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2001年11月30日(金) 落ち込んだ時の慰め方

ボランティアで英語を教えてくれている先生がいる。先生の自宅に週に一回、4〜5人の生徒が集まってくる。
その日は、連休前でAさんと私のふたりしか生徒が来ていなかった。先生は12月の予定を立てたいらしく、「いつまでレッスンをしようか?」と私たちに聞いた。先生は、短期滞在のイギリス人で、旅行の予定はないらしい。「年末はギリギリまでレッスンできるし、1月もすぐにスタートできるよ」と先生は言った。なのに、Aさんは日本のことを持ち出して、「日本人にとってお正月は大事で、みんなが休みをたくさんとるからレッスンも休みにして欲しい」と言ったのだ。レッスンに来ているのは、日本人だけではないし、皆がAさんのように一時帰国の予定があって忙しいという訳でもない。わたしは、内心Aさんの身勝手さにあきれてしまったが、英語のレッスンの続きだったので、日本のお正月についてAさんの言わんとすることを先生に説明した。あくまでも一般論を言ったつもりだったし、Aさんが英語で上手く説明できない部分に助け舟を出しただけのつもりだった。そのうち、先生の顔が曇って、明らかに不機嫌になった。「いいわよ、休みにしましょう」先生はそう言うと、その日のレッスンを早めに切り上げてしまった。

あーぁ。先生はきっと誤解しただろうな、お正月について説明してたのは私の方が長かったし、はっきりと「私は休みにしないでレッスンをしたい」って言えなかったものなーと、ひとり 帰りの車の中で、落ち込んでいた。

後日、レッスンを休んでいたBさんにこの話をした。「ねえ、Aさんってひどいよねぇ。やっぱり(私のしたことは)まずかったよね。先生が怒るのも無理ないと思うわ・・・」

わたしは、「うんそうだね」という肯定のこたえを期待していたのだけれど、Bさんは延々と私の言ったことを否定し始めた。
「Aさんってひどいよね」→そんなことないんじゃない、そんなつもりはなかったんだよ。
「やっぱりまずかったよね」→大丈夫だよ。
「先生怒ってるよね」→考えすぎだよ、怒ってないって。
ええっーー なんでひとつも私の言うことに「うん」って言ってくれないワケ?
わたしは、がっくりと余計落ち込んでしまったのだった。

落ち込んだ時の慰め方には2種類ある。やっぱりマズイことしちゃったよねと言われた時に、「そんなことないよ」と否定する方法と「うん、そうかもね」と肯定するやり方。そんなことないよと否定して欲しいタイプの人がいるのも分かる。いや、もしかしたら、そういう人の方が多いのかもしれない。けれど私は、落ち込んでいる時に自分の言ったことを否定されると、余計に落ち込むのだ。たぶん否定されることに慣れていないせいだろう。自分が否定されるなら、私の納得のできる理由を挙げてほしい。そうでなければ、「うん、そうだね」と頷きながら、黙って話を聞いていてよと思う。

残念ながら、私の周りに、肯定の慰め方をしてくれる人はあまりいない。たまに、すごく上手に頷きながら聞いてくれる人がいると、落ち込んだ時のためにこの人がずっと傍にいてくれないかなぁなどと思うのである。


2001年11月25日(日) 泣きたくなる

ときどき泣きたくなる時がある・・・ などと書くとあまりに誤解を招くので訂正。

「ヒトはときどき好んで泣きたくなる時がある」

泣いている自分をナルシスティックに可愛いなと思い、カタルシスを感じるために泣きたくなる。(って、わたしだけ?)わたしは映画を観に行くことが好きなのだけど、英語で映画を観て分かるほど堪能ではないのでわざわざ泣くために出かけて行く場所は、ここではあまりない。そんな私に、これはチャンスと訪れたのは、日本語教会の講演会だった。講師は、元ヤクザで今は船橋シロアム教会の牧師として有名になった鈴木啓之さん。渡瀬恒彦の主演で「親分はイエス様」という映画にもなり、本もたくさん売れたのだそうだ。(日本に居ないから分からないけど)

出かけにハンカチを探したらハンドタオルしかなかったので、そのまま持っていったら「わざわざ、タオル持ってきて泣いてたでしょ」と言われてしまった。見透かされたようで、ちょっと恥ずかしかった。泣かせる話うまいです、鈴木さん。

