見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2005年09月26日(月) 
 午前四時半、私たちは玄関を出た。もちろん空はまだ、闇色の絵の具で塗りこめられており、私たちの足元から影が伸びることはない。そんな中、私たちは出発する。
 辿り着いた公園は、まだ他に人影は殆どなく、しんと静まり返っている。それは、目を閉じたら自分がここにいるということも忘れてしまえるほどの澄み切った静けさで、何処までも凛と続いているのだった。
 でも、一度東の空が割れたら朝はあっという間に過ぎてゆく。東の空が少しずつ白み始め、雲の紋様が目で捉えられる程度の光が辺りに漏れ始めたとき、私たちは空に虹を見つける。友人と娘と三人で空をじっと見つめる。こんな虹初めてだね、と、私たちはただ空の一点を見つめ続ける。
 虹が消えたのを合図に、私たち三人の追いかけっこが始まる。友人と娘の二人は、朝露がみっしりと覆う草の原を走り回り、私はそれをカメラを持って追いかける。これまで朝露というものを知らなかった娘は、いちいち、靴が濡れた足が濡れたと言って立ち止まる。足は濡れるものなのよと知らん顔して、私と友人はずんずんと草の原を歩いて渡る。そうしている間にも太陽はごくりと喉を鳴らしながら東の空を凌駕してゆく。露に濡れる草を渡り生い茂る樹木の海を渡り、光は世界を射る。翻って闇はあっという間に姿を消してゆく。光の帯の河を鳥たちが翼を広げ渡りゆき、足元では蚯蚓が慌てて木陰に逃げ込む。眠らずに夜を過ごした私たちの瞼は、ちょっと休めばぱたんと閉じてしまいそうに重いから、私たちはひたすら身体を動かし続ける。草の原を右へ左へ、時に歩き、時に走り、時に寝転び、時にしゃがみこみ。そうして、ここに着いた時には闇の中沈んでいた物たちが、光によって浮かび上がり、その輪郭を顕わにする頃、私たちはようやく立ち止まる。通勤客で込み合う方向とは逆のバスに乗り、家路を辿る。バスに揺られながら窓の外流れる朝景を見やれば、眩しくて目を逸らしたくなるほどの光の洪水。

