見つめる日々

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2010年04月30日(金) 
昨夜は早々に横になったのだが、寝汗をかくこと、酷すぎて、一体何度着替えるはめになったことか。どうも体の具合が思わしくない。着替えるにしても、タオルで体を拭わないと、とても着替えられたものではなく。季節の変わり目だからだろうか。
窓を開ける。外はとても明るく、澄み渡っている。昨日のお天気雨も何処へやら。ひんやりした空気が流れている。街路樹はみな、しんしんとそこに在り。萌葉が朝日に輝いている。ふと見やると、植木おじさんがとことこ散歩している。そういえば今年はポリタンクを引いている姿をまだ見ていない。今年は雨が多いから、まだ水を遣るほどではないんだろうか。なんだかちょっとその姿が懐かしい。
パスカリの新芽の縁は紅い。その紅い新芽が今、顔を持ち上げようとしている。これが開いてしばらくすると、赤味がなくなって、美しい濃緑色になるのだ。斑点のついている葉はないか、粉を噴いているものはいないか、私はじっと見つめる。今のところ大丈夫なようだ。ほっとする。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる薔薇の樹たちは、今はちょっと一休み中らしい。新芽の気配はない。去年病気が酷く、枝を思い切り詰めた樹も、ここしばらく新芽の気配はない。そしてミミエデンも。いや、ミミエデンは、もしかしたらもうだめかもしれない。艶がなくなってきているのだ。幹の色の艶が。このまま駄目になってしまうのかと思うと、心が痛む。
ベビーロマンティカは、その蕾から、ほんの僅か、色が現れ始めた。まだ本当に僅かだが、明るい煉瓦色のそれが、垣間見える。ただ、一つの蕾の、根元に、粉が噴いている。これが気になって仕方がない。ここまできたのだから咲かせてやりたい。でも大丈夫だろうか、それが気にかかる。
マリリン・モンローは相変わらず元気いっぱいで。斑点のついた葉も見られない。今は樹の全神経を蕾に向けているかのような気配がする。じっと、じっと、ただひたすら蕾に耳を傾けている、そんな気配。
ホワイトクリスマスは、今朝は危うい葉は見られない。ほっとする。このまままた新しい葉を広げていってくれればいいのだが。
今日帰ってきたら、ミミエデンを思い切り詰めてみよう。それでだめなら諦めよう。私はそう決めて立ち上がる。
玄関に回り、ラヴェンダーを見やる。ラヴェンダーはまた新しく芽を出したらしく。小さな体にたくさんの新芽。疲れてしまわないだろうか、とちょっと心配。
校庭を見やる。昨日は学校が休みだったが、子供らの野球チームが、天気雨がばらばらと降る中、練習を続けていた。その足跡が、くっきりと残っている。子供らの標だ。そして今日また、新しく、子供らによってそれは消され、そして新たな足跡が生まれてゆく。幾度となくかき消され、そして描かれていく標。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中、少し疲れた顔が浮かんでいる。体の何処が悲鳴を上げているのか、正直分からない。ただ単に、季節の変わり目で体が疲れているというだけならいいのだけれども。でもまぁ、気にしすぎても仕方がない。気持ちを切り替え、私は目を閉じて体の内奥に耳を澄ます。
胸の辺り、もやもやと何かがある。もやもや、じくじく、と疼いている。何だろうと近寄り、見つめてみる。それは確かに、じくじくしていて、まるで治りかけの傷痕のようだった。
おはよう、じくじくさん。私は挨拶をしてみる。じくじくはもちろん、すぐに返事を返してくれるわけもなく。沈黙したまま、そこに在る。
じくじくは、不機嫌なようだった。不機嫌に、じくじくしている。私はそう感じた。何がそんなに不機嫌なのだろう、私はさらに耳を澄ました。
じくじくは、自分のじくじくさ加減にまず、腹を立てているようだった。じくじくしていることが、まず不愉快、といった感じ。じゃぁどうしてじくじくはじくじくなんだろう、私は耳を澄ます。
じくじくは、ここ最近私が感じている、違和感の塊のようだった。そう違和感、それまで私の中にあまりなかったものたち。
それは、私というものが徐々に徐々に明確になってくることによって、感じる違和感。これまで在ったものと今の私の姿との差異。正直に自分を表してしまうことによって生じるこれまでなかった不協和音。
じくじくは、それを象徴しているのだと思った。
私はじくじくに尋ねてみる。ねぇじくじくさん、今あなたは私に一番何をしてほしい? 即座にじくじくから反応があった。こんな状態、いやなの!
不安定で仕方がないのだという。幼い頃から築き上げてきたものを全部崩して、新たに今組み上げようとしている土台は、まだまだ不安定すぎて、それが心地悪いのだという。それはごもっともだと思った。今まで堅強に作り上げてきた仮の姿の、そちらの土台の方がどれほど強いものか、私は知っている。それが強すぎたから、私はここに来て悲鳴を上げているのだ。それを突き崩して、もう一度土台を自分の手で組み上げようとしているのだから、それが不安定なことは、当然だ。
うん、そうだよね、不安定なんだよね、でも、それは今まだ始まったばかりだから、もう少し、待ってくれないかな。この土台も、じきに強くなっていくはずだから。
はっきりいって前のままでいる方が楽なんじゃない? じくじくが言った。そう言われた瞬間、じくじくが、私の中に在る過去から来るものだと分かった。
それは、私の中の権威者のような、そんな存在の一部なのだ、と。
だから言ってみた。確かに、それはそれで楽かもしれないのだけれども、私は今、改めて、こうしたいと思ったの、あなたはそれに反対なのね? 当たり前じゃない、楽な方がいいもの、今更自己改革したって、意味ないじゃない、今までのままでいいじゃない!
私は黙ってしまった。彼女の言いたいことは、痛いほど分かる気がした。今までの堅牢な城の方が、心地いいに決まっていた。その方が、歩きやすいに決まっていた。過ごしやすいに決まっていた。彼女が今更というのだって、とてもよく分かった。この年になって、今更何を変えようというのか、と。それは私も何度も思った。でも。
今更でも何でも、私はもう、穴ぼこや「サミシイ」たちの、声を聴いてしまった。今更もう、後戻りできない。気づいてしまったことを、なかったことにはできない。それがいくら権威者の声であっても、従うわけには、いかない。
ねぇじくじくさん、もうしばらく、見守っていてよ。静かに見守っていてくれると嬉しい。私は今、真剣に、こうしたいと思ってやっていることなの。あなたの声に全く耳を傾けないわけじゃぁないけれども、あなたの声は強すぎて、今の私には結構辛いの。だから、しばらくじっと見守っていてほしいの。
じくじくが言う。ふんっ、あんたに何ができるっていうの、無力なくせに。じくじくはそう言い放った。私は凹んだ。
凹んだけれど。これはこれ、それはそれ、なのだ。多少凹むことなんて、覚悟の上じゃぁないか。私は自分に言い聞かせる。そしてじくじくに言ってみる。無力かもしれないけど、それはそれ、なの。私は今こうしたいから、ね、だから、このまま踏ん張ってみようと思ってる。
じくじくはまだ何か言いたそうにしている。というか、次々じくじくの不機嫌さがこちらに突き刺さってくる。私は立ち上がり、その場を後にすることにした。
目を開けると、鏡の中に、戸惑い気味の顔があった。戸惑っても仕方ないじゃないか、と、私は苦笑する。権威者の声など、いつ響いてきてもおかしくはない、というか、これまでならいつだって響き渡っていたのだ、私の中に。
じくじくはまだ、私の胸の辺りに横たわっていた。でも。これは私の一部であって、全体ではない。私はじくじくに呑みこまれることは、ない。
お湯を沸かし、生姜茶を入れる。何となく気分で、もう一つ、レモングラスのハーブティも入れてみる。そういえばレモングラスのハーブティを飲むのはとても久しぶりかもしれない。レモングラスの香りは大好きだ。草の吐息のような、そんな匂いがする。
開け放した窓のそば、椅子に座る。煙草を一本吸ったら、とりあえず朝の一仕事に取り掛かろう。

娘と一緒に図書館へ。坂を下り、坂を上り。本当に坂が多い街だ、ここは。おかしくなりながらも、自転車を漕ぐ。
娘は前回来たとき予約していた本を受け取りに。その間に私はあちこちの棚を回る。借りたい本があるようで、ない。ふと振り向くと、娘がそこに居り、図書カードの、空いている分を貸してくれ、という。借りたい本がたくさんありすぎて、困っているのだという。いいよ、と手渡すと、喜び勇んでカウンターに向かっていった。合計八冊の本をえいしょえいしょと運んでいる。
図書館を出ると、何故か雨。天気雨。ばらばらと、音を立てて降っている。突然の晴れ間の雨に、みな、慌しく手を翳している。ベビーカーを押すお母さんが、駆け足で坂道を登ってゆく。
私と娘は、顔を見合わせてにっと笑った。こういう雨は大好きだ。さぁ何処に寄り道して帰ろうか、という具合。大きく坂を迂回して、そのまま川と海とが繋がる場所へ。そこには昔娘が通った三角公園があり。私の苦手な鳩が山ほど集っている。娘はその鳩の群れに声を上げて突っ込んでゆく。鳩が一斉に舞い上がる。夥しい数の鳩が、空を旋回する。
そうして私たちはそのまま走り、商店街を抜けてゆく。久しぶりの天気で大勢が繰り出していた街が、雨のせいで一層ざわめいている。私たちはその間を、縫うように走る。

ステレオからは、Secret GardenのSigmaが軽やかに流れ出す。娘のおはようと言う声がする。私は椅子から立ち上がり、お弁当の準備を始める。
昨日揚げておいた唐揚げ、茹でておいたブロッコリーを順々に詰めてゆく。ついでに玉子焼きも。ここには明太子を挟んでおいた。娘が好きなメニューの一つだ。苺を入れようとして、娘が口を挟む。遠足にもっていったら、苺、あったまっちゃわないかな? 大丈夫じゃない? 私は三つ四つ、弁当に苺を入れる。

じゃぁね、それじゃあね、いってらっしゃい。手を振って別れる。玄関の外は今まさに光の洪水で。これでもかというほど辺りは光り輝いている。
階段を駆け下り、やってきたバスに飛び乗る。バスはかたことと揺れながら駅へと進んでゆく。
連休の合間だからだろうか、少し人が少ない。そんな駅を渡り、向こう側へ。開店したばかりのパン屋では、忙しげに店員が焼きたてのパンを並べている。香ばしい匂いが、辺りに漂っている。
川を渡るところで、立ち止まる。ちょうど影になって、川は黒々と横たわっている。水の量がちょっと多いかもしれない。このところの雨のせいなのだろう。
さぁ今日もまた一日が始まる。踏ん張っていこう。


2010年04月29日(木) 
まだ真夜中だろうと思って目を覚ますと朝だった。午前四時半。寝床から起き上がり窓を開ける。あぁ明るい。湿った、適度に冷えた風が流れている。それは葉を震わせるほどではなく。微かな風だ。ベランダの手すりには幾つもの雨粒が残っている。街全体が濡れている。でもそれは瑞々しくて。塵芥全部が流れ落ちたかのようで。街の遠くまでが一様に見渡せる。
深呼吸をし、空を見上げる。うっすらと雲がまだ残る場所もあるけれど、空はおおむね晴れており。あぁこれから光が渦巻くのだな、と思う。風が少し強くなってきた。私は煽られる髪の毛を左手で抑える。
ホワイトクリスマスの、危ういと思っていた葉はやはり斑点をもっており。私はそれを摘む。でもまだこれから出てくるのだろう新芽の気配がそこここに見られ、私は安心する。これから芽吹いて茂ってゆくのだろう様を想像し、わくわくする。私はホワイトクリスマスの、大きな大きな白い花が大好きだ。零れんばかりの勢いで咲く、その様が好きだ。いつその花芽に会えるだろう。
マリリン・モンローは、相変わらず大きく大きく茂っており。丈は小さいけれどもしっかりとした茂みで。その中から幾つかの蕾が天を向いて伸びている。葉より一段頭を出している蕾たちは、一心に光を浴びようとする。もう花弁の色も、薄いクリーム色がありありと見えており。あとはゆっくり綻んでいくだけなのだが、ここからどのくらい時間がかかるだろう。でも、こういう時間はいくらあってもいいと思う。それだけ花を楽しめる時間が長くなるというもの。
ベビーロマンティカの蕾も、仄かに染まり始めた。明るい煉瓦色の花。ぱつんぱつんに膨れている。ベビーロマンティカは葉の色と蕾の色とがほとんど同じだ。明るい黄緑色。マリリン・モンローの、暗緑色とは全く異なる、柔らかさをもったその色。
そしてミミエデン。まだまだ新芽の気配はない。でも、幹が枯れている様子も、ない。これは辛抱だな、と思う。待つしかない、というこの時。どっしり腰を据えて、信じて待つしか、ない。
パスカリは、伸びてきた新芽が粉を抱いており。私は仕方なく、それを摘む。他の小ぶりの樹たちにも、幾つか粉の噴いた葉をみつけ、そのたび私は摘んでゆく。頑張れ、頑張れ、と声を掛けながら、摘んでゆく。
空はその間にもぐんぐん明るくなってゆき。もう水色の明るい空が一面に広がっている。西の地平の辺りに漂う雲も、遠慮がちにこっそりと流れてゆく。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗く。デージーの芽はもちろんまだまだ見られない。目を凝らしてみるが、どこにもない。やっぱりだめなのかなぁと心の片隅で思う。でも、私が信じないでどうする、とも同時に思う。二週間くらいは待たないと、どうしようもない。それが分かってはいるのだが。
ラヴェンダーは次々新芽を出している。二本ともが、それぞれに新芽を出しているのだが、大きさにずいぶん差が出てきた。奥の方のものは、まだまだ小さい。そして手前のものは、根元からまで新芽を出し始めた。いつの間にかずいぶん大きく伸びている。挿し木して今年が初めての春だから、花芽を持つかどうかは分からないが、まぁ長い付き合いをこれからしていけたら、いい。
校庭のあちこちに、水溜りができている。その水溜りに光が当たって、今まさに水鏡のようだ。そして校庭の端っこ、プールが、一番大きな水鏡。きらきら、うるうると、光を受けて輝いている。
ステレオからは、ジョシュ・グローバンのAWAKEが流れている。ゆったりとした、広がりをみせてくれる声色。私はこの声音が大好きだ。何処までも伸びやかに広がってゆくその、根元に在るエネルギーが、好きだ。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中の顔は、ちょっと寝不足の気配がなきにしもあらずだが、でも、まぁこんなもんだろう、とも思う。
そうして目を閉じ、体の中の声に耳を澄ます。
ちくちくは、ちくちくじゃぁなくなって、何というかこう、どっしりとした文鎮のような痛みになって、頭の上の方に在った。ずきずきから、ちくちく、どっしりと、次々変化してゆくその痛みの様を改めて私は眺めてみる。
そして思う。私の中には一体、幾つの禁止令が横たわっているのだろう、と。
私はその禁止令を、これからひとつずつ、紐解いていかなければならないのだな、と思う。でなければ、こうした痛みたちは、いつまでもいつまでも、痛んでいなければならなくなる。彼らを軽くしてやるためにも、私にはそれらを紐解いていく必要が、ある。
私は文鎮さんに声を掛ける。ねぇ今、一番何がしたい?
文鎮さんは、しばらく考えて、返事をしてくる。
遊びたい。
あぁそれは、ひとりで遊びたい、のではなく、一緒に遊んで、という意味なのだな、と思った。私は父ははと一緒に遊んだ記憶がない。遊んでもらった、という記憶は、皆無だ。父母と向き合うときは、いつだって、勉強か説教か、だった。
昨日何してたの? 文鎮がふっと、私に尋ねてくる。
だから、私は、昨日のできごとを、思い出しながら文鎮に語った。昨日は朝、一仕事をして、それから約束にキャンセルができたから急に時間ができて、その時間を、別の人と風景構成法を為す時間に当てたのだ、ということ、風景構成法がどういうものであるかということ、そこから何が伝わり浮かび上がってくるかということ、それから娘を送り出し、ふと思いついてこれまで引き出しにしまい込んでいた幾つものものたちや使わなくなったスピーカーなどをごっそり片付けたこと。本を読みながら、気づいたことたちを書き出したりして過ごした夕方の時間のこと、ひとりで食べた夕飯のこと、思い出せることは全部、話して聴かせた。
文鎮が、少し羨ましそうな顔をしていることに気づいた。
私が、どうしたの、と尋ねてみると、文鎮はしばらく黙って、それから話し出した。
当たり前のことが当たり前にできるっていいよね。たとえば子供がするだろうこととかを、してはいけないってされてたら、子供は萎縮するばかりで、何処にも行き場がなくなる。そうやって過ごしていたら、子供になれないだけじゃなく、大人にさえなれないんだってこと、たくさんの人が忘れてるんじゃないかと思う。子供が子供らしくあってこそ、その子供は大人にもなっていけるんだよ、きっと。
文鎮の言いたいことが、なんだか痛いほど、伝わってきた。長いことそうして痛んでいた文鎮にとって、ごくごく普通の営みが、とてつもなく尊いものに見えることも、いやというほど分かった。私は、うまい言葉が何も見つからず、ただ黙って隣に在た。
今度来るときも、またお土産話、いっぱい持ってくるからね。私は文鎮に声を掛けた。文鎮は、私をじっと見て頷いた。
また来るね、と約束をし、手を振ってその場を離れた。
しばらく私はそのまま体の中を漂っていたが、次に浮かんできたのは穴ぼこだった。
胃の辺りの違和感。硬直感。穴ぼこが、強張っているのだと思った。
何がそんなにあなたを強張らせているの? 私は尋ねてみた。穴ぼこは、何も言わずそこに在った。何も言わないけれども、ありありと、緊張感が伝わってきた。
あぁそれは、今私に在るものだ、と分かった。
それを解消するために、今私は何ができるんだろう。考えてみた。改めて考えてみた。とりあえず、できるのは。
そうして穴ぼこを見やると、穴ぼこはやはり黙ってそこに在った。でも、私がそれらを挙げてみたことで、少し安心できたらしい。強張りが、半減していた。
大丈夫、私も分かっているの、分かってはいるんだけど、いい方法がないか、探しているうちに時間が経っちゃって。ごめんね、放っておいたつもりはなかったんだけど、すぐに取り掛かれなかったことは事実だよね。ちょっと、試みてみるよ。
穴ぼこは不安なのだ。不安が強張りになって現れたのだ。穴ぼこは、今の私と直結しているのだな、と思った。昔の私の遺物じゃぁなく、今の私に直結しているのだと、改めて思った。
でも。何だろう、穴ぼこに強張りは確かに在るのだけれども、何かが違う。それで気づいた。穴ぼこのもっている空間が、ずいぶんと明るくなってきているのだ。何処から光がやってきているのか、それは分からない。分からないが、穴ぼこの輪郭も、土の輪郭も何もかもが、徐々に徐々に浮かび上がってきており。だから私には、穴ぼこの姿がありありと分かるのだった。
そうか、穴ぼこもまた、変化していくのだな、と思った。そうやって変化していく穴ぼこに、私はついていくのでなく、一歩先を歩かなければと思った。そうして穴ぼこが安心して歩いていけるよう、呼吸できるよう、私が土を均していかなければならない、道を均していかなければならない、と。
私はまた来るね、と手を振った。穴ぼこは、ただそこに、しんとして在った。

曲は、いつの間にかGeorge MichaelのHeal the painに変わっている。この歌の歌詞を訳してみたことがないから全く内容を知らないのだが、この歌は好きな歌の一つだ。聴いていて落ち着く。なんだかとことこと、心が鳴る。
お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶を一口含むと、体がぐんと動き始めるのが分かる。半分開けたままの窓から、そよ風が滑り込んで来る。
私は煙草を一本咥え、とりあえず椅子に座ってみる。娘はまだ眠っている。

ねぇママ、この前やった貼り貼りしたやつ、見せて。あぁこれか、コラージュって言うんだよ。いいから見せてよぉ。ほら、うん、これだよ。ねぇ私のこれって、変? え、なんで? 全然変じゃないんじゃない? だってさ、改めてこうやって見ると、ママのと全然違うんだもん。あぁ、いいんじゃない? だってママとあなたとは違う人間だもん。これ、やると、みんな違うの? うん、みんなそれぞれだよ、全然違うよ。違ってていいの? いいんだよ。私さ、これ、続きやりたいんだ。続きあるの? じゃぁ、今日やろうか。うん、あのね、もっと顔増やしたいんだよね。ふぅん、でね、まさに世界中のカップルにするの! いいよ、じゃぁ今日図書館から戻ったらやろう! うん!
先日、娘とコラージュをしたのだが、娘は人の顔を次々貼り付けて、しかもそれは均一に貼り付けて、タイトルを「世界中のカップル」にした。私はといえば、顔は全く思いつかず、ひたすらズボンや靴下を貼り付け、娘のお尻、というタイトルにした。でもその後で言われた一言がきつかった。「ママ、ママが遊ぼうって言うの、初めてじゃない?」。
そうなのか、と思った。本当につくづく、どうしようもない母親だなと思った。父母から受け継いだ血をそのまま、再現していたのかと思うと、苦笑どころの話じゃぁなかった。私は心の内で、何度も自分を殴りつけた。
これまで、娘といろいろ作業を為してきたが、そのとき私は、遊ぼうよ、と声を掛けていなかったのだということを、その時痛感した。だから娘にとっては、それが遊びの一種であっても、遊びではなかったのかもしれない。遊びと認識されない遊びって、何なの、と私は声を上げたかった。そして、とてつもなく、娘に謝りたかった。
まだ、時間は在る。娘と一緒に何かを為す時間は、まだ残っている。その間に幾つ、一緒に遊べるか。それが、当面の私の目標だな、と思う。

二人で自転車に跨り、家を飛び出す。坂を一気に下り、公園へ。行くと、千鳥が大勢集っており。私たちは自転車を止め、しゃがみこんで様子を窺う。どうも巣を作ろうとしているらしい。何羽かが、草きれを咥え、ちょんちょん動き回っている。ねぇあれとあれがカップルだよね。うん、そうみたいだね。ここに巣を作るのかな? そうかもしれない。そうすると、赤ちゃん鳥、見られるかな? どうかなぁ?
私たちは、そっと立ち上がり、彼らの邪魔をしないように自転車に再び跨る。大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。
雨上がりなだけあって、緑がこれでもかというほど輝いている。埋立地全体が、光っているかのようだ。私たちはさらに大通りを渡り、走る。雀が一斉に飛び立つ。
さぁ、今日もまた一日が始まる。


2010年04月28日(水) 
暗い。起きた瞬間にそう思った。窓に近づくと、外は土砂降り。唖然としながら窓を開ける。何という勢いで降っているのだろう。どんちゃかどんちゃか、まるで、やけっぱちになっているかのように雨が降っている。やけっぱちでありながら、からんと明るい雨でもある。アスファルトの上、叩きつける雨の音がここまで聴こえる。
ステレオから流れるのは、バッハのマタイ受難曲。朝からこの選曲もなんだかな、と苦笑しつつ、でも聴きたいのだから流しておく。昨夜はラフマニノフのピアノ曲を一通り聴いていた。私が特に好きな作曲家を三人挙げるとして、ラフマニノフはその中の一人だ。他にはバッハとリスト。
あまりにどしゃどしゃ降っている雨のおかげで、ベランダに出ることはできない。窓のところにしゃがみこみ、ミミエデンを見やる。まだまだ裸ん坊のミミエデン。今度はいつ新芽が出てくれるのだろう。気配だけでも見せてくれたらいいのだけれども、まだその気配さえもが感じられない。このまま立ち枯れてしまわなければいいのだけれども。今はそれがただ心配。
背伸びして、ホワイトクリスマスたちを見る。ホワイトクリスマスとマリリン・モンローは僅かだが雨を受けており、雨はその葉に弾かれて飛んでゆく。円弧を描いてベランダに落ちてゆくその様がなんとも美しい。マリリン・モンローの大きな大きな蕾が、ちょうど雨に打たれているのだが、それでも蕾は天を向いており。どんなときでも空を信じているのだな、と思う。信じて、待っているのだ、彼女は。光が漏れ出てくることをいかなる時も信じて。
ベビーロマンティカにも雨が微かながらかかっている。ぱつんぱつん当たる雨を葉は勢いよく弾いてゆく。植物の不思議を思う。こんなに儚く見えるのに、この力強さは一体どこから出てくるのだろう。憧れる。
昨日から頭の中で、「治療としての芸術」と「芸術心理療法」という言葉がぐるぐる回っている。かつて私は前者の立場にあった。でも今は、と考えると。今私は後者の立場に変わろうとしている。どちらがいいとか悪いとかじゃなく、自分の立ち位置をしっかりわきまわえて置かないと、後でとんでもないことになるなと思う。
そしてまた、昇華などについてもあれこれ考える。
「主体的な創造行為の中における美的経験とはどのようなものであろうか? 精神分析的解釈によれば、芸術行為とは“昇華”の産物であると考えられている。“昇華”とは、社会的に受け容れられない本能的欲動が本来の目標を放棄し、より社会的な価値や道徳に適合する目標に向け直されることを言う。この昇華は防衛機制の一つである。しかし、ほかの防衛機制とは異なり、昇華においては脱性化がはかられ、葛藤もなく抑圧も行なわれない。またそれは、多くの防衛機制の中で発達的に見て一番高度なものと考えられている。
 しかしながら、逆の言い方をすれば、昇華としての芸術行為やその産物としての作品がどんなに社会から受け容れられようとも、昇華は依然として防衛機制の一つなのである。別な言い方をすれば、昇華とは社会に受け容れられるように見せている表向きの自分、つまりペルソナ(仮面)であるともいえよう。それゆえ、もしアーティストがこのような昇華としての作品を制作していたとすれば、彼(女)は社会で受け容れられそれなりの名声は得たとしても、作品を通して本当の自分には向き合っていないということになる。そこでは芸術行為を通して自分の内面が本当に解放されることはありえず、作品を通して社会(あるいは超自我としての心の内側の権威者)に認められたい、人々の注目を浴びたいなどの別の動機が潜んでいる。そこにあるのは自分の自己防衛的な美的価値であり、本当の美的経験は体験されていない。
 サブプライム(崇高)はこの昇華を超えたところにある。フロイト自身、「崇高なものとは、そもそも欲動である」と述べている。つまり、崇高さは哲学的議論や美学上の説明の中には存在しないのである。コップの中の飲み物について何百何千の言葉で説明されても頭だけでの理解にしかならない。その飲み物の味を知るためには、それを自ら飲むしかない。崇高さそのものを知るためには、意識的、知的理解をやめて、この無意識の欲動の中に身を横たえる勇気をもったときに初めて、崇高さは自分自身の姿を現わすのである。」
今までのいろいろな体験が、ぐるぐると頭を回っている。しばらくこの状態は続きそうな予感がする。
窓を閉め、部屋に戻る。テーブルの上はもう空っぽだ。昨日、とうとうガーベラがくたん、と萎れた。いきなり、折れた。それまで必死に首を持ち上げていた力が、とうとう尽きた、といった具合だった。本当にありがとうね、そう声を掛け、私はガーベラをゴミ袋に入れる。本当に長いこと咲いてくれた。まさに一ヶ月、保ってくれた。その間テーブルの上はどれほど明るかっただろう。花が在る、というおかげで、私の心はどれだけひっぱり上げられたことだろう。本当にありがとう。
ステレオからは、今、Secret GardenのDivertimentoが流れている。朝に合う、軽やかな旋律。
お弁当を作る。玉葱とパプリカを軽く炒め、そこに下味をつけておいた肉を加え、さらに炒める。その間にもう一つのコンロで、インゲンを塩茹でしておく。野菜が少ないなぁと思うのだが、スーパーの野菜はいまだに高く。とても軽く買える値段じゃぁなく。仕方ない、今日はもうこれらを弁当箱に詰めて、あとは苺で誤魔化そう、と決める。娘よ、ごめん。おにぎりはたらこ味。
洗面台で顔を洗う。鏡の中、自分の顔を覗き込む。白っぽい顔色。でもまぁ悪いわけじゃないから、これでいい。そうして目を閉じ、自分の体の中に沈みこむ。
ずきずきは、もうずきずきじゃぁなくなって。今は、ちくちく、といった感じに変わった。おはようちくちくさん。私は声を掛ける。
ちくちくの傍らに、私は座り込む。ちくちくは、一瞬体をよじったけれど、私がそこに在ることは赦してくれているようだ。私は座っている。
ちくちくに耳を澄ます。ちくちくは、自分という存在を何とか奮い立たせようとしているようだったが、そんな無理なエネルギーは必要ないんだよという私の姿勢に、まだ戸惑いを見せているようだった。
それも当たり前だ、と私は思う。ずっと、存在している、というそのこと自体に、負荷があったのだ。価値がない、存在している価値などおまえにはない、という通牒を突きつけられるばかりで、それを何とかクリアするために、背伸びばかりしてきた。自然でいいんだよ、なんて今さら言われたって、じゃぁ自然って何よ、ということになるだろう。私もそれが、長いこと分からなかった。
私の価値尺度は、言ってみれば父母に強いられたものだった。だから自然な私の振る舞いは愚かな振る舞いであり、存在している価値などない、という代物になった。そうやって、自分を削って削って、削っているうちに、自分が何なのか、何を望んでいるのか、何をしたいのかなど分からなくなっていった。結婚相手までもが予め父や母によって決められている人生が、そこに在った。
いつからだろう、そこから徐々に徐々に外れていったのは。もう無理だ、と、自分なんてもう何の価値もない、と諦めて、徐々に徐々に外れていったのは。
そうして飛び出した先で、また途方に暮れた。自分の価値尺度がないから、はかれないのだ。人との距離、物との距離が、自分ではかれない。そういう自分に、私は愕然とした。でももう、遅かった。
そうやって足掻いて足掻いて、何十年という時を経て、今が在る。
同じ時間を、いきなりひとっとびに、ちくちくに飛んでみろと言ったって、それは無理な話だ。
でもだから、私はここに今座っている。そんな気がする。私がちくちくに、伝えてゆくしかないのだ、しぶとくしぶとく。
ちくちくが、突然、小さな声で、言った。
私は、いなくならなくちゃならないの?
だから私は即答した。そんなことない。そこに在ていいんだよ。
そうだ、不安なのだ。私の中のいろんなものに共通していること、それは、「こうなったからには私は存在していてはいけないの?」という感覚だ。そんなことは、ない。今の今まで私を支えてきてくれたこれらのものたちに感謝こそすれ、消えてなくなればいいなんて、これっぽっちも思わない。そりゃぁいつか、消えてなくなるときもあるのかもしれないが、それは、不本意な形で迎えるものじゃぁない。両方が納得して、迎えるべきものであって、それ以外の何者でもない。
私は繰り返す。あなたはそこに在ていいの。なくなる必要なんてないの。あなたはあなたのままで、そこに在れば、それでいいんだよ。
ちくちくは、ほっとしたように息を吐いた。そういえば、それまで彼女の吐息を聴いていなかった。きっとずっと息を詰めていたのだろう。かわいそうに。
大丈夫、私はまたここに来るから。そうしたらまた、一緒にいようね。私はそう約束して立ち上がる。またね、と手を振って、その場を後にする。

Windancerが流れている。その音色に耳を傾けながら、私はお湯を沸かす。今朝も選んだのは生姜茶。これを飲むとほっとする。
布団から半分体をはみ出させて、娘はまだ眠っている。そういえば昨日、彼女は本のリストをだだだっと作っていた。どうも気分が変わったらしい。「私ってもう1000ページ以上、本読んでるんだなぁ!」なんて、声を上げていた。
それを眺めながら、彼女には、私と違って、自分を認める力があるんだな、と思った。それは素晴らしい力なんだよ、と心の中、彼女に言った。

土砂降りの雨。その中をバスに乗って走る。駅へ。乗客はみな何処か俯いて、押し黙っている。
バスを降り、歩き出す。アスファルトの上、跳ね返る雨粒。ばしゃばしゃ、ばしゃばしゃという音が聴こえる。海と川とが繋がる場所はそんな雨でけぶっており。霞んでうまく見えない。それほどに強い雨足。
コンビニの前で雨宿り。ふと見ると、雀も雨宿りしているらしく。私は動いて彼女を驚かせたりしないよう、必死に姿勢を保つ。
友人から電話が入る。共依存症からの回復について尋ねられ、私は知っていることをあれこれ応える。少しでも役立てば、いい。
さぁ今日も一日が始まる。と思って見れば、もうそこに雀はいなくて。私も歩き出す。雨の中。


