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2002年11月27日(水) 東京美人

東京の女の人はとっても綺麗なんだそうだ。イエメンと日本への出張から戻ってきた夫が、感心したようにそう言った。

夫は、チュニジア出身でフランス国籍の上司と東京で合流して、一週間行動をともにしたのだが、日本は初めてという上司は、日本は素晴らしいといろいろなことに感激していたそうだ。その彼も、女性がみんな綺麗だと驚いていたという。

そう言えば、つくばに住んでいた頃にも同じことがあった。日帰り出張で東京に行った夫が、帰るなり「東京の女の人ってみんなとても綺麗でビックリした」と言ったのだ。日頃そういうことを言わない人なので、わたしも驚いた。化粧もしていないわたしのことを、暗に非難しているのかと勘繰ったほどだ。

日本(東京?)では、プチ整形なるものが流行っていて、中高生が気軽に顔をつつく時代になっているらしいけれど、確かに東京ほど女の人が「きれい」ということに関心を持っている場所はないのではないかと思う。

ダイエットに気を使い、いろいろな化粧品を揃え、こぎれいな格好をして、かわいらしくニコニコとしている。働く女性の笑顔は、営業スマイルなのだけれど、アメリカのお店の店員は、ときにすごく無愛想だったりするので、そういう日本の接客態度に慣れていない外国人は、とても感激するのだそうだ。

アメリカのニュース番組に出てくるニュースキャスターは必ずしも美人ではない。はじめの頃、慣れていない時にはそれに違和感があったほどだ。テレビを見ていて、アメリカでは美人だということがそれほど重要視されていないのだなと思うようになった。

例えば、女性のキャスターで最高の年収を稼ぐNBCテレビのケイティ・コーリック(5年契約で6500万ドル=84億5000万円)は、この写真の真ん中の人なのだけれど、テレビでも、口の大きな人という印象だ。

ニュースキャスターは、ニュースを正確に分かりやすく伝える能力の方が、美人だということより大事だということなのだろう。

日本の男性の方が、アメリカ人よりも、女性に美しさを強く要求している気がする。そして、日本の地方(田舎)よりも東京の方がより強い。

けれどわたしはそれを非難しているわけではない。東京の女の人がきれいなのは、街に活気があるからで、鹿やタヌキが出るようなアメリカの田舎(けれど首都!?)に住んで、化粧することも着飾ることもめったにしない田舎者は、そんなふうにエキサイティングに暮らす東京の人たちを羨ましいと思っているのだ。


2002年11月23日(土) compliment 褒め言葉、お世辞 2

息子2のサッカーの打ち上げパーティーがあった。メンバーの子の自宅で。うちは、夫が出張中だったのでわたしが連れて行って、ふたりだけの参加だったけれど、両親と兄弟まで一緒に来ている家族もあった。打ち上げパーティーは、サッカーを通じての家族同士の親睦会でもある。

出前のピザが30〜40箱はあった気がする。あとは、持ち寄り(寄付)の、ソーダ缶とワインとケーキがあっただけの、食べ物に関しては簡単なパーティーだった。人数が多いから、お喋りがご馳走ってことなのだろうか。

ピザが無くなった頃に、子ども達を集めて、コーチのお話があった。反省会、芝居で言えば、ダメ出しなのだけど、このコーチのお話が、見事に褒め言葉のオンパレードで、ちょっと感動してしまった。15人いるサッカーチームのメンバーひとりひとりに掛ける言葉が全てcomplimentなのだ。

・エリックはFWのときに活躍したね(ポジションは固定していない)、いちばん得点をあげたね。
・こうすけは途中からチームに入ってきて、みんなより練習が少なかったのに、よく溶け込んでいたよね、キーパーもDFもMFもFWも全部で活躍できたのはこうすけが一番だったよね。
・アレックスはチームでいちばん大きな声を出していたね、控えのときも大きな声でみんなを応援して盛り上げていたね。

