愛より淡く
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またまた、愛情満たされ度テストというのをやってみた。
「愛情はいい感じに満たされ、過不足がありません」
というような、結果が出た。
すっごい意外!!
って、こんなんばっかり^^;
しかも、「これ以上何かを望むとバチが当たります」というようなことも書いてあった。
なんだか、なんだか、
全然当たってないかもしれない、と思う私は、すでにめちゃめちゃバチあたり?
。。。
恋愛執着度テストをやってみた。
結果は、30%だった。
恋愛に振り回されることも少なく、恋をしても冷静な分析力を失わないため、相手に依存しすぎたり、ストーカーになったりということもまずないでしょう。
というようなことが書かれてあった。
すっごい意外。
自分では、執着心も強くて、相手に依存しすぎる傾向があるように思っていたけど。
単にこのテストが当たってないだけ?
そうかもしれない。
事実かどうかも明らかでないことを、勝手にあれこれ推測して
傷ついてしまう、という愚かなところが、私にはたくさん、ある。
外れていたらうれしいけれど、当たっていたらもっと傷つくので
事実を怖くて確かめられないのだ。
事実を直視する勇気がないんだ。
それでも
自分の妄想に傷つけられるなんてアホみたい。
これもやっぱり自傷行為のいっしゅだろうか?
2007年08月27日(月) |
目覚かけている新しい私? |
夜の7時過ぎくらいに、私の携帯が鳴った。着信音は「愛の挨拶」
夫からだった。っていうか、私の携帯に電話をくれるのは、夫くらいしないないので、携帯が鳴ったとたんにすぐ夫からだとわかるのですが。
なんかひらめきがあったので、電話に出るとすぐに
「勝った?」
と、訊いた。
すると、夫は、一応とぼけた。おきまりのパターンである。
「勝ったってなんや?俺はそんな所には行ってない」
「あんたなあ。それは、口のまわりにごはんつぶつけたまま、俺は食ってない、食ってない。と言いはるのと同じくらい、無意味なことやで」
と、云ってやった。
あはは。そうか。と笑っていた。
声の調子から、勝ったのはまちがいなかった。
と、いうわけで、昨日は、いろいろたくさん買ってきてもらえた。
おすしとか、おさしみとか、お菓子とか、パンとか、飲み物とかいろいろ。
しあわせだった。はあとまあく。
と、いうわけで、ねぎらいと感謝の気持ちをこめて、特別丁寧に夫にヒーリングマッサージをしてあげた。
マッサージをしながら、いろいろと話をする。
なんでも突然、急にツキだしたそうで、その時、私の顔が浮かんだらしい。
「もしや、これはうちの奥さんが、勝利の気を送ってくれているのではないか。と、ふとそんな気がして、ありがたがっていたら、もう止まらないくらい大当たり!!やった。」
と、夫は、幸せそうに語った。夫もしぶしぶでも私のスピリチュアルちっくな話を聞くうちに、知らず知らずにその影響を受けるようになっているのかもしれない。と思った。
よかったね。まさにその通り!!
たしかに、私は、宇宙や神に祈っていた。
「神様、どうかどうか今日は勝って、たくさんおいしいもの買って帰ってきてくれますように」
というたぐいの願いや祈りである。
もちろん、願い方や祈り方にもコツがあって。
必死になってはいけない、あくまでもさりげなく、控えめにがミソ。
そして、結果に執着しない。
願ったら、さっさとその願いを手放し、忘れる。
って、これは「宇宙に上手にお願いする方法」「富と成功をもたらす7つの法則」「全ての望みを引き寄せる法則」などの本に書いてあったことをを参考にしてみたのだった。(これらの本はオススメですよ)
たしかに、願いは叶う。祈りは、通じる。
というわけで、昨日は、家族みんなでハッピーな一日でした。
ありがとうございます。
おととい。オリオン座流星群とお月様に願いをかけたら。
昨日、あっさり叶ってしまったので、驚いている!!
