| 2005年04月11日(月) |
怪電話、深夜中国を想う |
やることがあるのに、夕ご飯のあと、ホットカーペットの上にごろんとしたらあれあれ、夢の国へ。 そこに、電話がなった。 時計を見れば、深夜1時近いではないか。 不気味だ。 どうせ間違い電話だろうと、ほって置いたが・・・いったんきれて、またなった。 いやだねえ。 起きて、やることやんなさいということかいな、と起き出してまずは日記を、と書いているが、塾の看板を頼んで、・そこにでかでか電話番号を書いたので電話なのか、とやな気分だ。 こんな事が続くようだったら、看板の電話はつぶしてもらわないといけないだろう。もしかして、空き巣の居住者確認の電話かも知れないに、だとすると警察に相談だね。
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地震、中国の反日運動。 気になる。 地震は、先日来、地震雲がでていたし、千葉であったか、と思ったのだが。
反日運動は、要するに小泉及び自民党の政策の破綻の一つだ。 やはり、ご近所の国とどうしたら仲良く付き合えるか、という配慮が欠けているように思う。(別に弱腰でいいといっているわけじゃない) それと、中国国内の不満の爆発。 なんといっても、この色合いが強い。 彼ら中国人は「抗日」というけど、「抗日記念館」って各地にあるもんなあ。 抗日という言葉は、彼らの頭には、もう少年宮のころからインプットされていていつでも、火がつくように教育がなされている。 この導火線というか火種を元に、国内の貧富の差、自由のなさ、矛盾・・それが抗日運動という形で爆発した。(夷や、していると書くべきだねえ) と私は考える。 1997年に、長江を重慶から船で下ったときに三峡ダムができて沈む辺りの人達は中国の富裕路線から見放されていた。 北京や上海では、日本で手に入るものはなんでもそろうご時世だったが、かの地では時間が止まっていた。 何しろ、万県だったか、李白は住んだ地として有名な町でホテルに入ったら「ニイハオ、トンジ(同士)」といわれて、オオ、同士・・この言葉、まだ死語ではなかったのか、と感じ入ったことだった・・・ 初めて文盲の女の子にあったのもあの地域だった。 すごくいい子だった。 あの子に会ったとき、もしかして文字が読めるってことは人が悪くなるってことかな、と考えさせられたもん、あんまり汚れのない子だったから。 思い出せばきりがないが、言えることはあの国の貧富の差(いわゆる湾岸地域と内陸地域のすさまじい格差)は日本人の想像の域を超えると思う。 8回行った中国だけど、だんだん嫌いになった。 で、好きだった中国映画も、この旅で出会う「嫌い度」に比例するようにおもしろくなくなった でも、忘れられないよき思い出がどの旅にもある。 だから、中国人は総体としては好きだし(ただ、負けるよなあと思うこと多々あるが)仲良くしたい国だよ、私としては。
でもま、、多分彼らの中国人の周囲は、日本製品であふれているだろう。 不買運動は追いついていかないだろうと思う。 まあ、チョーうがった味方をすれば、力をつけてきた中国国内の経済界や産業界が日本および製品のボイコットをすることで自分らの力を伸ばそうとしているのかも知れないし。 今回の運動を先導したのは、日本製品や日本の政策への反対を唱えるインターネットサイトだというし、彼らへ前述のような面々からお金が流れている可能性は十分にある。サイトは、もう自分らは知らないよ、という声明を出したようだが、コントロールできなくなっているということより、もしかして飛び火が、今度は中国国内の富裕層、経済界にくるのを恐れてのことかも知れぬ。 まあ、三国志の国だからなんでもあるだろう。 中国と合弁、共同出資するのはリスクが大きい、とは以前からいわれ続けていたことだが、やっぱりとダメを出されたこよ。 しかしねえ、あの国や韓国とはつながりの深さやご近所でつき合わないということが不可能だ。 もっと、政治がうまくやるべきだろう。 小泉くんじゃ、ダメだよう。しかし、代わりがいないのだねえ。やっぱり、地震で沈む国なのだろうか?
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