愛より淡く
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今年も、あと半月ほどになってしまいましたね。
それでもここの日記の日付けは、まだ9月15日なんですよね。
妙なところにも貧乏性なので、日記の日付け(書いていないところ)を飛ばすのって、
もったいないような気がするんですよね。
わけわかんなーーい。
昨日(12月12日)またまた久しぶりに夫からお昼にメールが来ました。
その前日に、ちょっとしたことから、ケンカをしてしまったのでした。
その内容は、他愛もないこと、小学生レベルのケンカかもしれません。
師走に入ってから、私の仕事が忙しくなってしまって、夕飯が終わってから寝る前まで、仕事にかまけてしまっています。
あまりの忙しさに、私もストレスがたまり気味で、イライラしてしまっていたようです。
当然、夫の面倒もろくにみれず、ほったらかし状態って、まあ、普段もほったらかしに近いんですけどね、あはははははは。と、ごまかすように笑う。
それで、ついに、すねてしまったようなんです。
あまりに仕事にかまけすぎて、ほったらかしにもほどがあったのかもしれません。ごめんね。
で、なんですねたかというと、
まあ、大人気ないことです。
「頭を洗ってくれない」ということです。
夫は、自分で頭を洗えないというか、私に頭を洗ってもらうのが大好きな人なんです。
要するにシャンプーです。
あ。でも一緒に入るわけではないですわよ〜おほほほって
誰も聞いてないっちゅうねん。
で、仕事にかまけすぎていて、頭を洗うことをすっかり忘れていたので、
切れちゃったみたいなんです。
「そんなことどうでもいから早く洗ってくれ!!」
って怒り出したので
「そんなこと?そんなことってなんやの、私の仕事をそんなことって?」
とまあ、それから言い争いに発展したのでした。
「もー、頭なんか洗ったらへん!!自分で洗い!!」
「そしたら俺も今度からガソリン入れにいってやんない」
恥ずかしながら私は、自分で自分の車にガソリンを入れられないのです。その昔、ガソリンスタンドで、ものすごく恥ずかしい思いを3度ほど繰り返してしまってから、ガソリンスタンドに行くこと自体がトラウマになっているのでした。
ふん。
いーだ。
とまあそんな感じの低レベルの言い争い。
あ、っといけないもうこんな時間。
つづく
その人のことは、できることなら、もう忘れたい。
という気持ちが日増しに強くなりつつあるのですが。
なんだか、その人のことを思い出すようなことばかり目にしてしまう日が続いているんですよね。
なんでだろう?
偶然にしては、あまりにひんぱんすぎるような気がしています。
なんでこんなもんばかり引き寄せてしまうのだろう?
ようわかりません。
忘れたい、忘れたい、と思いすぎるのかな?
忘れたいと思うことは、それだけ忘れたくないという思いが強くて(例え無意識であったとしても) 、 だから、その人のことを思い出すことばかり、引き寄せてしまうのでしょうか?
引き寄せているのではなくて、どんなささいなことでも,
その人につながることは、一つ残らず、見逃すことができないだけなのかもしれません。
...
めったにないけど、ものすごくたまに、夫からメールが来る。
休憩中に送ってくるようだ。
この間は、「件名 かなしくて」とあった。
なになにと、見ると。
「かなしくて、こどもの写真みる」とあった。何気にひらがなが多い?
そして、こどもの写真が添付されていた。
私も、ひまだったので、
「妻の写真も見て(はあとまあく)」
とだけ、返信した。
なにが、かなしかったのかは、いまだに謎。
そして今日は、
「残業です。」
とだけ送ってきたので。
「ごくろうさん(ピースマーク)」
とだけ、返信した。
そういえば、この間、あまりにも手持ち無沙汰なので
夫にメールを送ってみた。こんなのだ。↓
「あなた変わりはないですか? 日ごと寒さがつのります」
返事はいまだにもらえていない。
おわり。
2007年09月09日(日) |
濃すぎるけれどけっして重くない |
昨日の続きです。
そうなんです。あのような感覚は、はじめてでした。
その人が、ただ、目の前で、呼吸をしているだけで、私はこのうえなく幸せな気持ちになれたのです。
もう存在そのものが私にとって至福だったんですよね。
なんでそうなるのかは、わかりません。
ああ、この人こそ、この人こそ、やはり私が探し求めていた人だったんだ!!
