Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2005年02月28日(月) 三月は危険がイッパイ☆

海月指揮者デビューの話は大人の事情でなくなりました。私が引き受けたのは「イイ大人が逃げ回るのは格好悪い。ならば恥かいたってオッケーな私がやるか!」という大人な事情への考察からでしたので、またいつか機会があったらということでまとまりましたとさ。ちゃんちゃん。



さて、本日海月学級7人欠席しました。なのに早帰りの処置もなければ学級閉鎖にもならないの。2割超えたのに。何故なら6年生を送る会が3日にあるから。隣のクラスも6人休んでるのに何にも言われてないの。何故なら6年生を(以下省略)




やり過ごせるものならやり過ごしたいって気持ちは多いにわかるんですが、保護者様から「学級閉鎖も早帰りもなしなんですか!?」と聞かれるのはどうかと思う今日この頃。

2005年02月24日(木) 音楽指導のコツ(指揮編)

授業参観やらで学級閉鎖はしない方向の海小学校(仮名)、対策として4時間早帰りを実施するクラスが急増。




そしてその影響は子どもだけではなく先生にも及びました。現在隣のクラスの先生、熱、38度以上(本人曰く、怖くて測れないそうな)。明日は校長先生の退職記念な宴会なのですが、その宴会も欠席。・・・で、何故か職員室内でこそこそ教頭先生と教務主任先生が話しあっているのです。



「海月先生、O先生、ちょっと」


・・・なんだ、このイヤな予感は???


教頭先生:「M先生(海月の隣のクラスの先生ですね)が宴会を欠席することになったので、お二人のうちどちらかに最後の校歌の指揮を担当して頂きたいのですが・・・。」



海月:「え?校歌って確か4拍子ですよね?」


教務主任先生:「(微笑)・・・はい、海月さん決定。よろしくー!」


ええ!?

教頭先生(実は音楽の指導者として活躍中):「じゃあ海月さん、指揮のコツを教えますね。身体のちょうど真ん中で、左右バランスをとるように。お腹の上ぐらいまでで、ピンポン玉が跳ねるように指揮をするんです。それから足で拍子をとらないで!指揮者っていうのは注目されるんですから・・・それから肩、あげないでっ!(以下省略)」






・・・


・・・



・・・・が、頑張ります(汗)

2005年02月20日(日) 日本語教育を!

大分浮上してきたので件の「英語教育の是非について」。これは保護者アンケートでみられたことでもあるんですが(引きずってるし)日本人の日本語能力が低下していると思うからです。



かくいう私もとても褒められたものではありません。しかし、日本語能力の低下は他者理解力を不足させ、誤解を招く元となるのではないでしょうか。



四年生の国語教材に「ごんぎつね」というお話があります。長年に渡り全ての国語教科書に採用されている物語なので、ご記憶の方も多いかと思います。あらすじは兵十(ひょうじゅう)にいたずらをしたごんという小ぎつねが、兵十の母親の死によりいたずらの責を感じ、黙って償いをするも最後は兵十に撃たれてしまう…という誤解とすれ違い、更には認知欲なども盛り込んだ悲哀の物語です。



先日、丁度その単元に入ったのでまず一回目の感想を書かせました。しかし、その感想の何と薄っぺらい事か。言い換えれば、自分の言葉で感想を書けた子が少ないのです。



「ごんぎつね」に限らず、日常の様々な場面で自分の気持ちを整理する言葉をもたない子ども、そして大人を多く見かけます。そんな中で英語を話せるようになっても、言語の目的である意志疎通を母とする日本語で出来なかったのなら何にもならないのではないか。



これが私が小学校で英語教育に異を唱える理由の三つ目くらい(携帯で打ってるためいくつめかわからん)なのです。

2005年02月19日(土) 心あるもの

鬱蒼とした気分から暗鬱な気分へと昇華してる海月さんです。保護者にとったアンケート、その自由記述欄で。



私の至らなさは承知しています。けれど、書かれた言葉のあまりの激しさに一気に凹み、現在も浮上不可。とりあえず教育活動的には真に好ましくない状況です。



担任が若くて女で結婚もしていなければ子どももいない。それだけで気に入らず叩いてくる人はいっぱいいるんだよ、との同学年を組んでいる先生の言葉がなければ、今よりもっと酷い精神状態であったろう本日。




気に入らないから、至らないから、匿名だから。


先生だから、何をどのように言っても構わないというように正直、受け取れます。



担任と子ども。その期間中、家族よりも長い時間を共有する関係は疑似家族のようです。家族間にしかない絆があるように、担任と子どもも両者にしかわからない絆は確かに存在すると。



ただ理解していただけたなら、少なくともあのような書き方はしないんじゃないか…と。



そう思って、しまうのです…。

2005年02月17日(木) 夢を、みる

授業参観が終わったのに再び鬱・・・というか、鬱蒼とした気分ですイエー。・・・基本的に鬱だというのにハイテンションな時ほどヤバいと自覚はしてるんですけど止められないのですよ!



