るしふぇるの日記風味
日記だかなんだかわからんけど(ぉ

2002年05月18日(土) 代表への思い

5/17 15:30
ワールドカップに向けての日本代表が発表された。

わしは運良く(?)工事現場の状況確認のために車に乗り込んでいたため、リアルタイムで確認する事が出来た。

GKから順に、キノモトという偉い方が、フィリップ・トルシエの選んだ選手を発表していく。

GKは順当に選ばれた。

次はDF。
「秋田 豊。鹿島。背番号2」
場内のざわめきがスピーカー越しに伝わる。
何せ2月の合宿で呼ばれて、試合に使われないままメンバー外になっていた選手だからだ。
今年で32歳。
日本で一番、「勝利」というものの味を知っている選手にもかかわらず、だ。

彼は前回のフランスワールドカップの際、予選時はサブのメンバーだったが、レギュラー選手が怪我をした際に抜擢され、そのまま本大会までレギュラーだった。
その後一度怪我をし、また、若手への移行時期と重なって、不運にもメンバーから外されていた。
どうしても「慌てる」ことの多い若手に、一本芯が通るだろう。

他のDFは順当に選ばれる。

MFは、中村・名波といったビッグネームは外された。
中村・名波とも、怪我後のパフォーマンスが十分(と言っても、めちゃくちゃ上手い)でないための選考外、という見方をされているが、中村に関しては、「使い方が上手く決まらなかった」という向きが強いようだ。

ここまでのメンバーに「No.10」が居なかった事に気が付く。

最後にFW。
「中山 雅史。磐田。背番号10」
この男が帰ってきた。

思えば93年。アメリカワールドカップ予選のイラク戦。
2−1となる勝ち越しゴールを決めた中山は、武田に代わってベンチに座った。
後ワンプレーでアメリカへ・・・。
その瞬間、日本全体が沈黙した「ドーハの悲劇」・・・
ベンチから崩れ落ちる中山の姿を、かろうじて覚えていた。
(本当にあの瞬間は、今見ても頭の中が真っ白になる)

月日は流れて97年。
フランスを目指す代表のエース、カズが怪我のために出られない試合に、見慣れない32番を付けた中山が帰ってきた。
この試合の先制点は中山。彼のユニフォームの下には、欠場したカズのユニフォーム「No.11」が着込まれていた。そのパフォーマンスに、国立競技場は一体となる事が出来た。

そして、予選最後のイラン戦。
歓喜の輪の中で中山を見る事が出来た。
ドーハでは、後10秒足りなかった。
今度は、本当に行ける・・・そんな喜びが日本を包んだ。

98年フランスワールドカップ本戦。
日本の唯一のゴールを決めた、あの瞬間。
日本全体を躍動させた。
骨折していた足で、必死にボールを追う男。
誰が見てもおかしい・・・それでも目の前のボールに執着を続けていた。

フィリップ・トルシエが就任した98年。
初めてのゲームで決勝のPKを決めた中山。

そして2002年。
フィリップ・トルシエが迎えるであろう最後の試合を締めくくるのも、この男かも知れない。


2002 FIFA WORLDCUP KOREA/JAPAN 日本代表
GK  1川口 能活 12楢崎 正剛 23曽ケ端 準
DF  2秋田 豊   3松田 直樹  4森岡 隆三  6服部 年宏
   16中田 浩二 17宮本 恒靖
MF  5稲本 潤一  7中田 英寿  8森島 寛晃 
   14三都主アレサンドロ     15福西 崇史 18小野 伸二
   19小笠原満男 20明神 智和 21戸田 和幸 22市川 大祐
FW  9西沢 明訓 10中山 雅史 11鈴木 隆行 13柳沢 敦


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