見つめる日々

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2007年08月14日(火) 
 私のプランターでは白薔薇が次々に蕾をつけ、娘のプランターでは遅蒔きの胡瓜の花が次々咲き乱れ、そうしている最中に私たちは短い旅に出掛けた。乱射する夏の陽射しの下、私たちは短いながらも旅をした。私の父母と、娘、四人で。
 今回のその旅で、改めて知ったことがある。
 娘がどれほど甘えっ子かということ。
 父母が、どれほど仲が良いかということ。
 父母がどれほど、私の娘を可愛がってくれているかということ。

 私にとって、父母は、脅威であり敵であったか知れない。
 父母に監禁されて何ヶ月も、家の中物音一つ立ててはいけないという生活を経たとき、私は一体なんでこんなところに存在しているのだろうと何度も思った。存在価値など何もない、これっぽっちもない、生まれてきたのは父母の言うとおり間違いだったのだと、何度思ったかしれない。
 私が事件にあったとき、SOSを求めたのに対し、私が嘘をついていると笑って流した、その母の態度にどれほど傷ついたか知れない。
 挙げたらきりがない。

 でも。

 長い時間を経、絶縁の時期も経、そうやって今がある。
 今父母は、間違いなく、まごうことなく、私の娘を愛し、慈しみ、叱ってくれる。

 おかしなものだ。
 父母からの、父母としての愛情を諦めたら、こんな思ってもみなかったプレゼントがやってきた。
 母子家庭になってから、そのことは折々に感じてきたけれども、それでも、改めて思う。父母よ、あなたにとっての孫娘を、こんなに愛してくれてありがとう、と。

 私に対しては、正直、もういい。殆ど諦めがついている。時折、どうして、という思いが頭を持ち上げないわけじゃぁないけれども。それでも、殆ど諦めはついている。
 だからこそ。
 ありがたいと思う。
 あの父母が、あれほど冷たく、信じたいのに信じられない父母が、こんなふうに手放しで孫を可愛がってくれる。そのこと。
 よく、孫は子供より手放しで可愛がることができる、という話をきく。確かにそうなのだろうと思う。
 でも、父母のあの冷酷さを見てきた私にとって、今、孫に向ける彼らの愛情は、奇跡的な代物なのだ。

 こういう関係がいいのかといえば、よく分からない。それでも。
 私は感謝せずにはいられない。
 甘え足りない孫を、彼らがこんなにも可愛がってくれるおかげで、私たちはバランスがとれている部分があるのかもしれない。

 過去のことを振り返ったらきりがない。
 過去のことに引きずられるのはどうしようもないけれども、それでも、できるなら意識の上だけでも過去を振り切らなければ先を歩いてはいけない。
 それは父母のことも、事件のことも、その他諸々瑣末時についてもそうだ。何についてもそれは同じだ。
 だからせめて、意識の上でだけでも、振り切っていきたい。
 引きずってしまうものに、ぷいと背中を向けて、自分がこの先々も歩き続けていきたいのなら、歩き続けていけるよう、振り切っていきたい。
 そう、過去のことをののしることは、いくらでもできるのだから。過去をほじくってこだわって、何処までもそこにとどまっていることは、いくらでもできるのだから。

 私はとどまってはいたくない。

 だから、あえて言う。
 ありがとう。
 娘も、父母も、ありがとう、と。
 感謝していきたい。
 ありがとう、ありがとう、ありがとう。
 私はここにいることができて、本当に嬉しい。


遠藤みちる HOMEMAIL

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