見つめる日々

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2004年12月30日(木) 
 天気予報は雪。明け方から窓の外をちらりちらりと見やるが、雨がしとしと降るばかり。灰色の重たげな雲が空一面を覆い、朝陽はひとかけらさえ零れてはこない。私が窓の外を見やるのにも飽きた頃、娘が大きな声をあげる。「ママ、雪だ! 雪だよ!」。一体何処から落ちてきたのだろうと思うほどの牡丹雪がひらひらと舞い降りる光景。ついさっきの光景からのあまりに見事な変貌ぶりに、私は口をぽかんと開けたまま窓の外を見つめる。あぁ、雪だ。雪が降っている。
 娘を連れて外へ出る。彼女は大喜びで、舞い降りて来る雪に顔を晒す。ママ、見て、目にくっついた、ほっぺたにくっついた、口に入った、もうどれもこれもに彼女は歓声を上げ、ひとつひとつ私に報告する。寒くないのと尋ねると、全然寒くない、と即座に答えが返ってくる。そんな彼女の様子に頬が緩むのを感じながら電車に乗る。
 国立に向かう電車の中、私と娘は窓に額をくっつけている。見て、屋根が真っ白だよ、こっちの方がすごいよ、あっちも真っ白だ、娘の興味は尽きることがない。雪だるま作れるかなぁ、うーんどうだろう小さいのだったら作れるかもしれない、でも地面に降りちゃったらきっと雪溶けちゃうよ、どうしてそう思うの、だってみうの顔にくっつくとみんな雪溶けちゃうでしょだからきっと地面にくっついたら溶けちゃうんだよ、そうかぁじゃぁそうかもしれない、あーあ雪だるま作りたいのになぁ、うーん作りたいねぇ…。隣に座っていた老婦人が、私と娘のやりとりにくくくと笑っている。何となく目が合って、どちらともなくにっこりする。寒い季節は、隣にいる人との距離が何処か近くなる気がする。他の季節よりずっと、隣にいる誰かと親しくなれる気がする。
 そして辿り着いた書簡集で、この雪の中やってきてくれた人たちと出会う。こまめに会場に通ってくれた人もいれば、遠方から時間をやりくりしてやって来てくれた人も。ひとつひとつの出会いに深く感謝。そんな人たちに私がそして私の作品たちがどれほどに支えられているのかを、改めて噛み締める。
 そして。
 気配がする。彼女の気配が。もうじきやって来る。もうじきここに。そう思って振り向くと、ちょうど彼女は扉の外にいた。あぁやっぱり。私の心臓は、どくんと脈打つ。
 彼女と最後に会ったのはいつだったろう。もう数年前になるはずだ。その間に彼女は何度か引越しをし結婚をし、私も数度の引越しを経て離婚を経て、今を迎える。いろんなことがぐいぐい変化しているのに、彼女は私の中に刻まれた笑顔のまま、そこに在るのだった。
 「あのね、このお姉ちゃんはYお姉ちゃんと言ってね、ママの命の恩人なのよ」。娘に言う。娘はきょとんとして、黙って聞いている。でも、本当にそうなのだ。この言葉に何の誇張も衒いもない。言いながら、ああようやくこうやって言うことができた、と、言葉には決して表現し得ない想いが、私の体の奥底からこみあげてくる。
 あの時期、彼女が何度真夜中或いは明け方、私の部屋に飛んできてくれただろう。薬を大量に呑み、腕を切り刻んでは意識を失いひとり床に倒れている私を、彼女が何度介抱してくれただろう。なのに私が意識を戻す頃には彼女の姿はもうなくて、いつだって彼女は黙って、私を介抱するだけして黙って去ってゆくのだった。私が最後、誰にも何も告げず死のうと試みたとき、あの時も彼女は何故か察知し、夜の街を駆けて来てくれたのだった。私はそのことを、ずいぶん後になって知った。その時彼女が急ぎ過ぎて厚いガラス戸にぶつかり鼻の骨を折っていたことも、ずいぶん長いこと知らずにいた。あの時彼女が飛んできてくれていなかったら。私は死んでいたかもしれない。そう、今ここにはいなかったかもしれない。多分、もうこの世にはいなかった。
