歩いてくる子どももいるから危険だとの配慮なのだろうか。アメリカは訴訟社会だから、これで事故があったりしたら、学校が休みにならなかったせいだと訴えられるに違いない。
アメリカの学校のおおらかさに慣れると、一週間の休みなんて、全然たいしたことないって思えてくる。
日本の文部省のように全国共通のカリキュラムがあるわけではないので、1年間にどれだけの事をしなければならないという決まりはない。こっちで大学に入るのに重要視されるのは、高校時代の成績に加え、クラブ活動やボランティア活動と面接なのである。
この方の2月7日の日記に、「アメリカの大学には大学受験というふるいがないから、学生の質(レベル)にはバラツキが大きい」と書かれている。
小学校の時も、ESLのクラスをとっている間に社会や理科の大事な所が説明されてしまい分からずじまいだったとか、希望者のみ選択する 楽器(オーケストラ)のクラスをとっている子は授業を抜け出して音楽室に行くので、その間に進んだ所は分からないとか、日本の学校の感覚からしたら、「え? それでいいの?」ということが普通に行なわれている。
ボランティアが大事だからって、学校を休んでまで行かせてる親もいるのよ、どう思う? と日本人のお母さんに言われたこともある。
考えてみれば、高校時代勉強した記憶のあるサイン・コサインとか化学式とかその他もろもろ 大人になってから一度も使ったことのない知識なんて、大学受験にも必要ないなら、何をどれだけ覚えなければならないってこともないのだ。
ところで、あせって、会社に走っていったら、
こんどは、風邪で会社を休んでる だって・・・。
電話したんだけどもう出た後だったの。ごめんなさいねって言われて、ガックリしたけど、ちょっとホッとした。遅刻したのはバレてるけど、待たせなくて済んだのはよかったのかもしれない。
2003年02月20日(木) |
幽霊の正体見たり枯尾花 |
アメリカに来て初めて日本語学校に登校した時のことだ。ここにもこんなにたくさんの日本人が居るんだなあということにまず驚いたのだけれど、それよりも、その日本人の子ども達が、日本に居る日本人とはなんとなく違っていて、気後れしてしまうほどだったことに軽い衝撃を受けたことのほうをよく覚えている。子ども達が、とてもアメリカナイズされているように見えたのだ。それがなんなのかその時はよく分からなかったけれど、たぶんそれは、自己主張とか自分に自信を持つとかの英語で思考する人の態度(行動)だったのではないかと思う。そのときの私たちは、明らかに異質な存在だと感じられた。
ところが、1年後の日本語学校の運動会で普段以上にたくさんの日本人の子ども達を見たのだが、1年前に感じた違和感(異質な感じ)は全くなくなっていた。それが不思議な気持ちさえして「あの時はあんなふうに感じたのにね」と夫と話題にしたほどだった。
大勢の知らない人たちというのは、ちょっとした威圧感もあったりして、気後れしたり、必要以上によく見えたりするものだ。
・・・などということを思い出したのは、今日、WTWCの月例ランチョンに出かけていったからである。その、昼食会は160名ほども集まる大きな会なのだが、久しぶりにその会に参加したら、日本側のメンバーに知らない人がたくさん入っていた。ここに住む人たちには 大使館だとかプレス(報道関係)だとか いいとこの奥様風な人が多いから、彼女たちにツンと澄ました態度でいられると、私なんか気遅れしてしまうのだ。
ま、そうは言っても 私の言う「いいとこの奥様風」なんて 多分に揶揄的な意味なのである(笑)。 実際に付き合ってみれば、ほとんどがこんなもんかって思うような人たちなのだ。東京辺りの一生お付き合いすることもないだろう本物のいいとこの奥様(←これも揶揄)と違って、その正体は枯尾花なのだと知ってはいるのだけどね。
今日も学校が休みになった
けれど、私は ちゃんと日本語教師のお仕事に行った
例によって、朝シャワーをして、
一応 化粧もして、
今日あたりは渋滞しているだろうと早めに家を出て、
15分も早く着いて、
よかったぁー 間に合って
・・・と思ったら、
生徒さんってば 雪で会社を休んでる だって・・・。
もっと早く言ってくれよぉー
でもね、生徒のふたりは 若い夫婦で ちっちゃい子どももいるし
あの雪の後じゃ仕方ないかなとも あとで思ったけど
昨日 せっせと雪かきしたのは、
ウチの子どもたちを学校まで送っていくとき 車がすぐに出せるように と
仕事にも遅れないように って思ったからだったのに・・・
金曜日に エイミー(奥さん)が
「私たちって日本語上手になってると思わない?
先生もそう思うでしょ?
