愛より淡く
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2002年10月11日(金) |
回想 記念すべき最初の見合い相手 |
記念すべき最初の見合い相手は、公務員さんだった。
写真で見る限り、その容姿は、初恋の人にちょっと似ていた^^。
見合いの日は、2月のある寒い日だったと思う。
その人はトレンチコートを着て現れた。ちなみに私はトレンチコートは、ちょっと苦手。理由は、ノイローゼな日々男性恐怖症な日々をご参照いただければ幸いです。
その人はひどい風邪で、見合いの間中、 ずっとゴホゴホッと不気味な咳をしてはった。
よほど寒気がしていたのだろうトレンチコートを最後まで 脱ぎはらへんかった。顔色も真っ青だった。
日をあらためてくれればよかったのに。と恐縮してしまった。
で、結局、最初の見合いだったこともあり、よくわからなかったので(まだまだこれから、劇的な出会いがあるかもしれないと期待していたこともあり)
お断わりした。
その人との見合いで覚えていることは
「就職したことがある女性は、 皇太子と結婚できないきまりだゴホゴホゴホ」←違いますよね? と
「学生食堂で有名人を見たことがあるゴホゴホゴホ」←ヒントNHKの元キャスターー
「自動車教習所で免許を制限日数ギリギリでとった もう少しで教習所代パーになるところだったので あわてて必死でとった、ゴホゴホゴホ」
ということだけだった。
ありがとうございましたゥ
2002年10月10日(木) |
夫が泣いた日 その2 |
今日からまた忙しくなりました。
今週は昨日まで、昼間の仕事が、担当エリア変えなどの準備期間中のため、自宅待機中だったのでした。
おかげさまで、のんびりと過ごすことができました。
昨日までの充実した日々よありがとう。そして、さようなら。うぅぅぅ。
そうそう、昨日のつづきです。
それから、しばらく落ちこんでいたのですが、夫も落ちこんでいました。
理由は、まあ、いろいろだと思います。うちら一家は、ほんまに今年に入ってから ついていません。踏んだり蹴ったり。泣きっ面にハチ。弱り目にたたり目。
と、まあそんな感じでしょうか?そのことについての詳細は、いずれ、機会がありましたら綴ってみたいと思います。
で、夫は、ぶつぶつ言いながら、針と糸を持ち、自分ですそ上げをしようとしました。
「お願いもう一回私にさせて、私にさせて、(そして私の自信を回復させて)」
と申し入れたのですが、聞き入れてもらえませんでした。ちなみに、↑の( )は、私の心の声です。
「なら、片方だけでもええから、もう一度私に、させて」と、頼みこみました。
さらに、
「この際、どっちの仕上がりが美しいか、比べてみえへん?」
と持ちかけてみました。
夫は、しぶしぶ、その話に乗りました。
名づけて、「すそ上げ1本勝負」
というわけで、まずは、夫から、すそ上げ開始。
で、その夫の縫い方なんですが、それが、
世にも奇妙な縫い方なんです。あんなけったいな縫い方見たことがありませんでした。
たぶんこんな縫い方、日本中で、この人しかせえへんやろなあ、と思いました。
しかし
出来あがったのを、見ましたら、全く縫い目が見えませんでした。
と、言いますのも、普通は、布地を裏にして裏から縫いますでしょう?
夫は、表から縫っていったのです。
で、その表の縫い目跡は、ミクロな「点」のつながりのように、裏側は、ほとんど一直線の糸が、つながっているように見えました。
すなわち、
表から見たズボンのすその縫い目は、
・ ・ ・ . ・
とまあ↑のような感じです。
実際は、紺地に黒糸で縫ってあるため、その「点」は、目をこらして見ない限り、ほとんどわかりません。
で、裏地の縫い跡は、
________.________________._______________.__________・
とまあ、↑のような感じです。_______ のところが糸です。
そんなふうにして、彼は、表から縫っていったのでした。
説明わかりにくくて申しわけないです。
ううむ、なかなか考えたものだわ。なるほど。と思いました。
よっしゃあ、次は私の番です。
今度こそ、汚名返上?名誉挽回? のために全力を出し尽くして
縫って、縫って、縫いまくるぞ!!うぉーーーーーー!!!!