一番印象的だったのは、講演の初めに見たビデオだ。「たけしのアンビリーバボー」という番組で鈴木さんが紹介されたという15分ほどのビデオの中で、ヤクザ時代の鈴木さんと今の鈴木さんの顔が全く別人のように変わっていたことだ。他にも鈴木さんのようにヤクザから牧師やクリスチャンになった人たちがいて、昔と今の顔が映し出されたけれど、どの人も見事に別人だった。

鈴木さんのように大きな変化を経験することは稀だろうけれど、だれでも知らず知らずのうちに、環境に慣らされ顔がそれらしく変わっていくのだと、改めて思った。「40過ぎたら自分の顔に責任をもて」と言われる所以だ。

車の後に子どもをふたり乗せて運転していると、必ずふたりは喧嘩を始める。毎度毎度なのでいいかげんうんざりして「ケンカしてると(気をとられて)ぶつかるよ」と言っても効き目なし。わたしは最高にブスっとしたしかめっ面をしているのだが、ふと、その言葉を思いだしてニコッと最高に可愛い笑顔を作ってみる。

Rockville Pike 辺りで、いままでしかめっ面をしてたのに急に不気味な笑顔を浮かべる、怪しいオバサンを見かけたら、それはわたしです。(笑)


2001年11月22日(木) Thanksgiving party

ごめんなさい 嘘 ついてました 昨日の日記。
Thanksgivingは、道路がガラガラに空いてて、お店はみんな閉まってるなんて書いたけど、きょう高速に乗ったら、思いのほか多くの車が走っていました。ガソリンスタンドも半分くらい開いていて、CVS(コンビニみたいな薬局)も開いていました。夜9時半くらいにパーティーから帰ってきたのですが、行く時より混んでいました。ウチみたいに近くに出かけて帰ってくる人たちも、たくさん居るんだってことのようです。

息子2は、念願のターキーが食べられて満足したようです。朝9時からオーブンに入っていたという、20ポンド(9kg)もある大きなターキーを、お父さんが、目の前で切り分けてくれました。「アメリカでは、これがお父さんの大事な仕事なんだよ」と言って、一年に一度しか使わないという電動ナイフを箱から出してきて、エプロンを着け、豪快に骨ごと切り取って分けてくれるのです。お客さんをキッチンに招き入れ、舞台裏まで見せてくれるのもアメリカ式なんだそうです。大学生の娘さんがボストンから帰ってきていて盛んにお父さんのターキー写真を撮っています。

ターキーの他には、マシュマロの乗ったスイートポテト、インゲン豆、ポテトのグラタン、サラダ、スタッフ(ターキーに詰めてある野菜とパン粉の混ぜもの)、パンがあって、ビュッフェスタイルでの着席式。大人6人子ども6人のこじんまりとした集まりでした。(こういうとき子どもは必ず別の席に座ります)忘れてた デザートには、パンプキンパイ、ピーチタルト、チョコクッキーのケーキなどがありました。(私は、黒ごまプリンとチキンの野菜のオーブン焼きを持っていった)

わたしはといえば、話をちゃんと聞いているつもりでも段々とボケっとしてきてしまい、そういう時は、奥さんがすかさず話題を振って退屈しないように気を使ってくれました。でも、「日本の男性は料理をしないんでしょう?」とか「日本の奥さんは仕事をしないで家に居るのでしょう?」とか、かなり間違ったことも言っています。アメリカに比べれば、料理する男性も働く既婚女性も少ないかもしれないけど、けしてそんなことはないと思うけど・・と言うのですが、英語をしゃべると疲れるので、またボーっとしてくるんだなあ これが(笑)

そうそう、「地下にプールがあるけど遊ぶかい?」と言われても驚いてはいけません。プールと言うのはビリヤードのことです。初めてビリヤードしました。かすったり、白いタマを落としちゃったり思うようにいかなかったけど、最後に2回連続して決めて勝ちました。「すごいねっ!いままでこんなきれいなショットは見たこと無いよ」なんて言われちゃって、さすが褒め上手のアメリカンだヮ。