2010年04月27日(火) 
起き上がると、薄暗い部屋の中。あぁ曇っているのだなと察する。がしがしという音に振り向けば、ココアとゴロがふたりとも、扉のところに齧りついている。おはようココア、おはようゴロ。私は声を掛ける。ふたりとも、そんな声を掛けるなんてどうでもいいから、早く抱き上げてよ、と言っているかのような勢い。私は苦笑しながら、ココア、ゴロの順に手のひらに乗せてゆく。一緒に乗せることはできないから、それぞれに。ココアはちょこまかと手のひらの上を動き回る。それに対してゴロは、ちょっと後退し、お尻を手のひらから半分はみ出させながら鼻をひくつかせる。それぞれにそれぞれの動き。ひとしきりそうやって手のひらの上で遊ばせ、元に戻す。それでも足りないらしく、ココアはまだ、がっしと扉に齧り付く。
窓を開け外に出る。窓の外は曇天で。薄暗い。光が漏れてくる場所など見当たらない。きっと今頃東の空では陽光が眩しいほどに輝いているのだろうなと思いつつ、そちらの方向を見やるのだが、そこはすっかり雲に覆われており。街路樹の若葉も、今朝は何処か色がくぐもって見える。空の色を反映しているんだろうか。トタン屋根も今日は静かだ。何処もかしこもがしんとしている。
ホワイトクリスマスの、昨日開いたのだろう新芽。それは葉に白い斑点を持っており。仕方なく、私はそれを摘む。申し訳なくなりながらも、摘む。他にも、怪しいものがあるのだが、それはまだ、斑点といえるほどにはなっていないから、残しておくことにする。
マリリン・モンローの蕾は、ぱんぱんに膨らみ始めている。薄いクリーム色が、ありありと見えてくるようになった。これならもしかしたら、母の日に間に合うかもしれない、なんて、気の早いことを私は考えてみる。もし間に合うなら、この花を贈りたい。母が好きだと言ったこの花をこそ。そう思う。
ベビーロマンティカの蕾も、数個在るのだが、一番最初についた蕾が今、大きく大きく膨らんでいる。まだ花弁の色は見えないけれど、それももうじきなんだろう。萌黄色と緑色の中間のような色合いで、真っ直ぐ天を向いている。その姿はいつでも潔く。だから私はそれを見ると、背筋を伸ばしたくなるのだ。迷うことなく天を見つめ、見上げ、ひたすらに自分を信じているかのようなその姿。惚れ惚れする。
パスカリたちは、最近静かだ。ちょっと一呼吸いれてるかのような雰囲気。それも当然かもしれない、こんなにも寒暖激しい毎日が続けば、人間だって疲れる。植物が疲れないわけがないだろう。
玄関に回り、ラヴェンダーの鉢を覗き込む。もちろんまだまだ芽が出ているわけなどないのだが、それでも気になる。無事に出るだろうか、芽が出るだろうか。正直、いつ買った種なのか、記憶にないのだ。きっと何年も冷蔵庫の中にしまわれていたに違いない。そんな種だから、気がかりなのだ。
昨日挿した液肥を確認し、ラヴェンダーから新芽がまた出ていることに嬉しくなりながら、立ち上がる。校庭を見やれば、昨日天気がよかっただけあって、夥しい数の足跡が残っている。子供たちの走り回ったその痕だ。私の脳裏に、昨日子供らが声を上げて走り回っていた姿が浮かぶ。こんなふうに毎日校庭を眺めていると、一日一日が、唯一無二のものであることを改めて思う。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中の顔は、ちょっと汗ばんでおり。そういえば、昨夜は二度ほど着替えた。寝汗が酷かったのだ。このところの気温の差の激しさに、体がついていっていないのかもしれない。
目を閉じ、体に意識を沈める。
頭が痛い。頭のてっぺんの方が、ずきずきする。ちょっと動くとずきん、ずきんと痛みが走る。そんな感じ。
おはよう、ずきずきさん。私は声を掛けてみる。多分もし私の顔をその時映したら、渋い顔をしていたに違いない。痛みがきついのだ。
ずきんずきんと刺し込むような痛みがするところの、傍らに座り込む。座り込んで、目には見えない痛みに、耳を澄ます。
あなたはいいかもしれないけど。ずきずきが言った。あなたはそれでいいかもしれないけど、私はまだ、そんなふうに考えることはできないのよ。
何のことだろう、と思い、その瞬間、あぁもしかしたら、と思った。父母のことだ。きっと。ずきずきが吐き捨てるように言う。あなたはそうやって、いいことを思い出したりできて、気が済んでるかもしれないけれど、じゃぁ私はどうなるの、散々殴られてきた私はどうなるの。ずきずきは、そう言った。
あぁ、そうか、そういえば、ずきずきのその場所は、私が父に散々、殴られてきた場所のひとつだった。
思い出した。父の拳骨は、そりゃぁ痛くて。頭のちょうどこの辺りを、いつも殴られた。殴られた後はいつでも瘤ができて。しばらく痛かった。その痛みがひくかひかないかの頃、私はまた殴られるのだった。
そういえば、父が、拳じゃぁなく、モノで私を殴ったことが一度だけあった。母の洋裁の物差しで、ばしばしと父が殴ったことが。その後傷口は腫れ上がり、しばらく椅子に座ったり着替えたりするのも難儀だった。
ずきずきは、その痛みの塊かもしれない、と思った。私が受けてきた痛みの、塊。
ごめんね、ずきずきさん。私はそのとき、あなたを守ってあげることができなかった。ごめんね。私はずきずきに言う。
ずきずきは、そんな言葉聴きたくないといったふうで。だから私はちょっと困ってしまった。どうしたらいいんだろう、と思った。
或る意味、結構執念深いのかもしれない、と思った。ずきずきには執念深さがあるのかもしれない。だから、赦すことができないでいるのかもしれない。
そう思った瞬間、ずきずきから言葉が飛んできた。執念深いですって、冗談じゃない、私があの頃いなければ、あなたは生き延びて来れなかったくせに!
まさにそうだ。私は二の句が継げなくなった。あの頃ずきずきがいなければ、私はへたっていたかもしれない。いや、へたっていたに違いない。
ずきずきに、尋ねてみることにする。ねぇあなたは今、私に一番何をしてほしい?
あなたになんてして欲しいこと、ひとつもない。あなたは無力だから。ずきずきははっきりとそう言った。
私は無力。そうかもしれない、と思った。私は結局のところ、無力なのかもしれない。ずきずきにしろ、「サミシイ」にしろ、穴ぼこにしろ、今の今まで放っておいたのだから。無力以外の何者でもないかもしれない。
私は仕返ししてやりたいだけ。同じことを、同じ分量、いや、倍の分量、仕返してやりたいだけ。ずきずきが言った。
私は考える。そんなことを、私はしたいだろうか? いや、したくない。自分がされて嫌だったことを、相手に仕返すなんて、したくない。
その時、ずきずきが、嘲笑うように言った。そんなんだから、あなたはだめなのよ。強い者だけが生き残れる世の中なのよ。
あぁ、この台詞、どこかで聴いたことがある、そう思った。そうだ、父だ。父の台詞だ。強い者だけが生き残れる、優秀な者だけに権利がある。父はそんなことをよく言っていた。
私はそこから、「存在することが赦されない」存在なのだと、自分をそう見做した。自分の人生脚本の重要な部分を、その禁止令で塗り替えてしまった。そうして幾つ、失敗してきただろう。
私は言ってみる。それは違うよ、強くても弱くても、そんなの関係ないと思う。優秀とか優秀じゃないとかってじゃぁ誰が決めるの?
ずきずきが、そんなこと分かってるでしょう?といわんばかりの勢いで、私をじっと見つめていた。分かってる、そう分かってる、それを決めるのは、あの父、母、なのだ。
すべての軸は、父母中心に回っている。世界は父母中心に回っている。だから私はそれについていかなければならないのだ。私はそう思っていた、長いこと。
でも、それは違う。
ねぇずきずきさん、私は、あなたが弱かろうと強かろうと、どうだろうと、あなたはあなたでいいと思う。
だから、そんなんじゃ生き延びていけないって言ってるの、存在していられないって言ってるの! 声を荒げて、ずきずきが言った。
うん、あなたはずっと、そう思ってきたんだよね、そうしかないと、思って来たんだよね。
でも。
でも、違うんだよ、世界は別に、あの人たちを中心に回っているわけではなく。世界は誰にでも平等に在って、だから、弱い強い関係なく、あなたはあなたで在れば、もうそれだけで十分なんだよ。
きれいごと言わないでよ、冗談じゃないわよ、私を根こそぎひっくり返そうってわけ?! さらにずきずきが鋭く言った。私はしばらく黙った。
ずきずきが言いたいことは、とてもよく分かった。伝わってきた。そう、根こそぎひっくり返される、そういうショックなのだ、世界は平等だなんて、そんなの、冗談じゃなかったのだ、ずっと。いつだって、生き延びるために強くあらねばならなかったし、権利を得るために必死に戦い続けなければならなかったんだ。私は。
しばらく置いて、私はもう一度、ずきずきに話しかける。でもね、私は今はそう思うの、私は私でいいんだ、って。だからあなたもあなたのままで、いいのよ。怒ってるなら、怒ってる、それでいいの、しんどかったならしんどかった、それでいいの、それ以上でもそれ以下でもないのよ。あなたはあなたのままで、それでいいの。
ずきずきは、そっぽを向いた。そっぽを向いて、でも、泣いているかのようだった。どうしていいか、分からないのだと思った。いや、ずきずきは、私が言いたいことが、すでに分かっているのかもしれない。分かっていて、それでも、自分を何とか存在させるため、必死に抗っているのかもしれない。そう感じられた。
そんなんじゃ、生きてる価値、ないじゃない。ぽつり、ずきずきが、言った。
私は言う。でもそれも、父母の基準でしょう? 違う? 生きてる価値がないって、それは父母の基準でしょう? 私自身の基準は、違うの、もう違うのよ。私はこれっぽっちでも、十分生きている価値があると、思う。
ずきずきが、すっと、姿を隠した。消えた、のとも違う、消えたのではない、まるで、自分が消えてしまうことを恐れているかのように、さっと姿を隠した。
私は、追いかけるのは、やめておくことにした。彼女の言わんとする恐怖は、いやというほど分かるから。
そうして私は、また来るね、そう言って、その場を後にすることにした。
目を開けると、ずきずきはまだ、残っていた。とりあえず、薬は飲まないで、味わっておこうと思う。ずきずきの、今まで引きずってきた痛みの一部だけでも。

「芸術行為が真に癒しとつながるためには〈創造性〉と〈表現〉に加え、一体何が必要なのであろうか? それは心の〈自由〉さである。この〈自由〉はイズムや表現上の技法から自由になることを意味しているのではない。これは自分自身の“とらわれている心”から自由になることを意味しているのである。この“とらわれている心”が何であるかは、セラピストを介してのセラピーのプロセスの中で明らかになるのであり、ひとりでキャンバスに向かい孤軍奮闘しても見えてくるものではない。この〈自由〉を得るためには、時には芸術行為という“とらわれ”からも自由になることが要求されるかもしれないのである。〈自由〉になることは、言い換えれば自分の中に切り捨てられたり抑圧されたりしたものがなく、自分が丸ごと生きることであるといえよう。
 人々の中には、自己の創造的側面を自由に表現することは、カオスを生み出すだけではないかと危惧する人もいるかもしれない。しかし、そのようなカオスは“不自由な”創造性を自由にする、という自由の履き違いから生まれたものである。つまり、心の自由と解放こそが先にあり、創造性はその解放された自由な状態の中から生まれてくるのである。その時には失われていた体全体の感覚が感情を伴って体験されるであろう。そして、それを通して癒しが生じてくるのであり、この癒しの体験や関係の中でよりリアルに感じる自分を発見するのである。
 このように、本当の癒しとは外から誰かによって癒されることではなく、自己の存在の内側から得られるものである。そして、強調しなければいけないことは、痛みを伴うことなくしては、この心の自由と解放は得られないということである。〈表現〉することだけ、あるいは〈創造的である〉ことだけでは癒しの体験にはつながらないのである」

娘と図書館へ。最近ようやく娘は、自分から、図書館の人に欲しい本を尋ねたり予約を取ったりすることができるようになった。だから私は、自分は自分で、本棚の間を練り歩いている。
ねぇママ、今日何冊借りる? ママは四冊。じゃ、二冊分、余る? うん、余るよ。私、その分借りてもいい? いいよ、もちろん。…でもさ。何? 学校でさ、読書カードあるじゃん。うんうん、あるね。私ね、そこに書けないんだよね。読んだ本、全部書いたら、賞が貰えちゃうんだけど、書けないの。なんで? 書けばいいじゃない。だって、自分だけ賞貰ったら、恥ずかしいじゃん。えー! そんなぁ、自分がやったことは自分がやったんだって言っていいんだよ。でも、恥ずかしい、他の人と違うのって厭だ。…。だから、私、こっそり読むの。…。
娘がそんなことを考えているとは思ってもみなかった。恥ずかしい。他の人と違うと恥ずかしい。なるほどなぁと思う。
でも娘よ、母は恥ずかしいなんて思わないよ。あなたが自分の力でしたことはしたことで、誇っていいんだと思うよ。他の人と同じか違うかなんて、問題じゃぁないんだよ。

じゃあね、それじゃあね。お弁当、ここに置いてあるから、忘れないで持っていくんだよ。分かってるって!
玄関を出ると、薄暗い曇天が、変わらず広がっている。その下を、私はゴミ袋を下げて走る。走ったが、バスは目の前で行ってしまった。あぁやられた。でもまぁ十分、十五分後にはまたバスが来てくれるだろう。
やがてゆっくりと走ってきたバスに揺られ、駅へ。ちょっと肌寒いような、そんな空気。海と川とが繋がる場所、今日は海鳥が数羽、集っている。その中の二羽が、それぞれ毛づくろいしているようで。嘴を動かす動作が、ここからも見て取れる。
向こうに在るはずの、風車が今日は見えない。けぶっているのだろう。海は今頃、暗い色をして打ちつけているのかもしれない。
さぁ今日もまた一日が始まる。


2010年04月26日(月) 
がしがしがしと豪勢な音がしている。これはミルクだな、と思いながら起き上がる。おはようミルク。私は声を掛ける。もちろんミルクは、声を掛けたって何をしたって、がしがしをやめることはないのだが。もう無我夢中になってがしがしやっている。それ以外のことは何も考えられないらしい。扉を開けると、まさにどんっと勢いよく外に飛び出してくる。しばらく足元で遊ばせていたが、このままだといつまでもいつまでも遊んでいるんだろうと思い、彼女を再び籠に戻す。もちろんそれで収まるわけはなく。彼女はひたすらがしがしと扉を噛んでいるのだが。
窓を開ける。気持ちのいい空気がそこに広がっており。私は思い切り深呼吸をひとつ、してみる。正直今朝は、ちょっと起きるのがしんどかった。起きてしまえばどうってことないのだが、起きる瞬間、あぁ、やだな、と思った。昨夕、ばてたのだ。夕飯を娘と食べた後、どうしようもなく横になりたくなった。もうだめだと思いながら、這うようにして布団に横になった。夜仕事をひとつしなければと思いつつも、それまでの短い時間、横になろうと決めた。とてつもなく体がだるかった。横になりながら、ちょっと最近踏ん張りすぎていたかもしれないとも思った。気を張っているところがあった。しっかりしなければと思いすぎているところが、なきにしもあらずだった。そのことを思い出しながら、横になっていた。
見上げる空は明るく。薄い雲をまとっているが、とてもとても明るくて。街路樹の萌黄色がきらきらと輝いている。ステレオからは、Secret GardenのRaise your voicesが流れ始める。私の大好きな曲だ。その歌にあわせて鼻歌を歌いながら、私は街を眺める。この街にはまだ、トタン屋根が幾つか残っている。そのトタン屋根が、陽光を跳ね返し、そこだけ白く輝いている。
裸ん坊のミミエデンをじっと見つめる。いつになったら次の新芽が現れてくれるんだろうと思う。まだか、まだかと思いながら待っている私。今一番会いたいのがこの、ミミエデンの、病葉ではない新芽、だ。
ベビーロマンティカの蕾は丸く丸く太り、ころりんとそこに在る。瑞々しい色を放って、もし絞ったりなどしたら、ぽろんと雫が落ちてきそうなほどで。うっとりしながらそれを眺める。
ホワイトクリスマスの新芽、病葉を一枚、摘む。他にも怪しいものはあるのだけれど、もう少し待ってみることにする。曲が変わった、Gates of Dawnになった。耳でそれを辿りながら、私は今度は目をマリリン・モンローに移す。マリリン・モンローには病葉は全くなく。蕾がぐいぐいと膨らんでいっている。もうはちきれんばかりに膨らんでおり。薄いクリーム色に染まった花弁が見えている。そういえば昨日肥料を施そうと思っていて忘れていた。今日病院から帰ったら早速作業しなければと、頭にメモする。
ぼんぼりのような桃色の花を咲かせる薔薇たちは、先日新芽を出したものの、それが全部病葉で。だから摘んでしまったのだが、それ以来うんともすんとも言わない。力を貯めている最中ならそれでいいのだけれど、ちょっと心配だ。
部屋に戻る。テーブルの上のガーベラを水切りする。それにしてもよくここまでもっているなと思う。もうほぼ一ヶ月だ。花弁の先が丸まってはきているものの、それでも彼女は咲いており。まるで、ベランダで誰かが咲くのを待っているかのようで。それまでは咲いていようと必死なようで。それがちょっと切ない。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。もちろんまだ、撒いた種の芽が出ているわけもなく。それは分かっているのだが、つい覗き込んでしまう。ひとつでも、ほんのちょっとでも気配はないか、と。ばかだなぁと苦笑しつつ、立ち上がり、校庭を見やる。東から伸びてくる陽光をいっぱいに浴びて、校庭の砂は一粒ずつ立ち上がっているかのようで。昨日野球チームの子供たちが走り回ったその足跡が、くっきりと残っている。それは今日また新たな足跡で掻き消えてしまうものなのだけれども。
洗面台にゆき、顔を洗う。ばしゃばしゃと水で洗うと、本当に気持ちがいい。さっぱりしたなと鏡を覗くと、すっかり起き上がった自分の顔がそこに在った。
意識を自分の体の内側へと潜らせる。
「サミシイ」が、歩いていた。ゆっくりと、ふわりふわりと、砂地を歩いている。私は声を掛けるのも忘れ、しばしその姿に見惚れる。あぁ歩けたのか、と、改めて思う。
左手にはオカリナを握って、彼女は何処かを見やっている。何処を見ているのだろう。それは、砂地の向こうの向こう、その果ての方だった。何があるのかまだ分からない。でももしそこに海が在ったら。「サミシイ」は、そう思っているかのようだった。
私も、もしこの砂地の先に海があったらいいなぁと思う。そうしたら、「サミシイ」と一緒に海に散歩に行くこともできる。もしかしたら海で遊ぶこともできるかもしれない。そんなことを、あれこれ夢想する。
ふと昨日読んだ本のことを思い出す。そこにはこんなことが書いてあった。「アートセラピーでは、言葉にならない自分の気持ちを表現することを大切にする。このことは、言語化できないということは感情や意見をもっていないわけではない、という考え方が背景にある。そして、これは必ずしも今の自分が意識し認めることのできる感情や意見とは限らない。それではその感情や意見とはいったい“誰の”感情や意見なのであろうか。
そもそもそれらの感情や意見が最初から自覚されているわけではない。多くの場合はセラピーのプロセスの中で気づき、発見していくものである。そのとき人々は、今までの自分にとっては未知のものとして体験される感情に出遭う。そしてそれが幼少期にかつてもっていた感情で、何らかの理由で心の永久凍土の中にフリーズ状態にしておいたものであるということに気づく。つまりその感情やそれを通しての言い分とは、自分自身の中の生きられなかった部分の叫び声なのである。
 「誰がアートセラピーを求めているのか」の本当の答は、「われわれ自身の中の生きられなかった部分こそが、アートセラピーを求めているのだ」ということができよう」。
その本の内容を思い出しながら、私は今、「サミシイ」を眺めている。「サミシイ」を含むこうした私の中の、体験過程を含むイメージは、私が生きられなかった部分、なのではないかと思う。生きたくて、でも生きられなかった、そうした部分が、今、立ち現れているのだ、と。
だからこそ、大切にしなければならないと思うのだ。彼女たちとの出会いを、時間を、大切にしなければ、と。今生き直しの作業をしなくて、いつするのだ、と思う。今気づいたのだから、今為すべきであり。今をなくして他はない、とも思う。
私は、「サミシイ」に、あの曲を吹いてちょうだいと、頼んでみた。もし覚えているなら、あの曲を吹いてほしい、と。
すると、「サミシイ」はすらすらと、まさにすぅっと、吹いてくれた。その音は何処までも何処までも広がってゆく、切なくて寂しくて、でも、生きている音だった。
あの曲というのは、私がいつだったか、即興でピアノで弾いた曲だ。その旋律が、私はとても好きで、辛くなるとそれを弾いては、自分を慰めていた。あの曲を弾かなくなって、もうどのくらい経つのだろう。覚えていない。ピアノを離れてもう何年。
「サミシイ」の奏でてくれる旋律を聴きながら、ふと思い出す。父は、よく私のピアノの部屋にやってきては、座っていた。本当にたまにだったが、リクエストをすることがあった。私は年頃になってから、そういう父がいやで、無言の拒絶もしたが。
でも。今思えば。父は、私のピアノを聴くのが、キライじゃぁなかったんだろうと思う。むしろ、好きだったのかもしれない。もしかしたらそれは、誇りや何か、そういった外面的なものと繋がっていたのかもしれないが、そんなことはこの際どうだっていい、父は少なくとも、私のピアノを聴きたいと思っていた。
もったいないことをしたなぁと、今思う。そうした場面で、私は父との交流を避けてきた。もしあのとき、父ともっと交流を持つことができていたなら。何か違ったんだろうか。もしかしたら何かひとつでも、違ったんだろうか。
「サミシイ」と居ると、そうした、埋もれていたことをよく思い出す。
きっとそれは、蓋が取れたからなんだろうと思った。いろいろな、辛い記憶、反吐がでるような記憶に上塗りされて、埋もれていたものたち。その、辛い記憶たちが、今、取れたからなんだろうな、と。だから見えてくるのだろうな、と。
もし単に辛い記憶だけしか私になかったなら。「サミシイ」は「サミシイ」じゃぁなかったんだろう。もっとひねくれた、もっと捩れた存在になっていたに違いない。こんなふうにオカリナを吹いたりする子供じゃぁ、なかったんだろう。
決して、幸せな子供時代だった、なんて言葉は、言うことはできない。でも。
いいこともあったよね、と、言いたい。
これからさらに、いいことを重ねていけばいいんだ、とそう思う。

ママ、お笑い芸人ってすごいよね。何がすごいの? だってさ、人を笑わせることができるんだよ。それってすごいと思わない? あぁなるほどぉ、そうかぁ。私やっぱり、薬剤師やめて、お笑い芸人になろうかな。ははは、それもいいんじゃないの。ママは薬剤師とかなってほしくないの? え、なんで? じじばばが言ってた。ちゃんと収入を得られる仕事に就きなさいって。ははは、まぁ確かに、生きていくには金が必要だが。まぁ、いいんじゃないの、自分がこれ、と思うことに突き進んでいけば。ママって結構無責任だよね。へ? そう? じじばばとは違う。違うに決まってるじゃん、じじばばはじじばば、ママはママ、違うよ。ふーん。自分が信じたように、生きていくのが一番だと、ママは思うけど。失敗しても? うん、失敗しても、またそこから立ち上がれば、それでいいんじゃないの? ふーん。失敗するのはいけないことじゃないの? なんでいけないの? なんでって…。いいじゃん、失敗しても。失敗しない人なんていないよ。ふーん。失敗から学んでいけば、それでいいんじゃないの? ふーん。つまり、あなたの人生はあなたのものなんだから、あなたが信じたように生きていくのが一番だ、ってことだよ。うーん、そうなんだ…。薬剤師、ならなくてもいいの? ママは別にいいよ、ならなくたって。自分がなりたいならそうすればいいけど、なりたくないのに無理になる必要なんて何処にもないからね。じゃ、私がお笑い芸人になってもいいの? 自分がなりたいならそうすればいいんじゃない? ふーん。ママも、そうしたの? ま、ママは、失敗ばっかりだけどね! なんだー! だめじゃん! うん、だめだね。笑

じゃ、ね。はい、行ってらっしゃい。行ってきまーす。
手を振って別れ、私は階段を駆け下りる。ちょうどやって来たバスに飛び乗り、駅へ。電車は相変わらず込み合っており。ぎゅうぎゅう詰めの女性車両、窓際に必死に立つ。
川を渡る電車。車窓からそれを見やる。燦々と降り注ぐ陽光に、水面は白く輝いており。朗々と流れる川は、何処までも続き。
この果てに海が在るのだなと思う。海と川とが繋がる場所に、今日は海鳥は集っているのだろうか。
さぁ今日もまた一日が始まる。


2010年04月25日(日) 
目を覚ますと、がじがじと誰かが齧る音がする。そばに寄ってみるとそれはゴロで。ゴロまでが扉のところを大きな音をたてて齧るようになったかと、思わず私は笑ってしまう。おはようゴロ。ゴロは、後ろ足を踏ん張らせて、必死になって籠の入り口に齧りついている。それはミルクやココアに負けず劣らずの音で。その必死の様ゆえ、余計に私は笑ってしまう。ゴロをそっと肩に乗せ、私はベランダに出る。
空気が澄んでいる。そして空も。見上げる空に薄い雲はかかっているものの、とても明るい。薄い水色が輝いている。街路樹を見ると、この数日の間に若葉がぐんと大きくなり。微風にさやさやと揺れている。萌黄色と風のなんと美しいことか。私は思わず溜息をつく。ふと視界に動く気配。大通りを見やると、久しぶりに植木おじさんの姿。久しく見ていなかったが、元気だったのだと分かり、なんだかほっとする。おじさんは、自分が街路樹の根元に植えた花たちを、順繰りに見て回っているところ。
私は肩のゴロを気にしながらしゃがみこみ、イフェイオンの花殻を摘む。もう新しく咲く花はないんだろう。それがちょっと寂しい。でもまた、来年までのお別れと思えば、それもまた、よし。
ホワイトクリスマスから、新芽がぐいっと伸びている。いきなりこんなに伸びるものなんだろうかと私は首を傾げる。でもその新芽に、白い粉が噴いてきそうな気配を見つけ、がっくりする。私は、新芽のその一部を、摘んでみる。でも、こうして新芽が出るということは生きているということ。まだまだこれからだと思うことにする。
マリリン・モンローの蕾は順調に膨らんできており。もう見えている花弁が僅かだが、クリーム色がかってきた。蕾を見ていたら、ふと、脇の方の葉に、粉の噴いているものを見つける。私はすかさずそれを摘む。ベビーロマンティカの蕾の、茎の部分に、白い粉が噴いているのを見つける。さて、これはどうしたものか。蕾を摘むのは忍びない。それはさすがに。じっと見つめた後、私はそのままにしておくことに決める。
ミミエデンはこのところ静かだ。新芽を出す気配さえ今はない。ただじっと、体にエネルギーを貯めている、そんな気配がする。
それにしてもいい天気だ。私は立ち上がり、もう一度空を仰ぐ。東から伸び始めた陽光が、私の目を射る。ステレオからは、Secret GardenのSanctuaryが流れている。この光景を、静かに見守るような音。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを見つめる。数日前、デージーの種を植えた。種を植えるにはもう遅い時期かもしれないと思ったのだが、冷蔵庫に眠らせたままにしておくのはもったいないので、植えてみた。さて、芽は出るだろうか。もし花が咲いたら、黄色いかわいい花たちに会えるはずなのだが。
校庭の端、プールに今ちょうど、陽光が伸びてきている。水面がきらきらと輝き、それは金色の漣のようで。もし耳を澄ましたら、鈴の音がしゃんしゃんと小さく高く、響いてきそうな、そんな気がする。
ゴロを籠に戻し、洗面台で顔を洗う。冷え切った体がぶるり、震える。それでも水で顔を洗うのは気持ちいい。私は何度もばしゃばしゃと顔を洗う。
目を閉じ、体に潜ってみる。
穴ぼこに会いにゆく。会いに行って、ちょっと驚く。微かだけれど、確かに風が吹いている。気のせいじゃない。
嬉しくなって、私は穴ぼこの周りを少し、歩いてみる。そういえば、私は穴ぼこの、私が思うところの正面からしか、会ったことがなかったかもしれないと、今になって気づく。今の今までそのことに気づかなかったなんて。自分の愚かさに驚く。
後ろに回ってみると。穴ぼこの姿は微妙に正面とは違っていて。穴ぼこには変わりないのだが、小さな山のようにも見える。私はそこにしゃがみこんで、しばらく耳を澄ます。穴ぼこのこちら側はどんなふうになっているのだろうと、ただ耳を澄ます。
なんだか、ここには諦観が、在るような気がする。何もかもを諦めた後の、残骸のような、そんな匂い。私はふと、手を伸ばしてみる。そして穴ぼこの裏側に、触れて、みる。
かさかさと音を立てて、何かが崩れた。何だろう。
それは多分、ごぼごぼの痕だと思った。ごぼごぼの痕が乾いてかさぶたになって、こんなふうにかさかさの木屑のようになったんだ、と。でもそれにしては、量が、少ない。
あぁそうか、穴ぼこやごぼごぼは、自分でちゃんと再生しようとしていたのか、と。諦観に埋もれても、それでも、生きることをやめないでいようとしていたのだ、と、その時分かった。何に埋もれたとしても、生まれたからには生きるというその基本姿勢を、彼らは貫いていたんだ、と。その時知った。
だから、私は生かされてもきたのか、と。納得した。
後ろ側はまだまだ暗く、闇の中だった。だから私は、手探りで、その木屑を均した。誰かがここに来ても、ここを歩いていけるくらいに、丁寧に均した。
すると、自然、穴ぼこの姿が、露になった。それは傷だらけの、ブロックかコンクリートのようだった。いや、きっと本当はブロックでもコンクリートでもないんだろう、私が知っているものがそれらに似ているというだけで。それにしても本当に傷だらけだ。これでもかというほど。それはまるで、苦渋に塗れた誰かが抗ってつけた爪痕のようで。痛々しい。何重にも何重にも、それはついていた。
もしかしたら、昔々ここに、誰かがいたんだろうかと、思うほどの爪痕だった。
いたのかもしれないし、いなかったのかもしれない。分からない。分かるのは、少なくとも今は、もうここには誰も、私と穴ぼこ以外の誰も、いないということだけで。
私は改めて、穴ぼこの正面に回り、傍らに座り込む。穴ぼこは相変わらず静かだ。静かに、でも、今まさにこの、微かな風のそよぐ音を、聴いているかのようだった。
後ろ側に比べたら、この正面の方の、何と明るいことか。少なくとも私は自分の手や足や、輪郭が分かる。土の具合も分かる。穴ぼこの姿もありありと分かる。
こんなにも違うものなのだな、光がほんの少しでもあるかないか、その違いは。ほんの一筋でも、光が降りてくる、その力のなんと、偉大なことか。
穴ぼこは、少しずつまた、呼吸するエネルギーを、今、貯めているんだと思った。少しずつ少しずつだけれども、彼女はまた生きようとしており。だからこその今のこの静けさなのだと思った。
まだまだ普通に言ったら、心地いいわけじゃぁないだろう。でも、それでも、この静けさは、私には心地いい。清々しく澄み渡った空気が、心地いい。
穴ぼこをふと見ると、穴ぼこもこちらを見つめているかのようだった。少なくとも、彼女は私がここに在ることを、拒絶してはいないことを、改めて感じる。
そうして私は立ち上がり、また来るねと挨拶をして、その場を後にする。
「サミシイ」に会いに行った。「サミシイ」は相変わらず体育座りをしてそこに在た。私は挨拶し、傍らに座り込む。
何処からか、笛の音が響いてきた。ふと見ると、「サミシイ」がオカリナを吹いている。何処にオカリナなんて隠して持っていたんだろう。
そういえばかつて私は、散々オカリナを吹いて時間を過ごしていた時期があった。リコーダーに飽き足らず、オカリナに手を出したのだ。ソプラノのオカリナから始めて、アルトのオカリナもお小遣いを貯めて買った。私にとって、ソプラノの音より、アルトの音の方が、その頃、しっくり来たのを覚えている。低くすーっと、空気に溶け込むかのように響いてゆくその音色が、たまらなく好きだった。
楽譜なんて何処にもない旋律を、即興でひたすら奏でた。時が経つのも忘れ、オカリナを吹いていた。そうして気づけばいつも、空は夕暮れていた。
転校、転校で、私は人との関係に疲れていた。人の中にいたいと思いつつも、入りきれない自分を感じていた。毎日毎日具合が悪くなって、保健室に運ばれ、結局早退という日々の繰り返し。母の手作りの服をからかわれ、小突かれる毎日。勉強が少しできるというだけで、のけものにされる毎日。自分の意見なんて言った日には、とてつもなく避けられ、果ては生意気だと足を引っ掛けられる毎日。すべてがもう嫌だった。それでも何だろう、学校に行かない、という選択肢は、その頃の私には、無く。ただひたすら、針の筵のような毎日を過ごしていた。そんな中で、ピアノやオカリナという音たちは、私を救ってくれた。何故だろう、あの頃、寂しいという感情はほとんどなかった。それよりも、疲労感と嫌悪感、孤立感、そして諦観のようなものばかりが在った。私はもう、こういう星のもとに生まれたのだから、と、半ば達観していた。
我に返ると、まだ「サミシイ」のオカリナの音は続いており。ふと気づく、それはかつて私が即興で吹いたことのある旋律で。懐かしい、何処か哀しい音だった。
そして思う。もしかして「サミシイ」は、その頃何を感じていたのだろう。
口を持たないはずの「サミシイ」が、見えない口でオカリナを咥えて吹いているその姿は、何の違和感もなく私の心に伝わってきており。
何処までも何処までも、その音色は響いてゆくのだった。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。ステレオからは、Secret GardenのLore of the loomが流れている。私は開けたままの窓から、再び外を見やる。明るい陽射しが燦々と街に降り注いでいる。

「混乱や対立、恥ずかしさや憤慨を生み出すものはこの、げんにあるものや、あるがままの自分の回避です。あなたは私や誰かに、自分が何であるかを話す必要はありません。しかし、それがどういうものであれ、愉快なものであろうと不愉快なものであろうと、あるがままの自分について気づいていることは必要です。それと共に生き、それを正当化したり拒絶したりしないことが必要です。それと共に生きなさい、それに名前をつける〔=レッテルを貼る〕ことなく。というのも、その名前は非難か正当化だからです。それと共に生きなさい。恐怖をもつことなく。というのも、恐怖は交わりを妨げるからです」

薄い上着を羽織り、自転車に跨る。坂道を下ると現れる公園。公園の緑はますます青く茂り。あぁこれから日毎この緑は濃く深くなってゆくのだな、と思う。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。
並木道の銀杏からは、小さな赤子のような若葉が夥しい数湧き出ており。向こう側に広がる光の渦を求め、全員がその手をざわざわと伸ばしているかのようで。
通り沿いの躑躅は、まさに今満開。でも何だろう、私は、濃いピンク色の躑躅が苦手だ。躑躅なら、白か薄いピンク色がいい。
娘からメールが届く。おはようございます。ただ一言。私は笑いながら、洗濯物を済ませて今自転車で移動中だよ、と返事を打つ。
雀が三羽、自転車に驚いて飛び立つ。この空き地も、いつまで残っているんだろう。じきに建物に埋もれてしまうに違いない。それでも雀はここに来てくれるんだろうか。
さぁ今日もまた一日が始まる。青になった信号を合図に、私は勢いよくペダルを踏み込む。


2010年04月24日(土) 
真夜中に何度か目を覚ます。そのたび寝汗の酷さに着替える。そうやって繰り返していたら朝になった、そんな感じがする。
起き上がり、窓を開ける。ひんやりした、湿った空気が漂っている。そよりと吹く風の気配さえない。すべてが止まったかのよう。私は空を見上げる。見上げた空には、まだ大半に雲が残ってはいるものの、でも今日はきっと、陽射しが見られる。それが嬉しくて、私は大きく深呼吸する。胸に吸い込んだ冷気は、私の全身にゆっくりと広がってゆく。そのじわじわと広がる感覚を味わいながら、私は街をゆっくり眺める。雨上がり、どこもかしこもしっとりと濡れている。その濡れたところが、東から伸びてくる微かな陽光で輝いているのが分かる。今街は眠っているのではない、息を潜めているのだ、と思った。息を潜めて、今か今かと待っているのだ、夜が明けるのを。そのある種張り詰めた感じを私は味わいながら、しゃがみこむ。足元のプランター、イフェイオンの、枯れた花殻を摘んでゆく。本当にご苦労様だった。ほとんど水遣りさえしないで放っておかれていたというのに、ここまで花を咲かせてくれた。そのことに感謝せずにはいられない。
ホワイトクリスマスは、ここしばらく新芽を出していない。まさに隣のマリリン・モンローの勢いに負けているといった具合。栄養全部を吸い取られているかのよう。マリリン・モンローとホワイトクリスマスの葉の色は似ている。暗緑色。肉厚の葉で、新芽の頃は縁が赤い。ホワイトクリスマスの枝の付け根をじっと見つめる。そこに新芽の気配は、在る。待っていればじきに葉を広げてくれるだろうと、今は信じることにする。
何となく、鈴木祥子の「風に折れない花」を思い出し、鼻歌まじりに歌いながら、他の樹たちの様子も見やる。粉を噴いている葉をまた新たに幾つか見つける。もうそれは、根元から粉を噴いており。だから私は、葉を摘むだけでなく、その新芽の根元から、折ることにする。折るとき、ぱきり、と音がしたような気がした。もちろん実際にはそんな音はしていないのだが、私の目の中で、そういう音が、した。体が一瞬ぶるりと震える。
部屋に戻ると、ガーベラはまだ変わらずそこに在り。もうほとんど、散る寸前なのだろうが、それでも彼女は懸命にその花弁を伸ばし、そこに在る。その姿を見るたび、私も、まだまだだな、と思う。
ゴロがこちらを見ている。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女は後ろ足で立って、鼻をひくひくさせながらこっちを見上げる。構ってよ、と言っているみたいだ。私はひまわりの種を三つ、手のひらに乗せ、一粒ずつ、彼女の鼻先に持っていく。まだちゃんと手を差し出すというところまではいかないのだが、種に食いつくとき、手もちゃんと私の指に添えてくるところがかわいい。そうして三粒、彼女はほっぺたに貯めこむ。
私は洗面台へ行き、顔を洗う。少し疲れた顔はしているが、まぁそれは仕方がない。洗い立てのほっぺたを指で弾いてみる。まぁこんなもんかな、という気もしてくる。
目を閉じ、意識を体の中に沈めてゆく。
穴ぼこに会いにゆく。おはよう穴ぼこさん、私は挨拶をする。そしてまず、隣に座り込む。
新しく湧き出たごぼごぼは今はないらしい。でも、穴ぼこは、衰弱しているようだった。疲れているのだ、あんなに吐き出して、だから疲れているのだ、と思った。それはちょっと嬉しかった。疲れているのに無理して動かれるよりずっと、嬉しいことだった。そうか、ここでこうして、呆けることができるだけの隙間は、あるのだな、と思えた。
私はイメージしてみた。ここに風が吹いたら。どんなに気持ちがいいだろう、と。風が吹いたら自然、空も雲も現れるだろう。そうしたら、この土の上にも何処からか種がやってくるだろう。そうしたらここには、雑草たちが生えてくれるだろう。そんな光景を、見てみたい、そう思った。
今すぐに私ができることは。この土地を、耕すことなんだろうな、と改めて思う。だから、とりあえず手を使って、土を掘り起こしてみる。
それはやわらかく、少しあたたかくて、切ない土だった。触っているとじんじんと、それが伝わってくるようだった。あぁ生きているのだなぁと思った。
とりあえず、私の手に触れる場所は、そうして掘り起こしてみた。掘り起こして、土をならして。いつ種がやってきても大丈夫なように。
その間、穴ぼこは、ただじっとして、私を見つめているようだった。
ふと、もしまたごぼごぼがやってきたら、と考えた。そうしたらこの土は瞬く間にごぼごぼに覆われて、またやり直しになる。
でも、それでいいと思った。何度でも、耕せばいい。ごぼごぼは、多分、さらなる肥やしを運んできてくれるものなのだから。
もう、恐れるのはやめよう、と、思う。そういう感情も何も、抱いたってそれは、当たり前、自然なこと、ただ、それを私がどう受け容れてゆくか、それだけの、こと。
穴ぼこは、ちょっと躊躇っているような気配を漂わせていた。自分の周りでそんなふうなことをされたことはなかっただろうから、それも当たり前なのかもしれない。
それにしても、土いじりというのは、なんて楽しいのだろう。幼い頃の砂遊びや土いじりを思い出す。無心になって作った砂玉や城。瞬く間に崩れるそれらを、それでも何度でも作り直した。一心不乱、という言葉は、ああいうときのためにあるんじゃないかと思う。そういえば、先週授業で為したコラージュ療法にも、そういう感じがあった。最初は躊躇いがちにやっていたことが、気づくと夢中になって、切り貼りしているのだった。終わったときには爽快な、きれいさっぱり洗い流したようなそんな感じがあった。
私は再び、穴ぼこの隣に座り、じっと時を過ごす。気のせいかもしれない、本当に気のせいかもしれないが、風が微かに、流れているような気がした。それが何処からやってくるのかも何もわからなかったが、それでも。
私は立ち上がり、穴ぼこに手を振る。また来るね、と約束して。