 ママの命の恩人なのよ。そう言った私の言葉に、彼女がさらっと言葉を継ぐ。「そうよぉ、お姉ちゃん、ママの命の恩人なの」。多分お互いがお互いに、まっすぐに言った言葉だったのではないかと思う。けれど、私たちは思いきり笑顔なのだ。今はそうやって、笑えるのだ。そのことが、こんなにも嬉しいなんて。
 作品をひとつずつ見ながら、そして制作ノートを丁寧にめくりながら、彼女が言う。顔が変わったよ、もう大丈夫だね。私も返事をする。そうかな、うん、でも、大丈夫だよ、うん。他にも人がいたからさらっと流したといえばそれまでだが、多分私と彼女二人きりでも、彼女はそう言っただろうし、私もそう答えただろう。
 でも。
 ここに来るまで、どれほど長い道程があっただろう。何度私は生きることから逃げ出そうと思ったか、もうこれでおしまいにしようと思ったことか、思い出すときりがない。そう、私は逃げ出したかった。もうこんな人生終わりにしたかった、荷物を背負って歩いていくには、人生は途方もなかった。でも。
 ここまで来たのだ。やっとここまで来れた。さぁこれで、ようやっと、彼女とまた対等に向き合うことができる、そう思える自分が今ここに在ること、そのことがどれほど私の中で重く大切なことであったのか、私は心の中で、しっかり噛み締める。
 ありがとう。ここに在てくれて。
 ありがとう。再会の機会を私にくれて。
 ありがとう。からからと笑いながら、またこうして一緒に時間を過ごしてくれて。
 ありがとう。
 帰り道、彼女がぷぷぷと笑う。いやぁなんか変な感じよねぇ。どうして。あなたがこうして子供と手を繋いで歩いてるって構図を見れば見るほど変な感じがする。ははははは。そうだよねぇ。しかももうじき五歳だなんて信じられない。私も信じられない。
 大学時代、ギャラリーでアルバイトをした。その時彼女と出会った。以来、二人で何度飲み明かしたことだろう。いくら呑んでも酔っ払うということがなかった私たちは、何処までも喋り倒して時間を過ごしたのだった。私が失恋すればその愚痴話に付き合ってくれたのも彼女だったし、就職活動に四苦八苦してた頃本作りに対する情熱をぶちまけて泣いたのも彼女の前でだった。いつだって彼女はそこにいるだけで、私を励ましてくれた。いや、彼女にそんなつもりはなかったのかもしれない。でも、私は、彼女を折々に心に浮かべた。そんな彼女は、私の心の中心で、とても大きな樹として存在していた。
 彼女をもう失ってしまったかもしれない。そのことに愕然とし、そしてのた打ち回った時期があった。最後の最後、彼女まで失ってしまったのか、私は。そう思った時、私にはもう何もなかった。空っぽだった。その空っぽの部屋の中、呆然と独り座って、そうしてやっと私は気づいたのだった。
 私がここから歩き出さなきゃ何も変わらないという、そんな簡単なことに。
 そして、気づいた。世界がもう二度と私に近づいてくれないのなら、私が世界に近づかなくちゃ、と、そのことに。
 私が命を取り止めたのも彼女のおかげなら、私が再び自分で歩き出そうと思えたのも彼女がきっかけだった。そう、彼女だった。
 そうして今、私はここに在る。娘と手を繋いで歩きながら、彼女とまた馬鹿話をあれやこれや飛ばし合い、けらけらと笑い合う私がここに在る。
 ああ、生きていてよかった。産まれて初めて、これでもかというほど深く深く今私はそう思う。生き延びたからこそ今日がある。生き続けたからこそここに在る。今私がここにいてこうして生きているそのことに、私は、今ようやっと感謝する。
 ありがとう。