・・・最近、何かにつけ思い出すことがある。今までは、ある一時期を除いて殆ど思い出さなかったこと。思い返すだに恐ろしく辛く・・・逃げていたこと。こんな言い方好きじゃないけど、今流行りでいうところのトラウマ。間違いなく私の人間不信への端緒をつけたある出来事。



その事を思い出すのは、もしかしたら今が乗り切れるチャンスだから?と思ったりもした。だから聞いてみたりした、仮定の話で。もし、もしも私があんな事ぐらいで人間不信にまで陥っている弱いヤツだとしたらどうする、と。





返ってきたメールは心配する言葉。それは相手にとって私らしくないからこそ、なのだろう。心配は素直にありがたい。でも、私が欲しいのはそんな言葉じゃない。





そんな言葉じゃない、そんな言葉じゃないんだよ。私が欲しいのは心配なんかじゃない。心配かけさせておいての矛盾は承知していても、最初からそんな言葉は欲しくない。





欲しいのは、こんな私でも私と認めてくれる言葉なのだと。こんな私でも生きていていいという意味の言葉なのだと。






わかってて、強請る。どうかはやくきづいて。うそでもいいからいって。





・・・必要だと。




2005年02月15日(火) 彼の事情

報道によりますとどうやらいじめが原因だったとのことです。しかし、彼はいつ気付くのでしょうか?自らもまた、抵抗できない人を手にかけたという現実に。


この事件でもまた、やりきれない思いが一つ。自分の立場と、責任と、現実との折衝さ加減。


力を尽くさないわけじゃない。けれど私たち教師とて、全てを把握し全てを管理下におくことなどできないわけで。そして私たちだけの力によって成長するわけではもちろんないのです。重要な役割は担っていても。



「先生は、いじめられたことがありますか?」



日記で聞かれて、こう答えた。いじめたことも、いじめられたこともありますよ、と。



両方の経験があって、わかることがある・・・なんて言うつもりはない。いつだって子どもの世界も大人の世界も、きっと隣り合わせの臆病者同士がつくっているのかもしれない。

2005年02月14日(月) 小学校における英語教育について2

タイトルと違いますが、大阪で事件が起こりました。事情はわかりませんが、どれほどの理由や立場や状況があれども、犯してはならない罪が存在するのだということだけはきっちりと教えねばならないと思います。殺された人も去ることながら、殺した人のために。かつての小学生のためにも。





・・・さて、「小学校における英語教育について」第二段。私が小学校における英語教育に今現在反対する理由の二つ目は、肝心の英語教育の質が高いと思えないからです。



私が授業の質についてどうこう言える立場でないのは十分承知ですが、それを抜かしても子どもたちに英語が身についているとは思えません。AET(Assistant English Teacher←綴り間違ってたらゴメンなさい)の授業が月に一回ぐらい、という思い切り「楽しいゲームをしてくれればいい」だけのゲストの扱い。先生にもよりますが、ずっと同じレベルの授業。(だいたいやるのなんて初期の挨拶、月や曜日、動物の名前くらい)。




英語塾に通っている子どもや帰国子女の子ども(地域的に結構いるんです、うちの学校)はラクすぎてつまらない。逆にほとんどの子はちんぷんかんぷんで、中学校にあがる前から「先生は好きだけど英語嫌い。だってわかんねーもん!」という声もちらほら。こんな寒い現状でそれ英語だ、と言われてもただの時間潰しにしかならないと思います。結局英語というか、総合(おそらくは生活科も)のシステム自体に関わってくる問題だと思いますが、しわ寄せは結局教員に、そしてきちんとした授業をうけられない子どもたちにかえってくると思うのです。



授業は「業(わざ)」を「授(さずける」から成り立っています。毎時間毎時間授業をこなす中で、(そして案外知られていないと思うのですが、授業以外の仕事もたくさんある中で)全ての教科を100%の力で、準備も授業の展開も何もかも・・・というのは正直、無理な話です。それでも何があるかと問われれば、「毎時間、この時間にはこれを身に付けさせる」という目的意識を教師がもっている、ということだと思います。指導書みたいに立派じゃありませんが、今日一日の私の授業とその目的を私の言葉で振り返ってみると、