友人に借りた本の影響なのだろう、ここ数日、ピアノと自分のことを、改めて思い出し、考えている。
ふと、今残っている音源がなかったか、と棚を探す。あった。二曲だけ。さすらいびと幻想曲と、波を渡るパオラの聖フランシス。それぞれ発表会の折に弾いた、或いは弾くはずだった曲だ。聴いてみて、苦笑する。指が転んでいる箇所があったりして。でも。それでも、懐かしく、そして切ない。
ピアノは。ピアノは私にとって、ただひとつ赦された、思うまま感情を吐き出せる場所だった。父や母とぶつかった後、私はよく、ピアノの部屋に篭った。篭って、ピアノに自分が言えなかったこと、感じたことたちをぶつけた。そうしていると、気づいたときには何時間も時間が経っていて、そうして気持ちがすうっと開けてゆくのだった。
何度か、ピアノを取り上げられたことがあった。ピアノに鍵をかけられてしまい、どうにもこうにも開けることが叶わず。ピアノを弾けないということが、こんなにも苦しいものなのかと、そのたび味わった。
思い切り、そう思い切り泣くのも笑うのも、ピアノが一緒だった。ピアノの前でなら自分を曝け出すことができた。だからこそ、普段どんなに虐げられても、大丈夫だと思えた。そういう時期が、私には、在った。
そういえば一度、マニキュアをしてピアノの練習に行ったことがあって。その折、とんでもなく先生に怒られたっけ。マニキュアをしたり爪をちょっと余計に伸ばしたりしただけでも、タッチが変わるのだ、と、それが分からないのか、と、こてんぱんに怒られた。あの頃、ちょうど同じ年頃の女の子たちが、こぞってマニキュアをしている時期だった。私も、と思ってしてみたが。とんでもなかった。実際、マニキュアをするだけで、鍵盤に触れる自分の指の感じが違った。以来、マニキュアは私の手元からなくなった。
すべてが懐かしく。きらきらと輝く旋律の上に、それらは弾んでいた。思い出すほどに、切なくなった。少し胸が苦しくさえ、あった。
今私はもう長いこと、ピアノに、触れていない。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。足元で再びゴロがちょこまか動いている。私はゴロを肩に乗せてやることにする。しかし、彼女は、ココアやミルクと違って、よく後退するのだ。もうちょっとでまた、肩から落ちるところだった。まったく。自分で構ってくれと言っておいて、構おうとするとこうなんだから、と私は苦笑する。へっぴり腰のゴロはそうして、私の肩にひっしと掴まっている。

ママ、もう私、反抗期? 娘が訊いてくる。そうだねぇ、まぁ、ちょこっと入り口に入ったかな、って感じ? 私が応える。
反抗期ってなんかさぁ、変だよねぇ。何が変なの? だって突然いろんなことが嫌になるんでしょ? うーん、まぁそうかもしれない。いろんなことが今までと違って見えてくるところがあるね。反抗期って絶対あるものなの? どうなんだろう? 少なくとも、ママとおじちゃんはあったよ。おじちゃんもあったの? うんうん、あった。おじちゃんはね、よく家の壁をパンチして、穴開けてた。えーーー! そんなことしてたの? うんうん、そんなことしてたよ。手、痛くないわけ? そうだねぇ、手が痛いのも構わないほどに、怒り狂ってたよ、おじちゃんは。うーん…なんか反抗期って大変そうだね。ははは、大変そうかぁ、まぁいいんじゃない、そういう時期もあるってことで。私、なんかそういうの面倒くさいよ。はっはっは、面倒くさいって…んなこと言ったって、なるときはなる。そうなのかなぁ、私、反抗期、なくてもいいよ。えー、そうなの? あっていいと思うけどなぁ、ママは。なんで? なんでかわかんないけど。そういう時期もあって自然なんだと思うけど。ふーん。まぁ、そんなもの、なるときはなるし、ならないときはならないんだろうし。考えてもどうしようもないよ。うん。ふーん。

じゃあね、それじゃぁね、あ、ママ、メール頂戴ね! 分かった分かった! 手を振って別れる。娘は右に、私は左に。
海と川とが繋がる場所に、今朝は一羽も海鳥がいない。がらんどう。私はしばし橋の袂に立ち止まる。遠く、向こうに風車が回っているのが見える。ゆっくりゆっくりと、風に回る風車。
ヘッドフォンからは、何故か朝だというのに、中島みゆきの「1人で生まれてきたのだから」が流れている。
さぁ今日もまた一日が始まる。私は歩道橋を勢いよく駆け上がる。


2010年04月23日(金) 
目を覚ますと、何かが動く気配がしている。起き上がって見てみると、ゴロが音もなく回し車を回しているところで。おはようゴロ。私は声を掛ける。それに反応して、ゴロがすっと回し車を降り、後ろ足で立ってこちらを見上げる。そのちょっと惚けたような表情がなんともかわいい。私はその頭をちょこちょこと撫でてやる。
窓を開けると、湿った冷気がそこに在った。すっかり湿って、もしこれをタオルにして絞ったらぐっしょりと雨水が垂れてきそうな気配。何だろう、雨が嫌いなわけじゃないけれども、このところちょっと閉口している。憂鬱にちょっと似ている。
街路樹の新芽もたっぷりと濡れており。私は手を伸ばしてそれに触れてみる。指で弾くと、ぽろろんっと雫が落ちた。新緑にとってこの雨はどうなんだろう、嬉しいんだろうか、それとも厄介なんだろうか。雨は雨で嬉しいかもしれないが、やっぱりそれよりも、お日様の光が恋しいに違いない。私も、恋しい。
イフェイオンの枯れた花殻を摘む。すっかり茶色くなって、萎れたそれは、ひとつの命を全うした証。ひとつひとつに、今までありがとうね、と声を掛ける。今もしプランターを二つに割ったら、土の中はどんなふうなんだろう。球根は、どこまで大きくなっているんだろう。それとも、今はひとつの役目を終えて、くたびれているところか。
パスカリとマリリン・モンロー、その他幾つかの薔薇の樹に、粉の噴いた葉を見つける。懲りずにまぁ何度も何度も粉を噴くもんだと思いながら、これもまた懲りずに、私も葉を摘んでゆく。先日石灰を撒いてはみたのだが、効果という効果はまだ見られない。
ベビーロマンティカとマリリン・モンローの蕾はそれぞれ、日々膨らんできている。今朝もそれをじっと見つめる。しんしんとそこに在る蕾。生命の塊。マリリン・モンローの蕾は微かに中の花弁の色が見え始めている。本来薄いクリーム色をしているのだが、今ここに見えるのは、白く透明な花弁の色。これから徐々に色づいていくのだろうか。不思議な気がする。
部屋に戻ると、テーブルの上、昨日作った胡瓜と若布の酢の物がそのまま置きっぱなしになっていた。しまうのをすっかり忘れていた。私は小鉢に移し、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。娘の大好物、朝食のときに出してやれば喜ぶだろう。
何となく胸の辺りがずっとざわざわする。落ち着かない。
私は顔を洗い、鏡の中を覗く。少しいらいらした顔がそこに在った。いらいら、じゃないかもしれない、いがいが、かもしれない。うまくまだ表現ができない。
目を瞑り、内奥へと沈んでゆく。
いがいがは、そこにも在った。いがいが、いらいら、どちらがよりぴったり来るだろう。私はしばらく考える。やっぱりいらいら、かもしれない。もどかしい、にも似ている。
もう喉元まで何かが出掛かっている、でもまだ出てこない、そんな感じがありありとしていた。私はしばらくそれを傍観する。
あぁそうか、私は、もし私がそれをはっきり言ってしまったらどうなるんだろう、と、それが怖いのか、と思った。そうだ、それが怖いのだ。もしそうしてしまったなら、どうなってしまうだろう、と。だから、それを為しきれずに、いる。
そのもどかしい感じ、いらいらした感じが、ここに在るんだな、と思った。これがなくなったら、私はどんな感じだろう。いい感じだろうか。うん、そうだ、すっきりして、空間ができて、いい感じになる。じゃぁこの感じは今、私に何をしてほしいと思っているんだろう。
柵を、作って欲しいんだな、と思った。そうだ、境目を示す柵を、作ってほしいと言っているんだ。確かにここには柵も何もない。無防備だ。でもそれじゃぁ、堪えられないと、このいがいがは言っているんだ。
分かった、じゃぁ柵を立てよう。私は声に出して言い、作業を始めた。少し高めの柵を、作っておこう。また必要がなくなれば切って捨てられるように、木製の、少し高めの柵を。
大丈夫、もうあなたに、むやみに触れてくるものはないよ。あなたがどういうところで不快になるのかも分かったから、私自身気をつけることができるし、柵も作った。とりあえず、これで大丈夫、だよね?
いがいがは、ようやくほっと一息つけたようで。さっきのようないがいがさが消えてなくなる。少し歪な、大きな石のようになって、そこに在った。
この石がなくなったら、私はどんな感じだろう。いい感じ? そう、いい感じがする。じゃぁこの石をどけるためには、私には何ができる?
私に今できるのは、或る程度の遮断をすることか。そうか、そうなんだな、と思った。この石は私のもので、他の誰のものでもない。私が傷つけるならまだしも、他人に傷つけられたくは、ない。そうなんだな、と思った。
私に今すぐできることといえば、この石にカバーをかけて、そっとしといてやることだ。私はとりあえず、足元に在った布を、思い切り広げて、石に掛けてやることにした。
すると、それだけで石はずいぶんほっとしたのか、大きさがひとまわり、小さくなった。私の喉元を押し潰さんばかりに大きかった石が、ひとまわり小さくなって、私の喉には風が通るようになった。
石は私の喉の全体じゃなく、一部を占めるものに変わった。
私はその、流れる風をしばらく、感じて過ごした。
この風は、強すぎても弱すぎてもいけないんだろう。このくらいの風がちょうどいいのかもしれない。
私は、立ち上がり、また来るね、と石に挨拶をしてその場を後にする。今度来るときには、自分の中のあのいがいがだったものをもっと見据えて、それから来ようと思った。

「悲しみを理解するにはまず、人はこの自己憐憫に気づいていなければなりません。それは悲しみの要因の一つなのです」「自己憐憫を見なさい。それに打ち勝とうとしないで、それを否定して、「それに対して私はどうすべきなのだろう?」と言わずに。事実は自己憐憫があるということです」「ただそれを見るのです。そのときあなたは自己憐憫がどこにも存在しなくなることを見るでしょう」「人は独りaloneであらねばなりません」「苦しみを〔真に〕苦しみ、理解するには、それを見なければなりません。逃げ出してはならないのです」「もしもあなたが悲しみから自由になりたいと願うなら、逃げるのをやめて、判断も選択もなしに、それに気づいて〔感じ取って〕いなければなりません。あなたはそれを観察し、それについて学び、その奥深い複雑さをすべて知らねばなりません。そのときあなたはそれにおびえることがなくなり、もはや自己憐憫の毒はなくなるのです。悲しみを理解することによって、それからの自由が生まれるのです。悲しみを理解するには、それを実際に体験することが必要です。悲しみについての言語上の虚構〔=観念〕ではなくて」「私が苦しみを理解したいと思うなら、完全にそれと一つにならなければならないのではありませんか? それを拒絶したり、正当化したり、非難したり、比較したりすることなく、それと完全に一つになって、理解するのです」「苦しみは苦しみなのです」「人が苦しむとき、人は苦しむのです」「苦しみは現実のもので、私たち皆がもつものですが、その理解には並々ならぬ洞察と眼力が必要なのです。そしてこの苦しみの終わりが自然に平和をもたらします。内部的のみならず、外部的にも」

穴ぼこは、しんしんとそこに在た。私はおはようと挨拶する。穴ぼこはちらりとこちらを見たようだった。
穴ぼこは、流れてくる微かな風に、自分の身を晒しているようだった。それはきっと、穴ぼこにとって、久しぶりの心地よい風のはずだった。もう長いこと、そんなふうに風に身を晒す余裕などなく、過ごしてきたに違いなかった。
ふと思った。ここは肥沃な土地だ、と。きっとそうに違いない、と。もし適度な風や温度や、陽光がここに在ったなら、草木が自然に生えるはずだ、と。
そうか、ひとつとして、無駄なものはないんだな、と思った。ごぼごぼも、残骸も、これからまた、草木の肥やしとなって、生きるのだ、と。
それはある種の感動だった。命はそうやって繋がってゆく、ということを、目の当たりにした気がした。
そうか、じゃぁ私が今為すことは、この土を耕すことなんだな、と、納得がいった。
もちろん、これからもまた、ごぼごぼが現れるかもしれない。残骸でここはいっぱいになるかもしれない。でも。
そのたび私は、耕していけばいいんだ。この土の生命力を信じて、耕し続けていけばいいのだ。
何ひとつ、無駄なことなんて、なかったのだ。
なんだか嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、涙が出そうだった。私は穴ぼこに近づいて、そっと穴ぼこを抱いた。ありがとう、分かった、これから私はここを耕してゆくよと約束して。

ママ、この漫画に出てくるピアノの曲、弾いた? うん、弾いた。どんな曲、激しくて悲しい曲だったよ。荒れた海の波に似ている。ふぅん。どうしたの? ん、いいなぁと思って、ママはピアノが弾けるから。うーん。ママ、三歳からピアノやってたのに、どうしてピアノの先生にならなかったの? うん、そうだね、ピアノの先生になりたいなぁって思ってたこともあったよ、でも、できなかった。ピアノ、どうしてやめたの? ピアノの発表会の直前にね、手が動かなくなったことがあってね。なんで? 何でだろうねぇ、そういうことがあったんだ、それからほぼ一年、手がほとんど動かなくなって、鉛筆を持つことさえままならなくなった。そんなことがあるの? うん、あった。それから、徐々に徐々に、ピアノから遠ざかっていった。ピアノまた弾きたいって思わないの? 思うよ。でもね、もう、なんか、違うんだ。ここにはピアノがないし。この電子オルガンあるじゃん。うんそうだね、でもね、ピアノと違うんだよ。感触が違うの。音色が違うのはまだしも、指に触れるこの感触がね、猛烈に違うんだよ。これはママのピアノじゃぁ、ない。…なんか、難しい。そうだね、ははは。

じゃぁね、それじゃあね。学校、頑張ってね。あなたもね。手を振って別れる。階段を駆け下り、バス停へ。どうもバスが遅れているらしい。二台分くらいの待ち人が並んでいる。みな背伸びして、バスがやって来るはずの方向を、見ている。
ようやくやってきたバスに乗り、駅へ。粉のような雨が降っている。
人ごみを抜け、駅の向こう側へ。そうして橋を渡るところで私は少し足を止める。
濁った暗緑色の川が、そこに在った。この川の上流では、雨が激しく降ったのかもしれないな、と想像する。山を下り、野を駆け、ここまで流れてきた川。やがて海へと注ぎ込む。決してとまることなく、そうして流れ続ける。
一日一日新しく生きるというのは、なんて難しいんだろうと思う。それでも。
そうしていきたいと思うことを、やめたくは、ない。

さぁ、今日もまた、一日が、始まる。


2010年04月22日(木) 
朝一番、Secret Gardenの音色が聴きたくなって、プレイヤーを立ち上げる。眠っているその最中からずっと、彼らの音色が聴きたかった。何故そんなに聴きたくなったんだろう。よく分からないが。
窓の外が暗い。窓を開けると、ひんやりした冷気が私をすっと包み込む。雨だ。また雨。誰かが今年の春は梅雨の先取りをしてるんじゃぁないかと言っていたが、本当にそんな気がする。空一面、重だるい雲が広がっており。隙間なくそれは広がっており。少し憂鬱な気持ちが、ますます憂鬱になってしまうような、そんな具合。私はじっと空を見上げている。どこかに隙間はないかと、探してみる。もちろん、見つからないことなど百も承知で。
イフェイオンの花は残り五つにまでなった。もう本当に終わりなんだなぁと思うと、なんだかとても名残惜しい。私はイフェイオンのこの花の色や、その咲き方がたまらなく好きだ。澄んだ蒼色に、しゃんと背筋を伸ばしたようなその姿勢。いつもその姿を見るたび、こちらも背をしかと伸ばさねばと思わされる。それがじきになくなってしまうことが、今はとても寂しい。また来年までの別れ、と分かってはいるが、それでも寂しい。
ミミエデンは、新芽の欠片さえ今はなく。ただ裸ん坊で、そこに在る。明るい緑色をした幹がせめてもの救い。早く病気が治ってくれたら、心底そう願う。
昨日めいいっぱい病葉を摘んだおかげなのか、今朝病葉は見られない。怪しいものはあるものの、それでもまだ、摘むまでにはいかないだろう。私は順繰り、薔薇の樹を見つめる。マリリン・モンローの脇、ホワイトクリスマスが、ちょっと侘しい。葉はそれなりに出ているのだが、ちょっと疲れているような気配がする。そろそろまた肥料を足した方がいいんだろうか。それとも放っておいて大丈夫だろうか。マリリン・モンローが生い茂る脇で、なんだか全部、栄養をそちらにもっていかれている、そんな感じがするのだが。
玄関に回り、扉の脇のプランター、ラヴェンダーを見つめる。昨日水をやったせいか、ますます生き生きとした姿。今二本挿し木してあるのだが、その片方がとても勢いがよい。ぐいぐいと新芽を伸ばしてくれている。ふと、去年ここに植わっていたはずの、アメリカン・ブルーの姿を思い出す。コガネムシに根を食われさえしなければ、今頃アメリカン・ブルーもここに在たはずだろうにと思うと、なんだか切ない。また今年、どこかで出会うことがあるだろうか、出会ったらぜひ、またここに戻ってきてほしいと思う。
部屋に戻り、顔を洗う。少しひしゃげた顔が鏡の中に浮かんでいる。これが自分の顔なのかと思うと、ちょっと不思議な気がする。しっくりいくようないかないような、そんな中途半端な気分。
目を閉じ、自分の内奥に潜り込もうとして、止める。それ以前に、私には今、気になることが在る。昨日からずっと、眠りの中でまでも考えていた。
人との距離のとり方だ。昨日改めて、自分はまだまだなと痛感した。なんというかこう、近づきすぎてしまった距離を断る術が、うまくないのだ。
何処で赦してしまったんだろう、と思う。何がそうさせてしまったのだろう、と。もっと前の段階で、私は断りを入れることができたんじゃぁなかろうか、と。
自分の領域に、土足で入り込まれても、それが大丈夫な領域であるときと、そうじゃない奥の領域であるときとがある。土足で入り込まれたとき、人はどうやってそれを断るんだろう。それが、まず、分からない。どうにかせねば、とは思うのだが、うまい断り方が、見つからない。
でも。
断らないままでいたら、こうして私の中に欲求不満が溜まってゆくのだということ。それがありありと、分かる。それはやがて膿になって、私を苛む。
醜い、と思った。醜い自分が在る、と。それが何より、厭だと思った。でも、間違いなく、在るのだ、そういう自分、が。
間の取り方、距離の取り方を、もっと学ばなければいけないと思う。
それから、昨日のあれは何だったんだろう。彼女がもう私に夢は何もない、なりたいものはなにもない、残りの時間はあまりもののようなもの、と言ったとき、さっと胸の辺りに走った痛みは。あれは何だったんだろう。あまりもののようなもの、という言葉を聴いたとき、その痛みがとりわけ強くなったのを覚えている。
もしかしたらほんのちょっと、思い出したのかもしれない。自分のかつて、を。自分にはもう夢なんて何もない、何も残っていないと、思ったことがあった。幼い頃から抱いていた夢は木っ端微塵に砕けた。もう二度と戻れることは、なく。もしかしたら私は、その時の自分をさっと、思い出したのかもしれない。
でも、同時に、違うことも知っていた。少なくとも彼女は、残りの時間をちゃんと受け止めている。私は、残りの時間なんてと拒絶した。すべてを失くして、もう残りの時間もへったくれもあるものか、と、私は何もかもを否定した。あんな私と、彼女とは、大きく異なる。
すごいな、と思った。そう思えるってすごいな、と。素直に思った。
その両方が同居して、私の胸をちくちく刺した。
ひとしきり、そのことを思い出し、私はほっと息をつく。溜息にも似たものを。そうして再び、目を閉じる。
穴ぼこのすぐ脇に、再び残骸が山になっていた。私がいない間に吐き出したんだろう。それが何だかは、すぐ分かる気がした。私が溜めていた欲求不満が、今そんな形になっているのだ、と。分かる気がした。
私はそれらを拾い集め、足元に山にし、試しに乗っかってみた。ぱりぱり、と音を立てて砕けてゆくそれら。でも、まだ砕けないものも在った。それはきっとまだ、私が抱えているものなのだろうなと思った。
穴ぼこは、何となく遠くを見やっているような、そんな気配がした。また吐き出すことになって、疲れたのかもしれない。私はだから黙って、隣に座った。
穴ぼこに、そっと尋ねた。疲れてるんだよね? すると穴ぼこが、小さく笑った。もう仕方ないといった具合に、小さく小さく笑った。そんな気がした。まるで、自分はそういう役どころだからと、諦めているかのようだった。
それが、切なかった。
私にできることはせめて、何だろうと思った。耳を欹てると、微かな音が、つーっという微かな音が、聴こえた。
できるのはそうして、一緒に在てくれることだけだよ、と、まるでそう言っているかのようだった。私は申し訳なくて申し訳なくて、俯いた。でも、本当にそうだなとも、思った。私にはそれしか、今は、できそうに、ない。
穴ぼこから吐き出されてくるものにその都度気づいて、それらをかき集め、後始末して、一緒に在ること。それだけ。
でもきっとこれまでは、それさえ怠っていたんだろうと思うと、たまらなくなった。同時に、顔を上げずにはいられなくなった。しかと、今の穴ぼこの、疲れた姿を目に留めておかなければと思った。刻んでおかなければ、と、そう思った。
そうしてしばらく一緒にいて、私は、立ち上がった。また来るよ、と、できるだけ元気な声で言った。そう、また来る、大丈夫。
目を開けると、蛍光灯の光が眩しくて。暗闇から一気に光の洪水の下引っ張り出されたかのようで。私は手を翳す。

Secret Gardenの、Dawn of a new centuryが流れている。その音に励まされるように、私はお湯を沸かす。ハーブティー、オレンジスパイサーを入れて、とりあえず椅子に座る。
雨はその間も、降り続いている。

「もし悲しければ、悲しいままでいなさい。そこから逃げようとしないように。退屈していることは、もしあなたがそれを理解するなら、途方もない意味をもつのだから、それと共に生きなさい」「困難は、いかにしてそれと共にとどまり、逃げ出さないでいるかということです」「私たちは情緒的・精神的に自分自身を消耗させてしまっているのです。私たちはあまりにも多くのことを、多くの感覚を、多くの気晴らしを試してきました。あまりにも多くのことを試し、それで私たちは鈍感になり、疲れ果てたのです」「たえず手を伸ばし、動き回ることは疲れることです」「すべての感覚刺激のように、それはすぐに精神を〔飽きて〕鈍らせてしまうのです」「私たちは感覚から感覚へと、興奮から興奮へと動き回る、そんなことばかりしています。そしてしまいにはクタクタになってしまうのです。そこでそのことを悟り、もうそれ以上進まないことにし、休息をとります。静かにして下さい。精神がひとりで強さを取り戻すようにさせましょう。それを強いないで。土が冬の間に生気を取り戻すように、精神は静かにしているのを許されるなら、それは自らを新たにするのです。しかし、精神が静まるのを許容することは、それをすっかり休ませておくことは非常に難しいことです。というのも、精神はたえず何かをしたがっているからです。あなたが本当に自分自身にあるがままの状態でいるのを許すことができれば―――つまり、退屈していたり、不快だったり、ぞっとするような状態のままでいられるようにするなら、そのとき、それに対処する可能性が生まれるのです」「あなたが何かを受け入れたとき、あるがままのあなた自身を受け入れたとき、何が起こるでしょうか? あなたがげんにあるあなた以外の何でもないということを受け入れるとき、問題はどこにあるのでしょう? 問題は、私たちが物事をあるがままに受け入れず、それを変えたいと願うときのみ生じます―――これは私が満足を擁護しているということではありません。その反対です。もしも私たちがあるがままの自分を受け入れるなら、そのとき私たちは自分が畏れているものが、私たちが退屈とか絶望と呼んでいるもの、恐怖と呼んでいるものが、完全な変化を遂げるのです。そこには、私たちが恐れているものの完全な変容があるのです」「獲得は、積極的なものでも消極的なものでも、重荷です。獲得するやいなや、あなたは関心を失うのです。所有しようとして、あなたは目覚め、関心を抱きます。しかし、所有とは退屈なのです。あなたはもっと所有したいと思うかもしれません。しかしさらに多くを獲得しようとする追求は、たんなる退屈へと向かう運動にすぎません。あなたはいろいろなかたちの獲得を試みます。そして獲得への努力があるかぎり、関心があります。が、獲得にはつねに終わりがあります。だからいつも退屈があるのです」「精神にとっての困難は、静かにしていることです。精神はいつもあれこれ思い煩っているからです。それはいつも何かを求め、獲得したり拒否したり、探したり見つけたりしています。精神はいっときも静かにしていません。それはたえまない運動です。過去は、その影を現在に投げかけ、それ自らの未来をつくります。それは時間の中の運動であり、思考の間にはほとんど間というものがありません。休みなしに一つの思考がもう一つの思考を追うのです。精神はいつも自らを鋭くしていますが、そうして自分をすり減らしてしまうのです」「精神はたえず自分を使い、それで消耗してしまうのです。精神はいつも終わることを恐れています。しかし、生きるとは一日ごとに終わることです。それはすべての獲得、記憶、経験、過去に向かって死ぬことなのです」

じゃぁね、それじゃあね。手を振って別れる。玄関を出て、校庭の端のプールを見やる。幾つもの波紋を描いたプール。紅色の傘をもって出る。
通りを渡ってバス停へ。やって来たバスは混み合っており。誰もがどこか俯きがちで。なんだか私もそれに習って俯いてしまう。
海と川とが繋がる場所、橋のたもとに、海鳥が集っている。みな雨宿りをしているのだろうか。雨足は強くなるばかり。
気持ちを切り替えていこう。そう思った瞬間、鴎が一羽、飛び立った。

さぁ、一日がまた始まる。


2010年04月21日(水) 
寝汗が酷い。何度も途中で目を覚ます。そのたびあまりの汗に、着替えなくてはならず。朝起きたときには、枕元に三枚の脱ぎ捨てたシャツ。それを抱えて洗濯物籠に持ってゆく。体調が思わしくないことが寝汗になって出たんだろうか。そこまで体調が悪かったつもりはないのだが。それにしても、本当によく汗をかいた。
窓を開けると、すっと忍び込んでくる風。心地よいという言葉がちょうどぴったり合うような、そんなひんやりとした空気。ベランダに出て、大きく伸びをする。そのままの姿勢で空を見上げると、雲が薄くかかってはいるが、明るい色。今日は晴れるのだということを知る。
強くも弱くもない、風が流れ続けている。雨上がりの今朝、ほんのりと遠くは霞がかっている。そのかすかな霞を眺めながら、私は深呼吸もしてみる。濡れた後のしめった空気が、胸いっぱいに広がる。
心配したとおり、薔薇の樹のあちこちに、粉の噴いた葉を見つける。マリリン・モンローにもベビーロマンティカにもパスカリにも。他の諸々の子たちにも。私は一枚一枚、それを摘んでゆく。懲りずに摘む。粉だけを吸い取って病気を治す掃除機みたいなものはないものか。つくづく思う。せっかく萌え出た新芽を、こうして摘んでゆくのは、結構辛い。申し訳なくて申し訳なくて、たまらなくなる。でもこれをしないと、病気は拡がるわけで。いたしかたない。
病葉を摘みながら、ベビーロマンティカの、ずいぶん膨らんできた蕾を見つめる。秋に咲いたのとはまた大きさが違う。ひとまわり大きい。この違いは何なんだろう。樹ががっしりと根を張っていてくれている証なんだろうか。同じ樹でも、同じ種でも、ひとつとして同じ蕾などなく。当たり前のことなのだけれども、その当たり前を見るたび、私は圧倒される。この世にひとつとして同じものなどないということを、改めて思い知らされる。比較などしようもない、唯一無二の存在。あぁでもそれは、人も、同じ。
部屋に戻ると、ココアが入り口のところに齧りついて、がしがしと音を立てている。おはようココア。私は声を掛ける。そんな声などお構いなしに、彼女はがしがしと噛み続けている。今は無理よ、と声を掛け、私はそのまま弁当作りを始める。
もやしとピーマンをさっと炒める。申し訳ないが今日の野菜はこれだけで勘弁してもらう。それから娘から注文を受けていた、肉団子を作る。それらを適当に飾りつけ、端っこには苺を盛って。玉子焼きも入れて。あとはおにぎりを添えて。それで終わり。適当弁当でごめんな、とちょっと心の中で謝りつつ、赦してもらうことにする。
洗面台で顔を洗う。今日はあまり顔を見たくなくて、鏡を覗くのはやめておくことにする。そのまま目を閉じ、自分の内奥に向かう。
おはよう穴ぼこさん。私は声を掛ける。穴ぼこは、しんと静まり返っている。ちょっと離れたところから見ていると、まるでもう何十年も使われていない井戸の跡形のようにさえ見える。でも、穴ぼこは、死んでいるわけではない。そこに生きて、在ることを、私は知っている。
疲れているのだろうと思った。それまでしたことのないことをすれば、誰だって疲れる。だからこそのこの静けさなのだろうと思った。
隣に座ってみると、穴ぼこは、眠っているわけではなかった。それまでいっぱいいっぱいになっていたものを吐き出した後の、がらんどうのような感覚に、陥っているのようだった。私はだから、ただ座っていることにする。
ふと、穴ぼこに誘われるようにして、私は思い出す。幼い頃、こうしてひとり、野の端に座って、よく歌を歌って過ごしていた。それは世界中何処を探してもないメロディばかりで。要するに、私が即興で作った歌ばかりで。もちろん中には、好きな童謡なども含まれてはいたが、たいがいはそうした即興の歌ばかりで。でもそれはとても楽しくて楽しくて、いくらでも時を過ごすことができた。そういうときに見上げる空は、たいてい高く澄んでおり。季節によっては、雲雀の声や鶯の声が、何処からか響いてきたものだった。誰にも見つからないよう、大きなすすきの茂みの陰や竹薮の陰に座り、そうして何時間も私は時を過ごした。
また、別のことも思い出した。祖母に教えてもらう和紙人形。それを作るのが、とても好きだった。和紙の感触は、とても柔らかく、素朴で、手によく馴染んだ。顔を作るのが、一番緊張した。顔の丸み、それから前髪の長さによって、顔はがらりと変わるのだった。だからいつでも、息を止めて、その作業を為した。祖母が選んでくれる和紙の色味は、たいてい赤か紫で。それらの中から、その娘に似合いの柄を選んで、着物を着せるのだった。出来上がった人形を、ひとつひとつ、並べては、眺めて過ごした。なんともいいようのない、至福の時だった。
埋まっていたんだな、と思った。ごぼごぼの下に、それらのあたたかい記憶が、すっかり埋まっていたんだ。だから思い出す隙もなかった。ごぼごぼはそれほどに、厚く堆積していたから。
他にもきっと、いっぱい埋まっているんだろう。私が辛かったりしんどかったりした思いの下に、きっと素敵なことが、あったかいことが、いっぱい埋まっているんだろう。
穴ぼこは、少し、寂しそうだった。今まで慣れ親しんだごぼごぼが亡くなった後の、そのがらんどうに、寂しさを感じているようだった。それも、当たり前のことか、と私は思った。それほどにこれまで、ずっとずっと、抱えてきたのだから。
でもそのからっぽになったところに、今度は風が吹く。風が流れる。そうすれば、自然、いろんな音が聴こえてくるはず。鳥の声や波の音や、風の音や。ずっとずっとそういったことから離れて過ごしてきたのだから、もうここからは、そういったものの中に在て、いいんだよ、私は声を掛ける。穴ぼこは、まるで聴いていないかのように、黙っている。
ふと思う。まだまだ、穴ぼこにはお世話になるのかもしれない。私は未熟な人間だから、いくらでもどす黒いものは在って。これからだってもちろん在って。だから、まだまだお世話になるのかもしれない。でも。
あんな、ヘドロになるほど、放っておくことは、もう、ない。
その都度、気づいていけば、いい。その都度気づいて、手当てしていけば、いい。そう、思う。
穴ぼこは、もうしばらく、ひとりでぼうっとしていたい、そんな気配だった。だから、私はそのまま立ち上がり、挨拶し、その場を後にした。また来るよ、と、約束して。

「私たちはあらゆる手段を自分を支えるために利用します。そして怒りは、憎しみと同じく、その最も容易な手段の一つなのです」「もしもあなたが怒りの中に深く、その表面をかすめるだけでなく、入っていくなら、その中には何があるでしょう? なぜ人は怒るのでしょう?」「なぜあなたは傷つくのでしょう? 自分が重要だから、ではありませんか? それでは、どうして自分は重要なのでしょうか?」「それは人がある観念を、自分自身についてのシンボル、自己イメージ、自分はどうあるべきか、どうあってはならないかという考えをもっているからです。なぜ人は自分自身についてイメージをつくり出すのでしょうか? げんにある自分を一度も、実際に研究したことがないからです」「怒りを目覚めさせるのは、私たちが自分自身について抱いている理想、観念が攻撃を受けることです。自分自身に関する私たちの考えは、ありのままの自分という現実からの逃避なのです」「げんにあるものを観察し、それを見て、実際にそれと親しむには、判断や評価、意見や恐怖があってはならないのです」「怒りは寛容さをもって観察され、理解されねばなりません。それは暴力的な手段を通じて克服されるものではないのです。怒りは多くの原因によってひき起こされたものかも知れません。そしてそれらの理解なしには、怒りから逃れるすべはないのです」「敵と味方は共に私たちの思考と行動の産物です。私たちは敵の創出に責任があり、だから私たち自身の思考と行動に気づくことの方が、敵や味方と関わるよりも重要なのです。というのも、正しい思考は分割を終わらせるからです。愛は敵と味方を超越します」「あなたが無思慮で、無知と憎悪、貪欲にとらわれているかぎり、世界はあなたの延長なのです。しかし、あなたが真剣で、思慮深く、そして目覚めるとき、そこには苦痛と悲しみを生み出すこうした醜い原因からの分離があるだけでなく、その理解の中には、完全性、全体性があるのです」

最近、娘の甘え度合いと反発度合いとが、強烈だ。甘えるときは、猫のようにごろごろと、いや、それよりもっと強烈に、こちらに圧し掛かってくる。かと思うと、口をへの字にしてぶすっとした顔で返事もしないことがある。おお、反抗期の始まりか、と、私は心中面白がっているのだが、本人としてはどうなんだろう。
私が反抗期に入った頃なんて、意識どころの騒ぎじゃぁなかった。或る日突然、父が不潔に思えて、たまらなくなって、父を露骨に避け始めた。それが契機になって、どどどっと反抗期に入っていった気がする。
そういえばそれって、初潮と関連していたかもしれないなと思う。誰にでもある、そういう時期なんだろうとは思うのだが、それにしては、私の反抗度合いは酷かった。今なら笑える。
或る意味、娘との付き合いは、ここからが正念場なんだろうな、なんて思ったりもする。娘にとって、思い切り反抗できる相手でありたい、と、そう思う。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。ほんのり甘い味が、ようやく分かるようになる。昨日は全くそれが感じられず、せっかく飲むお茶だというのに、もったいないことをした。味が少しでも分かるというのは、本当に、それだけでありがたい。
朝、いつもの仕事は棚上げし、展覧会の準備を始める。今回、写真と言葉とを組み合わせて展示する予定。その言葉の部分を、プリントアウトする、という、それだけの作業なのだが、紙が余分にあるわけでもなく。プリントに結構気を使う。
私がプリンターと睨めっこしていると、娘が起きてくる。ママー、見てー。なに? ほら、ブタさん。そう言って娘は、ミルクを手に挟んで私に見せる。ブタさんって、あなたがミルクを潰してるだけじゃんよ。私が笑うと、だってこの顔がたまらなくかわいいんだもーんと言いながら、ミルクにキスしている。朝から熱烈なことで、と私はからかう。
娘が鏡の前に立ったかと思うと、私が流していたBGMに合わせて踊り出す。どう見てもそれは、ドリフターズの真似としか思えないのだが、それが本人にとってはいいらしい。あれやこれやバージョンを繰り広げ、床にまで寝転がって、踊っている。
ねぇママ、私だけ、アルトリコーダー、色が違うんだよね。あ、そりゃ、ママのお古だからね、仕方ないよ。新しいの、買って欲しかったな。えー、今更そんな…。買うとき、どうするって尋ねたじゃない。だって、あの時、ママ、お金ないなぁって言ってたから。あ…、ごめん。でもさ、なんでママのアルトリコーダーは白なの? なんでって言われても、ママの時は、みんな、こういう色のを学校が買ったの。ママのって、ソプラノリコーダーも白だよね。私の茶色だよ。うん、そうだね、違うね。でも、違うから目立っていいじゃない。えーー、やだよ、目立つのやだ! へ? 目立つのやなの? あなた、いつでも目立ってるじゃん。そんなことないって、いつでもおとなしくしてるって。何言ってんの、それそのまま、家庭訪問のとき、先生に言ってもいい? え、やだ。
ママ、友達って、ほんと、何なんだろうね。どうしたの? 何かあった? 塾の友達とさ、学校の友達って、どっち大切なの? どっちって…それはあなたが決めていいことだと思うけど? なんかさー、学校の友達が大切って言うと、まるで塾の友達を裏切ってるみたいになるじゃん。そうなの? そんなことないと思うけど。でも、そう言われた。あぁなるほど、そんなことを言われたから、今、考え込んでいるわけね。うん。別に、どっちが大切でもいいんじゃない? だめ? うーん、なんか、裏切り者とか言われると、結構ショック。そりゃショックだねぇ。うんうん。でもさ、友達なんて、自分で選んで自分で決めていいんだよね? うん、そうだよ。そういうものだよ。無理矢理付き合うなんて、それって友達じゃぁないよね? そうだね、そうだと思うよ。自分が思うとおりにすればいいさ。そっか、うん、そうする。

じゃぁね、それじゃぁね。玄関先で手を振って別れる。朝日を受けて、ラヴェンダーの緑が輝いている。まだ小さな小さな芽ではあるが、それでもあちこちから新芽を出している姿、力強い。
坂を下り、小さな横断歩道を渡る。目の前の公園は、緑に燃えており。陽射しを燦々と受けて輝く緑は、目に沁みる。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。昨日の雨で、残っていた桜の花はほとんど散り落ちた。そういえば、友人夫婦は今週毎朝、早く起きて桜を見て回っているのだそうだ。夫婦でそういうことができるって、素敵だな、と思う。
銀杏の葉は、ぐんと伸びて、今、赤子の手のような葉が、ちらちらと風に揺れている。私はそのまま、まっすぐに道を走る。
さぁ、今日もまた、一日が始まる。今日という一日、が。