 九月になって、娘がこの部屋に戻ってきた。それ以来娘の様子を見ていて、私の中に少し不安があった。娘が四六時中、アンテナを張っているように見受けられたからだ。そのアンテナは常に私の方を向いており、私がふらりと眩暈を起こしたり偏頭痛に襲われたりしているのを見逃さない。そして何よりも、娘は自分が眠っている間に私が腕を切った朝には必ずそれと察し、私の腕に思い切りキスをする。そのことがとても、気になっていた。もちろん他にも挙げたらきりがないほど気になることはあるけれども、どれをとっても、彼女が私を今まで以上に気遣っているのに違いはなかった。
 どうしたらその気遣いの糸を緩めてやることができるのだろう。その答えは容易に想像がついた。けど、なかなかうまく糸を緩めてやることができないまま日々を過ごしていた。そんな時、幼友達が声を掛けてくれる。ひょろっと日常を脱してみようか、と。
 もうすっかり夜が訪れる頃、幼友達が運転してくれる車に乗り、私たちは今日二度目の出発をする。海を潜るトンネルを通り、海を渡る橋を走り、私たちは向こう岸へ向かう。天気予報では台風がこちらへ向かっていると報じていた。その言葉通り、海は荒れ、風は吹きすさぶ。その中を私たちはまっすぐに渡ってゆく。
 何処へゆくとか何処へ泊まるとか、そんなことを殆ど何も決めず、行き当たりばったりで進んでゆく私たちのところへ、台風はどんどん近づいてくる。空は何処までも厚い雲に覆われ、道の片側に茂る樹々は風に嬲られ、これでもかというほど低く唸り声を上げ続ける。外を見れば確かに辺りは荒れている。けれど、何だろう、娘がはしゃぐ声、それに応じてくれる友人の声、時々怒られてしょげる娘の顔、どれをとっても、娘の表情は綻んでおり、私はこっそりと胸を撫で下ろす。そして、風呂好きな娘は、私を休ませることなく繰り返し繰り返し風呂に入ることを強請り、私はそれにひたすら付き合う。もういい加減体中ふやけちゃうよと言っても、まるで聞こえていないかのような飄々とした娘の横顔。そういえばこんな飄々とした表情、久しぶりに見たなと、私は娘に気づかれないようにその横顔を眺める。そうだ、或る日突然ママからじぃじばぁばの家に置き去りにされたうえ、そのまま数ヶ月過ごすことを強要されて、いい子を必死で演じ我慢し続けた娘を省みれば、体がふやけるくらいどうってことない。結局、一日に何回お風呂に通ったか思い出せないほど、私たちは風呂と部屋とを往復する。
 日曜日の朝、目を覚ますと世界は雨粒でびっしり埋まっていた。台風って今何処にいるのかしらと私がのんびり窓を開けると、幼友達が一言、すぐそこ、と答える。言われてみれば確かにすぐそこなのかもしれない。そのくらい雨は容赦なく降っていた。けれど。
 海沿いにひたすら車を走らせる。そこで私たちは嬌声を上げる。凄いよ、波があんなに高いよ、ほら見てごらん、今波が砕けるよ。車の中、三人で繰り返し感嘆の大声を上げる。
 車を走らせているうちに雨はふっと止み、私たちはとうとう車を止める。波がこれでもかというほどの勢いで岩々にぶつかっては砕ける、その目の前に降り立った私たちは、ごうごうと荒れ狂う海の姿に呆然とする。気づけば私たちはすっかり海の虜になり、目の前で砕ける波に繰り返し声を上げる。
 こんな荒れた海を見たことがない娘は、私と幼友達との間ではしゃぎ回る。私はカバンの奥底にしまっていたカメラを取り出し岩を飛んで渡る。そのすぐそばで波が白く弾ける。
 あぁなんて美しいんだろう。なんて深いんだろう、世界は。
 私の胸の中は、ただそれだけに染まる。
 そして娘を肩車して、私は海を指差し、彼女に言う。みうという名前のうの字はね、海っていう字なんだよ、ママは海が大好きなんだ、これでもかっていうほど好き。そう言うと、娘が、私も海が好き、と答える。彼女のその言葉を聴きながら、私は心の中で思う。海のこんな深さが、いつかあなたの中に生まれますように。どんなものもその内に呑み込んで、それでも決して諦めたり放棄したりすることのないこの海の響きが、あなたの中にも伝わりますように。もちろん言葉に出して言ったりはしない。私がそう願うだけで、娘は娘できっと自分なりの道を見つけるだろう。それは私が願う道とは違う道であったとしても、それが自ら選んだ道ならば何処までも君は歩いてゆくだろう、そう信じて。
 飽きることなく私たちは波に魅入る。海に魅入る。左で大きく砕ける波を見つければ、さぁ来るぞと胸を躍らせ、自分たちの目の前でぶわんと膨らんだ波がこれでもかというほどの勢いで岩にぶつかり砕けゆくときには、砕音以上の叫び声を上げる。カメラを持っていると無謀といえる勢いを持ってしまう私は、調子に乗って岩から岩へカメラを構えながら飛び跳ねる。もちろんただで済むわけはなく、私は二度も波に体当たりされる。娘は娘で、これもまた調子に乗って引いた波を追いかけていたら、戻ってきた波にどしゃんと被られ転んでしまう。まだ小さな娘は頭から丸呑みされて、洋服はぐっしょり、靴もぐっしょり、ついでに手のひらに小さな切り傷を作って、それは針の先ほどの小さな傷なのだけれども、ショックだったらしく大声で泣き出す。だから彼女に教えてやる。みう、海はね、みうと一緒に遊びたかったのよ、だから、みうがここにいるのを見つけて、ちゅうをしにやってきたのよ、みうちゃーん、もっと遊ぼうよーって、ちゅーしにきたの、いいなぁ、みうは、ママも海にちゅーして欲しい。そう言うと、涙で顔をぐしょぐしょにしながら彼女が答える。ちゅーしたの? うん、そうだよ。ふぅん、そうかあ、みうね、海がますます好きになった。ほんと? うん、もっと遊ぶ。えー、いや、今日は着替えがもうないから、また今度にしようよ。やだー、もっと遊ぶ! せっかく海と仲良くなれたんだからもっと遊ぶ! …どうも私は要らぬことを言ったらしい。もっと遊ぶんだと言いはって、彼女は再び岩場へ走ってゆく。私と友人は、そんな娘が本当に波にさらわれてしまわない程度の距離で遊んでいることを常に視界に捉えながら、それぞれに海を見つめる。
 朝のうちはどす黒かった波の色が、少しずつ少しずつ変化してゆく。黒い海から灰色の海へ、そして翡翠色の海へ。雲間から降りてきた光が描く画は、高く激しく砕ける波の向こうで、刻一刻、変化し続ける。
 そして気づけば、太陽は西へ西へ。私たちはようやく車に乗り、帰り道を走り始める。その間に太陽は、西の水平線へ近づいてゆく。みう、見てごらん、ほら、光の道だよ。私は太陽によって海に描かれた光の道を指差し、娘に教える。本当だ、道が出来てる。でしょう? この道を頼りに歩けば、何処までもゆけるんだよ。あ、ママ、あっちには鳥がいっぱい。ほんとだ、きっとみんなおうちに帰るんだよ、お日様が沈んだらね、みんな眠るの。そして娘が歌いだす、夕焼け小焼けの唄。懐かしい唄。

 何人もの友に支えられ、父と母に支えられ、私と娘の生活は成り立っている。私たちふたりぼっちに思えるときでも、見えないところで誰かが私たちを支えてくれてる。ちょっとするとふらりと崩れそうになる私のつっかえ棒になってくれる人たち。小さな旅から戻り寝息をたてはじめた娘の横で、私はそんな人たちの顔をひとつずつ思い出す。ねぇみう、数はたくさんじゃぁなくていい、ほんの一握りでいい、心をかよわせることのできる友を、いつか見つけてほしい。たったひとりでもそんな存在が在るということが、きっと君の今日を明日を支えてくれる。
 そして私は窓を開け、空を見上げる。台風が去った後の空は高く、その闇色は何処までも深く広がっている。今頃あの海はどうしているだろう。あの波たちはどうしているだろう。記憶としてはもうすでにぼやけはじめているあの光景を、私は瞼を閉じてぼんやりと思い出す。
 そう、世界は何処までも美しく深く、等しく私たちの前に広がっている。