こんなに短い間にすごくいっぱい覚えた気がする」 と
嬉しそうに言ってたから、調子に乗っているときに
続けてレッスンしたかったなって思って 残念だった
当日キャンセルはできないきまりで、お給料は同じだけ支払われるから、
けっして 手取りが減って残念がってるわけじゃない ・・よ
帰り道 カーラジオを聞いてたら、
明日も学校は休みだと 早々と決まったことを告げていた
なんだかなー 休み過ぎじゃないかしらん
(でもラッキー♪とも思ったけど)
ん〜 ここまで雪に弱いなんて 東京並み
ワシントンの緯度は北緯39度、秋田県や岩手県と同じくらい
だから何って気もするけど
でも もうちょっと雪に強くてもいいんじゃないかなぁ
2日間 降り続いた雪も止み、晴れ間がみえてきた。
けれど、大雪で混乱したせいで学校も会社も休みになった。
実は 昨日まで しょーもないこと で夫と喧嘩していて、
いくら私が、
「リンパ腺が腫れているからもう死ぬかもしれない」
「これが最後の晩餐かもしれない」
「もしも悪い病気だったらどうしよう?」
「いたいよぉー、ひどくなってきた気がする」と訴えても
どーせ、いつものことって思われているみたいで、
「どうして、さとこは素直にごめんって謝れないの?」
「悪いと思ってないの?」
「それじゃあ いくら死にそうでも、親身になってあげられないよ」
と 取り合ってくれなかった夫だったのだが、
朝御飯を食べ終えると、ひとりで雪かきを始めてた。
「さすがに今日は病院に行かないといけないよね」と心配しているらしい。
なので、私ひとりパソコンをしているワケにもいかず、手伝って雪かきをした。
隣のおじさんも、シャベルを貸してくれたり、やり方をアドバイスしてくれたりした。
(お隣には3台も車があるから、ウチより慣れているのだ)
他にも雪かきをする人が何人か出てきてて、みんなで一緒に作業した。
「ウチの奥さんを病院に連れて行かないといけないんですよ」と夫が言うと、
お隣のおじさん 「それは大変!」って言って、手伝ってもくれた。
病院はどこも一杯で、予約も取れない状態だったけど、
何軒目かで「すぐに来てください」というところがあり、そこに行った。
けれど、そこは、お医者さんひとりしかいなくて バタバタと忙しそうだった。
唾液を採ったり、尿を採ったり、いくつかの検査をして、
お医者さんが “negative” って言うたびにホッとしていたのだけど、
実は何の検査かよく分かっていなかった。(医学用語なんて難しくて分からんョ)
夫に小声で「何の検査なんだろ? エ○○かな?」って言ったら、
あわてふためいて、怒られた。 えっ? そういうことって言っちゃいけないの?
「歯みがきの時にばい菌が入ったんでしょう。とりあえず、
もう少し強い抗生物質を処方して様子をみましょう」って言われて
悪い病気ではないらしいことが分かったのだけど、それでも治らなかったら
歯の根っこが炎症を起こしている可能性もあるらしい。
それから、買い物したり、お昼を食べたりして帰ってきたら、近所中の人たち
みーんなでてきて 「大」雪かき大会になってた。
なぜって、自分ちだけサボってると、よその人が自分ちの前に雪を置いていくんだもの(笑)
なーんか こういうイベントって大好きなんだよね わたし。
ウチもちゃんと雪かきしておこうと思って、みんなと一緒に続きをしてたら、
ねえ、「奥さんは病院に行ってたはずじゃないの?」ってお隣さんに思われてるね
と夫に言われた。
雪かきもたまには楽しい。 否、「たまに」だから楽しいのだけど。
2003年02月17日(月) |
雪だるまも作れないほどの |
土曜日夜半から再び降り続いた雪が、月曜日には 記録的な大雪となった。
メリーランドで60cmもの積雪があったのは、81年ぶりなのだとか。
何もかもすっぽりと雪の中に埋もれてしまって、
日曜日も、月曜日のプレジデント・デイの祝日も 外出もままならず、
みんな家の中にこもっているしかなかった。(雪かきをする人さえいない)
リンパ腺の腫れが大きくなる一方で、救急病院に電話をしてみたものの
お医者さんも病院までたどり着けなかったようだ。
