Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2004年12月27日(月) 年末のお仕事

やっと年賀状に手をつけて、住所打ち込んで、印刷して、その上にどの年賀状にも必ず直筆で一言書きました。と書くと「当たり前じゃん」とか言われそうですが、職業上年賀状は多い方なので私で私を褒めたいと思います。・・・だって今日だけでほぼ70枚突破してるんだよ!なんで「ほぼ」かっていうと数えるのもめんどうくさいので引き算したら68枚だったんだけど、住所だけ印刷してないのが何枚かあるからなんだよ!で、こんだけ書いてて去年は切手シート一枚しかあたらなかったんだよ!(最重要)もう悔しくて悔しくて悔しくて。



とにかく辛いよ〜ってコトです。さて、明日は正式には出勤ではないのですが出勤して仕事納めしてきたいと思います。・・・自分でも何が書きたいんだかわからなくなってきました(笑)

2004年12月25日(土) 一番名誉な事と一番起こしてはならない事(後編)



お昼時だったので給食をたべないままずっと付き添ってくださった養護教諭の先生に教頭先生。容態が安定したところで、校長先生と教務(担任外ってことです)のO先生が病院に向かってくださり、交代でずっと付き添う。幸いにして意識はあるらしいが、その間にも連絡が続々入る。・・・のを知ったのは、給食を終えて子どもたちを帰してから。ポツンと残された二つの給食に、電話の横に書かれたメモ。ほどなくして養護教諭の先生が二度目の付き添いを終えて、やっと給食を食べる。本人は点滴を受けて、苦しそうながらも寝ているらしい。食べ終わったら病院に一緒に、と言われて電源を切った携帯と運転免許証を用意するように言われる。


二人で一台、養護教諭の先生の車で搬送された病院へと向かう。病院に行く途中で、「容態が今は安定してるからって安心しちゃ駄目。本人の前に行くまで最悪の事も考えておかなきゃいけないんだから、緊張感を解かないように。」と叱られる。その通りだ、と反省する。あらかじめ確保して頂いた駐車場で降りて、まっすぐ病室へ向かう途中でMちゃんの保護者とすれ違う。これから先生に詳しい説明をうけるとのこと。説明を受けている間、その部屋の前で待った後に病室へ。寝ていたMちゃんが目を覚ます。「誰が来てくれたかわかる?」という問いに「養護教諭先生と、海月先生。」と答えてくれる。泣きたいほど安心する。でも、まだ辛そうなMちゃんはもう吐くものがないのだろう、胃液らしきものを吐いた後に再び眠りに落ちる。



「容態が安定したとの事で、家に帰っていいと言われたのですけれど。」とご両親が切り出すが、養護教諭先生が「人間の仮眠のスパンは短くて15分、長くて1時間半だから15分は寝かせましょう」と病院と掛け合う。その間に病状の確認。15分後、Mちゃんを起こしたところで退院。そこで養護教諭先生は「ご両親がそれぞれの車で来ていて、吐いた時などの対応者がいないから。」と私にMちゃんのお父様の車に一緒に乗るように、という。・・・だから二人で一台で来たのか、と先々を見通す目に感服する。



Mちゃんのうちまで同乗させて貰い、その後養護教諭先生の車に乗って学校に帰る。どの先生も心配してくださり、ありがたく感じる。思えば救急車を呼んでくださるよう連絡してくださったり、救急車がいつきてもいいように門をあけて待ってくださったり、給食を取り分けておいてくださったり、学校に残っていつ何が起きてもいいように準備してくださったり、見えないところでいっぱい支えられて何とか本日中に帰宅することができた。・・・でも、始まりは何時だって担任の対応なのだ。今回はたまたますぐに保健室に行ったからこそ、軽くてすんだ。でも、もしも私が平熱に安心して4時間目の授業を受けさせていたら?絶対に絶対に、こんな軽くはすまなかった。この仕事の本当の責任にして一番大切な事、「子どもの命を守る」ということは実はこんなに日常と思える一日で起こったりする。その事を、深く深く胸に刻み付けたい。



結局、医師の診断により22日のMちゃんは「出席停止」となり・・・・12月、海月学級は出席率100%を達成した。(出席停止は欠席数に数えないので)「子どもが毎日学校に来てくれる。先生にとって一番名誉な事だね。」とある先生に言われた。本当に本当に、その通りだと思う。






そして、私がMちゃんに会いに病院に行った日、行った時間のちょうど、一日後。市内で小学3年生が交通事故に遭い、・・・・・亡くなった。ご両親を始めとするご家族、そして担任の先生をはじめとする周囲の方々の悲しみは想像を絶する。きっといかなる言葉もとらえられるものではないだろう。




一番起こしてはならない、起こってほしくないこと。でも起こり得ること。それは喪服を着て、教え子のお葬式に出ること。






起こり得るからこそ、起こしてはならない。・・・その言葉を、肝に銘じて。これからも、頑張ります!



