私は、わけもなく、燃えていました。
なんてね^^ よせばいいのに〜♪ですよね。
いつまでたってもダメなわたしね〜♪
失礼しました。ありがとうございましたゥ
夫に、ズボンのすそ上げを頼まれた。
私は、裁縫が大の苦手。ちなみに、家に、ミシンなど、ない。
仕方がないので、がんばって、祭り縫いしていった。
「言っとくけど、私は、家庭科ずっと2やってんで(しかも10段階評価)
いっつも、こんなふうにしてはいけません、の見本にされてたんやで、
あんましあてにせんとってな、仕上がり悪くても、おおめにみてよね」
と、念を押してから作業にかかった。
夫は、「大丈夫、適当でいいから」とうなずいていた。
だけど、私なりに、ひと針、ひと針、真心こめて?、丁寧に縫っていったつもりだった。
縫いながら、ふと、初めて手縫いの品を、あこがれの人に渡した日のことなどを、思い出してしまい、少し胸が切なくなったりして、
ああ、そういえば、あの日もこんなふうに、ひと針ひと針、心をこめて、メガネケースを縫ったものだわ。なつかしい。むくわれなかったけど。よよよよよ。
と、まあ、しばし回想にひたりつつ、縫っていったのだった。
すそ上げは、小1時間ほどかかった。
「出来たよ〜あ〜しんどかった」
試着してもらおうと思って、夫を呼んだ。
すぐに夫が来た。
夫は、そのズボンを見るなり、
「なんやあ〜これ〜」と
言った。さらに、
「ひどいわ〜、いくらなんでもこんなのはけるかいな!!」
と言った。
そして、な、なんと、目に涙を、いっぱい浮かべ、
「なさけないわ〜ここまでヒドイと思わなかった」
と言って、泣き出したのだ。ほ、ほんまに泣きやった。がーーーーん。
「そりゃあ、これじゃあ、家庭科の先生もあきれるわなあ」
「幼稚園のぞうきんよりひどいわ」
「少々下手くらいなら、目をつぶって、はこうと思っていたさ、 しかし、これは、下手の領域にすら達していないやんか」
「それにしても、ここまで不器用な人もいるもんなんだなあ、珍しいわ。」
などなど次から次へと、飛んでくる夫の言葉が、
この胸に、グサッ、グサっと 刺さりまくっていった。痛かった。
「やめて、やめて。やめて。たのむから、もうわかったから、ごめん、ごめん
もうそれ以上言わんといて、そのとおりや、そのとおりやけど・・・」
そう言おうと思ったけど、声にはならず、出るのは涙ばかりなりけり。だった。
痛くて悲しくて、そして悔やしかった。
「ひどいわ、そこまでよう言うわ、いっしょうけんめい縫ったのに
曲がりなりにも、がんばったのに、ひどいわ、ひどいわ」
泣きながら、やっとこさ、そう言った。
せや、私は、私は、あれが、せいいっぱいだった。私なりに一生懸命やったのに
そういうところ、いっこも見てくれなくて
できばえの悪さばかりを嘆く夫が、悲しかった。
たしかに、ひどいできだった。想像を絶するほどひどいできだった。
縫い目めちゃくちゃだった。縫い跡も、はっきり見えてしまって、
とてもはけたものじゃない。おまけに、ゆかんでいた。
夫は、さらにズボンのすそを、まじまじと見て
「それにしても、ひでーー、ひでーーぞ、これは、ないぞ〜
あんまりやぞーー。ひでーー、くっ、くっ、くっ」と
今度は、泣きながら笑い出した。
「みっともなくて、はけたものじゃない。見てみろよ、これだぞーー
これだぞーー。はははははは、ひでーーー」
何度見ても、我ながらひどいできばえだった。(ここまでひどいとは
おどろきだった。縫ってる最中は、気がつかなんだ)
で、私も、つられて、笑った。笑うしかなかった。
笑うと、少し、気持ちが楽になった。和めた。ような気もした。
だけど、夫が、最後にぽつんと呟いたその一言に
完全に打ちのめされてしまったのだった。
ありがとうございましたゥ
昨日、夫といっしょにNHKのドラマを見ていた。
「ストーカー」を扱った話だった。