こんな感じで、誰もが褒められ、コーチは30分くらい話したけれど、ここはこうすればよかったね等の否定の言葉は一切無かった。

中にはそんなに褒めるところの無い子もいるだろうに、これだけ褒め言葉を探すのは大変だろう・・なんて考えてしまった。そういうふうに言えるのは、いつも子どものよいところを探しながら、ひとりひとりの子どもを注意深く見ているということなのだろう。

褒められ慣れしている他の子ども達は、けろっとしているけれど、慣れていないこうすけだけが、みょうにテレていたのが印象的だった。(最近は生意気なことばっかり言って可愛い気のないこうすけだけれど、久々にちょっと可愛いなと思ったり)

帰りの車の中で、ボクが一番いっぱい(長いこと)褒められていたよねとこうすけが言ったのを聞きながら、わたしも、やっぱり誰でも、褒められれば嬉しいものだよねと改めて思わされたのだった。


2002年11月21日(木) compliment 褒め言葉、お世辞 1

○○会のお友だちランチョンに行った。アメリカ側のメンバーが日本側のメンバーを自宅に招いて、アメリカの料理でもてなしてくれるというものだ。

なんだかとても疲れて帰ってきた。

アメリカ側は、年配の人が多いこともあって、日本側が招待する時より、簡素ではある。そのことは、別にかまわない、と言うか仕方がないと思う。もてなしてくれる気持ちが大事なのだから。

疲れさせられたのは、その料理を、アメリカ式褒め言葉で大げさに褒め称える人がいて、しらっとした気持ちになったからだ。

今日のメニューは、ターキー、スタッフ、マッシュドポテト、アスパラガス塩茹で、サラダ、ケーキだった。どうみても、すんごいご馳走だ、すばらしい、素敵、といろいろな言葉を駆使して褒め称えるようなものではないから、彼女が何か言うたび、嘘ばっかり言うなよという気持ちになってしまった。

tremendous、fabulous、fantastic、great、awesome、terrific、wonderful、incredible 英語には褒め言葉がとても多い。これらの言葉にはそれぞれ違った意味があっても、褒め言葉として使われるとき、辞書には、【口語】すばらしい としか載っていない。 日本語では区別できない。

招待されたのは、日本側だったのだが、その中には、日本人男性と結婚しているアメリカ人女性もいる。彼女は、お客さんとして当たり前のことをしたのだろうと思う。

そういう社交辞令も言えないどころか、聞いているだけで疲れてくるなどと言っているわたしの方が、社交下手なのだろうなと思う。

その日は、その家のおばあさんが、ひとりでずっとお喋りをしていて、聞いているだけだと、とたんに話が飛んでしまう(分からなくなる)所為もあって疲れたのだけど。

んー、そうは言っても、やっぱり、あの過剰な褒め言葉っていう習慣にはついていけないわと、帰りの車を運転しながら、わたしは開放された気分になったのだった。


2002年11月18日(月) 調子のいい言葉(悪気はないと分かっていても)

せっかく日本語教師になれると思って研修を受けたのに、その後、何も連絡がなかったので、ここ何日か、塞ぎ込みがちだった。

研修の終わりの日に、一度実際の授業を見てみたいということと、労働許可証のために必要な書類を書いて欲しいことを告げ、了解の返事をもらって帰った。それが木曜日だったので、遅くとも月曜日には連絡があると思っていた。

こちらから、電話すればいいのだとか、それがアメリカ式なのだとか、分かっているのに、電話をかけることができなかった。

以前、日本企業の特許申請を手続き代行する「特許事務所」に採用面接に行った時もそうだった。面接では、途中まで上手くいっていたけれど、「いままでしてきた仕事は何ですか?」という質問になって、上手く答えられずしどろもどろになってしまい、たぶん不採用だろうと決め込んでしまった。