2005年09月15日(木) 
 娘を迎えに行くには少し早い時間に家を出る。自転車を漕いで私はまず坂道をくだる。保育園まで坂道を下り、のぼり、そしてまた下る。ブレーキが数日前からきぃきぃと鳴る、その音に混じって、辺りの風景が私の耳に目に流れ込んでくる。
 いつもの道。いつもの風景。とりたてて新しいものなどこれっぽっちも見当たらないような、平凡な風景。
 今日もあそこでは水遣りのおじさんがしゃがみこんで雑草を取っている。毎朝毎夕、この通りの街路樹におじさんは水をやる。大きな大きなバケツをカートに乗せて、その手には使い込んだ如雨露を持って。街路樹に水をやり終えると、彼は自宅の前の道沿いにぎっしり並べたプランターのところにやってくる。そして、ここでもまた雑草を取り終えた後、水をやるのだ。彼が今年植えた朝顔は、紫、青、白、ピンク、まさに色とりどりだった。今その花たちは種に変わり、おじさんの世話する手をいつも待っている。
 路線バスが私の横をすり抜ける。スーパーの前のバス停で止まると、その出口からたくさんの人が降りてくる。その殆どが老年の方々で、この辺りがそういった年頃の人たちが多く住む場所であることを私に教える。杖をつく人、背中が丸くなり腰に手を当てて歩く人、それらのどの背中にも、その人その人ひとりずつの年月が背負われている。ひとりひとりの歴史が、時間の堆積が、沈黙の音色を奏でている。
 坂を上りながらふと空を見やると、半月がぽっかりと南の空に浮かんでいる。白く白く澄んだ薄い月。じきに空が黄昏れば、ほんのりと黄みを帯びて輝き始めるのだろう。そう、いつものように。
 坂の頂に建つ不動産屋の前には、今日も猫たちが集まっている。不動産屋のおじさんが餌を持ってきてくれるのを待っているのだ。そして、食後には、おじさんの手でくりくりと頭を撫でられる。これもまた、いつもの夕暮れの風景。
 保育園で娘を受け取り、今度は二人乗り。まっすぐ大通りを走ってももちろん埋立地に繋がっている。けど、私達はいつも裏道を通る。途中の小学校の周辺の通りには、必ず二、三匹の猫が姿を現す。今日は白と黒と黒。大きくあくびをしてみせる者、身体をぐいっと伸ばしている者、道路の真ん中に目を閉じてじっとお座りをしている者。私達はその一匹一匹に挨拶しながら自転車を走らせる。
 「あ、さやかちゃんだ! さやかちゃーん!」
 娘が大きな声を上げる。保育園で同じクラスのお友達だ。さやかちゃんと弟はお父さんの手を握りながら、みうの声に大きく手を振ってくれる。私もみうも、大きく手を振り返す。また明日遊ぼうねぇ! さやかちゃんとみうの声が、大きく通りに響き渡る。
「ねぇママ」
「なぁに?」
「さやかちゃん、いいなぁ」
「何で?」
「だって、お父さんと手繋いでるんだもん」
「そうねぇ、いいねぇ」
「お父さん、みうにもいればいいのにな」
「あら、ママと二人じゃいや?」
「いいよ、ママと二人で。でもね、お父さんいる方が、楽チンだよ」
「なんで?」
「だって、お父さんは力持ちでしょ、大きな荷物とか持てるんだよ」
「なるほどぉ。じゃぁ、ママが男の人だったらよかった?」
「やだっ。ママはママで女の人がいい」
「ははは。でも、女のママじゃぁ持ちきれないものもあるもんなぁ」
「そうでしょ? だからね、パパがいればよかったなって思うの」
「でもねぇ、いなくなっちゃったからねぇ、どうしたらいいかねぇ」
「うーん、でもいいや、やっぱり。ママがいればいい」
「ははは。パパいない分、ママが頑張るから、それでいい?」
「うん、それで、みうが早く大きくなって、ママのお手伝いできるようになるよ」
「今でも充分お手伝いしてくれるじゃん、いいの、ゆっくり大人になれば」
「みうが大きくなったらお金いっぱいにして、ママにプレゼントあげるね」
「おおー、玉の輿かい。いい男ゲットしてね」
「ゲットって何?」
「あ、素敵な男の人とめぐり会ってね、って意味」
「みうね、ブラックジャックがいいの!」
「へっ?! あ…ま、それもいいかも」
「あっちょんぶりけー!」
「ははは」
 大きな交差点、信号機がぐわんぐわんと揺れている。そういえば今日一日ずっと風が強い。窓を開け放して仕事をしていたら、テーブルの上に重ねておいたあらゆるものが風のせいで玄関の方へと飛んでしまっていたっけ。私は今私の身体をぐいぐい押してくる風に向かってペダルを漕ぐ。本当はちょっとしんどいのだけれどもそれは隠して、このくらいどうってことない、そんな顔をして。みうが私の腰に後席から抱きついてくる。その細く小さな腕をぺしぺしと片手で触りながら、私は自転車を漕ぎ続ける。
 そうして辿り着いた埋立地の一角で、私達は久しぶりに外食をする。食事をし終えて外に出ると、もうすっかり辺りは闇色。うわぁどうしてもうこんなに真っ暗になってるの? これからはね、夜になるのがどんどん早くなるよ。どうして? 秋になるから。冬になったらどうなるの? 冬になるともっと夜が早くなる。ふーん。