眠いので、つらつらと日記のようなこと書いてます←日記です
「ではおやすみなさい」の午前零時。


2001年11月21日(水) 世はおしなべてThanksgiving Dayなのだ

世間では皆さん、明日22日木曜日から4連休のThanksgivingなのである。感謝祭とは言うものの、意味合いはアメリカのお正月なのである。日頃、簡単料理ばっかり食べてるアメリケンが、ターキーを初めとして、各家庭の伝統的料理を二日がかりで作っちゃったりもするんである。(つまり、おせち料理ね) 各地に散らばった親戚一同、おばあちゃんちにしゅうごーって掛け声かかっちゃったりもするんである。
・・・・でもね、私たち外国人にはちょっと寂しい季節だったりもするのだ。

だってね、ほら、ハロウィンの時もクリスマスも、街一色、オレンジや黒や赤や緑にデコレーションされて、出歩くだけで、ウキウキした気分になるでしょ。トリック・オア・トリートって言いながら、仮装してお菓子をもらいに行ったり、子どもが来たり。お祭り好きの血が騒ぐって感じ。クリスマスもいろんなグル−プでのパーティーがあるし。でもね、サンクスギビングは盆と正月がいっぺんに来たっていうくらいの ある意味アメリカの最大のイベントなのに、親戚集まって、おウチでご馳走食べるだけで、呼んでもらえなかったら何にもないんだもの。無駄にお休みなだけなんだもの。

この前のシャドーボックスの日も みんなで話したのはこんな感じ。「Thanksgivingどうするー?」「NYとか行くの?」「だめだめ、みんな休みで、お店も美術館もやってないよ」「去年ってなにやってたのかなぁ」「憶えてないねぇ」「やっぱり、うちは寝正月かな」・・・

他の祝日・休日でもスーパーやデパートは開いているのに、この日ばかりは一斉に休み。道路もガラガラ。下手に出かけたりすると、もの寂しくさびしくなっちゃうくらい。

ところがっ、なにげに「4連休どうするの?」って訊いたら「それがさ、会社の人に招待されてるんだよ」と答えるではないか、myオット。わたし思わず、「やったー、よかった日記に書くコト(ネタ)ができて」って答えてました。普段なら、会社の人の家に呼ばれるなんて気が重いんだけど、喜んで伺いますともイベントのためなら。


2001年11月20日(火) やっちゃった

あーあ、やってしまった。「さとこはボケッとしてるから心配なんだよ」っていつも言われてて、自分でも運転下手だなあと自覚してたから、いつかまた事故るんじゃないかとは思っていたけど。

場所は中学校の駐車場。書類をもらいに行く必要があったので、重い腰を上げて出かけていったら、意外と簡単に終わってしまった。2時40分になると終業のベルが鳴って、生徒が帰りのスクールバスに乗るために、一斉に校舎からあふれ出てくる。きょうはピックアップして連れて行くところがあるんだけど、時間が余ってしまった、どうしよう・・・など考えながらボーっと車を移動させたら、ボコンと派手に歩道に乗り上げてしまったのだ。もしかしてパンクしてないかもなどと思ったのは甘い考え。タイヤはぺちゃんこにつぶれてた。

携帯なんて持ってないからAAA(日本でいうJAF)も呼べないし、ジャケットも着てこなかったから肌寒い。「あーぁ、校舎まで戻って電話を借りて、取り敢えずタクシーで当初の用を済ませて、また戻ってきてAAAを待つしかないか、でも1時間くらい待たされるんだよね」などと考えて歩きだした。けれど、ふと思いついて自分でタイヤ交換してみようと思った。生まれて初めて。思えば、こちらのガソリンスタンドは全部セルフサービスである。とても出来ないと思っていたけれど今ではちゃんとやっている。まだ時間もあるし、やってやれないことは無い。(全然違うことのような気もするが)。

ジャッキアップして四苦八苦していたら、同じように子どもを迎えに来たお父さんが手助けしてくれた。トランクから重いタイヤを引きずり出しているうちに、もうタイヤがはずされていて、はずされたタイヤをトランクにしまっている間に、もうスペアタイヤが取り付けられていた。なーんだ簡単だったんだ・・・って、自分でしたわけじゃないけど。手をまっ黒にして、白いトレーナーの袖口を墨がついたみたいに汚してまで人助けしてくれるなんて。こんな時に Thank you very much. しか言えない自分がなさけない。もっと別のありがとうの言葉って何があるの? でも本当に、ありがとう、ありがとう。かばんの中にウエットティッシュが入っててよかった、どうぞ使ってください、でもこれだけでバイバイしてきちゃったけど、よかったのかしら?


