世界お遍路 千夜一夜旅日記

2007年04月30日(月) 山寺と蔵王温泉へ

山形2日目。快晴。
ホテルを7時に出て、7時15分の仙台行きに乗った。
線路沿いには、多分サクランボの花が盛り。
やがて、山の間を列車は走って、右手によくグラビアで見る岩山の上のお堂が見えてきた。
さすがに早いので、門前のお店もまだ開いていない。
桜が満開。いい時期に来た。
登拝路のやじるしへ歩く。
根本中堂(といっても、まあ京都や奈良の寺に比べれば素朴であるが)をおまいりして、トイレによって、さて登りへ。
トイレで、ちょうどお掃除に入らしていたおばあちゃんにであった。
「あんた、いい時間にきだ(来た)よ。遅いと混んで大変だ。登りも下りも身動きでぎなく(できなく)なるよ」
そうか早起きは三文の徳だったねえ。
総鎮守の三枝神社があるも、まだしまっている。
わきには、芭蕉のかの有名な句碑。
「閑けさや 岩にしみいる蝉の声」
その前には、芭蕉の姿と同行した弟子の曽良の等身大の像。
悪趣味だけど、こうしないとわかってもらえ何だろうなあ・・・

さて、入山料300円を払ってのてのて登る。
入り口で、荷物を預かりましょうか、といわれたが、「これまた、修行ですので」とお断り。だってねえ・・・まあねえ。
往復1時間といわれたし、それくらいは大丈夫でしょうというか大丈夫じゃないと困るし。
途中「後生車」なるものあり。
亡くなった人を早くお浄土へ運んでも遭うために参拝人に回してもらう車だとか。
上に車、したに戒名が書いてある。
凝灰岩の奇岩だが、あちこちに穴が穿たれていて、遺骨や遺髪が納められているらしい。これは、四国でいうと、弥谷寺さんに似ているね。
というか、その昔は人は亡くなると山に行きそこから異界へ旅だった、ということなんだろう。
きついといっても、きちんと石段がある道だし、マアマア。こんな山懐にまあよくこれだけの僧坊が・・という感じで小さな寺があった。
それなりにフーフーいいながら、約20分ほどで奥の院着。
お参りをして御朱印をいただく。
そこから五分ほどで五大堂着。下からみえているお堂の一つだ。
向かいのお堂は、修行者のみにしか入山を許されていないらしい。
五大堂から奥も「修行道なので、危険です」の看板あり。
いってみました。確かに、一〇〇メートルほど行くと、広場のようなところ(多分僧坊あと)があって、そこから細い道が上にしたにと三本あった。
ここから上に向かうと尾根道へ出て駈け道になるんだろうと想像したが。

ボチボチ歩いておりたら、昨日も出羽三山神社でお会いした末弟の施設の職員の方とまたまた遭遇。ご挨拶して少しおしゃべりした。

九時五三分の電車で山形に戻って、少し早いが、駅ビル内のがストでお昼。
さすがにお腹が空いた。それと、蔵王温泉のために腹ごしらえ。
11時20分発のバスで蔵王温泉へ。
暖かい日差しで車中ぐっすり。
目が覚めるとそこは蔵王、でんとそそり立つ山が残雪に輝いている。
今回は山は無視して、新左衛門の湯という日帰り温泉へ向かう。
山のてっぺんには、「お釜」という名所があるのだが、ここはバスがようやっと運行したようで9時半発で、向こう13時。1日がかりみたいで今回は失礼。
お釜の類はアイスランドで飽きるほど見た気がするし。
さて温泉。
硫黄泉の白濁。
きつい湯だ。
あっという間に手がシワシワになった。
源泉かけ流しの湯の露天で隣り合った山形地元の方といろいろとおしゃべり。
おもしろかったのは、方言の話し。
彼女たちの置賜地方(米沢周辺?たしか)は、「時計が運んでたねえ」というのだとか。
「時計が進んでいたねえ」ということ。
へえ・・・・・・・!!でした。
「足を運ぶ」の「運ぶ」と同じなんだろうけど、古い使い方だと思う。
2時20分のバスで山形に戻る。
山寺と蔵王温泉入湯の本日の目的は完了。
4時発の新潟行きの高速バスはあるかと電話したら、あるというので、速攻でうちへ土産を買って、バスターミナルへ。
新潟でバスのりかえで、家着、10時近くでした。
お疲れ。
天気に恵まれてよかったね。
明日、29日分をアップ予定。





 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加