昨日、伊丹から新潟に着いて、長岡に向かった。 新潟は、いつもの新潟市で「どこが地震?」という印象、もしかして私はテレビの悪夢にだまされていたのではないか、と思ったりした。 そこには確かに私の知っている新潟市の日常があった。 高速バス、各駅停車とどちらからでも長岡に帰れるが、私はバスで雨の中長岡に向かった。 長岡にはいっても、これまた、ふつうで、ホントに静かないつもの田舎町だった。ただ、長岡ジャンクションからは高速道路は通行止めなので、警察などの車が止まってはいたがそれ以外はふつうだ。 市内も、よく見れば、かたむいてブルーシートを張ったところ、家から出たらしい大量のゴミがあったりしているがその気になってみているので、もし注意しなかったらいつもの長岡だ。しかし、土曜の夜というのに人は異様に少ない。長岡駅を抜けてみたが、ここもまた人がいない。駅ビルにはいっている無印などもへいてんだ。新幹線が着かないということはこんなにも寂れてしなうのか、の印象。 駅の通路は天井が所々はがれたり落ちていたりした。 しかし、それでも、一時倒壊の危険があるとほうじられた駅とは思えない。
東口からタクシー。いつもだと、ここへ義妹が迎えに来てくれるのだが、今回は病院だった。 なんと過労とストレスで倒れただけでなくて、脳梗塞を起こしていることが昨夕に判明してエライことになっているのだ。 今までは、私があちこちにくるまで運んでもらったけど、今度は私が彼女をあちこちに運んでやらないといけないようだ・・・・ タクシーの車窓から、全壊家屋を見た。
うちはなんともない、というか集落全体が丈夫だったようだ。 うちの中に入れば、食器は少ないし(大半が割れた)収納の中は、ぐちゃぐちゃだが、一見これまたふつうだ。 母によれば「うちは家を建てるときに、地盤がかたくて基礎工事が大変だった、だから、そう簡単に崩れたりしないはずら、うちだけでなく、村中そうらろう」とのこと。 それと、雪国仕様で柱も太いし、壁も多い、筋交いは当たり前で作ってあるからうちの近所はみなびくともしなかったのだろう。 しかし、村内を走る道は一部陥没しているし、固めていない石垣はごろごろ崩れ落ちている。 水がずっときていない。 一番困るのはトイレだ。 トイレの中に、池の水をくんできたバケツをおいて使っている。 そうすると、いかに水洗トイレというのは水を使うか、ということがわかる。 ヒマラヤに行ったときに、きれいな水が谷底を流れているのに、それを汲み上げて行き渡らせる技術がないな・・と思ったのだが(エベレストでは、水も湯も貴重品だ)日本一の大河信濃川が流れているこの地にしてこの水不足。 まあ、私は、もっとすごいところを旅してきているから、20年前のインドだとか、中国の奥地みたいとか、エリトリアのボーダーとかいろいろと見解を述べて「楽しめる」が・・・ひねったら水や湯がふつうの人にはこれはきついと思う。 事実、食器洗い、洗濯、水のありがたさがわかる。 お風呂は、何とか1日おきに水をくみに行って入れて追いだきをして入れているらしい。 ちなみに昨夜は深夜に余震(震度3)があったらしいが、私は縛睡していてわからず。 今朝も食事中に震度3、しかし、我が家族は感じず。だから、うちは母の言葉のごとく、ホントに岩盤の強いとことにたっているのかもしれない。
大変なことになっている義妹の見舞いに行くと、、病院も食堂にベットが入っていたりして「野戦病院」の名残をとどめていた。 義妹は、体質的に欠陥が弱いようで、今後のリハビリも含めて家族のサポートが大切になってくる。 わたしが「しばらくいるからね、ゆっくり直そうね、生きていてよかったよ」といったら、大きくうなずいていた。 もし避難所にいたら、車で寝泊まりをしていたりしたら、間違いなく彼女の命はなかったと思う。そう考えると、車から降りたとたんに倒れて亡くなられた方々のことを思うとラッキーだと思わなくてはならない。
帰り、姪が少し遠回りをして、近所の被害がひどかったところをまわってくれた。 さくらの名所の悠久山では、池に向かって道路が滑りおちて段差1m以上。うちごと滑って傾いた道、そこの段差も1mはある。 これだけ滑ってしまうと、頑丈な家でもひとたまりもないだろう。 うちの親戚1軒が全壊にちかい(一応たっているようだけど、これはまだ見に行っていない)、いとこの嫁ぎ先も滑って沈下して傾いていた。
朝、三枝子のお姉さんから水の差し入れがあった。(ありがとうございました) 全員無事で、ライフラインも復旧したらしい、よかった。 早く水が来て欲しい。 義妹が少しでもよくなりますように・・・
・・・・・・・・・・・・・・ イラクで香田さんの遺体が発見された。 それしても、彼はイラクに自殺に行ったのか・・・・ *短パンで歩き回る(肌を出さないイスラム世界にあって、私は欧米系の外国人です、誘拐してちょうだいといっているようなもの) *アンマンでバグダット行きをあれだけ止められたのに行った(基本的に現地の人に止められたのにそれでも行くというのはおバカだ) *資金が乏しい(命はある程度金で買える、せめて500ドルは持っていて欲しかった、200ドルも出せば、蛇の道は蛇で、信頼の置けるタクシードライバーを雇ってアンマンへ一目散に逃げ出せたはずだ) *マスコミ関係者は滞在しているのだ、米軍でもよい、どうしてSOSでどこかに緊急避難しなかったのか?そうすれば、あんな形で命までも落とすことはなかったはずだ。ここには尋常ではない危険がある、命がやばいと察知できれば迷わずそれができたはずだが。(バグダットは四面楚歌ではないのだ、逃げ込む場は機転を利かせばあったのではないかと思う、それが彼の場合一番現実的生存の道であったろうに・・・残念だ) *平和なイスラムを旅するときでもラマダン(断食月)は避けよ、というのは常識だ。乗り物の便数は少なくなるし、日の出から日没までモノを食べられないから、みんな空腹で殺気だって、喧嘩が多くなる。(ただ、ラマダンの時にしか食べられないお菓子とか、体験があるので、イスラム好きの人はそれねらいで行くという話も聞いたことがあるが) *すごく不思議なのは、彼はイスラエルからヨルダン、イラクにはいったというが、ふつう、パスポートにイスラエルのはんこがあったら、モスレムの国には入れないのに。何で入れてしまったのだろうか。イスラエルにも行きたいし、イスラムの国にも入りたいという人は、パスポートにはんこおさんといてと、イスラエル入国の時頼むと聞いたことがある。 これが一番不思議だ・・・・平和ぼけ、政治音痴の若者世代の悲劇というのは簡単だが。この、入れないはずところに入れてしまったときに、すでに彼の運命は決まったのかもしれない。 ご両親とお兄さんがおかわいそうだ・・・合掌。
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