2001年11月18日(日) ふとりゆくきょうふ

唐突ですが、私は161cm,50kgです。
標準的な体型と言えるのでしょうが、実はとても気にしていることがあるのです。なぜかおなかにばかりつくおにく。

外出するとハンパじゃなく太っている人を時々見かけます。ウエストが180cmくらいで体重が150kgくらいありそうな樽みたいな体型の人たち。周りにそういう人が多いと私なんかまだまだ全然・・って思えて油断してしまうのです。

私には苦い過去があるのです。ボストンで長く寒い冬をこもって過ごしたら、ウエスト10cm、体重10kg太っていたという・・

そんなわけで 今日は日曜日だったので、久しぶりにスイミングプールに行ってきました。受付で5ドル払って、更衣室に行くと何人か着替えている人が居ます。みんな大胆に胸やおしりを出しています。中には、足が濡れるのが嫌で、ベンチの上に立って着替えている人も。

今日はゆっくりのペースで20往復ほどして、途中でジャグジーやサウナに行って休憩したのですが、更衣室の中にあるサウナも大胆オールヌードなんです。かなりボリュームのあるおばさまがやってきて、タオルを敷くと私の目の前で横たわってしまったのには目のやり場に困って・・・ません。しっかり横目で見てました。

終わったら、シャンプーやボディソープを持参して、シャワーして帰るのですが、シャワー室が個室になっていないので、ここでもみんなすっぽんぽんです。

たしか世田谷区民プール(400円)に通ってた頃はシャワーは個室(シャンプー禁止)で 着替えは、ロッカーの前でバスタオルで隠しながらしていたような・・・

こうやって厚顔無恥な恥じらいのないおばさんになっていくのでしょうか。太りゆく恐怖と無恥なおばさんになってゆく恐怖を天秤にかければ太りゆく恐怖が勝つのだけれど。


2001年11月17日(土) 抜けるものと抜けないもの

初めてアメリカに住むことになって、ボストンにやって来たのはもう8年も前のことになる。
何もかもが新鮮だった。ウキウキしながらタクシーに乗り込み行き先を告げると「あなた達日本人でしょ?」と突然言われ、とても驚いた。

なんでー、なんで、なんで、なんでー わかるねん?っていうくらい驚いたけど、その理由は、しばらく住むうちに程なく解かった。僕たちってば、コテコテの日本語訛りの英語を喋っていたのである。

スペイン語訛りの英語、韓国語訛りの英語、インド人の英語・・・耳が慣れてくると違いが分かるようになってくる。

聞き取れないなぁという時には、この人の英語は訛ってるからねと、こちらが下手なのは棚に上げ、人の所為にしてしまうけど、そんな英語でもネイティブの人たちはちゃんと理解できる。
私の耳は、デキの悪いラジオみたいだ。キャッチできるのは狭い範囲の周波数のアナウンサー並にきれいな発音の英語だけ。


話は変わって、英会話スクールで、ベネズエラから来た女の子に「あなたたちアジア人は日本人とか中国人とか韓国人とかお互いに区別できるの?」と訊かれ、「だいたい分かるよ」と答えると、「それはすごいね、わたしにはちっとも違いが分からない」と言われた。
私たちにも、ペルー人とチリ人の違いや、スペイン人とポルトガル人の違いは区別できないから同じことだ。

ところが最近、この顔の区別が出来なくなったと感じるようになった。私の中で、国籍識別のボーダー(border*)に乗っている人が増えてきた。
たまたま最近日本から来た人たちが国籍不明な顔つきの人たちばかりだった(笑)という訳ではない。むしろ日本から来たばかりの人たちは分かりやすい。女性はきれいにお化粧しているし、男性もどこかパリッとしている。

けれど長く住むうちに顔つきが段々と同化してくるのだ。英語を喋ってるとこんな顔になるのか、食べ物のせいなのかと不思議に思っていたけれど、それは私自身の感じ方のせいだと気付いた。私自身がこの国で異質なものだった時には、他の人たちの違いにも敏感だったけれど、そういうことを意識しなくなってから、自分自身も気付かないうちにオン・ザ・ボーダーな人になっている気がする。