「いるんだよね。こういうのって、偏執愛っていうのだろうね。 女なんてほかにいっぱいいるのにさ ひとりしか目には入らなくなってしまうんだろうな。 かわいそうに。とかなんとか」
と夫が言った。
「でも大なり小なり、人を好きになると そういう傾向になるんちゃうん」
と私。
「まあね。特にあんたの場合その傾向が 強いかもね。」
と夫。
ドキッ。
「オレはあんたよりいちまい上手やぞ。 オレはみんなお見通しや」
さらにドキッ。
「だいたいアンタには、死ぬほど好きな 相手がいたやないか。 オレはソイツのこと何度も聞かされていた。 はるばる会いに行った話だとか ソイツのことばっかだった。 そもそもソイツの住所と電話番号調べてやったのこのオレだしな。 オレはやっぱ名探偵だったよな。ははは。」
さらにドキドキッ。
「まあオレなんかあんたにとって 途中で現れたどうでもいいヤツ なんだよな。仕方なくって結婚したんだよな。 はははは。どうだ。お見通しやろ?」
ひえーーー。真っ青
2002年10月06日(日) |
ノイローゼな日々 その3 「男性恐怖症な日々」 |
☆その3 「男性恐怖症な日々」
高校生の頃、電車通学をしていた。朝のラッシュアワーは、半端でなくスゴイものだった。ほんとうにギュウギュウ詰め、一番最後に乗りこんだ人なんて、出入り口の窓にへばりついた状態で、身動きできなかった。
ん?今の、もしかして痴漢?それとも、偶然ぶつかっただけ? というような、どっちかよくわからない目にもよく遭った。一瞬の接触なので判断にも困った。
困っているうちに、降りる駅に着いてしまったりした。
そうそう、ドアが開いて、降りようとする一瞬のすきをついて、触ってくる人もいた。
きゃ、と思った時には、もうドアが閉まっていた。
でも、慣れてくると感覚が麻痺したようになり、そのうちに、ちょっとくらい触られても、さほど、どうってことなくなってしまっていた。
そんなある朝のこと。
いつものように電車を降りて、エスカレーターを上がっている時、うしろからポンと肩を叩かれたので、え?と振り向くと、トレンチコート姿のサラリーマン風の男の人が、私を見て、ニヤリと笑っていた。
それから、その男の人は、手で下の方を指し示し、私の視線をそちらに誘導しようとした。つられて、そちらを向くと、な、なんと!!
私は、完全にフリーズしてしまった。
このような場合、リアクションには、2通りあると思う。
ひとつは、ぎゃあと大声を張り上げる。もうひとつは、驚きのあまり声も出なくなる。
私の、場合は後者だった。
しばらく、固まってしまい、それから、吐き気を催した。
ショック症状のようなものを起こしてしまったようだ。
いっしょに通学していた友人に抱えられるようにして、やっとこさ学校に到着して、そのまま保健室に直行した。
そして、その日は、ほとんど保健室のベッドの上にいた。
それからしばらく、トレンチコート姿のサラリーマン風の男の人を見ると過剰反応してしまい、条件反射的に、オェーッとなり、目を隠した。
日ごとに、よくなっていったようだけれど、後遺症のようなものは、しばらく残ってしまったようだ。
☆その2 「団地ノイローゼな日々」
今振り返れば、団地に住んでいた時も、やはり相当へんだったと思う。
いわゆるいっしゅの強迫神経症っていうのかしら?(←こんなのばっか^^)
はっきりしたことはわからないけれど。
家事のことも、完璧にできないくせに、完璧にしていないと気持ちが落ち着かなかった。ゆえにいっつも落ちつかなかった。あは。
できなくても誰も責めたりしないのに、誰かに責められるような気がして怖かった。
今では考えられないことだけど、あの頃は寝る前に部屋の中をキチンと片付けてからでないと眠れなかった。
明日ゴミ出しの日だと思うとどきどきして眠れなかった。もし寝過ごしでもして、ゴミの車が行ってしまったらどないしようなんて思うと心配で落ち着けなかったのだ。