何も連絡がないけれど、どうなっていますかと、こちらから自分をプッシュしアピールする電話をかける気にはなれなかった。あとで、既にそこに採用されていた日本人に話を聞くと、「あそこの所長は誰に対してもそうで、こちらからしつこいくらいに連絡を入れなければ返事をしないで放って置かれる。不採用と決まった訳ではないのだから、電話くらいすればよかったのに」と言われた。

けれど、そういう積極性は、自分に自信がある人でなければ出てこないものだ。


サナ(イエメンの首都)のホテルに電話した。夫は、電話の向こうで、わたしを励ましながら「忙しくて、後回しになっているだけだよ」と言った。けれどわたしは「でも、もういい、仕事なんてしなくてもいいんだから」と、後ろ向きな気持ちにしかなれなかった。


次の日、これぞ英語の先生の鑑だというような明瞭な発音のメッセージが、留守番電話に入っていた。わたしのために、その学校で日本語教師として働いている人とのミーティングをセットしたから来てくださいという内容だった。

ホッとしたのもつかのま、夫が、あの電話の後ですぐにメールを打ったから連絡が来たのだと分かり、とても複雑な気持ちになった。むしろ、そこまでしてもらわなければ何も出来ない半人前の自分のことをかなしいと思った。

きょう、学校に行って、10年以上も日本語教師をしているという、ふみこさんと会った。話しているうちに分かったことは、わたしが不採用だった訳ではなく、もともと日本語を学びたいという生徒がほとんどいないから、仕事が回ってこないということだった。

その場ではすごく調子のいいことを言って、後できっちりフォローしないということは、アメリカではよくある話だ。明るくフレンドリーで大げさな態度に、何もかも上手くっていると慣れない日本人は勘違いしてしまう。研修も採用も「次に日本語の生徒が入ったときにはあなたにお願いするから」という話だったことが分かった時には、なんだか間の抜けた話だなあと、泣いていいのか笑っていいのか分からなかった。

ふみこさんはわたしとのミーティングで、通常の仕事と同じ時給がもらえるそうで、いままでの研修とは違い、どれだけ必要ということも無かったこの話し合いに、学校がわざわざそこまでしてくれたことを、申し訳なく思った。仕事が無いことに変わりはないけれど、学校側の誠意は伝わってきたので、いまは、それ以上は仕方がないという気持ちになった。





追記:ふみこさんが言ってました。日本の景気がよかったときには日本語を勉強したいという人がたくさん居て、クラスもできるくらいだったと。わたしも、いまどき日本語を学びたいなどという人は、なんてものずき奇特な人なんだろうと思っていたけれど、ここまで少ないとは思いませんでした。(3校あわせて3〜4人) ああ、日本の不況がこんな所にも影を落としていたなんて・・・


2002年11月10日(日) これは倫理観の欠如なのだろうか

10月28日付の日記で、このウチの大家さんに宛てて、子どもの認知のために血液(DNA?)鑑定をした結果の書類が、間違ってここに配達されたという話を書いたのだが、その話には後日談がある。

翌日午前中に、マークのオフィスに電話をしたけれど留守だったので、電話を掛け直して欲しいということだけ留守電にメッセージを入れておいた。オフィスの他の人に聞かれては困るだろうと思ったからだ。 けれどその日、マークからの電話はなかった。

気になっていたので、夫が帰ってきてから、「マークから電話がないんだけどどうしよう?」と言うと、「えぇーっ、困ったなあ。いま、ここに電話が掛かってきても、ボクは出ないよ」と夫は言った。また問題から逃げようとしてるのねと、わたしが言った言葉に返ってきたのは、

「なに言ってるの?それはね、マークにとっては知られたくないことなんだよ。のぶお(夫)も知っていると思うのと、何の書類か分かっていないさとこしか知らないと思うのとでは(たとえ裏では知っているかもしれないと思ったとしても)マークの気持ちが全然違うでしょ。それに、さとこが自分で電話する(解決する)って言ったから、それでいいよって言ったんだよ」だった。

