高校時代、進路指導の先生に3回だけ相談しに行ったことがある。
1回目 「先生、俺、北海道大学入れる?」 『あんたじゃいいとこ、都立大が精一杯じゃないのかな? 生活態度悪いし(どーん』
東京に住んでるのに北海道大学ってのもどうかと思うが、当時オヤジが北海道で発見されたこと、貧乏生活というか、学費は自分で稼がないとダメだったので、学費の安い国立大学狙いだったことで狙った訳だが、若干力及ばず諦めた。しかもあっさりと(ぉ
2回目 「先生、俺、公務員になれると思う?」 『あんたね、今更(当時5月)公務員目指しても遅いわよ。 早い子は去年から準備してるのに(どどーん』
次はお堅くも倒産の心配のない公務員を狙うも、準備期間の短さ(今思うとそんなこともないだろうと思うのだが)を指摘され、あっさり諦めた。まるでその話が無かったかのように(ぇ
3回目 「先生、俺に良い会社紹介してくれよ」 『あんたは就職クラスの子より成績が良いから(当時進学クラスに居た)、この会社紹介してあげる』 紹介された会社は、今勤めてる会社だった。 給料は、食品系や流通系に比べて少々安かったのだが、週休二日で企業の安定性では申し分なく、企業イメージは曖昧だったものの、「まぁいいか」とあっさり決定した。
で、そんな条件良い会社を就職クラスの生徒が見逃すはずもなく、10名程同じ会社を希望したらしいのだが、校内選考という成績比べに勝利して(笑)入社試験を受ける権利をゲットした。
その後面接の練習などを夏休み返上させられて重ねた結果、まんまと合格の運びとなった。
就職が内定して遊び呆けていると、進路指導の先生から呼び出されることも多くなり、『あんたは先が決まってるから良いけど、他の人はこれから試験なんだから程々にしときなさい』と釘を刺されたりもした。
で、いざ卒業間近になると『あんたは久しぶりにその会社に入った人なんだから、最低でも3年は頑張りなさい』と言われた。 当時バブル末期で弾ける寸前の特需状態。超売り手市場と言われていたので、短期的な条件の良さからとっとと辞めて給料の良い会社に行く人が多かった。
気が付けば15年も前の話なのだが。
その後唯一の先輩と机を並べて(今、席が隣)仕事をしているものの、後輩は3人しか入っていない。
石の上にも三年、という諺があるのだが、五倍近くいたからもう辞めても怒らないですよね?先生?
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