長くアメリカに住み流暢に英語を繰る人でも訛りは残っている。同化しそうな言葉の癖はなかなか抜けないけれど、変わらないと思える顔の特徴(顔つき)は段々と同化して抜けてくるもののようだ。


* ここで言う borderは国境、境界(線)のことで boarder(スケボーする人)ではありません


2001年11月16日(金) 駐在員妻の憂鬱

今日は金曜日、日記を書き始めてから一週間経ちました。
金曜日は週に一度のごみ収集日なのです。私は、朝7時頃に来るゴミ収集車に、直接ごみを持って行きます。前の晩に、大きなバケツを収集所までゴロゴロ引っ張って行ってもいいのですが、また持って帰るのが面倒だから。

でも、日本の主婦ってほんとに働き者ですよね。
毎日、洗濯して、掃除機掛けて、買い物に行って、お天気のいい日にはベランダに布団を干して、何品ものご馳走を作って、ごみはきちんと分別して決められた日に出して、子どもの幼稚園の送り迎え、小学校の行事、地区の自治会の集まり、しなければならないことが沢山あったような気がします。

わたしはここに住み始めてから、これらのことを見事に何もしなくなりました。冷蔵庫も洗濯機も乾燥機も食器洗い機も大きいから まとめ買い、まとめ洗いすればいいし、凝った日本食など材料も揃わなくて出来ないから作らない、布団を干すこともない、子どもにも手が掛からない・・・っていうか、彼らのほうが英語上手だし・・・。 

お気楽主婦もいいけれど、気楽過ぎて憂鬱になります。

積極的に自分から外に向けて働きかけないと何も起こらないのです。分かってはいるけど、東京みたいにエキサイティングな街と比べるとワシントンはとっても田舎。地下鉄の駅から家に帰ってくるまでの道に鹿や狸や狐が出て、ベランダにはリスがやって来るほどなのです。

それに、日本人社会は閉鎖的で世界が狭いのです。ちょっと繋がりを広げれば、友だちの友だちはみな友だちってな感じで、知り合いばかり。悪いことも出来ません。飲みに行きたくても居酒屋はないし、カラオケもない。映画館に行っても字幕はないし、日本語のテレビも放映してない(朝の1時間だけ)。(日本語の)カルチャーセンターもないし、講演会もありません。

つい最近、近所の日本人コミュニティーで10組いた日本人家族のうち4組の親子が、旦那さんを残して帰国してしまったということがありました。まるで伝染したみたいに。

そういう話はよく伝わるんですね。「テロの後、日本の親が心配して早く帰れと行ってきたから」だとも聞きましたが、なんにしろ、あまり居たいとは思わなかったということなのでしょう。

どんな場所にいても楽しめる人って、本当に得だなあと 最近つくづく思います。


2001年11月14日(水) こんなこと信じられる? in USA

日記を書くようになって5日目。ワシントンDC郊外に住み始めて3年半、アメリカに住むのは2度目で、以前ボストンに住んでいた2年間も合わせるとトータルで5年半。正直言って目新しいことなどそうそうないし、家にいて暇な主婦している私に日記のネタは続くのかしらと心配していたのだけれど、いやー、あるものですねぇ。

きょうは、サイエンス・プロジェクトに必要だからと息子1に言われて、あるものを買いに行った。実は昨日の夜、外食の後にも近所を2〜3件廻ったんだけど探せなかったものだ。キッチン用品から布団まである家庭用品雑貨の店に行ったのだけどなかったので、明日デパートに行って見てきてあげるということになった。午前中いくつか行ってみたけど、結局、そこにもなくて、ホームセンターにあるだろうと言われて、午後から出直し。

大型店舗にはありとあらゆるものが揃っている気がするけれど、いったいどこを探してよいのやら。お店の人に聞いてもよく知らなかったりして、あっちこっち移動してやっと見つけたそれは、気温を測る温度計。(お店で、サーモメーターと言うとキッチンのか体温計かと必ず言われた) 湿度計付きのものがよかったけれど、望むべくもない。まあいいや、やれやれ。温度計ひとつ買うのに、半日以上かかった。