ああ、わたしはマークの気持ちなんて考えていなかったかもしれないと、ちょっと愕然とした。

アメリカでは日本よりも多種多様な家族のかたちが認められていること、何でも有りだとわたしが思っていること、養子でもステップでも隠したりしないということと、婚外の子どもができることとは、本質が根本的に違うのだ。(家族のかたち1〜3を書いたのは、この部分を書きたかったからである)

日頃(喧嘩した時など)、夫に「さとこは仕事してないから世間知らずだ」なんて言われると、むっきぃぃーーー!と頭にきていたわたしだが、その日は素直にその言葉を認めることができた。

結局、2日後にマークの携帯に電話して、荷物を預かっていることを告げ、開けてしまったことを謝ると、マークは一瞬、困ったなという口調だったが、すぐに「いいよ、大丈夫、取りに行くから玄関の外に置いておいて」と明るく言った。顔も合わせないで引き取ったことや、いつもは頼み事をしても(車で10分の所に住んでいながら)まったく来ようともしないのに、すぐに飛んできたところをみると、マークはそれが何であるか既に知っていたようだった。

こうして、3日後にはこの問題は解決したのだが、「外に子どもができたことなんて隠すほどのことじゃないのにと思ったわたしは、倫理観が欠如してしまっているのだろうか」と、ちょっとへこんだ出来事だった。






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2002年11月07日(木) ブライアン、マジメな顔してそんなことを言っては困ります

11月5日〜7日の3日間、わたしは地下鉄に乗ってDCまで研修に通った。仕事することになったから・・とか言うと、ちょっとカッコよさげなのだが、何のことはない、仕事中は日本語を話すことになる。・・と言うより、英語は使わないようにと言われている。

つまり、日本語の先生になる予定なのだ。(あくまでも予定)

研修には、フランス語、スペイン語、ドイツ語、英語の先生になる人も来ていて、相互に、先生役、生徒役をした。

「これはペンです」
「これはペンですか?」
「はい、これはペンです」

というような会話を何種類も次々に練習したので、頭がパニックになった。1日目は、それでもまだやる気と集中力があったので、英語での研修もだいぶ分かったけれど、2日目、3日目はしょっちゅうぼぉっとして別のことを考えてしまった。英語を聞くには、「気力」と「体力」が必要なのだ。

それに、他のみんなは、第2外国語で既に勉強している人たちばかり。簡単なことさえ上手にリピートできないのは、私くらいなのだ。みんな優しいんだけど、なんだか41にもなって子ども扱いされてる気分だった・・・。

それでも、他のみんなが「日本語も習えるなんて嬉しい」とか「日本に興味があるから行ってみたい」とか「日本語は(音が)本当にきれいな言葉だよね」とか言ってくれるので、嬉しかった。

ところが2日目になって、強敵が現れた。彼の名前は、ブライアン。大学で4年間日本語を学び、2年間、日本に住んでいたことがあるそうで、流暢な日本語を話す。その彼が、日本語と英語の両方の先生として、学校に登録したいと言うのだ。えっー、もともと日本語を習いたいという生徒の数は少ないから、生徒を取り合うことになるではないか。(日本語のクラスはないので、個人レッスンのみ)。ブライアンは、別のところで英語の先生をしていたそうだから、教えることは上手だろうし・・・。

と、思っていたら、日本語の生徒のひとりは、新聞を読みそれを元に会話を進めるというレッスン方法なのだそうで、新聞は辞書がないと読めないと言っているブライアンには、教えることは無理そうだ。 やったぁ(・・・とか言ってるけど私にも無理だったりして)

それに、彼が日本語を教えるのは根本的に間違っていると思われる。






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そんなこと言う外国人がいたら、ちょっとヤバイです(笑)