結局 行っても誰もいないらしいので、ウチで抗生物質を飲んで寝てた。
子どもたちは、「雪が降るなら、学校のある時に降ってくれればいいのに」と
ぶつぶつ言っているし、(学校が休みになるから)
夫は、「仕事しなきゃ」と言って パソコンを占領しているし、
私は、相変わらず眠いけど、食欲だけは 全然なくならないし、
降り積もり続ける雪を見て、「こりゃ すげーや」 と言うしかないのであった。
わけわからん。
雪のため、子どもたちの日本語学校が休校になった。そんなにたくさん降っている訳でもないのだけれど、日本語学校へは2時間かけて通ってくる生徒も中にはいるわけで・・・。まあ、仕方がないのかもしれない。それにしても現地校が雪で休みになってもなんとも思わないのに、日本語補習校が休みになるととっても残念なのは、授業料を払っているからなのだろうか。
そのくせ、休みになったと聞いたとたん、「ラッキー♪ もうひと眠り」とこんこんと眠りつづけた私。朝ご飯抜きで12時まで寝て、昼食の後にまた昼寝。 (←信じられなーーい!) 今週は、月・水・金は日本語を教えに行って、木曜日は Brian と4時間も勉強したから(ただのお喋りという気もするけど)、疲れていたみたい。いやん、フルタイムで働いている人にしてみれば、「1日に1時間半の仕事して、働いてるって言うなよぉー」って感じなのだけど。
夜は、去年も行った Wine Tasting Party に、今年もご招待を受けていたので、小降りになった雪の中、いそいそと出かけて行った。今年は雪の所為かお客さんが少なくて(それでも30人くらいは居た)、ワインも、白4本、赤16本だけだった。なのに、10本目のワインあたりで私、どうしても起きていられなくなって、こてんっと寝てしまったのだ。英語な人たちの中にいてもあまり緊張しなくなったってことなのか・・とも思うけど。やっぱり、お酒には弱いよなぁ・・とも思うけど。
どうやら、体調不良のせいだったらしい。左耳の後ろのリンパ腺が腫れている。風邪ではないようで、熱もなければ、セキや喉の痛みもないのだけれど、触るとちょっと痛い。このまま腫れてしまうとお医者さんに行かなくてはいけないだろう。でも、明日は日曜日で、あさっては、プレジデント・デイなので休み。まだ雪も降り続いているしどうなることやら・・・・。
2003年02月14日(金) |
St.Valentine's Day |
4年半前にアメリカに引っ越してきた時、私と子ども達は、夫より2週間遅れでワシントンに着いた。住むところも決まっていなかったので、夫が先に来て、ホテル住まいをしながら、初出勤、家探しなどを一人でこなした。ところが、2週間もあれば家がみつかると思っていたのはとても甘い考えで、夫が家を探し始めてから、入居できるまで1ヶ月もかかった。私たちは、ワシントンに着いたものの家もなく、その間、夫の同僚に「旅行に行って留守になっている僕の家を使ってもいいよ」と提案されて、ありがたくお借りしたのだった。その同僚が夏休みに1ヶ月の世界一周旅行(イギリス、オーストラリア、ハワイだけなんだけど)に行くと聞いて、ああ、これがアメリカの夏休みかと思ったものだ。
昨日は木曜日だったので、いつものように Brian と Language Exchange をした。スターバックスでコーヒーをもって席に着こうとしたら、いきなり Brian にスペイン語で話し掛ける男の人がいて、私はしばらくふたりのスペイン語会話を横で聞くことになった。私たちと同じ語学学校で働いている人らしい。 Brian ってば相変わらず顔が広い人だ。
ところで、彼は、金曜日に就職の面接を受けることが決まったそうだ。スペイン語と日本語と英語ができる人が必要だとのことで、まあ、そんな人はあんまりいないだろうから Brian にいい結果が出るかなと思う。なのに、 Brian は面接の翌日(土曜日)から1ヶ月もタイに行ってしまうのだという。初めての子どもが産まれるのだから、楽しみだろうし、せっかくタイまで行くのだから長く居たいのも分かる、赤ちゃんは予定日通りに産まれないものだし。でもねぇ、就職が決まったとして、1ヶ月も働き始めなくても大丈夫なの?