2010年04月20日(火) 
がしがしと、噛む音がする。起き上がって見てみると、ココアが扉のところに齧りついているところ。音の大きさからするとミルクを想像していたのだが。最近ココアも、このがしがしの音がずいぶん大きく派手になってきた。おはようココア、私は声を掛ける。ココアはそんな声はどうでもいいの、と言わんばかりの勢いでがしがしやっている。
窓を開けると、どんよりとした曇天。空一面、薄鼠色の雲で覆われている。ひんやりとした空気が流れている。微風ながら、風が流れている。街路樹の萌黄色が、そんな空の下、鮮やかに浮かび上がる。まだまだ柔らかいその色味。私は手を伸ばしてそっと触れてみる。ひんやりとした、でも何処かあたたかいその温度に何となく口元が緩む。
イフェイオンの萎びた花殻を摘んでゆく。まだ咲き残っているものもあり、それらは懸命に空を向いている。水色と蒼との間のようなその色味が、もうじき終わりであることを物語っている。
ミミエデンに粉の噴いた葉を見つける。パスカリにも。私は順々に摘んでゆく。ミミエデンの方は、葉だけでなく、その根元から粉がついていることが分かり、私は根元からくいっと新芽の束を折る。せっかくここに現れた新芽だというのに、そう思いながらも、これをしなければ、もっと病気は拡がってゆくのだから、仕方がない。
ベビーロマンティカとマリリン・モンローの蕾は、しんしんとそこに在り。まさに、孕んでいるという言葉が似合いそうな気配。そう、生命を孕んでいるのだ、そこに。だからこんなにも静謐で、美しい。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中、ぼんやりと自分の顔を眺める。まだ眠り足りないというような表情に、ちょっと苦笑する。昔よりずっと長く眠れるようになったのに、何を贅沢言ってるんだ、という気がする。これだけ眠れるようになっただけでも、儲けものというものだ。
私は目を閉じ、内奥に沈み込む。
ごぼごぼの残骸が、そこに在った。昨日のようなヘドロではなく、まさに残骸、だ。元々の形など、もう分からないくらいに砕け、朽ちて、そこに在った。私はその欠片を、ひとつずつ、拾い集めてゆく。
ふと見ると、穴ぼこが、傍らで微かに震えていた。まるで、怯えているかのようだ。どうしたのだろうと声を掛ける。すると、さらにその震えは大きくなる。
まだごぼごぼと何かを吐き出したいのだろうか、と一瞬思ったが、でも、それよりも何よりも、今穴ぼこは怯えているのだと分かった。
あぁそうか、こんなことをしてはいけない、と、穴ぼこは思っているのだ。私は声を掛ける。そんなことないよ、大丈夫だよ、と。
穴ぼこは、やがて、すすり泣き始めた。
私はただ、隣に在ることにした。ただ黙って、寄り添っていることにした。
穴ぼこはひとしきり泣いたのか、じきに泣き止んで、そこに在った。私は間を置いて、穴ぼこにそっと触れてみた。
泣き疲れているはずなのに、穴ぼこはびくんと大きく震え、私の手を怖がっているようだった。だから私はそっと、そのまま手を置いていた。
そうだよね、あなたは、泣いた後、こんなふうに手を置いてもらったことなどないんだものね。感情を吐き出すのは罪、泣くのも罪、だったものね。私はそう話しかける。
でも、多分もう、そんなことはないから。というよりも、私の内でどれほどどくどくごぼごぼやろうと、そんなこと、構わないから。それに泣くのは自然なことでしょう? だから、そんなふうに怯える必要はないんだよ。
怖かったんだよね、ずっと。見捨てられることが。そうしてしまうことで、見捨てられることが、怖かったんだよね。でも、私はあなたを見捨てることなんてしないから。
穴ぼこが、さらにまた泣いているのが分かった。私はだから、ただそばに在た。
私は私の、こうした怯えて萎縮しているものたちを、順繰り撫でていってやらねばならないな、とその時思った。穴ぼこだけじゃぁないだろう、きっと、もっともっとたくさんのものたちが、こうして怯えて、凍えているに違いなかった。
なんだかひとつ、憑き物が落ちたみたいな、そんな感じがした。吐き出すだけ吐き出して、その後、空っぽになるまで泣いて。だから今この空間は、澄んでいた。ただ私と穴ぼことが、そこに在るのみ、だった。
穴ぼこは、疲れ果てたのか、動かなくなり。気配さえ動かなくなり。もしかしたら眠っているのかもしれない、と思った。小さな小さな吐息だけが、規則正しく、伝わってきた。だから私は、また来るね、と挨拶して、その場を後にした。

「人は恐怖から自由にならなければならないのですが、それは行なうのが最も困難なことの一つです。私たちの大部分は自分が恐れていることに気づいておらず、何を恐れているのかに気づいていません。そして自分が何を恐れているのかを知っても、どうすればいいかがわからないのです。だから私たちは現実の自分から、恐怖から逃げ出します。そしてその逃走が恐怖を募らせるのです。かくて私たちは不幸なことに、逃走のネットワークを発達させてきたのです」「私たちにとって思考は非常に重要です。それは私たちがもっている唯一の道具です。思考は経験を通じて、知識を通じて、伝統を通じて蓄積されてきた記憶の反応です。そして記憶は時間の産物であり、動物から受け継いだものです。この背景と共に、私たちは反応するのです。この反応が思考です。思考は特定のレベルでは不可欠なものです。しかし、思考はそれ自らを未来として、また過去として、心理的に投影します。そのとき、思考は快楽同様、恐怖をつくり出すのです。そしてこのプロセスの中で精神は鈍らされ、それゆえ、無活動〔=怠惰〕は避けがたいものとなるのです」「物に、人に、または考えに依存することは、恐怖を育みます。依存は無知から、自己理解の欠如から、内的な貧しさから起こります。恐怖は精神-心の不確実感を生み出し、コミュニケーションと理解を妨げます。自己理解を通じて、私たちは恐怖の原因を発見し、理解し始めます。表面的なそれだけではなく、深い層にある思いがけない、累積された恐怖を。恐怖には生まれつきのものと後天的に獲得されたものとがあります。それは過去と関係します。そして思考-感情をそれから解き放つには、過去は現在を通じて理解されなければなりません。過去は、たえず現在の中に生まれ出ようとしており、それは〈ミー〉、〈私のもの〉、〈私〉の記憶に同一化しようとします。自己がすべての恐怖の源泉なのです」

お湯を沸かし、お茶を入れる。何となく、両方飲みたくて、生姜茶とオレンジスパイサー、両方を小さめのカップに入れてみる。それぞれ立ち上る香り。微かに感じられるそれらに、ちょっと笑ってしまう。こんな、両方いっぺんに入れたって、しょうがないじゃない、と思いながらも、そうしたかったんだからそれでいいじゃないという思い。カップを机の端に置いて、とりあえず朝の仕事に取り掛かる。

坂を上ると、右一面、丘がハナナダイコンの花で埋もれている。その所々に菜の花がまだ咲いており。丘の一番上に立つ桜の樹には新芽がぼうぼうと萌え出ており。モンシロチョウたちが集っている。まるでそこだけ、別世界のような色合いで。私は思わず立ち止まる。
そういえば、玄関先に挿し木したラヴェンダーからも、新芽がにょきにょき出始めていたことを思い出す。そういう季節なのだ。

鞄に入れたい本が見つからず、本棚の前をうろうろする。ちょっと前から、活字を拒絶している自分がいる。それを何とか戻したい、そう思って探すのだが、うまいものが見つからない。
高村薫の文庫本に伸ばした手を引っ込め、梨木香歩の文庫本に伸ばした手を引っ込め。小川洋子や佐々木譲にも手を伸ばしてみるのだが、やっぱり引っ込め。山本周五郎のながい坂を読むのもいいかもしれないと思ったところで、ふと目が留まる。
そうか、久しぶりに、これがいいかもしれない。手に取ったのは、星野道夫の「長い旅の途上」。とりあえず、ここからぱらぱらと読んでみようか。

じゃあね、あ、待って、はい、そう言って娘が差し出した手の上にはミルクがこてんと乗っている。昨日私のほっぺたを齧ってから、私はミルクを避けていたのだが。ママ、ミルクがごめんねって言ってるよ。ええー、ほんとに言ってるのかなぁ。言ってるってば! なら赦す、はい、撫で撫で。私は娘の手のひらの上のミルクの頭を、こにょこにょと撫でる。
階段を駆け下り、ゴミを出してから自転車に跨る。大声で携帯電話で話をしている男性の脇をすっとすり抜け、坂道を下る。公園は、一面緑の渦で。これからもっともっと、萌え出してゆくのだろうと思うと、ちょっとぞくぞくする。
大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。そのすぐ脇の土手に、桜が一本だけ植わっており。その桜がこの辺りで最後の花になるだろう。上の方、ほんの少しだけ、残っている花。風にさやさやと揺れている。そのたびに流れてゆく花びら。
モミジフウからも新芽が現れ出した。黒褐色の幹に、微かな萌黄色。あぁこれからなんだ、ということを確かめ、私はさらに走る。
海は暗緑色の波を重ねており。海と川とが繋がる場所に、鴎が集っている。飛び跳ねる魚を狙っているのかもしれない。
さぁ、今日もまた一日が始まる。私はそうして、再び自転車に跨り、走り出す。


2010年04月19日(月) 
灰色の空が広がっている。でもそれは明るい灰色で。空一面を覆う。私はその空の下、ひとつ深呼吸をしてみる。冷気が肌に気持ちいい。
イフェイオンはこの週末、ずいぶん花が枯れた。いや、枯れたというより、終わった、というべきか。茶色く縮れた花殻が幾つも。私はそれを順々に摘んでゆく。ふと思う、イフェイオンにとって、あの霙はどんな感じだったんだろう。思ってもみない出来事だったんじゃぁなかろうか。私はその霙を越えて、雪の降り積もる場所へ行った。それはようやく現れ始めた緑や咲きかけの桜に降り積もる白い雪の景色で。いつも見る雪景色より何故かそれは寒々しく感じられ。雪に埋もれる美術館に入ると、しんと静まり返っていた。かつんかつんと、私の靴のかかとの音が響き渡る。その音と共に私は作品を見て回る。中でもガラス絵に惹きつけられ、何度も繰り返し見てしまう。その間も雪は降り積もっており。廊下に出ると、ガラス窓の向こうは一面真っ白で。思わず目を細めた。二つ目の美術館もすっかり雪に埋もれており。美術館の前に広がる大きな大きな池には薄い氷が張っており。私が雪を投げると、ぱしゃっと割れて雪球が水の中に落ちる。でも次の瞬間には雪球は浮かび上がり。氷の間にふわりと浮かんだそれは、溶け始めたカキ氷のようで。そこだけ鮮明な色合いを帯びて浮かび上がっていた。見回すと山々はみな頂に雲を抱いており。そこには一体どんな景色が広がっているのだろうと、私は思いめぐらした。一羽の鳥の姿さえ見られない、雪の中だった。
ミミエデンは今朝も裸ん坊のまま、そこに在る。新芽らしい新芽は今のところなく。だからうどん粉病の具合がどうなっているのか、まだ分からない。パスカリたちは、一番新しく開いた新芽に粉をもっており。私は早速それを摘む。ぐるりと見渡して、向こう側、マリリン・モンローの蕾がもうだいぶ膨らんできた。こんな天候のもとでも、こうやって律儀に膨らんでくるのだから、生命の力というのはなんて偉大なんだろう。私はその蕾をしばらくじっと見つめる。葉の色よりも一段、二段明るい緑色のそれは、張り詰めたようにそこに在った。
部屋に戻り、すっかり散り落ちた山百合を片付ける。この留守の間に、ひっそり落ちたのだろう。ありがとうと声を掛けながら、私はそっとゴミ箱へそれを落とす。ガーベラはまだそのままに咲いている。だいぶ丸みを帯びた花びらではあるが、それでも明るい煉瓦色のその色味が、テーブルの上、輝いている。
鏡の中、自分の顔を覗く。まだ少し眠り足りない顔がそこに在った。昨夜は娘がじゃれついてくるのを相手にしていたら、あっという間に時間が過ぎた。そういえばそんな中で彼女がこんなことを言っていた。自分は夢をしょっちゅう見るのだけれども、それは必ず現実になるんだ、と。二、三日すると、必ず夢であった出来事が現実に起こるんだ、と。やけに真剣なまなざしで、そう言っていた。
私にも昔、そういう時期があったなと思う。夢の出来事がそのまま、本当にそのまま、現実に現れる。そのたび、気が遠くなるような思いがした。またか、と思った。それがいい夢ならばまだしも、たいがい私の夢はしんどい夢で。だから、それが現実になることが、たまらなく嫌だった。娘はどうなんだろう。娘にとってその夢と現実とは、つらいものなんだろうか。それともまた、違ったものになっているんだろうか。
顔を洗い、目を閉じて、自分の内奥に向き合う。
「サミシイ」は、少し哀しげな目をして、そこに在た。ずっと遠くを見やる目で、そこに在た。私はそっと隣に座って、ただ黙って座ってみる。
「サミシイ」は思い出しているのだと思った。いろんなことを、思い出しているのだ、と。一昨日見たガラス絵や版画が引き金になって、いろいろなことを思い出しているのだな、と。
それはもう、戻らない日々だった。過ぎてしまった過去だった。それを「サミシイ」はただじっと、見つめていた。
私はその隣で、自分がしてきたことを、改めて省みる。もう取り戻しようのない時間を。あの事件が、大きく私を変えた。あの事件を境に、私の人生はこれでもかというほど転がり堕ちた。そのことはもう、厭というほど分かっている。
じゃぁ今更、「サミシイ」は何を見ているのだろう。それが気にかかった。今改めて「サミシイ」が訴えたいことは何なんだろう。
ふと思った。「サミシイ」は今に満足なんて、これっぽっちもしていないんだな、と。まだまだ、今に生きてはいないのかもしれない、と。
「サミシイ」を今に生かすには、どうしたらいいんだろう。私は考える。
私が私を、生きること。単純に言えば、そういうことなんだろう。でもそれは、果たして、とてつもなく難しい。
私は掛ける言葉もなく、ただ隣に座っていた。「サミシイ」が見つめるコトがどんなことなのか、少し分かる気がした。もうそれだけで、胸が一杯になった。
私は、しばらくそうして座っていたが、今掛ける言葉が見つからず、その場を後にした。今は「サミシイ」に何も、不用意に言葉を掛けない方が、いいように思えた。
そうして私は今度、穴ぼこに会いにゆく。穴ぼこは穴ぼこのまま、そこに在った。私はおはようと声を掛ける。そうして、穴ぼこの中の怒りにも、一緒に声を掛ける。
穴ぼこは、少し膨らんだかのようだった。大きさがどうこう、じゃなく、気配が、こう、膨らんでいる、そんな感じだった。
私は穴ぼこに寄り添い、そこに座り、話しかける。ねぇ穴ぼこさん、あなたは私の中のいろんな負の感情を、こうして食べて、ここまで来てくれてんだよね。今食べようと努力しているのは、きっと、不安って代物なんだよね。違う?
私に見せないように、食べてしまおうと思っているのでしょう? ありがとうね。でも、見せてもいいんだよ、だってそれは、私が抱いた代物なのだから。アメーバーさんとも約束したの、もう見ないふりはしない、って。
穴ぼこは、ごぼごぼと音を立てた。何だろうと思って見やると、穴ぼこから、黒い、どす黒い何かが、吐き出されてくるところだった。あぁ、穴ぼこは、こんなものまで内側に溜めていたのか、と、改めて思う。かわいそうに。
いろんなことが不安で。だからいらいらもするんだよね。それで自分を崩しちゃいけないと思うから尚更、体がぎしぎし鳴るんだよね。
ごぼごぼと穴ぼこから出てきたどす黒いものは、私の足元までやってきて。私の足を呑みこんでゆく。
羨ましい羨ましい羨ましい、何もかもが羨ましい、どうしようもなく羨ましい、どうしてみんなそんなふうに生きていられるのか、それ自体がもうすでに羨ましい。そう思っているのでしょう? 私は声を掛ける。
もちろんその人たちにも苦しいことはあって、しんどいことはあって。そんなこと分かっているし、だから、あなたは羨ましいなんて思うことまでも否定して、自分がおかしいと否定して、泣いているんだよね。
羨ましいって思ったっていいよ。私は言ってみる。思ったって、いいんだよ。あなたがしんどい分を、私にも分けて。それで、いいんだよ。
つらいよね、しんどいよね、たまらないよね、どうしてこうなってしまったんだって思うよね、私もずっとそう思ってた。どうしてこんなになっちまうんだろう、ってそう思ってた。そう思う自分も、厭で、たまらなかった。いや、そう思う自分が一番、厭だった。だから、口を噤んだ。
羨ましいし妬ましいし、たまらないよね。でもそれ、噤む必要なんて、ないよ。ね。そうやって比較してしまう自分がいることを、認めれば、それでいいよ。それでいいと思うんだよ。違うかな? そこからまた、始めれば、それでいいんだよ。
泣いていいよ、喚いていいよ、しんどいって言っていいよ。そろそろ、ここから脱しよう。ここから卒業しよう。そうして、またここから、始めよう。
ごぼごぼは、まだごぼごぼ、ごぼごぼと、何かを吐き出していた。穴ぼこは震えるように泣いていた。私もまた、泣いていた。
それはまだ当分、時間がかかりそうだった。だから私は、そのままでいいんだよ、ともう一度声を掛けて、立ち上がった。
零れた涙を拭うのが躊躇われ、もう一度顔を洗った。私の中にはもっともっと、どす黒いものが、在ると思った。それを出し切らないと、次にはいけない、そんな気がした。

表面的に見たら、私は間違いなく、すんなり進んできたように見える。中学も高校も大学も、それだけのところに行っていたら、それ以上何が不満なの、と嘲笑われる。
苦労なんて、これっぽっちも知らないで、ここまで来たんだといわれても、おかしくはない。
今は今で、不自由な生活ではあるが、それなりに生きてる。
恵まれてるね、と言われても、なんら、おかしくない。

でも。一体何が分かる。そこに在ったものの何が、他人に分かる。分かりやしないのだ。分かってくれと言うもの、それはそれでおかしい。分からなくて、当たり前。
そういうことも、分かってる。
だから私は笑っているわけで。それがおかしいとは思わない。
でも。

クルシイ。クルシイと、思う。

私はもっと、自分に近寄ってあげなければ、と思う。もっと自分自身に寄り添ってあげなければいけないな、と。
そうしたら私はもっと、軽やかに、笑える、そんな気が、する。

久しぶりに弟に会う。激変続きだった環境にも挫けることなく、それを乗り越えてきたという自負をもった弟が、そこに在た。私がもう余計な言葉など何もかけずとも、そこにそのまま自分として在る、そんな、弟がそこに在た。
私はだから声に出さず、心の中だけで、よく頑張ったね、と、声を掛けた。
その隣で、私の娘と彼の息子とが、はしゃいで遊んでいた。

じゃあね、それじゃあね。手を振り合って娘と別れる。
久しぶりに乗る自転車。何だかもうそれだけで嬉しくて、私は勢いよく漕ぎ出す。公園の桜はすっかり散り落ち、代わりに葉を伸ばし。もうすっかり緑の茂みに変わっている。じきに、この辺りにまでその緑の匂いが立ち込めるようになる。
大通りを渡り、高架下を潜る。最後の最後に残っていた落書きも、消された。薄いクリーム色の壁に変わった。一瞬立ち止まり、私はまた自転車を漕ぎ出す。
銀杏の樹にはたくさんの新芽。萌黄色のそれは朝日を受け輝いており。少しずつ雲の間から零れ始めた陽光に、きらきらと輝いており。
さぁ今日もまた一日が始まる。唯一無二の、今日という一日、が。


2010年04月17日(土) 
がしがしがし。音がする。起き上がって見てみると、ココアとゴロ、両方ともが、籠の扉のところに齧りついている。おはようゴロ、おはようココア。私は声を掛ける。待ってましたとばかりにさらに勢いづくゴロとココア。私は苦笑する。ちょっと待って、今は無理だからと断って、窓辺に行く。窓を開けると冷気が瞬く間に滑り込んでくる。雨だ。いや、違う、雨じゃない、霙だ。ぱちぱちと音を立てて降っている。アスファルトに叩きつけるように降るそれは、弾かれてぱちんと飛び上がる。私は手を伸ばしてみる。手のひらの上、落ちてくる霙は、一瞬ぱちんと弾かれ、再び落ちて溶けてゆく。
イフェイオンの上にも霙が降る。でも土の上だからだろう、落ちてもそれは自然で。弾かれることもなくすんなりと沈んでゆく。
薔薇たちのプランターは庇の下に置いてあるから、今のところ大丈夫だ。これが斜めに入ってきたらいっぺんでやられてしまうが。風が強くならないことを祈るばかり。
部屋に戻ると、テーブルの上、山百合とガーベラとが咲いている。明るい橙色と明るい煉瓦色とのグラデーション。そこだけほっくりと灯りが点ったような気配。私はそれらを水切りし、再び活ける。多分、この週末で終わりなんだろう、特に山百合は。花弁にずいぶん皺が寄っている。ここまで咲いてくれたことに感謝するばかり。
ココアとゴロは、まだがしがしと扉のところに齧りついている。私はしゃがみこんで、まずココアを手に乗せる。ココアはやったとばかりに、私の腕を伝い、肩にまで上がってくる。そして私のうなじのあたりをぐるぐると回る。てちてちと、小さな手で私のうなじを叩くのがこそばゆい。その間に私は、昨日残した洗い物を済ますことにする。昨日はちゃんとお弁当を作って持たせたというのに、帰宅してからも娘はさらに、うどんを食べ、おにぎりを食べた。ついでにヨーグルトも。太っちゃうよ、と声は掛けたが、今太ってないからいいんだもん!と返事があった。確かに、いくら食べても彼女は太ることがない。羨ましい。
洗い物を済ますと、今度はゴロ。ゴロを肩に乗せるのだが、彼女は掴まっていることがとても下手で。ずりずりと落ちてきそうになる。そのたび私はお尻を押してやる。洗い物を拭いて、片付けている間、何度お尻を押したか。それでも、そうやって構っていることが、彼女は嬉しいのか、なかなか離れようとはしない。
洗面台に向かい、顔を洗う。鏡の中、映る顔は少し白く。ぼんやりしている。まだ眠気が残っているのかもしれないと、もう一度冷水で顔を洗ってみる。
そうして瞼を閉じ、内奥に耳を傾ける。胸の奥の方、背中に近いあたりに鈍い痛みを感じる。いや、痛みというより、苦い何かだ。何だろう。私は目を凝らす。それはよく見ると、私の背中の内側にぺたり、貼り付いており。まるでアメーバーのような感じがする。とりあえず、挨拶してみる。おはよう。ぺたりと貼り付いているアメーバーは、そんな声に関係なく、まるで増殖しようとしているかのような雰囲気。細胞分裂でもして増えていくつもりなんだろうか。それほど、私は何か、溜め込んでいるものをもっているんだろうか。そんなつもりは全くないのだけれども。
アメーバーさん、あなたは何がそんなに不愉快なの? そう、不愉快、そんな感じがしたのだ。何故かよく分からないけれども。私はそうして尋ねてみる。アメーバーからは何の返事もない。ただ、アメーバーの体はよく見ると、暗緑色の光をまとっており。ところどころ、光る点があるのだった。
すると、いきなり返事がある。そりゃ不愉快なんだよ、君がはっきりしないから。言われて、私は困る。何のことだか全く分からない。不愉快って言われても、私はそんな不愉快じゃないんだけれども、と思う。でもそのまま、耳を傾けていることにする。
なんだか知らないけど、やけに厄介事を抱え込むじゃぁないか、それが不愉快なんだよ。そう言われても。私はそんなつもりは全くないのだけれども。それが不愉快なんだって言ってるんだよ。
アメーバーは不愉快極まりないといった風情で貼り付いている。私の言葉で余計に不愉快さは増しているようで、体が縦に横にと膨張する。
自覚がないっていうところに、腹が立つんだよ、そうやって、自分を浪費しているって気がつかないわけ? アメーバーは続ける。人がいいっていうのにも、程があるんだよ、それで自分がぶっ倒れてたら、意味ないじゃん。アメーバーは呆れたように言う。私は閉口する。ぶっ倒れてたら意味がないって、それはそうだ。私が何かを引き受けて、そのたびぶっ倒れているんじゃぁ何の意味もない。
しかも、私たちのような者の、つまり、君の内側にいるものの声に耳を傾けるより、外に傾けることの方が、君は格段に多くて、それもいらいらする。アメーバーは続ける。もっと自分の内側とうまくつきあってくれよ、でないと、こっちはもう勝手に振舞うしかなくなるよ? 君のことなんてお構いなしに、っていうか、君がこっちを構っていないわけだから、こっちはこっちでやるしかなくなるじゃないか、それでいいわけ?
私は首を傾げる。最近できるだけ、内側の声に耳を傾けているつもりだった。でもそれじゃぁ全く足りていないということを、アメーバーは言っているのだろうか。
それで何となく、合点がいった。そうか、こうして耳を傾け始めた私だけれども、アメーバーに気づくのにはずっと時間がかかって。だからアメーバーは不愉快なのだ、自分がさらにないがしろにされているような気分がしたんだ、きっと。私はごめんね、と謝ってみる。アメーバーは、大きな溜息をひとつ、つく。
人生、有限なんだからさ、限りがあるわけなんだからさ、自分をこそ大切にしなくてどうするよ、自分の世話、他の誰がみてくれるよ、みてくれないだろ? 死んでから後悔したって遅いんだよ? 分かってる? あぁ、うん、それは、分かってる。いや、まだあなたが言うほど分かっていないかもしれないけれども、少しは分かってる。アメーバーはまたひとつ、溜息をつく。
ついこの間のことだってそうだよ、誰かしらの話を聴きながら、君は、羨ましいってことだって悔しいってことだって思ったはずなんだよ、でもそれを、無視したろ? 無視…したのかな? 少なくとも、見ないふりしたろ? 見ないふりっていうか、あぁそういう自分はいやだなぁとは思った。ほら! え? そうやってこっちを無視していくんだよ、君は。
私はアメーバーが不愉快極まりないと主張する理由が、少しずつ分かってきた。アメーバーはつまり、私の内奥にそのつど湧き出てくる私の素直な何かを、私が見てみぬふりをしたり、否定までいかなくても、或る意味での拒絶をしたりすることを、ずっと見てきたのだ。それが、厭で厭でたまらないのだ。なるほど、そうか。それもごもっともだ。
分かった、じゃぁ、私は、これからは、否定はしないようにする。あぁ、そういう感情や感じがわいてくるんだな、とか、そこにそれが在るんだな、って、いうふうに、受け容れて、できるかぎり受け容れていくようにするから。それでいいのかな?
アメーバーは、じっとこっちを見ている。そんなこと今更できるわけ? といったふうに、こちらを見ている。私はただ黙って、アメーバーを見つめ返す。
否定しないことが大事なんだよね。拒絶しないことが大事なんだよね。違うかな? …。私がそれをあるがままに受け容れて、認めることが、大切なんだよね?
アメーバーは黙っている。しばらくそうやって黙ってこちらを見つめている。
受け容れた上で、認めた上で、そこからまたどうするかは、私が為していけばいいんだよね? 私は重ねて聴いてみる。
アメーバーの、それまで縦横に膨張して、不愉快さを一面に出していたのが、ふと止まった。私はそれを感じながら続ける。とにかくやってみるよ。やってみて、また違うなと思ったら話し合おう。その時アメーバーがふと言った。
嫉妬も羨望も恐怖も、否定するもんじゃぁないよ、それはそれで、在るものなんだよ、在って当然なんだから。できるのは、否定することじゃなくて、受け容れて、認めて、その上で越えていくことなんじゃぁないのか?
あぁ、そうだ、と思った。だから私は頷く。ありがとう、教えてくれて。そうだよね、私はそうしているつもりで、でも見ないようにしたり拒絶したりしているところが確かにあった、うん、これからは、そうしないようにしていくよ。ありがとう。
アメーバーはその途端、ひゅん、と小さくなって。いや、貼り付いてはいるのだが、アメーバのようにどくどくしたものではなくなって。ぺたりと壁に貼り付いているシミのような、そんな代物になった。
目を開けると、アメーバーの、あの暗緑色の体と光る点々が、まだ目の中に残っていた。

霙は止むことはなく。降り続き。朝一番のバスは、始発にも関わらず混んでおり。私たちは後ろの席に何とか座る。窓にぱつぱつと当たる霙。その音を聴きながら、私たちはバスに揺られてゆく。
じゃぁね、それじゃあね、手を振って別れる。娘は右へ、私は左へ。
電車に乗り込み、しばらくすると、家々の屋根がうっすらと雪をまとうようになった。あぁそんなにも冷え込んでいるのかと改めて思う。緑の畑に、雪が積もっている様は、何だか不思議な気がする。でも、その色合いは美しく鮮やかで、思わず目が止まる。
窓の向こう、地平線に沿って、空を覆うのよりもずっと濃くて厚い厚い雲が澱んでいる。あの中では今一体何が起きているんだろう。すっかり姿が隠された山では、今何が起きているんだろう。
さぁ、今日もまた、一日が始まる。


2010年04月16日(金) 
息が苦しい。そう思って目を開ける。珍しく鼻が思い切り詰まっており。どおりで息苦しいはずだと納得する。起き上がると、ゴロがやっぱり起きている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは、後ろ足で立ち、こちらを見上げている。あなたは本当に早起きなんだね、と私は重ねて声を掛ける。そうして娘が起きる頃にはまた寝てしまう。だから娘とは入れ違いが多い。そのせいでミルクやココアと比べて、外に出してもらえる回数が格段に少ない。そのことを思って、私はとりあえず、ゴロを肩に乗せてやる。ちょっとだけよと断って。
私はゴロを肩に乗せたまま、窓を開ける。外は雨。そぼふる雨。アスファルトも屋根もどこも、濡れそぼっている。街路樹の新芽ももちろん濡れている。私は手を伸ばして葉を弾いてみる。ぽろろん、と跳ねる雨粒。きれいな円弧を描いて落ちてゆく。
イフェイオンにも雨粒が。私はさっきと同じように指で弾いてみる。ぽろん、ぽろんと落ちてゆく雨粒。土に吸い込まれ、消えてゆく。
ミミエデンは相変わらず裸ん坊で。庇のおかげで濡れてはいないが、私は心配になる。こう雨が続くと、うどんこ病が。大丈夫だろうか。
パスカリに、粉の噴いた葉を見つけ、私は早速それを摘む。パスカリは二本あって、二本目にも粉の吹いた葉が。私はそれも摘む。ベビーロマンティカやマリリン・モンローの蕾は、まるで凍りついたかのようにそこに在って。じっとそこに在って。私はそれをただ見つめる。微風に震える気配さえないその蕾は、生命をぎゅっと凝縮させた、そんな感じがする。命の塊。
見上げる空は、一面鼠色の雲に覆われ。隙間など何処にも、ない。ゆっくりと流れてゆく雲ではあるが、さて、今日は雨が上がるんだろうか、どうなんだろう。
部屋に戻り、いんげんと豚バラとを味噌味で炒める。その間に鶉卵を茹でておく。お弁当に詰めて、端っこに苺を添えて、お握りを握り、出来上がり。あまりにも簡単で申し訳なくなるが、でも、ないよりは、いいだろう。赦してもらうことにする。
洗面台、鏡を覗く。そういえば昨日は久しぶりにダウンした。夕飯を作るところまでは何とかなったのだが、娘に夕飯を食べさせた途端、がくん、と来た。娘にはひとりで風呂を用意してもらい、私は横になる。あぁこりゃもう駄目だ、と思い、目を閉じる。ぐんぐん泥沼に引き込まれてゆくような感覚。
自分に無理をかけていたつもりはない。ただ、疲労しているな、という感覚は、どこかにあった。でももうちょっと何とかなるだろう、もうちょっと踏ん張れるだろうと思っていたのだが。突然来た。横になりながら、甘かったな、と、自分の判断を反省する。
そんな、昨日のことを思い出しながら、鏡の中、顔を覗く。まだ疲労の気配が残ってはいるが、まぁそんな悪い顔ではないだろう、と思う。顔をばしゃばしゃと洗い、ゆっくりとタオルで拭う。もう一度鏡の中顔を覗くと、少し白い顔色をした、顔がそこに在った。
目を閉じて、自分の内奥に耳を傾ける。
すると最初に、触れてきたのは、「サミシイ」だった。おはようと私は挨拶をする。「サミシイ」は体育座りをして、ちょこねんと砂場に在る。そしてこちらをじっと見ていた。私はそんな「サミシイ」をじっと見つめる。不思議なことに、「サミシイ」の足元には、貝殻が幾つか、転がっていた。一体何処から拾ってきたのだろう。と思ったとき、あぁ、「サミシイ」が集めてきたんだ、ということは、「サミシイ」は何処かを散歩してきたんだ、ということに思い至った。それはとてもとても嬉しいことで。私は思わずにっと笑った。それに気づいたのか、「サミシイ」は恥ずかしそうに下を向いてしまった。
その貝殻は、白くて、でもちょっと苔むしていて、ずいぶん長い時間を経たものなのだということが分かった。そして気づいた。あぁ、この貝殻は、私が昔拾って、そして父に棄てられたものだな、ということに。
そして思い出した。一度だけ、家族で海へ行ったことがあったということを。私は思い出した。砂粒が足についただけで泣き出す弟に手こずっていた母は、あっという間に私を見失い。父母は、ほぼ一日中、私を探し続けたという。
もう駄目だと、警察に連絡しようと思ったとき、沖の方で、男子学生たちと遊んでいる子供がおり。そこに声を掛けると、返事があったという。まさか、と思いもう一度声を掛けると、間違いなく私の声で。父は仰天して、私をひったくるように抱いて、車に放り込んだ。以来、うちの家族は一度として、海へは出掛けなくなった。
あの時、私は本当に楽しくて。海へ初めて行ったことがまず楽しくて。そして、海に向かって飛び込んだんだった。わくわくやどきどきが、もう、心臓が飛び出すほどどくんどくんと体中を脈打っていて。その時、何処からかやってきた男子学生たちが、私の相手になってくれた。私を浮き輪というものに乗せて、沖へ連れて行ってくれた。私はもう、見るもの触れるものすべてが初めてで。もうたまらなく楽しくて。その学生たちが、潜ってはきれいな貝殻を拾って上がってきた。それを私に呉れた。私は初めて見る貝殻というものの美しさにいっぺんに魅了され。もうただひたすら、海で遊んでいた。何もかもが楽しくて楽しくて、仕方がなかった。
今なら分かる。その間、父母がどれほどの思いで私を探していたのだろう、と。それはとてつもない思いだっただろうな、と。思い出すと、苦笑せずにはいられなくなる。申し訳ないと共に。
でもあれは、私にとって、子供時代の数少ない、楽しい思い出のひとつ、だった。光り輝く鉱石のような、大切な思い出のひとつ、だった。でもそのことを、今の今まで忘れていた。あの日から父母は、二度と海へ行かなくなったことや、それから数日家に閉じ込められて過ごしたことや、貝殻を全部窓から投げ捨てられたことや、様々なことが重なって、私は思い出すのをやめてしまった。でも。楽しかったんだ。
そうか、楽しいことも、数えるほどだけれど、あったなぁと、改めて思い出す。寂しいことばかりじゃなかった、悲しいことばかりじゃぁなかった、楽しいことだって、確かにあった。私の子供時代、捨てたもんじゃぁ、なかったのかもしれない。
父母とのことだって。確かに哀しいことが多かったけれど、辛いことが多かったけれど、とんでもないことも多々あったかもしれないけれど、でも。それもまた、捨てたもんじゃぁないのかもしれない。
角度を変えて見れば、また違った見方が、出来るかもしれない。
「サミシイ」の足元、貝殻を見つめながら、私はそんなことを思っていた。ふと見ると、「サミシイ」は今までの「サミシイ」ではなく、ちょっとえくぼの在る、小さな女の子になっていた。
ふと、円枠家族描画法で描いた絵を思い出す。私は円枠の中にとうとう、自分を描けなかった。円の外でしゃがみこんで、ちいさくなっている自分だった。そして私に接する円には、母のシンボルであるマチ針が、びっしりと突き刺さっており。その円枠を私が越えようとすると、その針は私を傷つけるのだった。入ろうとして傷ついて、それなら出ようとしてまた傷ついて。その繰り返しだった。父も母も、一応円枠の中には一緒にいたが、何処かそっぽを向き合っており。私と一番遠い位置に、彼女たちは在るのだった。
今はどうだろう。今の私たちを描くなら。少なくともマチ針は、突き刺さってはいない。私はやはり円の外ではあるが、少なくとも針は刺さってはおらず。そして父母は、多分、隣り合って立っている、んだと思う。
少しずついろんなものが変化している。
私が再び顔を上げると、「サミシイ」もこちらを見つめており。私は「サミシイ」に笑いかける。思い出させてくれてありがとう、と笑いかける。そう、ここで、「サミシイ」も、変化していっている。
じゃぁまた来るね、そう言って私は手を振る。「サミシイ」はちょっと首を傾げて、こくんと頷いた。

