2003年08月02日(土) |
悲報、マリー・トランティニャン |
いったいどういうことなんだろう。 確かに世の中には、激しく口論するカップルもいれば、取っ組み合いの喧嘩をするカップルもいる。だからといって、理性をなくして度を超して、相手を死に至らせるまでの行為があったとすれば、それは、いかなる理由があったとしても「人殺し」なのだ。
昨日、マリー・トランティニャンが亡くなりました。 昨夜遅く家に帰ってきて、Yahoo!フランスサイトでこの悲報を読んだとき、胸がつまり、ぐぐっと涙がこみ上げてきた。まともに記事なんか読めそうにない。とりあえずダウンロードしておき、今朝読んで、それで今こんなこと書いてるわけです。
このことは、先日ちらりとねこたま掲示板の方にも書きましたが、改めてここでこの悲劇の経緯を書きとめておきます。というか、わたしは最近日本のニュースをまともに見ていないので、この事件の詳細がどのくらい日本のメディアで流れているのか知りません。数日前、たまたま点けたTVで、国会で議員たちが取っ組み合いをしている様子が写って「お前ら、あほか」と思ったぐらいです。
マリー・トランティニャンは、リトアニアの首都ヴィルニウスで、彼女の母親ナディーヌ・トランティニャン監督のテレビ映画『コレット』(作家コレットの伝記映画)の撮影中でした。 滞在していたホテルで、7月26日の夜から27日の朝にかけて、連れのベルトラン・カンタ(フランスのロック・バンド「ノワール・デジール」のリーダー・ヴォーカリスト)との激しい口論のあげく、カンタがマリー・トランティニャンの顔や頭を激しく殴り、トランティニャンは頭蓋破裂、数時間後、病院に運ばれてからも昏睡状態が続き、火曜日(29日)以後の二度にわたる手術後も脳死状態。ほぼ絶望とみられていました。
患者を動かすのはもってのほかという医者の意向に反し、「望みがないのなら、せめてフランスに連れて帰りたい」というトランティニャンの家族の要望により、マリーを本国フランスに移送。 マリー・トランティニャンが亡くなったのは、昨日8月1日金曜日の朝10:20(日本時間18:20)。リトアニアからフランス・パリの病院に移送された後しばらく経ってからのことです。
問題のベルトラン・カンタは、この騒ぎを起こした後、大量のアルコールと薬物を飲んで自殺を図り、でも失敗、マリーと同じ病院に収容されていたが、金曜日の朝、Lukiskes刑務所の病院に移送。 現在、彼の身柄はリトアニアに預けられており(法律上、8月14日まではリトアニアに拘留)、フランス側に引き渡されるのはまだのようですが、この事件に対しての予審が開始されたとの記事がありました。 当然のことながら、ベルトラン・カンタは“殺しではなく、アクシデントだ”と主張しておるようです。そりゃあまあ、簡単には認めないわな・・・。
マリー・トランティニャンって誰?
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