あららのつぶやき
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2005年03月22日(火) 卒業取り消し

 「2〜3月の花粉症、スギ花粉アレルギーは
卒業しました」って
自慢していたのに・・・

今年のスギ花粉飛散は例年の30倍とも50倍とも
前評判だった。
そして、早い人は12月頃から反応し始めていたのですネ。

12月・「うん大丈夫、平気平気」
1月・・そろそろグスグスし始める時期
私「大丈夫、なんとも無い、だって卒業したんだから」

2月・・マスク怪人が多くなりわが家の娘っこも
耳鼻科の予防薬を飲んでいる。
それでも「今日は花粉が多いヨ〜」って日が多くなって来た。

林の杉が抹茶色になって、いかにも多量の花粉が弾ける寸前。
私「大丈夫、たまにくすぐったいけど、
何てったって卒業したんだから」

3月・・インフルエンザに罹った時、内科の先生が
「以前にかかっていた花粉症は大丈夫?
インフルエンザを機会にぶり返す可能性もあるから」

インフルエンザが治って2週間経った。
2日前から「変だ!ぐすんグスン・・ムズムズ・
クシャン・・痒いカユイ」

完全に「卒業取り消し」を宣言された感じですワ。
覚悟をして耳鼻科へ。。
「治ったと思った人、今までなんとも無かった人も反応する。
今年はこんなケースが多いんですよ」って。


2005年03月17日(木) アプリの共有

 4台のパソコンが共有設定になっていて
いろいろなアプリケーションを入れたくなる。
使っている内にそれはもう、どんどん増えて来る。
おまけに複数の人が使うから、
其々の人が使いたいものが別々ね

同じものなら、一つの大きいパソコンへだけ
アプリを入れて他から使用したいナ〜って
考え始めるんじゃ〜ないかな?(単純!!)

小学校40台のパソコンが繋がっているところで
それをある先生から言われたこともあったナ〜。
「そ〜りゃ出来ませんワ、
スカイメニュー(そこに入っていた共有設定のアプリ)では
画面を見るだけやからね。相手のものを操作もできませんよ」

今回「できるわけないと思うけど、
もしかして、何か新しい方法がある?」
あっちゃコッチャ調べたり、聞いたりしてみた。

===WindowsMessengerのユニークな機能について少し説明します。
まず、ホワイトボードという機能ですが、
これは、ペイントブラシイメージのアプリをPC間で共有するものです。
ひとつのホワイトボードに複数のPCから、文字を書いたり、図形を描画したり、コピペしたりと、筆談しているようなイメージでコミュニケーションがとれるという便利な機能です。

次に、アプリの共有です。
これは、PC間で任意のアプリを共有して動作させるものです。
ほとんどホワイトボードと同じことなのですが、
ホワイトボードはWindowsXPの標準インストールなので、
XP同士なら問題なく動作するのに対して、
アプリの共有は、任意のアプリが、共有するPCすべてにインストールされていなければなりません。======

あるページにこんなのがあったが此れは違うナ。

わが尊敬するPAC神からお告げがあった
メモメモ・・・・
「アプリの共有はできんことはないけど、
一般人が使うウインドウズ上では、
現実問題として実用に耐えられるもんではない。
普通に考えて、
たとえば一つのエクセルを、2台のPCで操作することを想像してみると、
まともに動くとは考えられません。

企業なんかでサーバーに入れてあるアプリを、
各端末が同時に操作することは、ごく当たり前やけどね。
サーバーのスペックとか、
サーバーに入っているOS(XPプロなんかじゃないよ)が、
サーバー仕様になっているから可能なのです。」

これ非常にわかり易かった
ナットク・納得。




2005年03月15日(火) インフルエンザの顛末

 インフルエンザにかかって熱が出たのが3月5日
4日後の8日(火)に東大寺のお水取りに行くことになっていた。

「え〜らいコッチャ・・」
「熱が完全に下がってから24時間は感染力があります」って。

とにかく寝て・薬と「うがい」・寝て・薬と「うがい」の
繰り返しを決め込んだ。
どうしてもダメなら自分だけ行くの取り消しだぁ・・

熱が完全に下がっても寝て過ごした。
咳が残ったのネ。咳き込むと止まらない。
夜も1時間もしない内にモゾモゾと咳が出てくる。
ゴホゴホ・ケホケホ・ゴッホン・ウッ・・
これでは熟睡は出来ない。

8日(火)は、ぽかぽか陽気で助かった〜
咳も思った程苦しくも無く(これって気迫で止まる?)