2004年12月24日(金) 一番名誉な事と一番起こしてはならない事(前編)


21日、3時間目休み。授業は短縮4時間となり、怒涛のテストラッシュも終わり、の〜〜〜〜んびりした雰囲気。



そんな中、クラスの中でもしっかり者のMちゃんが「先生、頭痛い。」と言ってきました。検温36度5分。だから私が「保健室に行って休んできな。」と言ったのは、本当に軽く、言い方は悪いですが「たまたま」という要素があったのです。たまたま、テストが全部終わってて。たまたま、4時間目はお別れ会(転出者がまた出るのです、我がクラス)の事を決めるってだけだからいいだろう、と。事実私はその直前にMちゃんが椅子から転げ落ちて頭を打ったことも(同じ教室に居ながらにして)気付かないほど、のんびりしてたのです。



はてさて、4時間目終了10分前。お別れ会の事も決まりクラスでゲームを楽しんでいた最中。教頭先生が我がクラスの扉を叩いて言うには、「Mさんの容態が急変して、今救急車が来てます。とにかくすぐ行ってください!」との事。そう言われても全く現実感がなく、玄関へと急げば既に救急車の中でMちゃんに付き添っている養護教諭の先生と、救急隊員に囲まれてひたすら戻している真っ白な顔のMちゃん。私はただ馬鹿みたいに右往左往するだけで、結局ただ救急車を見送る。・・・そう、私には、まだ私の仕事が残っているから。短縮4時間、給食有り。まだ、給食と清掃をして残り29名を家に帰さなきゃならない。ついでに、子どもたちが言うにはMちゃんが頭を打っていたという。学年を始め色々な先生達と状況を確認し、病院への報告をお願いする。




他の先生が怒っても「全然静かにならなかった」我がクラスが、私が入ってからいつのまにか静まり返る。いつもだったら給食中、賑やかなおしゃべり声が聞こえてくるのに。清掃は子どもたちに任せて、状況を報告される。救急病院に搬送された後、点滴の処置を受けているとの事。点滴という軽い処置に戸惑うが、大丈夫なのかと希望の光が見えてくる。




<続く>
















2004年12月21日(火) 責任

本日私のクラスの子どもが授業時間中救急車で運ばれるという事態に際しました。幸いにして本日中に自宅へ帰る事が出来ましたが、それまでは本当に生きた心地がしないまま給食食べたり病院行ったりと怒濤の一日でした。



改めて自分の甘さや弱さ、この仕事の責任を認識し初心へとかえる契機になりました。大切な三十人を預かっているということを来るべき新年に肝に命じたいと思います。

2004年12月17日(金) ストレスから目を背ける方法


現在めっちゃブルー故にめっちゃ仕事がはかどっております。どういう事かというと、




ブルーな出来事は弟が引き起こした→おうちに帰りたくない→学校居るしかないじゃん→あ〜、何にも考えたくない!仕事しよう!




という、仕事的には好循環なものの精神的に悪循環な日々。お陰様でこのままいけば多分月曜日に通知表が終わるってぐらいです。あー、その後は教室の片付けで、その後の仕事は・・・・。




甘いものより仕事を欲しがるあたり、今回の事は自分の事でもないのに結構重症かのかもしれない。



私が考えたって、どうにもなりはしないのに。

2004年12月15日(水) うわーん


なせばなる、なさねばならぬ、何事も。


つーワケで現在右手ひとさしゆびが腱鞘炎っぽく、書き物がほぼ出来ない状態に。しかたないので赤ペンを人差し指と中指ではさんで丸つけをしたり、この日記も人差し指のかわりに中指使って打ってます。うわーん。



書きたいネタはいっぱいあるんです。テストの時期だと先日書きましたが、ということは珍回答・迷回答の季節でもあるのです。・・・と書いておけば、多分忘れないでしょう。



とりあえず、今日はこんなに寒いのに理科の氷の実験を二時間ぶっつづけ(勿論ストーブなんてつかえません)でやったせいか、さっきから悪寒が止まりません。・・・成せばなる、思い込め私・・・終業式まであと・・・10日、切りました・・・。

2004年12月14日(火) 科学的思考

所見の記入は終わったものの、テストが結構やばい海月さん及び海月学級。その意気込みを感じてか、今月は今日まで出席率100%。先月もあわせると病気欠席なしはあと3日で一ヶ月突破します。


つーわけで更新なしはテストの丸つけしてるからだと思ってください。明日は社会と音楽のテストデー。

2004年12月12日(日) ごぶさたでした

ここんとこ至極真面目にお仕事をしていたので更新する暇がありませんでした。おかげさまで通知票に五人ほど記入が完了しました。根性か緊張か生理痛も今月は比較的軽めのようです。




ところで先日、「二十四の瞳」(壺井栄著)を読み返す機会がありました。しかし最後まで読み切れませんでした。学生の頃はわからなかった大石先生の気持ちが痛いほどわかったからです。学生の頃は、大石先生の無力さに半ば腹をたてていたのに…。




自衛隊派遣延長が決定され、その他にも色々とした動きがあります。時流の動きはあまりに巨大で、逆らいすぎては生きてはいけない事もわかる年齢になり、尚胸を打つ言葉をもう一度じっくり噛みしめなければと思うのです。



こんな可愛い子どもらを、どうして死なせてなるものか。



教師として、否大人としてのその、一言を。

2004年12月06日(月) 流行歌大賞?