・・・というようなことを考えていたら、来たばかりの頃に1ヶ月の夏休みをとった同僚の家を借りたことを思い出して、ん〜 そんなものなのかなあなどと思ったのだった。
ところで今日はバレンタインデー、去年は手ブラで帰ってきた夫ですが、
ちなみにわたくしは、自分用にGODIVAのチョコを買いましたとさ。
子どもが学校からお知らせのプリントをもらってきた。辞書を引きながら読んでみたら、次のようなことが書かれていた。
「私たち(学校)は、テロリストの脅威から次の2つの方法で安全を確保します。1.迅速で確実な行動を起す為の危機管理プラン。2.精神的にケアが必要な子どもおよび大人の補助。
学校側は、過去に起こった狙撃犯事件の教訓を活かし Code Blue にも Code Red にも対応できています。
(中略)
大人が非常時に子どもに示す必要があることは、社会性、楽観性、精神的柔軟性であり、感情をコントロールできる強い意志です。子ども達は、大人がこうした態度を示すことにより、それらのことを身につけることがことができるのです。それは、大人や先生がいつも“精神的なたくましさ、しなやかさ”(resilient)をもった態度でいることを意味します。
(中略)
いま私たちの国家、地域は重大な安全の問題に直面しています。保護者、生徒、学校スタッフがともに協力して、この危機を乗り越えられるよう働きかけましょう」
このプリントでは、イラクとの戦争のことは 一切触れられてはいなかったが、否が応でも、戦争を連想させ、いよいよ始まるのかと思った。実感は、わかなかったけれど。
夫によると、ワシントンポスト紙に、テロリストの化学兵器による攻撃に備えて、家に「隙間テープ」を貼りめぐらすとよいという記事が出ていたそうである。隙間から炭疽菌などが入ってこないように防御する為だそうだ。「それって、日本が戦時中に防災頭巾をかぶりましょうって言ってたのと同じですね」と 夫は会社で、日本人の同僚と話したそうである。
2003年02月11日(火) |
mathematics (親バカ日記) |
きょうは Early Release Day (学校が早帰りになる日)だった。9年生(高校1年)の息子が、「きょう、残ってテストを受けるから迎えに来て」と言うので、「どうして? 追試?」と訊いたら、「ツイシって何?、そういう死語みたいな言葉 つかわないでよ」って言われてしまった。そういえば、アメリカは高校まで義務教育なんだから、追試なんてものがある訳ないのだ。
息子が受けたのは、AMC10(American Mathematics Competitions) という数学のテストだった。AMC10は、学校から推薦された 10年生までの生徒が受けられる、全国規模のテストだ。AMC8(8年生まで)、AMC12(12年生まで)というのもある。
ウチの子ども達は、数学が得意なので ふたりとも 6年生(中学1年)のときからAMC8を受けている。
この前、ブライアンが、英語学校の給料じゃ生活できないという話をしている時、時給から年収を出そうとして、「あぅー、僕はアメリカ人だから計算は得意じゃないですね・・・」と言ったので、「あ、ウチの子は2人とも数学が得意だよ。学校中(生徒数:約750人)で1番の成績とったから。なおきは6年生のときは2番だったけど、7年と8年のときは1番で、こうすけは、いま6年生だけど、6年生から8年生まで受けたテストで学校中で1番だったんだよ。 Assembly (全体集会)で表彰された時、校長先生に、『彼は、なおきの弟のこうすけです』って紹介されたんだって」と、おもいっきり自慢してしまった。うーん、わたしってば、いつのまにかとってもアメリカナイズされてるわ。ブライアンが驚いて、「ひょえー、それじゃあ、彼らは将来 MIT に行きますか?」って言ってた。
まあ そうは言っても、アメリカ人って、繰り上がりのない足し算もできなかったりするし、もともとアメリカの算数は日本より2年は遅れていると言われているから、ウチの子が2年分くらい飛び級していたとしても、日本に帰れば同じ学年レベルのことをしているわけで・・、試しに、中学入試問題集(麻布中学校)などやらせてみたところ、全く手も足も出なかったところをみれば、こんな自慢も、所詮は「井の中の蛙」であることにかわりないのである。・・・・・ ふぅ。
雪のちらつく月曜日、久しぶりの日本語レッスンに行った。少しだけ新しい文章も加えてみたけれど、生徒さんはとってもとってもお疲れだった。私もツカレタ;;。
「どこ(Where?)」の練習をするのに、「地下鉄の駅はどこですか?」の次に、「あなたの家はどこですか?」というのを教えたのだけど、「いいえ」と「いえ」はどう違うの?と訊かれて、「iie」「ie」と書きながら、はっ!っと気が付いた。この前、あお(青)は、母音が続いているので、言いにくくて覚えにくいと言われたばかりなのに、これって、もろ母音ばっかりじゃーーーん! 生徒さんが、こんな難しいことも覚えなきゃいけないの?って顔して「ふうぅー」って大きくため息ついたとき、わたし、ちょっと自己嫌悪に陥った。なんだか意地悪しているみたいなんだもの。
日本語って、覚えるのも、教えるのも大変だよね。(←ダメじゃん!)