なんて、再認識してしまったみたいでした。
その時のその人は、どことなく手持ち無沙汰で、退屈そうにしていたんです。
間を持たせられないというか。
そのしぐさが、まるで幼稚園児みたいだったんです。
私はそのとき、その人の中に「永遠の5歳児」を見たのかもしれません。
もうね。言葉では尽くせないような、愛らしさ、無邪気さだったんです。
って、雰囲気が。
でもね。母性本能をくすぐる、というのとは、違うんです。
もともと、私には母性というものが、あまりというか、ほとんど備わっていないような気がしていますし、
いうなれば、私の中にある幼児性と全く同じような幼児性を、その人の中に垣間見ることができて、激しく惹かれた!!
という感じかしら?
「この人とならお砂場で永遠に遊んでいても退屈しないはず!!」
と、私の中の「永遠の幼児」が、確信し、興奮し、はしゃぎだしたのです。
そのはしゃぎぶりの、なんとまあ、陽気なこと!!
あの日、あのとき、あの場所での、幸福感。
それこそが、私の宝物。
もちろん、どの日、どの時、どの場所でも
その人と同じ空間を共有できたという思い出は、全て私の宝物。
世の中には、それこそ、星の数ほど、男の人がいるのに。
私は、時期を開けて、同じ人に5回も恋をしています。
学生時代、OL時代その1、OL時代その2、結婚後その1、結婚後その2
もっとも結婚後は、実際にその人に会ったわけでもなく、その人の存在というかかつての思い出?に恋してしまっていたようなものなのですが。
そして、そのほとんどが、からからからの空回りでした。
なんだか、すっごく、あほみたい。
あほ、なんていったら、その人に申し訳ないけど。
なんで、その人ばっかりなの?
めちゃめちゃ、狭すぎへんか?
という感じです。
私は、以前ここの日記にも書いたように、たくさんの人とお見合いをしましたし、営業という仕事柄、日々たくさんの男の人と知り合ったり、関ったりしてきました。
でもその人ほど、強烈に私の心をわしづかみにするような人は、一人も現れませんでした。
そりゃあ、ちょっと素敵かも、あ、なかなか好み。という人は、ときどき現れましたが、
その気持ちは、淡雪程度のもので、いつのまにか溶けてなくなっていました。
なのに、なのに、なのに、その人だけは、その人だけは、違ったのです。
なぜに、その人でなければいけないのか?
なぜに、それほどまでに、その人なのか?
あの尋常でない、のめりこみようは、いったいなんなのか?
その謎は、未だに解明できていません。
たぶん、OL時代その2の時に、会いに行ったのが運のつき?というか決定打だったように思います。
あのとき、わざわざ、会いに行ったりなんかしなければ、
ここまで、引きずることもなかったような気もします。
なんで会いに行ったりなんかしたのでしょう。(まあそれはそれでいろいろなエピソードがあるのです。)
大阪駅から始発の列車に乗って、たしか8時間ほど列車にゆられゆられて、はるばる、会いに行ったのです。
駅前の、冴えない喫茶店での30分足らずの再会でしたが、
私は、夢のようにしあわせでした。
まるで、おとぎばなしのようなひとときでした。
もちろん、今まで生きてきて、その人のほかにも、恋する対象になった人はいることはいました。
でもその思いは、これほど長くは続きませんでした^^。
その人は、私にとって、私にとって、まさにベッカム、おっと違った
ベッカク、別格だったのです。
つづく(のか?)