1時間目:音楽・・・「ミッキーマウスマーチ」の合奏(特に木琴・鉄琴の子に重点指導)・合唱は二部合唱の構成に慣れさせること

2時間目:国語・・・「話す・聞く」のテスト。終わったら試写「ごんぎつね」で、少しでもごんぎつねの物語を覚えて欲しい

3時間目:算数・・・「分母」「分子」「分数」の用語の理解と、実際に問題がとけるようになること

4時間目:図工・・・「4年生の思い出」表紙づくり。大きくなった時に4年生だった自分を少しでも感じてほしいから。

5時間目:社会・・・「山地と低地のくらし」のテスト。テストは子ども、そして私の授業運びの確認。




・・・と、自分の言葉でざっくばらんに書いてみました。再三言うように指導書・指導案に書けるような立派な目標ではないですが、目的意識だけは忘れずに授業をやっています。



もちろん、総合の英語には「異文化の言語や生活環境に慣れ親しむ」という目標があります。でも、現実には慣れ親しむどころか嫌いになっている子どもも多いこの有様。「塾に行っている子だけがわかる」というのは、少なくとも授業ではない・・・と思うのが私が英語教育に反対する理由の二つ目なのです。




勿論各地域差・もっと言えば自治体における格差はあります。私の結論は一般的とはいえないかもしれません(そこらへん間違えないでくださいね)・・・では、次回は理由の三つ目。もうしばらくお付き合い願います。
















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2005年02月12日(土) 小学校における英語教育について

学級閉鎖は何とか免れました。二年目にして学級閉鎖まで体験するのはちょっと…と思っていたのでありがたいです。


時に、少し前に(こうやっていつもタイミングを逃す)小学校における英語教育の是非が話題になりました。世論としては賛成が多く、教員としては反対が多いという正反対の結果が出ました。で、何でこうなるかなあという事を私なりに考えた結果、まとまったので少し書いてみようと思います。



まず第一に、これはよく海外に行くという人から聞いて納得した話なのですが、日本語と英語は表現方法が正反対だということです。例えば「あめ」という言葉は「雨」にも「飴」にも、ひらがなのままだと取れます。私たち日本人はその区別を音の高低でつけているのです。「雨」ならば「あ」と「め」の音の高さは同一、「飴」ならば「あ」に対して「め」が高くなるというように。

一方、英語は意味の区別にアクセント(強弱)を用います。皆さんも覚えがありませんか?センター試験で最初の方に出てくる、アルファベットの上の小さなダッシュマーク。英語も同じ綴りで意味が違う事がありますが、その際の区別は単語の中のどの一部分を強く言うか、で異ならせます。
しかし、両言語共に高さや強弱がないわけではありません。いえ、あるから混乱してくるのでしょう。それでは日本語は強弱を、英語は高低をどこで使用するかというと、それは感情表現で、なのです。



例えば怒る時。私たち日本人は、普通は声を大きくだします。その時、怒る対象との距離はあまり考えません。体育館の端同士でも、教室の近くにいてもです。「雨なのに傘ささないなんて駄目でしょう」が「飴なのに笠…」と混同しないのは、単語の高低を守った上で「怒っている」という意味で大きい声(強にあたりますね)を出しているからです。



一方、英語は高低に一定のルールがあります。疑問文は基本的に語尾をあげる、というように。英語に明るくないので他に上手い例を見つけられませんが、高低の補強として腕をあげたり下げたり、をよくします。



このように、全く性質の異なる言語だということを理解して勉強を進める能力は小学校中学年までは少なくともきついと思います。というのが私なりの小学校での英語教育に異を唱える理由の一つです。




…と書いたところで携帯での更新字数が見えてきました。続きはまた今度。

2005年02月08日(火) STOP


本日、火曜日。欠席者6名、二割突破。



不思議なことに学級閉鎖の「が」の字も出ておりませんが、それでも困ったことに変わりなく。何がイヤかって、テストも出来ない新しい単元にも進めない給食は大量に残るあ〜〜〜〜もうっ!どうすればいいですかね!?


「そんなの簡単だよ!」と断言するS先生。(前述の愉快な管理職候補先生ですね)おお、こういう時(だけ)頼もしく見えますよ!!!



「まず、学年の先生に頼み込んで学年体育をする」

ふんふん。


「すると菌が他のクラスにもばらまかれる」


ふんふん。


「めでたく学年閉鎖。はっはっはっはっは!」





なるほどその手が!・・・・って、ちがーうっ!!!!!


