「先生の趣味は怒ることでしょー!」と言われて愕然。・・・確かに最近怒りボルテージが上がりっぱなしで反省。ああ、運動会前までは「先生っていっつもニコニコしてるよね♪」とか言われたのにこの体たらく。・・・まぁ、他のクラスの子のハナシなので(「いつも笑顔」ね)あんまり信用ならないんですが(笑)・・・が、ガンバルよ!ヨン様スマイル一丁!冬ソナ見てないけど!おかげでしばらく前、職員室の流行についていけなかったけど!
時に、「本当の自分探しの旅」の続きについて。前回それを得るための手段として「考える契機と人」というのを挙げましたが、昨日他の友達と話していて「人ってこんなに受け止め方が違うんだなぁ〜。」と逆に感心しました。私は単純なので、結構人の話を(すっごく落ち込んでいて、ナニ言ってんだこのヤロウなどと時に・・・イヤ頻繁に?思いつつも)聞いて、覚えている方。逆に言うと執念深い。・・・結局、この「差」が秘訣なのかな、と思ってみたりするワケです。
で、私が考えた契機というのは諸事情が込み合ってて前フリは省略するんですが、「自分の魅力とは何か、というのを真剣に考えなさい。」という言葉でした。で、心情的にも状況的にも「真剣に」考えねばなるまい、と思っていたので、それこそ真剣に考えたワケです。心の中で。イラクに行ったり変わったことは一切しなかった。今の私のままで、家の中で車の中で学校の中であらゆるとところで、私に関わる全ての場所と時と人の間で、真剣に。
・・・でも、そう考えたからといって直ぐに「ハイ、これが私の魅力ですぅ☆」なんて言えるワケがなくて。幾ら考えてもわからなかったワケです。だから逆・・・自分がキライなトコロ、というのを考えたら、まーこれがぽこぽこぽこぽこ溢れる溢れる。「可愛いモノ好きなのに、それらが悉く似合わない身長」とか、「平凡すぎる本名」とか、「身長に比例してデカイ足」とか「教員やっててますますデカくなった地声」とか・・・沢山書き連ねられるけどこれ以上は自分が落ち込むのでヤメときます。
私もね、見かけはアレだし中身もコレなのですが、一応(まだ)23歳の乙女(って言えるのか?)なワケです。そんな乙女として、やっぱり一番哀しいのは身長。だって皆より頭一つ飛びぬけてるんだよ〜男子と並んでも私の方がデカイわけだよ〜イヤなワケだよ〜おまけに「デカイ」ってわかってるっちゅーのそんなこと!でもどーにもならねーんだよ!!!・・・えー、ここを読んでいる男子の皆さんは、自分より背が高いレディに対して間違っても「デカイ」とか言わないように。言われ慣れてるっちゅーのそんなん!
はあはあ。私怨私恨が今飛び交いましたけど(笑)海月さん本人としては、そんなワケで高い身長はイヤでイヤでイヤで仕方無かったのです。・・・でもさ、どう嘆こうとイヤに思おうと身長は変わらないのです。文字通り一ミリたりとも!ええ、去年と今年の健康診断で一ミリも変わってませんでしたからね!
でも、と「真剣に」考えていた私は思い出したワケです。この身長って、役立つ時も多くて、褒められる時も多いよな、と。私が子どもをおんぶすると、「これが先生の高さなんだ〜、スゴイっ!」と感動されるし、忘れもしない去年の4月1日、6年生の子どもが日記で「カッコイイ先生が来たな、と思いました」と書いてくれたし。他にも他にも。・・・・・・・・・・自分が嫌いなところが褒められる=折角掛けてくれた褒め言葉を聞いちゃいない(どころか反発する)=私って何にもイイ所ないやんけ、と変換されてしまっていたのです。身長にしろ、何にしろね。
だから。立ち止まって、自分の嫌いな所をあえて直視してみる。するとそれが、思いも掛けない「利点」だったりする。だから私は4月1日に褒められたスーツを着る時、私ってカッコイイ!と自分に言い聞かせる。これを着てカッコよく映るのは、この身長があるからや!と。
自分を好きになることはとても難しくて。本当の自分だなんて、今でも私にはわからない。(寧ろ、そんなの無いだろう、というのが最近の結論)でもさ、これだけは言えるよ。ダメな自分まで本当に愛せるのは自分だけ。この世にこんなに人が溢れていても、これからどんどん増えていっても。哀しくも辛くも、苦しくも。