要するに結論はわかっているのだから後はどうするか、という事なのですよ結局は。…幼稚園の先生と語り合った時に、出た結論は結論とも言えぬものでした。
お互い一番若い者どうし、つまりは下っ端の会話なのですが。要するに研究方法は何であれ、「異校種間連携は良いものである」という仮定に沿って研究し、二年目の今、一年目と何ら変わりない事をやっている。この変わらなささはどうなの?という話し合い(つうか、愚痴の言い合い)がほとんどなのでした。
「○○は良いもの」…そんな事はわかってるんです。○○、に入る文字が算数の少人数だろうが異校種間連携だろうが、それに文句があるわけではありません。良いのはわかっている、だからどっちかというと問題があるのはそれ以外の事なのです。
例えば役所から戸籍通りに打ち出された入学通知の紙がくるのに、未だ要録が不確定極まりない手書きなのは何故なのか。この科学技術が発達した時代に何故身長やら体重やらを手書きで書類に書かねばならないのか。個人情報保護を謳い、学年便りなどで写真や名前は使わざるべしなどと言いながら一方で個性の伸長を唱えるのは何故なのか。人に認められるという事は、同時にプライバシーの切り売りをするという事でもあるのに…。
最後のは兎も角、本当にはからねばならないのは授業準備に専念できる環境だと。
わかっていないのか、それとも予算がないから放置しているのか?疑いを増す、今日この頃。