2002年11月06日(水) 家族のかたち 3

子ども連れで再婚して義理の子ども(子どもにとっては義理の親)ができた家族をステップ・ファミリーと言う。

私の隣の家には、30歳くらいの娘さんと60代くらいの夫婦と大きな犬が2匹、住んでいる。家の外で偶然会ったときに、立ち話をする程度の付き合いなのだが、ふたりが再婚であることや、子どもは奥さんの方の子だということは、お隣さんが引っ越して来て、ほとんど一番最初の会話のときに話してくれた。

彼女(娘さん)は、父親から見ると step daughter (義理の娘)である。

息子たちと一緒に、子ども連れのパーティーに行った時や、サッカーの試合に兄弟が来ている時などに、なにげなく 「あの人は、キミのおねえさん?」 と訊いて、 「うんそうだよ。 ステップだけどね」 と言われ、そういう答えを予想していなかったために戸惑うことがある。

義理の娘や義理のおねえさんになったことを、わざわざ隠さないことは、養子であることを隠さないのと同じだと思うけれど、ステップであっても兄弟であることに変わりはないのに、わざわざ、本当の兄弟と区別して、ステップの兄弟だと付け加える意味は何なのだろうか?

私の夫には妹がいる。彼女は私の“義理の妹”(sister-in-law)なのだが、親が子連れ再婚して妹ができた場合の“義理の妹”は step sister である。

例えば、海苔もワカメも“もずく”も“ひじき”も昆布も、あれだけ違う形と味のものでありながら、英語では seaweed(海藻)という一種類の単語しかなく、区別することができない。 反対に、日本語では「鶏」、「牛」としか区別しないものが、hen、cock、rooster、chick、chicken、fowl (鶏) cow、 bull、ox、calf、cattle(牛) と区別される。

日本語で「義理の妹」としか区別できないものが、英語で区別できるのは、その必要があるからで、その違いを認めているからだと思う。 そのことが、ひいては、いろいろな家族のかたちがあることや、そういう人たちのあり方を認めていることに繋がっているのではないだろうか。


この国は、日本のように単一民族で皆が同じ外見や考え方をしているという前提のもとに成り立っているのとは違い、初めから異なるメンタリティーで異なる民族が共棲(国を成す)しているのだから、日本とは比べられないけれど、日本でも、いろいろな家族のかたち(家族に限らず、独身でいることや、子どもがいないことなども含め)をがあることを、もっと認め合ってもよいのではないかと私は思う。


2002年11月05日(火) 家族のかたち 2

「アメリカ人のライフスタイル」(サイマル出版会)という本によれば、この国の結婚の50%が離婚に終わり、結婚期間の平均は9年で、子どもの32%は片親だけの家庭に育つのだそうだ。(p53)

周りを見ても、そこまで離婚が多いようには見えないが、知らないだけなのだろうか。(因みに、子どもの小学校の名簿では、片親の子の割合は20%ほどである)

息子2がマグネットの学校に行っていた頃、(普通の学校より早めに家を出るため)毎朝、家の外で子どもを待っている父親とすれ違った。どうしていつも子どもより早く家を出て、外で待っているのだろうと疑問に思っていたのだが、しばらくして、その男の人は、子どもと同居していないことに気付いた。子どもが家から学校まで歩いて通う5分ほどの時間を一緒に過ごすために、毎朝やってきて、外で10分以上待っているのだ。ときにりんごを齧りながら、ときにポットのお茶を飲みながら。

アメリカでは離婚した場合、男性の方が家を出るのが一般的だそうである。そして、日本のように子どもは母親の方が引き取ることが多いが、日本と違うのは、「離婚して出ていった親には会わせないということは少ない」ということだ。そのために父親も近くに住んでいる。

息子2の友だちで、毎週日曜日の午後はお父さんに会うから遊べないよという子がいる。日曜日の午前には教会に行き、午後は父と過ごす。別の家庭では、半日だけではなく、ウィークディは母親と、週末は父親と過ごすと決めているケースもある。