 娘が眠りにつく間際、ぽつんと言う。ママ、Yおねえちゃん、今度泊まりに来てくれるって。みうね、いっぱい遊んでもらうんだ。そして幾つも数える間もなく、彼女は寝息を立て始める。
 娘よ、あなたの人生にどんなことがあるのか、誰にも予想することなんてできない。でも、どんなことがあっても生き続けて欲しい。どんなに血反吐を吐くことがあっても生き続けて欲しい。その先にはきっと。
 そして、どうか、人との緒を大切にしてほしい。信じてほしい。人は人によってずたぼろに傷つけられるけれども、同時に、人を癒すことができるのもこれもまた人なのだということ、人間という字は、ヒトのアイダと書くその意味を、どうか見失わないでほしい。
 私が君にもし望むことがあるとすれば、ただそれだけだ。死が迎えにくるその日まで、生き続けて欲しい。そして信じてほしい。どんなことも超えてゆけないものはないということを。
 窓の外、小さな小さな星が今、瞬く。


2004年12月28日(火) 
 朝晩と、ようやく冬ならではの寒さが感じられるようになる。それは、ぷるぷると空気が震えるような凍えるようなそんな音となって、私の肌に染み込んでくる。開け放した窓、そこから吹き込む冷気に、私はだから、そのままに体を預ける。じきに太腿もつま先も肩も腕も、みなしんと冷たくなって、けれど冷たくなったその奥底で、私の中の何かが燃えているのを私はありありと感じる。他の季節では決して味わえない感覚。私はこの感覚ゆえに、多分冬という季節を何よりも愛するのだと思う。
 部屋の裏手の小学校、その敷地の中に幾つかの大樹が立っているのだが、その一つの銀杏の樹が、まだ黄色く色づいた葉をこんもりとつけている。周囲の樹がみな葉を落としてしまっている中、その黄金色は日差しを受けるたびに美しく燃え、風にその身を委ねている。私はその前を通るたび、立ち止まり、しばしその樹と向き合う。何を語り合うわけでもない、樹は言葉を持っているわけではないから。けれど、私は彼と向き合っている時、言葉には現れ出ない会話を交わしているような錯覚を覚える。私は彼の過去も何も知らないし、どうやってここに来たのかも、何も知らない。あるのは、今私と彼がここで向き合っているというそのことだけである。けれど、向き合えば向き合うほど、彼の中に堆積しているやさしい時間が私の中に流れ込んでくるような。それは決して言葉に還元できるものではなく。そして時折彼は、その黄金色の美しい葉を落とすのだ。一枚の葉が風にひらりと乗って、くるくると舞い降りて来る。描かれる螺旋の美しさ。私はただ、その美しさに見惚れている。
 私の部屋が立つ場所と向き合う街中をひとりぽつぽつと歩く。私はこの街に住むようになってまだ数年だけれども、その間に、幾つもの店が閉店していった。最初は豆腐屋。豆腐屋を継ぐ者がいなくて、もうずいぶんお歳を召した老夫婦がちんまりと営んでいた。毎朝そこを通ると、豆の匂いが通りにまで漂ってきて、私はつい深呼吸をしたものだった。或る日青いカーテンで閉じられた店の入り口には、ただ一言、閉店します、とだけ書いてあった。その豆腐屋の斜め向かいには和菓子屋があった。明治時代から続く和菓子屋だと聞いた。けれどそこも、今はすっかり取り壊され、つい最近、マンションが建つという看板がその空き地に立てられた。そこからまたしばらく歩くと、鰹節屋と看板を掲げた店が現れる。けれどそこももう、商いを為してはいず。店の入り口として使われていたところは締めきられたまま。ひっそりと町並みに溶けこんでいる。
 私の知らないところでこうして幾つもの店が現れては消え、消えてはまた現れるのだろう。私が知っていることなど、これっぽっちに過ぎない。いずれ私も忘れるのだろうか。この街の景色のように、周囲にすっかり溶け込んで、かつて傷痕だった痛みも薄れゆき、忘れるのだろうか。忘れるなら、それはそれでいいのかもしれない。忘れるという術は多分、人が生きていく為に身につけた術だと思うから。
 郵便ポストに入っていた地域新聞を手に階段を上がる。部屋に入る直前、その新聞のとあるページの大きな見出しに足が止まる。
 「阪神淡路大震災から10年がたちました」。そこにはそう書いてあった。そう、10年が経つのだ、もうじき。あの地震から10年が。私のあの事件から10年が。経つのだ。
 この数ヶ月、私はふいに訪れる離人感に苛まれている。それは時として数日続いてしまうこともあり。はっと気づいた時には、どうして私は今ここにいたのか、一体今日が何日なのか、何も分からなかったりする。表立った原因は見当たらない酷い疲労感と離人感とで、私はくたくたになる。けれど、毎日は続いてゆくのだ、そんな最中であっても。
 誰かの後姿が現れる。その後姿だけでもう私は分かるのだ、あれはあの加害者だと。目を逸らすこともなく私はその後姿をじっと見詰めている。やがて周囲に現れる人影、そのひとつひとつに私は見覚えがある。嘘の証言をしたあの人、途中で証言を翻したあの人、最後まで知らぬ存ぜぬを通したあの人、みんなみんな、あの事件に関わりのある人たちばかりがそこには在る。私は目を逸らすことができない。だからただじっと見つめる。やがて、後姿がゆっくりとこちらを向く。ああっと思った瞬間、全員が全員こちらを振り向く。けれど。その顔はみな、のっぺらぼうなのだ。
 私の夢は繰り返され、そのたびに目が覚める。でも、夢が夢であるうちはいい。私がそれを夢だと認識できているうちは大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、私はもう一度娘の隣に横になる。
 そう、そんな状態に私があっても、あれから10年が経つのだ。10年という月日が。
 来月になれば、もっと私は耳に、目にするだろう、あれから10年がたちました、という言葉を。新聞を通して、あるいはテレビのニュースを通して。
 そのたびに私は思い知らされる。あれからもう10年が過ぎるのだと。

