世界お遍路 千夜一夜旅日記

2007年05月19日(土) 東山油田講座 現地見学会

朝9時に、長岡大学集合。
小雨の中を現地に向かった。
それにしても、長岡の人が日夜ナニゲに眺めている山峰が、明治期にオイルラッシュでにぎわっていたとは!である。
日本石油(正確にゆうと東山より一足早かった西山石油)も、帝国石油も実はここから産まれた。
日本の油産業発祥地なのである。

ということで、いつも私が行く温泉桂温泉方面へ車は走る。
メンバーは、講座のメンバー18人。
中・高年ばかりなり。ま、いいか。


最初は、平成9年まで操業していた会社事務所と今や日本でここにしか残っていない(というか、世界にここしか無いという話だったが)という原油の斜坑堀の跡地へ。
もともとは長岡藩の材木切り出しの森(御林)だったらしくて、さらには名滝もあったらしくて。細い道をのぼっていくとその道の険しいことにびっくりした。
地震で、地盤が沈み、さらに地震前に襲った洪水で土砂が流れ込んで荒れていたが、ここを今も所有する会社に管理を任されていいる地元の方の案内であれこれ見た。
斜坑堀とは、380メートルほど斜めに掘り進み、そこからは水平に掘っていき、石油の脈にあたると副坑道をまるでアリンコの巣のように掘って・・・さらに滴りでる原油を集める水槽のようなものがあって、集まるとそれっをトロッコで出して貯蔵槽に入れて・・・みたいな実に原始的やり方で採取していたようだ。(戦争が始まって必要に迫られて)
ほとんど石炭とかわんないじゃんと思っていたら、この坑道堀には九州の炭坑から大勢の人が働きに来ていたという話をあった。桂や浦瀬にはこのとき九州から来て住みついた人も多いのだとか。
ふーーーーん。

浦瀬の町中には、石油の運搬や採掘のために山中に住む人たち(数千人を数えたという)の生活物資輸送のために道を開いたという石碑があった。
出資者は、石油資本家たちだ。
なにしろ、信濃川沿い(正確にいうと支流の柿川)までとれた原油をたるに入れて背負って運んで、それを船輸送で新潟まで出したという話だし、道がないと話にはならなかったのだろうが。

毎度おなじみ、宮路様の神社カフェでお昼ご飯。

午後からは浦瀬山という、昔は何百軒も家があって、みんな石油関係労働者、及び、それに関係する商売をしていた人で占められていた地域へ。
今はウグイスが鳴く無人地域であるが。

はじめに東山油田発祥地という腐沢(くされざわ)という、山田へ。
ここでにじみ出ていた、ナゾの水を地元の農業山辰さん(植栗辰蔵)さんが、徳利にそのナゾ水を集めて地元の物知りに持ち込んで、それを市内の醸造業の人が調べて、石油だとわかったらしい。明治17年ことだ。ここから全てが始まって、明治期はまさに黄金時代だった。
で、最初は手堀(!)立て井戸掘りから原油の採掘がはじまったという次第。
周辺に、今は埋め戻された立て井戸の後があちこちにある。
いわれると、へこんでいて「あ」と思うが、ここが実は乗るとずどんと落ちたりして恐いらしい。
清水のようにじわじわとしみ出ていたのか、と質問したら、それはわからない、常にガスといっしょに出てくるので、田んぼのまん中からじわじわぷくぷくとわいていた可能性もあるといわれた。ヘエ・・・
そうしたら、同行の一人が、刈羽の油田というところでは今もそうやって、油がわいているとい話をして下さった・・これまた「ほう」だった。
腐れ沢からのぼって、10年前まで事務所が稼働していた地域へ。
掘るときは常にガスが出てくるので、ガスマスクをつけるのだが、その見本がたくさんあった。
さらに、ナゾの水は今もしみ出ているようで、ここを管理している地元の方がここ産出の原油をどこからか集めてここにおいて下さっていて、燃焼実験。
サラリとした、醤油色の原油。
よく燃えた。
次はポンピングタワーという、何十カ所もある機械掘の井戸をつないで、バランスを取りながらエネルギーを供給し合って原油を集めるシステムを見た。
話を聞いていると、原油を集めるシステムのバランス微妙で、山が人間の体のように影響し合って動いていたことがわかる。
Aの井戸で原油をくみ上げる(上げ方向エネルギ)と、B地点の井戸はその上げ方向のバランスで下げに動いて井戸の底に原油をくみ上げに行くという次第で。
すごいよね。
人間が知恵を出して、どうやったら人力から離脱できるか・・と考えながらここに行き着いたという感じだ。
これはまさしく「産業遺産」だわ。
四国を世界遺産にするより、こういうモンをもっととっておくべきでしょう。
今や世界産業になっている石油会社の発祥が、泥臭いまさに油まみれの地場産業にあったということを認識するのは、日本人には大事なことだろう。
河井継之助のプライドで焼け野原となった長岡を救ったのはまさしく油田発見で、長岡の機械産業は油田の機械化のためにはってしたようなものだし、オイルマネーで長岡発祥の銀行ができた。さらに今も市内で石油を扱う会社のいくつかは、もともと東山油田井戸掘りから身を起こしたというところがある。
(ということも、油田講座でしったのですが)
野ざらしになって朽ち果てていくこれらを残していく見識が長岡市に欲しい。
「温故知新」だよ。

9時から4時まで。うちに帰ってきたら、4時半。シャワーをあびてごろりとしていたら寝入ってしまった。
今目覚めました。
それにしても、今日なんて肌寒い。
どうなっているんだろうか。




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