ダイドの毎日


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2002年03月04日(月) 認識というモノ

近頃のダイドの日記は日記というものではなくプチエッセイ的なモノへと変化しているカンジがする
まぁ、プライベート過ぎることを書いたところで理解できない人はできないのであって読んでても面白くないだろう
というワケで日記&プチエッセイと命名してみた
これからもきっとたいした変化のない日はエッセイ風にダイドの感じた事や思った事を吐露していこうと思う
それによって読んだ人達が何かしら考えたり感じたりしてもらえると光栄に思う


一般(という言い方は正しいとは言えないが)の人の同性愛に対する認識を今日は少しばかり垣間見た日
今日、相変わらず友達と話してて
「ミッチーのコーラスしてた人が超セクスィだった♪惚れたわ!!」
と言ったらその友達は
「あんたレズじゃないの?」
そして続けてこう言った
「イヤ〜、身の危険を感じるわ。気持ち悪いから一緒に仕事したくない…」
ダイドは普段から女性もいいと言ってるから今更と思うけどさ
まぁ、いつも冗談っぽく「彼女(Nのこととか)が何人もおる」って言ってはいるから向こうも冗談で返してくれてた
だけど今日はちょっとショックだったというかなんというか…
たとえその言葉に深い意味はなく冗談として発せられたモノであったとしてもさぁ
『世の中の認識はやっぱそうなんだ』
と痛感してしまった
結局ノンケの人から見たら同性愛というモノは“自分が恋愛対象となり得る”というだけで気持ち悪い、近寄られたくないと思ってしまうモンなんだな
同性が恋愛対象となるだけでどうして自分がまるで被害者になるというような認識になるのだろうか
そういう視点でいくとノンケは自分の周りの男が全て自分に気があるという錯覚にとらわれているという事にはならないだろうか
思いあがりも大概似せぃ!と言ってやったらスッキリするだろうけどさ
たしかにどんなにアンチ同性愛でない人だとしてもやはり同性愛者を目の前にすれば“自分もそういう目で見られているのではないか”と感じてしまうのは仕方ないことだと思うし悪い事ではない
それは否定することもできないし人間の心理(?)として当然なことかもしれない
結局人間の認識とはそういうモンなんだな
人の認識というモノは多少は何かに左右されるモノではあるが180°転換させる事などできない
それが思い込みからの先入観だったりただのイメージだったりしたとしても
自分の意思とは裏腹にそういうモノは勝手に自分の中で構成されてしまうモンなんだ
同性愛等に限らず何かを理解してもらおうとがんばってる人達が掲げている理解とは“既成された間違った先入観やイメージを正しく認識してもらいたい”という事なんだろうか
同性愛なんかは変えられない、変えようと思わないセクシャリティ自体を肯定させる必要はないわけだし、結局周りに何を求めているかというと間違ってとらえられている同性愛に対するイメージ(おかしい・変・病気の一種等)を改善させるという事なんだよな、きっと

そんな事を感じた今日でした…


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