叶うものなのだなあ。
正直、奇跡といっていいくらいです。
もっとも願いが叶ったのは、健康情報誌の付録についていた「奇跡が起きる絵」のおかげかもしれないし。
アメジストの指輪のおかげかもしれないし。
観音様にもお願いしていたし。あと、聖ミカエル様をはじめ、いろいろな天使さまにもお願いしていたし。
もしかして相乗効果?
って、自分で書きながら、私って、かなり怪しげ?
ってもともと神秘的なことや、不思議なことが大好きなのですがね。
うちの夫は、どちらかというとスピリチュアルな話を敬遠している。
その手の神秘的な話を全く信じない人だ。
その手の話をすると、疎ましがられ、「たのむ。あっちいって。」と言われてしまう。
おもしろくないなあ。
でも私のヒーリングマッサージは好きみたい。(って勝手に命名しているけど、ただのマッサージです。)
「話聞いてくれへんと、もう、ヒーリングしたらへんから」
と、おどすと、しぶしぶ聞いてくれるのでした。
でも、物足りない。
日付は、8月ですが、実際は、10月22日です。
去年の今頃は、本当に、夢心地だった。
毎日が、ワクワクソワソワの連続だった。
たぶん、恋だったのだろう。
恋というよりは、恋していた頃の華やいだ気持ちを思い出して楽しんでいただけなのかもしれない。
わからない
今となっては。
でも楽しかった。とても楽しかった。
勝手にひとりで盛り上がってウキウキソワソワしていただけだったようにも思うけれど。
来てくれてありがとう。
うれしかった。
ありがとう。
ありがとう。
もう届かないかな。
届くとよいな。
届きますように。
昨夜は、ちょっと悲しい夢を見た。
心の傷が浮き彫りにされてしまっているような夢だ。
目が覚めてから、知らず知らずに、自分の心の奥を探るというか、心の底を掘り起こすようなことをした。
探り当てたものは、よからぬ感情だった。すなわち、「憎しみ」のようなもの。それもかなり強い感情。
私は、心底では、その人を憎んでいるのかもしれない。でもそれを認めたくなくて、一生懸命その上に、「やわらかい愛の砂」とかいっぱいかけて、見えなくさせてしまっていたような気がする。すなわち、カモフラージュ。
だって、憎しみの感情は、苦しいから。醜いし、おぞましいから。
私は、隠して見えなくしてしまったのだ。
でもそんなのは、単なるごまかしで、愛の砂を取り除けば、いとも簡単に現れてしまう。
隠すのではなくて、今度こそ私は、憎しみと対峙しないといけないのではないのだろうか。向き合わなければいけないのではないのだろうか。
その憎しみの感情を何とかしない限り私は救われることはない。
ふと、そう思ったのだ。
とある健康情報誌の付録についていた「奇跡の絵」を壁に貼って
時々眺めている。ほんわか和む優しい絵だ。
で、今日、少し興味を持って、その絵の作者の方の公式HPにお邪魔してみた。
HPで公開されているその方の声を聴いた。
どこか幼く、たどたどしい感じのする、愛らしい声だった。そして、すごく不思議な声だった。
私は、約3年間、テレホンオペレーターの仕事をして、毎日、毎日200人以上の人の声を聴いていた。
その仕事のおかげで、なんというか、声を聴いただけで、直観で、その人の人柄というのを把握できる、ちょっとした特技を身につけることができた。
その特技は、おそらくそのような仕事を長年続けている人なら、大なり小なり誰もが自然に身に付けることのできる能力だとも思う。
「声は人なり」本当に、声には、その人の全人格が反映されてしまうし、その日の気分や体調とかも反映されてしまう。
またその方の声を聴きたいと思った。
まあただそれだけのこと。
私は、その人のことを忘れたいのか、忘れたくないのか、自分でもよくわからないのです。
「もうほんまにええわ、もうほんまにええわ。しんどいし。たくさんや。はよ消えてんか。キレイサッパリ忘れ去りたい。あーうっとし」
という思いと
「いやや。いやや。せっかく今まで、こんなに大切に大切に育んできた気持ちやのに、ここであっさり手放すのは、なんかやっぱりいやや。どうせなら全うさせてやりたい。」
という思いが
真っ向から対立しているような感じです。
自分で自分の気持ちをうまくコントロールできないので、たぶん、しんどいのだと思います。
なんというか、前者も後者も、どちらかというとネガティブな思いのような気がしているんです。
そうなんです。前者も後者も、愛が不足しているような気がするんです。
前者は、なんとなく退廃的で
後者は、ただの執着?
