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2001年07月08日(日) |
わたしの仕事の原動力。 |
今日、舞台稽古を終えて、やっとこのページを更新しようという余力が戻ってきた。 11時には家にたどり着ける日もあったのだが、何しろ仕事のことが気がかりで気がかりで、それ以外のものは何も手につかなかった。ただ、翌日の仕事のことを考え、翌日のために眠りをとり、仕事場にいけば仕事以外の何もない。とにかく、心配で仕方なく、出来上がるべき舞台のことばっかり考えて暮らした。 明日の初日を控え、まだ不安材料だの努力すべき点だのは残っているのだが、少なくとも、「見えた」。 今ないものを望むのではない。今あるもの、今できることを、最高の状態に持っていくことが、わたしたちの仕事だ。それがなんとか出来そうな見通し。それが「見えた」のだ。
初日を控えた緊張とともに、テストの最終日を明日に控えた高校生のように、ちょっとばかり解放された自分の身の振り方を想像してワクワクしたりもする。と言ったって、OFFはまだ1週間以上先なので、ただ、読みたかった本がガンガン読めるぞ、といった程度のものなのだけれど。 まず控えているのは、ギュンター・グラスの新作、「わたしの一世紀」。これはなんとも面白そう。扉を開けるのが楽しみである。
さて。 わたしはこうして、連日連夜、仕事のことで知力と体力を振り絞り、また、人間関係から生まれるものに一喜一憂しながら、細々と、それでも生き生きと暮らしている。将来への不安や現実への苛立ちは山積みだが、それでも、毎日が楽しい。 それで。 今日、最寄りの駅に降り立ち、いつものように自転車置き場にたどり着くと、入り口にバットを持った少年が立ちはだかっていた。大変な身の危険を、わたしは感じた。一度通り過ごして、また戻り、それでも彼がいるので、仕方なく反対側の入り口から入って、彼の立ちはだかる近くに停めてあった自分の自転車のところまで行った。 結果から言えば、何もなかったのである。彼は、たまたまバットを持ってたまたま人を待っていたのかもしれない。それでも、一瞬、わたしは、「こんな時に理不尽に襲われたり命を落としたりすることだってありうるのだ。そうすると、わたしは今日の眠りをとることも、明日仕事場に行くこともできないのだ」と感じた。実に冷静にそう感じながら、バット少年の前を通り過ぎた。 どんなに自分の生活と真摯に向き合い、苦しみ楽しんでいても、そんなものは一瞬で無に帰されてしまう可能性のある時代だ。
わたしたちをこの生活に、現在に、つなぎ止めるのは、髪の毛1本くらいの危うい幸運によるのだ。 その幸運を、とてもありがたく思う。だから、同じ幸運を享受して、明日劇場にくることを楽しみにしている観客に、ちゃんと劇場にたどり着けた観客に、少しでも良いものを、と思う。
こんな時代でも、こんな国でも、わたしは同じ地平に立つ人たちと、生きていることを喜びたい。それが、わたしの仕事の原動力だ。かっこつけてるわけでもなんでもない。愚かしくも一生懸命暮らし、ぎりぎりのところで闘っていると、そんなことをチクチクした傷みとともに感じるのだ。
さあ、また明日がやってくる。いつもと同じだけれど、わたしにとって、いつもと少しばかり違う明日、だ。
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