 翌日の今日、風は昨日よりは弱くなったものの、朝からずっと吹いている。半分開けた窓からは、止むことなく風が流れ込み、時折その風が、枯葉を部屋の中へと運んでくる。私はそれを見つけるたび指でつまみ上げ、しばらく見つめてからゴミ箱に入れる。そんなんだから、部屋の中は何度掃除したって何かしらの屑が転がっている。網戸がないと掃除の数が増えるということを、この部屋に住んで初めて知った。でも、ものぐさな私は、どうせまたゴミが流れ込んでくるのだからと、夕方一回、多いときでも昼と夕一回ずつしか掃除機をかけないのだけれども。
 ふと思い出す。展覧会の準備が全くできていない。これじゃぁ今年催すはずだった展覧会は無理かもしれない。私は煙草に火をつける。
 何かをしようと思うのに、そこに辿り着くだけのエネルギーがない。朝起きて娘を送り出して仕事をし、そして娘を迎えにゆく、その一日一日を過ごし切るのに、実は精一杯だったりする。夜、娘を寝かしつけてから、せめて何かひとつでも自分の為だけに為そうと思うのだけれども、思うだけで全くそこに手が届かない。闇の中、自分の腕を切らないで過ごすだけで、もう全てのエネルギーが消えてゆく。こんなんじゃどうしようもない、そう思うのだけれども、体が動かない。そうして葛藤している間に、夜は過ぎてゆく。そして私は今夜もまた、娘の隣でじっと、横になるのだろう。
 焦っても何にもならない。そうやって自分を宥めるのだけれども、自分に対しての赦せなさ、情けなさが一日一日積もってゆく。うずたかく積もったそれらがやがて自己嫌悪に変わり、私にため息をつかせる。いくら嫌悪したって、自分はこの自分以外にあり得ないのに。

 今、窓の外に広がる空には一面雲が浮いている。街路樹の葉々は風で裏返しになり、ぴらぴらと揺れる。ぽつりぽつり通りを往く人影。私は少しだけ、目を閉じて風に耳を澄まし、日差しの下しゃがみこむ。じっと。ただじっと。

 さぁ、いつまでもこうしていたって何も状況は変わらない。せめて娘を迎えに行くまでの残りの時間、ひとつでも多く仕事を為そう。今日もまだ写真に手をつけられるほどエネルギーはないけれど、でもいつかまた、手を伸ばせるかもしれない。いや、必ずまた手を伸ばす。そう信じて。

 一掴みの風がぶるんと私の髪を揺らす。風はもう、秋。


2005年09月12日(月) 
 暑い暑い、そう言いながら娘が冷凍庫を開ける。その中に入っているのはアイスノンやら大きめの保冷剤。娘はその保冷剤のひとつを取り出して扉を閉めると、さぞや冷たいだろうと思うのにおなかにぺたっとくっつける。気持ちいいぃとうっとりした表情を浮かべる娘。ちょっと心配になって私は試しに言ってみる。
「ねぇみう、おなかごろごろになっちゃうよ」
「なんで?」
「おなかひやすとごろごろになっちゃうんだよ」
「みうは平気だよ。全然ごろごろならない」
「…まぁねぇ、確かにそうだけど」
と私が言いかけたところで、娘はひょいっと私の背中に保冷剤をくっつける。冷たくてひゃあと声を上げそうになったが、不思議なもので、こんな暑い日にはこの冷たさでも大丈夫なんだろうか、結構気持ちいいと思ってしまった。黙っている私に、娘が、つまんなーいと言いながら抱きついてくる。あぁもっと暑くなる、と思いつつ、私の手は無意識に洗い物を続けている。
 日曜日は娘を退屈させないようにするのが一番大変な日。体力が有り余っている娘は、風船で遊ぼうだとか何とかレンジャーごっこをしようだとか、ひっきりなしに私を呼ぶ。昼になる頃には、ネタ切れなんじゃないかと思うほどたくさんのことを相手させられ、私は正直、ぐったりしてくる。
 でも、子供と親との時間というのはうまくできているものだ。実家からこの部屋に戻ってきた娘は、何かにつけ手伝いたい手伝いたいと言うようになった。だから今日は、夕飯用の冷汁作りを手伝って欲しいと彼女に頼んでみる。
 きゅうりとナスをスライスして、塩を振りかけてよく揉んで。小さい彼女には、それをやりとげるだけで結構な時間を要する。その間に私は、だしをとり、味噌をとかし、汁を作る。そして、みょうがとしょうがを細切りにし、小さなお皿に取り分けておく。
 彼女がもっとスライスしたいと言うので、別のボールを用意し、オクラをスライスしてもらうことにする。小さいせいか、ちょっとやりづらそうな手元。私は、彼女が手を動かすたびにカタコトと震えるボールに片手を伸ばし、そっと抑える。
 一通り終わったところで、窓際に立っていた彼女が私を呼ぶ声がする。彼女が指差す北西の空を見上げると、真っ黒な雨雲。「ママ、あっちからね、どんどん黒いのが流れてくるんだよ、ほら!」。確かに、どんどんどんどん、より黒い雲が次々流れ込んでくる。私たちは窓際に座り、膝に頬杖をついて、動き続ける雲と空とをじっと見つめる。「ママ、雷鳴るかな?」「どうかなぁ、でも、雨は今にも降り出しそうだね」「どっちが先に雨を見つけるか競争だよ」。だから私たちは、じっと、ただじっと空を見つめる。
 私と娘、ほとんど同時に雨だよと声を上げる。すると、瞬く間に目の前の街は雨飛沫でけぶり、街路樹にも街灯にもぱしぱしと雨粒が叩きつける音で辺りはいっぱいになる。あまりの雨の速度に私たちは半ば呆然としながら、窓際で立ち尽くす。ママ、雨すごいねぇ。ほんと、すごいねぇ。
 ベランダで揺れる薔薇の樹は、もし自分で動けるのであればきっと、雨の方へ雨の方へと身体を伸ばしただろう。私は立ち上がって、プランターをベランダの柵に一番近いところへ引きずってみる。半身だけ、雨粒が届くようになる。ゆっさゆっさと揺れながら雨に手を伸ばす薔薇の樹の様子は、そこから音楽が聞こえてきそうなほどかわいらしい。娘が私の真似をしてプランターをえっちらおっちら動かしている。そのプランターの中には薔薇に巻きついた朝顔が幾つも花をつけており、雨が当たり始める場所へ来ると、朝顔の花の上、ころころ転がる雨粒がはっきり見えるようになる。私たちはそうして、ひとときの雨の時間を窓際で過ごす。
 やがて雨が上がる。黒い雨雲は南東へ流れてゆき、私たちの部屋の上、空にぽっかりと穴があく。「ママ!見て!」。彼女の指差す向こうに、下弦の月。白く白く、透ける月。