たかがゴミ出しごときで、そこまで神経をすり減らせてしまっていたのだ。
お天気のよい日は、団地中のベランダに布団が並ぶ。うちだけ布団を干していないとなんとなく後ろめたくなって干さないではいられなかった。
まわりの目が異常に気になっていた。主体性が著しく欠如してしまっていた。
団地から1歩外に出ると、団地中のあらゆる窓という窓からの視線を感じずにはいられなかった。もちろん、単なる思い過ごしだと思うけれど、そういう感覚から逃れられなかった。
なんでそうなってしまったのかよくわからない。
気がつけばそうなっていた。
その1 「受験ノイローゼな日々」
中学時代、勉強のしすぎ?で、おかしくなってしまったことがある。
あの頃は、何かにとりつかれたように、夜遅くまで勉強をしていた。なんであんなにヤッキになって勉強したのか、今となってはよくわからない。
いっしゅの強迫観念のようなものなのだろか?一日に予定していた分量の問題をこなさないと気持ち悪くて、眠れなかった。
そんな夏休みのある日、異変が起こった。
それは、そろそろ寝ようかと寝床に入って、眠ろうとした時のこと。
突然、「このまま眠ると、もう二度と目が覚めなくなるのではないか?」
というとんでもない妄想?に、とりつかれてしまったのだ。
眠りに落ちて行くという感覚が、ただ、ただ、恐ろしかった。
眠ると呼吸が止まってしまうような気がした。
そういうことがしばらく続いて、完全におかしくなってしまった。
ある夜、「私は、もう今夜あたり危ないのではないか?」
と思いこんでしまって
「それやったら、せめて、両親に最後のあいさつくらいしておかんと」
と思い、部屋を出て、両親の寝床に行った。
そして両親の枕元とに正座して、
「お父さん、お母さん、今まで育ててくれて、ほんまにありがとう」
とお礼を言って、たたみに両手をついて頭を下げた。
父も母も、真夜中に、いきなり現れた私に、そんなけったいなこと言われたものだから、
なにがなにやらわけがもわからず、パニック状態に陥ってしまったようだった。
「どないしたん!!なに寝ぼけてんのん、しっかりしい云々」
と両親は、私を落ちつかせようとした。
「せやけど、息が、息が、苦しくて、心臓が止まりそうなんや、はぁはぁはぁ
もうあかんわ、私にはわかるねん」
とかなんとか言いながら、私は胸を抑えて苦しみ出した。
そのあとはもう、てんやわんやの大騒ぎだった。
母が、かかりつけの医者に電話して、私の症状を伝え、応急処置の方法を聞いた。
それで私は心臓を氷で冷やされて、両親に抱えられるようにして、自室に戻され。その夜は、どうにかこうにか落ち着いたのだった。
翌朝私は、近くの市民病院のなぜか小児科に連れて行かれた。両親は、私をまだ子供だと思っていたし。まあ、たしかに子供ですがね。
14歳というのは、微妙な年齢で、小児科でもOKだった。 ただ看護婦さんには、怪訝な顔をされた。
軽い受験イローゼでしょうね。と診断されて、薬をもらって帰ってきた。
でもね。その時、診察してくれた先生に、こともあろうに、一目ボレしてしまったのだった。白衣とメガネがとてもよく似合って、理知的で素敵な先生だった。ぶらぼーー小児科にしてもらって、よかった。
といっても、その感情は、1週間ほどで冷めましたがね^^。
薬が効いたのかどうかはわからないけれど、夏休みが終わった頃には、すっかり治っていた。
全くもって人騒がせな出来事だった。反省。
そんな感じで、私は、何度かノイローゼになっている。
軽症なのから重症なのまで、それなりにバラエティに富んでいるかもしれない。
よろしかったら、またのぞいてくださいね。ではでは。
アイコンはATNETさんからお借りしています
My追加 ありがとうございましたゥ
うふふ。ひみつ。
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