見つめる日々

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2009年04月23日(木) 
緑が燃えている。萌えていると書くのが正しいのかもしれないが、そんなやわらかな代物じゃない。緑が燃えている。いたるところで。燃え上がり燃え上がり、空への道を創っている。街路樹の銀杏、モミジフウ、プラタナス、桜、みな、空へ空へと手を伸ばす。光へ光へと手を伸ばす。

アベイ・ドゥ・クリュニーとパスカリの新苗を植える。その隣の、ミミエデンとクリーミーエデンの株が元気が無いのが気にかかる。一本一本の枝を撫で、アブラムシをとり、樹に話しかけてみる。このまままたこの樹も枯れてしまうのだろうか。せっかくここまで育てたのに。祈るような思いで見つめる。

ホワイトクリスマスとマリリン・モンローは今大きな大きな蕾を湛えている。アンバー・メイアンディナは今黒点病と戦っている。
毎日これらの樹を見つめ、毎日これらの樹につくアブラムシや病葉を取り去っても、おいつかない。それが悔しい。
外壁工事で玄関側の朝日しか当たらない場所に移さざるを得なかったこれらの樹たち。みんなみんな、花を咲かせなくてもせめて無事にちょっとでも育ってくれるといい。


2009年04月22日(水) 
若葉色がまぶしいくらいにあたりに溢れている。朝の光が乱反射して、それは発光するかのようにさえ見える。自転車を時々止めながら、私は樹を見上げ、空を見上げる。雨上がりの朝、空気がしっとり濡れている。空のあちこちに、昨日の雨の名残雲が浮かんでいる。

身体ががくがくと大きく震え始める。止まらない、止められない。私は倒れないようすぐそばにある何かに掴まるのがやっとだ。掴まって、ただその発作がゆきすぎるのを待つ。待ち続ける。
ようやく去ったとほっとした途端、突き刺さってくるのは周囲からの視線。それがとても痛い。できるなら走り去りたい気持ちに駆られるが、私は走ることもままならず、ただ、どんよりと、足を進める。あきらめの気持ちを抱えながら。

過食嘔吐したくなるときは、パンをいくつもにちぎっておいて、一口ずつ、何時間もかけて一個のパンを食べる。そうすれば、吐こうにも吐くことはできないのだから。
リストカットももう長いことしていない。薬のばか飲みももちろんだ。今の生活リズムで一度でもそれをしたら、すべてが雪崩のように倒れこむことが分かっている。だから、衝動とどうつきあうかを考えている。

今年に入って、四六時中ハーブティを飲んでいる。味はレモン・ジンジャー。このハーブティがなかなかの頓服になってくれることに気づいた。すぅっとするのだ、飲んだ後。心も頭もすっきりする。衝動に駆られているときはだから、このハーブティをしつこく飲む。大丈夫、大丈夫と呪文を唱えながら。

金銭的には全く恵まれていない。どうしようかと悩むことさえばかばかしくなるほど恵まれていない。それでも、私たち二人家族は、今日も何とか暮らしている。
目を合わせ、笑いあい、ただそれだけで今日は満足だねと、一日一日を暮らしている。


2009年04月16日(木) 
 新緑を眺めるなら早朝がいい。朝の光は澄んで輝き、萌黄色をいっそう際立たせてくれる。今いたるところ緑溢れ、それはまるで洪水のようだ。

