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2001年05月18日(金) 食い扶持背負った女たち。

 今日の仕事の締めは、とある大物歌手の演技トレーニングだった。
 名もなく貧しいわたしが、名実共のスターに「教えたり」なんぞするのはちょっと笑えるが、次第にそういう機会も増えてきた。まあ、そういう立場は気にせず、一人の人間として誠実に時間を共にすると、色々面白いことがいっぱいある。
 今日のお相手は、若い頃から苦労して苦労して、ようやくスターの座をつかんだ人。
 今や彼女が歩くと、付き人だのマネージャーが6、7人ついて歩く。みんな彼女の才能で食べている人たちだ。表には出てこないが、まだまだ多くのスタッフがいて、彼女はワンステージワンステージ歌っていくことで彼らの生活を支えている。
 実際、たくさんの人を食べさせている人のたくましさって、すごい。それらのスタッフたちに支えられて仕事がしやすくなっているのは確かなのだろうが、やっぱり、人の食い扶持をしょっている人の方が、強靱な精神をしている。それはもう比べものにならない。
 わたしの頼りない男友達どもだって、結婚し子供ができたことで、どれだけか強くなっっていった。それがね、女であって、食わせてるのがたくさんの他人だったりしたら、そりゃあ、まあ、半端じゃないだろう。
 
 そういうのが、明るさやおおらかさや、ある時はわがままぶりや不機嫌さやらでにじみ出ているのを見るのは、興味深いことだ。わたしには買っても味わうことのできない苦労やら孤独が、そこに見える。

我が母も、ずっと家族を食わせ続けてきた女だ。
 わたしが小学3年生の時、父は自分で持っていた会社を潰してしまう。母はその頃、近所の宝石店で、売り上げナンバーワンのアルバイト販売員だった。
 父の失敗に伴う借金を倍にして、母は宝石店を開業した。店内で待っていても田舎では商売にならないので、鞄に宝石を詰めて売り歩き、商売は次第に軌道に乗り、父は宝石のサイズ直しなどの手仕事を修得し、事務を勤めた。借金がなくなるところまで、夫婦で頑張った。
 祖父と祖母、わたしと弟、そして父を、母は生かしてくれた。母は、それもこれも父の愛情が支えてくれたからできたこと、と述懐するが、やはり大した女である。

 母がそうして新しい生活に思い切って踏み込んだのが、ちょうどわたしぐらいの歳の頃。わたしなんて、自分一人の口に糊するのさえままならない生活しながら、あーだこーだと理屈を並べて悩み暮らしておる。もちろん、わたしはわたしの生き方、道を選んでいるわけだから、単純な比較はできないが、それにしても、そのたくましさ、強靱さには、負けていられないなあ、と思う。

 それにしても、毎日色々考えることがあるものよね。
 幾つになっても、幾つになっても、きっとこうやって暮らしていくのだな、きっと。






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