母と会う。母はこの間会ったときよりさらに小さくなっており。頭の毛も薄くなっており。あぁ病はまだ彼女にとりついているのだな、と胸が痛くなる。
母や父の望むような「娘」になるには、一体どうしたらいいんだろう、と考える私が在り。そのことにはっと気づいて、苦笑する。まだ私はそんなことを考えてしまうのか、と。それでも、頭は勝手に考えるのだ。どうしたら、母や父の言うところの「娘」になれるんだろう、と。

倒れ伏した私に、娘が言う。もうちょっと横になってた方がいいよ。もう大丈夫だよと私が起き上がろうとすると、今起き上がっても何もすることないよ、大丈夫だよ、と重ねて言う。私はその声に励まされるように、再び横になる。
ぐるぐると、いろんなことが頭の中を回っている。父や母がこれを見たら、何と言うんだろう、なんてことまで考えている自分が在り。私はさらに苦笑する。一体私は何処まで父母にとりつかれているんだろう、と。もう、いい加減、自分を解放してやればいいのに、と。
ふと横を見ると、娘がひょっとこ顔をしてこちらを見つめている。いや、見つめているのとはちょっと違って。私を笑わせようと、とにかく変な顔をして、そこに在る。志村けんの真似、加藤茶の真似、とにかく思いつくもの全部、やってのける。私は笑い出してしまう。よくもまぁこんなことができるものだと思いつつ、同時に、申し訳ない気持ちにも、なる。こんなことを娘にさせてしまう自分で在ることが、情けない。でも今は、ただ笑っていよう。情けないなどと思ったって、何もどうにも、なりやしない。

じゃぁね、それじゃぁね。娘が差し出すミルクの背中を私は撫でる。気をつけてね。うんうん、それじゃぁね。手を振って別れる。
雨はまだ降り続いている。しとしと、しとしと、校庭のはじっこ、プールにも雨は降りそぼり。
やってきたバスに飛び乗り、ぼんやりと窓の外を見やる。窓を流れる雨粒が、落ちては消えて、消えては落ちて。名もない絵がそこに、浮かび上がる。
川を渡るところで立ち止まる。暗緑色をした流れ。コンクリートに岸を埋められながらも、川は滔々と流れ。
私は再び歩き出す。今日もまた、一日が、始まってゆく。


2010年04月15日(木) 
何かが動いている、そんな気配がする。起き上がって見てみると、ちょうどゴロが回し車を回しているところ。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女はその途端、回し車を降り、こちらにひょこひょことやってくる。そうして扉のところに後ろ足で立ち、構ってよのポーズをする。その仕草がなんだかとてもかわいくて、私はつい指を伸ばし、彼女の頭をこにょこにょと撫でる。それじゃぁ全く満足しないというふうに、私の指をぱしと手で挟んでくる。私は思わず笑ってしまう。
窓を開けるとしっとりと雨が降っている。鼠色の重たげな空。隙間なく雨雲は空を覆っている。あぁこれは一日中雨なのかもしれないと思いながら、私は空をじっと見つめる。
屋根も街路樹も濡れている。濡れた若葉がなんだかちょっと寒々しい。鼠色の空の色を映したかのように、萌黄色も今日はちょっとくすんでいる。
イフェイオンが足元で、雨粒を湛え、顔を上げている。すっくと立つその姿は潔くて。私は思わず見惚れる。こんなふうに、雨だろうと晴れだろうと、立っていられたら、どれほど気持ちがいいだろうと思う。
ベビーロマンティカとマリリン・モンローの蕾は、徐々に徐々に膨らんできている。マリリン・モンローは、ここからさらに倍くらいには膨らんで、そうして花開く。花開くまで、どのくらいの時間がかかるだろう。今日は何処にも粉を噴いた葉の姿がないことに気づく。いや、怖いのは、この雨の後、だ。雨ができるだけ早くさっぱりと上がってくれることを、私はただ祈るばかり。
金魚がゆらゆらと、水槽の中、泳いでいる。このところ、金魚に餌はやっても、こうしてゆっくり泳ぐ姿を眺めたことはなかったなと思い出す。ついついハムスターたちに目がいってしまって、窓際のこの水槽の存在を、忘れてしまいがちになっている。いけないなぁと思いながらも。そろそろ水槽を洗ってやる時期かもしれない。今度晴れたらきっと、それをしようと私は心にメモをする。
部屋に戻り、洗面台で顔を洗う。今日はなんだか顔がすっきりしている。正直、昨日はあまり眠れなかった。何度も何度も目が覚めて、そのたび溜息をついた。それでもこんなふうに顔はさっぱりしているのだから、私は休むことはできたんだろう。ちょっと納得がいかないけれども。
目を閉じ、自分の内奥に耳を傾ける。すっと落ちるように、目の前が暗くなる。
暗い、だ。おはよう、私は挨拶する。暗いは、諦めきった目つきで、こちらをちらりと見やる。そういえば暗いには目や鼻、口といったものはない。ないのだが、そこに気配は感じられる。
私は正直、彼女に掛けられる言葉が見つからない。あまりにも伝わりすぎるから、その諦め具合が、だから、これ以上何の言葉を掛けたらいいのか、それが分からない。だから私はただ、彼女に寄り添う。
いろいろなものを、諦めてきた。手放してきた。手放さなければ、棄てなければ、私はあの場所であの頃を生き延びることはできなかった。それでも、悲しかった、虚しかった、どうしてこんなふうにせっかくのものを棄てなければならないんだろうと思った。父が私の本を窓から投げ捨てるかのように、私は真夜中ひとり、父母にこっそり隠れて、私の内奥にあるものを棄てていった。そうやって、私は生き延びてきた。
ごめんね、と思う。父にされることがたまらなかったくせに、私は同じことを、あなたにしてきたんだと思う。だから、ごめんね。本当にごめんね。
同時に、ありがとうとも思う。
あなたがそうやって、私の代わりになってくれなければ、私はあの頃を、どうやって生き延びてこれただろうと思うから。
取り戻すことも、やり直すことも、もはや、できる位置にはいない。過去を変えることなど、できやしないのだから。
でも何だろう、またここから、始めることは、できる、と思う。
ここまでずたぼろにされても、あなたはここに存在していてくれて。だから、私は今ようやくあなたに気づくことができて。だから、私はここから、改めて始めたいと思う。
あなたが本当に私にしてほしいこと、いつかあなたから聴くことができたらなと、だから切に思う。
その瞬間、暗い、が、ひとまわり小さくなった。
私は言葉を繋ぐ。
そのために、私は、あなたに耳を澄ましていたいと思う。あなたに耳を澄ましながら、今私が何ができるのかを、いつも問うていたいと思う。
暗いは、私をじっと見つめていた。小さくなった暗いは、それでも暗くそこに在ったけれど、それでも小さくなって、私を見ていた。
私はまた必要なとき、あなたに会いに来るから。また会おうね。そう言って私はその場を離れる。
私は目を開けて、鏡の中を見つめる。私に出来ること。それは、何だろう。そのことを、私はちゃんと気づいて考えていなかくちゃいけないな、と思う。
食堂に戻ると、ゴロがまだ、扉のところに張り付いている。私は根負けして、彼女を肩に乗せる。そうしてお湯を沸かす。
テーブルの上、山百合とガーベラとが今日も咲いている。ガーベラの花びらはもうずいぶん丸まってきた。もうじき終わりなんだよとそのことを私に知らせている。私は花びらに触れながら、分かっているよ、と返事をする。山百合も山百合で、花弁がずいぶん萎びてきた。じきにぽとりと花殻が落ちる日が来るのだろう。それまでは、それまではここで、咲いていてほしい。
オレンジスパイサーというハーブティを最初入れてみたのだが、なんだか違う、どうも違う、そう思って、生姜茶を入れ直す。やっぱりこっちだ。オレンジスパイサーは、水筒に入れて、とっておくことにする。しばらくはあたたかいままでいてくれるだろう。

確かに、私は勝ち組のように見えるのかもしれない。
父母が望んだことを、そのハードルを、そのたび越えてはきた。越えられるという才能が、少なくともあったと、人は見るのかもしれない。友人が言う。羨ましい、と。それができたということが羨ましい、と。
それはとても、よく分かる気がする。
弟が、そうだった。姉貴が羨ましいと、いつもいつも言っていた。私は弟の不器用さをよく知っていた。彼がどんなに努力しても、叶わないことを、私がいとも簡単にしてしまうこと、その現実も、よく分かっていた。
弟から見たらそれは、どんなに残酷であるのかも、だからいつも思った。
その弟は、年頃になると、荒れ狂った。これでもかというほど、家の中に嵐を起こした。部屋の壁という壁は彼の拳によって穴ぼこだらけになり、扉という扉は、折れ曲がった。俺の気持ちがおまえらに分かるものか、と、荒れ狂った。
私はそれを後ろで見つめながら、羨ましい、と思った。
こんなふうに、爆発できたら、どんなにいいだろう、と思った。もちろん弟は爆発しながら、どんなに悲しかったか。どれほどの悲しみや虚しさを抱えていたのか、そのことも、思う。でもやっぱり、私は、彼がそうできる、そのことが、羨ましかった。
もし私にその力があれば、もし私にそのエネルギーがあれば。そう思った。
そういえば、私は人によく、羨ましいと言われるな、と思う。その強さが羨ましい、その才能が羨ましい、いろんな角度から、そう言われる。
そのたび、私は、切なくなる。ぎゅうっと心臓を鷲掴みにされるような感覚に陥る。
私は何も好きで、そうしているわけじゃなく。必死になってそれをしているだけのことであって。ただその必死さを見せないだけのことであって。
本当は。
でもそんなこと、言葉に出すものでもなく。
だから私はいつも、笑って流す。そして心の中、思う。私の方こそ、あなたたちがとてもとても、羨ましいんだよ、と。

でも今なら分かる。そうやって比較しあったって、何も生まれないということも。
だから私は今なら、羨ましいという友人の言葉も、そのままに受け取ることができる。
そうして、私はやっぱり笑っている。

人の言葉は本当に難しい。そんなつもりがあって言ったわけじゃないことが、驚くような誤解を生むことが多々ある。
それでも人はやっぱり、人の間にいてこそ人間なのであって。
人の間にいて、コミュニケーションを交わさずには、おれないのだ。

人間という字は本当に、うまくできた字だな、と、つくづく思う。

そうしてふと、ヒトのアイダに在ることさえ、できなかった時期があったなと思う。それはまだ遠い昔ということはできない距離にある。だから私は時々、ぎゅうと胸が鳴るのを感じる。
私を見る人たちが、あなたはいつも人の輪の中にいるだとか、世界と繋がっているように見えると言ってくれるたび、ぎゅうと胸が鳴る。
ヒトのアイダになど、とてもじゃないがいられない時期があったから。だから今があることを、私は少なくとも、知っている。そんな自分を、知って、いる。

じゃぁね、いってらっしゃーい。緑のおばさん役をこなして、私はみんなに手を振る。傘の花を咲かせて、学校へ向かってゆく子供たち。私はそれに背中を向け、バス停へ走る。
バスの窓に雨粒がかかる。ひっきりなしに降り続く雨。その中を走る混み合うバス。
さぁ今日もまた、一日が始まる。私は駅へと駆け出してゆく。


2010年04月14日(水) 
体が冷たい、と思って目を覚ますと、布団をすっかり娘にぶん取られていた。娘はまるでハムスターの如く、体を丸め、布団にぐるりと包まって眠っている。私はといえば、薄手の毛布一枚きり。これじゃぁ寒いわけだと納得する。そういえば娘は昨日、下着一枚で寝入った。それできっと寒かったのだろう。それにしたって、厚手の毛布も上掛けも全部持っていくことはなかろうに。ちょっと恨めしい。
ゴロがこちらを窺っている。私の動く気配が伝わったのだろう、籠の扉のところにひっしと掴まって、何かを待っている様子。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女は鼻をひくひくさせ、こちらをじっと見つめている。あまりのその凝視する様子に負けて、私は彼女を肩に乗せる。ちょっとの間だけだよ、と言ってみるが、伝わったかどうか。ゴロは、私の左肩で、ちょろちょろ動きながらも、落ちないよう、ひっしと掴んでいる。私は娘の今日のお弁当の用意をさっさと済ますことにする。昨日作っておいた浅漬けの胡瓜と、シュウマイとメンチカツ、それから苺。おにぎりを握って、それで終わり。あまりに簡単な作業。それでも、コンビニ弁当よりは、いいだろう、と自分を納得させる。
ゴロを籠に戻し、窓を開ける。今日明日は冷えると言っていたのだが、そうでもないなと思う。空がとても明るい。もしかしたらきれいに晴れるかもしれない。空を見上げていた目を落とし、街路樹へ。萌黄色の新芽が、朝の光の中、きらきらしている。瑞々しい若葉。まだまだ赤子の手のひらのよう、小さくてやわくて。
イフェイオンの花は徐々に徐々に、終わりに近づいているのが分かる。枯れた花殻を三つ、四つ、摘む。そのまま視線をミミエデンに移すと、ようやく出てきた葉が粉を噴いているのを見つける。あぁ、ようやっと出てきたというのに。かわいそうに。思いながらも、摘まないわけにはいかない。ふと見ると、ベビーロマンティカの葉の一枚が、粉を噴いている。私は慌ててそちらも摘む。とうとうベビーロマンティカやマリリン・モンローにも現れ始めたか、という感じ。こちらにも念のため、近いうちに石灰を撒いておく必要があるかもしれない。パスカリたちは、今のところ、大丈夫そうだ。私は一旦部屋に戻る。
顔を洗い、鏡を覗く。ちょっと目が腫れぼったい。別に泣いたわけでも何でもないのだが、どうしたのだろう。首の位置が悪かったんだろうか。私はとりあえず軽くマッサージをしてみる。それでも右目のぽってりさは、解消されないのだが。
目を閉じ、体の内奥へ耳を澄ます。もやもやもちくちくも、すっかり片付けられ、隙間のできた胸の辺り。涼しい風が吹く。片付けられると、こんな隙間ができて、こんな風が吹くものなのだな、と、改めて思う。住み慣れた部屋であるのに、まるで引っ越してきたばかりの部屋であるかのようだ。でもそこはまだ何となく暗い。この暗いのには、何か理由があるんだろうか。私はじっと耳を澄ましてみる。
暗いは何処か、疲れており。疲れているというか、疲弊しており。何となく寂しげでもあった。何故そんなに疲れているの? 私はその暗いに向かって問いかけてみる。
暗いは、ただぼんやりと何処かを見やりながら、そこに在た。何だか何もかも放り出して、或る意味諦めているかのようで。私の中の後景のひとつなのかもしれない、と、その時思った。
いろいろなものを諦めてきた。自分が本当にしたいと思うこと、父母のさせたいすべきということではない、そこから外れたことたち。したくても、それはできなかった。とてもじゃないけれどもできなかった。父母から、おまえはこんな子だったのか、と言われるのが怖かったから。絶対に表には出せなかった。
でも、私はいつも、父母が認めるようなことではない、別のことを、あれこれ思い描いていた。でもそれを表に出したら、私はその瞬間、否定されるに違いなかった。否定されることが、怖かった。拒絶されることが、何より怖かった。これ以上拒絶されたら、もうそこに在ることはできないと思った。
だから、父母の気に入ることを、選んでやってきた。父母が認めてくれることを、何とか必死にやってきた。自分のしたいことは自分の中に押し込めて、父母が認めてくれることを、懸命に。
暗いは、そんな、私に虐げられてきたものの、象徴のようなものだと感じられた。私が虐げてきた私自身。そんな感じがした。
あなたは今私に何をしてほしい? 私は暗いに向かってさらに問いかける。
暗いは、やはり何処かをぼんやり見やったまま、そこに在る。
あぁそうか、もう主張することなど、忘れてしまったのだな、と気づいた。あまりに虐げられすぎて、忘れてしまったのだ、きっと。それが、分かった。
私が今あなたにできることがあるとしたら、どんなことだろう? 私は、暗いに向かってと同時に、自分自身にも尋ねてみる。
過去を塗り替えることは、できない。過去に戻ることも、これまたできない。だから、私は今ここから、やっていくしかない。
その、今ここから、私は、私がしたいことが何なのかを、自分を軸にして、やっていくことなんだろうな、と思った。他人軸ではない、自分を軸にして、それを、やっていくことなんだ、と。
暗いが、ちらりとこちらを見た。いや、気のせいかもしれないが、そんな気配がした。
私は暗いに寄り添って、じっと座っていた。耳を澄まして、座っていた。微風の吹き込む胸の辺り、暗いが横たわるその辺りで、じっと座っていた。
私の批判的な何かが、口を出した。そんなこと今更できるわけがないでしょうが、と。今の今まで気づかず、虐げ続けてきた代物を、今になって取り上げて、どうこうできるわけがないでしょうが、と。
確かに、そうなのかもしれないけれども。でも、私は今、暗いに気づいてしまった、気づいたからにはもう、無視はできない。私は暗いの存在をもう知っているのだから。私は言い返す。それに、今そんなふうに批判的になるあなたには、出てきて欲しくないの、ちょっとの間でいいから、向こうに言っていて欲しいの、とお願いする。
そうだ、いつだって、私がこうかもしれないと思うと、この、批判的なモノが出てきて、私の気持ちをへし折るのだ。それは、父母の様子を見て、私が父母の背中から感じて、私自身が自分の中に作り上げた、代物なのかもしれない。確かに父母も、鼻で嘲笑することが、多々あった。いや、それ以前に、鼻にもひっかけてもらえないことが、多々あった。でもこの批判的な何かは、私がそういったことから、作り上げてきた幻影なのだと思う。私が私を批判し、私の鼻を挫く、そういう代物だ。そう思った。
あとであなたの言い分はいくらでも聴くから、今は私は暗いの声が聴きたいの、だからもうちょっと待っていて、私はお願いする。
そうして再び、暗いのそばに座る。
暗いは、さっきより一層、諦めたような、疲弊したような気配を色濃くし、そこに在った。かわいそうに、そう思った。
そうだよね、羽ばたくこともできなければ、自分の足で歩いていくこともできない、そう思ったんだよね。所詮私は、と、そう思ったんだよね。私の思うことなんて誰も聴いてくれない、誰も耳を貸してはくれない、それどころか、拒絶され嘲笑われるだけなのだ、と、そう思って、あなたは口を噤むしかなかったんだよね。
叶うか叶わないか、分からないけれど、でも、それに向かっていくことは、間違いなんかじゃないよ。きっと。誰かにとって、じゃなく、私にとってどうなのか、ってことなんだよね。私にとってそれが、大切なことなら、それを為すために努力して、いいんだと思うよ。
批判的な何かがまた口を出す。何言ってんの、今更。もうそんなこと言ってられるような身分じゃぁないでしょうが、生活だって逼迫してるのに、そんな悠長なこと、どうして言えるのかねぇ、信じられない、そんなんだからいつまでも、おまえはどうしようもないって言われるんだよ。批判的な何かが、まさに嘲笑した。
私は溜息が出た。あぁ、私の中には、こんなにも強い批判的なモノがまだあったか、と。でもこれも、私の一部なんだということが、今なら分かる。私が育んできた、ものの、ひとつなんだ、と。
暗いは、さらに首を垂れ、まさにうなだれていた。
ねぇ暗いさん、私はまだまだこれから、あなたの話を聴きたいと思うのよ。だから、そこに在て、私を待っていてね。私は、またここに来るから。私は暗いに向かって言ってみる。ね、また来るから、待っていてね。約束したよ。
目を開けてからも、批判的な何かの声はぐるぐる私の中を回っており。
私はテーブルの上の花に目をやる。昨日山百合の一輪が、ぽてんと落ちた。突然のことだった。まさに、ぽてん、と。音を立てて落ちた。残り二輪、今、咲いている。何処までもってくれるだろう。もう少し、もう少し。その脇でガーベラが咲いている。ガーベラは、花弁を少し丸まらせながらも、まだもちそうだ。明るい煉瓦色のその色を眺めながら、私は自分の中の批判的な声に呑み込まれぬよう、背筋を伸ばす。

ママ、なんで演技とかってあるの? え? だってさー、いろんなドラマとかに、いろんな人が出て、いろんな演技してるじゃん。うーん、何でって言われてもなぁ…。演技するって面白いのかなぁ? あ、それはね、結構面白い、ママも昔やってた。えぇっ、そうなの? ママ、演技してたことあるの? うん、ある。楽しかったよ。どういうところが楽しいの? そうだなぁ、えぇっとね、自分の人生じゃあり得ないものを演技するわけでしょ、演技しながら、自分の人生じゃぁ味わえないものを味わうことができるんだよ。そういう意味で、面白い。ふーん、私なんて、自分やってるので精一杯なんだけどなぁ。ははは、そうだよね、そりゃそうだ。自分を生き切るのが、一番大変で、でもきっと一番、大事なことだよ。

じゃぁね、それじゃぁね、手を振って別れる玄関前。扉を開けた途端ぶわっと目の前に広がる朝の陽光。玄関脇で、挿し木したラヴェンダーが、風にそよよと揺れている。
少し出るのが遅くなった。私はペダルを漕ぐ足に力を込める。公園の緑は昨日よりさらに一層露になり。じきに、まるで燃えているかのような緑になるだろう。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。そうしてそのまま私は走る。モミジフウのところで立ち止まり、樹を見上げる。モミジフウも新芽の、今まさに吹き出さんばかりの新芽の塊を湛えており。東からの陽光を受け、幹が黒々と輝いている。
海と川とが繋がる場所、強い風に乗って、鴎が数羽、飛び交っている。波が荒い。白く砕ける波の色が、ひときわ鮮やかに浮き立つ。
さぁ今日もまた一日が始まる。私はくるりと海に背を向け、再び走り出す。


2010年04月13日(火) 
ついさっきまで雨が降っていたのだろう。アスファルトの色が艶めいている。大気の中にまだ雨の気配が残っており。冷たいながらも、何処かぬるい。まだ空は暗いが、天気予報では、今日は晴れると言っていた。気温も高くなると。久しぶりの洗濯日和になってくれるといいのだけれども。私は空を見上げながら思う。
ゴロが起きている。後ろ足で立って、こちらを見上げている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは鼻をひくひくさせながら、扉のところに近づいてくる。餌箱が空っぽになっている。おかしいな、昨夜ちゃんと娘があげたはずなのに。そう思いながらゴロのほっぺたを見ると、思いっきり膨らんでおり。なるほど、今まさにそのほっぺたの中に、全部の餌が入っているということね、と納得する。そのうちにココアまで出てきた。ココアも餌箱が空になっているのをアピールしながら、こちらに近寄ってくる。困った。さて。ここで餌をやっていいものなのだろうか。私はとりあえず、私の手は空っぽだよ、という仕草をしてみる。納得しないふたり。私は苦笑しながら、ほんのひとつまみだけ、とうもろこしやひまわりの種を餌箱に入れてやる。ミルクにだけあげないのは申し訳ないと、ミルクの餌箱にも入れてやると、その音を聴き付けて、ばっと小屋から出てくるミルク。思わず笑ってしまう。
イフェイオンにもムスカリの葉にも、雨粒が残っている。きらきらと葉の上で輝く雨粒は、世界中の鏡を集めても足りないくらいに透明に輝いており。ちょうどベランダから見える街路樹の萌葉を映し出す。この雨で、ぐんと新芽が伸びた。萌黄色のその葉はやわらかく輝いて、まさにこれからという具合。私は手を伸ばして、そっと触れてみる。ほんのちょっとの力で他愛なく折れてしまいそうな、その柔らかさ。
雨のおかげで若葉は伸びたが、うどん粉病の具合がひどい。パスカリにも粉の噴いた葉が見られる。私は大急ぎで見えるもの全部を摘んでゆく。左手にいっぱいになるほど在った。これを放っておいたらとんでもないことになるなぁと、左手を握り締めながら思う。マリリン・モンローの葉にも一枚、粉のついたものを見つける。とうとうきたか、という感じ。でも、新芽じゃない、もうすでに在った葉に白い点がついたという具合だから、まだいけるはず。マリリン・モンローの強さを信じよう。
顔を洗い、鏡の中を覗く。昨日は仕事を切り上げて早めに横になった。にもかかわらず、うまく眠れなかった。それが影響しているのだろう、目元がだるい。もう一度水でばしゃばしゃと洗ってみる。その後少しマッサージして。これでだめなら仕方がない、と諦める。そうして目を閉じ、自分の内奥に耳を傾ける。
もやもやは、少し薄くなって、でもまだそこに在った。でも何だろう、緊張している。そんな気がする。あぁそうか、叔父の手術は明日だ、そのことを思い出す。二度目の手術が明日なのだった。どのくらい時間がかかるのだろう。その結果はどうなるのだろう。それらすべてが気にかかる。でも、私がじたばたしたからって何も始まらないことも、分かっている。
今まで見送ってきた、多くの人たちの顔が、走馬灯のように甦る。病気で亡くなった人もいれば、自ら命を断った人もいる。自然に死を迎えた人の、なんと少ないことか。
ねぇあなたは、今、一番私に何をしてほしいの? 私は尋ねてみる。もやもやは、まだ何も言わない。言わないが、その代わりなのかもしれない、微かに揺らぐ。もやもやが、揺らぐ。
多分、もやもやも、分からないのだ。そう思った。私にどうして欲しいのかは分からない。分からないけれど、ある種の虞を抱いていて、だから私に気づいて欲しかったのだと思う。
ねぇ、私はあなたを、一旦包んでちょうどいいところに置いておきたいと思うのだけれども、それでいいかな? 私は尋ねてみる。もやもやは、何も言わないが、それを否定も、しなかった。
だから私は、それを一旦、仕舞うことにした。私の右肩の、鎖骨の下あたりに。締まっておくことにした。
それから私は、しばらく目を閉じ、私の中にあるいやな感じを見つける。それはちょっと木の実のように固く、しこっていて、とげとげしていた。
あなたは私に何を伝えようとしているの? 私は尋ねてみる。私の手のひらに乗せると、ちょうどいい大きさのそれは、でも、ちくちくと私の手のひらを刺すのだった。
あぁ、と思い至る。私は自分が利用されているように思っているのだ、と気づいた。いいように利用されて、振り回されている、と。
それがちょっと今、たまらないのだな、と、思った。
突然連絡をよこす人たち。自分の状態だけ、垂れ流すかのようにただひたすら話し、一方的に話して、去っていく。自分に必要なときだけ、こちらに声を掛ける。こちらの具合など、全く無視で。そしてこちらの心の中を引っ掻き回して、そうして去ってゆく。
聞き流しておけば、それでいいのかもしれない。やり過ごしておけば、それでいいのかもしれない。でも何だろう、昔ほど、以前ほど、そうできない自分がいることに、気づいた。時間がもったいないのだ。
自分にとってその相手が、必要な相手なら、いい。必要と思えないほどもう遠く離れた存在だというのに、向こうの都合でこちらを引っ掻き回されるのは、どうなんだろう、と思ってしまうのだ。
母の言葉を借りれば、人生には限りがあるということを、私ももう、嫌というほど感じる年頃になってきた。だからかもしれない。同時に、あぁ自分は心が狭いなぁとも思う。
どちらであっても、そういうことに関わっている気力は、自分にはないのだなということを、痛感する。
自分が本当に大切なものは何なのか、それを見定めて、それをこそ大切に育んでいくことの方が、今の私には、大切なのだ。
そういえば。あの頃私は、すべてが大切に思えていた。自分が関わるすべてが、かけがえのないものなのだと思っていた。そこに優劣などなく、すべてが平等に大切なのだ、と。順序をつけるなんて、とんでもないとさえ思っていた。
孤独だったんだと思う。或る意味、孤独だったんだな、と思う。だから何もかもを追いかけていた。追って縋って、必死だった。
でも今、私は或る意味での孤独も好む。そういう時間がなければ、やっていけないとさえ思う。そういう自分に、変化してきている。
だから、関係に縋りつくことまでは、したくないし、もうする余力も、ない。すべてが平等に大切だとなんて、だからもう、思えない。私には大切にしたいものは数えるほどしかなくて。だからそれらをこそ、愛し慈しんでいたいと思う。
うまく言えないが、私は多分、あの頃とはもう、違うのだと思う。
まだ、うまく言葉にすることができないが、私は、自分と自分の大切なものをこそ大事にしていくべきであって、そうでないものにまで、自分のエネルギーを費やす必要はもう、ない。
単に心が狭いのかもしれないけれども、それでも、私は有限であって、無限じゃぁない。私の心には許容量があって、無限じゃぁない。何でもかんでも背負い込んでいたら、私は歩いてはいけない。そのことを、私はもう、いい加減、しかと認めるべきだ。
私にはできない、と、言えるようになれたら。
あぁそうか、このちくちくは、そういうことを言いたかったのか、と、思い至る。
そう思い至ったら、ちくちくはもう、ちくちくじゃぁなくなった。私の手のひらを刺してくるものじゃぁなくなった。何というかこう、丸くなって。まさに私の手のひらの中、しこりになった。
大丈夫だ、と思った。私は私の限界を知れば知るほど、きっと或る意味で自由になるんだな、と思った。まだそこに到達するには、遠い道のりがあるけれども、それでも。私にできることと、できないことと。しっかりわきまわえれば、私はさらに自由になれる、と。そう思う。
しこりを私は一旦、胸の奥にしまうことにした。そうやって、もやもやもしこりも片付けると、胸の辺りに風が吹くのが分かった。すっとした空間が、そこに開けた。その分私は、自分で自分を自由にする空間をもつことができたということでもあった。私はしばらくその空間を味わい、また来るねと挨拶して、その場を去ることにした。
テーブルの上、水切りしたばかりの山百合とガーベラとが咲いている。もうだいぶ花びらの勢いは弱くなってきているけれど、もうしばらくもつだろう。私はお湯を沸かしながら、もう一度ベランダに出て、今度は挿し木だけ集めたプランターを見やる。友人から貰った白薔薇の挿し木は、順調に芽を膨らましているところで。このまま芽が出れば、一段階はクリアだな、と、楽しみにしている。他の、名前も忘れてしまった、どんな色の花が咲くのかも分からないものたちも、それぞれ新芽を湛えており。さて、ここからどれだけ枝葉を伸ばしてくれるのだろう。

娘がレギンスが欲しい欲しいとのたまっている。試しに、私の七分丈のレギンスを、手渡してみる。彼女が履くと十分丈なのだが、それでも履けないことはない、というか、結構いい具合かもしれない。「私って足が太いんだよねー! でも太いおかげで得した、これ、頂戴ね!」娘がのたまう。私は、どもりながら、い、いいよ、と言う。
本当に、いいんだろうか。娘よ、それがちょうどいいってことは、ママの足に近づいているってことで。それをそんなに喜んで認めていいのか、おい。心の中、結構焦る母であるのだが、娘はそんなこと、関係ないらしい。
それにしても。太さはまぁ置いといて、娘の足は本当に真っ直ぐだ。去年骨折して、一時期足が外向きになって大変だったが、でも今はもう、真っ直ぐだ。これは幼い頃バレエをしていたせいなのかもしれないが。私の足とは違う。正直ちょっと、羨ましい。足が真っ直ぐというだけで、すっとして見える。
そういえば胸も、少し膨らんできた。まだブラジャーが必要なまでにはいかないが、あのぺったんこの幼児体型に、ぷくん、と、胸が。なんだか不思議な感じがする。この娘を産んだのは確かに自分なのだが。何処か遥か彼方から、彼女はやってきて、いきなり年頃になっている、そんな気がする。
その異星人は、徐々に反抗期にさしかかっているらしく。最近口答えがはっきりしてきた。おお、こんなことも言えるようになったのか、と思うことしきり。面白がってはいけないと思いつつ、でもやっぱり面白い。まだまだ反抗期はこれからと知りつつも、結構楽しみでならない。どれだけ荒れ狂うのかな、と、それが楽しみ。私はもうこれでもかというほど荒れ狂ったのだから、この子も負けてはいないんだろうな、と、そういう意味で、覚悟はしている。

じゃぁね、それじゃぁね、手を振って別れる。ドアを開けると、目の前は光の洪水。私は思わず手を翳す。世界が光ってる。そんな感じがする。まだ残る雨粒全部が、輝いて。
自転車に乗り、坂を下る。公園の桜はこの雨ですべて散り落ちたようだ。その代わり、葉がぐんと伸びた。この前まで薄桃色の洪水だったところが、今萌黄色の洪水だ。
郵便ポストに郵便を投げ込み、大通りを渡り、埋立地へ。
銀杏が新芽を噴き出した。光を受けて輝くその新芽は、まさに萌黄色。今飛び出してきたばかりの勢いでそこに在る。あぁ、若葉の季節なのだと、改めて思う。緑が目に沁みる。
信号が青に変わる。私は思い切りペダルを漕ぐ。
さぁ、今日もまた、一日が始まる。


2010年04月12日(月) 
暗い空が広がっている。広がっているというより、横たわっている、という方が当たっているかもしれない。そのくらいどんよりと重たげな空がそこに在った。いつ雨が降り出してもおかしくはない濃鼠色の雲。私は手を伸ばしてみる。まだ私の手のひらに落ちてくるものは、ない。気配だけがありありと、そこに在る。
そんな中、イフェイオンの青色だけが鮮やかだ。私はしゃがみこんでその花に触れてみる。体温、というわけじゃないのだろうが、僅かな、花ならではの温度が伝わってくる。その目をそのままベビーロマンティカとマリリン・モンローへと移す。
もう花芽が出ていることに、気づいた。早いものだ。隣のミミエデンがこれほど迷走しているというのに、彼らは元気だ。二つ、いや、三つ、四つ、花芽をつけている。花芽の色はだいたい二種類とも同じ、萌える緑色をしている。涼やかな色合い。ベビーロマンティカの方が黄味がかっているが、大きさもほぼ同じ。これならベビーロマンティカが先に咲くんだろう。マリリン・モンローは大輪だ。膨らむまで、まだまだ時間がかかるに違いない。
部屋に戻り、灯りをつけようか迷いながら、そのまま洗面台に向かう。顔を洗い、鏡の中、自分の顔を覗く。少し頬のあたりが汗ばんでいる。そういえば昨日は寝汗をかいた。娘が隣に眠っていたせいかもしれない。娘が隣に居ると、布団の中の温度がぐんと、上がる。
自分の内奥に耳を澄ます。最初に現れたのは、もやもやとした、煙のような、でもそれが、胸の中、充満している、というようなイメージだった。
何がそんなにもやもやしているのだろう。いろいろな、不安。同じ不安でも、びくびく、とは、またちょっと違う。もっと漠然として、寂寥とした、そんな不安、だ。
あぁもしかしたら、私はこれをいつも、どこかで持っているのかもしれない、と、ふと思う。いつも後景にあるのが、この不安だったかもしれない、と。
たとえば、この生活をこの底辺でいいから保っていけるのかどうか、とか、たとえば自分の病気が悪くなって娘に迷惑をこれ以上かけやしないかとか、そういったものが含まれている。
そして、今ありありと在るのは、身近な者の死、だ。いや、まだ死んだわけじゃないのだから、死とはいえないのかもしれない。死の、気配、だ。
死の匂いというのは、どうしてこう、色濃く立ち上るものなのだろう。まだその人は生きているのに、その人の内奥から立ち上ってくる気配。忍び寄る死の気配。それは、どうやっても拭うことができない。
大叔父が、肺癌になり、その癌が脊髄に転移した。そのおかげで今、半身不随だ。ベッドの上、治療のために禿げ上がったつるつるの頭を光らせながら、横たわっている。おしゃべりは普通にまだできるが、その背後から立ち上るのは、死の気配、一刻一刻刻まれてゆく時の音、だ。
そして叔父も。舌癌はすでに別の場所にも転移しており。その手術が今週在る。切り取った部分に別の場所から移植して舌を繋いだものの、もちろん喋りはたどたどしく。意思疎通が思うように取れない。叔父の顔に、それに対するもどかしさや情けなさが浮かんでいる。
大叔父は、大叔母を看取ったばかりだ。白血病、C型肝炎、全身への癌、それらを経て死んだ大叔母を看取ったばかりだというのに。ようやくそれが一段落し、これからまた自分の人生を楽しもうとしていた矢先だというのに。
叔父は叔父で、子供がようやく手を離れ、自分なりの時間を持てるようになった、そういう年頃だ。仲のよい妻との時間を、どれほど楽しみにしていただろう。
父母は基本的に、親戚づきあいというものをしてこなかった。そんな中、私や弟に残ったのがこの大叔父や叔父たちだけだった。その人たちが今、死と向き合っている。
癌はいつでも、私たちから多くを奪っていく。
私は自分の中のもやもやをじっと見つめる。私は不安なのだ。とてつもなく不安なのだと思った。そうして見つめていると、もやもやの煙が、娘の顔のようになった。不安げな、情けなさげな、そんな表情。私は胸が鷲掴みにされるような感覚に陥る。彼女を今残して私がどうこうなるわけにはいかない。確かに私はすでに病気持ちだ。それは仕方ない。でも、せめてこれ以上、具合が悪くなるわけには、いかないのだ。死ぬわけにも、もちろん、いかない。私は当分、生きていかなければならない。
そう思ったとき、あまりに不安なことが多すぎて、反吐がでそうになった。私の生活、私たちの生活というのは、どうしてこうも細い糸の上を綱渡りしているかのような代物なんだろう。
もやもやは、私に何を教えたいんだろう、何を伝えたいんだろう、そう思いながら、再びもやもやを見つめる。
もやもやはさらに色濃くなって、そこに在り。でも、私はもうそれだけで、圧倒されて、何を感じていいのかが分からない。
だから、イメージしてみることにした。これらが全部片付いて、なくなって、すっきりしたら、どれだけ私は気持ちがよくなるんだろう、ということを。
そういえば、そんな気持ち、私は味わったことがあるんだろうか。こうした不安が全くないことを思い出すことができない。
思い出すことができないことに気づいて、私はふと笑う。なくなったら、なくなってしまったら、私は今の私じゃぁなくなってしまうかもしれないということに気づいて。
そうか、私は自分が変化してしまうかもしれないことが怖いのかもしれない、それが一番怖いのかもしれない、だから、この後景を、本当は抱いていたいのかもしれない、と。
でも。でも、もし片付けることができたら。なくすことができたら。どんなに晴れやかな気持ちになるだろう。私はその晴れやかなものを想像することができないが、でも、もしそうなったら。
それはもしかしたら、蒼く広がる空みたいなものかもしれない。何処までも何処までも高く澄み渡る空のような、海のような、そんな代物かもしれない。
生活がこれ以上どうしようもなくなることも怖ければ、今死ぬことも怖い、ありとあらゆることが言ってみれば怖い。私は今、そういう状態なんだな、と思った。
そうして、自然、笑っている自分に気づく。あぁ人はとことん追い詰められると、笑うのかもしれないと思った。でも同時に、笑う余力が残っているうちは、私はまだやれる、とも思う。
もやもやを今日これ以上見つめるのは、正直できそうにない。ごめんねと謝って、また会いに来るよ、と告げる。そうして私はその場所を後にする。