 ここのところ毎日のようにこの喫茶店に通っている。平日の午前中、ここには殆ど人がいない。BGMも適度な音量で、読書にはうってつけの場所なのだ。しかも片側一面窓。これもまた、私にとっては都合がいい。
 「心的外傷と回復」を皮切りに、「笑う警官」「悪意」「分身」「ユニット」その他諸々、読み進めている。時々息切れを感じると、私は窓の外を見やる。
窓の外は今また、景観を大きく変化させようとしている。Y駅東口側に大きな円形のビルが新しく建てられているのだ。今までその奥のショッピングモールが見えていたが、新たにそのビルが建設されることで全く見えなくなってしまった。そして、その大きな円形のビルの手前の空き地も、近々何か建設が始まるのだろう。土を乗せたトラックや人が忙しなく行き来している。
 これまで遠くまで見渡すことのできたこの席からの風景は、じきにあちこち途切れ、こんなふうに見渡すことはできなくなるのだろう。それがとても侘しい。
 帰りがけ、液肥をまとめ買いする。薔薇の樹やラナンキュラスたちにそろそろ肥料を与えたい。お疲れ様と、これから頑張って、の声を込めて。

 今、私にとってのかつての主治医の病院に友人が入院している。その友人づてにかつての主治医の声を聴く。
 今日改めて分かった。私はかつての主治医に対して、怒りを持っているのだな、と。最初は憎悪や嫉妬なのかと思った。でも違う、私の中に生まれているのは怒りだ。
 かつてあなたは患者たちを見捨てたではないか。治療途中で患者を見捨てたではないか。なのに、今、そんなご大層なことを言える身分なのか、平然と新しい患者を前にして講義できるような身分なのか、あなたは今私たちに再会するとしたら一体どんな顔をするのか、と。
 でもその怒りは、沸点に達した直後、しゅうぅぅぅっと萎んだ。
 こんなもの、抱いているだけ無駄なことだと、私はもう承知している。別れの儀式は私の心の中で既に為された。終わっているのだ。もう今の彼女と私とは何の関係もない。かつての彼女を私は知っていたが、今の彼女を私はもはや知らない。

 帰宅すると、一輪咲いた橙色のミニバラが私を迎えてくれた。強い風に煽られながら、おかえりと澄んだ声で言っているかのようだった。


2009年04月09日(木) 
 サバイバーという言葉がある。意味は知っている。自分がそうであることも知っている。しかし私はサバイバーという言葉が正直嫌いだ。
 一方、生き残りという言葉なら、私はしっくりくる。それなら自分もそうだと頷ける。同じ意味じゃないか、同じ言葉じゃないかと言われるのを百も承知だ。その上であえて言えば、私にとってその言葉から受ける感触が違うのだ。それがたとえ同じ意味を表す言葉であったとしても。

 たくさんの生き残りに会って来た。知り合っても来た。交流ももったりした。しかし、たとえ似通った体験であっても、一人ひとり色が違う。匂いが違う。感触が違う。言葉としてはひとくくりにされてしまうとしても、私たちは十人十色だ。

 私が「あの場所から」のシリーズを始めたことで、時折会う質問がある。それは、どうしてこの人たちの非日常をカメラに収める必要があるのか、世間に訴えようと思うならば、この人たちの日常あるいは事件そのものをカメラに収める方が分かりやすいではないか、というものだ。
 言っている意味は分かる。
 しかし、私はそもそも、あのシリーズをはじめるにあたって、世に訴え出ようということを第一義に置いていない。第一義どころか、第二にも第三にも置いていない。それは、付属として生じてきた事柄だ。
 私はまず、自分と同じように生き残り今生きている人たちと出会いたかった。そして、彼女ら彼らと一緒に何かをしようと思った。何かを共有したいと思った。その時、私にできることが写真を撮るという行為だった。
 何よりもまず、そのことがある。
 そうやって「あの場所から」は始まった。
 出会いを経て改めて気づいたことは、被害の最中に写真を撮られている被害者がとても多いということだった。そんな彼女たちを被害の場所に立たせて世に訴えるような写真を撮り発表することなど、私の頭にも心にもこれっぽっちも浮かばなかった。私が写真を通して彼女らとできることはただ、「共同作業」だと、私は思っている。