「離人感が酷いわね、きっかけになったこと思い出せる?」
「思い出せません。何か明確なきっかけがあったと、そのようなこと、思い当たらないんです」
「そう」
「はい」
「でも大丈夫よ、これも必ず終わりがくるから。それだけは信じてね」
「はい」
「今年もよく生き延びたわ。ね?」
「そう、なんですかね」
「ええ、私はそう思うわ」
「…」

 人の寿命は、どうしてこんなにも長いのだろう。時々そう思う。残酷だなと思う。でももう一方で。
 長いからこそ、何度でもやりなおすことができるのかもしれないとも思う。もう一度、もう一度、と、そのたび自分でスタートラインを決めて、仕切り直して、歩き出すことができるのかもしれない、とも。
 そうだ。諦めるのはまだ早い。諦めたら何もかも終わりだ。なら、私は諦めたくはない。生きることを、諦めたくは、ない。どんな荷物でも背負って、或いは引きずって、必要なら全てを捨て去って。それでも多分私は生きたい。だから、生きる。

 ふと見ると、娘が布団を思いきり蹴飛ばしている。私は忍び足で近づき、そっと掛け直す。この命の塊、このぬくもりの塊。
 大丈夫、私は生きたい。だから、生きる。


2004年12月19日(日) 
 どんよりと曇った空の下、貫くように列車が走る。家を出た頃はまだ夜明け前だった。濃闇色が街中に垂れ込めるその中を、歩いてきたのだった。そして今、列車が走る。ただ走る。私を乗せて。
 ああやっと還る、やっとあの場所に届く、その想いで私の心は今にも踊り出しそうなくらい膨れ上がっている。歓声がこぼれてしまわないように、だから私はじっと唇を噛む。場所が近づくにつれ、私の鼓動は大きくなり、もし唇をほんのちょっとでも開いてしまったなら、何もかもがどっと外にこぼれ出してしまうのではないかと思えるほどに。
 早く、早くあの場所に還りたい、あの砂を踏みたい、私の全身であの場所を感じたい。その想いに急きたてられるようにして、私はどんどん早足になる。途中の景色を楽しもうなんて余裕は、どんどん失われ、ただもうあの場所へ、あの場所へと急ぐ私がそこに在る。
 そして着いたその場所。
 ああもう、何もいらないのだった。ただここに私が在るということ、この場所に私が在るということ、それだけでいいのだった。それだけですべてが満たされていると言ってしまえるくらいに、私はただその場所に在り、その場所で呼吸する、そのことが、私の全身を満たす。