あああ。なにやってんだか。
なんとなくその人に申し訳ない気がします。
「ごめんね。長い間引きずってしまって。愛でもないのに。」
って、別にその人は、全然知らんことなんやし。
そないに律儀にあやまらんでもええのにと思うのですが^^
もしかして、そういうすまないという思いこそが
まさしく「愛」?
あああ。ようわかりませんわ。
ただわかることは
どうにもならないということだけ
単に持て余しているだけ
2007年08月22日(水) |
「わたしの○○」なんて言えない |
日記の日付は、なぜだか8月ですが、今日は10月18日。
某歌手のお誕生日です。おめでとうございます。
私は、特にその人のファンでもなんでもないのですが、高校の時、同じクラスに
熱狂的なファンがいて、その子が
「今日は、わたしの○○の誕生日♪ わたしの○○の誕生日♪」
と、とっても幸せそうにクラス中のみんなに教えて回っていたのが
ものすごく印象的で、以来、しっかり覚えてしまったのでした。
毎年、この日になると、そのクラスメイトの、しあわせそうな姿を思い出すのです。
「わたしの○○」というフレーズが、あまりにストレートで潔くってよいなあって思ったのです。
○○の前に、はっきり、しっかり、「わたしの」をつけるところがなんとも無邪気で微笑ましくて。
当時、私にも、それなりによいなあって思っているタレントさんが、たぶんいたと思いますが(すでに当時の記憶なし)
その子のように、熱狂的というわけではなく、 ましてや、その人の誕生日に
「今日は、わたしの○○の誕生日や」って、クラス中に喜びを伝える
などということは、ないだろうなあと思います。
どちらかというと、心の中で密かにお祝いするタイプ?
もちろん、心の中でも「わたしの」は、つけられません^^。
なんか、単に恥ずかしいだけかもしれません。
愛とは決して見返りを求めないもの。
見返りを求めているなら、それは愛ではなくエゴなのです。
というようなメッセージを今日もらった。
不定期にメールで「癒しのメッセージ」が届く、いわば、メルマガのようなものに無料登録していて、今朝、そのメッセージが届いていた。
愛とはひたすら与えることそのものに喜びを見い出す性質のものらしい。
と、いうことは、私の心にかくも長きに渡って住みついてしまって、いくら頼んでも出て行ってくれないその人に対する私の気持ちは、愛ではなくエゴ に近いのだろうなあ。と思った。
愛というより執着に近い愛着というか、やっぱり恋心のようなもの?
と、いうことは、私は、やはり夫の方を愛しているのだろうか?
さっきも夫が出てくる夢を観た、二人で、テレビを見ていて、
ある女優さんが出てきて、夫はその人が私に似ているというのだ。
「横顔とか、マバタキの仕方なんかそっくりだ。」
と言って夢の中の夫は、笑っていた。
そういえば、ずっと昔にも、その女優さんに似ているといわれたことがあったことを思い出した。
自分では、似ているとは全然思わないけれど。
どことなく、似ているのだろうか。
夢の中の私は、その女優さんに似ていると言われても、あまりうれしくなかったけれど、似ている、似ているといって、喜んでいる夫の顔を見ていると なんだかうれしくて、一等平和な気持ちになっていた。
2007年08月18日(土) |
あまりにも好きな人とは結ばれない? |
「あまりにも好きな人とは結ばれない」
という説があるらしい。
あまりにも好きすぎるとどうしても相手を束縛してしまいがちで、
ともすると愛が激しい憎しみに変わりやすいからだそうだ。
かくいう私は、あまりにも好きな人といっしょに暮らすなんて、想像できない。恥ずかしすぎる(あほ?)