やっとレジに並んだら、またも 息子の出番(←日記にね)。
「ねー、なんで防犯カメラがこっち向いているんだろね」 見ると、天井からぶら下がっているカメラは、キャッシャーとレジスターの方を向いていて、それが 全部のレジの上にあるのである。

ひゃー、いままで何度かここに来たことがあるのに全然気がつかなかったわ。これは明らかにレジの人(従業員)がお金をごまかさないように、見張りとして取り付けられているのだ。おどろいた。

来てすぐの頃、大型家具店でベットを買ったときに、危うくお金だけ払って品物をもらえないという事態になりそうだったのを思い出した。

大きな店は 売り場、支払い場、受け取り場がそれぞれ別の場所、別々の担当者で、買ったものは書類一枚で取引する。翌日来いと言うからレンタトラックを借りて行ったら、目の前で別のお客がウチのと同じベットを積み込んでいた。そして私たちには入ると言ったはずの品物がもうないと言う。現場のにいちゃんが、横流ししていたのは明らかだ(あの時はまだ半信半疑だったけど)。書類にサインするからまた明日来いとか言ってぐちゃぐちゃと何か書き込んだけれど、案の定、次の日に行っても品物はなかった。結局、2〜3回足を運んでマネージャーに話をつけて、ディスプレイ商品でもよければすぐにあると言われ、もうこれ以上この店にくるのも嫌だったから、妥協してそれを車のやねに積んで帰ったんだった。

いま思い出しても頭にくる出来事だけど、いまではこちらも慣れてきて足元を見られるなんてこともなくなってきてたからすっかり忘れていた。

うん ありうるよなぁ・・従業員の万引き。
こんど、あの店に行ったら、あの防犯カメラが本当にそういう目的で付けられているのか聞いてみよう。


2001年11月13日(火) アメリカに住んでいると性格が変わる?

アメリカ(に限らず海外)に住んでいると気が強くなるというのは、よく聞く話である。日本人同士だから言わなくても解かるよねなんていう馴れ合いはないし、実際、ボケッとしていると足許を見られて、ボラれたり、ごまかされたりもする。

きょうは息子を歯医者(矯正歯科)に連れていった。
いつもの オフィスビル併設の駐車場に行き、タイムカードを出そうとして遮断機の前のボタンを押すのだが、いくら押してもカードが出てこない。目の前にあるブースを覗くと、いつもの南米系、色黒おじさんではなくインド人っぽいおばさんが座っていた。機械が壊れているよと言うと黙ってすっと通してくれた。

問題は帰りに起こった。いつもは歯医者で駐車カードに1時間分のシールを貼ってもらうのだが、当然そんなものはない。するとおばちゃん「レシートをやるから3ドル払え」なんて言ってくるのだ。 むかっ! レシートなんかいらんわぃ! 何で説明もなく、お金を取られるのだ。

No, I didn't hear it.       (私は聞いてない)
You didn't explain anything. (説明しなかったでしょ)
I can't pay.          (払えない) 

とか いろいろ言わねば気がすまない。すると、ビックリしたことに 「14才のわが息子さん」 リアシートから身を乗り出して加勢してくれるではないか。

You didn't say that!

いままで 引っ込み思案で他人に意見するなんてことがなかった彼に対して、いくら自己主張の国アメリカに来ても、性格はそうそう変わるものではないんだなあと諦めつつも歯痒く思っていたから、ついに・・・と、感慨深いものさえあった。

3分ほどやりあっているうちに 後ろには数台の車が並び、おばちゃんは、しょうがないなぁというように渋い顔して遮断機を上げてくれた。

帰りの車の中では 息子の英語レッスンが・・・。
「聞いてない」っていう言い方はダメなんだよ むこうは言ったけど、こっちが聞こえなかったとも取れるから、最初から「あなたは言っていない」と言うべきだよ。それにママみたいに英語の下手な人が I can'tって言っても I can なのか I can't なのか聞き取れないからそう言う時には、ちゃんと I can not って言わなきゃだめ  ・・・なんだそうです。 

はあぁ ためになります。それにしても私の英語はちっとも上手くなりませんが。

帰ってから 夕食を食べに行くのに予約を入れようとして、
I would like to make an apointment. と言ってしまいました。一瞬の沈黙ののち Oh ! reservatoin ね、なんて言われてしまいました。
(apointment=病院の予約、 reservation=レストランの予約)

あーあ 知ってたのにぃ〜〜 !