ここの日記の日付は、9月ですが。昨日は、11月22日、「いい夫婦」の日でした。
朝のニュース(結婚30年の「真珠婚」を迎えた88組の夫婦が、真珠の産地の三重県の伊勢志摩に招待され、伊勢神宮に参拝して夫婦円満を祝ったというもの)
で、そのことを知り、
「そっか、今日はいい夫婦の日なんだ〜。」
と、なんとなくハッピイな気分になりました。
夫は、21日から、泊まりの忘年会に参加していたのですが、帰ってきたら、
「今日はいい夫婦の日なんだって」
と、教えてあげようと思いました。
そうです、何かしらの「気づき」を与えて、できれば「仲良く」過ごしたいと 思ったわけです。
「仲良き」ことはうつくしきこと。むふふふふふふふ。
昨日は、私の仕事のかけもちの日で、仕事その2を終えて、スーパーを2軒はしごして、帰ってきますと、夫は、もう寝ていました。
声をかけても、ほとんど反応なし。
で、結局晩ご飯も食さずに、そのまま、朝まで眠ってしまいました。
よほど疲れていたようです。
仕方がないので、今朝(11月23日)に
「ねえねえ、昨日、11月22日は何の日やったか知ってる?」
、 と、訊いてみました。
「知らねえ」
と、あっさりした返事。
「昨日はね、11月22日、すなわち、いい夫婦の日やってんよ」
と、ふくみをもたせながら、教えてあげました。
「なんだあ、くっだらね〜〜〜」
で、終わりました。
おわり。
どうしても、どうしても、私は、さみしさを引き寄せてしまうようです。
なんだか、さみしい、とってもさみしい、毎日さみしい、なんでかな。
子供もいるし、夫もいるのに、なんで私は、こんなにさみしいのでしょう?
なんとかしないと。と思って、さみしさについて考えてしまうと、ますますさみしさを引き寄せてしまうらしいのです。
できることなら、このさみしさを元から断ちたいものです。
でもね、引き寄せの法則によりますと、引き寄せたくないものと向き合ってはいけないみたいなんです。
もちろん、抵抗するなんてもってのほか。
法則に基づきますと、○○撲滅運動などは、○○を逆に増やしてしまうことになるようです。なぜなら、意識がそちらに向いてしまうからだそうです。
なるべく意識をそこからそらさないといけないみたいです。
そんなこといったって、さみしいんだから、どうしようもないじゃない。じゃない。
なんとかしてくれーー。
では今からお米研ぎます。
2007年09月04日(火) |
好きなあなたを引き寄せたい |
自分が常に考えていることがらを引き寄せる。
と、「引き寄せの法則」には、書いてあったのですが、
その法則の原理に基づくと、たとえば、好きな人のことばかり考えている人は、好きな人を自然に引き寄せられるはずなんですよね。
でも、おうおうにして、引き寄せられない(引き寄せにくい)のは、なぜ?
という素朴な疑問が浮かびます。
ポイントは、その人のことを考えている時に、楽しいかどうか
すなわち、どきどきわくわくはっぴーなどのよい感情でいられるかどうか
にかかっているようです。
もし、その人のことを考えている時に、ああ、せつない、くるしい、
やるせないわ〜さみしい、なんでうまいこといかないのかしら〜 どうせどうせ私なんて(以下略)
などというようなマイナスの感情が浮かんでしまった場合は、引き寄せにくくなるようです。
(これは本に書いてあったわけではなく、本から勝手に私が解釈したのですがね^^すみません。)
でも、たしかに、かつての自分の経験にあてはめてみますと、思い当たることがたくさんありました!!
ああ
ああ
でも
そんなこといったってねえ。そん時はそんな法則知らんかったし。残念ですが。
意識や感情をコントロールするのは、なかなか難しいですよね。
それができたら、世話ないし。そんな本読む必要もなくなるし。
それこそ精神修行のようなものを積まないといけなくなりますよね。
「ザ・シークレット」も「引き寄せの法則」も アマゾンでものすごい勢いで売れているようです。
これはもちろん、売り手側が、「引き寄せの法則」にもとづいて、買い手を引き寄せているからなのでしょうね^^。
なるほどなっとく。
「ポリリズム 」
最近とっても耳に残っている曲とメロディです
ほんの少しの僕の気持ちが、キミに伝わる
そう信じている
とても大事なキミの想いは無駄にならない
というフレーズになんかぐーっと来ます。
2007年09月02日(日) |
寂しさなんて忘れたい? |
脳内メーカーを試してみた。
夫の脳内は、「食」「怒」が半々の割合で構成されていた。
私の脳内は、中心が「寂」で埋め尽くされていて、そのまわりを「忘」の文字が取り囲んでいた。
お遊びとはいえ、なんだか、しんみりしてしまった。
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