私の身の回りには、いつでも死が在った。私自身が死の匂いに溺れたこともあった。その頃、言ってみれば死は、怖いものでも何でもなかった。でも。今は違うんだなと、改めて思う。
私は生きていたいんだ、と、強く思う。だから死が怖くなったんだ。
あぁ。
なんてこった。

テレビ番組を見ながら、娘が尋ねてくる。ママ、赤線って何? うん、そういう時代があったんだよ、赤線ってものが在った時代が。だから赤線って何? うーん、言ってみれば、ほら、今女の人が男の人に声かけたでしょう? そうやって、自分の体を売り物にして、何とか生活していた頃があったんだよ。そうやってしか、生活することができない頃があったんだよ。ママ、これ、昔のあの場所に似てるね。あぁ、あそこね、うん、在ったね、今なくなっちゃったけど。あそこにも女の人がいっぱい立ってたよ。立って、男の人待ってるんだよね。うん、そうだったね。男の人が来ると、声掛けるんだよね。うん、そうだったね。
今その場所は、無理矢理片付けられ、小さなギャラリーなどが押し込められている。でも、私が昔を知っているからだろうか、その場所にあまり、行きたくはない。昔の方があまりに色鮮やかで、そうしてそこで営まれていた女の時間が、あまりに重く立ち込めているから、その場所に今近づくことができない。
そうだった、昔はカメラを持って、歩いたものだった。見つかると、カメラごと河に放り込まれる、そういうことが、多々あった。それでも私は歩いた。カメラを構えると逃げてしまう女がほとんどだったが、それでも、時に、語り合える誰かがいた。その女の人生の一面を、そこでそのたび聴いた。
娘はテレビに齧りついている。私はその娘の肩の辺りを見つめながら、思う。おまえがそういう時代を生きることがありませんよう。せめておまえは。祈りながら、思う。

どうもいけない。思考回路がマイナスの方向を向いているかのようだ。
私はお湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶をマグカップに入れて、机に持ち運ぶ。
こんなふうに、怒りも悲しみも恐れも、何かに入れて、持ち歩くことができたら、楽だろうに、と、ふと思う。そうか、そうだ、とりあえずもやもやは、紙に包んで、何処かしまってしまおう。しまえる場所を探そう。

じゃぁね、それじゃあね、手を振りながら別れようと思った途端、雨が降り出した。ぽつ、ぽつ、ぽつ。私の肩に、娘の頭に、雨が降り落ちる。慌てて傘を取りに戻り、私はバスへ飛び乗る。
徐々に徐々に強くなる雨粒。川を渡る頃には、電車の窓を雨粒が流れる程になっている。空はすっかり濃鼠色。隙間なく。その瞬間、目に飛び込んだ黄色い帯。あぁ。
菜の花だ。菜の花が咲いている。そういえば、先日撮影に来た折も咲いていた。満面に笑う菜の花だ。
それは一瞬で過ぎ、電車は次の駅へと。でも、私の目の中には、あの鮮やかな黄色が、くっきりと残っていた。
不安は不安で、在ればいい。でもそれはあくまで私の一部であって、私の全体じゃぁないことを、私はちゃんと分かっていなくちゃならない。それを見逃したら、私はどっぷり不安に浸かってしまうから。
別れる直前、娘が手を振って投げキッスを送ってきた、その仕草が目の中で甦る。しゃんとしなければ、と思う。
見上げると、顔にぽつぽつと当たる雨粒。街中に傘の花が咲いている。
さぁ、今日もまた、一日が始まる。私は鞄を背負い直し、また新しく一歩を踏み出す。


2010年04月11日(日) 
目を覚ますと隣には娘が居ない。そりゃあそうか、娘はじじばばの家に行っているのだから、今居ないのは当たり前だ。当たり前なのだが、何となく違和感を感じる。彼女が枕元、散らかしていったものたちはそのままに在って。だから余計に違和感を覚える。彼女はちょっとトイレに行っているかのような、そんな感じ。あぁ、こういう感じを以前別のところで受けた、そのことを思い出す。清宮質文先生のアトリエを訪れたときのことだ。今はもうどうか分からないが、その当時、亡くなられて数年が経とうとしていた頃だった、アトリエの机の乱雑具合はそのままに、でも塵ひとつ落ちていない、きちんと掃除はされている部屋、煙草の吸殻までがそのままに残っていた。奥様は、毎日きちんと掃除をして、でも、先生が亡くなられた当時のままに、そこを残していた。だからカレンダーも、先生が亡くなった月で、そのまま止まっていた。ちょっとすると、先生が部屋に帰ってきそうな、そういう雰囲気だった。そのことを、ふと思い出す。
私は娘が散らかしていった本を、一冊ずつ片付け、そうして起き上がる。今朝はミルクもココアもゴロも、みんな静かだ。昨日の夜中、散々遊んでいたせいかもしれない。ココアは餌を手でとる術を、もう少しで覚えてくれそうだ。昨日も、私の手から何度か、手で受け取って食べてくれた。ミルクは無理なんだろう、これはもう、仕方がない。餌となると、勢い込んで食べるのだから、手なんて言ってられない。ゴロはどうだろう、娘曰く、ゴロが一番最初に覚えてくれそうだとは言っていたが。私に対しては、あまり手を出してはくれない。まぁそんなものか。
空が暗い。窓を開けて外に出る。昨日干した洗濯物をそのままにしておいてしまったことに今気づく。雨が降らなくてよかった。そう思いながら見上げる空は、何となく重い。雨が降るんだろうか。灰色の雲が、どんよりと空を覆っている。
そんな空の下、イフェイオンは相変わらずぱっと咲いている。枯れた花殻を見つけては摘み取る。花芽が出るまでは、一輪も咲いてくれないんじゃないかとどきどきしたものだが、長いことこうして咲いていてくれることに、感謝する。まだしばらくは私の目を楽しませてくれるんだろう。今朝もまた、新しい花芽が見られる。
パスカリの樹に一枚、粉の噴いた葉を見つけ、私は摘み取る。改めて見ると、今まだほんの少し顔を出しただけの葉も、もしかしたら粉を噴いているのかもしれないという気配。まだ摘むには早いから、そのままにしておくが、油断は禁物だ。気をつけて見ておかないと。そうしてミミエデンに目を移す。ミミエデンはもう本当に裸ん坊で。かわいそうなほど裸ん坊で。できるなら藁でくるんでやりたいほど。新芽らしい新芽はまだ見られず。私は次に目をベビーロマンティカとマリリン・モンローに移す。同じ若葉なのに、こんなにも違う。萌黄色の若葉と、暗緑色の若葉。マリリン・モンローの暗緑色の若葉は、最初紅い。縁が赤くなって生まれてくる。それが徐々に徐々に、暗い緑色になっていくのだ。まるで人間の赤子のようだ、と見る度に思う。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中、少し白い顔が映る。ちょっと寝不足で瞼が腫れている。目の周りをそっとマッサージして、それから私は目を閉じる。
ちょうど胃と食道とが繋がるあたりで、違和感を覚える。びくびくしている。びくびくしながら、こちらを窺っている気配がする。
あぁ、凄まじく、自信がないのだな、と思った。だから私はとりあえず、挨拶してみる。おはよう、びくびくさん。あなたは何でそんなにびくびくしているの?
途端に、いろんなものが、走馬灯のように私の中で流れる。飛ぶように流れてゆく。それは、私がかつて仕事をばりばりこなしていた頃から、今に至るまで。どうしてそんなものが流れるのだろう、と思いながら、私はびくびくを見つめる。
あなたは私に何を伝えたいの? そう言って、私は傍らに座り込む。座り込んで、びくびくをじっと見つめる。感じられるよう、ただ耳を澄ます。
自信がない、びくびくは、そう言っていた。自信がないの。何もかもに自信がないの。私なんて、何の役にも立たないし、何もできないの。びくびくは、そう言う。
ふと思い至る。これは、私の中の不安なのか、と。最近仕事が思うようにいかない。そのための不安なのかもしれない。思い至る。
ちょっと今うまくいっていないだけじゃなくて? と言いかけて、やめた。そうじゃない。そうじゃないのだ。びくびくは、もっと別のことを伝えようとしている。
私なんて所詮、私なんてどうせ。びくびくは、そればかりを繰り返す。私になんて何の価値もない、何の役にも立たない。びくびくは、ただそれを繰り返す。
そうして気づく。私の中の、自信のなさに、改めて気づく。何をしても、自信は、ない。これでいいのかどうか、いつだって不安だ。大丈夫だと思えた試しはない。
試しに尋ねてみる。どうなったらあなたはすっきりすると思う? たとえば自信があったときのことを思い出せる?
そう問いかけて、はっと気づいた。自信があった試しが、ないということに。
確かに私は一時期、ばりばり働いていた。これでもかというほど仕事に専心していた。でもそれも、それさえも、自信があってやっていたことじゃぁなかった。自信がなかったからこそ、仕事に打ち込んでいたんだという自分が、在た。
そのことに、気づいた。
愕然とした。自信って何だろう。改めて考えた。でも、考えても、そんなもの、分かるはずもなかった。だって、自信をもった試しがないのだから。思い出すものなんて、あるわけが、ない。
さて、困った。どうしよう。私はびくびくを見つめながら思った。今私がびくびくに言ってあげられる言葉が、思いつかない。
しばらく見つめ合った。そうか、今、あなたが思っていることが、ちょっと分かった。今私が為している仕事も、私が自分に自信がないがゆえに選んだ仕事だと思えているのね。その結果、余計に私が自分を貶めている、辱めている、そんなふうに、思えるんだ。
私はしばし途方に暮れた。途方に暮れて、ただびくびくを見守った。
びくびくは、まさに言葉どおり、びくびくしながら私を遠慮がちに見つめていた。それは奥底で悲しげで。自分なんて消えてなくなればいい、とさえ思っているかのようだった。
だから私は言ってみた。消えてなくなられちゃうのは困るのよ。せっかく会えたのに、あなたに今消えてなくなられたら、私は悲しい。
するとびくびくは、びくっと体を震わせて、私を見た。一体自分に何をしろというのか、という感じだった。そうして思い至った。そういえば、私はいつでも、何かをしなければならない、という状況に在た気がする。幼い頃からずっと、そうだった気がする。いや、気がする、じゃなくて、そうだった。しなければならないことがいつでも在って、だから私はそれを必死にこなして、次々こなしていた。それは自分がしたいことではなく、いつでも、しなければならないこと、だった。でもそれをクリアしないと、私はもっと価値がなくなる、そんな存在だった。存在自体が、危うくなるような、そんなモノだった。
一体誰がそんなレッテルを貼ったのだろう。それは、父母の態度から、私がそう解釈したことだった。
そうしているうちに、したいことなんて、何もなくなった。したいことなんて、何もなくなって、分からなくなった。自分ででさえ、気づけなくなった。なぁんにもなくなって、見えなくなって、私はひとりになったとき、途方に暮れた。
写真。あぁ、写真があるじゃない。私はふと思った。と同時に、写真は私が唯一好きで自分で選んで始めたことだけれど、それさえ、自信があるものではない、ということに。気づいた。
参った。まさに、参った。どうしよう、私ってこんなにも自信のない存在だったんだ、と、改めて思った。びくびくは、その象徴だ。そのことが、嫌というほど伝わってきた。
そこまで思い至って、ふと、気づく。自信って何だ? 今私が自信と言ってきたものは何だ? 他人と比較しての、自信じゃぁなかったか?
そうだ。私は、他人と比較して、比較の上での、自信を、今、思い巡らしていた。でも、それってちょっと違うんじゃないか? 自信って、自分を信じるって書くじゃぁないか。自分を信じる、ということを、私は本当に何も、してこなかったのか?
腕を組んでじっと考える。同時に、びくびくを見つめながら、私はびくびくから伝わるものが何なのかを、感じ取ろうと耳を澄ます。
そうか、私は、何だかんだ言って、自分を信じきってはいないのだ、と、思った。自分で自分のことを、蔑ろにしているのだ、と。そのことに、気づいた。
でも。じゃぁ自分を信じるって、どういうことなんだろう? 自分の一体何を信じればいいんだろう? 私の中に、信じるものなんて、信じられる価値のあるものなんて、果たして存在するんだろうか?
そう思ったら、笑い出しそうになった。なんだ、私はそうやって、ただひたすら自分を貶めているだけじゃぁないか、と、そう気づいた。じゃぁ、私を信じてくれている人たちは、一体何なんだ? 私を信じてくれている人に対して、私は、今、自信なんてこれっぽっちもないし、自分なんて何の価値もないし、役にも立たないのよ、なんて、私は言ってのけられるのか?
ねぇびくびく。私は話しかける。そうでもないかもしれないよ、そこまで、価値のないもの、じゃぁないかもしれないよ。だって、少なくとも今、私を信じてくれている人たちが、数えるほどかもしれないけれども、いるじゃない?
確かに、私が今為していることは、大した価値も何もないかもしれない。社会的に見れば、どうしようもないことばかりかもしれない。でも。
私という一個人を、見てくれている人たちは、少なくとも、いるんじゃぁないか? そういう自分、信じても、いいんじゃないか?
びくびくには、想像もつかないらしい。それほどに、私は自信がないところで生きてきたということか。私はちょっと、恥ずかしくなる。そうか、私はそれほどに。そう思ったら、びくびくに、申し訳なくなる。
自信ってものがそもそも、私にはよく分からない。分かっていない。だから、あなたに説明してあげられる言葉が、何も思いつかない。でも。
またここから、やっていけばいいんじゃないか? 私は生きているのだから、何度でも書き換えは可能なはず。ここからまた新たに、書き加えていけばいいんじゃないか?
びくびくは、まだ消えない。それはきっと、私の中に、不安が残っているせいだと思う。でも、その不安とも一緒に付き合っていけば、それはそれで、何とかなるような気がする。不安であるということに、少なくとももう気づいたのだから。
じゃぁまた来るね、そう言って私は立ち上がる。そうして手を振って、その場を後にする。
自信、という言葉が、私の中ぐるぐる回っている。正直、よく分からない。他人と比較してしまうと、もう私は途端に、木っ端微塵になってしまう。けれど、自分自身を信じるという位置なら、何とかとれるんじゃぁなかろうか。そうも思える。
比較したら、外と比較したら、取るに足らないものばかり。確かにそうだ。どうしようもないことばかりが山積みになっている。でも、それらでさえ、私自身にとっては、価値あるものじゃぁなかったか?
目を開けると、灯りが目を射る。私は思わず手を翳す。
食堂に戻ると、山百合とガーベラとが、そそと立っている。もうそろそろガーベラは終わりかもしれない。花弁の先が丸まってきた。約半月、こうして私の目を楽しませてくれてきたのだから、終わってもおかしくはない。でも、もちろん長くもってくれれば、嬉しい。
お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶のほんのり甘い味が、私の口の中、広がる。

自転車に跨り、坂を下る。赤信号に変わる間近で横断歩道を渡る。公園の桜には、いつの間にか葉が現れている。あぁ葉桜かぁ、思いながら見上げる。萌黄色の若葉が、薄桃色の花の抱き込むように広がっている。何となく、道明寺が食べたくなる。
池の水面はもう、花びらでびっしり埋まっており。今日もこの公園では花見があるのだろうか。ずいぶんゴミが散らばっている。桜が何となく、かわいそうだ。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。灰色の空は何処までも続いており。川と海とが繋がる場所で立ち止まる。海鳥たちの声が何処からか聴こえる。橋の下に大勢が集っているのに気づく。わさわさと、揺れる羽が、川面に映っている。
さぁ、今日もまた一日が始まる。私はさらに、自転車を走らせる。


2010年04月10日(土) 
いつもより少し早く目が覚める。まだ外は薄暗い。ミルクの回し車の、豪快な音が響いている、静かな部屋の中。その音だけが響き渡る。
窓を開け、ベランダに出る。薄く雲が流れている空を見上げる。まだ暗いからよく分からないが、今日は晴れるんだろうか、どうなんだろうか。多分お花見ができるとしたら今日が最後なんだろう。もう散り始めている桜。
イフェイオンが足元で小さく揺れている。流れている風が肌に冷たい。冬の寒さとはまた違う冷たさ。ミミエデンを見ると、新芽がこぞって粉を噴いている。私はちょっと憂鬱になりながら、それらを全部指先で摘んでゆく。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。一枚土の上に落としてしまった、あちゃ、と思ったがもう遅い。私は急いでそれも拾い上げる。石灰をミミエデンの周りにだけ撒いてはあるが、効き目がないらしい。はてさて、困った。私はミミエデンに顔を寄せて、じっと見つめる。葉がこれでもかと茂っているベビーロマンティカやマリリン・モンローの隣にいるから、余計にミミエデンの裸ぶりが際立って見えるのかもしれないが、それにしたって。この季節にまともに広げている葉一枚さえもがないなんて。あんまりだよな、と思う。でも、そう言ったからとて、どうなるものでもない、ということも、分かってはいるのだが。
立ち上がり、もう一度空を見上げる。さっきより一段二段明るくなってきた空。薄く青空も広がっている。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中に映る自分に、とりあえずおはようと挨拶をする。まだ少し疲れの残っている顔だ。この週末に、うまくまとめて休めるといいのだけれども。途端に、「休んだからとてどうにもなるもんじゃぁなかろうに!」という批判的な声がする。確かにまぁ、どうにかなるようなものなら、それに越したことはないのだが、でもだからといって、全く休まないでいるのは、それはそれで無理な話で、と、私は反論する。するとさらに、「休むほどのことか? そんなにおまえはやっているのか?」という声もする。参るなぁ、そういうことを言われると。でも、疲れているのも、確かなんだ。うん、きっと。私は反論する。嘲笑するような顔が私の脳裏に浮かぶ。何だろう、今朝は、私は私に批判的になりたいらしい。
私はそれを棚上げし、目を閉じる。内奥に潜ってみる。
おはよう穴ぼこさん。私は挨拶をする。そうしてそっと、穴ぼこの中を覗いてみる。そして、そこにも挨拶をする。おはよう、怒りさん。
怒りは、もうすっかり炭の塊になっており。本当に奥底の方で、ぷつぷつと、燃えている、その程度だ。私は穴ぼこの傍らに座り、耳を傾ける。
穴ぼこがふっと言った。満腹感を思い出したい。あぁそりゃぁそうだろう、と思った。だから私は、うんうん、と頷く。気持ちよく、食べてみたい、と。呟くように穴ぼこが言う。
そういえばいつからだろう。私が満腹感を感じられなくなったのは。最初は拒食から始まった。たった一口のおにぎりさえ、食べることができなくなった。空腹感は何処かへいき、かといって満腹感があったわけでもなく、ただ、食べることを拒否した。食べることは生きることに直結しているようで。だからそれが、厭だった。
それが過食嘔吐に転じ、私は満腹感を感じられないまま、ひたすら胃に食べ物を詰め込んだ。詰め込んで詰め込んで、そうして吐くのだった。吐くのも徹底して吐かないと気がすまないらしく、胃液が逆流して喉を焼くまで、ひたすら吐いた。吐く白い便器には、母の歪んだ顔がぼんやり浮かんでおり。私はその上に向かって、どどどっと吐くのだった。だからいつでも罪悪感があった。テーブルいっぱいに広げた食べ物は、瞬く間になくなってゆく、私の胃袋に押し込まれ。
そうしているうちに、歯は溶け始め、ぼろぼろになっていった。胃と食堂をを繋ぐ場所は、しょっちゅう悲鳴を上げた。あまりに大きなものがそこを通ったときには、亀裂が入り、白い便器の中は先決で染まるのだった。
そんなことを思い出しながら、再び私は穴ぼこを見やる。
母の、幻影のようなものが、穴の上に浮かび上がる。私に向かって背中を向けたままの、母の姿だ。口癖のように、一体あんたって子は、と彼女は言っていた。思春期のあの頃の私にとって、その後の、母の、「一体あんたは誰の子なんだか、信じられないわ」といった言葉が、ぐさりと突き刺さった。父にも母にも似ていない、私という存在は、まるで、そこに在てはならないもののように思えて。どさっと堕ちた。心が割れた。あぁ小さい頃から言われ続けてはいたけれども、それでもまだ、この年になってもまだ、それは変わらないのかと、そう思った。そんなにも私を自分たちの子供と思えないのなら、どうして私を産んだんだ、と思った。あんたさえいなければ、という言葉が、甦った。そうだ、私さえいなければよかったんだ、私さえいなければ、母や父はこんなに苦しむことはなかったんだ、すべてが私のせいなのだ、とも。
私は母に似たかった。顔も容姿もすべて、母に似ていたかった。そうしたら、母は私を認めてくれるかもしれない、と。その日から突然、私はモノが食べられなくなった。
それが転じて過食嘔吐になったときには、もう我武者羅だった。食べることは罪であり、でも私はその罪を犯す存在。赦されない存在。所詮は赦されない存在、と。私は自分に自分でレッテルを貼った。
嘔吐しながら、私は便器の中浮かび上がる母の顔を見つめていた。母の顔に向かっていつも嘔吐した。それがなおさらに、私の罪悪感を煽った。
ねぇ穴ぼこさん、私はあの頃、一体どうするのが、一番よかったんだろう。いや、そんなこと今更問うても仕方ないことは分かっているのだけれども。
あなたの中心には怒りが在って。私はできるならそれを昇華させたいと思っている。でも。
あなたに私が出来ることは何なんだろう。改めて、私は問いかける。今の私が今、あなたにできることは、何なんだろう。
自分を赦すこと、認めること、受け容れること。そんな単語が、私の中にふつふつと浮かぶ。簡単なようでいて、すごく難しい。
でも気のせいだろうか、穴ぼこと「サミシイ」は、根っこのところで繋がっている気がするのだ。気のせいだろうか?
穴ぼこは、なんだか少し、遠くなった。私が座った位置から、少し遠ざかり、私を見守っている。そうか、私は自分のことにばかりかまけて、穴ぼこに耳を傾けるのをおざなりにしていた。そのことに気づいた。
ごめんね。私は謝る。また改めて出直してくるよ、と声を掛ける。立ち上がりながら、ふと、私は母に対して怒っていたんだ、同時に、自分が生まれ存在していることに、怒っていたんだと思いつく。
これは一体、どうやったら修正がきくんだろう。特に後者、自分が産まれ存在していることに怒っている、というその怒りを、穏やかにさせる術は?
とりあえず一度考えるのを棚上げしよう。今多分私は、過去にぐるぐる巻きになっている。
「サミシイ」に会いにゆく。おはよう、「サミシイ」。私は声を掛ける。「サミシイ」の目は、潤んでいた。もしかしたら私が来ないと思ったのかもしれない。遅くなってごめんね、と私は声を掛ける。
私は「サミシイ」に、昨日の授業での、アートセラピーやその後の分かち合いの様子などを話して聞かせる。しんどかったけれど、実りの多いものだったよ、と伝える。そしてその後、ちょっと嬉しいことがあったんだ、と話す。人と人との間にいると、こんな素敵なこともあるんだよ、と。
「サミシイ」には、人と人との間にいる、というそのこと自体が、あまり想像できないかのようだった。でもいい、ここから始まるんだ。育て直し、生き直し。
辛いことも、嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、それぞれに、分かち合っていけたらいいと思う。そうして、私と「サミシイ」が共に、成長していけたらいい、と、そう思う。
私が話をしている間、「サミシイ」はただじっと聴いていた。聴きながら、つい昨日生まれた緑を、眺めていた。
砂地に緑が咲き誇るなどということは、本来あり得ないだろう。それでも。いつかこの地が、緑溢れる場所になったら、どれほど素敵だろう、とも思う。
私はじゃぁまた来るねと挨拶し、その場を後にする。

授業の後、友人と話をした。その折、友人が、私は自己開示が全くできないのだ、ということを言っていた。気づいたら、みんなの喜ぶ顔、嬉しい顔が見たい自分がいて、そのためなら役割を買って出る、という自分になっていた、と。そうしているうちに自分の本当の気持ちがどんなものだか、分からなくなってしまった、忘れてしまった、と。そういったことを彼女は話していた。また、自己開示を、たとえばしたとして、それに対して批判的な意見や拒絶が返ってくることが何よりも怖い、それなら何も言わないでいる方がいいんじゃないか、とも言っていた。
彼女は幼い頃から、道化役をかって出ていた。そうしていることが当たり前で、そうじゃない自分など、もう考えられなくなっていた。そうして気づけば大人と呼ばれる年頃になり、子供も居り。でも、学校で勉強をするほど、いろいろなところで躓く、と。このままでいいんだろうか、ということも思うし、このままじゃだめだとも思う。でも、どうしたらいいのか、よく分からない。
彼女の話に耳を傾けながら、今、彼女はどれだけの思いで必死にこちらに向かって自己開示してくれているだろう、と思う。それはきっと、彼女にとってとても大変な作業で。それを今為してくれていることに、私はまず感謝した。
自分には価値がない、自分だけでは何の価値もない、相手の望むとおりの役割を果たしてこそ、ようやく自分には価値が生まれる。彼女はそんなふうに考えているようだった。でもそれだと、相手の反応次第で、自分の価値が崩れ落ちることも、ある。あぁやっぱり、所詮私は、と、さらに落ち込んでしまうことだって、ある。
自分で自分の価値を認めてあげること、大切なんだなと改めて思う。誰と比較することもなく、自分で自分を批判することもなく、あるがままの自分を受け入れ、認め、赦してあげること、とてもとても、大切なことなのだろうと思う。
ひとっとびにできることじゃぁない。手が届くことじゃぁないけれど。
苦悩している彼女の横顔を見ながら、私は祈る。どうか自分には価値があることを、友人がいつか満面の笑顔で自ら抱きしめてあげられるようになりますよう。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。私は左に、娘は右に。
見上げると、青空が広がってきた。雲のかかる部分が多いとはいえ、それでも青空は青空。気持ちがいい。空を見上げて歩いていたら、もう少しで階段から落ちるところだった。危ない危ない。
海と川とが繋がる場所。釣りをしている人の姿が。この川でもこんなふうに釣りをしている人がいるとは。それを見やりながら、私は海鳥の姿を探す。数羽だけれど、橋の下に集っている。何を合図にしたのか、それらが一斉に飛び立つ。飛び出す瞬間の羽の動きが、私は大好きだ。
さぁ、今日も一日が始まる。重たい鞄を背負い直し、私はまた一歩、歩を進める。


2010年04月09日(金) 
目を覚ますと、回し車の音がからかららと響いている。これはココアなんだろうなと思いながら私は起き上がる。そうして窓を開ける。ぬるいとは言えないけれども、決して冷たくはない大気がそこに横たわっている。風がない。最初にそう思った。
ベランダに出て外を見やる。街路樹に、一昨日あたりから新芽が見られ始めるようになった。まさに萌黄色の、まだまだやわらかなその色合いが目に眩しい。ベランダの手すりに掴まって手を伸ばしてみる。わずかに指の先、触れる若葉。その感触は目にあったものと同じ、本当に本当にやわらかな、羽毛のようにやわらかな感触で。私は何だか自然に顔が綻んでくるのを感じる。
空はもうずいぶん明るくて、雲はほとんど見られない。晴れの空だ。私は姿勢を元に戻して、イフェイオンに目をやる。もう枯れてきた花もあり。茶色くなったその花殻を、私はひとつひとつ摘む。今までありがとう、ご苦労様、と思いを込めて。
ミミエデンは、あれからしばらく新芽を出していない。新芽を出していないから、病気の具合が良く分からない。心配だけれど、どうしようもない。ただ見守るばかり。その脇の、挿し木をしてある小さめのプランターの中、新芽を出しているものと、立ち枯れたものとがそれぞれ。私はもうすっかり枯れたものをそっと抜く。ごめんね、育ててあげられなくて、そう言いながら、抜く。正直、もうどれがどの樹だか、忘れてしまった。今若葉を湛えているものが、どの種類だかなんて、今の時点では分からない。さて、誰が生き残ってくれているんだろう。ちょっとどきどきする。もちろんまだまだ油断はならないのだけれども。
パスカリたちのプランターの方を振り返り、一枚一枚、葉を見つめる。今のところ病葉は新たにはない。一番端の、確か赤紫色の花を咲かせる樹が一番小さく、新芽は僅か。それでも小さな葉を空に向かって広げている姿は、何ともいえず健気だ。
部屋に戻り、顔を洗う。今朝はちょっとすっきりした顔が鏡の中に見られる。私は目を閉じ、内奥を辿る。
おはよう穴ぼこさん。私は挨拶する。私はそっと、穴ぼこの邪魔にならないよう、穴ぼこの中を覗く。あのマグマのようなものはもうそこにはなく。代わりに燃える炭火のような、そんな感じの色がそこに在った。燃えてはいるが、それはとても、穏やかだった。燃えていなければ、まるで私が持ち上げられそうな、そんな大きさ。でもまだ手は届かないのだが。
そこでふと、先日会話をしたときの、母の言葉を思い出す。あなたには怒りが足りない。そう言われたのだ。あなたは怒るよりも先に、自分を責めて落ちていく。そのくらいなら、怒りをもつほうが健康的だわよ。彼女はそう言っていた。
健康的なのかどうかは分からないが、私の中に怒りが足りない、ということは、何となく分かる気がした。
私はじっと耳を澄ます。空気が揺らいでいるのが分かる。炎は、燃え続けるために空気を食らっている。その、食らわれる空気が揺れている。
穴ぼこさん、あなたの中心は、何処にも向けられない怒りだったんだよね。私はその怒りを、いつか受け取りたいと思っている。そうして、もっと安全な場所に、怒りを移してあげたいと思っている。私は穴ぼこに伝えてみる。
今は、まだ燃えているから、このまま私がそれを手にしようとしたら火傷してしまうから、申し訳ないけれどもあなたの中に在てもらうしかないのだけれども、でもいずれ、その怒りにも居場所を見つけて、ちょうどよい場所に置いてあげたいと思っているんだ。
穴ぼこは、ちょっと不安な顔をしている。それはそうだ。これまで自分の中にずっと在ったものを、他のところに移すと言われて、不安に思わないものはいないだろう。慣れ親しんだものがどこかに行く、となったら、それは不安に違いない。
でも、同時にふっと思う。もしかして、この穴ぼこが、その、ちょうどよい場所なのか? と。私は穴ぼこをじっと見つめる。そうか、私を火傷させないように、ここに囲って、奥底に沈めておくのが、ちょうどよいと穴ぼこは思ったのだ。だからこその、この深遠なる穴なのだ。私は納得した。
ありがとう、そうなんだね、あなたは私をこれ以上傷つけないために、この穴を穿ったんだね。ごめん、そのことを、忘れていた。
穴ぼこは、まるで、ほっとしたように、ひゅぅっとひとまわり、小さくなった。闇は闇で、そこに在るけれども、それでも、私にはずいぶんその闇が、近しいものになってきたようにさえ感じられた。穴ぼこ自体、私にはもう、ずいぶん親しい者だった。
私の中に在る穴ぼこ。私のすべてではなく、私の一部である穴ぼこ。その中には怒りが在って、静かに燃えている。でもそれはいつか炭のように落ち着いてもくれるんだろう。いつかきっと。
じゃぁまた来るね。私は挨拶をしてその場を去る。
なんだかいつもより、背中がすっきりしているような、そんな気がした。
おはよう「サミシイ」。私は声を掛ける。「サミシイ」はもう、ちゃんと姿を現している。昨日と変わらず、体育座りをして、こちらを遠慮がちに見つめている。そうしてひとつ変わったものがあった。砂に、砂紋が現れたことだ。それまで砂は荒れ果てて、枯れ果てていた。これでもかというほど荒廃していた。その砂地に、砂紋が現れたのだ。
「サミシイ」の隣に座り、私はさらに目を閉じてみる。さらさらと静かに流れる砂の音が、聴こえてきそうなほどの静けさだ。
今気づいた。「サミシイ」は口を持っていなかった。口がないのだ。いや、目はあるのだが、鼻と口がない。ふと気づく。そうか、「サミシイ」にも怒りがどこかにあったのかもしれない、でもそれは全部内側に向くばかりで、外に向くことはなかったのかもしれない、と。自分を傷つける刃でしか、なかったのかもしれない。
鼻も口もない、という状態が、私にはなんだかとてもよく分かる気がした。鼻も口もその機能を失ってしまったのだ。外に向かう術が、もう何処にもなかったんだ、「サミシイ」はそういうところで生きてきたんだ、と、改めて気づく。
そうして、ふと感じる。「サミシイ」の中に横たわっているものは、哀しい、でもあったのかもしれない、と。切ない哀しみ。
そう思った瞬間、砂がふわっと舞い上がり。舞い上がった砂から、ほんの一握りの緑が産まれた。私の小指の先ほどの、小さな小さな芽。
それまで砂しかなかったその場所に、緑が産まれた。私は涙が出そうなほど嬉しかった。あぁ、私はもう大丈夫、と、そう思った。
振り向くと、「サミシイ」が不思議そうな顔をしていた。そうか、「サミシイ」にとっては、知らないものなのだ、と気づいた。そうか、そういうことを私は、「サミシイ」にこれから伝えて育てていくのだ、と気づいた。
だとしたら。伝えていきたいことが、私には山ほどあるように感じられた。寂しいや哀しいでできている「サミシイ」に私が伝えてゆけること。私がこれまで生きながら、味わってきた楽しいことや嬉しいこと、切ないこと、全部。
あぁ、そうやって私は私の中に育んでゆけるのか、と思ったら、とてもとても嬉しい気持ちがした。確かに、父や母との間で、営めなかったものたちが在る。それはどうしようもなく、在る。でもそれは、多分、今更求めても、きっと叶うことは、ない。
それを諦める、というわけではなく。私は私の中に、育めばいいのだ、と気づいた。それはとてつもなく、大きなことのように思えた。
そういえば。「サミシイ」は、小さい頃の私に、瓜二つだ。今更だけれど、気づいた。ここに口や鼻があったら、私そのものだ。私は私を、育て直せばいい、それだけの、ことだったんだ。
「サミシイ」、ありがとう。私は、抱きしめたくなるのを何とか堪えながらそう言った。「サミシイ」は訳が分からないような顔をしていたが、少しして、ほんのり頬を染めていた。それが「うれしい」なのかどうかは分からないけれども、それでも「サミシイ」が、ちょっとだけ、喜んでくれているような、そんな気が、した。
また来るね。私はそう言って、その場を後にした。
開け放した窓から、微風が吹き込んでくる。私はその風を僅かに感じながら、お湯を沸かす。どんなに清潔に保たれた部屋でも、きっと、窓を開けて風を時々流し込んでやらなければ、空気は澱む。水が腐っていくように、空気も澱む。だから私は、窓を開ける。

娘と今日のお昼はホットケーキを作ろうということになっており。私はスーパーでホイップクリームを買っていく。苺はすでに買ってある。
帰って来たばかりの娘と、ホイップクリームを泡立てる。なかなか時間がかかるもので、娘はもう飽きてしまった。疲れた疲れたと言いながら、肩を叩いている。残りを私がやることになり、私は開け放した窓のそば、立ったまましゃかしゃかと泡立て器をかき回す。
ホットケーキを焼き始めた娘だが、ひっくり返す方法が分からなかったらしい。呼ばれて私がひっくり返した時には、もう丸焦げになっていた。あちゃー、やっちゃったね。私たちは顔を見合わせて苦笑いする。私が食べるからいいよ。娘がそう言って、皿に盛る。そうして新しく生地を入れて、焼き始める。私はそれを後ろから見守っている。
ママ、ひっくり返して! 娘の声で、私はひっくり返す。今度はうまく焼き色がついたところで。私たちはほっとする。
そうして娘が二枚、私が一枚、ホイップクリームと苺で飾り付けして食べ始める。すると。私、実はホイップクリームって好きじゃないんだよね。え?! そうなの?! 子供ってみんなホイップクリームが好きだと思ってるでしょ。うん、思ってた。違うんだよなー、私、好きじゃないんだよなー。えー、最初に言ってよ、ママ、サービスのつもりで買ってきたのにぃ。ママ、考えが甘いんだよなぁ、このホイップクリームは甘くないけど。あ、ちょっとお砂糖少なめにした…。ママってちょっとズレてるよね。…スミマセン。
そう言いながらも、結局娘は食べきった。ホイップクリームを山ほど乗せて。

それじゃぁね、じゃぁね。昨日録画したテレビ番組を見るのに夢中になっている娘に声を掛ける。朝見たら、夜テレビなしだからね! わかってるよ!
外に出ると、少しひんやりした空気が私のうなじを撫でてゆく。私は階段を駆け下り、バスに飛び乗る。新一年生なのだろう、お母さんに連れられた男の子が、えっこらしょとバスに乗り込む。でも、お母さんと一緒にいるのがちょっと彼にはかっこ悪いらしい、一生懸命お母さんに、向こうに行ってて、向こうに行って!と言っている。なんだかそれが、かわいらしい。
川を渡るところで、私は立ち止まる。降り注ぐ陽光に輝く川面。きらきら、きらきらと輝きながら流れ続ける。
私は試しに、「サミシイ」に話しかけてみる。ねぇ見てごらん、きれいでしょう? こんな輝きに満ちた世界も、在るんだよ。寂しくて、哀しくて、たまらないこともたくさんあるけれども、それでも、世界は光に満ちて、満ち溢れて、いるんだよ。
川を渡って風が吹いてくる。爽やかな風。私はひとつ、深呼吸をする。
さぁ今日もまた、一日が、始まる。


2010年04月08日(木) 
起きようと思った瞬間、夢を見ていることに気づいた。その夢を見ていたくて、しばらく目を閉じたままでいた。目が覚めているのと覚めていないのとの狭間で、しばらくうとうとしていた。夢はあっけなく終わり、私は瞼を開ける。天井は昨日と変わりなくそこに在り。私は起き上がる。
窓を開ける。とても寒くなる、と言っていたわりには、あたたかい気がする。もっともっと寒いことを期待していたのだが。ちょっと残念。でも冷えた分、空は晴れ渡り。綺麗な朝焼けが望めそうな。そんな、高い高い空。
イフェイオンが風に揺れている。私の髪も風に揺れる。空の高いところを鳶がくるりと回っている。ゆっくりとゆったりと。その様はとても優雅で。私はちょっと羨ましくなる。こんなとき、翼を持たない自分の背中を、少し意識する。
白い粉を噴いた葉を、数枚見つけ、それぞれに摘んでやる。摘みながら私は正直、他のことを考えている。
部屋に戻り、顔を洗う。洗い立ての顔を鏡に映し、覗き込もうと思ったけれど、やめておいた。何だかちょっと、自分の顔を見るのも今は嫌だ。
自分の内奥に潜ろうとして、すぐ気づく。私の喉元に、引っかかっている重たいもの。重たい、というか、いがいがしているというか。いや、何といったらいいのだろう、苦い苦い、しこりだ。それが現れたのは何故か、私にはもうすでに分かっている。
おはようしこりさん。私は挨拶をする。あなたには言いたいことが山ほどあるのよね。これでもかってほどあるのよね。でも言えないでいるのよね。私は声を掛ける。するとしこりは、さらに苦く苦くなって、私の喉を圧迫する。
そうなんだ、よかったね、と一緒に喜んであげられたなら、よかったのかもしれない。でも、私はそこまで心が広くはない。私にも私の感情というものが在って。だから、私は彼女に寄り添うばかりには、到底なれなくて。
一体彼女は、どういうつもりで私にあんなことを言ったのだろう。ああ言われることで、私がどんな気持ちになるかなんて、全く考えなかったんだろうか。私がどれほど折れ曲がり、しんどくなるのか、考えなかったんだろうか。考えなかったんだろう。だから、あんなにあっさりと、しかも喜び勇んで、私に話をしたのだろう。
それが分かっているから、私は何も言えなくなった。何も、言えることがなくなった。言っても、通じないと思った。私はもう、何も言わなかった。
でもそうやって彼女との話を切り上げた後も、私の中にはどす黒いものが残った。苦い痛みだ。そう、このしこりが、現れたんだ。
私はしこりに話しかける。あなたは言いたいことが山ほどあって、でもそれがどんなことか分かっているから尚更に言えなくて、だからそんなに苦い塊になってしまったんだよね、と。しこりはそれを主張するかのように、さらに苦く苦く染まっていった。それを言ったら、私が崩れてしまいそうだから、だから、あなたは、必死で言わないでいるために、そうやってしこりになっているのよね。私はさらに声を掛ける。しこりは、まるで泣き出さんばかりの勢いで、暴れている。
これまでも、いろいろな場面で、そういうことは、在った。在ったけれど、そのたび流してきた。こういうこともあるさ、と流してきた。でも、今回は、流すのにはとても時間がかかりそうだ。
私は試しに、口に出して言ってみることにした。あなたは怒っているのよね? それどころか、怒りは憎しみにさえ変わりかねない勢いなのよね? 私が言った途端、しこりは、ぱたりと抗うのを止めた。じっとしているしこりに、私はさらに言ってみた。でも何より嫌なのは、そういう自分になること、そういう自分がいるということを認めること、なのよね。認められなくて、そんな自分が存在することが赦せなくて、あなたは戸惑っているのよね。
しこりは、ただそこに在った。相変わらず苦く苦く苦く、そこに在った。私はそれをこれでもかというほど味わった。
あなたは、彼女を自分が飛び出すことで傷つけてしまうかもしれないってこと、思っているんだよね。傷つけたくないけれど、同時に、傷つけずにはいられない気持ちもあるんだよね。あなたは訴えたいんだよね。でも、それをしたら、と思うと、躊躇してしまうんだよね。だからそこで、そんなふうにしこっているんだよね。
私はただ、そう言って、しこりを見つめる。しこりは、じっと黙って、そこに在た。私を、じっと見つめていた。
ひとつ言えることは、とてもとても当たり前のことなのだけれども、彼女と私は、生活の在り方、立場、環境、すべて、違うってことだよ。あまりにも違う世界に生きているってことなんだよ。うん。そのことが、昨日、改めて私にも分かった。それでも、って思うところがあったから、今までいられたわけなんだけれど。でも私は、あなたの存在を無視してまで、それでもと思うことは、できそうにないってことも、分かったよ。
私はしこりを見つめたままで続ける。そうして尋ねてみる。
ねぇ、今私に、一番、何をして欲しい?