2001年11月12日(月) Veterans Dayの振替休日も吹っ飛んだ

11月11日は日本ではポッキーの日なのだそうだけど、アメリカでは Veterans Day である。退役軍人の日とか終戦記念日と辞書にはあるが、日本でいう「敬老の日」に当たるのではないだろうか。

今年は11日が日曜日だったので12日が振り替え休日になり、会社関係は休みになった。ただし小学校は休みにならない。なぜかというと、この日が毎年 年に一度の授業参観日に充てられているからだ。

日本の学校は、参観日、学芸会、運動会など行事が盛りだくさんあって 父母は毎月一度は学校に行っていると聞いたことがあるけれど、こちらではこの日以外には、ハロウィンのパレードとバレンタイン・パーティーくらいしか学校に呼ばれることがない。

きょうの午前中は、小学校と中学校を掛け持ちで見学してきた。お昼にうちに戻り、ちょっと一息とネットに繋いだら「NYに旅客機墜落」という文字が飛び込んできて、テレビを点ける。その時点ではテロかどうか解からなかったけれど、やっぱり不安がよぎる。 

そうでなくても、朝起き掛けにちょっと胸苦しかったりするだけで「むむっ、もしや炭疽菌にやられたか?(笑)」と考えてしまう毎日を送っているのだ。

飛行機の墜落はテロではなく事故だったらしい。ほっと胸をなでおろす・・・と書きつつ、事故だったらしいということに安心するという異常さに驚き、嘆いている。


2001年11月11日(日) アメリカの教育制度の・・弊害?

スーパーで買い物をした時には、デビットカードで支払い、money back (現金の払い戻し)をするようにしている。銀行に行く手間も省け、手数料を取られることもないから一石二鳥なのである。

で、便利なんだけど、毎度毎度なんだかなぁーーーって、イヤになってしまうことがある。 “money back?” “yes, please” のあとで、 “how much?” :「いくら(現金が)欲しいのか?」って訊かれるから「41ドル」と答えると、そこで、レジのおにーさんやおねーさんはみんな「????」と困ってしまうのだ。要するに、「15ドル35セント+41ドル」のような簡単な計算が分からないらしい。わたしも黙ってるわけじゃなくて、小さめの声でちょこっと「56.35」とか言ってみるのだけど、彼らのプライドが許さないのか、こっちの発音が悪くて聞き取れないのかすんなり聞き入れてくれることはめったにない。

つい アメリカ人ってみんなバカ? って暴言を吐きたくなってしまう。

けれど日頃は、アメリカの教育制度を礼賛しているのだ。少人数制でひとりひとりに目が届く。出来る子を伸ばし、出来ない子の個別指導も徹底している。覚えることより、考えることに重点を置く。自分の意見を人前で言えるようにする等々。いつもは、日本の教育は悪しき平等主義などと言ってたけど、少しだけ訂正します。

「せめて基礎学力くらいは皆に行き渡るような教育してください、アメリカの文部省」 


おまけ:
なぜ41ドル払い戻すかと言うと、1ドル分はクウォターコインをもらい、4枚の中にステートコインが1枚でもあればラッキーという感じでコイン収集をしているから。


2001年11月10日(土) 三国志 読もうかな

子どもたちがインターネットゲームの三国志にハマッている。
わたしはネットゲームをしたことがないので分からないのだけれど、たぶんUOとかと同じ種類のもので 時代と場所の設定が違っているんだと思う。自分のキャラに名前をつけて、よその武将(?)と戦っているらしい。

わたしは、インタラクティブなゲームのやり方が分からないうえに、三国志も読んだことがないから子どもたちの会話がまるっきり分からない。

ところが、いやんなことに「きょう初めてメールをもらったから ママ読んでくれる?」と見せられたメールは三国志語(?)で書かれていてちっとも分からなかった。

って言うか、メールくれた方、相手が10才の子どもだって分かってます?
ありがとうだけど、お返事は書けません。

だって・・・
分からないっていうよりも、うちの子供用のPCは English only なんです。


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