夜7時過ぎ、夫が「今から帰る」と電話してきて、ついでに「ところで今日って、日本は休みなの?」と訊いた。(会社に電話しても誰も出なかったらしい)「えっ、そうなの? じゃあ、たぶん建国記念日がハッピー・マンデーで今日になったんじゃない」と私が答えると、「あっそっか」と納得していた夫。ふたりとも大ボケ。日本はもう火曜日だっつーの。
なんだか、日本のことにとっても疎くなっている。
4年半、留守にしている間に変わったことがたくさんあって、たまに帰ると浦島太郎の気分になる。いつかは、光る金色の500円玉を見て、これって使えますか?と思わず隣にいた人に訊いたら、おもいっきり怪しい人を見る眼つきで見られた。東京の地下鉄が、やたら増えたり延長されたりしてて、全然ワケわかんなくなってた。携帯電話や電化製品の進歩についていけなかった。 例えば、省庁の改編など、変わったことは知っていても、全く頭に入っていない。小学校6年生の息子が、最近日本語学校(補習校)で「中央省庁改編図」のプリントをもらってきたので、それを私の机の前の壁に貼っている。
気付いていないことも含めたら、もっともっと日本に疎くなっていることがたくさんあるのだろう。日本人離れした中途半端なヒトに どんどん近づいているのだろうなと ふっと思った月曜日の夜だった。
2003年02月07日(金) |
「分かるけどね」って言われて・・ |
雪が降って学校や会社が休みになってしまった。せっかく調子に乗ってきて、わたしもやる気になっていたのに、今日の日本語レッスンは中止。
この日、4人で夕食を食べた後、二人と別れての帰り道でのこと。夫に「 Brian って、プリンストンの大学院を出てるらしいよ」と教えられた。環境問題や政治の話、ブッシュの政策についてなど話したらしいのだが(←ボケッとしていて聞いてなかった)、考え方がそっくりで話が合うのだそうだ。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、どうして、英語学校の時間給アルバイトみたいな仕事してるんだろうね」と私。 Brian はクラスを持っているわけではないので、明日のレッスンの予定が入っているかどうか毎日学校に確認の電話をして仕事をもらっている。1レッスンのお給料だって決して高くはない。生活していけないから、別のアルバイトも探しているという。
「きっと、毎日スーツ着てネクタイを締めて、決まった時間に会社に行くような拘束された仕事をするのが嫌いなタイプの人なんじゃない?・・・・分かるけどね・・」と、夫が答えた。 えっ? 分かるけど・・って。 夫が、そうなりたいとか、その方がいいとか言っているのではないとは分かっていても、ちょっと意外で、夫が「分かるけど」と言ったその気持ちを、私はちっとも分かっていなかったんだと思った。
その Brian 、私と平日の昼間に Language Exchange したり、日本語のBBLに行ったり、なんだか暇そうだと思っていたら、とうとうクビになってしまったらしい。(本人は食べていけないから辞めたと言っていたけど) 「分かるけどね」どころではない。 本人が一番よく分かっているのだろうけど。
Brian は、わりと最近結婚して、奥さんはL.A.にいる時に知り合ったタイ人で、もうすぐ出産で、けれど、医療保険に入っていないからアメリカでは子どもが産めなくて、奥さんはタイに里帰りしていて、ほんとは6月にはこっちに奥さんと子どもが来て一緒に暮らす予定だったけど、もしかしたら自分がタイに行くことになるかもしれないらしい。
自分は英語の先生なんて好きじゃないと言っていたのに、タイで英語の先生になるんだろうか。タイでも日本でも働いたことのある Brian は、タイの給料は日本の4分の1なのだと言う。タイで生活するだけならやっていけるけど、アメリカで大学院を出るときにもらった奨学金、5万3千ドル(約630万円)はとても返せない。
ほんとに、どうするんだろ Brian 。いままでは夫が言った「分かるけどね(拘束されたくない)」の部分を通してきたんだろうけど、きっといまは、「分からなかったよ、その気持ち(定職に就きたくないなんて)」の私の気持ちの方が、分かるんだろうなぁ・・。
2003年02月06日(木) |
豊かさとは何だろう? |
これは夫から聞いた話。
夫の同僚で、中東の某国で働く ナジ(仮名)が、浜辺を歩いていると、
一人の漁師が昼寝をしていた。
ナジは漁師に訊いた。「どうして、もっと漁をしてもっとたくさんの魚を捕らないのか」と。
漁師は応えた。「そうしたら何かいいことがあるのか?」
「そうしたら、もっと儲かってもっと大きな船が買えるよ」
漁師は重ねて訊いた。「そうしたら、何かいいことがあるのか?」
ナジはこたえた。「そうしたら、もっと儲かって、もっと大きな家に住めるよ」
漁師は訊いた。「それで、何かいいことがあるのか?」
「そうしたら、使用人も雇えるようになって、君は昼寝して暮らせるよ」
漁師は言った。「ああ、それなら俺が たった今していることじゃないか、
どうして昼寝をするのに そんなに遠回りをしなきゃいけないんだい?」
最近読み始めたエンピツの日記に、豊かさとは何かと問う面白い逸話が紹介されていた。「カリブのある島(現在のハイチ)にタノイ族という部族がいたのが、コロンブスの時代に発見され、100年後にはタノイ族は滅んでしまった」という話だ。上の話とちょっと似ているが、それ以上に考えさせられる話だった。
きょう 私は Brian と一緒に、この前参加したBBLの別の講演会に行ってきた。このBBLはメンバーでなければ参加できないという訳ではないので、私や Brian が行っても構わないのだが、いつ、どういう演題で行なわれるかということが一般の人には知らされていない。私がいつものように、Language Exchange をするつもりで電話をしたら、なぜか Brian が この情報を知っていて「明日はこっちにしよう」と言ったのである。顔の広い人だ(女の友達ばっかりだけど・・私を含めて)。
今日のスピーチの内容は「ラテンアメリカの開発における日本の役割」というもの。タノイ族の話とリンクしていないでもない。日本語だから分からない訳ではないけれど、やっぱりよく分からなくて ぼぉーっと聞いていたのだが、質疑応答のときにとても面白い質問があった。
「中南米と言われる地域も、アフリカや東南アジアの他の国と同じく貧富の格差が大きい国々なのだが、アフリカ等と明らかに違うのは、アフリカの国々が全体的に貧しく、他国からの援助がなければやっていけない部分が大きいのに対して、中南米の裕福な層は本当に金持ちである。富める人の豊かさを見れば、我々(日本を含めた先進国)が、開発援助という名のもとに介入しなくても、その国の中の裕福層で解決できる問題なのではないかと思えるのだが、本当の援助の意味とはなんなのだろうか?」
この質問に対しての答えもあったが、はたしてそれが、解答として適切なのかよく分からなかった。と言うより、ちゃんとした答えはあるのだろうか?
