2005年09月26日(月) |
午前四時半、私たちは玄関を出た。もちろん空はまだ、闇色の絵の具で塗りこめられており、私たちの足元から影が伸びることはない。そんな中、私たちは出発する。 辿り着いた公園は、まだ他に人影は殆どなく、しんと静まり返っている。それは、目を閉じたら自分がここにいるということも忘れてしまえるほどの澄み切った静けさで、何処までも凛と続いているのだった。 でも、一度東の空が割れたら朝はあっという間に過ぎてゆく。東の空が少しずつ白み始め、雲の紋様が目で捉えられる程度の光が辺りに漏れ始めたとき、私たちは空に虹を見つける。友人と娘と三人で空をじっと見つめる。こんな虹初めてだね、と、私たちはただ空の一点を見つめ続ける。 虹が消えたのを合図に、私たち三人の追いかけっこが始まる。友人と娘の二人は、朝露がみっしりと覆う草の原を走り回り、私はそれをカメラを持って追いかける。これまで朝露というものを知らなかった娘は、いちいち、靴が濡れた足が濡れたと言って立ち止まる。足は濡れるものなのよと知らん顔して、私と友人はずんずんと草の原を歩いて渡る。そうしている間にも太陽はごくりと喉を鳴らしながら東の空を凌駕してゆく。露に濡れる草を渡り生い茂る樹木の海を渡り、光は世界を射る。翻って闇はあっという間に姿を消してゆく。光の帯の河を鳥たちが翼を広げ渡りゆき、足元では蚯蚓が慌てて木陰に逃げ込む。眠らずに夜を過ごした私たちの瞼は、ちょっと休めばぱたんと閉じてしまいそうに重いから、私たちはひたすら身体を動かし続ける。草の原を右へ左へ、時に歩き、時に走り、時に寝転び、時にしゃがみこみ。そうして、ここに着いた時には闇の中沈んでいた物たちが、光によって浮かび上がり、その輪郭を顕わにする頃、私たちはようやく立ち止まる。通勤客で込み合う方向とは逆のバスに乗り、家路を辿る。バスに揺られながら窓の外流れる朝景を見やれば、眩しくて目を逸らしたくなるほどの光の洪水。
九月になって、娘がこの部屋に戻ってきた。それ以来娘の様子を見ていて、私の中に少し不安があった。娘が四六時中、アンテナを張っているように見受けられたからだ。そのアンテナは常に私の方を向いており、私がふらりと眩暈を起こしたり偏頭痛に襲われたりしているのを見逃さない。そして何よりも、娘は自分が眠っている間に私が腕を切った朝には必ずそれと察し、私の腕に思い切りキスをする。そのことがとても、気になっていた。もちろん他にも挙げたらきりがないほど気になることはあるけれども、どれをとっても、彼女が私を今まで以上に気遣っているのに違いはなかった。 どうしたらその気遣いの糸を緩めてやることができるのだろう。その答えは容易に想像がついた。けど、なかなかうまく糸を緩めてやることができないまま日々を過ごしていた。そんな時、幼友達が声を掛けてくれる。ひょろっと日常を脱してみようか、と。 もうすっかり夜が訪れる頃、幼友達が運転してくれる車に乗り、私たちは今日二度目の出発をする。海を潜るトンネルを通り、海を渡る橋を走り、私たちは向こう岸へ向かう。天気予報では台風がこちらへ向かっていると報じていた。その言葉通り、海は荒れ、風は吹きすさぶ。その中を私たちはまっすぐに渡ってゆく。 何処へゆくとか何処へ泊まるとか、そんなことを殆ど何も決めず、行き当たりばったりで進んでゆく私たちのところへ、台風はどんどん近づいてくる。空は何処までも厚い雲に覆われ、道の片側に茂る樹々は風に嬲られ、これでもかというほど低く唸り声を上げ続ける。外を見れば確かに辺りは荒れている。けれど、何だろう、娘がはしゃぐ声、それに応じてくれる友人の声、時々怒られてしょげる娘の顔、どれをとっても、娘の表情は綻んでおり、私はこっそりと胸を撫で下ろす。そして、風呂好きな娘は、私を休ませることなく繰り返し繰り返し風呂に入ることを強請り、私はそれにひたすら付き合う。もういい加減体中ふやけちゃうよと言っても、まるで聞こえていないかのような飄々とした娘の横顔。そういえばこんな飄々とした表情、久しぶりに見たなと、私は娘に気づかれないようにその横顔を眺める。そうだ、或る日突然ママからじぃじばぁばの家に置き去りにされたうえ、そのまま数ヶ月過ごすことを強要されて、いい子を必死で演じ我慢し続けた娘を省みれば、体がふやけるくらいどうってことない。結局、一日に何回お風呂に通ったか思い出せないほど、私たちは風呂と部屋とを往復する。 日曜日の朝、目を覚ますと世界は雨粒でびっしり埋まっていた。台風って今何処にいるのかしらと私がのんびり窓を開けると、幼友達が一言、すぐそこ、と答える。言われてみれば確かにすぐそこなのかもしれない。そのくらい雨は容赦なく降っていた。けれど。 海沿いにひたすら車を走らせる。そこで私たちは嬌声を上げる。凄いよ、波があんなに高いよ、ほら見てごらん、今波が砕けるよ。車の中、三人で繰り返し感嘆の大声を上げる。 