近所に、3人の男の子が居るアメリカ人男性と再婚した日本人の女の人がいるのだが、彼女の場合は、週末の母親宅訪問以外にも、学校行事(参観日や個人面談など)は元の母親の仕事なので一切関わらないという取り決めになっているのだそうだ。

来てすぐの頃、息子2(当時小2)の日本人の友だちが 「おばちゃん、知ってる? クリスってね ふたつも家があるんだよ、それでね、どっちの家にもいーっぱいおもちゃがあるんだって。いいねぇー」 と無邪気に私に教えてくれたことがある。 (うっ、それって離婚して、両方の家を行ったり来たりしているってことなんだけどな・・・)とは、言えなかったが。

離婚の事実を隠して子どもに教えない日本人の両親の教育方針は、私には疑問である。私なら、子どもが幼稚園児だったとしても、離婚という言葉を使って、きちんと本当のことを教える。「クリスのお父さんとお母さんは離婚してしまったけれど、ふたりともクリスのことが大好きだから、クリスの近くに住んで、なるベくたくさんクリスに会えるようにしているんだよ」と。

離婚はしなくて済むならその方がいい。けれど、離婚するとなった場合に、そんなふうに隠してしまっては、子どもには悪いことだったとしか思えないのではないだろうか。

(家族のかたち、3に続く)


2002年11月04日(月) 家族のかたち 1

アメリカに来てから、いろいろな家族形態を見てきたので、とても変わった家族を見てもあまり驚かなくなった。

これまでで一番驚いたのは、おかあさんがふたりに息子がひとりという家族だ。息子1が幼稚園に行っていた頃、クラスで「おうちの人全員の絵を描きましょう」というプロジェクトをした。息子が「パトリックのうちはおかあさん2人とパトリックなんだよ」と言うので、「まさかぁ 女の人みたいな名前の男の人でしょ?」と言ったほど、当時の私には奇異にうつった。たぶん、レズビアンのカップルが養子の子どもを育てていたのだろう。

アメリカでは養子縁組がとても多い。そしてそれが、一般的なことでもあり、(ときに)善意で行なわれることでもあるからなのか、養子であることを子どもにも周りにも隠さない。

息子1が幼稚園で仲良しだったふたごの女の子の家に初めて遊びに行った時、おかあさんが、わたしに紅茶を淹れてくれながら、「この子たちはadoptionなのよ」と子ども達のまえで言った時には、カルチャーショックを受けた。親しく話をするのも初めてで、英語もおぼつかない私にどうしてそんなことまで教えてくれるのだろう、しかも子どもも傍にいるのにと思った。

父親と母親はユダヤ人で、ふたごの女の子はペルーから来た子だったから、言われてみれば、なるほどとすぐに分かることだったけれど、当時、いろいろな家族の形があることをよく認識できていなかった私には、見えてはいても、考えてみたこともないことだった。

養子縁組は、子どもが出来ないからという理由だけで行なわれる訳ではない。クリスマスに、あるクリスチャンの家庭に呼ばれて行った。そこには4人の女の子が居て、ふたりは白人、ひとりはアジア系、ひとりは黒人の子だった。どういう関係なのか分からなかったので訊ねると、自分たちの子どもはふたりで、あとのふたりは養子だよと言われた。(金銭的なことも含めなかなかできることではないと感心した)

そういう経験をいくつか重ねて、周りを見てみると、明らかに両親と違う髪の色や目の色をした子どものいる家族がある。同じ人種の子どもを養子にしているケースも含めたら、この国での血の繋がりのない親子の例はもっと多いのではないかと思う。

アメリカ人は、日本人ほど「血の繋がり」を重要視せず、その人を決定するのは、血筋より育った環境だと考えるからなのだそうだ。


(まだまだいろいろある家族のかたち、2に続く)


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