2003年02月05日(水) |
そういうオチだったのですか・・・ |
今日は2度目の日本語レッスンの日だった。1回目のときは一度学校に寄って、事務の人と一緒に生徒さんの会社まで出向いて行ったのだが、今日からは、直接行くことになる。学校からの交通手段がタクシーしかなかったので最初の日だけは駅までタクシーを使ったのだけれど、次からは、家から遠回りになる地下鉄の駅まで行って、そこからバスに乗っていって欲しいと言われた。それならば車で行ったほうがよさそうだと判断して、早めに家を出ることにした。30分も早く着いてしまったので、そこらをぐるぐると廻って時間を潰し、それから、パーキングメータに2時間分のコインを入れて、小走りで会社へと急ぐ。ちょっとドキドキ。
2回目の授業は、復習からはじめた。月曜日のおさらいの後に、新しいことを教えるつもりが、結局 復習だけで1時間半経ってしまった。ん〜、前回 初めての人にあんまりたくさんのことを詰め込みすぎたから、今日はこれで仕方がないのだろう・・・。
私の目的は、日本で生活するうえでのサバイバル・ジャパニーズを教えることだ。教科書は無視して一番必要な事を教えなければならない。教科書には、「これはペンですか、それとも鉛筆ですか?」とか、「わたしは、韓国人です。スペイン人です。ドイツ人です。・・・・」とか、あまり必要でない日本語が載っている。それよりも必要な事は、
地下鉄の駅はどこですか? (Where is the subway station?)
これはなんですか? (What is this?)
これはいくらですか? (Is this salmon roe? ←嘘!)
などの使える日本語なのだ。
日本語を勉強している少し上級の人は、伸ばす音「ー」や、促音の「っ」が難しいと言うのだけれど(だから、さか(坂)、さっか(作家)、サッカーの区別がつかなかったり、初心と傷心を間違えたりする)、もっと初心者の人には母音が続けてくることが難しいのだそうだ。英語には子音が続くことはあっても、母音が重なることはない。あか(赤)やくろ(黒)は言えても、あお(青)は言いにくくて覚えられないと教えてくれた。
なるほどぉ、あおい(葵)っていう女の子の名前や、飯島愛なんて名前はトリプル難しいワケね・・・。
レッスンが終わった後は、「じゃあまたよろしくね」と言って、エレベータの前まで送ってくれた。今回は前回よりだいぶ感触がよかったので、ほっと一安心。足取りも軽やかに車の停めてあるパーキングメータの所まで戻ると、ワイパーにピンク色の反則切符が挟まれていた。
「どうして? ちゃんと2時間分のコインを入れたのに??」と思って、よく読んでみると、BACK IN PARKING ONLY の文字があった。 アメリカでは、頭から突っ込む形で駐車するのが一般的なのだけれど、このメーターの所は後ろ向きにしか停めてはいけなかったのだ。 信じられないー 知らなかったよぉー。
けれど、軽微な違反のためか、罰金はスピード違反や信号無視に比べるとかなり安かった。 それでも、今日の1時間半のレッスンでもらえるはずのお給料が、全部とんでしまった。 なんだよー こういうオチだったのか・・・・。
まあ これからのこともあるし(ありそうだし) まあいいや とすぐ気を取り直し、帰り道、日本食レストランに寄って、景気付けに「寿司ランチ」を食べてきたのだった。・・・これで完全に赤字なのである。
けさ、父から電話があった。わたしは、シャワーを浴びていたので出られなかった。
「あのー、○○から(地名)だけど、あのねー、あのー、えーと、あれだ・・・・おらんか(いないの)?(←母の声)、おらん(←父の答える声)・・、あれだよ、あのー、・・だれだっけ?・・・ぷちっ(電話の切れる音)」
この時点で、まだ出勤していなかった夫が電話をとったので、ここまでが留守番電話に録音されていた。シャワーが終わって、点滅している留守電の再生ボタンを押したわたくし、悪いけど、大爆笑しました。ごめんなさい、おとうさん。
電話の用件は、今度の春休みに父と甥が遊びに来るのだけど、その時に(私にとっての)いとこの子も一緒に行きたいといっているがどうだろうか、連れて行ってもいいか、という問い合わせだった。父にとっては姪の子にあたるその子の名前が出なくて、あーーうーーと時間だけが空しく過ぎていったという訳。
いや他人事ではないのだ。私と夫も似たような会話をしていて、「あそこにあるあれ取って、あれの下だよ」なんて言っては、いまの年寄りみたいだと笑ってしまうこともしばしば。