「そこそこ好きがちょうどいい」
どうも、10月に入って受けた衝撃のせいで、心が複雑骨折をしたみたいになっているようです。
私の心が、脆すぎるのかもしれません。
いわゆる、心の骨粗鬆症のようなもの?
骨なら、カルシウムを補えば、ある程度改善できるかもしれないですが
心は、いったい何を補えばよいのでしょう?
2007年08月16日(木) |
なんだかとっても覚え書き |
日に日に、立ち直りつつあります。
立ち直るというよりは、悟りつつあるといった方がよいのかな。
まだよくわかりません。
要するに「諸行無常」なんですね。
なにかがわかりかけていて、でもまだわからない、微妙なところを漂っているような感じ。
私の世界は、私の目で見た世界、私の目でしか見ることのできない世界。
私の世界は、私の主観だけで構成されている世界。
私の感じたこと考えたことが、そのまま反映されている世界。
誰かに傷つけられたというのではない。たぶん。
でもまだ、そこから先は、うまく考えがまとまらない。
それでも、私の世界は、変わりつつある。
好い方に、好い方に、変わりつつある。
なんだか、とっても覚え書き。
今朝、ふと、新婚時代の頃を思い出した。
あの頃は、四六時中愛でられていた。
誰かに「愛でられる」というのは、本当に心地よい。
まさに、蜜月。あの頃の私は、さしずめ、夫にとって、愛しの愛しのハニーちゃんという感じでしょうか。
愛でられれば、愛でられるほど、愛でられるにふさわしい姿形になっていたように思う。美しく磨かれていった。
だから、ますます愛でられる^^
これぞ、理想的な「好循環」ぶらぼーー。
素晴らしすぎる蜜月の日々。
あの頃の「愛でられていた」という感覚を思い出して、幸せな気持ちに包まれた今朝の私なのでした。
2007年08月08日(水) |
思いっきり低次元の夫婦の会話 |
某お茶のコマーシャルに出演している美しい女の人たちをテレビで観ていて、夫が、しみじみと言いました。
「やっぱり、俺って、ああいう、目鼻立ちのはっきりした彫りの深い美人がどうしようもなく好みなんだよなあ」
さらに
「できればインド人と結婚したかったくらいだ」
と、なぜだか自分で言って、照れていました。
「今からでも遅くないで。なら、インドの人と再婚すれば?」
と、冗談で返してみました。
すると夫は
少し考えてから
「いや、やっぱりやめとく。言葉わからないし」
と、恥ずかしそうにうつむきながら答えました。
マジかよ!!
なんだかねえ。
「なにをたわけたことをのたまわく、そなたのすぐ近くに
こんな申し分のない絶世の美人妻がいながら、この罰当たり者めが〜〜〜」
と、さらに冗談を言ってやろうかと思いましたが、その気力はもうありませんでした。
おわり
ここの日記、またまたお久しぶりです。
ここの日記をサボっている間に、心の旅をし続けていたという感じです。
もちろん、今も、その旅は終わっていません。
よい感じの「気づき」をたくさん得ることができたと思います。
感謝。感謝。
私は、このところ、夫に腰のマッサージをしてあげるのが日課になっています。
「マッサージをしてあげようか?」というと、ものすごくうれしそうな顔をするので、その顔見たさに、ついついご奉仕?してしまいます。
マッサージをしながら、いろいろ話をするのが楽しいのです。
他愛もない話ですが、楽しいのです。
いつくしむ という感情を大切にしていきたいと思います。
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