供養碑報告書がとどいて、あちこちからお便りをいただく。 ありがたい。感謝。 しかし、結びの言葉に「ますますのご活躍云々・・・」 形式的な常套句と分かっていても、申し訳ないが、あんまり居心地よくない。 おしりがむずむずする。 よく読んでもらえば「3月22日に死んでよし」(事故よりこの方、余録を生きてきたような・・)とこちとら、書いているのに、なんで常套句とはいえ「ますます」に??そもそも「ますます」なんて活躍してないよ。 また「故郷に帰られて、お母様は大変に喜んでおられるでしょう、、云々」というやつ。 ありがたいが、実情をご存じないと、歯がやや浮く。 こちとら、母親とは犬猿の仲、前世は敵同士かと言うくらい。 しっかるにあちらがすなおに「喜ぶ」わけがない、のだよ。 ウチの母親が素直に喜ぶようになったら、彼岸が近いと私はみている。 または「良寛さんにでもなられるのですか」 空海の世界史上初の「公立学校構想」(綜芸種智院創設)に惚れている、というか尊敬している私がどうして良寛???あのお方は禅だぞよ。 空海の公立学校構想は、学ぶことが人を幸せにするという今も古びない思想を土台としている。それはするどく時代や人の本質を見つめた考え方だとわたしは思うし、それに共感する私は良寛???はあ・・・である。 ありがたき身に余るお言葉ですが、なんでやねん・・・・ 「きれいな空気の下で、元気に再出発されたようで、安心云々・・・」 はあ、まあ・・そりゃ元気ですわ。今ンところ病気もせずに3月22日に死にもせずに、なんだから。 しかしねえ、まあ、カラ元気だわねえ。ださないよりましな・・・ 孤独で厳しい戦いを控えている、というか、いましかかっている、ということを少し黙考してくだされば、とても、元気に再出発とはいえまいと思うのだがねえ。 きれいな空気なら、南国徳島の方がずっときれいでやんしたわい。 水も徳島の方がうまかった。 信濃川の水はもうひとつっす。 ありがたいお便りだが、なんだか的はずれで「はあ・・・・」と当惑顔でいうしかない。残念、すみません。 シンプルに 「最初はゆっくり、やがて順風、すばらしい航海が待っていることでしょう、がんばれ!」と書いて下さった、破磐神社の宮司さんの言葉がいい。 または ある方は「あんただったら郷里でまだ、何か出来る、がんばれる」 あるいは 供養碑の開眼供養の時に来た愛媛新聞のI氏、私の年を聞いていった。 「そうか、まだ、郷里に帰ってひと仕事できるな」 言外に「がんばれ」の意をこめて力強くいってくれたモノだ。 この言葉あたりが、私は一番しっくりくる。 安易にガンバレを使うのは嫌いだが、今の私の場合は「まだまだ」状態だし。やはり「がんばれ」だよね。 「ひと仕事できる」の響きが好きだ。 ひとに言葉をかけたり、便りを書く難しさを考えさせられているこの頃。 ありがたい、感謝と、柳に風で行ければいいのだろうが、そこまでニンゲンが出来ていない、まっこう勝負、かつやや斜に構える私の困った性格あらわな本日の日記でした。 なんてヤツだい、かわいくないよなあ・・まったく。(内心のもう一人のワタクシの声)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ もう一つ、困った事件。 京都の聖神中央教会の少女強姦牧師さん、困ったもんだ。 最悪、恥を知れ、だわ。 それにしても「自分の言葉は神の言葉、いうことを聞かないものは地獄に堕ちる」って、聖書には地獄に堕ちるって概念てあったっけ?? たしか洗礼をうけてクリスチャンになれば、天国にいけるけど、それをしない異教徒はいけない、というのはあるけど、地獄に堕ちるはないような? ネットでキリスト教の総合HPみたいなモノを見たけど、この事件には一言も触れていなかった。 異端の牧師がやったことで自分らとは関係ないということなんだろうが、しかし、外から見たら、やはりキリスト教の牧師様なんだよね。 「関係ない」という態度は、なんだかなと思った。 少なくとも、彼は牧師としてはもぐりではないのだし、同じキリスト者として被害を受けた少女たちに何が出来るのか、くらいは考えてああいったサイトでは書くべきではないのかなと思う。 それにしても、あの牧師さん、外側の顔は「牧師さん」 常識人のお顔だ。 砒素カレー事件の林ますみが「悪女」の顔してないということが話題になったことがあったけど、あの「パウロ永田」こと金保牧師は、やはり「性異常者」の顔はしていない。 だまされるよねえ。 人の本質を見抜くのは難しい。
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