朝からシャワーしていたのには訳があって、じつはわたくし、苦節25年・・じゃなかった、苦節たったの2ヶ月と半、やっと私にも日本語教師のお仕事の依頼が来たのだ。もうすぐ日本に赴任するというアメリカ人の夫婦を、きょうから約1ヶ月間、週に3回、集中してレッスンすることになった。
初めてのお仕事は、終わってみればあっという間だった。いろいろと詰め込んで教え過ぎたらしくて、奥さんの方が「頭がパンクするぅ〜」みたいなことも言っていた。帰りのタクシーの中でこれでよかったのだろうかと、少しナーバスになっていたときに、今朝の父の留守番電話のことを思い出し、笑いが止まらなくなって不気味な人になってた、わたし。
ビジネスにシビアなアメリカ人に合格点がもらえたかどうか、ちょっと不安になっているのだけれど、もしこの日記で、今後日本語教師のことが書かれていないようだったら、クビになっているかもしれないので、どうかそのことには触れないで、そっとしておいてやってください。なんちて。
英語を訳して日本語にしてしまうとニュアンスが異なるのは、まあ、あたり前と言えばあたり前であり、仕方のないことかもしれない。
例えば、 Jewish もしくは Jewish people と言えば、ニュートラルで 単に人種・民族を区別した言葉であると感じられるのに対し、ユダヤ人と言うと「ベニスの商人」に出てくる冷淡であくどい商売をする強欲な人たちというイメージが付きまとう。ただ、これは私がそう感じるだけで、夫に「そう思わない?」と聞いたときに、「全然思わない」と言われたから、英語力の問題(慣れ?)なのかもしれない。
Brian が、「ぼくは、Buddhist なんだよ」と言ったとき、でも、 Buddhist でも仏教徒ではないよなあなんて私は思った。私の中では、Brian = Buddhist だけど、Brian ≠ 仏教徒という感じなのだ。
きょう私は、Brian が、毎週通っているという座禅の道場(堂)に誘われて行ってみた。そこでは、毎月第一日曜日は初心者のための“Zen”が行なわれている。今日集まったのは、16人で、堂の側の人が3人と Brian 以外は皆 初心者だそうだ。アメリカのこの地に、仏教や座禅に興味を持つ人がこんなにたくさん居るとは驚きだ。
初めに、座禅のやり方や仏教の考え方などの説明があった。Gassyou (合掌)や Zabu (座布団?、お尻の下に敷いて膝下に体重がかからないようにするための小さなクッション)などの日本語の単語も聞こえてくる。「Syousin は大事です」と言うから、「傷心」を思い浮かべてしまったら、初心のことだった。ん〜、日本人が居たらやりにくいだろうなあなんてちょっと思った。
次に、実際に meditation (瞑想)をしてみた。頭に浮かぶ事柄を流れに任せて外に出していくとよい。そうすることで、清い気持ちになれるのだとか言っていたような気もするけど(はっきり言って、私の理解はめちゃくちゃ曖昧)、雑念ばかりがわいてきて、こんなことでいいのだろうかと思う。
とにかく9時半から始まって12時までの2時間半がとても長く感じられた。瞑想ならいっつも家で飽きるほどしている(笑)のに、なんで、いつもは遅寝している日曜の朝に早起きしてまで、また瞑想しないといけないかなあなんてことを考えていた。
そうは言っても、畳まではないけれど、仏像と線香の匂いと空気が揺れるのを感じられる鐘の音が、そこはかとなく郷愁をそそり、それはそれでなかなかよかった。できるなら、日本のどこかのお寺で本物の座禅を体験してみたいものだと思った。
もうひとつおもしろかったのは、「南無般若波羅蜜多・・・」が、漢字とローマ字と英語の訳で書かれている本(経典?)があり、おまじないのような呪文のようなそれにも、ちゃんと意味があったのだと知ったことだ。ちなみに最初の一文は、「私は私のまわりにあるすべての生物を守っていくことを誓う」というような内容だった。
最後に、「瞑想はこれで終わりです」と宣言があってから、茶道の茶器のような入れ物でお茶が出され、フリートークの時間になった。好みのお茶が4種類の中から選べるようになっているところが、アメリカっぽい。
漢字の掛け軸とか和風の置物などの東洋っぽいものは、インテリア・ショップなどでもよく見かけるのだけれど、どれもどこかがなんとなく違っている。きょうのフリートークで、こんな会話があった。 「面白いものを見た。Zen と書いてあるお菓子の袋があったんだよ 中味はプリッツェルとかで、全く Zen とは関係ないものが入っていて、どこが Zen なんだって感じなんだよ。でも、袋に竹の絵が描かれているの、だから Zen なんだね」「Zen って覚えやすいしね、ネーミングとしては、いいかもしれないね」