ちなみに本日はレンタル返却の日なので「半落ち」を見てからDVDを返しに行き、お風呂にも入ってから寝ます。おやすみなさい♪

2005年02月07日(月) 週明けの驚愕


本日週明け、月曜日、のお昼時。いつもならば給食当番を引き連れて給食室へと向かう海月さん。



しかし本日引き連れているのは、たった一人の海月学級の男の子。他の先生に「お姉さんと弟にしか見えない!」と言われ、上機嫌(?)で男の子との会話をすすめます。




「ええっ、先生〜平気だってば〜給食食べたいっ!」


「やっかましいわ!熱が37度8分で平気も何もあるかいっ!」


「だから平気だって!」


「平気じゃありません!あなた平熱35度台でしょーがっ!明らかに真っ赤なその頬!誰が見たって平気じゃないでしょ!」






本日週明け、月曜日の5時間目。29人クラスで出席停止が1名、欠席4名、早退者1名。・・・・気付けばどこよりも学級閉鎖に近い我が海月学級。



何が問題かって?学級閉鎖もさることながら、一番の大問題は「子どもたちに似たい」なんて書いた担任がきっちり子どもに似て熱が出てきたっていうことです(爆)






・・・絶対治します。これからの予定を考えたって、今度私が倒れていいのはGWです。只今19時37分。おやすみなさい。

2005年02月05日(土) 担任に似ず

前回子ども達は担任に似る、と書きました。アホさ加減と整理整頓能力のなさについてはまことにそのような気がするのです。しかし…。




「海月学級のAさんが県の推薦賞を頂きました。おめでとうございます!」



「地区展で海月学級のBさんが金賞を受賞しました。おめでとうございます!」




…担任は書写も図工もダメダメなのにこの成績。いっそ私が子どもに似たい、と思う今日この頃。



…ちなみに指導?してませんよ!(言い切るなよ!)

2005年02月02日(水) 伝染

一年間つきあっていくと担任の性格に似てくるんだよ、と聞かされたのは何時の事だったか。という訳で、現在のクラスを見れば自ずから私・海月の性格がわかるという事になります。





子どもたち:「ムキムキムキムキ、前ムッキー!!!さあ先生もご一緒に、イエー!!!」




普段はもちろん、泣いている友達にまでこのフレーズandマッチョポーズでのダンスが流行している我がクラス。




いえ、私が言いたいのは何も前向きの向きとムキをかけてるんだねあははっていう事ではなくてですね。





…わ、私に似た…のか?(汗)

2005年02月01日(火) 退職記念

ここのところ校長先生がハイテンションです。退職を控え、とってもとってもハイテンションです。


「ハイ、じゃあ今週は人権週間ということで、今から3人のお友達に劇をやってもらいまーす!劇に出てくるのは、カッツン(仮名)、マッチ(仮名)、それからタッキー(仮名)といいます。」


・・・・はあ、劇?誰も聞いてないぞそんなん・・・ってか、カッツンは教務主任先生の名前で、マッチはとても愉快な未来の管理職候補先生の名前、そしてタッキーは・・・・え、タッキーなんて名前の先生いたっけ???


「じゃ、笑わないで見てくださいね〜。」



笑わないで・・・って、え、ステージで子どもの通学帽にランドセルを背負ってるのは・・・教務主任先生に愉快な管理職候補先生、それに、こ、校長先生っ!?


〜劇始まり〜


タッキー(校長先生):「わあ、いいな〜カッツン!その本おもしろそー!見せてーーー!」




カッツン(教務主任先生):「いやだよっ!お前なんかに見せてやるもんか!あっ、マッチ!」



マッチ(愉快な管理職候補先生):「わあ、カッツン、その本見せて!」



カッツン:「うん、いいよー!」




〜劇の1・終了〜(早ッ!)


〜劇の2・開始〜


マッチ:「うわあ、やべえ!宿題忘れちまった!A先生に怒られちゃうよー!」


カッツン:「俺が見せてあげようか?」


タッキー改め校長先生:「さて、皆さん、他の人の宿題見せる事はいいんですか?」



〜劇の2・終了〜(えっ!?)



劇の2の一体何が人権に関係あるのかとかいう疑問はさておいておくとして、一番ショックだったのはタッキーが誰か幾ら考えてもわからなかった事だなんて。





校長先生の前では絶対に言えませんね。だって明日校長先生に掲示の関係でいろいろと買って頂くべく・・・・・。





・・・・・・・・・・・・。





















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