 私は変わっただろうか。この場所は変わっただろうか。この砂は、この空は、この風は、変わっただろうか。前に訪れてから約二年という歳月。その間に、私たちはみなそれぞれに変化したのだろうか、それとも何も変わらずにいたのだろうか。
 一歩、また一歩、私は砂を踏む。私の足の裏で砂が蠢く。しっとりと濡れたような感触が、私の全身を一瞬にして貫く。再びここに還ってくることができたという喜びが、私の全身を貫く。
 ただ前を向く。私の前には厳然と砂原が広がり、その砂の一粒一粒を私は肌で噛み締めながら一歩一歩を進める。そうやって歩いて歩いて歩いて、目の前に現れるのはまっすぐに広がる海。薄碧色をした波が、一つ砕けてはまた一つ砕け、それは何者にも冒されることのない、十全な光景。ああ私は、還ってきたのだ。
 砂丘の中程で私は立ち止まる。立ち止まってゆっくりと空を見上げる。見上げた空は相変わらずどんよりと曇っているけれども、この雲の向こうに太陽が在るというそのことが、酷くはっきりと私の心を射るのだった。私は信じてここで待てば良いのだと、何の疑問もなく信じられる。ただそれだけだった。
 空からゆっくりと目を足元に戻し、そして再び、私を取り囲むこの砂原を見まわす。ゆっくりとゆっくりと味わうように。
 私の視界を遮るものは何もなく、地平線が、水平線が、私を円く囲む。その中心に立つ私は、砂の温みを、風の温みを、そして空の海の温みと存在とを、ただ感じる。そう、言葉になど変える必要は今ここには何もない。私はここに立ち、全身を使ってこの場所を呼吸すれば、それだけで充分なのだった。
 ふと右を見やれば、そこには水鏡。そっと足を踏み入れる。一瞬にして幾重にも広がる波紋。一斉にざわめく水。声なき声が、じんじんと私の足元から這い上がって来る。そしてやがて私の全身を満たす。

 砂にまみれ、風にまみれ、空にまみれ、波にまみれ、気づけば全身びしょ濡れになり。ぺたりと浜にしゃがみこめば、私の太ももにじんわりと砂の温みが伝わってくる。ふと思い立ってノートをびりりと破き、ライターで火をつける。一瞬の躊躇いの後、白紙がぶるりと燃え出す。私は火が途切れぬように、まだ何も書いていないページを次々に破る。そして火にくべる。ほんの一握りの火に手をかざす。あたたかい。ただそれだけ。
 白い紙がやがて灰になり、一握りの火は自ずから消え、砂浜にはまた私が在るのみ。目の前で絶えることなく続く波砕の音を私は今見つめる。私の耳はもちろん、目も鼻も口もすべてが、この世界をじっと見つめる。見つめあう私と世界との間には、何の障壁もなく。ただここに私が在り、世界が在る。
 やがて雲が所々途切れ、そこからこぼれ出すのは日の光。もうすでに傾き始めている太陽が雲間から伸びて最初に描いたのは一筋の道。水平線の向こうからまっすぐこの場所へ向かうかのように海上に描かれる一本の道。信じて足を踏み出したなら多分水平線の向こうまで歩いてゆけるかのような、そんな一本の光の道。同時にその道は、やがて来る別離を私に指し示す。
 だから今を呼吸するのだ、胸いっぱいに。全身で呼吸するのだ、その時を私がちゃんと受け止め越えてゆけるように。
 砂と風と海と光と、そして私が在る。ただそれでいい。言葉でこの世界を捏ねくり回す必要など、何処にもない。その歓びが、私の内奥からどんどん沸いてくる。私はそれを感じながら、この場所を、この世界を、何度も何度も噛み締める。
 今この砂に残る私の足痕は、じきに消えるだろう。明日吹く風に洗われて、消えてゆくだろう。明後日この場所を訪れた誰かはだからきっと、私がここに在たことなど、露ほどもうかがい知ることはない。そして今度はその誰かの足痕が、この砂の原に刻まれる。その繰り返し。一体何人の者がこの場所を訪れ、この場所に痕を残し、去ってゆくのか。この砂には一体幾つの足痕が、眠っているのだろう。
 足痕が消えることに、かつて私は恐れを抱いた。足痕が消えるというそのことが、私を不安に陥れた。けれど今は。
 そのことが私を静かに満たすのを感じる。消えてゆく足痕を今はいとしいと想う。たった一歩進むごとにその足痕は一瞬にして過去になり、もう今の私のものではなくなる。私が所有できるものなど実は何処にもない。私はただこの一瞬を、今というこの一瞬を横切るのみ。
 気づけば空は少しずつ黄色味を帯びており。その色味はやがて熟れた橙へと変化し。
 もう一度私はゆっくりと深呼吸する。濡れた髪もいつの間にか乾き、そして私はもう自分がこの場所を去る時刻がやって来たことを知る。覚醒した私の細胞の一つ一つが、今、改めて動き始める。澄み渡る細胞の一つ一つが今、手に取るようにこの目にはっきりと見える。
 さぁ帰ろう、私は私の場所へ。再びこの場所を訪れる日はいつの日か。でも。
 この場所へ私が還ろうと思えばいつだって還ることができるのだと。たとえこの砂原が半分埋もれてしまっても。私の足痕はこの砂の中に眠っている。この砂が消えてなくなっても、私の足の裏が覚えている。私の細胞のひとつひとつが覚えている。この場所は私が還ることができる場所なのだということを。