 夜、娘を寝かしつけた後、いつものようにいつもの位置に私は座る。開け放した窓からそよそよと流れ込んでくる夜気は、こちらが目を閉じてしまいたくなるほど肌にやさしい。凝った肩や首を伸ばしながら私は目を閉じる。私の頬を肩を首筋を撫でる風の涼しさ。こうやって秋へ秋へと季節は傾いてゆくのだな。昼間の雨の中、娘がふと言った言葉を思い出す。もう秋なんだよね、秋が過ぎたら冬が来るんだよ、冬になったら鈴虫もみんな眠るんだよね。
 そうだね、冬になったら。みんな眠っちゃうかもしれないね。娘の寝顔を瞼に浮かべながら、私は今更だけれども返事をする。でもママは、冬が大好きなんだ。
 耳を澄ますと、娘の寝言がもにょもにょと聞こえてくる。そして見やる窓の外では、街がしんしんと眠っている。


2005年09月08日(木) 
 水曜日。一日中ごうごうと風が啼く。街路樹は全身を風に嬲られ、ぐわんぐわんと撓んでいる。そしてその風景をぼんやりと眺める私は、窓枠に腰掛け、じっとしている。
 風が世界を駆け回るその音がひときわ強くなったと思った瞬間、雨が降り出す。アスファルトに弾かれては奏でる雨粒の音色が、いつの間にか私の足を濡らし、太ももを濡らす。気づけばすっかり雨に閉じ込められ、私はただ、己の膝を抱き寄せる。そうやって丸くなって、畳の上にころんと転がる。

 夜、友人の声が耳元で響く。受話器を通して伝わってくる彼女の体温を頼りに、私は自分と世界とを繋ぐ見えない糸を手繰り寄せる。
 「犯罪者だったり狂人だったり犯罪者だったり。世界にはありとあらゆる類の人間が存在するけれども、あらかじめ穢れている魂なんてひとつもないんですよ」。訪ねていった部屋の中でその人の口からこぼれた言葉。「あらかじめ穢れている魂なんてひとつもありはしない」。私はその意味を掴みかねながらも、その言葉だけはひどく印象的で、心に深く刻まれていた。最近になってその言葉の意味が、ほんの少し、ほんの少しだけれども分かったような気がする。
 もちろん、それでも人は罪を犯すし、その犯した罪を省みることさえしない人も在る。長く生きていれば生きている分、そういった光景と出会う数は増えるのだろう。そうして歳を重ねて重ねてその最果てで、自分は何を信じるのか、何を見出すのか。この世との縁を断つ瞬間、私は何を思うのか。それでもやはり赦せないと嘆く私がいるのか、それとも一切の悔恨を捨て去り世界を丸ごと受け入れる私がいるのか。
 どちらが私の最期に飾られるのか、今の私が知る由もないけれども、でも、できるなら、後者であるといい。後者であれ、と、願う。

 使うたび血で汚れる刃はすぐに錆びる。大学を卒業し就職をし、以来、刃を買い足したことなど一度しかなかった。今、私はその時買った最後の刃を用いている。付け替えたのは確か初夏の頃だった。今私の机の引き出しに投げ入れられた刃は、気づけばすっかり錆びて、普通だったら切れるだろう薄い紙さえ切れないときがあるほどになってしまった。ここで新しい刃を買い足すのか買い足さないのか。今買い足したら腕を切る速度に拍車がかかってしまうかもしれない。自分を信用していない私はそう思い、今日こそ買おうかどうしようかと迷いながら文房具売り場を通り過ぎ、階段を降りる。
 でも今日、当分は買い足さないことを決めた。何かと不便にはなるけれども、それは紙を切る上で必要なのであって腕を切るために必要な代物じゃぁない。ようやく私は自分にそう言い切れる。だから、娘の字練習のノートを買い足しに入った文房具売り場で、視界の端に刃の姿を捉えながらも、何とか手を伸ばさず売り場を後にすることができた。
 ねぇママ、今日さぁ、あのおばあちゃんとこに行きたいんだけど。
 おばあちゃんのとこって何処?
 風船とかいろいろ売ってるところ。
 あぁ、あそこか。遠回りになるよ。そうすると未海が見たいテレビが見れなくなるかもしれないよ。いいの?
 うーん、いい。だってテレビは来週でも見れるもん。
 ははは。じゃぁ行ってみようか、久しぶりに。
 それは畳一畳分あるかないかの家幅で、その玄関口に所狭しと駄菓子やら風船やらを置いている店。私は息を切らしながら自転車を漕ぎ、坂を上って下って、その店に辿り着く。
 ママ、どの風船にしようか。
 ママはどれでもいいけど。でもなぁ、膨らますのが簡単な方がいいなぁ。
 それってどの風船?
 …分かんない。
 だめじゃない! それじゃぁ選べないじゃん!
 じゃぁねぇ、とりあえず今日はこれでもいい?
 いいよ。
 じゃ、みう、ここに何円って書いてある?
 50円。
 じゃ、これが50円ね。自分で買ってらっしゃい。お金渡したら、最後ありがとうってちゃんと言うのよ。
 はーい!
 妙に高く機嫌のいい娘の声が辺りに響く。私は引き戸のそばに立って娘の様子を見守る。何とか無事に買い物を終えた娘が、ひっひっひと奇妙な笑い声を立てながら、上機嫌でこちらへやってくる。私は店の奥へ一声かけながら、自転車の鍵を回す。

