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2001年05月24日(木) なるべくしてこうなっている、今の生活。

 夕べはいそいでベッドに入ったものの、12時まで仕事をしていた精神の熱が冷めやらず、ちっとも眠れなかった。わたしにはままある、「眠り方を忘却した」状態。
 仕方ない。雨の音でも聴きながら、何かのんびりしたことでも書こう、と、ベッドにPowerBookを持ち込んで色々とキーボード相手にひとりごちていた。

 昨日、初日の稽古は本読みだったが、翻訳者や作詞家に稽古場に来ていただく最初の日でもあった。ところが、翻訳の先生が、なかなか到着しない。どうしたんだろうどうしたんだろう、と、心配していると、時間ぎりぎりにニコニコしていらっしゃった。そして、
「来る途中で銭湯を見つけましてね、ちょっと入ってきたんですよ」とおっしゃる。
 本読み自体は5時半からだったから、まあ、銭湯に行くにはちょうど良い時間。でも、やきもきしていたわたしたちは、アララララ、と腰砕け。
 実はこの先生、銭湯好きで有名な人なのである。鞄の中には、街を歩いていて心魅かれる銭湯を見つけたらすぐに入湯できるよう、湯浴みセットが常に入っているそうだ。
 大学を退職してから、翻訳と文筆の仕事をされているが、その自由でマイペースな時間の使い方を、心から羨ましいと、わたしは常々思っている。
 それは隠居ののんびりさなどではない。社会的な時間の呪縛から逃れて、どうしたらせかせかした生き方をせず、ゆったりたっぷりと生きられるかを、若い頃から模索してきた人が、今ようやく自由に時間を使える環境で、より伸び伸びと世界を自分の息と足で歩き始めていらっしゃるという、実に前向きな「のんびり」なのである。
 美しい生き方だと思う。羨ましいなと思う。
 しかし、それには、強く頑な個の力と、柔軟な世界に対する融合性が必要だ。
 わたしは、個人として、まあだまだ、そんなに強くはない。
 思い当たる人も多いのではないだろうか? スケジュール表が、外からの働きかけで何も埋まらない生活というのは、けっこう大変なものである。すべての時間を自分一人の意志で埋めるというのは、強靱な精神の持ち主にしか耐えられない種の孤独であろう。

 ってな風に、のんびりした先生の銭湯タイムを想像し、翌日の自分の更なる「せかせか」ぶりを思い描いていたら、とろとろと眠気が訪れてきたのだった。
 
 本日。やはりせかせか働いてきた。通勤に1時間半かかる現場で、10時から10時半までの労働。そりゃあ疲れるよ。土日に休めるわけじゃなし。これからずーっとこのペースが続く。ああ。でも、やっぱりShow must openだし、Openしてしまえば、Show must go onなのだ。
 
 仕事が忙しければ「休ませろ!」って思うし、仕事してないと現場が恋しくなる。いつもないものねだりのわたし。でも、いつも決まった時間に会社に行って、いつも同じ曜日に休んで、といった生活には馴染めなかったろうし、結婚して家に閉じこめられれば外界での刺激が欲しくなるだろうし、まあ、今の生活は当然の帰結と言うべきか。

 しゃあないなあ、明日もしっかりやってこよう。


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