2010年04月30日(金) |
昨夜は早々に横になったのだが、寝汗をかくこと、酷すぎて、一体何度着替えるはめになったことか。どうも体の具合が思わしくない。着替えるにしても、タオルで体を拭わないと、とても着替えられたものではなく。季節の変わり目だからだろうか。 窓を開ける。外はとても明るく、澄み渡っている。昨日のお天気雨も何処へやら。ひんやりした空気が流れている。街路樹はみな、しんしんとそこに在り。萌葉が朝日に輝いている。ふと見やると、植木おじさんがとことこ散歩している。そういえば今年はポリタンクを引いている姿をまだ見ていない。今年は雨が多いから、まだ水を遣るほどではないんだろうか。なんだかちょっとその姿が懐かしい。 パスカリの新芽の縁は紅い。その紅い新芽が今、顔を持ち上げようとしている。これが開いてしばらくすると、赤味がなくなって、美しい濃緑色になるのだ。斑点のついている葉はないか、粉を噴いているものはいないか、私はじっと見つめる。今のところ大丈夫なようだ。ほっとする。 桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる薔薇の樹たちは、今はちょっと一休み中らしい。新芽の気配はない。去年病気が酷く、枝を思い切り詰めた樹も、ここしばらく新芽の気配はない。そしてミミエデンも。いや、ミミエデンは、もしかしたらもうだめかもしれない。艶がなくなってきているのだ。幹の色の艶が。このまま駄目になってしまうのかと思うと、心が痛む。 ベビーロマンティカは、その蕾から、ほんの僅か、色が現れ始めた。まだ本当に僅かだが、明るい煉瓦色のそれが、垣間見える。ただ、一つの蕾の、根元に、粉が噴いている。これが気になって仕方がない。ここまできたのだから咲かせてやりたい。でも大丈夫だろうか、それが気にかかる。 マリリン・モンローは相変わらず元気いっぱいで。斑点のついた葉も見られない。今は樹の全神経を蕾に向けているかのような気配がする。じっと、じっと、ただひたすら蕾に耳を傾けている、そんな気配。 ホワイトクリスマスは、今朝は危うい葉は見られない。ほっとする。このまままた新しい葉を広げていってくれればいいのだが。 今日帰ってきたら、ミミエデンを思い切り詰めてみよう。それでだめなら諦めよう。私はそう決めて立ち上がる。 玄関に回り、ラヴェンダーを見やる。ラヴェンダーはまた新しく芽を出したらしく。小さな体にたくさんの新芽。疲れてしまわないだろうか、とちょっと心配。 校庭を見やる。昨日は学校が休みだったが、子供らの野球チームが、天気雨がばらばらと降る中、練習を続けていた。その足跡が、くっきりと残っている。子供らの標だ。そして今日また、新しく、子供らによってそれは消され、そして新たな足跡が生まれてゆく。幾度となくかき消され、そして描かれていく標。 部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中、少し疲れた顔が浮かんでいる。体の何処が悲鳴を上げているのか、正直分からない。ただ単に、季節の変わり目で体が疲れているというだけならいいのだけれども。でもまぁ、気にしすぎても仕方がない。気持ちを切り替え、私は目を閉じて体の内奥に耳を澄ます。 胸の辺り、もやもやと何かがある。もやもや、じくじく、と疼いている。何だろうと近寄り、見つめてみる。それは確かに、じくじくしていて、まるで治りかけの傷痕のようだった。 おはよう、じくじくさん。私は挨拶をしてみる。じくじくはもちろん、すぐに返事を返してくれるわけもなく。沈黙したまま、そこに在る。 じくじくは、不機嫌なようだった。不機嫌に、じくじくしている。私はそう感じた。何がそんなに不機嫌なのだろう、私はさらに耳を澄ました。 じくじくは、自分のじくじくさ加減にまず、腹を立てているようだった。じくじくしていることが、まず不愉快、といった感じ。じゃぁどうしてじくじくはじくじくなんだろう、私は耳を澄ます。 じくじくは、ここ最近私が感じている、違和感の塊のようだった。そう違和感、それまで私の中にあまりなかったものたち。 それは、私というものが徐々に徐々に明確になってくることによって、感じる違和感。これまで在ったものと今の私の姿との差異。正直に自分を表してしまうことによって生じるこれまでなかった不協和音。 じくじくは、それを象徴しているのだと思った。 私はじくじくに尋ねてみる。ねぇじくじくさん、今あなたは私に一番何をしてほしい? 即座にじくじくから反応があった。こんな状態、いやなの! 不安定で仕方がないのだという。幼い頃から築き上げてきたものを全部崩して、新たに今組み上げようとしている土台は、まだまだ不安定すぎて、それが心地悪いのだという。それはごもっともだと思った。今まで堅強に作り上げてきた仮の姿の、そちらの土台の方がどれほど強いものか、私は知っている。それが強すぎたから、私はここに来て悲鳴を上げているのだ。それを突き崩して、もう一度土台を自分の手で組み上げようとしているのだから、それが不安定なことは、当然だ。 うん、そうだよね、不安定なんだよね、でも、それは今まだ始まったばかりだから、もう少し、待ってくれないかな。この土台も、じきに強くなっていくはずだから。 はっきりいって前のままでいる方が楽なんじゃない? じくじくが言った。