 今、再びこの街に戻った私は、日常にまみれ、あくせくしながら一瞬一瞬を越えてゆく。慌しい景色に時間に、迷子になってしまいそうな不安を時に覚えながら、それでも毎日を越えてゆく。
 そしてふとした時にありありと思い出すのだ。あの場所のことを。迷子になりそうな私に風が、陽が、空が囁くのだ。ここだよ、ここに在るよ、世界はここに在て、おまえを見つめてる、と。
 だから私は、迷う足を止めて、ただじっと耳を澄ませばいい。そうすれば、世界はおのずと開けてゆくのだから。
 今窓の外を見やれば濃闇がじっとうずくまっている。そして数えたら両手で余るくらいの、数にしたらほんの僅かな星たちが瞬く。
 私はここに在る。


2004年12月10日(金) 
 ただの一晩なのに、繰り返し目が覚める。それがもう私の眠りの習慣になっている。最後に目が覚めるとき、それは、ちょうど夜明け前。だから私は毎日のように、夜が明けてゆくのをこの窓からじっと眺めている。
 西側の窓から見える風景は、屋根が何処までも続く、何の変哲もない風景だ。多分誰の町にも、こんな一角があるだろう、そんな風景。或る時はしっとりと濡れた、或る時は耳中がきんとなるほど乾いた、夜が、しんしんと垂れ下がる時間。風は目に見えない筋を描きながら、ゆっくりと夜を徘徊する。街路樹の枝の合間をくぐりぬけ、もう閉店になった店の看板をとんとんと叩きながら、気がつけば風は何処かにするりと消えてゆく。のっぺりと広がる濃闇がある瞬間、すぅっと薄れる。あぁ近づいている、私は心の中、そう呟く。朝が近づいている。
 一度薄れた濃闇は、決して後戻りすることなく、徐々に徐々に薄らいでゆく。やがて空全体が、街全体が、ゆっくりと寝返りを打つ。音もなくくるりと。東からさして来る白い光が、まっすぐに街を包み込み、やがて街自身が発光する瞬間。
 空が割れるのだ。
 ほんの一瞬、空が割れる。
 私はこの一瞬が好きだ。たとえようのないほどに好きだ。あぁ新しい一日が始まるのだ、と、そう思える瞬間が。それは、まばたきをしていたなら多分見逃してしまう、そんな一瞬なのだ。けれど確かに一瞬が存在する。その存在が、夜を割って、朝を産む。
 そして私は再び、床に入る。娘のあたたかい小さな体の横に冷えた体を滑り込ませ、じっと息を潜める。そして耳だけを澄まして、街の音を、朝の音を、聴いている。

 自分と同じ種類の被害に遭い、私と似通った症状に何年も何年も苦しむ友人の一人が、首を吊る。誰もいない部屋で、外界と繋がるものは壊れかけた携帯電話一つきりで、彼女が首を吊る。薬を馬鹿呑みしても手首を切っても死にきれないことを思い知らされ、最後の手段と首を吊る。
 けれどそれにも失敗した彼女が、数日後、電話をかけてくる。私はそこで、彼女の口から、数日前彼女に何が起こったのかを知らされる。
 猛烈に怒り、彼女を怒鳴り飛ばしながら私は、本当は哀しかった。とてつもなく哀しくて切なくて、たまらなかった。だからなおさらに、声は荒れ、私は彼女を罵倒し続けた。あんたがもしその時死んでいたら、遺された私たちはどんな気持ちになるか、あんたに分かるか、と。くだらないことを、延々と彼女に吐き続けた。泣きながら彼女は、何を思っていただろう。私には知る術もない。
 ごめんね、もう思い知ったから、寿命が来るまで私、生きるよ、と、彼女がくぐもった声で言う。あたりめぇだろ、ふざけんな、馬鹿、と、私は受話器が割れるくらいの大声で怒鳴る。
 怒鳴りながら、違う違うと私は思う。本当はこんなこと言いたいんじゃない、生き残ってくれてよかったよ、と、そう言いたい。けれど、言えない。
 ねぇ、死んでも何も始まらないよ。私たちは生き延びなくちゃ、生き残らなくちゃ、ここまで生きてきたのだから、死が迎えに来るその日まで、生き残らなくちゃ。これから先に何があっても。また同じような被害に遭うなんてことが起きたとしても。
 ねぇ。