 生き残りの多くは、その傷によって世界と社会と断絶されてしまったことで苦しんでいる。私たちにとってだから、生き残りという言葉は、「生き残った」という能動形ではなく、「生き残ることをさせられてしまった」という受動形だ。
 生き残ることをさせられてしまった私たちは、生き残り、だから、今存在している。でも、能動形で生きることがとても難しくなってしまったのだ。たとえば、わかりやすいところで、自分の夢があるとしよう。それを、被害前実現させていたとしよう。ようやく辿り着いた夢、実現させた夢だった、それなのに、被害に遭うことによって根こそぎ取り上げられてしまう。それが生き残らされた後に残った現実なのだ。根こそぎ引っこ抜かれた後、そこには何が残っているのだろう。
 私はその、穴の開いた土ぼこに、もう一度、できるなら種を撒きたい。いや、種を撒けるなどというのはおこがましい。できるなら、その穴ぼこの傍らにひょっこり芽を出す雑草になりたい。
 穴はどうやっても埋まらない。あいてしまった穴を、新たな土でもって埋めることができるだろうと言う人が多くいるかもしれない。でもそれは、あくまで新たな土で埋めたものであって、穴は穴なのだ。穴であることは、どうやっても、どんなに時を経ようとも、変えられない。
 それならできることは何か。傍らにそっと寄り添うことだけだ。

 今年もそうやって「あの場所から」の撮影は終わった。森と海。二箇所での撮影だけれども、そのどちらも、かつて私が撮影に使ったことのある場所である。どうしてそんな使い古した場所を選ぶのか、そんなんじゃ似通ったカットばかりになるではないかと言われることがあるかもしれない。しかし。
 私はそれらの場所が安全であることを知っている。だから傷ついた彼女らを安心して連れてくることができる。ここでならどう振舞ってもいいよと彼女らをその空間に送り出してやることができる。彼女らを知れば知るほど、そういった空間だからこそ彼女らを解き放って追いかけていたいと思う。

 もしかしたらいつか、彼女らの日常を撮ることがあるかもしれない。でもそれは、まだ先のような気がする。彼女らはまだまだ傷ついている。まだまだ血を流している。私の血もまた、まだ滲んでいる。

 いつか能動形で生きる術をつかむ日が来るかもしれない。それを自ら納得できる日がいつか、そういつか来るかもしれない。
 そのときようやく私たちは、生き残りという括りからも、解き放たれるのかもしれない。


2009年04月02日(木) 
ラナンキュラスの蕾が綻んできた。黄色い薄い花びらが、風が吹くとひらひら揺れる。
うどんこ病に冒されているというのに、蕾を付け出した薔薇の樹たち。なんとかこの病気を克服させてやれないものかと、病葉を見つけるたび摘んでいる。うどんこ病に特効薬はない。こまめに病葉を摘んで次に広がらないよう努めてやるだけだ。
水仙は、小さな小さな蕾をほろり見せてはいるが、果たして咲くかどうか。三年目の球根。何処まで頑張ってくれるか今見つめている。
一年に一度の「あの場所から」の撮影は何とか終わった。
最初に森林公園で、次に海で撮影。夜明け前からの撮影で歯が鳴るほどの寒さの中だったにもかかわらず、みんな頑張ってくれた。
撮影に参加してくれたメンバーの中には、被害の折写真を撮られたということから写真を撮られることがトラウマになっている人もいる。それなのに、姐に撮られるのはもう大丈夫と、すっぴんで堂々参加してくれる。そのありがたさを噛み締めながら、私はシャッターを切り続けていた。
翌日、その参加メンバーの一人と、「あの場所から」の撮影とは別のシリーズを撮影してみる。私は三脚を持っていない。にもかかわらず室内での撮影。まぁやってみれば何とかなるものだ!
そんなこんなであっという間に日が過ぎる。娘の春休みももう終わりにかかっている。今年早く咲くといわれていた桜はまだ蕾が残っている。今週末花見を予定しているが、天気が崩れるらしい。今から照る照る坊主を用意する。
生きていればいろいろある。いろいろあって当たり前。
いろいろあるけど、それでも生きていく。川を遡る鮭のように。


遠藤みちる HOMEMAIL

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