昨日の話ってまんま「世界に一つだけの花」みたいだな、と給食中(なんで「休職中」って出るんだよ!そりゃ休みたい気まんまんだけどさー、ってヲイ!)に思ったりした午後。はどうだっていいので、そろそろ教育の話に戻りましょう。




実は私、明日授業参観なのです。科目は理科。・・・・だって理科か体育か学級活動か道徳ぐらいしか残ってないんだもん、学校公開日で見せてない授業!(逆ギレ)




で、実験の準備を地味〜にしてたら、たまたま生活目標を貼りに来た学年主任先生(理科専門。市の中でもエラい指導員という立場で活躍中)が来ました。いやあ、教えてもらいました実験の準備用具でしょ、当日の注意でしょ、まだ使ってない最新器具でしょ、おまけに実験までやってもらっちゃいました☆大学時代に戻ったようで楽しかったです。教えてもらうってやっぱイイね!(違う)




・・・・・・じゅ、授業参観は明日です。ええ、頑張りますとも。・・・・子どもたちが。












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2004年12月05日(日) 宣伝終了(笑)

何日かわざと放っておいて第一宣伝期間終了。放っておいている間に励ましの言葉を頂き、身に余る光栄です。本に関して、特別に営業をかけてくださる書店を私側でいくつか指定できるのですが、「あの書店は人が多く出入りするからいいんじゃない?」とかいうアドバイスも貰ったりしました。…いえ、同期の結婚式に出席したついでに宣伝したりしたので。



話が決まる前は、そんなの格好悪い、って思ってたんです正直な話。なんにもプロフィールなしで出しているのがシンプルで格好いいって。でも、そんな私を変えたのが他ならぬ私の担当になってくれた方の一言でした。私は文学賞に応募して、選外になったけど声を掛けて頂いた口なんですが、その人が「賞で一等賞をとるのは難しい」と私に言ったのです。




これが数年前、いえ一年前までの私ならば、その場で席をたっていたかもしれません。「それでも私は一等賞をとりたい」と。でも、去年の私と今年の私の状況の格差が私にこう思わせたんです。「私は一等賞をとるタイプじゃない」と。





思えば去年の私はずっと一等賞をとりたかったんです。完璧な秩序あるクラス、勉強も運動も他より出来るクラス、そしてそれらを統括する担任としての私。なんてバカなんだ、と今では思いますけど。それは「自分がこうありたい」ではなく、「子どもをこう在らせたい」という理想の押しつけでしかない独りよがりだったと。





短歌集に関しては内容が内容につき公言できませんが、いつか子どもたちに教えてあげられたら。大勢の中で一等賞をとる必要はない。その代わり自分の中で一等賞をあげられるようにお互い頑張ろう、と。

2004年12月01日(水) 光栄


来年の話をすると鬼が笑うと申しますが、再来年の話をします。子どもの頃からいつの日か・・・と夢みていた、「本を出版したい」という夢が、この度新風舎さん(http://www.pub.co.jp/)に拾われて叶うこととなりました。





ちなみに出版するものはというと、お笑い教育エッセイ・・・・ではなくて!(力いっぱい否定)歌集になります。エエ、短歌集。これまた売れなさそうなジャンル・・・っていうか事実歌集は売れないんですけど、そんなマイナー路線から入るのがいかにも私らしいっすね(涙)




少々面映くもありますが説明させて頂きますと、「おり」だの「けり」だの難しい言葉は一切使っていません。日常そのままの言葉遣いで三十一文字を構成しました。そんな難しい言葉遣いはわからんという理由と、(お前、ホントに教師か!)あと、「短歌」というモノをもっと詩だとか俳句だとか川柳みたいに、日常に引き寄せたかったのです。




平安時代には日常的に恋心を伝える手段になっていた和歌であり短歌ですが、私の短歌に関する記憶といえば「中学校の教科書で正岡子規とかやったなあそういえば」くらいなモノで。何々が何々だとか解説されてもはーん、そーなのー的に右から左へと流れてました。とてもじゃないけど長じて歌集を出す人の意見とも思えません(笑)・・・だから私的コンセプトは、表面として「解説のいらない短歌」・・・ウラ読みしようと思えばできるんですけどね。まあそんなのは全ての作品(小説にしろ何にしろ)隠されているものなので、とりあえず「読んで意味のすぐにわかる作品」です。



おいおい「出版までの道のり」みたいなモノも日記で書いていこうかな、とも思いますが、何はともあれまずは宣伝まで。この1年間頑張って、よりいい物を作っていけたらと思います。・・・・だから、出版されたら買ってください(笑)ネットでも買えるとのことなので・・・(そのまえに作れ!)


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