「あのね、ママ、秘密の話しがあるの」
 或る夜、娘がそう言うので、横になっている娘の口元に私は耳を寄せる。
「あのね、ママ、ママが死んじゃったら、みうの周りには誰もいなくなって、みう、一人ぼっちになっちゃうでしょ? でもね、ママが死んじゃっても、みうは生きていかなきゃならないのよ」
 娘の言葉に、私の心臓がばくんと音を立てる。何を突然、そんなことをと思いながら、でも、心臓が大きく大きく、ばくんと脈打つ。
「一人ぼっちになってもね、生きていかなきゃならないの」
「…そうだね、みうは生きていかなくちゃならないのよ」
「だからね、ママ、生きててね」
「うん、生きてるよ。みうが大人になるまで頑張って生きてるからね」
「うん、きっとね」
「うん、きっと」

 いつのまにか寝息を立て始めた娘の髪を、そっと撫でる。
 大丈夫、私はあなたの隣で、いつだって生きている。死が迎えに来るその日まで。

 さぁ、じきにこの夜も沈んでゆく。そしてまた、新しい一日が始まるのだ。


2004年12月05日(日) 
 凄まじい嵐だった。雨筋が真横に描かれるほどに風が暴れ、裸の枝をこれでもかという程に嬲っていた。一度布団に横になったものの、あまりの風音に起き上がり再び外を見やる。外景に見惚れるを越えて呆けてしまう。当然、私の周囲は風音に覆われ、他の音など何も聞こえないかのように思えた。そうしてただじっと窓際にしゃがみこんで外景を眺め続けていると、突然、音という音の一切がかき消え、沈黙がぽとんと私の上に落ちてきた。気づけば私の中の私は空っぽになり、ただここにしんしんと、沈黙が在るのだった。吹き荒ぶ風の中、私はしんしんと、ただその沈黙の中に、在た。
 それから私の目に何が映っていたのか、私は覚えていない。ふと我に返って空を見上げれば、一面を覆っていた筈の雲が薄れ、東を向く街家の窓という窓が薄紅に染まっている。それは夜明けの陽光。私は立ち上がり、そっと玄関を開け外に出る。そこに在ったのは、静寂と、朝陽だった。まだ眠りから覚めない街にまっすぐに伸びるその光と静寂とに、私はしばし立ち尽くした。それはまるで、完璧なまでの朝景だった。この街に在るのは、まるで私たったひとりかのような。凛とした朝景だった。

 昨夜、読んだクリシュナムルティの著作(「クリシュナムルティの日記」)を思い出す。
「人は自分自身の光となるべきだ。この光が、法である。他に法などない。他の法と言われるものはすべて、思考によってつくられたものだ。だから分裂的で、撞着を免れない。自己にとって光であるとは、他人の光がどんなに筋が通っていようが、論理的であろうが、歴史の裏づけをもっていようが、自信に満ちていようが、けっして追従しないということだ。」
「自由とは、あなたが自分自身にとって光になることだ。その時、自由は抽象ではない。思考によって組み立てられたものでもない。現実問題として、自由とは、依存関係や執着から、あるいは経験を渇望することから、いっさい自由になることだ。思考の構造から自由になることは、自身にとって光となることだ。この光のなかで、すべての行為が起こる。そのとき矛盾撞着はない。法や光が行為から分離しているとき、行為する者が行為そのものから分離しているとき矛盾撞着が起こる。
 …あなたは見なければならない。ただし他人の目を通してではなく、この光、この法は、あなたのものでも他人のものでもない。ただ光があるだけだ。これが愛だ。」

 じきに街は動き出すだろう。そうしているうちにも、私が今目の前にしている光景は次々に飛び去ってゆく。過去へ過去へと。今というものはほんの一瞬で、私はそんな一瞬一瞬を呼吸する。どんなに足掻いても、私はこの今という瞬間の他を生きること、呼吸することはできない。ここにあるのはただ、今という一瞬のみだ。
 今を生き切ること。生き尽くすこと。それが多分、私にできる唯一のこと。

 何処かで鳥の囀声がする。


遠藤みちる HOMEMAIL

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