ほとんど何もしていない座禅道場での2時間半だったが、休みの日の早起きがたたったのか、午後はもの凄く眠くて、きょうは貴重な日曜日が丸一日潰れてしまったようなかんじだった。だから、来月の第一日曜日も座禅に行くかどうかは著しく微妙である。
2003年02月01日(土) |
「重いコンダラ」を思い込んだら |
「聖書を読んだことがないと、シェークスピアは理解できない」そのフレーズをどこかで聞きかじった私は教会に行ってみたいと思っていた。10年程前の話である。
ちょうどその頃、私たちはボストンに住んでいた。アメリカに住めるのは、きっちり2年だと初めから決まっていたので、とにかくこの2年の間に、何でも見てみたい、どこにでも出かけて、何でも食べて、できるだけたくさんの人と出会って、できるだけのたくさんの経験をしたい、そう思っていた。私はあのころ、好奇心とバイタリティーの塊だったのだ。
実際、どんな小さな機会でも積極的に自分から飛び込んでいき、神出鬼没だったので、狭い日本人社会で同じ人と違う活動で顔を合わせることも多くなった。そんなある日、「ボストンでやまださん(私)を知らない人はもぐりだって言われてるの知ってる?」と友だちに言われた。
日本人社会だけでなく、アメリカ人とも積極的に関わりたいと思った私たちは、毎週、教会に通った。英語もよく分からないのに本当によく続いたものだと思う。クリスチャンならば当たり前のことだろうけれど、私も夫もクリスチャンではない。
英語も充分に分からなかったのに、それでも、教会の人たちは私たちにとてもよくしてくれて、一緒にりんご狩りに行ったり、個人のお宅のパーティーに呼ばれたり、その教会で結婚式があったときにはドレスアップして出かけたり、楽しいことばかりだった。
あるとき、「さとこにはもっと英語の勉強が必要なんじゃない?」と牧師さんに言われ、「教会のメンバーにさとこの teacher になってもらったらどうだろうか」と提案を受けた。「もちろん、喜んで」とこたえた。きっと教会の人だから、家庭教師代も安くしてくれるのだろうとそのときは思った。
そのあとすぐ、ブルック・シールズ並みにきれいな、MITの数学科の学生であるアンカさんがウチにやって来た。レッスンをしたあと 帰りがけに、アルバイト代はいくら払ったらいいのでしょう?と言うと、「えっ?」と驚いて、そんなものは貰えないと彼女は言った。そのあと、アンカさんは毎週1回、1年半くらい試験期間以外は ずっと私の家庭教師をしてくれた。
1年以上経った そんなある日、礼拝のあとのリフレッシュメント(軽食)で牧師さんや皆と話をしているとき、私たちはクリスチャンではない(洗礼を受けていない)ということを話すと、牧師さんも皆も、とてもとても驚いた様子で、ショックを受けたようだった。もちろん私たちは、そのことを隠していたわけではない。初めから、クリスチャンかどうかがそんなに大事なことだとは思っていなかったのである。
私たちの方も、少なからずショックだった。皆があれほどよくしてくれたのは、私たちがクリスチャンだと思い込んでいたからなのだと知って。
日本ではキリスト教徒の人口は1%未満なのだそうだ。日本の多くの教会は、教会に来る人を歓迎してくれるし、クリスチャンではない人がそこに居ても、むしろ喜んでくれるし、洗礼を受けるまでに時間がかかっても長い間待っていてくれる。日本は、クリスチャンではない人がほとんどだから、教会や聖書のことを知りたいと言う人が、学びの場として教会に来るのもありうることとして受け入れられている。
そんなことは、アメリカではあり得ないらしい。キリスト教が何かなどということは、学ぶまでもなく常識なのだろう。聖書を勉強して信じるか信じないかという選択をするのではない。そういうやり方をしている人は、たぶん、いつまで経っても信じられるというところまではたどり着けないものなのだ。
教養として聖書を学びたいということは、(皆には言わなかったけれど、)教会の人たちを冒涜していることなのだろうかという気持ちになり、申し訳なさでいっぱいにもなった。
牧師さんは洗礼を受けてクリスチャンになるか、そうでなければ別の方法を考えるが(暗に、教会に通うのは止めてもらいたいと言っているように聞こえた)どちらかにして欲しいと言い、