しこりは、泣いていた。わんわんと泣いていた。かわいそうなほど、身を震わせて泣いていた。だから私は彼女が泣きやむまで、そばにいることにした。
彼女が泣き止むのを待って、私は彼女の鼓動に、耳を傾けてみた。彼女の鼓動は、とくんとくんと鳴っていて。規則正しく鳴っていて。そして見やれば、最初の頃よりもずっと、小さい姿になっていた。
私は私で、私にできることをやっていけばいいんだよ。身の丈に合った、生き方をしていけばいい。そうして、交われる部分で交わっていけばいいんだよ、交われないものは交われない、そういう立ち位置で、これから接していけばいいんだよ。
大丈夫。私は、あなたがここに在ること、ちゃんと覚えているし、忘れたりしない。私の中に苦くて悲しくて辛いものがあることを、無視したりしない。そうして、あなたがSOSを出したなら、私は間違いなく、あなたの元に飛んでくるから。あなたをないがしろにしたりは、しないから。
私の代わりに、ずいぶん傷ついたね。ごめんね、ありがとう。
あなたのおかげで、私は大丈夫になった。でも、もしかしたらまた似たような場面があるかもしれない、そのときはまたあなたに迷惑をかけてしまうかもしれない。そのときは、よろしくね。
しこりは、しゅんっとさらに小さくなり、小さな塊になって、私の手のひらの上に落ちた。まるでそれは昔見た映画の、飛行石のようだった。鈍く光って、それでも光って、私の手の上に在った。
私はそれを大事に、喉の奥に、しまった。

テーブルの上、山百合とガーベラとが並んで咲いている。明るい橙色と、明るい煉瓦色。同系色の色合いが、テーブルの上を一段あたたかくさせてくれている。
お湯を沸かし、生姜茶を入れる。後でハーブティーも飲むつもりだが、とりあえず生姜茶。
さぁ一仕事、やろう。

はとこの兄が舌癌の手術を受けた。大叔父は名前を聴いたことのないようなこれまた癌で手術を受けた。二人とも、私にとってとても近しい人間たち。
亡くなった祖母のことを思い出す。がりがりに痩せて、最後骸骨のようになって死んだ祖母。最後まで自分が女であることを大切にし、同時に嘆き、泣いていた祖母。抗癌剤で抜け落ちてゆく髪を、それでも大事に結っていた祖母。
誰も彼も、私の周りは、癌に侵されてゆく。それが、切ない。

友人が、最近過食嘔吐をしてしまうのだと打ち明けてくれる。満腹感が全く得られないのだという。満腹感が全くないから、次々食べてしまうのだが、食べ過ぎて吐いてしまうのだ、という。まるで自分の中にブラックホールがあるかのようだ、と彼女は言った。私は即座に、自分の中の穴ぼこを思い出した。そうして、私は自分の穴ぼこの話を彼女に打ち明けてみる。こんな穴ぼこが、私にも在るよ、と。
これまでの彼女のことを考えてみれば、そんな穴が現れることも、全く不思議なことではなかった。まるで現れるべくして現れた、かのような。
それでも何だろう、前回会ったときよりも、彼女は明るい顔をしていた。すっきりした顔をしていた。それがとても、印象的だった。

朝の仕事がいつもより早く終わったので、娘を誘って辺りを自転車で走る。ほら、あれがダイコンハナナの花だよ、薄紫の絨毯みたいだね。私は指を指して娘に教える。娘が、私はあれより黄色い菜の花のほうがかわいいと思う、と言い出す。私は笑いながら、さらに走ってゆく。
朝の風は冷たく、私の首筋を撫でてゆく。背中が鳥肌立つのが分かるが、それもまた、或る意味気持ちがいい。長い坂をひたすら下って、川まで。海と川が繋がる場所に、ちょうど鴎と鳩たちが集っている。
ママ! ほら、鳩の真似! そう言いながら娘が鳩の、頭を振って歩く真似をする。でもそれはどちらかというと、鶏に似ていると思えるのは気のせいだろうか。
ママ、私ね、ママの子供に産まれてよかった! 突然後ろから娘が言い出す。な、何を突然?! 私は慌てる。慌てて自転車を止める。すると娘が後ろからやってきて、にっと笑う。だってさー。何? ママって、普通のお母さんと違うんだもん。へ? どういう意味、それ? なんかさー、お母さんっぽいときも確かにあるけど、たいがいが、お母さんっぽくないよね。んー? うまくいえないけどさ! …。

友人が言う。ねぇさんにとって、写真は、自分の中の膿を浄化する術なんだよね、と。だから必要不可欠な存在なんだよね、と。それは、撮られているととてもよく分かる、と。
本当にそうだと思う。でもそれが相手に伝わってるってことが、私にとっては何より嬉しかった。ありがたかった。
そういう友人がそばにいるということに、感謝、した。

じゃぁね、それじゃぁね。新学期、新たに新一年生が三人加わった登校班。私は見送って、そうして自転車を漕ぎ始める。
公園の桜はもうずいぶん散ってきた。今週末にはもう、花が残っていないんじゃないかと思えるほど。結局今年お花見はできなかった。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。風がびゅうびゅう唸っている。それに従って桜の花びらがびゅるると散ってゆく。もう足元は、桜の花びらの山。
残り少ない空き地の、雑草たちも緑に染まり始めた。じきにこうした空き地もなくなってゆくのだろうと思うと少し寂しい。
風を切って走る。首筋を駆け抜ける風。モミジフウも上の方が少し揺れている。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年04月07日(水) 
重たい。目を覚ます直前そう思った。重たい、思いながら目を覚ますと、娘の腕がちょうど私の首の辺りに乗っかっていた。どおりで重いわけだ。私は娘を起こさぬよう、腕をそっとどける。布団から半分出て、私の方に頭をがーんと向けて寝ている娘は、まさに天下泰平の図、といったところで。私はちょっと笑ってしまう。
窓を開け、ベランダに出る。ぬるく湿った空気が私を包み込む。少しばかり風が強い。空は一面雲に覆われており。この時間だというのに、まだまだ暗く、辺りは鼠色。雲はみっちり空を覆っているから、光の漏れる隙間がないのだ。私は見上げながら、雨がいつ降りだすだろうと、そんなことを思う。
そんな中、イフェイオンの青味は鮮やかで。ひときわ目を引く。私はしゃがみこんでそっと花弁に触れてみる。紙のように薄い花びらは、ぴんと張っており。弾くとしゃんしゃんと鈴の音が聴こえてきそうだ。こんな天気のもとでも、こんなに元気に咲くことができる花を、私はいとおしく思う。
白薔薇の樹は大丈夫なのだが、他のものたちの葉の幾つかに、うどんこ病が見つかる。どれもこれも、新たに出てきた新芽だ。新芽がほとんど、粉を噴いている。私は丹念にそれを摘み取る。大丈夫、今までだって乗り越えてきたのだから、これらはみんな、ちゃんと元気になる。しかし。
ミミエデンはどうだろう。正直不安だ。他のものに比べてまだまだ全然葉が伸びてこない。それはもちろん私が病葉を摘んでいるからなのだが、それにしたって、この季節になって、この裸の状態はあんまりだろうと思う。かわいそうに。
そういえば。昨日自転車を走らせている時、丘一面、ダイコンハナナと、所々菜の花が咲いていて、それはそれは美しかった。薄紫色のダイコンハナナの色と、鮮やかな黄色の菜の花の、その色の対比は見事で、道を往く人皆が、それを見上げていた。そしてその丘のてっぺんには桜の樹が一本植わっており。桜の樹の花びらが風に乗って舞い降りてくる。まるで一枚の絵のような光景だった。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中顔を覗くと、なんだか目が腫れている。泣いたわけでもないのに、この腫れぼったい顔はどうなんだろう。首を傾げる。目の周りを少しマッサージした後、目を閉じる。
穴ぼこはいつもの場所に在た。おはよう穴ぼこさん。私は挨拶する。穴ぼこは今日は漆黒の闇を纏ってそこに在る。昨日よりずっと闇の色が濃く見えるのは気のせいだろうか。私は傍らに座り、じっと穴ぼこを見つめる。
はっと気づいた。穴ぼこが、少し小さくなっている。気のせいかもしれないと何度も目を擦り、見つめてみるのだが、やはり小さくなっている。穴の中を覗かせてもらうと、穴の底はまだなく。やはりなく。穴は穴のままなのだが。それでも小さくなっている。
私は何となく、穴の縁に触れてみる。するとその、触れた場所が、何となく光ったようで。不思議な気がした。縁が光るなんて、今の今まで知らなかった。そうして縁が一部分でも光ると、穴の在り処がはっきりと見えるのだった。
そして気づいた。穴ぼこが、奥の奥の方で、怒っていることに。
そうか、穴ぼこは怒っていたのか。私は改めて知る。いや、怒っている、のともちょっと違う。怒りの上には何層もの何かがある。でもその底の底には。怒りが横たわっているのだ。あぁ私はかつてどこかで、こんな怒りを見たことがある、そう思った。
私が私で在ることができない、私が私を無視する、私が私を否定する、そうせざるを得ない状況に、私はどこかで怒っていたのだ。心の奥底で。
穴ぼこの中を再び覗く。私が怒りに気づいた途端、それはマグマのようにぐつぐつと、穴の奥底の、遠く遠く奥底で、ぐつぐつと喚き始めた。まるで穴ぼこは、それらをせき止めるために作られた穴ぼこであるかのようだった。そのために深く深く、穴を穿った、かのようだった。
あぁそうか、そうだったのか。今改めて気づく。私が怒ったら、私はあの頃を生き延びてはこれなかった。だから私はすり替えたのだ。怒りを別のものにすり替えたのだ。だからこんなに何層も、重なっているのだ。
でも何だろう、私が気づけば気づくほど、穴ぼこは深遠になってゆき。怒りのマグマは、どんどん遠く奥底に沈んでゆくのだ。マグマはマグマなのだけれども、それにもかかわらず、深く深く沈んでゆく。
私は穴ぼこから離れて、少し離れて、彼女をじっと見つめた。すると不思議なことに、ぷしゅっと音がした。何の音だろう。分からない。分からないけれど、その音と共に、穴はまたひとまわり、細くなった。
一瞬、思った。私は思ったのだ。こんな怒りが表出してしまったらどうしよう、と。そうしたらいろんなものを失うんじゃないか、と。そう思ったのだ。でもその直後、こうも思った。いや、大丈夫、もう大丈夫、怒りがあることは分かった。分かったけれど、私はもうそれをコントロールする術も持っている、と。
だから言ってみた。穴ぼこに言ってみた。大丈夫だよ、あなたが怒っていても大丈夫。私はちゃんとあなたを認めているから。否定したりしないから。なかったことになんてしないから。
穴ぼこは、それをちゃんと聴いてくれているかのようだった。
だからあなたはこれからもここに在ても大丈夫、私はちゃんとあなたを見守っているから。あなたをなかったものになんてしないから。そうして私は立ち上がり、手を振る。また来るね、と挨拶し、その場を離れる。
今度は「サミシイ」に会いにゆく。「サミシイ」は砂に半分埋もれたまま。でもその砂は今日は、少し風に吹かれているかのようだ。私はその傍らに座る。座り、彼女を見つめる。
「サミシイ」が「サミシイ」である所以が、今なら何となく分かる気がした。あなたはずっと、サミシイと言えなかった。サミシイなんて言ったら、余計に追いやられるだけだった。余計に鬱陶しがられるだけだった。蔑まれるだけだった。だからずっと、サミシイなんて言えなかった。
でもずっと、ずっとずっと、さみしかった。
お母さんの腕に抱かれて眠りたかった。父に寄り添って笑いたかった。ただそれだけだった。でもそれが、赦されないことだった。
愛されたかった。でも何処までいっても、愛されている実感はなかった。どこまでも拒絶ばかりが目の前にあった。愛されたいならここまで来い、と、いつでも言われていた気がする。愛されたいならこれをクリアしろ、と。
だから歯を食いしばって私はそこへ行く。行くと今度は、さらにハードルが上げられて、さぁ今度はここまで来い、と。
もうのぼれない、という選択肢はなかった。そんな選択をしたら、二度と振り向いてもらえない、と、そう思った。だから何処までも何処までも、必死だった。それでも。父母がこちらを振り向いて、手を差し伸べてくれることなど、なかったけれども。
でももう大丈夫だよ。私はあなたを、私の一部であるあなたを、拒絶なんてしない。ちゃんと受け容れていく。だから、大丈夫だよ。いくらサミシイと呟いても、私はちゃんとそれを聴くから。無視などしないから。
すると、ぶわっと風が吹いた。風が吹いて、砂が流れていった。流れ流れ、砂は風に乗り。私の目の前に今、「サミシイ」が在た。
「サミシイ」は本当に小さな女の子で。ちょこねんとした女の子で。体育座りをして、そこに在た。
あぁ、会えたね。私はにっこり笑って手を差し出した。「サミシイ」はその手をじっと見つめている。そうか、手を差し出されたことなんてないから、分からないのか、とそのことに気づく。そうして私はとりあえず手を引っ込める。
引っ込める代わりに、にっこり笑う。そうして、大丈夫だよ、ともう一度言ってみる。またさみしくなったら、いつでも私を呼べばいい。私はあなたがここに在ることをもう知っているから、いつでも私はここに来るから。大丈夫だよ。
「サミシイ」はそんな私をじっと見つめている。
じゃぁ今日はもう帰るね。また来るからね。私はそう挨拶し、手を振って、その場を後にする。
目を開けると、まるで耳の中、砂のあの流れる音が聴こえるかのようだった。
テーブルの上、山百合が凛々と咲いている。その横でガーベラが、ぴんと花びらを開かせている。白薔薇は。あぁ、もう終わりだ。今までありがとう。私は花瓶から白薔薇を取り出す。その瞬間、ぱらぱらっと花びらが落ちてゆく。こんなになるまで私に付き合ってくれてありがとう。改めて薔薇に礼を言う。
お湯を沸かし、生姜茶を入れる。本当はハーブティーにしようと思ったのだけれども、もう数がほとんど残っていないから、買い足すまでは大事に飲まないと、と思い、生姜茶に。口に含むと、さっぱりとした、同時にほんのり甘い味が口の中にふわっと広がる。

展覧会の日取りが決まった。予定より一週間早い。一週間早いだけなのだけれども、私はちょっと慌てる。ほぼ二ヵ月後。しっかり作りこまないと。テーマを三つ、選んでおいた。その中から、ひとつ、選び取る。さらにその中から一枚選び、早速DM作成の作業。ここまで決まったら後は早い。やるだけだ。

「ヘイ、ハニー! 俺のベィビーはかわいいんだぜ!」と言いながら、娘が踊り狂っている。しかもその片手にはココアを握って。一体何がしたいんだか、全然私には分からないのだが、すんごく、ものすごく楽しそうだ。私はしばしそれを傍観する。
目が合った、と思った瞬間、娘がソファを乗り越えてこちらにやってきた。そして言う。「ヘイ、ハニー! かわいいぜ!」。言うだけ言って、人の顔にぶちゅーっとキスをする。
参った。参ったから、放して。私が抗うと、彼女はひっひっひーと笑いながら余計に腕を締め付けてくる。そうして人の背中にココアを入れて、きゃぁきゃぁ喜んでいる。こういうのをなんていうんだろう、悪ふざけか? よく分からない。私はこういうことをしたことがない。
結局、散々人の顔にちゅっじゃなく、ぶちゅーっというキスの雨を降らせて、娘は満足したようで。おやすみ、と言って寝始める。
唐突に始まって、唐突に終わる娘のこういう行動。参った、以外の言葉は何も思い浮かばない。でも、笑ってしまう。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。私は自転車に跨り、走り出す。
公園の桜はもう散り始めた。散ってゆく姿はちょっと切なく、でも清々しい。咲き誇り、そうして潔く散る。それが桜の花の姿だ。
私は舞い落ちる桜の花びらの中、自転車を走らせる。大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。そこにも一本、大きな桜の樹があり。今まさに散りゆく頃。
銀杏の樹は、新芽の塊をめいいっぱい膨らませているところで。私はその下を走ってゆく。空は相変わらず鼠色。でも雨が降りだすまでには、まだ間があるだろう。
そうして私は自転車を走らせる。
さぁ今日も、一日がまた、始まる。


2010年04月06日(火) 
窓を開けると、ぬるく湿った空気がぶわんと顔に当たった。それは重たくなるほどに湿っており。私の肌に纏わりつくようだった。アスファルトはまだ所々濡れていた。見上げれば空も、落ちてきそうなほどに重たげだ。とりあえず止んでみたけど、気分によってはまた降りだすよ、と言っているかのよう。鼠色の空。
イフェイオンの盛りも終わりにさしかかっているようで。萎れ始めた花が幾つか。私は指でそれを摘む。今までありがとうねと思いを込めて、摘んでゆく。ムスカリはもう終わった。また来年までしばしの別れだ。これほどほったらかしにしているのに、よく咲いてくれたなぁと思う。
薔薇のプランターに雑草幾つか。白く小さな花もついているので、しばらくそのままにしておくことにする。花が散る前に抜けばいい。東の町に住む友人なら、これらの雑草の名前もちゃんと知っているんだろうなぁと、その友人の顔を思い出す。ここしばらく連絡を取っていないが元気だろうか。
ミミエデンの葉に白い粉の噴いたものを新たに二、三、見つける。今まで無事だったものが新たに粉を噴き始めた。正直ここまでしつこいと少々参る。気持ちがめげる。でもここで私が手を止めたら、ミミエデンは見事に粉噴きだらけになってしまう。それじゃぁあまりにもかわいそうだ。だから気持ちを奮い立たせる。そうして私は葉を今日も摘む。
部屋に戻り、白薔薇やガーベラたちの水切りをする。薔薇はもうそろそろ終わりに近いのだが、何とかまだもっていてくれている。もう少し、もう少し頑張れ、と私は声を掛ける。せっかくここに来てくれたのだもの、最後の最後までそばで咲いていてほしい。そんなことを思う。
山百合のおしべを切るべきか迷うが、そのままにしておくことにする。服についたら厄介だけれど、でも、花の色合いとして、このおしべがあるかないかは結構違う。橙色の、大きく開いた花弁の真ん中に、このこげ茶色のおしべの色があることで、締まりが出てくるからだ。私はそっと花弁に触れてみる。滑らかな、しっとりとした感触が指先から伝わってくる。ガーベラの薄いひらりとした花びらとは全く違う感触。
足元でゴロが頂戴頂戴をしている。少し前から娘が教えている仕草なのだが、何度でもやるから困ったものだ。ほっぺたにたくさんまだ餌を入れているというのに、それでも飽きずに頂戴と手を伸ばす。娘が起きるまで待っててね、と声を掛ける。
顔を洗い、鏡を覗く。少し疲れた顔。うまく眠ることができなかったせいかもしれない。私はほっぺたをぱんぱんと叩いてみる。そうして体の内奥に耳を傾けてみる。
下腹部の痛みは何処へいったのだろう。今朝は見当たらない。その辺りを訪ねて歩いてみたのだが、見当たらない。姿を隠してしまったんだろうか。とりあえず、昨日出会った辺りで立ち止まり、また来るね、と声に出してみる。
穴ぼこは、そこに在た。いつもの場所に、ぐわんと辺りを歪ませながら、闇の中に在た。おはよう穴ぼこさん。私は挨拶する。そうしてその傍らに座り込む。穴ぼこは昨日とちょっと変わって、蠢いているかのようだ。穴ぼこをちょっと覗き込む。穴ぼこの内側が、ぐわんぐわんと歪んで動いているのが分かる。私は試しに、穴ぼこに話しかけてみる。昔は確かに、私は私の気持ちを無視して、ちゃんとした子を演じていたよね。しっかりした子、ちゃんとした子、立派な子。みたいな。でも最近は、昔よりそうじゃなくなったと思うの。もちろんもっともっと変わってゆけるのかもしれないけれど、今まだ私には重しのようなものがついていて、うまくそこまでひとっとびにいけないの。でも、あなたがここで私に言っているのは、どういうことか、分かるの。だから、正直困っているの。
穴ぼこのざわめきが一瞬止んで、それからぐわんと大きくなる。大きくなって、また止まる。私はあなたがここに在ることにもう気づいてる、だから、いろんな瞬間に、あなたのことを思い出す、思い出して、今あなたならきっとこんなことを思っているだろうなって思いながら行為すると思うの。そこから始めるので構わないかしら? 穴ぼこはじっと黙っている。黙って、私を見つめている。
今正直、私はちょっと苦しいの。気づいたはいいけれど、どこから始めたらいいのか、それが全然分からなくて、困っているの。いろんなことに気づいているって、こんなに大変なことだと思わなかったっていうのもあるかもしれない。自分の中に渦巻くいろんな感情に敏感になっていると、自分がとても疲れてきてしまうこともあるくらいで。でも、大丈夫、あなたのことを私はちゃんと気づいているし、見過ごしたりはしないから。しんどくても、ちゃんと気づいているから。だから、そこから始めるんでいいかしら? 私は重ねて問うてみる。穴ぼこの本当に願っていることは、何なのだろう。そう思って、もう一度尋ねてみることにする。ねぇ、もう一度訊いてもいいかな、あなたが私に一番してほしいことって、何?
穴ぼこが、ざわっと蠢く。ちょっと怒っているかのようだった。それはそうだろう、私は同じ質問をしているのだから。彼女が憤慨するのも当たり前だ。でも仕方ない。今の私には、それをもう一度問うしか術がない。
でも穴ぼこは、それ以上は蠢かなかった。ただ黙って、そこに在た。そうして、私を見つめていた。じんじんと伝わってくるものがあった。せりあがってくるかのように伝わってくるものがあった。私の胸を圧迫するくらいに、せりあがって、そうして伝わってくるものがあった。
私が何より、私自身に正直であること、素直であること、そうして穴ぼこを忘れないこと、だ。
ありがとうね、もう一度応えてくれて。大丈夫、私はまたあなたに会いに来るし、あなたを忘れることはしないから。ちゃんと覚えているから。私はそう言って、微笑んでみる。そうして手を振って、また来るね、と挨拶して別れる。
「サミシイ」の砂は、足が少し埋もれるほど柔らかで。表面は冷たいけれど、埋もれたところはとてもあたたかで。それはきっと「サミシイ」の体温なのだろうと思う。おはよう「サミシイ」さん。私は挨拶をする。そうして私は砂の上に座り込む。
「サミシイ」はそういえばもう、「サミシイサミシイ」と連呼することはないし、もやもやとした感じもほとんどない。ただそこに、在る、という感じだけだ。砂に埋もれた顔半分の、出ている部分の目が、じっと、私を見つめている。
私は昨日考えたことを伝えてみる。私はもう、自分なんていなくなればいいなんてことは思わないよ、と。せっかくここまで生き延びてきたのだもの、もう自分なんて、ということは、思ったりしないと思うよ。
「サミシイ」はそんな私をじっとただじっと見つめている。信じかねている、というのとはまた違う、ただじっと、見つめているのだ。
考えてみれば、私は何度も、いなくなればいい、私さえいなくなればいい、ということを、実際の行為で為してきた。繰り返すしかできなかったあの頃のリストカットも、薬の馬鹿呑みも、そういった行為の一つだろう。周りが本当にどう思っていたのかはもう知らない。そういうことは知らないが、分かるものでもないが、少なくとも私は、私に、そういう制裁を為してきた。私が私にしてきたことだ。
それは間違いなく、私の責任だ。
そうしてちょっとだけ首を傾げる。私はあの頃、あの幼い頃、本当はどうしたかったんだろうか。生きたかったんだろうか。それが、正直、分からない。それさえ思うことができなかったような気もするし、生きたいと願っていたような気もする。
するとその気配に気づいたように、「サミシイ」がほんのちょっと動く気配がする。私はそれをじっと見つめている。
生きることがどんなことかさえ、まだ知らない頃だった。そんな頃だというのに、生きるには条件がいるとつきつけられたのだ。その条件をクリアしなければ、私というものは生きている値打ちはない、と、そう示された。その事が、たまらなかったんだ。
そんな、当たり前のことに、改めて気づく。
生きる値打ちはない、存在している価値はない。それらがまるでレッテルのように背中に貼り付けられて、それを背負って歩いてきた。それはどれほど重たいものだったろう。「サミシイ」にとって、どれほどそれは重いものだったろう。
そのことを思ったとき、ふと見ると、「サミシイ」がまた、小さくなっていた。ひとまわり、小さくなっていた。

娘のクラス替えは無事に済んだ。とりあえず好きな男の子と一緒のクラスになれたらしい。出席番号も近いらしく、席替えが楽しみだと布団の上で踊っている。
眠りにつく前、娘ががばりと私に覆いかぶさってきた。重いよー、重いよー、私が呻く。すると彼女はのたまった。「愛のお仕置きだー!」。何が愛のお仕置きなんだ、重たいだけじゃんか、と私が反論する。すると今度は「ヘイ、ハニー、これが愛ってもんだぜ」と言いながら、私の脇腹を一生懸命くすぐってくる。だから私もくすぐり返す。もちろん娘が早々に負けて、参ったを繰り返す羽目になる。
ふと思いついて、試しに娘に尋ねてみる。「ねぇ、愛ってなぁに?」。娘が即答する。「愛ってこういうことだよっ!」。そして私の頬にぶちゅーっとキスしてくる。
…なんかちょっと違う気がするけど。まぁいい。
というか。なんというか。こういうふうに表現できるって、すごいなぁと思う。私には決してできなかった。両親に、そんなことをする隙がなかった、というのもあったんだろうが、私もそういうことを試してみるという勇気はなかった。
娘よ、おまえのそういう勢い、素敵だと思うよ。そのまま、大きくなれや。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。重たい鼠色の空の下、自転車を蹴って走り出す。今日は駅三つ分、走る。
一つ目の川で、大勢の鴎に出会う。大勢いるのだが、群れている、というより、点在している、といった感じか。大勢居る鳩ともまた違う様相。
一羽が大きく羽を広げ、飛び立つ。続けて二羽、三羽と。その瞬間、空の雲が割れた。
ごおっと音を立てて漏れてくる光の中へ、鴎は飛び立っていく。
さぁ今日もまた一日が始まる。私は再び自転車のペダルに足をかける。


2010年04月05日(月) 
しとしとと降る雨。その気配は部屋の中にまで滲んでいる。窓を開けベランダに出る。ベランダの、まだ直していない洗濯物干し、斜めに立てかけてある竿に、雨粒が順繰り、並んでいる。私はそれを指でさぁっと撫でてみる。ぱらぱらぱらと飛び散る雨粒。でもそのすぐ後からまた、雨粒が溜まってゆく。同じ場所に。まるでそこには、雨粒の道があらかじめ敷かれているかのよう。
イフェイオンたちは変わらず元気に咲いていてくれている。その六角の星型の花弁には、雨粒がぽつり、ぽつりついている。指で弾くと、ぽろろん、と音を立てて雨粒が落ちてゆく。もちろんその音は私の目の中で。
ミミエデンはまだあれから新しい芽を出していない。だから病気がどうなっているのか、ちょっと今分からない。分からないが、すでに出ていた葉の中に、あやしいものが潜んでいる。私は念のため、それも指先でそっと摘む。
この週末の間にパスカリがぐんと葉を伸ばした。こんもりと茂みになり始めたその姿は、茂みが上のほうにあってちょっとアンバランス。でもかわいい。ベビーロマンティカとマリリン・モンローは相変わらず元気でいてくれているようで。これでもかこれでもかというほどに緑を茂らせている。この鉢の大きさで本当に足りているんだろうかと、ちょっと心配になる。
部屋に戻ると、ゴロが回し車を回しているところ。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女は声に気づかなかったのか、しばらく車を回し続けている。私はそれをただ見つめている。やがて回し車を止め、潤んだ瞳でこちらを見上げるゴロ。私がとんとん、と扉を叩くと、とことことやってきて、後ろ足で立つ。私はひくついている彼女の鼻先を、ちょんちょんと指先で触る。
顔を洗い、鏡を覗く。ちょっと白っぽい顔がぬぅっと鏡に浮かんでいる。おはよう。私は自分にも声を掛けてみる。そうして目を閉じ、自分の体の内奥に耳を澄ます。
今朝一番に感じたのは、下腹部の鈍い痛み。とてんと横たわるように小さくそこに在る鈍い痛みは、まるで、自分はここに在るのよと主張しているようで。私はちょっと笑う。そんなに主張しなくても、私はあなたがそこに在るのをちゃんと知っているよと声を掛けてみる。あぁ、そうなの、と、少し安心したような鈍い痛みは、ほうっと息をつく。私は少し離れたところから、彼女を見つめる。あなたは自分が女だってこと、ちゃんと今も意識している? といきなり言われて、私は慄く。いや、意識していないわけじゃぁないけれども、そう言われると、常に意識しているわけじゃぁなさそうだ、と思う。いやむしろ、やっぱり、自分が女だということは、あまり意識しないようにしているのかもしれない。まるであなたは自分の性を汚いものって思ってるみたい。痛みはそう言って嘆いている。だから私は言ってみる。あなたにはそう思えたのね。そうか、だとしたらごめんなさい。でも私も正直、どう扱っていいのか、いまだに良く分からないの。正直に言ってみる。自分が女だってことは分かっているのだけれども、それを、意識すると途端に不自由になる気がして、でもじゃぁどうしたらいいのかっていうのが、私には分からないのよ。汚いものって思っているわけじゃぁないけれど、女で在るが故に背負ったものが多すぎて、重すぎて、きついのかもしれない。私はできるだけ正直に彼女に言ってみる。彼女は黙ってしまった。あぁ、早く私の気持ちを言いすぎてしまったと私は途端に後悔する。まず彼女の気持ちを全部聴くべきだった、と後悔する。でももう遅い。彼女はじっと黙って、何か考えている。だから私も黙ることにする。黙ってただじっと、彼女を見つめている。汚いって言ったって、きついって言ったって、それがあなたなんじゃない。それが私なんじゃない。そんなこと言われたって私は困る。彼女がぼそり、そう言う。確かにそうだ。それがあなたで、それが私で、だからそんなこと言ったって何も始まらないのだ。あなたは私にどうしてほしいと思っているの? 私は尋ねてみる。すると彼女は、女であることを嫌がらないでほしいの、嫌わないでほしいの、と応えた。はっとする。私はつらいとは思ったことはあったが、嫌ってはいないつもりだった。それが彼女には、少なくとも彼女には、私が私を嫌悪しているように見えていたのかと。それが伝わった。
そう言われると、全身でいやそんなことはないと否定するだけの力が自分にはないことに気づいた。昔ほど自分を嫌っているわけではない。好きになろうと努力はしてきた。今ではそれなりに、自分のいろいろな部分を私なりにだけれども受け容れてきたつもりだった。でも。
あぁまだまだそう見えるのか、と。そう思った。ごめんね。私はとにかくも、彼女にそう伝えてみる。私はそこまで思っていたつもりはないのだけれども、あなたにそう思えたのね、だとしたらごめんね。そう言ってみる。彼女は黙ってこちらを見つめている。あなたに起きたことは、私だって分かっているけれど、でもだからって、私を否定するなんてことは、してほしくなかったの。彼女がぼそり、そう言った。その言葉は私には、重かった。いろいろなことが走馬灯のように私の中に浮かんできた。まるで彼女をスクリーンにしてそれが浮かび上がるかのようだった。様々な場面で、そうあれ以来様々な場面で、私は私の性を否定してきた、それは、間違いはない気がする。彼女の言う通りだ。そうすることで何とか私はその場を越えてきたのだ。そのことを認めたら、下腹部が余計に重くなった。どくん、と痛んだ。そっとその痛みに手を添えた。すると痛みはからからと回り始め、少し小さくなった。正直あなたに対して、私はまだまだ、どうしたらいいのか分からないの。でも、あなたがここでこうして思っていることは、ちゃんと分かった。だからまた改めてここに来たいのだけれど、それでもいいかしら? 私は尋ねてみる。彼女がこくんと頷く。私はありがとうと言って、手を振る。また来るね、と。
穴ぼこは、そうした私と彼女のやりとりを、離れた場所から見ていたようだった。ぐぅん、ぐぅんというような音と共に、穴ぼこが動いているのが分かる。おはよう穴ぼこさん。私は挨拶をする。穴ぼこは何も言わないが、間違いなく私と彼女とのやりとりを見ていたのだなと、それが伝わってくる。まるでそれは私にも関係している、と言わんばかりに。ねぇ穴ぼこさん。おはぎ、今度私が久しぶりに作ろうと思うのだけれども、あなたは食べる? 尋ねてみる。穴ぼこは何も反応しない。そうだよね、おばあちゃんのおはぎと私のおはぎとは違うよね。それに、あなたはそういうことが言いたいのとはまた違うんだもんね。好きなものを好きなように食べることができたあの頃が、懐かしいんだよね。食べることをどこかで拒絶している今の私がおはぎを作ったからって、あなたは食べたいわけじゃぁないよね。私はちょっと悲しくなってそう言ってしまう。そう、今私がおはぎを作って、私が食べてみたからといって、私はきっとどこかで拒絶するだろう。食べることを。これを食べていいのだろうか、と思うんだろう。いやそもそも、食べたいと思えるだろうか。素直に。
私は継げる言葉が思いつかず、黙り込む。穴ぼこはそんな私を見つめている。だから私は試しに言ってみる。ねぇあなたは、今、私に一番に何をしてほしい?
穴ぼこはただじっと私を見つめている。あぁそうか、穴ぼこはただ私に、素直になって欲しいだけなんだ、と気づく。誰かと比較したり、誰かの批判を気にしたりすることなく、私自身に素直になってほしいだけなんだ、と。それはとても、難しいことのように思えた。比較も批判も非難も、何もかもを流して或いは受け容れて、その上で私らしく私が笑っていられるようになるのは、とてもとても難しい、そう思えた。でも穴ぼこは、私にそれを願っているのだと、それが分かった。
私は穴ぼこと見つめ合う。どうしていいのか分からなくなってしまった。安請け合いはできない。できないことをできるなんて易々と言うことなんてできやしない。そんな言葉穴ぼこだって欲してはいない。
ちょっと気持ちを整理してから、またあなたに会いにきてもいいかしら? しばらく考えて、私は彼女にそう言ってみる。彼女はただ私を見つめている。じゃぁ、そうするから、また今度まで待っててね。また来るね。そう言って私は彼女に手を振る。
そうして私は次に、「サミシイ」に会いにゆく。「サミシイ」は相変わらず砂の上に横たわり、半ば砂に埋もれるようにして横たわり、私を見つめていた。おはよう、私は挨拶をする。あれからちょっと考えていたのだけれども、私、結構ひとりが好きな子供だったのね、と笑って言ってみる。いや、ひとりが好きだったわけじゃない、言葉の暴力に晒されるくらいなら、ひとりがよかったのだ、と、言ってからはっと気づく。あぁそうか、だから私はひとりになりたかったのか、と。そうして「サミシイ」を見つめると、今頃気づいたのかというような、寂しげな顔をしてこちらを見つめている。だから私は言ってみる。ごめんね、今気がついた。そうか、そうだったんだね。父母の、特に母の言葉の暴力に晒されるくらいなら、あなたはひとりでぽつねんと居る方がずっと楽だったんだね。でもそれが、できなかったんだね。あの頃の私は、それを選ぶ権利もまだ、なかったから。私はぼそりとそう言う。「サミシイ」は変わらず私を見つめている。
そう、あの頃私はまだ、何も選ぶ権利など持っていなかった。父母の庇護のもと、生きるしか術はなかった。その一番近しいはずの母の言葉の暴力はだから、或る種、絶対的だった。私が存在するからにはそれが在る、というような、そんな関係だった。だから私は、こんなふうになるなら私なんていなくなればいいと思ったのだった。
あの頃は、死ぬなんてことは、知らなかった。死ねば終わりにできるかもしれない、なんてことはだから、考えも及ばなかった。ただ、間違いなく自分なんていなくなればいい存在なのだ、と、いなくなればいいんだと、そう思っていた。
そしてそれは、私の人生全体を覆った。何かにぶつかるたび、あぁだから私なんていなくなればいいのだ、と、存在していることが間違いなのだと、思うようになったのだった。私の人生脚本のひとつは、あの頃にすでに、できあがっていたのだった。
ごめんね。自然に私はそう言っていた。守ってあげられなくてごめんね。そう言って、「サミシイ」を見つめた。その時ふっと、「サミシイ」の体が小さくなったように思えた。気のせいだったのだろうか、でも。ほんのひとまわりだけれども、小さくなった、そんな、そんな気がした。
また来るよ、だから、あなたの話をもっともっと聴かせてね。私はそう言ってみる。「サミシイ」はじっとこちらを見つめている。私は手を振って、その場を後にする。
どのくらい時間が経ったのだろう。分からない。気づけば、電話が鳴っていた。