そう言われた瞬間、じくじくが、私の中に在る過去から来るものだと分かった。 それは、私の中の権威者のような、そんな存在の一部なのだ、と。 だから言ってみた。確かに、それはそれで楽かもしれないのだけれども、私は今、改めて、こうしたいと思ったの、あなたはそれに反対なのね? 当たり前じゃない、楽な方がいいもの、今更自己改革したって、意味ないじゃない、今までのままでいいじゃない! 私は黙ってしまった。彼女の言いたいことは、痛いほど分かる気がした。今までの堅牢な城の方が、心地いいに決まっていた。その方が、歩きやすいに決まっていた。過ごしやすいに決まっていた。彼女が今更というのだって、とてもよく分かった。この年になって、今更何を変えようというのか、と。それは私も何度も思った。でも。 今更でも何でも、私はもう、穴ぼこや「サミシイ」たちの、声を聴いてしまった。今更もう、後戻りできない。気づいてしまったことを、なかったことにはできない。それがいくら権威者の声であっても、従うわけには、いかない。 ねぇじくじくさん、もうしばらく、見守っていてよ。静かに見守っていてくれると嬉しい。私は今、真剣に、こうしたいと思ってやっていることなの。あなたの声に全く耳を傾けないわけじゃぁないけれども、あなたの声は強すぎて、今の私には結構辛いの。だから、しばらくじっと見守っていてほしいの。 じくじくが言う。ふんっ、あんたに何ができるっていうの、無力なくせに。じくじくはそう言い放った。私は凹んだ。 凹んだけれど。これはこれ、それはそれ、なのだ。多少凹むことなんて、覚悟の上じゃぁないか。私は自分に言い聞かせる。そしてじくじくに言ってみる。無力かもしれないけど、それはそれ、なの。私は今こうしたいから、ね、だから、このまま踏ん張ってみようと思ってる。 じくじくはまだ何か言いたそうにしている。というか、次々じくじくの不機嫌さがこちらに突き刺さってくる。私は立ち上がり、その場を後にすることにした。 目を開けると、鏡の中に、戸惑い気味の顔があった。戸惑っても仕方ないじゃないか、と、私は苦笑する。権威者の声など、いつ響いてきてもおかしくはない、というか、これまでならいつだって響き渡っていたのだ、私の中に。 じくじくはまだ、私の胸の辺りに横たわっていた。でも。これは私の一部であって、全体ではない。私はじくじくに呑みこまれることは、ない。 お湯を沸かし、生姜茶を入れる。何となく気分で、もう一つ、レモングラスのハーブティも入れてみる。そういえばレモングラスのハーブティを飲むのはとても久しぶりかもしれない。レモングラスの香りは大好きだ。草の吐息のような、そんな匂いがする。 開け放した窓のそば、椅子に座る。煙草を一本吸ったら、とりあえず朝の一仕事に取り掛かろう。
娘と一緒に図書館へ。坂を下り、坂を上り。本当に坂が多い街だ、ここは。おかしくなりながらも、自転車を漕ぐ。 娘は前回来たとき予約していた本を受け取りに。その間に私はあちこちの棚を回る。借りたい本があるようで、ない。ふと振り向くと、娘がそこに居り、図書カードの、空いている分を貸してくれ、という。借りたい本がたくさんありすぎて、困っているのだという。いいよ、と手渡すと、喜び勇んでカウンターに向かっていった。合計八冊の本をえいしょえいしょと運んでいる。 図書館を出ると、何故か雨。天気雨。ばらばらと、音を立てて降っている。突然の晴れ間の雨に、みな、慌しく手を翳している。ベビーカーを押すお母さんが、駆け足で坂道を登ってゆく。 私と娘は、顔を見合わせてにっと笑った。こういう雨は大好きだ。さぁ何処に寄り道して帰ろうか、という具合。大きく坂を迂回して、そのまま川と海とが繋がる場所へ。そこには昔娘が通った三角公園があり。私の苦手な鳩が山ほど集っている。娘はその鳩の群れに声を上げて突っ込んでゆく。鳩が一斉に舞い上がる。夥しい数の鳩が、空を旋回する。 そうして私たちはそのまま走り、商店街を抜けてゆく。久しぶりの天気で大勢が繰り出していた街が、雨のせいで一層ざわめいている。私たちはその間を、縫うように走る。
ステレオからは、Secret GardenのSigmaが軽やかに流れ出す。娘のおはようと言う声がする。私は椅子から立ち上がり、お弁当の準備を始める。 昨日揚げておいた唐揚げ、茹でておいたブロッコリーを順々に詰めてゆく。ついでに玉子焼きも。ここには明太子を挟んでおいた。娘が好きなメニューの一つだ。苺を入れようとして、娘が口を挟む。遠足にもっていったら、苺、あったまっちゃわないかな? 大丈夫じゃない? 私は三つ四つ、弁当に苺を入れる。
じゃぁね、それじゃあね、いってらっしゃい。手を振って別れる。玄関の外は今まさに光の洪水で。これでもかというほど辺りは光り輝いている。 階段を駆け下り、やってきたバスに飛び乗る。バスはかたことと揺れながら駅へと進んでゆく。 連休の合間だからだろうか、少し人が少ない。そんな駅を渡り、向こう側へ。開店したばかりのパン屋では、忙しげに店員が焼きたてのパンを並べている。香ばしい匂いが、辺りに漂っている。 川を渡るところで、立ち止まる。ちょうど影になって、川は黒々と横たわっている。水の量がちょっと多いかもしれない。このところの雨のせいなのだろう。 さぁ今日もまた一日が始まる。踏ん張っていこう。 |
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