車を走らせているうちに雨はふっと止み、私たちはとうとう車を止める。波がこれでもかというほどの勢いで岩々にぶつかっては砕ける、その目の前に降り立った私たちは、ごうごうと荒れ狂う海の姿に呆然とする。気づけば私たちはすっかり海の虜になり、目の前で砕ける波に繰り返し声を上げる。 こんな荒れた海を見たことがない娘は、私と幼友達との間ではしゃぎ回る。私はカバンの奥底にしまっていたカメラを取り出し岩を飛んで渡る。そのすぐそばで波が白く弾ける。 あぁなんて美しいんだろう。なんて深いんだろう、世界は。 私の胸の中は、ただそれだけに染まる。 そして娘を肩車して、私は海を指差し、彼女に言う。みうという名前のうの字はね、海っていう字なんだよ、ママは海が大好きなんだ、これでもかっていうほど好き。そう言うと、娘が、私も海が好き、と答える。彼女のその言葉を聴きながら、私は心の中で思う。海のこんな深さが、いつかあなたの中に生まれますように。どんなものもその内に呑み込んで、それでも決して諦めたり放棄したりすることのないこの海の響きが、あなたの中にも伝わりますように。もちろん言葉に出して言ったりはしない。私がそう願うだけで、娘は娘できっと自分なりの道を見つけるだろう。それは私が願う道とは違う道であったとしても、それが自ら選んだ道ならば何処までも君は歩いてゆくだろう、そう信じて。 飽きることなく私たちは波に魅入る。海に魅入る。左で大きく砕ける波を見つければ、さぁ来るぞと胸を躍らせ、自分たちの目の前でぶわんと膨らんだ波がこれでもかというほどの勢いで岩にぶつかり砕けゆくときには、砕音以上の叫び声を上げる。カメラを持っていると無謀といえる勢いを持ってしまう私は、調子に乗って岩から岩へカメラを構えながら飛び跳ねる。もちろんただで済むわけはなく、私は二度も波に体当たりされる。娘は娘で、これもまた調子に乗って引いた波を追いかけていたら、戻ってきた波にどしゃんと被られ転んでしまう。まだ小さな娘は頭から丸呑みされて、洋服はぐっしょり、靴もぐっしょり、ついでに手のひらに小さな切り傷を作って、それは針の先ほどの小さな傷なのだけれども、ショックだったらしく大声で泣き出す。だから彼女に教えてやる。みう、海はね、みうと一緒に遊びたかったのよ、だから、みうがここにいるのを見つけて、ちゅうをしにやってきたのよ、みうちゃーん、もっと遊ぼうよーって、ちゅーしにきたの、いいなぁ、みうは、ママも海にちゅーして欲しい。そう言うと、涙で顔をぐしょぐしょにしながら彼女が答える。ちゅーしたの? うん、そうだよ。ふぅん、そうかあ、みうね、海がますます好きになった。ほんと? うん、もっと遊ぶ。えー、いや、今日は着替えがもうないから、また今度にしようよ。やだー、もっと遊ぶ! せっかく海と仲良くなれたんだからもっと遊ぶ! …どうも私は要らぬことを言ったらしい。もっと遊ぶんだと言いはって、彼女は再び岩場へ走ってゆく。私と友人は、そんな娘が本当に波にさらわれてしまわない程度の距離で遊んでいることを常に視界に捉えながら、それぞれに海を見つめる。 朝のうちはどす黒かった波の色が、少しずつ少しずつ変化してゆく。黒い海から灰色の海へ、そして翡翠色の海へ。雲間から降りてきた光が描く画は、高く激しく砕ける波の向こうで、刻一刻、変化し続ける。 そして気づけば、太陽は西へ西へ。私たちはようやく車に乗り、帰り道を走り始める。その間に太陽は、西の水平線へ近づいてゆく。みう、見てごらん、ほら、光の道だよ。私は太陽によって海に描かれた光の道を指差し、娘に教える。本当だ、道が出来てる。でしょう? この道を頼りに歩けば、何処までもゆけるんだよ。あ、ママ、あっちには鳥がいっぱい。ほんとだ、きっとみんなおうちに帰るんだよ、お日様が沈んだらね、みんな眠るの。そして娘が歌いだす、夕焼け小焼けの唄。懐かしい唄。
何人もの友に支えられ、父と母に支えられ、私と娘の生活は成り立っている。私たちふたりぼっちに思えるときでも、見えないところで誰かが私たちを支えてくれてる。ちょっとするとふらりと崩れそうになる私のつっかえ棒になってくれる人たち。小さな旅から戻り寝息をたてはじめた娘の横で、私はそんな人たちの顔をひとつずつ思い出す。ねぇみう、数はたくさんじゃぁなくていい、ほんの一握りでいい、心をかよわせることのできる友を、いつか見つけてほしい。たったひとりでもそんな存在が在るということが、きっと君の今日を明日を支えてくれる。 そして私は窓を開け、空を見上げる。台風が去った後の空は高く、その闇色は何処までも深く広がっている。今頃あの海はどうしているだろう。あの波たちはどうしているだろう。記憶としてはもうすでにぼやけはじめているあの光景を、私は瞼を閉じてぼんやりと思い出す。 そう、世界は何処までも美しく深く、等しく私たちの前に広がっている。 |
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