お湯を沸かし、オレンジスパイサーというハーブティーを入れる。濃い目を飲みたくて、二袋入れてみた。大きなマグカップの中、濃く暗いオレンジ色の海が広がる。私はさっき見てきたことたち、感じてきたことたちを、心の中で反芻する。そうして、重くきつい気持ちになった。どれもこれも、私が放ってきたことたちだった。間違いなくそうだ。私が生き長らえるために、そのために、放置してきたものたちに間違いなかった。だからつまり、彼女たちを置き去りにしたのは、間違いなく私だった。
テーブルの上、百合が蕾を開かせた。橙色の花びら。すっと伸びるその姿は、なんて凛としているのだろう。その隣、白薔薇がまだ咲いていてくれている。薄い煉瓦色のガーベラと山百合と白薔薇。その色の対比が、テーブルの上、賑やかで。私はふっと心が和むのを感じる。

じゃぁね、それじゃぁね。また後でね! 手を振って別れる。娘は今日から小学五年生。私はバス停へ。
小降りだけれども雨は降り続く。今日一日こんな天気かもしれない。私は空を見上げながら思う。手を伸ばすと、雨粒がぽつり、ぽつり、私の指先に落ちてくる。
やって来たバスは珍しく空いており。私は後部座席に座り、本を広げる。一度広げてはみたが、集中できず、車窓を眺めることにする。港の方、けぶる景色。行き交う人たちはみな、傘の花をさしている。
海と川とが繋がる場所も、今日はどんよりとした色合いで。海鳥たちが橋の脇で休んでいるのが見える。こういう日、彼らはどんなふうに食事をするのだろう。
歩道橋を渡り、向こう側へ。
さぁ一日がまた始まってゆく。


2010年04月03日(土) 
がら、がららら。ミルクの回し車の音が響いている。見に行くと、その隣でゴロも回し車を回しているのだが、こちらはちぃとも音がしない。同じ素材、同じ環境なのに、この音の違いは一体何処から来るのだろう。そもそも、ミルクとゴロの体格の差、どうしてこうも異なるものになってしまったのだろう。不思議でならない。私に気づいたらしいゴロが最初に回し車から降りてやってくる。おはようゴロ。おはようミルク。私はそれぞれに声を掛ける。ゴロはひくひくと鼻を震わせながら、こちらを窺っている。ミルクはというと、早速餌箱の中に陣取って、餌を口に運んでいる。私はゴロの頭をちょんちょんと撫でてやる。ゴロは餌がもらえると思ったのか、私の手をぱちりと挟む。その仕草が何ともかわいらしい。
窓を開けるとぬるい微風。春の証拠とはいえ、まだ私の体はその温度についていききれていない。もっと寒ければいいのにと思う。ベランダに立ち、大きく伸びをしてみる。空には薄い雲がかかってはいるが、とても明るい。今日は晴れるのだろうか。だとすると、公園などは花見客で賑わうんだろう。もう昨日ぐんと散り始めた桜だ。今日を逃したらないかもしれない。
イフェイオンが咲いている。耳を澄ますと、しゃんしゃんと鈴の音が聴こえてきそうな気がする。指で花をそっと突付く。しゃん。目の中で音がする。もう一度突付いてみる。しゃんしゃん。やっぱり音がする。
ムスカリはもうずいぶん花の形が崩れてきた。そろそろ切ってやった方が、球根のためにはいいのかもしれない。明日帰ってきたらそうしてやろう。最後まで綺麗な青紫色を見せてくれた花。本当にありがたい。
ミミエデンを振り返る。新芽は今は出ていない。だから粉の噴いた葉もない。ちょっと安心する。その隣、ベビーロマンティカとマリリン・モンローは、これでもかこれでもかという勢いで葉を茂らせている。萌黄色の若葉と、暗緑色の縁の赤い若葉。それぞれにつやつやと輝いている。
部屋に戻り、顔を洗う。何だかちょっとすっきりした顔になっている。目を閉じて、体の内奥に耳を澄ます。
おはよう穴ぼこさん。私はまず穴ぼこに声を掛ける。穴ぼこはひゅうるりという風の鳴るような音を立てる。とくん、とくん、とゆっくりとした脈打つ音が聴こえてくる。今何をしていたの、と問うてはみるが、返事はない。ただ、ゆったりと、寝返りをうつような気配がしただけ。そういう気配がするということは、私がここに在ることは伝わっているということだろうか。そうだといいのだけれども。
穴ぼこの周りは暗い。まるで闇を纏っているかのような雰囲気だ。でも、その闇色も、以前よりはずいぶん明るくなったように思えるのは気のせいだろうか。少なくとも、穴ぼこの輪郭が前よりはっきりと見て取れるようになってきたということは、少しは明るくなってきたということなんだろう。そう思う。それにしても。何もない。がらんどうの部屋だ。彼女はここで一体どのくらい、たった一人で過ごしてきたのだろう。闇を食べて生きてきたのだろうか。そうとしか思えない。その闇は一体どんな味だったんだろう。どんなに空虚だったろう。
ふと思う。私はいろんなものを切り離して、切り離すことで、生き延びてきたようなところがあるのかもしれない、と。穴ぼこしかり、「サミシイ」しかり。そうやって自分の内奥のモノたちを置き去りにすることで、見ないようにすることで、生き延びてきたところが、きっと多分にあるんだ。そう思えた。
ねぇ、あなたは今、何が一番食べたい? 私は試しに尋ねてみる。すると突然、穴ぼこが、返事をする。おばあちゃんのおはぎ。私は耳を疑った。まさか返事があるとは思ってもみなかった。しかも、おばあちゃんのおはぎ?! でも、確かに彼女は今そう言った。
あぁ、おばあちゃんのおはぎ…。もうずっと食べてないね。食べたいね、そうだ、私も食べたい。
ばあちゃんのおはぎは大きめで、中に餡がたっぷり入っていて、でっぷりと、そう、今のミルクのようにでっぷりとしたおはぎだった。口に含むと、甘みと塩味とが絶妙なバランスでもって溶け合って、私にはたまらなくおいしく感じられた。山のように作っては、近所の人たちに配ってあるいたばあちゃん。私たちはばあちゃんが配り終えるのを待って、ようやくおはぎにありつけた。もうおなかが空いて空いて、待ちくたびれてようやっと、ありつけるのだった。あぁ今日もみぃんななくなった! そう言って満足そうな顔をするばあちゃんが、私にはちょっと誇らしかった。ご飯の前だろうと何だろうと、おはぎを食べるのに、ばあちゃんは何の注意もしなかった。私が食べたいだけ食べさせてくれた。もちろん、もうみんなに配った後だから、残っているのは僅かな数なのだが、それでも、私が好きなように、好きなだけ、食べるのを放っておいてくれた。懐かしい、本当にもう、昔のことだ。
あなたはその頃のことを覚えているのね。私は穴ぼこに声を掛ける。返事はない。私、今改めて思い出したよ、もう長いこと、忘れていたのに。あのおいしいおはぎ、また食べたいよね。うん。私は彼女に言うでもなく、呟く。穴ぼこがごそり、動く気配がする。食べたいように食べる、というのが、たまらなく幸せだったよね。私が言う。穴ぼこはただ黙って、私の声に耳を傾けている。
思い出させてくれてありがとう。また来るね。私は穴ぼこにそう挨拶して、その場を離れる。そうして、今度は「サミシイ」に会いにゆく。
「サミシイ」は、相変わらず砂の上に横たわっており。半ば埋もれるようにして横たわっており。おはよう、と私が声を掛けると、ただじっとこちらを見つめるのだった。そういえば、ここの温度は何処かひんやりとしている。じっとしていると、肌寒さを感じる。ねぇ、寒くない? 私は声を掛けてみる。「サミシイ」はじっと私を見つめている。寒くないわけがないよね。こんなにここは冷たいのだもの。こういう場所にあなたは、ずっと在たのね。私は呟くようにそう言う。ねぇ、今、あなたは何がしたい? 何を見たい? 何を感じたい? 私は試しに尋ねてみる。彼女の目が、ちらりと動いた。動いて、天井の方を指した。私も見上げてみる。するとそこには、真っ暗な、天井があった。それはまるで闇が蠢いているかのような、深い深い、暗い天井だった。いや、でも、あなたが見たいのはこれじゃないのね? 私は、「サミシイ」を見つめる。すると、「サミシイ」からイメージが伝わってくる。ススキの陰から見上げた、あの真っ青な空。あぁ、あの空き地から、ススキの野っ原から見上げていた、あの青空だ、と気がつく。幼い頃、住んでいた近くに、そういう場所があった。私はかくれんぼや何かで遊ぶとき、いつもススキの陰に隠れて、見つかるまでの間、そうして空を見上げていたんだった。雲の描く模様が、たまらなく好きだった。決して止まることなく、新たに次々生まれ来る雲の模様を眺めて過ごすのが、たまらなく好きだった。思い出した。あぁ、あなたはあの頃からここに在たのね。私は「サミシイ」を見つめながらそう言う。「サミシイ」は私をじっと見つめているけれども、何も言わない。そうか、そうだったんだ。あなたはあの頃、私がまだ外でよく友達と遊んでいた頃、もうすでにここに在たんだね。私はなぜか、すとんと落ちてくるようなものを感じる。納得ができた、そんな気がした。
うん、もうちょっとあの頃のことを思い出してみるよ。そうしてまたここに来るからね。私はそう言って、その場を立つ。手を振って、そうして目を開ける。
懐かしくて懐かしくて、でも思い出すには切なくて、思い出してしまうとそこに帰りたくなって、だから思い出さないようにしていたことたちを、彼女たちはしっかりと覚えてそこに在り続けていたのか、と、改めて思う。だから穴ぼこで、だから「サミシイ」なんだ、と。
一度、いつまでもいつまでも見つけてもらえなかったことがあった。かくれんぼをしていたときのことだ。名前を呼ばれても、もうどうやって出て行ったらいいのか分からなくなって、ただひたすらしゃがみこんで空を見上げていたことがあった。あぁこのまま溶けてなくなってしまえたらいいなぁと思った。そうしたら、パパやママにとって邪魔な自分はいなくなることができるのに、と。思えば、あの頃からそんなことを私は考えていたのか、と、ちょっと驚く。
お湯を沸かし、お茶を入れる。オレンジスパイサーというハーブティー。ちょっと癖になりそうな味だ。しばらくは朝一番のお茶はこれになるのかもしれない。

それじゃぁね、じゃぁね、と言いかけたところで、立ち止まる。何か話したいこと、あるの? …。なぁに? ここじゃ話せない。じゃぁ何処だったら話せるの? 電話かメールで話す。何それ、今言えばいいじゃない、気になるよ。いや、いい、後でメールする。…わかった。
時々、そういうことがある。届くメールは他愛のないものだったりするのだが、彼女にとっては声に出していうことが憚られることがあるらしい。年頃のせいなんだろうか。それとも、彼女独特の心の動きがあるんだろうか。どちらにしても、私は待つしかないらしい。
手を振って別れる。私は左、娘は右。ホームに上がると、明るい陽射しが燦々と降り注いでいる。一羽の鳥が、長い翼を広げ空を渡ってゆく。
さぁ今日も一日が始まる。


2010年04月02日(金) 
夜半に電話で眠りを邪魔され、それから再び寝入ることができなかった。迷惑至極な電話だった。こういうとき、電話というものを恨みたくなる。こんな便利な機器が発明されなければ、私の眠りは妨げられることはなかったのに、なんて思う。自分の都合だけで掛けて来て、自分の言い分だけ言って切る、という電話ほど、感じの悪いものはない。電話を掛けるとき少しでも、相手のことを思いやるという気持ちが沸かないのだろうか。私には理解がしづらい。
不愉快な気分を引きずったまま、そうして朝を迎えることが、もっと嫌だった。何とか気分転換の方法はないか、探してみる。だか頭の中はそれに捕えられており。全くもって厭な気分だ。
それでも私は窓を半分開ける。半分、というのは、あまりに風が強くて、それしか開けられないから。何なんだ、この風は、と思うほどに強い。あまりに強くて、物干し竿が落ちたくらいだ。強く、ぬるい風がびゅうびゅうびゅうびゅう吹いている。私の髪の毛は瞬く間に嬲り上げられる。でも、目を閉じて、嬲られるままにしていると、何となく、気持ちが落ち着いてくる。自分にとって害悪にしかならない人との縁を持ち続ける意味はあるだろうか。正直、もはや、ない気がする。昨日の電話で、それは決定的になった気がする。私は基本自分から人との縁を切ろうとは思わない性質だが。なんだかもう、いい、という気がしている。そう思ったら、少し、楽になった。あぁ私はもう、手放していいんだと思ったら、少し楽になった。
目を開けると、イフェイオンがこれでもかというほど風に嬲られている姿が映る。支える術もないから、私はただそれを見守るのみ。イフェイオンを見つめながらも、私は今、自分が思ったことを反芻している。私が私の心の中でその縁を切る。その意味を、考えている。
雨雲が、びゅんびゅんと空を往く。まさに、空を駆け巡っているといっていいような様相。今に空全体が雨雲に覆われるのだろう。そんな気がする。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中覗くと、すっかり疲れ果てた顔が映っている。あぁだめだこりゃ、と私は笑ってしまった。あぁ、彼女の件に関して、私はもう、気分が悪いというだけじゃぁないんだなぁと痛感してしまった。限界だ、それを知った。私は改めて、反芻する、縁を切る、ということ。自分がぼろぼろになるんじゃぁ意味がないのだ。
人との縁というのは、授かりもの、というような気がする。大事な大事な授かりもの。だからこそ、そう簡単には切らない。何年も保留しているものももちろんあるけれど、でもその緒もどこかに繋がっていると思えば、こちらから手放しはしない。そういうものだと私は思っている。でも。
今回はもう別だ、と思った。
そうして気持ちを切り替え、自分の内奥に目を向ける。耳を澄ます。穴ぼこさん、おはよう。私は声を掛けてみる。穴ぼこは今朝も眠っているようで。とくん、とくんと脈打つ姿がそこに在る。母に拒絶された瞬間に空いた穴ぼこだった。あんたさえ、あんたなんか、と言われたその言葉によって、繰り返されるそうした言葉によって、空いてきた穴ぼこだった。穴ぼこが声を出して語ることはないけれども、私にはそれが、ありありと伝わってきていた。今ならその言葉の意味を、母の側に立って捉えることができるけれども、あの幼かった頃の私には、それができなかった。自分を全否定されたのと同じだと思えた。だから私はこの穴の中に、入って隠れて、いなくなってしまいたいと願ったのだ。だからこその、この、底の見えない深い穴なのだ。ごめんね、私は彼女に言ってみる。守ってあげられなくてごめんね。あの頃の私は、自分が立つのが精一杯で、あなたを省みてあげることができなかった。そしてあなたにだけ、荷を負わせた。だからあなたはこんなふうになっちゃったんだよね。ごめんね、と。穴ぼこが一瞬、ざわっと動いた気がした。でもそれは一瞬で。一瞬の後には、またとくんとくんと脈打つだけの、遥かなる穴ぼこがそこに、在るのだった。
また来るね、と挨拶し、私はその場を離れる。そして今度は「サミシイ」に会いにゆく。「サミシイ」は昨日姿を明らかにしてから、少し、落ち着いたようだ。もう見えてしまったのね、というような具合。柔らかい砂の上、横たわり、半ば砂に埋もれた姿の「サミシイ」は、相変わらずこちらをじっと見つめている。だから私も見つめ返す。私の位置からじっと、ただ見つめ返す。私の中で幼い頃分裂した、その片割れだということは、もう分かっている。私の片割れなのだ。この「サミシイ」は。そう思う。私が必死に、父母の望む姿になろうと足掻いているときに、置き去りにした、私の中にあったおとなしい穏やかな子。私と比べると、少し甘えん坊なところがあったのかもしれない。そう、父母に甘えたかった。ただ笑い合いたかった。他愛ないおしゃべりがしたかった。私はこの子を置き去りにすることで、この子のことを守っているつもりだったのだ。でもいつの間にかこの子の存在を忘れてしまった。そうして過ごしてきてしまった。その間にこの子は、置き去りにされたと思うようになってしまった。守られている、のではなく。それは間違いなく、私のしたことだった。ここに閉じ込められて、この子は窓もないこの空間で、ただひとりずっと、いたんだと思うと、たまらない思いがした。
でも大丈夫、もう気がついたからね、思い出したからね、だから、また来るよ、私はそう言って、立ち上がる。「サミシイ」は相変わらず、こちらをじっと見ていた。そう言われても、困る、簡単に信じることなど、もうできない、というような表情だった。だから私は、それも分かっているよ、と微笑み返す。だからまた来るね。そう言って、目を開ける。
昨夜水切りした白薔薇は、また少し元気を取り戻したようで。でももう開かせた花びらを支えているのが重たいといった風情でもあり。私は指でその花弁をなぞる。もう少し、咲いていてね、と声を掛ける。その隣で、ガーベラたちが凛々と咲いている。まるで白薔薇にエネルギーを送っているかのような勢いだ。私はその姿に励まされる。
お湯を沸かし、お茶を入れる。オレンジスパイシーなどという名前のついたハーブティー。先日友人が分けてくれたのが、とてもおいしかったので買ってみた。多分強い香りがしているのだろう、それを口に含み、口の中転がしながら思う。匂いをもうちょっと感じることができたらなぁ、と。
椅子に座り、支度を始める。さぁ朝の一仕事。

ママぁ、ココアに噛まれた! ありゃまぁ、珍しい。大丈夫? えーんえーんえーん。娘が珍しく声を上げて泣いている。そんなにココアに噛まれたのがショックだったの? うん。ココアは噛まないと思ってた? うん。そっかぁ、でも、ココアもハムスターだからなぁ、噛むときもあるよ。でも、でも…。大丈夫、このくらいだったらすぐ治るよ。明日にはまた、いつものココアに戻ってるさ。…うん。
ママ、人って勝手だね。どうした、突然? だってさ、自分の気分をこっちにぶつけてきても平気な顔してたりするじゃん、平気どころか、まるで自分の方がかわいそうなのよ、みたいな顔してたりするじゃん。ああいうのって、私、信じられない。あぁ、そういうの、あるねぇ、うんうん、ある。被害妄想っていうんだよ、そういうの。そりゃぁさぁ、いい気分のときだけじゃないから、うまく誰かと行かないときだってあるけど、そういうときって、悪いなぁってどこかで思いながらしてるじゃん、普通。そうだねぇ。でもさぁ、そういうヒガイモウソウの人って、「私は悪くない! あんたが悪い!」って大声で叫んでる感じがする。すごい迷惑。ははは、迷惑かぁ、そうだねぇ。うん。こっちにまであんたの厭な気分を伝染させないでよ、って思う。ははは、まぁ確かにそうだ。こういう人と、ママは、どうやって付き合ってる? ん? ママだったらそういう人にどうやって接するの? うーん、ママは、適当に距離を置く。距離を置くって? どういう意味? そうだなぁ、あぁこの人はそういうところの在る人なんだなぁ、かわいそうだなぁって思いながら、その人のすることを眺めてる。へぇ、そういうもんなの? いや、他の人がどうしてるのかは分からないけど、ママは、そうしてるかも。切っちゃわないの? あぁ、そういうことかぁ。うーん、切っちゃうこともある、もうだめだぁ、と思ったら切る。どういうときもうだめだぁって思うの? うーん、この人と関わってると、自分まで心汚くなってっちゃう、心が狭くなっていっちゃう、と思ったら、もうだめだっていうことなのかもしれない。ママの場合はね。ふーん。そうかぁ、じゃぁまだ、私は切らなくていいのかなぁ。うーん、ママは相手の人のこと何も知らないし、知っても、あなたがどう感じるかはまた別だから。自分で考えて自分が思うようにしてごらん。いや、ママがさ、いつも、人との縁は大切だよって言うから…。あぁ、そうだね、ママそう言うよね。だから、切っちゃいけないのかとも思って。うーん、相手によるよ、場合にもよるよ。だから、その都度考えて、やるしかないよね。ふーん。

じゃね、それじゃぁね、あ、お弁当持ってる? うん、じゃ、また後でね! 手を振って別れる。娘は右、私は真っ直ぐ。
川を渡るところで、立ち止まる。細かな雨が降っている。今だけだろうか、それともこれから降るんだろうか。あやしい雲行き。
暗緑色の水が、それでも滔々と流れてゆく。狭い、コンクリで固められた岸に沿って、それでも流れてゆく。
私は心の中で、その川に向かって、縁を一つ、投げてみた。ひらひらと川面に落ちて、そうしてたぷんたぷんと流れ往く縁。
それじゃぁね、さようなら。私は心の中、言ってみる。

さぁ、また一日が始まる。私は重い鞄を背負い直し、また一歩、前へ進む。


2010年04月01日(木) 
眠りにどすんと落ちたと思ったら、ぼかんと起きた、というようなそんな妙な感じで目が覚める。私は果たしてどのくらい眠ったのだろうか。覚えていない。覚えていないが、でも、それなりに眠れたような。どすんと落ちたところで、へたっていたのかもしれない。それでも眠れたのだからよしとしよう。
窓を開けると、なんとなくぬるい空気。昨日までのあの寒さは何処へ行ったのか。ぬるい、ぼんやりした大気が辺りを覆っている。西の方はまだまだ雲があるけれども、南東の方はずいぶん雲が薄れた。今日は晴れるのだろうか、それともまだ曇りだろうか。微妙な具合だ。少し風がある。イフェイオンの花が揺れている。私の髪を撫でて風が吹いてゆく。その風もやはりぬるく、私にはあまり心地いい風ではない。居心地が悪くて、私はしゃがみこんで空を見上げることにする。明るくなってゆく空、薄く広がる雲の一部が、まるで龍の口のようになっている。子供の頃そういえば、こうして空を見上げて何時間でも過ごすことができた。変化してゆく雲の模様を、ただ追いかけて時間を過ごした。時には野っ原に寝転がって、時にはススキの茂みに隠れるようにして。あんな贅沢な時間の過ごし方、他にないよなぁと思う。
ムスカリの花の形が少しずつ崩れ始めている。円錐形の、まず下の方が、その形を崩し始める。それまで詰まっていた花芽が、ぱらぱらとまばらになってゆくのだ。そうして全体が隙間だらけになって、そうして終わる。今年の花が終わるまで、後もう少し間があるだろう。それまでこの花の色をめいいっぱい、楽しんでおこうと思う。
ミミエデン、今朝は珍しく粉を噴いた新芽が見当たらない。というより、今のところ出てくるだろう新芽をすべて摘んでしまったから、見当たるわけもない、か。あぁ次の新芽はいつ出てくるだろう。本当なら、その葉を思い切り広げ、陽射しを燦々と浴びて過ごすことができるはずなのだろうに。でも、もう少し、もう少しと信じて、いくしかない。
パスカリの隣、小さな桃色のぼんぼりのような花を咲かせる薔薇の樹の、新芽がだいぶ出てきた。最初粉を噴いたものも見られたが、こちらはもうだいぶいいらしい。今はもう大丈夫になった。油断は禁物だが、でも、こうして小さな葉を広げてゆく姿を見ることができることは、幸せだ。
窓を開けたまま、部屋に戻る。顔を洗い、鏡の中を覗く。ちょっと頬が赤らんでいる。そのまま目を閉じ、体の内奥へ、気持ちを向ける。
穴ぼこは、今朝も静かだ。おはよう穴ぼこさん。私は声を掛ける。穴ぼこは、呼吸はしているけれども、本当に静かで。とくん、とくんと脈打つ音が僅かに聴こえる程度。私はその音と、穴ぼこの気配に耳を澄ます。長いこと放置していたはずだから、彼女が私に慣れるまで、時間がかかるんだろうと思う。それでも、不思議だ、これが人ならば、他者ならば、拒絶もするんだろうに、彼女は私がここに在ることを赦してくれる。それだけでも、感謝したいと思う。長いこと彼女を放置しておいた私が、それでもここに在ることを赦してくれるのだから。
とくん、とくん、という呼吸音の向こう側で、ごそり、音がした。動く気配。でもそれもただ一度だけ。何処か痒かったのだろうか。私は話しかけることはせず、ただそこに在る。もう少し馴染むまで、こうしていようと思う。
そうして一旦穴ぼこに別れを告げ、私は「サミシイ」に会いにゆく。「サミシイ」はまるで砂に半分体を埋めて、それをただ黙って受け入れてそこに居るかのようで。私は「サミシイ」を見つめていると、とても切なくなる。「サミシイ」は何も言わず、でも、私には気づいたようで、私をじっと、見つめている。その目は黒く濡れていて、いや、黒といっても、緑がかった黒色で。その目が濡れている。涙を流しているわけではない。でも、濡れている。
あぁ、もう泣き疲れて、泣き果ててしまった後なのだ、と、思った。泣いて泣いて、泣いて泣いて、もうそれさえも、する気力が残っていないのが今なのだ、と。
ふと思い出した。私は小学六年生の頃、友人たちから泣き虫と呼ばれた時期があった。確かにその時期、本当によく泣いていた。ちょっと何かあると、すぐ涙がぼろぼろ零れた。小学五年生の頃先生に苛められて過ごした反動なのか、あたたかいクラスが、逆に、居心地が悪かった。自分が居ることが申し訳ない気がした。だから、ほんのちょっとのことでも泣けてきた。自分が何でも悪い気がした。でもごめんと言う言葉を声にするには遠くて、だからたまらなくなって泣いていた。卒業の時にはクラスメイトのほとんどから、「中学へ行ったら泣くなよ、もうみんなはいないんだからな」と言われたことを思い出す。
「サミシイ」には、そんなふうに、肩を叩いてくれる友人さえ、いなかったんじゃなかろうか。ただひとりで、こっそり、陰で、泣いていたんじゃなかろうか。そんな気がした。そうなのね、と私は声に出して言ってみる。彼女はただ、こちらを見つめている。ごめんね、放っておいて。私だけさっさと歩いていっちゃったのね、だからあなたはここでこんなふうにじっと埋もれているしかできなくなってしまったのね。私は小さく声に出して言ってみる。今気づいた。「サミシイ」の姿は、清宮質文先生の「九月の海辺」という絵に似ている。
あの絵を最初に見たとき、私はどきんとした。そして自然に涙が零れた。涙がもう溢れて溢れて、止まらなかった。あれはもしかしたら、私の中に居た「サミシイ」が反応していたんじゃぁなかろうか。突然そう思い至る。そう思い至って、はっとして私は「サミシイ」を凝視する。「サミシイ」も私を見つめている。
ひとりが寂しかったわけじゃなく、置いてきぼりになってしまったことが、彼女にはたまらなく寂しかったのだということに、今気づく。
あぁそうやって私は彼女を、置いてきぼりにしたんだ、ということに。
ごめんね。私は声を掛ける。ずっとごめんね。でももう大丈夫だから。私はあなたを置いてきぼりにはしないから。ここからは大丈夫だから。
私の目からも涙が溢れそうになった。でも、何故だろう、泣いてはいけない気がした。だから私は泣く代わりに、思い切り笑ってみせた。
また来るね。そう言って、手を振った。「サミシイ」はじっと、こちらを見つめていた。
なんだか目を開けても、ありありと、「サミシイ」の姿が私の目の中に、在った。
お湯を沸かしていると、ゴロがちょこちょこ小屋から出てくる。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは後ろ足でひょこっと立って、こちらを見上げている。鼻がひくひくしているのがここからでも分かる。私はその鼻の先を、ちょこんと指で触ってやる。
生姜茶を入れ、口に含みながらテーブルを見やる。白薔薇はまだ、咲いていてくれている。もう外側の花びらがずいぶん開いてきてしまって、そろそろ落ちてもおかしくはない頃合。その隣には、先日撮影で使った花たちが、新たに活けてある。その中には薄い煉瓦色のガーベラも入っており。このガーベラがとても大きな花で。色のせいだろうか、普段のガーベラよりずっと、おとなしげに見える。まるで暗い部屋の中、溶け込むかのような気配。
開けたままの窓から、風がそよそよと吹き込んでくる。揺れるカーテン。私は椅子に座り、朝の仕事を始める。

「人生の意味は生きることです。私たちは本当に生きているでしょうか?」「私が人生の意味とは何なのかを決めるのは、自分の先入見、欲求、欲望に従ってなのです。つまり、私の欲望が目的を決めるのです。たしかに、それは人生の目的ではありません。どちらがより重要でしょう―――人生の目的を見つけることか、それとも精神それ自体をその条件づけと尋求から自由にすることか? たぶん精神がそれ自らの条件づけから自由になるとき、まさにその自由そのものが目的になるでしょう。なぜなら、結局のところ、人が何らかの真理を発見できるのは自由の中でだけだからです」「ですから、第一に必要なものは自由なのです。人生の目的を探し求めることではありません」
「重要なのは人生のゴールが何かではありません。自分の混乱を、みじめさ、恐怖を、そして他のすべてを理解することです」「生きることの意味を十全に理解するには、私たちは自分のこんぐらがった日々の苦しみを理解しなければなりません」
「人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です」「私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのときに私はより豊かな意味を求めるのです。なぜ私たちの人生はこうも空虚なのでしょう? 私たちはなぜこんなにも寂しく、欲求不満なのでしょう? それは私たちが自分自身を深く見つめたことが一度もなく、自分を理解したことがないからです。私たちは決して、この人生が私たちの知っていることばかりなのだとは自分に対して認めず、だから十分かつ完全に理解されるべきだとは認めないのです。私たちは自分自身から闘争することの方を好むので、それが関係から離れて人生の目的をたずね求めることの理由です。もしも私たちが、人々との、財産との、信念や考えとの自分の関係であるところの行為を理解し始めるなら、そのとき関係それ自体がそれ固有の報酬をもたらしてくれることに気づくでしょう。あなたは探し求める必要はないのです」

ねぇママ、友達に裏切られたときってママはどうするの? ん? だから、友達が裏切ってきたときって、ママだったらどうする? うーん、その友達にもよるなぁ。どうして? 私はね、裏切られたらもう、切る。切るのか、そっかぁ。どうしてそうするの? だって、向こうが裏切ってきたんだよ、傷ついたのはこっちなんだよ、切る以外、何もすることないじゃん。これ以上こっちだって傷つきたくないもん。なるほどぉ、そっかぁ。ママは違うの? うーん、相手によるなぁ。相手が大切な人だったら、ママは多分、待つなり話を聴くなりするなぁ。どうしてそんなこと、こっちがしなくちゃならないの? うーん、しなくちゃならないって考えると、なんかしっくり来ないなぁ、ママは。ママは、そうしたいから、するっていう感じかなぁ。ママ、ばかじゃない、傷つけられたのはこっちなんだよ? そうかぁ、そうなのかなぁ、うーん。ママは、傷ついたのはママだけじゃない気がするんだよね。本当に心の在る人だったら、人を傷つけるとき、同時にその人も傷ついてると思うんだよね。なんで? なんでかなぁ、ママが人を傷つけるときは、ママも心が痛いから、かなぁ。ふーん。あなたは誰かに意地悪するとき、心が痛まない? うーん…。もちろん、気づかないでやってる人もいるよね、自分が相手を傷つけてることを気づかない人。そういう人とは、ママは距離を持つようにしてる。ふーん。でも、自分で気づいて、人を傷つけてる人っていうのは、きっと理由があるんだろうなと思うから、その理由をいつか、聴きたいと思う。…そんなの、すぐには分からないじゃん。うん、そうだね、すぐには結果は出ないよね。だから、長いこと待つことになるときもあるよ。一年、二年、三年…そうやって年単位で人を待つこともある。えーーー! そんなの、損じゃん! ははは。損かぁ、ママはそうは思わないから、待つのは苦じゃない。えーーー、変なのぉ、ママ、変だよぉ。そうかなぁ、笑。
自分が思うとおりにしたらいいよ。相手が自分にとってどれだけ大事な相手なのかをちゃんと見極めた上で、どうするか、自分で決めたらいい。…。

東の空が、忙しい。ぱっくり雲が割れて陽光が燦々と降り注いだかと思えば、すぐにその割れ目がくっついて、暗く鼠色になってゆく。
私たちは一緒にバスに乗り、駅へ向かう。駅前で娘が降りる。それじゃぁね、また後でね。手を振って別れる。私は一つ先の、終点で降りる。
海と川とが繋がる場所で、しばし立ち止まる。鴎の群れが飛び交っている。微かな啼き声がこちらにも響いてくる。それにしてもこの辺り、人が多くなった。この通路が出来て以来、ぐんと増えた。私は人の流れに乗って、再び歩き出す。
そういえば今日はエイプリールフールなのだな、と思い出す。さて、娘にどんな嘘をつこう。ちょっと考えてみるが、適当な嘘が思い浮かばない。がっかりさせるのも申し訳ない。それなら最初から、嘘なんてつかない方がいいかもしれない。
歩道橋の上、ふと立ち止まり、四方を見やる。鼠色の雲がうねうねと空に広がっている。ぬるい風がびゅうぅと吹いてゆく。私は髪を結い直し、再び歩き出す。
さぁ今日もまた、一日が、始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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