2005年03月31日(木) |
目を閉じていても分かる。上に向けた顔に降り注ぐ日の光。細く開けた瞼の間から見えるのは、あまりに光溢れすぎて青というよりも白くけぶった空の姿。そして私は瞼を開ける。自転車に乗っていることを忘れてしまった一瞬に慌てて、私はハンドルをくいっと回す。 駅へ向かう道筋に桜が幾本か植わっている。そのうちの一つの早咲きの桜が、もう満開になってしまった。他の桜は蕾をぱんぱんに膨らませてはいるものの、あと数日は開くまでにかかるかもしれない。そんな中でこうして咲いて舞い散る花びらは、何だかとても尊い春からの贈り物に思える。 ふと寄り道がしたくなって、私は裏道に入る。三つ四つ角を曲がればそこは、亀が山ほど住む神社の小さなお池。池を覗きこむ必要もないほどに、あたり一面、亀、亀、亀。このあたたかな陽光に誘われて池の真中に置いてある石によじ登り、甲羅を日干ししている亀は、一匹の上に一匹が乗り、さらに一匹が乗り、と、段々重ねになっている。 行き止まりの道、張られた柵の手前の日溜りでは、猫が身体を伸ばして寝っ転がっている。私がすぐそばを通るというのに、微動だにしない。一瞬、迷惑そうな顔をこちらにちらりと向けただけ。猫らしい仕草といえばあまりに猫らしい。ちょっと子憎たらしくて、それが逆にこちらの気持ちをそそる。 小学校の前を通る。この学校では大道芸のクラブがあると以前ニュースで聞いた。校庭の片隅で何人かの小学生が輪を回したり一輪車にまたがって自由自在に踊っている。もしかしたらこれが、大道芸クラブなのかもしれない。私は自転車を止めて、金網越しに彼らを眺める。そういえばもう、大道芸の季節なのだなと思い出す。四月下旬、この一帯で大道芸の大会が催される。その二日間は、世界中のあちこちから集まってきた大道芸人とそれを見ようと集まる人たちで、この辺りは溢れかえる。雑踏に揉まれるのはしんどいけれども、今年も娘を連れて見に行くつもりだ。 再び私は自転車を走らせる。もう少し行くと上り坂だ。私は漕ぐ足に力をこめる。
目の前で映像が繰り広げられる。目の前に三人いる人間の一番左端、男の口が動く。はい、その犯罪は私が犯しました。そう言ったその舌の根が乾かぬうちに、男は翻る。確かに自分はそういう行為をしましたが、あれは合意の上でした。恐らく私の目だろうその目の前で、男は俯いてそう言う。 しばらくの間があって、二人目の、真中の男性が口を開く。私たちの預かり知らぬところでおきた出来事でした。責任を感じています。でも、私たちは二人が恋人同士だと信じていました。時々爪を噛みながら、その男性が言う。そして三人目、私と同年代の女性が言う。そんな出来事が起こっていたなんて全く知りませんでした。だって彼女はその事件があったといった日以降も、普通に勤務していましたから。 そして私の目の前に広がる空間は、沈黙する。三人の姿が少しずつ少しずつぼやけてくる。何故私は何も言わないの? この映像を目の前で見ているだろう眼は多分、私のはずなのに、その目は一言も声を発しない。映像だけが流れてゆく。だから私は何とか声をだそうと試みる。しかし、たった一言さえも声が出ない。私の中で反発や拒絶がもくもくと増殖し、それは耳を劈くような悲鳴に変わる。 と、思った瞬間に目が覚めた。目覚めた私は、ここが何処だか分からなくなる。時間はすっかりあの当時に巻き戻されていて、私は思いきり彼らの言葉に反論したくなる。どうしてそんなことを言うの、何故そんな嘘をつくの、本当のことを言ってよ、誰か一人でもいいから本当のことを言ってよ! 私の心はそう叫ぶ。叫ぼうとして、はっとする。これは、夢だ。現実じゃない。夢なんだ、もうあの言葉を否定することも、思いきり反論することも、私にとっての真実をとことん主張することも、何一つすることはできない。もう終わってしまった。全て終わってしまった。今更私がいくら反論したって、何も変わらない。そのことに気づいたとき、私の目から涙が一粒零れていた。自分が涙を零したというそのことを認識するのに、しばらく時間がかかった。時計の針を逆回しすることはいくらでもできる。けれど、一旦進んでしまった時間を戻すことは、決してできない。不可能なのだ。そのことを、痛感する。悲しいも悔しいも何もかもが、ぼんやりとしてくる。私が今更怒ったって悔しくて身を捩ったって、もう何も変わらないのだ。変えられないのだ。夢の中でいくら何度も繰り返されても、夢は所詮夢。過去は決して元には戻らない。
家に辿り着き、私は上着を着たままベランダに出る。日がさんさんと降り注ぐベランダ、アネモネのプランターを眺める。次々に頭を持ち上げてくる蕾たち。一重の花が小さな風に揺れる。藍色と一口に言っても、青に近い藍もあれば、紫に近い藍もある。白も、真っ白もあれば乳白色も。私は花をひとつずつ、指先でぽろんと撫でる。アネモネがもし、喋ることができたなら、今私に向かって何を言うのだろう。 今朝方に見た夢が、急に思い出される。思い出しても仕方ないと頭を振るけれど、頭の芯に残像が残る。もう終わったことだ。すべて終わってしまったことだ。無理矢理に事実を捻じ曲げられ、被害者だった自分がまるで悪人のように扱われ、なのに最後、金をよこした。あの金は何だったのだろう。その問いは、これまでにもう何度も何度も、私の中で繰り返されている。でも、いくら繰り返したって、何も変わらない。そのことはもう充分過ぎるほど、私も思い知っている。 立ち上がり、私はまた空を見上げる。ベランダの柵に背中を押し付けて、ぐいっと反らす。体中に陽光が降り落ちて来る。そんなことを考えても何もならないだろう、前を見よ、前を。おまえは今を生きているはず。まるで太陽が、そう耳元で言っているような気がした。 私は目を見開いて、まだ空を見上げ続ける。陽光に次々突き刺さられて、私の視界はどんどんぼやけてくる。そして伸びを、ひとつ。 さぁ、切り替えよう、自分の中のスイッチを切り替えよう。こんなこと考えていても何にもならない。私は今を生きなくちゃいけない。そう、今をこそ。 じゃぁその今にやるべきことは何だろう、できることは何だろう、まずは掃除。それから本棚の整理。それから写真の整理。それから…。やることはいくらでもある。部屋に戻りながら、私は、やるぞっと声に出して言ってみる。大丈夫、このくらいどうってことはない。私は今をこそ呼吸しよう。 遠くでサイレンの音が、延々と鳴り響いている。そんな、午後。 |
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