 娘を寝かしつけ、私は昨夜の一コマを思い出す。電話の向こう、こんなちっぽけな私の為だけに泣きながら声を枯らす彼女が在た。たかが私の為だけに、必死になって、私に何ができるの、と訴える彼女の声があった。
 もうそれで充分じゃないか。それ以上の何を望む?
 私は、彼女の声が私の中で木霊し続けるのを、じっと見つめていた。あぁ、こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。私はまた歩き出さなければ。きりきりと切なさが音を立てる私の内奥で、私は自分に言わずにはいられなかった。しっかりしろ、自分。
 そして思い出した。あぁそういえばここしばらく、私は世界を眺めることをすっかり忘れていたというそのこと。
 私は今、娘が奥で眠るその寝息を微かに聞きながら、窓を開け放つ。通りを走り過ぎる車の音、何処からか近づいてくるサイレンの音、そして私の傍らで揺れる朝顔の蔓が描く僅かな影姿。そして、もう沈んで見やることのできない月の残像。
 そしていつものように街灯に照らし出される街路樹の葉々。台風で翻弄されていた姿は一体何処に消えたのか、今私の目の中に浮かぶ姿は、じっと、ただじっとそこに佇む樹影。
 私は暗闇の中で自分の左腕を何気なく撫でる。指先に伝わってくる感触はこれでもかというほどでこぼこで、思わず苦笑を漏らしたくなる。
 これを終わりにするのは自分しかいない。そのことは最初から分かっていたはずだ。でも、私は弱くて、自分の衝動に流されるばかりだった。でも。
 私の衝動を止めようと、ブレスレットを贈ってくれた友がいた。ずたぼろになってもう全てを放棄してしまおうかと思いかけた私に、真っ向からぶつかって泣いてくれる友がいた。もうそれで充分過ぎるんじゃぁないのか。
 刃に一度手をかけてしまったら、正気に戻ることは難しい。なら、何とか最初から刃に手を伸ばさずにいる方法を、その術を、私は自分で得るしかない。
 手を伸ばせば届いてしまう場所にある刃を、私はひとつひとつ摘み上げ、引き出しの奥にぽいっと投げる。ちょっとすると誘惑にかられそうになるけれど、ともかく引き出しにしまいこむ。そして。
 思い出す。友の顔を。友の声を。
 その姿や声は、いつしか私の中でひとつの塊になってゆく。生きよう、とことんまで生きよう、生き延びて生き延びて、そして死ぬときは思い切りの笑顔で。

 耳を澄ますと、狭い部屋の中、娘の規則正しい深い寝息が私の鼓膜を揺らす。その振動に身を委ね、私はさらに耳を澄ます。
 ねぇ、生きよう。生き残ろう。
 彼女たちの声が、今、私の背中を、押す。