二月堂の境内での待ち時間から7時30分まで、
冷え込みもたいしたことなく
楽しんで来られた。

そして12日(土)最終日は?
この日「お水取り」の最大ハイライト
松明は大きく・数も多い。

寒の戻りとでも言おうか
雪は降る・風は強い・雨かと思えば氷・霙がパラパラと降っている
「ヒィェ〜 私ら良い日に行って来たね」
「こんな日ならよう外で待っていられないワ」
==そんな事ないって、それでも行っていると思うヨ==

8日以降、咳込む回数が徐々に減って来た。
熟睡できない程の咳き込みが一晩に10回を超える
翌日は5回位かな?
翌々日は3回程・・・
一週間経つと夜の咳き込みは殆ど無し、
薄皮をはぐように直るってよく言ったものだわ

日にちぐすりとも言う。
喉がむず・ムズ、出そうで出ない、たまには出る
なんて日がもう少し続きそう。


2005年03月09日(水) 東大寺二月堂修二会

 二月堂受付けのところでの事
・「東大寺の開祖はどなたですか?」
東「良弁さんです」
・「じゃ〜二月堂はどなたですか?」
東「じっちょうさんです。本来は観音二月堂と呼ぶんです」

・「なぁなぁ観音二月堂が本当の名前やて・・」
・「東大寺を開いたのは良・・?ン?なんやった?」

もう一回聞いてこよう・・・
・「すみません東大寺のご開祖はどなたでした?
東「(笑ながら)良弁さんです。そこに良弁杉がありますよ。
歌舞伎にも出てくる有名な話ですワ」
東「二月堂は実忠さん、良弁さんの高弟です。・・・・まぁ
その辺の角へ行ったら、もう忘れますに」

今度は忘れ〜へんゾ、連れの二人に話した。
「東大寺のご開祖は、良弁さん、二月堂は実忠さんやて、
覚えた?話したでな、覚えておいてヨ〜」

==東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられています。以来途絶えることなく続けられた。平成13年には1250回を数えました。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われていましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。また二月堂の名もこのことに由来しています。

行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃には、「お水取り」と言って、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)をくみ上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになりました。

12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂に」於いて修二会の本業が行われます。

「修二会」の法要は、正しくは「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)を本尊とし、「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(ばんみんけらく)」などを願って祈りを捧げ、人々に代わって懺悔の行を勤めるものです。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。

===東大寺のHPより===


2005年03月06日(日) インフルエンザ感染版

 「咳が少々出るし、鼻もいつもと違うナ〜
花粉症が再発したか? 風邪かもしれないし早めに医者へ行こう」

1日後に医者へ行くと待合室は患者さんで溢れている。
午後の診察に回してもらって、出直し。

熱は無かったはずなのに、診察前の予備検査で
血圧(まぁまぁ)体温(37.3度)だった (~_~;)

「インフルエンザですな〜これから熱が出るかもしれません」
==ヒェ〜〜==

耳鼻科で使う細長〜いピン(何ていう名前やろ?)
10cm〜15cmのピンが注射器と同じように
薄いプラ紙に包まれているのをだしてこられた。

使い捨て、つまり感染しないように新品を使うってことやナ。
これを鼻へ入れて(私の鼻へヨ)・・かなり奥まで入れて
おっっ くっ苦しいヨ〜 ゴホゴホがもうじき出るって・・

これで細菌を調べるみたい。
一度待合室へ戻って、結果が出たので再度呼ばれた。

机の上に試薬紙に赤い線の入っているのが
2本置かれていた。
「インフルエンザA型ですナ、
B型も少しだけ入っているかナ?
A型は年末に予防注射をしてもらっていますナ」

あとはボソボソっていう感じではっきり聞き取れなかった。
この先生ボソボソって言うのが特徴なんヨ。
病気もボソボソって治ってくれればエエんやけど。

いやァ〜確かにこの夜(3月5日)38.5度まで上がったん。
熱がある時って本当にトロ・トロ・トロンって良く寝られる。
(3月6日昼 記)



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