2005年09月06日(火) 
 台風が少しずつそれてゆく。テレビから流れる天気予報の画面がそれを教える。私はその画面を見つめる。見つめながら、実はその映像のたったひとつも、私の心に反映されることなくただただそれてゆくのを感じている。
 テーブルに頬杖つきながらぼんやりと幾つかの時間を過ごす。そんな時私のすぐそばに在る音はいつでも、風の音だ。たとえば今風は、窓をノックするような音を立て、同時に波に乗るかのような勢いで遠近両方の音を立てている。私は立ち上がり、窓を開ける。伸ばした髪と戯れるかのように私の身体にぶつかってくる風。プランターの薔薇の樹々たちは時折、折れてしまうのではないかと思うほどにしなる。そうさせる元凶はこの風だ。私は宙に手を伸ばす。街路樹の葉擦れの音に混じって、伸ばした私の手を嬲る音。この風をもしつかむことができたら、などと想像する私を蹴散らして、右から左、左から右へと絶え間なく風は暴れ続ける。
 昨夜、親しい友と電話越しに話す。私がまだ制服を着ていた頃の姿を知っている数少ない友のひとりと。その日の病院でのやりとりを告白し、そして私は思い切って友に尋ねてみる。「どうして先生は今になって腕をこれ以上切ってはだめだって言うんだろう。これまでそんなこと、一度だって先生は言ったことなかったのに。どうしてもうこれ以上切ってはだめだなんて…」。それは朝診察を受けてからずっと、私の中にあったひとつの疑問だった。友が答える。「それは、もう先生から見た許容範囲の一線をあなたが越えてしまったからじゃぁないのか」と。「一線って何?」「自分は先生じゃぁないから本当のところは分からないけれど。でも、あなたが越えてはならない一線を越えそうになってるって先生は思ったからじゃあないの?」「…」。そして重ねて友が言う、危ない方へ戻ってこれないような方へと君は足を踏み出しかけていると感じられるからじゃないのか、と。
 電話を切った後、私は娘の隣に横になる。娘の寝顔をじっと見守る。彼女の寝顔は今すぐにでも抱きしめてキスをしたいくらいいとおしい。彼女を起こしてしまおうと何だろうと構わないと腕を伸ばし思い切りぎゅっと抱きしめたい、そう私に思わせる。そして、私は、あまりにも矛盾した自分の内奥に、はたと立ち止まる。
 いとおしくていとおしくてたまらない娘のためなら、私は生きていける。いや、娘のためなんかじゃない、私は自分で生きていたいとそう思う。でも同時に、もう、生きているという状態そのものに疲れ果てている自分も、存在している。何もかもを放棄して向こう側へと大きくひとつジャンプしてしまいたい、と。
 娘の寝顔がストッパーになっていた頃があった。娘の寝顔を見つめ、そうだ、腕なんて切っちゃいけないと、必死に我慢できていた頃があった。でも今はどうだろう。私が腕をざくざくと切るとき、私の中に娘の姿がない。だから私は、躊躇うことさえなくぐいっとナイフを腕に添え引っ張ってしまう。ぽたぽたと流れ落ちる血に気づくこともなく、次から次へ腕を切り裂いて、一度そうなってしまうと私は、一通り終わるまで正気に戻れない。もう切るところがないよ、と、さんざん腕を嬲りつけてしまうまで、私は止まれない。もうどう頑張っても切る場所が左腕に見出せなくなったとき、ようやく私は息を吸う。そして、呆然とするのだ。一体いつのまにこんなに腕をまた切ってしまったのだろう、と。愕然とするのだ。自分で自分の為す行為に。愕然と、呆然と。そして私は、娘に見つかってはいけないと雑巾で血溜まりをごしごしと拭い、血だらけになった雑巾が彼女の目に触れないようにとゴミ箱の奥へ突っ込む。そうしてようやく一息つく。
 そんなふうに、一体何度夜を越えただろう。もう、数えられない。

 娘の隣で横になり、闇色に広がる天井を見つめながら、私はぼんやりと物思いに耽る。先刻友が伝えてくれた言葉を、心の中で反芻する。一線を越える前に、まだこちら側に戻ってこれるうちに私は引き返さなきゃいけない。でも。引き返すって何を引き返せばいいのだろう。どの道をどうやって戻って帰ったらいいのだろう。それが全く分からない。娘が呼ぶ方へ戻ってゆけばいいじゃないかと思うのだけれども、娘の声が響いてくる方向が掴めない。あまりにも漠とした世界に、まるで何の道しるべさえない砂漠の真ん中に放り出されたような、そんな世界、そんな場所。ここから私は一体どちらへいったらいいのだろう。
 誰のせいとか誰かのためとか、そんなんじゃない、自分で「生きていたい」と思いたい。自分自ら、「私は生きたいのだ」と、そうして歩いていきたい。そう思うのだけれども。
 私が自問自答している間にも時は過ぎ行く。チッチッチッと、枕元、目覚まし時計が動き続ける。そして、昨日と同じようにまた、朝がやってくる。


 朝、いつもの時間に娘を起こす。いつものように朝食を作る。園服に着替えた娘が小走りにテーブルにやってくる。彼女に朝食を食べさせながら、私は園へ行く準備を為す。「ママ、今日は何時ごろお迎え来てくれる?」「いつもと同じ時間だと思うよ」「えー、やだー」「え?なんで?」「もうちょっと遅くていいよ」「へ? 遅く?」「うん、だって、ゆかちゃんとビデオ見るんだもん」「あー、なるほど。うーん、でもなぁどうかなぁ、いつもと同じだよ、うん」「ゆかちゃんと一緒にビデオ見たいのにー!」「ははは。でもねぇ、まぁねぇ、そう言わずに…」「…しょうがないなぁ、ママは。あのさ、ママ、ほんとは、早く未海に会いたいんでしょ?」「はっはっは。うん、そう、会いたいの、だからいつもの時間に行くよ」「いいよ」。そうやって生意気なことを言うときの娘の顔というのはなんともいいようがないくらいにやけている。彼女と視線を交わしながら、私も笑顔になる。毎日毎日、何処かしら成長を続ける娘の姿が、なんとなく眩しい。
 とにかく今日も越えるんだ、明日へ繋げるためにも。
 両手にゴミ袋を持ち、玄関を出る。娘と二人、園までの道を歩く。途中でゴミを漁るカラスに出会う。すると娘が「こらー!カラスー!だめー!」と大きな声を出しながら、カラスに向かって走ってゆく。驚いたのか、カラスはざざざっと羽音を響かせながら電柱の天辺へ逃げてゆく。「もうっ! カラス、今度ゴミぐちゃぐちゃにしたら怒るからねっ!」。娘は最後にカラスに向かってそう言うと、のっしのっしと私の前を歩き出す。
 小雨舞い踊る中、バイバイをする。ぎゅうをしてちゅぅをして、私たちは別れる。
 とにかくまずは今日を越えるんだ、明日へ繋げるためにも。
 包帯を巻いた左腕が急にぎゅっと痛み出す。切っているときに痛みを感じたことはない、いつだって突然にぎゅぅと痛み出す傷痕。私は右手でぎゅっと左腕を握り痛みを散らしながら、仕事場への道を急ぐ。
 雨はまだ、止まない。


2005年09月05日(月) 
 「先生、どうしても、どうしてもそうせずにはいられなくなるんです」
「…」
「他の事考えよう、そう思って一生懸命試みるんですが、気がつくとざくざく為してるんです」
「…」
「自分でももうやばいって思うんです、もうだめだ、これ以上はだめだって。この腕見れば、誰だってきっとそう思う、昔リストカットがやめられなかった時でも、こんな酷い状態の腕じゃなかった、わかってるんです、分かってるんですけど、でも、とめることができない」
「…」
「自分でももう、分からなくなってしまった。先生、この傷跡、もうとんでもなくでこぼこになってて、だから思うんです、だめだよって、でも」
「いい? これ以上切ってはだめよ」
「…」
「こんな酷い状態で切り続けたら、だめよ、もうだめよ、絶対」
「自分でも思うんです、絶対だめだって。でも」
「いい? だめよ、もうだめ、これ以上は」
「分かってるんですけど」
「…すぐにはどうこうできないかもしれない、でも少しずつでいいから、手首を切ってしまう時間を他のことに使って」
「…」
「いい?」
「でも先生、血がこうやって滴って、それが大きな水溜りを描くまで、赦せないんです」
「でもだめ、もうだめ」
「…」

 帰り道、徐々に徐々に雨粒が大きくなってゆく。時折私の肩を嬲るように吹き付ける風に、私の身体がぐらりと揺らぐ。そうやって私は身体をふらりふわりと揺らしながら歩を進める。
 分かっている。もう切る場所がないことくらい。さすがの私でも分かっている。でも、名状しがたいこの衝動を受け止められる場所は、もうこの左の腕以外に見当たらない。だから私は、どうしても左の腕に惹きつけられ、誘われてしまうのだ、そして左腕は、今夜も私の衝動を受け止めた結果、血だらけになる。
 これっぽっちの血じゃぁ人間死にゃあしないんだなと、そのことはリストカットをし始めて知った。よくテレビドラマや映画なんかで見かける手首を切っての自殺のシーン、あれは嘘っぱちなんだなと、自分が切ってみて初めて知った。現実はこんなもんさと、私の腕が私に淡々と教える。死へジャンプするのは、容易なようにみえて容易じゃぁないんだな、と。そして、簡単に死ぬことができないくらい、生命というものはしぶといということを、私に教える。
 体力ありあまってはしゃぐ娘をどうにかなだめて、眠りにつかせる。彼女を眠らせた後、私はようやく一呼吸深く深く息を吸う。そして気づけば。今夜も右手が好き勝手に左手へ伸びているのだった。
 一体何処まで続く。
 一体何処まで私を侵す。
 一体何処までいったら終わりが見えるのか。
 腕よ、教えて欲しい。何処までいったら終わりが見える。それを終わりだとどうやったら受け止められる。一体どう目を凝らしたら、真実が見える。
 そして私ははたと気づいて、自嘲するのだ。真実なんて問題になりゃしないのだ、いつだって事実が大事、事実が証明を施す、真実なんてこれっぽっちの価値もない。
 強姦の事実を葬った奴らは今日もしっかり生きている。一方私はこのざまだ。あのときまで私は、信じていたのだ。真実が何よりも大切なんだ、と。そう信じきっていた。でも、真実なんて実は何の価値ももたないものだということを、私は後で思い知らされることになる。強姦はやがて和姦になり、果ては恋人同士だったという証言まで現れて来たとき、私は知った。どんなに声を枯らして真実を叫んでみたって無駄なことなのだということを。世間は真実なんてこれっぽっちも問題にしちゃぁいなかったのだ、事実だけが重要なのだと、あのときの弁護士そして父の言葉を、私は今も忘れられない。そして。
 示談で済んだはずのところに社長から渡されたあの10万というお金。あれは一体何だったんだろうと私はいまだに考えふけってしまうことがある。あの10万という金は、一体どういう意味があったのだろう。会社側からすれば、和姦だった果ては恋人間の行為だったと声高に叫びそれを勝ち取ったわけだから、それでいいじゃないかと思うけれども、そうじゃなかった、社長がいきなりポケットから出した、そのお金が10万だった、お嬢様には申し訳ないことをしましたなんて一言零して。
 後になって事実を知らされたが、私はもう、その事実を受け止めることはできなかった。和姦なら和姦でいいじゃないか、和姦だと恋人同士の間の行為だったと嘘をふくなら、吹き通せばいいじゃないか、なのにあなたがたは私へと10万円という奇妙な金を渡してきた。これは一体どう受け止めればいいの?
 そして知った。私の命の価値は10万だったんだ、と。
 以来思い出す、家賃や光熱費を銀行に振り込んだりするとき、必ず思い出す、あぁ、私の価値はたかが10万だったんだ、と。今借りているこの部屋の家賃にさえ満たない額だったのだ、と。痛感させられるのだ。これが笑わずにいられようか。嘲笑するしかないじゃないか。
 そして私の左腕は血みどろになる。血を流しながら泣いて泣いて泣いて泣いて。
 もうじき娘が目を覚ますだろう。そのときにはにっこり笑って私は彼女を抱きしめるのだ。血みどろの腕は包帯でぐるぐる巻きにし、彼女に決して見えないようにと隠しながら抱きしめるのだ。ぎゅぅ、っと。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加